re-start第Ⅲ部　Prospect（７）最後の奇跡

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by　ドミ

第Ⅲ部　prospect（７）最後の奇跡

春。

満開の桜。

わたしが、初めて新一と出会った、桜の季節。
堤無津川公園の桜並木の中を、わたしは歩く。

「かあさ～ん！」

祐樹が、花吹雪の向こうから、わたしを呼ぶ。
祐樹の近くには、祐樹の幼馴染たち。
わたしの大親友・園子の子どもと、もう１人の親友・和葉ちゃんの子ども。

わたしは、笑って子どもたちに手を振った。

　　　☆☆☆

「iPS細胞？」

時々聞く言葉ではあったけど、細かいことは知らなかったので、わたしは首をかしげた。

「宮野！もしかして、それは蘭自身の細胞を複製して作ったもので、他者からの移植を受けなくても蘭の治療ができるってことか！？」

新一が、興奮した様子で言った。

「ええ。研究所ではこの10年間、蘭さんから採取した組織でiPS細胞を作り、それから骨髄に含まれているものと同じ造血幹細胞を作る試みを続けてきた。そしてとうとう、完成したの」
「……それを待つために、宮野は、蘭に若返りの薬を投与したんだな？」
「ええ。研究所はその頃、iPS細胞を基にして造血幹細胞を作成する研究に名乗りをあげたばかりだった。蘭さんに一旦若返りの薬を投与し、いずれ発症する日に備えて蘭さんの組織から造血幹細胞を作る、そのプロジェクトは10年前に始まっていたのよ」
「宮野……ありがとう……」
「礼には及ばないわ。結局のところ、あなたの大切な人を人体実験に使わせてもらう訳だし」
「実験といっても、治すための新しい治療法の試みだろう？オメーが、蘭の為に力を尽くしてくれたことは事実なんだからよ」

志保さんがわたしに向き直る。

「自分自身の細胞を使う治療だから、拒絶反応の心配も要らないし、好中球（白血球の一種で、体の中に侵入した細菌を攻撃する働きがある。感染予防の為に重要なもの）が減少する期間も最小限に抑えられるわ。ただ、普通の移植と同じく、放射線と抗がん剤で、一旦蘭さんの腫瘍細胞を徹底してたたく必要がある。その副作用がとても辛いのは同じ。リスクは低いけど、ゼロではない。覚悟はして置くことね」
「志保さん……ええ、覚悟しているわ。本当にありがとう……」
「それと、今回の治療に関わる費用は、研究費から支給されるから、心配いらないからね」

わたしがまた入院することについて、納得できず泣く祐樹を、わたしはぎゅっと抱きしめた。

「お母さんは、病気と闘って、必ず勝って帰って来るから。待ってて」

不意に。
わたし自身の記憶にはない筈の言葉が、脳裏に蘇ってきた。

『いつか必ず絶対に、死んでも戻って来るから……蘭には待ってて欲しいんだ』

幼い子どもの声のようだけれど……これは……新一の言葉？
もしかしたら、コナン君の言葉？

わたしの中に、過去の蘭が眠っている。
未来に生き延びるために手放した記憶が、わたしのどこかに眠っているのだ。

新一がコナン君だった時にわたしにその言葉を告げたとしたなら、いったい、どんな想いで告げたのだろうか？

新一のためにも。
新一とわたしとの愛の結晶である、大切な我が子、祐樹のためにも。

わたしは、病気と闘って帰って来る。
そして今回は、大きな希望があるのだ。

放射線照射と抗がん剤を併用して、腫瘍細胞を徹底してたたく。
それは想像を絶する苦しいものだった。

そして、わたし自身の細胞を基にして作成された造血幹細胞が、点滴でわたしの血管に注入され始めた。

その時、わたしには意識がなく。
わたしは……夢を見ていた。

　　　☆☆☆

わたしの部屋のドアを、誰かがノックして、わたしは扉を開いた。
そこに立っているのは、わたし。
もう１人の、蘭。

「蘭。やっと、わたしたち、１つになる日が来たのよ」
「蘭……」
「さあ。受け取って！」

もう１人の蘭が、わたしの中に入ってくる。
それと同時に、わたしの中に流れ込んでくるものがあった。

小学校の卒業式。
クラスメートの殆どは一緒の中学に進学するのに、何故か涙が止まらなかった卒業式。

「オメー、いつまで泣いてんだよ？」
「だってだって！新一は寂しくないの！？」
「寂しくなんかねえよ」
「工藤君って薄情だよね～」

隣から園子が呆れたように言った。
その園子も、今日は涙を盛大に流している。

「バーロ。みんな同じ地区に住んでるんだし、殆ど帝丹中学に進学するし……それに、この校舎にも先生にも、会いたけりゃいつでも会いに来れるだろうが」
「新一のいじわる！」

新一の言ったことは、今にして思えば正論だった。
でも、６年間馴染んだ小学校をあとにするわたし達は、感傷的になっていて、新一のように考えられなかった。

泣き出したわたしに、新一は慌てた様子だったけれど、わたしは知らんふりして口を利かなかった。
それから暫くの間、春休みだし、新一と会うこともなかったけれど。

何となく、新一に会えなくてさびしいって思い始めた頃、中学校の入学の日を迎えた。

桜吹雪の中で迎えた、入学式の日。
わたしは、息を切らせて学校への道をたどる。
小学校に行くときいつも通っていた道、いつもの曲り角。
その先の道は違うけれど。

その曲り角は、新一の家とわたしの家からそれぞれ通学するときの合流地点でもあって、新一とはよくそこで出会っていた。

そして。
新一はそこに立っていた。
学ランを着た新一と、セーラー服のわたし。
いつもと違う新一の姿に戸惑っているわたしに、新一は、いつも通りにサッカーボールでリフティングをしながら、

「おっせーよ」

と、いつもの調子で言ったのだった。
その声がかすれているのが気になったけど、その訳はすぐにわかった。
新一は変声期を迎えていたのだった。

学ランとセーラー服に身を包み、小学校とは違う気持ちになって送った中学校生活は、瞬く間に過ぎて行った。
新一はサッカー部で実力を発揮し、実績を残し始めたし。
わたしはわたしで、空手部で少しずつ上達していった。

お互いに多忙だし、男子同士女子同士のお付き合いもあったけれど、疎遠になることはなく、一緒に登下校をすることも多く、ずっと仲良しだった。

スキー旅行とか修学旅行とかではいつも一緒に行動して。
サッカーの試合があるときは、新一のために、照る照る坊主を作ってぶら下げて。
新一の中学最後のサッカーの試合では、ＰＫ戦で新一がシュートを外し、負けてしまった……その寂しげな背中を見て心痛んだ。

わたし達は一緒に、帝丹高校に進学した。

高校入学してすぐに、新一と行ったアメリカ旅行。
飛行機の中で、新一の初めての「探偵活動」を目の当たりにし。
いつの間にかすっかり探偵能力を身につけていた新一に感心したけれど。

新一が本当に、わたしの生涯大切な人に変わる事件が、その直後に、起こった。

落ちてくる鎧からわたしが庇って助けた女優・ローズが、俳優のヒースを殺した。
「殺人事件が起こったのはわたしの所為だ」と落ち込んでいるわたしに、新一が大切な言葉をくれたのだった。

人が人を助けるのに、人の命を守ろうとするのに、理由なんかいらないんだって……。

その時から、新一は、わたしの一番大切な人になった。
ただ、新一への恋心を自覚したからといって、２人の関係が変わるわけでもなく、相変わらず「腐れ縁の幼馴染」のままだったけれど。

探偵として本格的な活動を始めてからサッカー部をやめた新一と、空手を極めて都大会で優勝したわたし。
高校２年の時、わたしが都大会で優勝したあと、新一はわたしを、できたばかりのトロピカルランドに連れて行ってくれた。
その帰りがけに、新一は姿を消した。
そしてコナン君が現れ。

コナン君を弟のように大切に思いながら、新一を待ち続けた日々。
幼馴染の関係のままで、何の約束もない関係のままで、新一が突然傍にいなくなったことはとても辛く、わたしは不安な日々を過ごした。
けれどロンドンで、新一からの思いがけない告白を受けて、すごく嬉しくて。

数か月の後、コナン君との別れが訪れた。
コナン君が新一の仮の姿だと知ってからも、わたしの心にコナン君は大切な存在として残っている。

新一が戻ってきて、恋人同士になって、将来を誓い合って、このまま幸せな未来が待っていると思っていたのに。

わたしの発病……。
つらく苦しかった闘病の日々。
新一・園子・和葉ちゃん・お父さんお母さん、沢山の人達からもらった気遣いと愛。

新一のお嫁さんになって、初めて抱かれた、辛くも幸せな夜。

もうひとりの蘭がわたしの中に入ると同時に、膨大な記憶が雨のように降り注いで来た。
失われていた10歳から20歳までの記憶が……。

やがて、目が覚めた時。
わたしの中には、失われていた１０年間の記憶全てが、戻っていた。

　　　☆☆☆

「蘭さんからは何度も細胞を採取して、iPS細胞を作っていたけれど。結局、上手く造血幹細胞になって移植に使ったのは、蘭さんが薬を飲んで小さくなる直前に採取した細胞を基にしたやつだったのよ。その時採取した細胞の中に記憶が残っていて、複製され続けていたとしか考えられないわ」

わたしの記憶が戻っていることを知った時、志保さんは目を見張ってそう言った。

「心臓移植とかでドナー（臓器提供者）の記憶がレシピエント（臓器受取者）に移る場合があると聞いたことはあるけど、まさか細胞の中に記憶が残っていたとはな」

新一が、わたしの髪を撫でながら言った。

わたしは……ごく稀に断片的にだけれど、記憶の欠片が浮上することもあったから、造血幹細胞が注入されたことで、わたしの中に眠っていた記憶が活性化したんじゃないかって思ったのだけれど。
志保さんの言うように、かつてのわたしから取った細胞を基に作られたiPS細胞の中に、記憶が残っていたのかもしれない。
どちらが本当なのかは、結局わからない。

ただ、確かなことは、iPS細胞を基にした造血幹細胞の移植と共に、わたしの失われた記憶全てが、戻ってきたということだ。

「オレとしては、蘭が生きていればそれで良いけど……記憶が戻ったことは、それはそれで嬉しい」
「……わたしにとっては、失われた記憶の中にはとても大切なものが多かったから……それが戻ってきて、わたしも嬉しい」

新一を、ただ１人の男性として、心の底から愛するようになった、その瞬間も。
新一から、告白を受けた瞬間も。
新一が元の姿を取り戻し、帰って来て、恋人同士になった時のことも。
そして、新一と初めて結ばれたあの夜のことも。

全ての記憶を取り戻したことは、本当に本当に嬉しかった。

すっかり回復したわたしは、思いがけず、２人目の子どもを授かった。

他の人から骨髄移植を受けた場合、不妊になることが多い。
でも、わたしの場合、わたしの細胞を基にして作った造血幹細胞の移植だったので、受胎能力が失われることはなかった。

本当だったら、10年前に命を落としていた筈のわたしが、生き延び、子どもに恵まれ、病を乗り越え……。
奇跡の連続だったけれど、その奇跡の最後の締めくくりが、愛の誕生だった。

愛という名前に、新一は最初、難色を示した。
志保さんが小さくなった時に「哀」という名前をつけていたため、気になってしまったそうだ。

「新一、志保さんのこと、嫌いなの？」
「は？いや、そんなんじゃねえけどよ……何となく、知人とかぶるのって避けたくなんねえか？」
「新一は、その時、志保さんのこと、哀って呼んでた？」
「や。灰原って呼んでたけど……」
「だったら問題ないじゃない。わたし、女の子には愛ってつけたいけど、ダメかな？」
「わーった。じゃ、そうしよう」

愛・勇気・希望……その言葉の中から、子どもたちの名前をつけたいと、わたしは考えたのだった。
実を言うと、志保さんのかつての名、哀を意識してつけた部分も、あるけれど、これは新一には黙っていよう。
だって、わたしの今の幸せを、奇跡をもたらしてくれたのは、志保さんなのだもの。

祐樹がまだ２～３歳の頃、わたしは入院していることが多く、面会も許されない時期があり、本当に寂しい思いをさせたと思う。
一時期は不安定ですごく甘えん坊だった。
けれど、祐樹が５歳の時に、愛が生まれてから……わたし達は、祐樹が妹の誕生で不安定になるのではと心配していたけれど、案に相違して、祐樹は妹の誕生をものすごく喜び、逆にシッカリしてきた。
祐樹が妹をすごく可愛がるので、愛の方もすっかりお兄ちゃん子になっている。

志保さんは、わたしの移植成功を見届けると、渡米し、アメリカの研究所に入った。

「私が組織で行っていた研究は、元々、倫理に反していたけれど、決して人を殺すためのものではなかった。けれど、何人もの人が研究の犠牲になったのは事実。これで、やっと……やっと、少しだけ、罪を贖う事ができた……」

志保さんは、そう言って涙を流した。
日本で志保さんが働いていた研究所には、元々、組織の研究者だった人が何人かいて、皆、贖罪の為にそこで働いていたのだという。
今回の功績が認められ、彼らは組織にいた事での罪を減免されたそうだ。

そして、研究が一区切りしたことで志保さんと一緒に渡米した人たちも、日本の研究所に残って更に次の研究を行っている人たちもいるということだ。

組織は、不老不死という禁忌の研究に手を染め、その試作品で多くの人が命を落として行った。
試作品を飲まされた新一は命を落とすことはなかったけれど、長い間子どもの姿で生きていかなければならなかった。

けれど、試作品の１つがわたしを未来に生き延びさせ、そして志保さんたちの「再生医療」の研究が実って、わたしは今ここにいる。

　　　☆☆☆

わたしの治療が終了して、3年の月日が流れた。

園子の長女・鈴木麻衣ちゃんの小学校入学を祝って、鈴木邸でパーティが行われることになった。
そのパーティには、わたし達一家と、大阪の服部君・和葉ちゃんの一家も招待された。
服部君と和葉ちゃんの長男・絆（きずな）君も、今年小学校に入学するのだ。

祐樹はその２人と同い年だけど、３月生まれなので今年小学校２年になる。

わたし達・鈴木家・服部家・工藤家は、ずっと家族ぐるみでの付き合いをしてきた。
服部君と和葉ちゃんは大阪にいるので、会えるのは年に数回程度だったけれど。

わたし達は、東京駅で、大阪から訪れた服部君たちを出迎えた。
パーティは夕方からなので、その前の時間、わたし達は堤無津川の河川敷を歩いた。
少し早目の桜が満開だった。

昔……19年前に、新一と初めて出会ったのも、この季節だった。

同い年３人組は、それぞれに、弟か妹がいる。

今年４歳になる麻衣ちゃんの弟、健史（たけし）君。
同じく今年４歳になる絆君の妹、結愛（ゆめ）ちゃん。

そして、祐樹が手を引いているのは、今年やっと２歳になる、愛（あい）。
新一とわたしの娘で祐樹の妹。

麻衣ちゃんは弟君の、絆君は妹ちゃんの、それぞれ面倒をよく見ているみたい。
園子はお姉さんがいて真さんは妹さんがいるけど、新一とわたし、服部君と和葉ちゃんは、それぞれ１人っ子だったのに、子どもは２人ずつっていうのも、何だか面白い。

「蘭」

背後から声を掛けられ、わたしは振り返る。
そこには、わたしが命を懸けて愛する、夫の新一がいた。

新一がわたしの肩を抱き寄せ、わたしはそっと新一に寄りかかった。

「みんなが、わたしを支えてくれた。特に、新一が」
「オレ？いや、オレは何もしてねえよ」

わたしの言葉に、新一は目を丸くしたけれど。

わたしが今、ここにいることができるのは、新一との愛の力、なのだ。
わたしは、新一のために、何としても生き延びたいと願ったのだから。

わたしの一番大きな願い。
それを生涯誰にも告げることはないけれど。

「新一に、幸せに生きて行って欲しい」

それが叶えられたことを、わたしは、志保さんに、わたし達を支えてくれた全ての人達に、人智を超えた大いなる存在に、感謝しながら、生きて行く。

re-start　完

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＜後書き＞

ストーリー的にはラストまで決まっていたのですが、それを表現する言葉が難しく。
今も、適切な言葉が使えたのかどうか、自信はありません。

iPS細胞は、おそらく皆様ご存知と思いますが、実際に存在しているものです。
人のあらゆる臓器を作り出すことが可能な万能細胞・iPS細胞を使って、様々な臓器を作り出して移植を行う研究が始まっており、血液疾患の治療に使われる造血幹細胞についても、研究は進められています。
いずれ、その研究が実を結ぶ日が来ることと思っています。
そうすれば、他の人から取り出した臓器を使わない、安全な移植が可能になる。

このお話でも、新一君と蘭ちゃんをずいぶんと苦しめてしまいました。
その分、２人とも、うんと幸せになってくれたことと思います。

「蘭ちゃんが若返ったまま、10年間の記憶を取り戻す」ラストは、ずるいかもしれないけれど、記憶喪失のままにさせたくはなかったのです。
ここの部分は、ハッキリ言いますが、お伽噺です。

一応お話は完結ですが、今後、イベント話に詰まった時には、この２人の番外編エピソードを書くこともあるかもしれません。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
読んでくださった皆様が、最後に幸せになっていただければ幸いです。

2016年1月3日脱稿

　