帰還


byドミ


「蘭姉ちゃん、色々ありがとう。さよなら、元気でね!」

迎えに来たお母さん、江戸川文代さんに連れられて、コナンくんは行ってしまった。

小学校1年生の男の子、コナンくん――江戸川コナンくんがここ――私・毛利蘭と父・毛利小五郎の二人暮しだった家――に来てからおよそ半年が過ぎていた。

コナンくんとは、もっとずっと長い事傍にいたような気がする。
短い間だったけれど、コナンくんは本当の家族みたいだった。
私には兄弟はいないけれど、まるで弟が出来たみたいで、幼馴染の新一が何も言わずに私の前から居なくなって不安で寂しくて堪らなかった私の心を、随分と慰めてくれた。

でも、そのコナンくんも今日行ってしまった。
心にぽっかり穴があいたよう。
勿論、子供は親元に居るのが1番良い事は良く判っている。

私のお母さんが家を出て行ったのは、私がまだコナンくんと同じ年頃の事だった。
お母さんが傍に居ない辛さは、私はよく知っている。
だから、コナンくんが外国のご両親の所に行くのは、1番良い事なんだと思う。
たとえコナンくんが今まで、表面では母親を恋しがったりしてなかったとしても。



コナンくんが、文字通り、ただの子供なら。

たとえ弟のように可愛くても、今まで本当の家族のように過ごしたとしても、親元に行くと言うのなら、別れは――寂しくはあるだろうが――こんなに辛くはなかったはず。
けれど、コナンくんが去った後、私は自宅の屋上で泣いていた。

「行かないで、私を置いて行かないで、新一、新一ぃ!」

半年ほど前にトロピカルランドで姿を消した後、ごく稀にしか会う事のなかった幼馴染の名前を私は呼び続け、涙を流していた。

工藤新一――私の幼馴染、そして・・・私の好きな人。

登下校も大抵2人一緒で、よく2人で遊びに行ったりもしていた。
クラスメート達は、「普通その状態だったら、付きあってるって言うんじゃないの?」と不思議がっていた。
けれど、2人の間には、幼馴染以上の特別な事は何もなかった。
私は新一の特別になりたいって思ってたけれど、1歩を踏み出す勇気はなかった。
だって、下手に私の気持ちを伝えたりしたら、居心地の良い「幼馴染」という関係さえも、崩れてしまうような気がしていたのだもの。

けれど、彼は突然、私の前から姿を消してしまった。
時々、電話は掛かって来る。
ごく稀にだけれど、姿を現したこともあった。
でもすぐにまた姿を消してしまった。

「いつか死んでも必ず帰って来る」って、残酷な約束を残して。



新一と入れ替わるようにして現れた、コナンくん。

私は、何時からか、コナンくんは新一なのだと思うようになっていた。
どんなに馬鹿げた事と言われても、そう信じてた。

新一の幼い時そっくりの顔。
小学校1年生とはとても思えないほどの思考力、推理力、知識。
ふとした表情や仕草が誰かさんと同じ。
考えてみれば、私がほとんど確信を持っていた時に、私の疑いをそらすように、絶好のタイミングで新一とコナンくんが同時に現れたのだって、逆にとても怪しい。

それにコナンくん。
どんなに子供らしく振舞っていても、絶対におかしいと思う事がある。
だって、お母さんが傍に居なくて寂しく思わない小学校1年生が、一体どこの世界に居るって言うの?


どんなに馬鹿げた妄想と言われようと、私はコナンくんが新一だって思ってた。
きっと何か訳があって、子供の姿になっているんだろうと思ってた。
だから、新一がいつも傍に居るんだって思えて、安心出来ていた。

けれど、コナンくんは行ってしまった。

新一は、本当に居なくなってしまった。







その数日後。


自分の部屋でボーっとしていると、携帯の着メロが鳴り、私はびくっと体を起こした。

この携帯は、新一が私に送ってきた物で、新一専用。
私は慌てて電話に出た。

『よお、蘭』

耳に馴染む、深みのあるテノールの、新一の声。
私は、1番好きな幼馴染に、いつも素直な態度をとれず、つい憎まれ口を叩く。

「何よ、最近随分ご無沙汰だったじゃない。厄介な事件とやらは、まだ終わらないの?新一、腕が落ちたんじゃない?」

いつもだったらここで新一の憎まれ口が返って来る所なのに、電話の向こうの新一は無言だった。

「新一?」

本気で怒ったのかとちょっと心配になって伺うように名前を呼ぶ。

『おめーが、寂しがってんじゃねーかって思ってよ・・・』
「え?」
『・・・眼鏡の坊主、外国の親のところに行っちまったんだろ?だからさ・・・』

新一の心配そうな声に胸がつまる。

新一は何時だってそう。
私が耐え切れない位に辛くなった時、寂しくなった時、こうして声を聞かせてくれる。
私をいつも見ているかのように。

ううん、きっと、見ていてくれてたんだ。

「うん、寂しいよ。コナンくんが居ないと」

素直に言葉が出た。

これが、「俺が居なくて寂しくて泣いてんだろ?」なんて言われた日には、たとえ図星であっても、絶対に素直に返事なんか出来ない。
でも、「コナンくん」についてなら、素直に言葉に出来る。

「だって、短い間でも家族だったんだもん。寂しいよ、やっぱり」

新一が居なくて寂しい。

新一に会いたい。

泣きたい程にそう思うのに、それは言葉には出来ない。

『蘭。俺さ・・・近いうちに帰って来っから』

思わぬ新一の言葉に、私は息を呑む。

「近いうちって・・・いつ?」
『後・・・1週間か、もうちょっとかかるかも。でも、2週間もは待たせない』
「本当に?けど、またすぐにどっか行ってしまうんじゃないの?」
『今度で全部けりが付く。今度帰って来たら、もう絶対どこにも行かねーから。・・・帰って来るまでは、電話もメールも何もできなくなるけど、待っててくれよな』
「新一。・・・待ってるから、早く帰ってきて・・・」

自分でも、素直に言葉が出てきたのに驚く。

胸が一杯で、憎まれ口叩いたり、意地張ったりする余裕なんかなかった。
通話が切れた携帯を握り締め、座り込んで私は泣いていた。
その涙は、寂しくて流すのか、嬉しくて流すのか、自分でも良く判らなかった。







「蘭、どうしたの?心ここにあらずって顔してるよ」

親友の園子が、わたしの顔の前で手をひらひらと振って言った。

「んー?別にどうもしないよ。最近ちょっと疲れ気味なだけ」

口ではそう答えたものの、園子の指摘は確かに当たってる。
私の頭の中は、今、新一のことで一杯だもの。
今は、学校で授業が終わったばかりのところ。
皆、部活の準備や、帰る支度をしていて、教室はざわめいている。
今日が新一から電話があって一週間目。
たった一週間が、これ程に長く感じられた事はない。
それに、新一は「一週間か、もうちょっとかかるかも」と言ったから、今日帰ってくるとは限らない。
今まで何ヶ月も会えなかったのだから、その位、と思うけれど、一日でも、一刻でも早く、新一に会いたい・・・。

今日も空手の練習がある。
好きで頑張っている空手だけれど、「もしかして新一が今日帰ってくるかも」と思っている私には、とても身を入れて練習出来そうもない。
でも、半端な事をしてたら、あいつに合わす顔がない。
だから、何とか無理やり気を引き締めて、部活に向かった。



空手の練習が終わって、着替えて、教室に置いてる鞄を取りに行った時は、もう日が沈み掛けていた。
校内に残っている人影もまばら。
園子も勿論帰ってしまっている。
以前だったら、新一は事件でもない限り待っていてくれた。
園子あたりは、

「気がある相手じゃなければ、そんな事しないと思うよ」

と言ってたけれど、長い幼馴染生活で、特別親しい間柄だったからであって、多分新一には「異性としての感情」とか、そういうのはなかったんじゃないかと思う。

でも今は、私を待つ人は居ない。

教室を出て、階段を降りようとした時、階下を通る男子生徒達の会話が耳に飛び込んできた。

「え?工藤?マジ?あいつ、ここ暫く休学してたじゃん」
「さっき校長室から出て来たの見たぜ。やっと復学、つっても、出席数足りねーから、さすがの工藤もやばいんじゃねーの?」

え?ちょっと待って。

新一が学校に来てた?

私は頭の中が真っ白になった。







私の足は、がくがく震えていた。
階段を降りる足が、なかなか進まない。
踊り場を超えて、1階の下駄箱が視界に入ってきたとき、私はそこに、ずっと会いたかった人の姿を認めて、息を呑んだ。

「新一っ!!」

新一がこちらを振り仰ぐ。

「蘭」

深みのあるテノールの声が、電話越しでなく、私の名を呼ぶ。
端整な甘いマスクにうかぶ、柔らかな微笑。
私は動かない足を無理に動かして、階段を急いで降りようとした――結果、宙を舞っていた。



どさどさと結構大きな音が響いたが、何かに柔かく受け止められ、私には予想していた程の衝撃はなかった。

「ってえ・・・随分乱暴な歓迎だな・・・」

間近で聞こえたその声に、私は新一を下敷きにしていた事に気付く。
いや、落ちた私を咄嗟に新一が受け止めてくれたのだ。

「ご、ごめんなさいっっ」

慌てて起き上がって新一から離れようとするが、離れられなかった。

新一の右腕がしっかりと私の背中にまわされていて、離そうとしなかったのだ。
私は、どう解釈したらいいか判らず、心臓はバクバクいって、頭の中はパニック状態。
新一は、私の背中に右腕をまわしたままの状態で、器用に立ち上がる。
それにつられる格好で、私も立ち上がった。

立った後、新一は、残った左腕も私の背中にまわし、しっかりと抱きしめてきた。
新一は一見細身で華奢に見えるけれど、元々サッカーは超高校級でスポーツ万能、体も鍛えてるし、意外ときっちり筋肉がついている。
私を抱きしめる腕も胸板も、見た目以上に逞しく、ああ、やっぱり男の人なんだなあって思える。

コナンくんとは違う、大人の男の体・・・。

私は・・・決して嫌な訳ではなかったが、恥ずかしさと戸惑いとで、新一の腕から逃れようと身動ぎした。
けれど、新一の腕は私を離そうとはしない。

「ただいま、蘭」

新一の言葉に、私は、新一が帰って来たらどうしてもこれだけは言おうと思っていた言葉を思い出す。

「お帰りなさい、新一」

そのまま、2人とも沈黙する。

新一が私の頭に頬をすり寄せ、髪をなでる。
何でこんな事するのよ、期待しちゃうじゃない。

もしかして、新一も私の事を・・・って。

「蘭、あのさ」
「・・・なに?」

私の声は、自分でも判るほどに上ずっている。

「俺、帰って来たら、蘭に真っ先に言おうと思ってた事があるんだ。聞いてくれるか?」
「うん・・・」
「・・・好きだ」

え?今何て?

私は、聞き間違いじゃないかとか、私に都合のいい幻聴じゃないかとか、色々な馬鹿げた考えが頭の中をぐるぐる回って、固まってしまっていた。

「ずっと言いたかった。ずっと昔から、まだガキの頃から、ずっとずっと、蘭の事が好きだった」

無言の私に焦れたように、新一が少し体を離すと、私の顔を覗き込んで言った。

「・・・おい!人の話聞いてっか?」

新一の真剣な眼差し、赤くなった顔。

でも私は、この期に及んでまだ、新一の言葉が信じられなかった。
とんでもない質問を返してしまう。

「・・・どういう意味で?」
「は?」

新一が、呆けたような顔をする。

後から思い返すと笑えてしまうのだが、私は真剣だった。

「だから、どういう意味の好きかって訊いてるのよ!」

新一が苦虫を噛み潰したような顔をする。

「おめーな。幼馴染として好きとか、友達として好きとか、そういう意味なら、わざわざ告白したりするか?」

そこまで言われても、私はまだ信じられないでいた。
その時の私は、きっとすごく怖かったんだと思う。
だって、あまりにも私に都合のいい夢のような話だったんだもの。

「蘭が好きだ!誰よりも!・・・蘭を愛してる」

さすがに、「愛してる」という言葉を使うのは、照れ屋の新一にとって、すごく勇気がいることだったと思う。

新一は耳たぶまで真っ赤になっていた。
きっと私も真っ赤になっていたと思う。
そして、私の目からは涙が溢れ出していた。
泣いちゃいけない、と思うけれど、止まらない。

「おい、泣くなよ!おめーに泣かれると、俺が困るんだって!」
「・・・なんで新一が困るのよ!」

あー、私の馬鹿!

何でこんな事いうのよ!

「惚れた女に泣かれるっていうのは、男にとって1番困る事なんだよ!」

そう言ってくれた新一の言葉が嬉しくて、私の涙腺は更に緩んでしまった。

新一の唇がそっと、私の目蓋に、頬に触れて、涙を拭い取る。
くすぐったいけど、気持ちいい。

やっと涙が止まった私は、新一の肩に顔を埋めて、暫くじっとしていた。
ややあって、新一が困ったような声で言う。

「なあ蘭。返事は?」
「え?」
「おめーの気持ち、聞かせて欲しいんだけど」

そう言われてやっと、私は自分の気持ちを告げてないことに気が付いた。

馬鹿みたいな話だけど、私の中で「新一が好き」って気持ちは当たり前すぎて、肝心の新一に何も言ってない事さえ、気付かなかったのだ。
でも、好きじゃなきゃ、抱きしめられて大人しくしているわけないじゃない。
そう言おうかと思ったけど、よく考えたら、私の方も新一がああまで言ってくれたのになかなか気付こうとしなかったのだから、私の気持ちだけ察してくれって、それはちょっと卑怯よね。

でも、新一、絶対私の気持ち知ってる筈なのに。
コナンくんが新一だとまだ気付いてなかった頃、「新一が好き」だって、言ってしまったんだもの。
でも、やっぱりきちんと言わなきゃよね。恥ずかしいけど。

「私も、新一のこと、好きだよ・・・」
「・・・どういう意味で?」

うっ!さっきのお返しね?
やっぱり新一って、意地が悪い。

「そんな事、訊かないでよ、馬鹿」

また泣き出しそうになった私に、新一は慌てる。

「ご、ごめん!悪かった。だから泣くな、な?」

再び溢れかけた涙を、新一の唇が拭いとっていたかと思うと、ふいに唇に柔らかなものが触れた。

それは一瞬の事。

今の出来事が信じられずに、まじまじと新一の顔を見る。
触れそうなほど近くにある顔。その深い瞳の色に吸い込まれそう。

「蘭、好きだ」

新一はそう熱く囁くと、再び私の唇に唇を重ねてきた。
現実に私を抱きしめる腕と、私に口付ける唇の確かな感触。
なのに、あまりの幸福感に、私は夢の中にいるようだった。







いくら校内に人はまばらになっていたとは言え、下駄箱の前でその様な事をしていたものだから、何人もの人が目撃していたのだと知ったのは、次の日の事。

新一の帰還と、帰ってきて草々に私に告白してキスまでした事は、当然の事ながらその日の内に学校中に知れ渡ることとなってしまった。





Fin.



++++++++++++++++++



「THE SALAD DAYs」シリーズ新作です。
っても、読めばわかる通り、このお話は、「Birthday Present」より過去に遡ります。
何せあれは、元々新一くんのお誕生日記念として突発で書いたもので、続編を書くつもりはなかったのですが、シリーズ化するにあたり、「いつか過去の話も書かねばなるまい」と思っていたのです。で、これと「Birthday Present」との間のエピソードも、その内書くと思います。
今回は初の、蘭ちゃん1人称に挑戦。私にとっては、3人称の方が書くのは楽だ・・・1人称は結構難しかったです。
で、このお話は季節を設定していません。というか、設定できませんでした。パラドックスが色々出てくると思うので。
「夏の陽射し」の続きの話は、大体書きあげてあるのですが、自分で今いち納得できないので、色々と修正中。もう暫くお待ちください。(誰も待ってないと言われたらどうしよう・・・)


 「Birthday Present」に続く。