春先迷路



byドミ



(5)迷路の出口



オレは、蘭に近付き、そのまま、蘭の中に入った。
蘭はすんなりとオレを受け入れてくれる。
一体、どうやってこういう事が出来たのか、オレにも蘭にも、説明がつかない。
とにかく、自然にそうやっていた。

「しばらく借りるぜ、蘭の体」

・・・よもや、こういう形で、蘭と「一つになる」日が来るとは、思わなかったな。

ともあれ。
オレは、蘭の携帯を使って、あいつを呼び出した。

夜中、月の輝く金鱗湖へと。


そう言えば。
あの事故のあった日も、このような満月だったっけ。


「蘭?こんな夜中に・・・見つかったら怒られるぞ、一体どこまで行くつもりだ?」

あいつが、蘭の体を借りたオレの後をついてくる。
オレは、湖(という名の池)の畔で、振り返った。

「民家が全くない訳じゃねえ・・・ないけど、ここなら、色々と霊現象が起こっても、大丈夫だな・・・よね」

今迄、色々な人の口調をマネして来たオレだが、蘭の口調は、意外と難しい。
考えてみりゃ、「眠りの蘭」は、やった事なかったからな。

「れ、霊現象?何言ってんだよ、オメー」

あいつが、少し焦ったような口調で言った。

「新一」

オレは、あいつに呼びかける。
自分で自分の名を呼ぶのは、何と言うか・・・背中が痒い。

「正直に、答えて。オメー・・・新一はもう、全てを思い出してんじゃねえ・・・ないの?昨日の騒ぎの時から」

あいつは、一瞬ひるみ。
そして、表情が変わった。

「違う!お前は・・・蘭じゃねえ!」

さすがに、あいつも、工藤新一だ。
器は蘭でも、中身がそうではねえ事を、すぐに見抜きやがった。

けど、ここで「オレ」も、引く訳には行かねえ。

「言えよ!あの事故で、工藤新一に、何が起こったのか!?」
「オメー・・・!」
「ハッキリさせようじゃねえか!どっちが、生き残った工藤新一なのか!!」
「オメー、蘭の体を・・・!」

あいつが、突然頭を抱えた。

「ぐっ!」

オレの目の前で。
あいつの顔が、見る間に歪んで行く。
そこに現れたのは、昨日のオレのような、「悪霊」の表情。


「わたさ・・・ねえ・・・」
「何っ!?」
「わたさねえぞ!これは、オレの、体だ・・・今まで18年間、オレと一緒に生きて来た・・・オレの、体だ!」

あいつの拳が、オレに向かって繰り出されて来た。
蘭の体も、オレ自身の魂も、並外れた反射神経を持っている筈だが、それでも避け切れないと思う位に、あいつの攻撃は、「人並み外れた尋常じゃない」速さだった。

蘭の体に、あいつの拳が入ってしまう!
思わず、両手で顔をブロックする。

しかし。

悪霊化したあいつだが。
さすがに、「蘭の顔」の前で、その拳は止まった。

「卑怯だぞ!蘭の体を乗っ取りやがって!」

あいつは、悪霊の表情のままで、歯噛みする。

そうだ。
オレも、あいつも、僅かでも蘭を傷つけられる筈なんか、ねえんだ。

「そうだよな。オメーが蘭を殴るなんて、ぜってー出来る筈がねえんだ」

オレは、蘭の声で、言った。

「良いのか?お前の蘭を、ほおって置いて」

オレの言葉に、あいつは虚を突かれたような顔になった。

「お前を失って、虚ろな目をして、自殺をしてはいけないからとただ生きているだけの、蘭を。ほおって置いて、良いのかよ!オメーは!」
「蘭・・・!!」

あいつは、顔を覆って呻き声を上げた。

「オレは・・・!」

あいつが、顔を覆ったまま、後退りした。
おいおい、後ろは金鱗湖だぞ。

オレは、あいつを止めようと前に出て、あいつの腕を掴もうとした。

「え・・・?」
「は・・・?」

あいつも、オレが借りている蘭の体も、並外れた運動神経を持っている筈なのに。
どうした弾みか、よろけたあいつに、オレが借りている蘭の腕も宙を切ってバランスを崩し。
そのまま、絡まり合うように、金鱗湖に2人して落ちて行った。

ただまあその。
湖と名付いているが、殆ど「池」。
さして深さがある訳でもない。


なのに。

オレ達は、底なしの湖に落ちてしまったかのように、どこまでも沈んで行った。


   ☆☆☆


「ここは・・・」
「例の・・・ヒラサカ姫の空間、だろう」

霊体になった、あいつとオレは。
寸分たがわぬ「工藤新一」の姿をしていた。

「蘭は!?」
「ああ。心配しなくても、そこにいるぜ」

あいつが焦った声を出し、オレは、蘭の方を指差した。

蘭も「霊体」になり、ほのかな光を放ちながら、丸まってそこに浮かんでいた。
蘭の意識がないが、眠っているような状況なのだろう。

「あの事故で、オレは、即死の状態だった」
「・・・・・・!」

あいつが、語り始める。

「肉体から幽体が抜け出ても、体中が痛くてたまらなかった。その時。あいつが、ヒラサカ姫が、手を差し伸べて来て言ったんだ。私が命をあげるから、私の所においでってな」
「それで、オメーは、その手を取っちまったのかよ?」
「ああ。正常な判断が出来る状況じゃなかったし。何よりもオレは・・・」

あいつは、切なそうに蘭の霊体を見つめて、言った。

「蘭の所に、戻りたかった・・・だから・・・」
「命をくれるって言うから、思わずヒラサカ姫の手を取っちまったんだろう?」

何せ、同一人物。
あいつの考えそうな事は、よく分かる。

「ヒラサカ姫の手を取った時、彼女から魔性の力がオレの中に流れ込んだようだった。そしてオレは、彼女がくれると言う『命』が、人間のものではなく、霊的な存在としてのそれだと気付き、彼女の手を振り払った」
「・・・・・・」
「けど。ヒラサカ姫から流れ込んだ力で、オレは、見てしまったんだ。もう一つの世界を、オレが生き残った世界を。そっちのオレは、現場に倒れていたけど、殆ど無傷だった」
「・・・そっか。それでオメーは、勢いに任せて、オレの体を乗っ取っちまったって訳か!オメーは、それでオレの方がどうなるのか、考えなかったのかよ!」
「何も考えられなかったさ!それで、そっちのオレの魂をはじき出す事になっちまうなんて、夢にも思ってなかったぜ!」
「よく言うよ!」
「だったら!オメーだったらどうするってんだよ!?オメーがオレと同じ状態になっちまったら!」

そこまで言い合って、お互い、はたと気付く。

「「すまない。オレとオメーとは、あの事故の瞬間まで、同一人物で生きてたって言うのによ」」

2人、異口同音に、言った。
オレとあいつは、お互いの肩に手を置いた。

「こうやって触れ合ってみると、よく分かる。オレ達は確かに、全く同じ存在だったって事がな」
「だけど・・・オレが生きている世界と、死んだ世界に、別れちまったってのか?どうして、そういう事が・・・大体、何が事故の結果を、ふたつに分けたんだ!?」
「それは・・・彼女が、知ってるんじゃねえのか?おい、そこにいるんだろ?ヒラサカ姫!」

闇の髪と瞳を持った女が、オレ達の目の前に現れる。

「さあ。説明して貰おうか、ヒラサカ姫!」

オレは、彼女に詰め寄った。

「私はただ・・・工藤新一という光が、欲しかった・・・いつも輝いている、新一の魂に、ずっと傍にいて欲しかった・・・それだけだったんだ・・・」

死の闇を宿した瞳に、やや怯えに似た切なさが宿る。

「だけど、新一は、強い星に幾重にも守られて、危険な目に遭っても、若くして命を落とす事はない。だから、私は・・・あの日、新一の運命に圧力をかけて、事故へと導いたんだ」
「・・・!あの日の事故は、ヒラサカ姫が仕組んだ事か!だけど何故、結果がふたつに分かれる事に!?」
「毛利蘭・・・」

ヒラサカ姫の口から、蘭の名が出て、オレは驚く。

「えっ!?」
「あの子は、ただの人間。仄かな優しい光を放っているけど、新一の強烈な光に比べたらずっと弱い、ただの人間。新一には相応しくない」
「おい、何だよ、それ?」
「なのに。あの日、事故の瞬間、あの子の願いに、何者かが力を貸した。このヒラサカ姫に匹敵する力の持ち主が・・・」

あの瞬間。


「しんいち〜〜〜〜っ!!!」


蘭が、叫ぶのが聞こえた。
蘭の、ありったけの想いが詰まった、オレを気遣う声。


「そっか・・・蘭が、オレを守ってくれたのか・・・」

オレは、思わず呟いていた。
そして、ハッとしてあいつを見る。

「ああ、そうだな。いつもいつも、蘭を守る積りで、こっちが守られていた。黒の組織に体を小さくされても、戻る事が出来たのは、蘭がいたからだ・・・」

あいつは、先程の悪霊化しかけた時とは打って変わり、慈愛に満ちた微笑みで、蘭を見詰める。

「ずっと、蘭と共にありたかったよ。蘭は・・・今はきっと、深く悲しんでるだろうな。でも、オレを失っても、必ず幸せに生きて行ってくれる。オレとの事を思い出にして・・・」
「おい・・・!」

オレは驚いて叫んだ。
あいつは、徐々に自身の死を受け入れ始めている。
このままだと、あいつは成仏しちまって、あちらの世界の蘭は本当に、工藤新一を失ってしまう!

「良いのか!?お前、本当にそれで良いのかよ!?」
「良いも悪いも、ねえだろ?この世界の工藤新一は、オメーだろう」
「そんな!オメーは戻りたい筈だ!今だって・・・蘭と一緒に、戻りたい筈だ!そうだろう、もう1人のオレ!」
「オレは・・・そりゃ、心残りは、山程あるさ。蘭と共に生きて行きたかったよ。けど・・・オレの願いは、お前が叶えてくれるだろう?」

あいつは、そっと、霊体である蘭の顔を覗き込む。

「蘭の事は、忘れない。ずっと・・・永遠に・・・愛してる・・・」
「どうにもならねえのか!?おい、オレって、こんなに潔い人間だったのかよ!?」

オレが叫ぶと、あいつは振り返って、悲しげに微笑んだ。

「じゃあな。後は、頼んだぜ」

「新一!待って!ここで死を受け入れるんなら、私の傍に、このヒラサカ姫の傍に、いてよ!」

ヒラサカ姫が、あいつに追いすがろうとした。

すると。
あいつは突然表情を変え、ヒラサカ姫の手を、ガッシと掴んだ。

「おい。元凶は、オメーなんだよな?だったら。オメーの力で、死んだ方のオレを、生き返らせねーのか!?」
「えっ・・・?」

ヒラサカ姫が、怯えて後に引こうとするが、あいつはそれを許さなかった。

「わ、私には出来ない!あっちの世界の新一を生き返らせるなんて、そんな事!」
「ふうん。人の運命をねじ曲げる力があるって言うのに、生きる運命に戻す事は出来ねえってのか?」
「あ、当たり前でしょ。作るのと壊すのでは、壊す方が感嘆だって、あなたにも、分かっている筈だよ!それに、死者を生き返らせる事は、たとえ神の世界でも禁忌とされているのよ!」
「禁忌とされてる。って事は、逆に、出来るって事か?出来ねえ事は、禁忌にもされねえからなあ」

あいつが、ニヤリと笑って言った。
この狡猾さ、さすがはオレ自身だ。
オレは妙に感心してしまった。

ヒラサカ姫は、ハッとしたように、口に手を当てる。

「まあさすがに、死者復活は無理があるか。だったら、工藤新一の体を複製して貰うってのでも、いいんだけどなあ」
「そうそう、世界を分割出来るのなら、人間の複製を作るくれー、お手のもんだろ?」

あいつの言葉に、オレが横から言葉を沿える。
死者復活や若返りが禁断の方法で、手を出しちゃならねえ分野である事は、オレにだって重々分かっちゃいるが。
そもそもこの女・ヒラサカ姫が、オレに手を出して来た時点で、既に、踏み込んでならねえ部分に足を踏み出していた事は、間違いねえんだ。

「どうして?どうしてよ!何であんたは・・・あんた達は、このヒラサカ姫を選んでくれないの!?」

ヒラサカ姫が、顔をくしゃくしゃに歪めて叫んだ。

「何故、その子なの?ただの人間、何の力もない、女の子なのに。新一はどうして、その子を選ぶの・・・?」
「「選んだんじゃない。蘭は、オレの全てだ」」

オレとあいつは、同時に言った。

「「力があるとかないとか、そんな事は関係ねえんだ。オレは、蘭がいるからこそ、オレでいる事が出来る」」


その時。
蘭の背後が、ゆらりと揺れた。
そして、男の声が響いた。

「ナミよ。そなたの負けだ。工藤新一という男の魂は、どうしたってお前の手には入らぬ」
「ナギ!」

おいおい。
ここに来て、新しい登場人物か?

古代日本神話風の髪型と衣装の男性が、いつの間にかそこに立っていた。
こいつは、どういう存在か分からねえが、どうやらヒラサカ姫に匹敵する力の持ち主のようだった。

「ナギ!あんたが、毛利蘭に力を貸して、このヒラサカ姫の邪魔をしたんだね!」
「いかにも、その通り。あの夜、この娘の切なる願いの叫び声が、幽界で眠っていた我の元に届き、我はこの娘に力を貸したのだ」
「お前は・・・いつもいつも、私の邪魔をする!一体、どういう積りなの!?事と次第によっては・・・!」
「ナミよ。お前には本当に分からないのか?工藤新一という男の魂が、何故、光り輝いているのか」
「・・・・・・どういう意味よ?」
「お前は、工藤新一が太陽で、毛利蘭が月だと、勝手に思い込んでいたようだが。違う。工藤新一と毛利蘭は、お互いがお互いを照らし、強く引き合い離れる事のない、連星のような存在なのだ!」
「そんな・・・!だって、毛利蘭の光は、弱々しいのに!」
「いや。慈愛に満ちた優しい光を、お前が勝手に弱い光と決め付けただけだ。この工藤新一は、毛利蘭という存在がなければ、輝く事が出来ぬ。この男が悪霊化したのは、毛利蘭から引き離されかけた時だっただろう?」

ヒラサカ姫が、息を呑んだ。
オレとあいつも息を呑んだが、妙に納得してもいた。

「お前が欲しがっていた強い光、魂の輝きは、元々、毛利蘭のものだ。返してやらねばなるまい」
「か、返す!?どうやって?」
「お前も、分かっているだろう?今、世界が、歪み始めている事が。我は、この娘に力を貸したが、それは僅かなもの。元々、この男は神の干渉すら跳ね除ける程の強運を持っていた。それなのにお前が、その工藤新一を、無理に死の運命に導いたが為に、世界がふたつに分かれてしまったのだ!」
「ナギ・・・私は・・・」
「このままでは、世界は少しずつ狂って崩壊して行く。ナミよ。そなたの責任だぞ。このままでは、そなたの存在すらも、危うくなる」

ヒラサカ姫は、顔を覆ってうめき声をあげた。

「こうなったのは、そなたに数千年の孤独を強いた、我の責任でもある。世界の歪みを正す為に、力を貸して欲しい」
「嫌だ・・・嫌だ!また、これからも孤独に過ごすのは、嫌だ!それ位なら私は、世界もろとも消える方が良い!」
「もう、お前を独りにさせる事はない。我がお前の傍にいる」
「ナギ・・・!」

ヒラサカ姫が顔をくしゃくしゃにして、男の胸に飛び込んで行く。


おい。

ひょっとして、この2人。


もしかして、もしかしたら、オレは、オレと蘭は、こいつらの長い長〜い痴話喧嘩の犠牲にされかかったって訳なのか!?
今、かなり本気で腹が立って来たぞ。


「工藤新一。お前の怒りは分かるが。世界の歪みを正す故、許してやっては貰えないか?」

その男が、ヒラサカ姫を抱きよせながら言った。

「・・・それは、結果を見てから考えるよ」

オレは、そう答えた。

男は、苦笑したようだった。


突然。
閉じられた空間の下に、ある光景が現れた。


夜の街中。
歩道橋が見える。

「ママァ、どこぉ?」

泣いている、小さな女の子。

これは、あの事故が起こった夜!


「これから、世界を、あるべき姿に戻す!工藤新一が、生きている世界へ!」
「「えっ!?」」

ヒラサカ姫と男の姿が、虹色に光り輝き始めた。


そして。

オレとあいつとの霊体が近付き、ひとつに融け合った。

幽霊だったオレと、この世界で生きていたオレの記憶が、交じり合う。
オレはあいつであいつはオレで、オレ達は再びひとつの存在に、同一人物へと戻って行く。


「我は、ヨモツ彦。工藤新一、迷惑をかけたな。もう、我らが、お前達に関わる事はない」


ヒラサカ姫とヨモツ彦の姿が、光り輝く存在となって遠ざかって行く。
ひとりになったオレは、蘭の霊体を抱き締めていた。


   ☆☆☆


気がつくと。
オレは、蘭を抱き締めて金鱗湖のはたに座り込んでいた。
まだ、空は真っ暗だが、夜明けまでそう遠くはないだろう。
周りの景色が見えない位の、深いもやがかかっていた。
由布院特有の、朝靄だ。

腕の中で蘭が身じろぎして、目を開けた。

「新一?」

頬を染めて呼びかける蘭の存在が、可愛くて愛しい。
こいつは、あの空間の中で意識を失っていたから、何も知らないんだよな。

「蘭。ただいま」

オレの口からは、するりと、その言葉が出て来た。
オレは、工藤新一は、オレ自身の体で魂で、蘭の傍に戻って来たんだ。

「お帰りなさい、新一」

蘭は何も知らない筈なのに、ニッコリ笑ってそう答えた。
あまりの可愛さに、オレはクラクラとなる。

しかし。
オレは突然、ある事に思い当って、蒼くなった。

あの、蘭は、オレを失って悲しみながらも、何とか強く生きようとしていた蘭は、一体どうなったんだ?
まさか、あの世界ごと、消えちまったのか?

すると、オレの想いに呼応するかのように、蘭は突然、身を大きく震わせた。

「新一!?ちゃんと、ここにいるよね!?生きてるよね!?夢じゃ、ないよね!?」
「蘭!?」
「何か・・・新一があの事故で死んでしまって、その後、生きてる実感がないって、ものすごくリアルな夢を・・・夢、だよね?あの記憶は・・・」

蘭が震えながらオレにしがみついて、言った。


そうか。
オレが、ひとりの存在に戻ったように、蘭も、あの蘭とひとつになって、ひとりの存在に戻ったんだ。
おそらくは、世界も、ひとつに統合されたのだろう。


「ああ。オレは、生きて、ここにいるよ。蘭。悪い夢はもう、終わったんだ」
「新一・・・」

オレは、蘭をしっかりと抱き締めると、その唇に口付けた。
いつまでも2人だけでいたいが、そうも行かねえ、今は修学旅行中。
オレ達はこっそりと、他の生徒や教師に見つからないように、旅館へと取って返した。

筈だったが。


「新一君。蘭と二人きりで過ごしたいのは分かるけど、学校の行事中は、遠慮してよね」

蘭を、女子グループの宿泊部屋まで送り届けると。
蘭が抜け出した事に気付いた園子が、いたく心配して待っていて。
オレは、園子達女子グループから、こってりと絞られた。
蘭が必死でオレを庇おうとするが、それは火に油を注ぐ行為だった。

けど。
皆、蘭やオレの事を真剣に思ってくれての事だから、オレは甘んじてそれを受けた。

「あれ!?」

突然、園子が変な顔をした。

「園子、どうしたの?」
「あ、う、うん・・・縁起でもない変な光景が浮かんだだけだから、気にしないで」

園子が顔に汗を貼りつけて言った。

「縁起でもない光景?」
「・・・蘭が、新一君の遺影を持って修学旅行に参加するって・・・ごめん、ただの夢の話だから」

園子が苦笑しながら言ったが。
皆が一瞬、ざわめいた。

「そいつは、ただの夢だよ、ユ・メ」

オレが言って。
皆、何となく青ざめた表情で顔を見合せながら、

「そうだよね、夢だよ、夢」

と、自分自身を納得させるように言って。

「とにかく、夜明けまで間がないんだから、寝ないともたないわ!寝よ寝よ!」

との園子の言葉で、皆、横になった。

「じゃあな。蘭」

オレがそう言って部屋を後にしようとすると。

「新一!」

心細げな表情をした蘭が、オレの裾を掴んで呼びかけた。
その瞳が、潤んでいる。
正直、ここが他のヤツもいる場所じゃなかったら、オレはそのまま蘭を押し倒していただろう。

オレは、理性を総動員して耐え、言った。

「大丈夫。オレはここに、いっからよ」
「うん・・・」
「愛してる」

蘭が、目を丸くし、オレを見て頬を染めた。
見られているかもしれねえけど、この際、そんな事は言っていられねえ。
オレは、蘭を1回ぎゅっと抱きしめ、その唇に深く口付けて。
後ろ髪を引かれる思いで、女子の部屋を後にした。


やはりと言うか何と言うか、布団にもぐりこんだ筈の女子達に、オレと蘭のキスシーンはしっかり目撃されていて。
後から、散々からかわれる羽目になるのだった。



   ☆☆☆



修学旅行が終わり、オレ達は、それぞれの家路につく。

「ああ。何だか、疲れちまったぜ。明日の休日は、1日寝て過ごすか」
「もう!新一、最近怠け者になってない?」
「しゃあねえだろ。色々、あったんだからよ」

蘭の瞳が揺れ、オレは慌てた。
蘭にとって、「オレが死んだ記憶」は、一応夢と納得しているものの、まだ生々しい筈だ。
いずれは、その痛みも癒える日が来るだろうけれど。


オレは、自分がずるい事を重々承知の上で、言った。

「蘭。今夜、オレんちに泊まるか?」

蘭は、顔をあげ、目を丸くしてオレを見た。
やがて、その意味するところを理解したのだろう。
顔が真っ赤になる。

蘭は俯いて、暫く考えているようだったが。
やがて、顔をあげて、言った。

「うん。泊めて」


結局、旅行から帰ったオレは、そのまま蘭を「お持ち帰り」してしまった。

そして、その夜。
オレ達は、ひとつになった。


「新一・・・新一・・・」
「どうした、蘭?」
「新一、ここに、いるよね?」
「ああ。いるよ。これからも、ずっと・・・蘭の傍に、いる」
「うん・・・絶対だよ」
「ああ。オレは、オメーをぜってー、離さねえから」


オレの腕の中で泣いていた蘭も、最高に愛しかったが。
翌朝、慈愛に満ちた微笑みをオレに向けた蘭もまた、最高に綺麗で更に愛しかった。
こいつは、どれだけオレの心を虜にしたら気が済むのだろう?


蘭の為に抱いた、なんて綺麗事を言う気はない。
蘭を抱いたのは、オレ自身の望み、オレ自身の欲望。

蘭をオレのものにしたかった、蘭にオレの存在を刻み込みたかった。
愛という名の欲望で、オレは蘭を、オレのものにした。


けれど。
オレを受け入れた事で、蘭の気持ちが安定したのは、事実なようで。
結ばれた後は、随分と落ち着いた表情をしていた。


蘭の「夢の記憶」とそれによる痛みは、少しずつ、薄れ始めたようだった。

やがて、蘭は。
そして、友人達も、オレの両親も。
「夢」をすっかり忘れてしまう日が、来る事だろう。



そして。
オレには、ある予感があった。



オレが一度、死んでしまった事。
そして、オレの半分が霊となって体験した様々な事。

それらは、オレがこれから、人として探偵として生きて行くのには、邪魔になる記憶で。

いずれは、オレもその体験を「夢」として処理し、忘れて行く事になるのだろう。


けれど。


蘭の想いの深さが、オレの命をこの世に繋ぎ止めて守ってくれた事は、オレの魂の奥底に刻み込んで、決して忘れまい。



高2から高3へあがった春先に、オレは、迷路に閉じ込められちまった。
オレを迷路から救い出してくれたのは、蘭が照らしてくれた光だった。




Fin.


+++++++++++++++++++++


<後書き>


このお話の元ネタとなったのは。

星野架名さんの「緑野原(りょくのはら)学園シリーズ」のひとつ、「弘樹ー春先迷路」です。
タイトルもまんま、貰ってます。

シリーズの方の説明をして置くと、主役は少年2人、「今西弘樹」君と「時野彼方」君。
弘樹君は熱血少年、彼方君は線の細い美少年。で、実は彼方君は(本人も知らなかったが)人間ではなく。
2人は幼馴染みで大親友で、相棒で。彼方君が人間として安定していられるのも、弘樹君という大事な存在があるからだったり。
限りなく怪しくても、2人は「親友」であって、決して恋人ではありません。まあ、2人とも「まだ恋を知らない」だけだ、って事では、あるんですけれどもね。
このシリーズは、未完です。2人を含めた仲間達が高校卒業後宇宙に出てしまう物語は、とうとう編集部からゴーサインが出なかったらしいです。個人的には、同人誌で描いてくれんかな〜と思ったりしますけどね。絶対、需要はあると思うんだよね。

このお話がOVAになった時の、時野彼方君の声が、実は、山口勝平さん。勝平さんは、この頃、「線の細い美少年」の役を結構やってたような気がします。
で、私は、2人の内、弘樹君の方が好きでした。ただ、ノーマルカプ好きの私としては、弘樹君がいつか、2人を取り巻くグループのひとり、吉川笛子ちゃんとひっつく未来が、見たかったんだよね。
どうも私は昔から、好きな男性キャラがいたら「女とくっつくのが許せん!(こう思う人が、結構、やおいに走る)」と思うよりも、「この女の子とくっついてくれんかな」と考える性質だったようです。

で、かなり脱線しましたが。
この話、元はダチものだけど、いつか新蘭変換したいなって、コナンの二次創作に手を染めてから、ずっと思ってました。

ただ、元ネタでは彼方君の立場に当たる(笑)蘭ちゃんが、完全な「人間の少女」ですから、蘭ちゃんに力を貸す存在が必要で、設定に手を入れる必要がありましたけどね。

そして、最終話は、その「誰かの存在」だけじゃなくて、色々と、元ネタと変わりました。
主役が同性の友人同士ではなく異性の恋人同士だって部分も、勿論ですが。

「待てよ。新一君だったら、ここで諦めるか?」とか。
「新一君はもっと黒いよなあ」とか。
色々、考えては、書き直しました。


優有や平和を入れる余裕がなかった事も含め、突貫工事だった部分が多々あるので、また修正を入れるかも、しれません。


ともあれ、完全に私の趣味で突っ走ったこのお話に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


(4)「二人の新一」に戻る。