もうひとつの卒業(「THE SALAD DAYs」番外編)



byドミ



「答辞。卒業生代表、工藤翔(しょう)!」
「はい」


今日は、帝丹高校の卒業式。
壇上に上がって淀みなく答辞を読み上げるわが子の晴れ姿を見て、工藤蘭は、今日までの様々な事を思い出して感慨に耽っていた。

夫である工藤新一と恋人同士になった時や初めて結ばれた夜の事、結婚した時、そして、息子の翔と娘の希望(のぞみ)が生まれた時の事・・・。


翔は大学進学ではなく、高校卒業後すぐにプロサッカー選手となる道を選んだ。
結構成績優秀な者が多い帝丹高校で卒業生代表の答辞を読むのだから、勿論成績がずば抜けて良いわけで、進学しないのを惜しむ声も多かったが、翔はあっさりと言った。

「プロで居られる時期は限られてる。大学は、現役引退してから行っても遅くねえよ」

彼なりに将来のビジョンを先々まで思い描いているようだった。
まだ下に希望が居るけれども、今日で親としての役割は一区切り付く。
蘭は感無量だった。



  ☆☆☆



「おい、工藤。あそこに居るの、お前のお母さんだろ?」
「えらく若くて綺麗な母ちゃんだな」
「いいなあ。俺、あんなお母さんだったら、絶対マザコンになるな」

級友達の言葉に、翔はジト目で答えた。

「マザコン!?んなもんなる訳ねーだろ、バーロ!」

翔もこの年になれば親の事もかなり解っている。
蘭は母性本能が強いらしく、翔と希望兄妹を慈しんで可愛がって育ててくれ、本当に母親らしい母親だった。
それでいて不思議と所帯じみた感じはなく、何時までも少女のような透明な純粋さも保ち続けていた。
世話焼きではあったが押し付けがましいところはなく、2人がある程度大きくなってくると少しずつ手を離し、子供達が親離れした頃には蘭の方も子離れしていた。
それは多分に父親の為もあったのだと翔は思っている。
父と母は、幾つになっても相思相愛でラブラブで、蘭は母であると同時に、いつでも「女」でもあったのだ。


さて、そのように何時までも若く美しくしかも子供達を慈しんで育てた人が母であってみれば、マザコンになってもおかしくないのだろうが、翔はそうならなかった。
何故ならば、ひとつには子供心に母親・蘭は父親・新一のものであるという認識が出来ていた事。

そしてもうひとつ、実はこちらの理由の方が大きいが・・・まだ幼い頃に、親よりも大切な相手が出来てしまっていたからである。

母親の親友である鈴木園子や祖父母には、その点では親と全く同じ道を辿っているといつもからかわれる。
たとえからかわれるのが恥ずかしくても、親と同じ道を辿っているのが癪に障っても、愛しい存在の大きさの方がそれより遙かに優っていた。


ただ、親達とひとつ大きく違っていた事があった。
それは、最愛の幼馴染の少女が、自分より年下であるという事である。


2歳の年の差というのは、色々な意味で大きかった。
小学生の頃はともかく、中学高校共に一緒に通えるのは3年間の内たった1年なのである。
翔は今帝丹高校を卒業するが、愛しい少女・鈴木明日香はまだ更に2年間この帝丹高校に通うのだ。


翔には卒業の感慨など、はっきり言ってなかった。
付け狙う男が大勢いる高校に明日香を残して行くのだから。

ただこの日を境にプロ入りする、まだヒヨコだが1人前の社会人に近付く、そういった感慨はあった。翔ぐらいの実力があれば高校在学のままもっと早くにプロ入りする者も多かったが、翔はひとつのけじめとして卒業後にプロ入りする道を選んだのだった。
色々なチームから引きがあったが、地元東京に近いプロチーム・横浜ブルーライツを選んだ。
地元の東京スピリッツからも当然引きがあったのだが、スピリッツには今現在翔のポジションとぶつかる有名選手がおり、即現役で活躍したい身としては考えざるを得なかったのだ。



  ☆☆☆



「翔、立派だったわよ」
「母さん」

蘭が目を細めてわが子を見上げる。
けれど、その目が自分を突き抜けて別のものを見ている事に翔は気付いた。

「母さん、もしかして父さんも卒業生代表の答辞を読んだだろ?」
「え?うん、そうだけど・・・何で?」
「いや、何でも」

翔は父親である工藤新一とはクローンのようにそっくりだと言われ、癪だが自分でもそうだと思う
母親が自分に過ぎ去りし日の父親の面影を重ねている事に気付き、翔はむず痒い気分になった。

『ったく、いくつになってもこの夫婦はよ・・・』

蘭がどれだけ子供達を愛し慈しもうとも、蘭にとっての1番はずっと夫である工藤新一であった。
ラブラブな両親を当たり前のように見て育って来た翔は、明日香の両親もそうだった事もあり、夫婦というのはそういうものかと思っていた。
世間一般では、そうではない夫婦の方がむしろ多いと知った時は、一種のカルチャーショックを受けたものである。

「で、母さん。俺、これからサッカー部の送別会やらなんやで遅くなると思うけど・・・」

翔が母親にそう告げると、母親もあっけらかんと答えた。

「ん、わかった。私は先に帰ってるから」

父親の仕事の所為か、子供達の事を信頼している為かわからないが、工藤家ではきちんと親に告げている限り、子供達が夜遅くなったり外泊したりする事には寛容である。(但し、妹の希望に対しては翔より厳しかった。信頼していない訳ではなく、女の子であるが故の危険性に対してである。夜道を1人で歩く位なら泊まって来いと言われる事もあった)

「ところで夕御飯は作っておくけど・・・あんまり遅くなるようだったら、私も出かけちゃっててすれ違うかもね。今日は同窓会があるから」

そう蘭が言った。
工藤家では親自身も、結構気軽に外出や外泊や旅行をしたりする。
翔の祖父母・優作と有希子もそんな感じであった。
親子でお互い縛りあわない、そういった関係が出来上がっているのだ。

「同窓会?」
「ええ。帝丹高校2年B組の」
「って事は、鈴木の小母さんも一緒か?」
「こら!小母さんって呼ぶなっていっつも園子から怒られてるでしょ?」

蘭が翔の額を小突く。

「本人の前では言わねえよ」
「駄目よ!そんな使い分けしてると、ちゃんと気付かれてしまうものなんだからね!明日香ちゃんとの事、つむじ曲げて認めてくれなくなったらどうする積りなの!?」
「はいはい」

翔は苦笑して返す。
幼馴染の明日香との将来を真剣に考えている事は、今更隠す事でもない。
明日香の父親である真だけはその点に付いて憮然としているが、新一も蘭も園子も「父親の感傷だから心配は要らない」と笑っていた。
確かに、下らない事で味方である筈の園子の機嫌を損ねるのは、得策とは言えなかった。



  ☆☆☆



卒業生は、卒業式が終わった後、一旦講堂から出て門の所まで順に送り出されていく。
尤も、殆どの者が、クラブや役員会などの送別会がある為に一旦門を出た後に引き返して行くのであるが。

サッカー選手として名高く人気のある工藤翔が出て行くと、黄色い声が上がり、何人もの女生徒から取り囲まれてしまった。
制服のボタン(普通なら第2ボタンというところだが、帝丹高校の制服ではボタンは1つしかない為、それが対象となる)を貰おうとする者、花束やラブレターを渡そうとする者でごった返す。
翔は自分のボタンを死守しながら、幼馴染の姿を探して視線を動かした。
翔の幼馴染の鈴木明日香は、同じく帝丹高校1年である翔の妹・希望や高木真実(まみ)と共に遠巻きにして翔の方を見ていた。
真実の兄であり、帝丹高校2年である一志(ひとし)は、そこからまた少し離れた所に立っている。

明日香はおっとりと大人しいタイプで、こういう時に人を押し退けて前に出て来られる方ではない。



翔は自分でボタンを引き千切ると、明日香に向かってそれを放った。
周囲から悲鳴と歓声が上がる。

「え?翔にぃ?」
「やるよ、オメーに」
「うん。ありがと」

明日香がおっとりと微笑む。
翔はその笑顔に瞬間見惚れた。
母親と違ってあまり表情を変えない明日香の微笑みは、かなり貴重なのだ。


その様なジンクスに頼るとは我ながら馬鹿げていると思うが、この先2年間、明日香が翔のボタンを付けて学校に通う事で、少しでも他の男達からのガードになればと、翔は密かに思っていた。

「今夜、家に来るだろ?鈴木のおば・・・園子さんも多分同窓会で忙しいみてえだしよ」

翔は明日香の前に行ってそう言う。
明日香がほんのりと頬を染めて頷き、傍に居た希望と真実が苦笑する。
きわどい誘いのようだが、そうではない。

翔がこう言う時は幼馴染6人グループ全員集合が暗黙の了解である。(勿論義務ではないので、用がある1人2人が抜ける事は多々あるが)
それぞれに両親が忙しい関係で、皆で集まって工藤邸で夕御飯、というのはよくある事なのだ。
翔が明日香にだけ声を掛けるのも昔からの事なので、希望も真実も少し離れた所に居る一志も、意に介さなかった。

明日香は母親である園子と、顔立ちなどは良く似ているが、性格はまるで違っていた。
園子が良くも悪くも行動的で賑やかなのに対し、明日香はおっとりと口数少ないタイプだ。
大人しくて如何にも女の子らしい性格に見られる分、母親の園子よりも男子の間での人気は高い。
園子は「この子の性格って、私よりも蘭に良く似てるね」と良く口にしていたが、翔は自分の母親である蘭ともまた違ったタイプだと思っていた。

「あの子はある意味、お前達の中では1番の大物かも知れねえぞ」

翔の父親である工藤新一が明日香をそう評した事がある。

ちなみにここで言う「お前達」というのは――

工藤新一・蘭夫妻の子供である翔(しょう)(高3)と希望(のぞみ)(高1)、
鈴木真・園子夫妻の子供である明日香(あすか)(高1)と豊(ゆたか)(中3)、
高木渉・美和子夫妻の子供である一志(ひとし)(高2)と真実(まみ)(高1)、

総勢6人の幼馴染グループである。

1番年長である翔がリーダー格になって、自然と6人で過ごす事が多かった。
女性陣は皆同学年なので、学校でもずっと一緒で結束が固い。



新一に言わせると、明日香は戦国時代の大名の娘に生まれたなら、うってつけの性格なのだそうだ。
翔にとっては非常に癪な話だが、政略結婚でもうまくやりこなせるタイプだという。

「大人しくて従順と見せかけて、決して何からも傷付けられたり染められたりする事がない。どこに居ても自分の居場所を確保して、ちゃんと自分の幸福を見つけられる。我慢強いのではなく、全てを受け入れるから我慢を必要としない。鈴木家の中でも1番の大物だな。あの子が居るなら、鈴木財閥は将来も安泰だろう」

そういう明日香であったから、翔と何となく付き合うような格好になっているけれど、本当は別に翔の事が特別好きだという訳ではないのではないか、相手が誰であってもうまくやって行けるのではないか。

翔はその不安を拭い去る事が出来なかったのである。



  ☆☆☆



翔がサッカー部の追い出し会も終わって家に帰り着いた時、1階の探偵事務所は無人だった。
おそらく新一はいつもの如く呼び出されているのだろう。

「お帰りなさ〜い。早かったわね」

2階の住居の方に上がって行くと、蘭は丁度身支度が整って出かけようとしている所だった。
既に6人分の夕食が準備されており、翔はいつもながら蘭の家事能力とバイタリティに感心する。

「いつもわりぃな、母さん」

翔も幼い頃からキッチンで母親に鍛えられて一通りの事は出来るのだが、部活で遅くなる事が多く、中学校に上がってからは殆ど手伝う暇もなかったのだ。

「ふふ、良いのよ、慣れてるし。それに今日は、みんな手伝ってくれたからね」



「あ、翔さん」
「翔にぃ、お帰り」

既に幼馴染グループの残り5人は集まっており、居間で思い思いに過ごしていた。


「じゃあ、昼間言った通り、私は出かけるから、後は宜しくね」

蘭はそう言い置いて出かけて行った。



熟年組の同窓会なら、お酒も入るだろうし、2次会にも繰り出すかも知れない。
帰りはかなり遅くなるだろうと予想された。
新一も2年B組同窓生の1人なので、事件が早く片付けば、同窓会に顔を出すのは間違いない。



今夜は子供達だけの晩餐になる。
そして夜はそのまま工藤邸に合宿よろしく泊まり込みになるだろう。
もっともそれは、幼い頃から繰り返されていた事で、子供達自身も親達も慣れっこになっている。



  ☆☆☆



「それじゃ、翔さんの卒業とプロ入りを祝って、乾杯!」

翔に次いで年長の一志の音頭で、それぞれにジュースやウーロン茶が入ったグラスを持ち上げ、乾杯する。
今夜は子供達も蘭を手伝って、お祝いらしい御馳走がテーブルに並んでいた。

「ああ・・・その・・・ありがとな」

翔は照れて、それだけを言った。
この6人の中で、今更くだくだと長い挨拶などする必要はなかった。





「俺、やっと高校生になれるよ。ハア、長かったぜ」

そう言って溜息を吐いているのは、鈴木豊であった。
彼は今年帝丹高校に入学する事が決まっている。
6人の中で1番年下であるだけに、必死で背伸びをしている所為か、妙に丁寧口調の父親と対照的に言葉は乱暴で、年上である他の5人の事も呼び捨てであった。

「別に高校生になったからって、良い事がある訳じゃないぜ?」

翔がそう言うと、豊は切り返す。

「翔は年上だからそう言うけどさ、俺達が一緒に歩いてみろ、たったひとつ違いなのに変な目で見られちまうんだぜ?でも、これからは同じ制服だから堂々としてられる。それに真実に近付く男達を牽制する事も出来るだろ?」

その言葉に、真実が真っ赤になって俯く。


翔と明日香、一志と希望、豊と真実。
よくしたもので、この6人は昔から綺麗に3カップルで出来上がっていた。
三角関係や片思いのドロドロもなく、幼い頃からそれぞれの親公認のカップル達。


けれど、平和過ぎる様に傍から見えるカップルにも、それぞれに苦悩と苦労はある。


特に豊は、真実がひとつ年上である事に結構コンプレックスを抱いていた。
ひとつ位の年の差は、もっと大人になれば別にどうと言う事もないのだが、中学生の身にはそれは非常に大きい事のように思われるのであろう。

豊はその危機感がある為か、或いはその点ではストレートな父親に似たのか、幼い頃から真実への恋愛感情をはっきりと口に出していた。
翔は、妙な敗北感のようなものを豊に対して感じながら、それを表面上は出さずに言った。

「まあ俺はもう卒業してしまうし・・・真実だけでなく、希望と明日香の事も頼んどくよ。オメーが守ってくれよな」

一志が苦笑しながら口を開いた。

「翔さん、僕も後1年は帝丹高校に通うんですけどね。僕では、3人のナイトとしては役不足ですか?」

すかさず翔が切り返す。

「役者不足」
「え・・・?」
「役不足ってえのは、そういう時に使うんじゃねえ。与えられた役割が自分の器に比べて小さ過ぎる事を言うんだ。自分の器に対して役割が大き過ぎる事は、役者不足。言葉はちゃんと成り立ちがあんだ、この2つは字面見たら意味はすぐ解んだろ、無神経に使うんじゃねえ。特にオメー今度は受験生だろうが、そん位覚えとけ」

容赦なく言葉を続ける翔を制し、明日香がおっとりと優しい物言いで助け舟を入れる。

「翔にぃ、その言葉は、勘違いしてる人の方が圧倒的に多いわよ。間違えても無理ないわ。一志にぃを苛めないであげて」

一志が苦笑しながら言った。

「いや、明日香ちゃん、良いんだよ。翔さんは僕相手だから結構手厳しい事を言うんだ。でもそのお陰で少しずつでも成長して行ける。翔さんには感謝してんだよ、ほんとに」

真実が笑いながら言う。

「お兄ちゃん、明日香から守って貰うようじゃあ、まだまだね。やっぱりナイトとしては『や・く・しゃ・ぶ・そ・く』」

そしてその場は笑いに包まれる。
お互いに相手の性格を飲み込み、言いたい事を言い合い、後腐れなく笑い合える。
そんな友情がこの6人にはあった。



  ☆☆☆



「兄さん、私、今夜は真実ん家に泊まるから、後宜しくね」

食後の後片付けが終わった後、希望がおもむろに立ち上がって言った。

「はあ?今夜はみんなで家に泊まるんじゃねえのか?」
「いっつもそればっかりじゃ面白くないじゃん。たまには高木家に泊まってみたいなあなんて。良いでしょ?」

高木家は鈴木邸や工藤邸に比べれば手狭な為、あまりお泊りに使った事はないのだ。
翔は何となく釈然としないものを感じながら答える。

「まあそれは構わねえけど」

すると一志が立ち上がって言った。

「じゃあ翔さん、僕が希望ちゃんと真実を連れて帰りますから」
「って、え?明日香は?」

真実が申し訳なさそうに言う。

「ごめんなさい。ちょっと狭くて明日香まで泊めるのは・・・この次は、明日香に泊まってもらう積りだから」

そして問答無用とばかりにさっさと3人連れ立って出て行ってしまった。


いつもと違う成り行きに翔が呆然としていると、今度は豊が立ち上がった。

「俺、今日は別の高校に行くダチのとこに泊まる約束してんだ。じゃあな」

そう言って、翔が何か言う暇も与えずにさっさと出て行った。





「一体何なんだ・・・」

暫し呆然としていた翔は、今更ながらに家の中に明日香と2人きりで取り残された事に気付き、青くなった。

6人の幼馴染グループは、今迄2人っきりで夜を過ごすというパターンはなく、せいぜい軽いキス止まりの「清く正しい」お付き合いをして来た訳である。
翔は心臓が早鐘を打ち始めたのを感じていた。





「翔にぃ、コーヒー飲むでしょ?」

明日香が何事もないかの様におっとりと言った。

「あ、ああ」

翔はそう返し、キッチンへと消えて行った明日香を見送る。
明日香はこの状況を何とも思っていないのか。

それとも・・・解って居ても動じないのか。

『おおお落ち着け俺!遅くなるだろうけどその内父さんと母さんが帰って来る!』

と、タイミング良くと言うべきか、翔の携帯が鳴り始めた。

「はい。父さん?え・・・?」

翔は呆然とした。
電話は父親である新一からで、今夜は同窓会が終わった後、米花シティビルの中にあるホテルに蘭と2人で泊まるとの連絡であった。

「父さん、それ、希望に言ったのか?」
『は?泊まるって事をか?言ったと思うが、希望は留守か?』
「あ、ああ。今日は高木家に泊まるって言ってた」

電話の向こうの新一の声がからかい口調になる。

『はは〜ん。翔、もし何だったら必要な物は俺達の寝室にあるが、無理はさせるなよ』

そう言って新一は電話を切った。
父親に全て見抜かれている事を悟り、翔は溜息を吐いた。
今は自分より絶対的に優位に立っていると見える父親だが、いつか絶対に追い越してやる!と決心している。
しかし、折に触れてまだまだ敵わない事を思い知らされるのだ。

そして、選りにも選って、自分より格下と思っている希望達に謀られた、と思うと今更ながらに口惜しい。



「翔にぃ、どうしたの?」

トレイにコーヒーを乗せて運んで来た明日香が翔に声を掛けた。

「ああ、いや・・・父さん達、ホテルに泊まって来るってさ」
「そう?小母様たちいつまでも熱々だよね。うちもそうだけど」

そう言って明日香はトレイをテーブルに置き、翔の前にコーヒーを置いた。
翔はじっと明日香を見詰める。
明日香はこの家に翔と2人取り残された事に全く動じていないようであった。



翔が大学進学をせずプロ入りする決意をしたのは、実は明日香の為もある。
明日香が高校を卒業すると同時に結婚しようと翔は思っていた。
その為には、やはり社会人となって自立していた方が良い。
たとえ学生結婚となっても両親は援助してくれるだろうが、プロ入り前の結婚には世間の目が厳しいだろう。
かと言って、後何年も待つ気はなかった。
どのような状況でも唯々諾々と従ってしまいそうな明日香は、結婚という檻で縛り付けなければ安心出来そうに無いと翔は思っていたのだ。
きっと明日香はその性格から言って、翔の結婚申し込みを拒否したりはしないだろう。

けれど、翔は今の時点で明日香と深い関係になろうと思っていた訳ではない。
自分の両親が高校在学中に深い関係になり結婚した事は知っていたが、その時は2人とも18歳になっていた。
明日香はまだ高校1年生。
今時、一線を越えるのは早いと言えないかも知れないが、それでも翔は、まだたった16歳の少女を自分の欲望で穢したくないと思っていたのである。



翔はコーヒーを飲み終えると顔を上げた。

「明日香。送って行くよ」

翔の言葉に、明日香が首を横に振り、翔は息が止まるかと思う程に驚いた。





明日香が翔の隣に腰掛けた。
翔は明日香を強く抱き締め、その唇を深く求める。
今迄唇に軽く触れるだけのキスしかした事がないのに、明日香は戸惑うそぶりも見せない。
翔が明日香をソファーに押し倒しても、明日香は僅かも抵抗する様子が無かった。
明日香は――誰が相手でも・・・という事は流石になかろうが、特に嫌いな相手でなければ、求められれば受け入れ、従うのだろうか。
翔は苛立ちのままに言葉を発していた。

「何で、抵抗しねえんだ?」
「え・・・?」

見上げる明日香の瞳に、初めて戸惑いの色が浮かんだ。

「オメーは、怖くねえのか?何ともねえのかよ?」

自分の苛立ちが理不尽だと解っていながら、翔は言葉を重ねた。
明日香の瞳が見開かれ、困ったような戸惑ったような表情になる。

「だって私、翔にぃにだったら、何をされたって良いんだよ」
「なに?」
「怖くなんかないよ。抵抗する訳ないじゃない。だって、翔にぃがする事なんだもの」
「明日香・・・?」
「それに、今日は私が希望達に頼んだんだもん、2人きりにして欲しいって」
「・・・・・・!」

思い掛けない明日香の告白に、翔は息を呑んだ。
明日香が悲しげに目を伏せる。

「でも、やっぱり翔にぃに取って私は、妹みたいな存在なんだね・・・」


突然、翔は明日香を抱き締めて笑い出した。
お互いに似たような事で悩み、お互いに1人相撲を取っていたのが解り、おかしくて仕方がない。

「翔にぃ、何で笑うのよ!?」

明日香が目に涙を溜めて抗議するが、翔は暫らく笑い止む事は出来なかった。




「明日香」

翔が明日香の顔を覗き込んで名を呼んだ。
明日香の表情は取り残された子供のように頼りなげで、まだ16歳の少女でしかないのだという事を改めて翔は思い知らされる。

「何?翔にぃ」
「その、翔にぃっての、止めてくれよ。俺はオメーの兄じゃねえだろ?」
「え!?」
「あのな・・・俺はもうずっと昔から、オメーしか見えてねえし、誰にも渡したくねえと思ってるし、将来絶対嫁さんにする積りでいる。けど、まあ何と言うか・・・大切にしてえと思ってるから手を出さないだけで、本当はオメー相手に煩悩バリバリなんだぜ」
「嘘っ・・・!」
「嘘じゃねえさ、ホラ」

明日香の太腿には固いものが触れており、明日香はそれが何か解らないらしく戸惑った顔をしていた。
次の瞬間、明日香が真っ赤になって体を強張らせた。

「やだああああっ!」

顔を手で覆って嫌々する明日香に、翔は意地悪な声音で言った。

「俺にだったら何されたって良い、怖くなんかないって言ってなかったか?」
「知らない!翔にぃの馬鹿ああ!」
「だ〜か〜ら〜、翔にぃとは呼ぶなって言ってんだろ?」
「だ、だってっ」
「ちゃんと恋人らしく呼んでくれよ、明日香」
「・・・翔?」

明日香がか細い声で名を呼んでくれたので、翔は満足して明日香の唇を自分のそれで塞いだ。


『父さんが言ったのは、あくまでも明日香の性格とかタイプの話であって、誰が好きなのかとか、そういう話じゃなかったもんな。ったく、俺も妙な所で踊らされたぜ。まだまだ修行が足りねえって事か?』

翔は明日香の体を優しく抱き締めた。



  ☆☆☆



「あらあらあら」

次の朝工藤邸に戻って来た蘭と新一は、2階の居間のソファーで抱き締め合って眠る息子とその恋人を目撃した。
2人の衣服はそんな所で寝た為に皺は寄っているようだが、いささかも乱れてはいない。

「初めての2人きりの夜が、ただ寄り添って眠るだけか。この我慢強さは誰に似たのやら」

新一がやや自嘲気味にそう言うと、蘭がちょっと笑って言った。

「明日香ちゃんが年下だからでしょ。同い年なら翔も遠慮しなかったと思うわ」
「そういうもんなのか?」
「そういうものよ」

蘭が艶やかな笑顔で新一に身を寄せる。

「あの子も、また1つステップを登ったみたい」
「ああ、そうだな・・・親としては嬉しいような寂しいような」
「あら。そんな悠長な事を言ってると、追い越されても知らないわよ」
「・・・簡単に追い越させやしねえよ」
「ふふ、新一ってやっぱり、段々お義父様に似て来たわね」

蘭からそう言われて、新一は憮然となった。
翔は見た目だけでなく色々な意味で新一に良く似ている。
新一が父・優作に反発しながらも尊敬し憧れていたように、翔が自分に対し反発しながら目標としている。
まだまだ自分が父に追いつけないように、翔にも簡単に自分に追いついてもらっては困る。
新一もうかうかしては居られないのだった。


「まだ、全て終わった訳じゃないけれど・・・昨日の翔の卒業式って、私達にとっても卒業式だった気がする」

蘭の言葉に、新一は黙って頷いた。
子供達はそれぞれに愛を育み、やがては親の元を旅立って行く。
翔の高校の卒業式は、蘭と新一に取っても、もうひとつの卒業式――子育てがひと段落する儀式であったのだった。





Fin.





++++++++++++++++++++++++


《後書き》


一旦完結した筈のシリーズの、突然の番外編です。
実は完結後に、とある方からリクを受けてました。「息子の卒業式に出席する蘭ちゃん」というのがリク内容だったのですが、確かにそんな場面はあるけど、息子がメインのお話になってリク内容とはかなりずれてしまったような気がします。こんなんで良かったんでしょうか?
おまけに、リク受けたメールの日付見ると4月1日。8ヶ月以上も待たせてどうするよ、私(汗)。



内容について、若干補足。

工藤家の子供達の名前は、総集編の本を持っている方は番外編で御存知だと思います。
とにかく私のポリシーは、「コナンと名付けない」「親や祖父母から字を貰わない」でした。
その理由に付いては、いつかどこかで語る機会があるかも知れません。
本では翔くんの恋する幼馴染の少女に付いて、誰の子供で名前が何かも設定していませんでした。
鈴木家と高木家のどっちの娘さんにしようかと、最後まで迷いました。

そして、新蘭の子供が2人なので、誰もあぶれない為にお子様達を6人にしちゃいました。
その分、名前を考えるのに苦労しました。
それぞれ兄弟合わせて、鈴木家は「豊かな明日」、高木家は「真実は一つ」となります。

ちなみにそれぞれの呼称については以下の設定があったりします。

翔 一人称は俺 希望、明日香、豊、一志、真実
希望 一人称は私 兄さん(翔)、明日香、豊くん、一志兄さん、真実
明日香 一人称は私 翔にぃ、希望、豊、一志にぃ、真実
豊 一人称は俺 翔、希望、明日香、一志、真実
一志 一人称は僕 翔さん、希望ちゃん、明日香ちゃん、豊くん、真実
真実 一人称は私 翔兄さん、希望、明日香、豊、お兄ちゃん(一志)

鈴木家は勿論、真さんの方が姓を変えたのです。ですが実は、婿養子という訳ではありません。
日本は一応男女同権、結婚に当たってどちらの姓を名乗っても構わないのです。(現状では女の方が姓を変える事が圧倒的に多いですが)
高木刑事の名はテレビアニメではワタルさんですが、原作では渉さんなので、今回はそちらを取りました。

さて、お子様達の設定を色々作っちゃって勿体ないような気もしますが、今の所このシリーズの番外編を再び書く予定はありません。

また別のお話、別のシリーズで頑張りたいと思います。



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