卒業



byドミ



「ささ、召し上がれ」

蘭が、雛祭りの日に相応しい菱形の小さなイチゴケーキと甘酒代わりのホットカルピスをテーブルに並べる。

しかし、光彦と元太は生返事をしただけで、手を付けようとしない。
2人の小さな騎士が、彼らの小さなお姫様を案じている事がわかる為、蘭は少し複雑な笑顔を浮かべた。





新一は歩美と共に2階のベランダから外を見ていた。

今日は良く晴れ風もなく、3月初めにしては暖かい日である。

暫らく黙って景色を眺めていた2人だったが、ややあって新一が口を開いた。

「なあ歩美ちゃん。コナンは、別れの時言ったろ?『俺を待つな』って」

歩美の体がビクンと震える。
1年以上が経った今でも歩美にとって思い返すのも辛い思い出だ。



一昨年の春、小学生になった吉田歩美には、割りと仲の良い男の子が2人いた。

1人は、小嶋元太。体格が良くて、三角頭で、いかにもガキ大将風の見かけだったけど、優しくて、行動力があって、頼りになる男の子だった。
もう1人は、円谷光彦。頭が良くて、物知りで、言葉は「ですます」調なのに、性格に嫌味なところはなくて、3人の知恵袋みたいな存在だった。

何となく仲が良い3人だったけど、ある日、江戸川コナンという少年が転校して来てから、色々な事が変わっていった。
一緒に少年探偵団を作って、冒険したり、遊んだり、事件を解決したり、事件に巻き込まれたり、たった数ヶ月で一生分以上位の体験をした。

転入してきた江戸川コナンと灰原哀が3人の前に居たのは、ほんの短い間だった。
けれど、3人にとってコナンや哀と過ごした時期は忘れられない輝かしい体験となって残っている。



歩美は、いつも庇って守ってくれるコナンが、好きで好きで仕方なかった。
本当に運命の相手だと信じていた。
灰原哀とコナンが、何だか大人同士のような会話をしているのを見かけると、すごく寂しかった。
けれどコナンが、一緒に住んでいる毛利蘭の事を好きなのだと気付いたときは、それ以上に本当に胸が痛かった。

コナンの両親が外国にいるため、コナンを預かっている探偵・毛利小五郎の1人娘――それが、コナンの好きな人、毛利蘭だった。

蘭は高校生で、歩美から見れば物凄い大人だった。
綺麗で、優しくて、でも空手が強くて、歩美の憧れの女性だった。

辛いが、コナンが好きになるのも、わかる気がした。

けれど、その蘭には高校生探偵の「工藤新一」という恋人が居て、コナンは可哀想に片思いなのだと、その当時は思っていた。
だからいつか歩美の思いが通じる日が来ると夢見ていられたのだ。



切なくもあったけれど、楽しくて幸せだった日々。
でも、ある日突然、そんな日々に別れを告げる時が来た。
コナンが外国の親の所に行く事になったのだ。
それを聞いた時、歩美は声をあげて泣き、コナンにしがみついて、

「行かないで!」

と叫んだ。
コナンは困ったように歩美の肩を抱いて言った。

「ごめん。俺、行かなくちゃなんねーんだ。やっぱ親元で暮らさなきゃな」
「ねえ、いつか帰って来る?歩美のところに帰って来てくれる?」

コナンは本当に優しい優しい目で歩美を見て言った。

「ごめん。俺、帰って来る事ねーと思う。嘘は吐きたくねーからよ。それに歩美。俺の事なんか忘れてしまえよ。絶対待ったりするんじゃねーぞ」

歩美の思いに気付いた上でのコナンの言葉。
コナンは歩美にとても優しく、けれど絶対に思わせぶりを言わない残酷な男の子でもあった。

「コナンくん、蘭お姉さんには新一さんが居るのに!」

歩美の口惜しそうな言葉に、コナンは驚いたように目を見開いた後、微笑んで言った。

「・・・それで諦められるくれーなら、とっくにそうしてるよ。何があっても、俺の気持ちは変わる事ねーから。・・・だから、ごめんな」





辛い思い出を思い返していた歩美を、新一の声が現実に引き戻した。

「歩美ちゃん。コナンは、もうあの姿でおめー達の所に戻ってくる事がねーってわかっていたから、待つなって言ったんだけど・・・それだけじゃなくて、蘭が居るから・・・」

歩美が新一の方を見ないままに問う。

「歩美が、子供だから?10歳も年下だから?本当はコナンくんは高校生の大人だったから?だから、駄目なの?」
「違うよ、そんな事じゃない。江戸川コナンにとっても工藤新一にとっても、愛する女性は生涯でただ1人――毛利蘭だけなんだ。年の差がどうって事ではないんだよ」

暫らく歩美は黙っていた。
新一もそれ以上は何も言わず、黙って外を見詰めていた。







やがて歩美が口を開く。

「新一お兄さん。あたしね、本当はわかってたの。新一お兄さんには、蘭お姉さんだけだって事。でもね、いつかコナンくんと恋人になれるって、思っていたかったの。だから・・・ちゃんとわかっているから・・・ごめんなさい」

歩美は目に涙をいっぱい溜めたまま、外を見詰めて言った。

「歩美ちゃん、ありがとう。・・・ごめんな・・・」

新一の胸が微かに痛む。



新一がコナンになってしまった事で、蘭を山ほど泣かせた。
愛する女性を自分のミスで泣かせてしまった事は、今も新一の心に大きな棘となって引っ掛かっている。

そして歩美も、もしも本来この世に存在しないコナンとの出会いが無かったら、こうして泣く事もなかったのかと思うと、新一の胸に罪悪感が浮かぶ。
すると、歩美がふいに新一のほうを振り向き、笑顔を見せた。

「新一お兄さん、あたしね、コナンくんに会わなかった方が良かったなんて思わないよ。歩美は、幸せだったもん」

まるで新一の心を読み取ったかのような歩美の言葉に、新一は目を見張る。

「歩美ちゃん・・・」
「新一お兄さん。コナンくんに伝えて」
「え?」
「コナンくんに会えて、歩美は幸せだったって。大好きだったって。そして、ありがとうって」

初恋に決別して進んでいく決意をした歩美の顔は、凛として輝き、新一は暫し言葉を失う。







歩美が家の中に入って行った後も、新一は1人外を眺めていた。

「たった8歳だって言うのに・・・女ってスゲーよな・・・」

新一がぼそりと呟く。
歩美は幼いながらも、男性を愛する事、その喜びも哀しみも知ってしまったのだ。
新一自身も、今の歩美たちの年頃には既に蘭が至上の存在だった記憶がある為、「子供の幼い想い」と侮る気は毛頭なかった。



新一の中には他の誰も入り込めないほど強く「毛利蘭」という存在が住みついており、それを無理に取り出そうとすれば、新一自身が壊れてしまう。
だから、新一が他の女性に心惹かれるという事はまず考えられない。

しかし、もしも江戸川コナンが、新一とは全く別の、本当の子供としての存在だったら。
コナンはいつか歩美の事を好きになったのではないかと新一は思う。
それはあくまで仮定の話で、蘭にも歩美にも告げる事はできないけれど。



歩美が、初恋の切なさを思い出にして、いつの日か心の底から愛し愛される相手を見つけ、幸せになる日が来るように。
新一は心の底からそう願った。



  ☆☆☆



「おい、光彦。おめーまで、何で歩美の心配してんだよ」

元太が低い声で顔を顰めて言った。

「何を言うんですか!僕が彼女の心配するのは、当たり前じゃないですか!」

光彦が元太に言い返す。

「だっておめーさ、浮気したじゃんか。今は灰原の方が好きなんだろ?」
「・・・それは!認めますけど、でも、歩美ちゃんの事だって大切で、心配なんです!」
「おめーそれ、二股って言うんじゃねーか?」
「違います!そんなんじゃないんです!」

思わぬ喧嘩が始まりそうな雰囲気に、蘭がおろおろしていると、歩美がリビングに飛び込んで来た。

「長い事お外を見てたら、寒くなっちゃった〜」

歩美の笑顔に、一気にリビングの雰囲気が和やかになる。

「あらあら、じゃあ、あったかい飲み物を持って来るわね」

そう言って蘭がキッチンに引っ込む。
歩美がポスンと空いたソファーに座る。
元太が気遣わしげに歩美に声を掛けた。

「歩美、新一兄ちゃんの話って何だったんだよ?」
「ん〜、内緒」

それ以上歩美は何も語らなかったが、その笑顔に元太も光彦もホッと息を吐いた。







ドルルルルル、ドルルルルルル・・・キ〜〜〜ン

突然階下から大きな音が聞こえ、微かに床が振動し始めた。

「な、何これ?」
「『黒の組織』の残党ですかっ!」
「歩美、早く逃げねーと!」

少年探偵団3人が慌てまくり、蘭は苦笑する。

「心配要らないわ、ただ、工事の人の休み時間が終わっただけよ」

今4人が居るのは、工藤邸の2階の居間。
蘭がお茶を淹れていたのも、2階にある、1階より小さな台所だった。



クリスマスパーティが行われた工藤邸1階の大きなリビングは、今、工事中である。
この春高校を卒業し、「高校生探偵」ではなく「学生探偵」となる新一は、事務所を構え、本格的に正当な報酬をもらいながらの探偵活動を始める事にしている。
ロスに拠点を移している工藤優作は、日本の家は新一の好きに使って良いと言い、1階のリビングを改造して事務所にする事も快く承諾してくれた。
工事費も優作に甘える事になるが、新一はなるべく早く仕事を軌道に乗せ、少しずつでも優作に借金を返すつもりである。







「新一兄ちゃん、探偵事務所を開くのか?」
「凄いですね」
「すてきvv」

蘭から事情を聞いた3人はそれぞれに感心した声を出す。

「もし良かったら、事務所にも遊びに来てね」

蘭が微笑んで言った。

「おめー達にも色々手伝ってもらう事があるかも知れねーからな、少年探偵団の諸君、そん時はよろしく頼むぜ」

歩美からしばらく遅れてリビングに戻ってきた新一も3人に声を掛け、3人は笑顔で頷いた。











少年探偵団の訪れから数日経った、ある晴れた日の帝丹高校。

「いよいよ今日でこの学校ともお別れね〜」

園子がしみじみと呟く。

「園子。いつ発つの?」

蘭の問いに、園子は

「明日」

と即答した。
聞きとがめたクラスメートが声を掛けて来る。

「え?園子って、どこかに行くの?」
「うん、取り敢えず、香港へ。後、台湾とか、あちこちを巡る事になると思うな」
「東南アジア方面の卒業旅行?良いわねえ」

クラスメートの羨ましそうな声に、園子はちょっと苦笑する。



「ねえ、園子。そのままずっと向こうに居るの?」

クラスメートが傍を去った後、蘭が再び小声で園子に尋ねる。

「ううん、一旦帰って来て、大学の入学式に出て、その後正式に留学の手続きを取ってまたあっちに行くの」
「それにしても、鈴木会長が良く許してくれたわね」
「うん。パパはね、私に自分の力で色々な経験を積んで欲しいと思って、結局許してくれたみたい。って言うか、最初っから許す気だったけど、苦労させずにあっさり許したらいかん!って思ってたみたいよ。まったく、あの狸親父らしいわ」



園子は、卒業後、京極真の元へと行くつもりなのだ。
義理の父親と共に苦労して財閥を築き上げてきた鈴木史郎は、娘の恋愛や行動に付いて、結局娘自身の意思を尊重している。
それは娘への甘さなどではなく、自分で道を切り開く強さを身に付けさせようという、厳しさを伴った親心である。

それにしても、園子は昔からバイタリティに溢れた行動派であるが、見知らぬ外国に1人で行こうとする強さを身に付けたのは、京極真への愛ゆえだと蘭は思う。



  ☆☆☆



もうすぐ卒業式。
校門前には取材陣が集まり始めていた。
「高校生探偵」の卒業の姿を収めようと雑誌記者や新聞記者、テレビのレポーターなどが集まって来ているのだ。

「うわあ、壮観」

卒業生も在校生もざわめく。
今迄現役の高校生という事でどこぞから圧力が掛かり、取材などはかなり厳しく制限がされていたのだが、今日が卒業なら遠慮は無用とばかりに帝丹高校の周囲を取材陣が取り囲んでいる。

「ねえ、これってちょっとヤバくない?」
「うん、工藤くんたちが既に夫婦になってる事嗅ぎ付けられたりしたら・・・」
「で、その『夫婦』、どこに居るんだ?」

帝丹高校生達の口が堅かったために、新一と蘭がもう既に夫婦になっている事は、今の今まで秘密が守られていたのだが、この取材陣の前で秘密が明るみに出たりしたら・・・と、生徒達は皆不安に顔を見合わせる。





「新一、こんな所に居たの?探したんだよ」

屋上の扉を開けた蘭が探していた相手の姿を見付けてホッと息を吐くと同時に文句を言った。
新一は無言で金網越しに外を見ている。

「新一、もう卒業式始まるよ」
「ああ、わーってる」

そう言いながら、新一はまだ動こうとしない。

「なあ、蘭。ここに入学してきた時、あの桜が散って文字通り『花吹雪』だったよな・・・」

新一が校門前に数本並んだ桜の木を指して言った。
今はまだ蕾すらもついていない。

「新一・・・?」

新一でも、高校を卒業する事に対して感傷的になるなどという事があるのだろうかと、蘭は思う。

新一が振り返る。

「蘭。俺に取って帝丹高校ってさ、蘭と同じ高校に行くためだけに入学した所だったんだ」

新一はあくまで普通の表情で淡々と言い、蘭は真っ赤になる。
新一は目を細めて懐かしいものを見るような表情で周囲を見回す。

「こんな大切な場所と時間になるなんて思わなかったな」


蘭は今迄の事を振り返る。

いつの時にも、新一は蘭の傍らに居た。
この先も、人生のパートナーとしてずっと傍らに居る。

帝丹高校に居た3年間は、

蘭が新一への熱い想いを自覚し、新一が傍に居なくなって涙し、帰って来た新一の告白を受けて恋人同士になり、そして結ばれ、人生のパートナーとしての出発をした日々だった。

帝丹高校で得た友人達は、

新一と蘭を常に温かく見守り、新一不在の間も励ましてくれた仲間達だった。



この時代、新一は「探偵になる」という夢を現実のものとした。
危険な目にも遭い、子供の姿にされるという普通では有り得ない様な体験もしたが、色々な意味で着実に成長し、将来への確かな足場を築いて行った。





「こんな大切な場所と時間になるなんて思わなかったな」

帝丹高校を見回して新一が懐かしげに言った言葉。
蘭には新一の言わんとする事がわかるような気がした。

高校時代3年間は、どれだけ密度の濃い時間だっただろう。
高校生活の中で得た友人達はどれだけ大切な存在になっただろう。

きっと何十年経っても、帝丹高校での日々は人生の中で輝かしい思い出として残るに違いないと、蘭は思う。




  ☆☆☆




「卒業生、答辞!卒業生代表・工藤新一!」
「はい!」

名を呼ばれた新一が壇上に上がって挨拶をする。
良く通る甘い声で、在校生の送辞に答えて新一が語る。
原稿通りに喋っているだけなのだが、卒業生も在校生も新一の声に聞き惚れながら涙を流す。

帝丹高校が誇る「高校生探偵・工藤新一」は、今日でここを去ってしまうのだ。
今ここに、1つの時代が終わりを告げ、そして伝説が生まれる。

蘭もいつの間にか涙を流していた。



そして校歌とお決まりの「仰げば尊し」の斉唱。
今日ばかりは新一も神妙に歌っていたが、「声が良く、耳も良く、リズム感も確かな」この男が、何故か歌う時だけは相変わらず器用に音を外しまくっており、周囲の生徒達は泣きながらも、思わず笑わずには居られなかったと言う事だ。



  ☆☆☆



全ての式典が終わり、卒業生達は講堂から出て来た。
新一も蘭も、在校生達から山のように花束を貰いながら歩く。
そして校門に向かうと、待ち構えていた記者達から山のようにフラッシュを焚かれた。

「高校生探偵・工藤新一さんの、高校生としては最後の姿です!」

リポーターが興奮した様子で喋り捲っている。

「工藤探偵、今の心境をお聞かせ下さい!」
「明日からは学生探偵となるわけですが、その抱負を!」
「東都大学に合格しながら入学を蹴った理由は?」

様々な質問が飛ぶ中で、1人の記者が爆弾発言をした。

「同級生の毛利蘭さんと既に結婚して一緒に住んでいるという噂は本当ですか!?」


その場がしんと静まり返る。
誰もが固唾を呑んで新一の発言を待つ。
ワイドショーの生放送中継中であり、滅多な発言ができる状況ではない。

蘭は新一の傍に行く事もできず、呆然と立ち尽くしていた。
園子や他のクラスメート達が、蘭を守るように前に立ちはだかる。

新一は顔色ひとつ変えなかった。
ややあってにっこりと微笑み、口を開いた。

「そんな噂があるのですか、いやあ、参ったなあ」

新一のどう取ったら良いかわからない発言に場はざわめいた。

「噂は真実なんですか?」
「本当の所どうなんですか、教えてくださいよ」

記者達が詰め寄る。

「噂は、噂に過ぎません。蘭、おいで」

突然新一に呼ばれ、蘭はおずおずと新一の傍に寄る。
新一がどういう風に事態を切り抜けるつもりなのか、帝丹高校の在校生も卒業生も教師達も、固唾を呑んで見守っている。
蘭はすっかり覚悟を決め、新一に任せるしかないと腹をくくっていた。

「ご紹介しましょう。僕の同級生で、名探偵『眠りの小五郎』と法曹界のクイーン妃英理弁護士の娘、そして僕の婚約者である毛利蘭さんです」

新一がカメラに向かい、蘭の肩を抱き寄せて言った。
その場のざわめきは更に大きくなる。

「もう既に一緒に住んでいると伺いましたが?」

レポーターが詰め寄る。

「数ヵ月後にはそうなっているでしょうね」

新一がしれっと答えたが、レポーターはなおも詰め寄ろうとする。

「如月薫さん、26歳・・・日売テレビ所属のレポーター、主に昼のワイドショー関係を担当・・・」

突然自分の名を呼ばれ、ワイドショーのレポーターは怪訝そうな顔をした。

「以前あなたの直属の上司だった高山裕嗣さんはお元気ですか?」

新一が如月レポーターの耳元で、マイクに入らない位の小声で囁いた言葉に、レポーターはさっと顔色を変えた。
高山裕嗣とは如月薫の不倫相手であり、如月レポーターは、新一がその事実を知っている事を思い知らされたのである。

新一はにっこりと微笑むと、はっきりマイクに入る声で言った。

「現在工藤邸は探偵事務所を開くために改装中なんです。だから、婚約者である毛利蘭さんに毎日見に来てもらっているのですよ」
「工藤君、僕もその噂は聞いてるんですがね」

年配の男性記者が言った。

「今度の6月××日に、披露宴を執り行う予定にしていますよ。いやあ、参ったなあ。噂がそこまで先行しているなんて」

なおも詰め寄ろうとしたその記者に、新一は囁く。

「小柳高道さん、43歳。日売スポーツの記者で、記者歴20年の猛者。今度上のお子さんが中学校に上がられますね。まだ、『スーパー杯戸』には良く遊びに行かれてるのですか?」

小柳高道記者は真っ青になってそれ以上の追及を諦める。
彼の長女は、つい先頃、「スーパー杯戸」で万引きの常習者として捕まったのだった。

その場に居た大勢の記者達は悉く、新一の「悪魔の囁き」で戦意を喪失し、新一から出された公式発表(毛利蘭と現在婚約中で、6月に米花シティホテルで結婚披露パーティを執り行う)をそのままに報道する以外にない状態にされ、ほうほうの態で逃げるように去って行った・・・。


その様子を目撃した誰もが思った。

「工藤新一。敵に回すと情け容赦なく悪魔のように恐ろしい奴」







「ねえ新一!私は聞いてないわよ!」
「へ?蘭、何の話だ?」
「6月××日の結婚披露宴!」
「ああ、あれか。結婚式は身内とか親しい人だけだったから、高校卒業したら披露宴をするって言っといただろ?」
「それは聞いてたけど、日取りと場所までいつの間にか勝手に決めてるじゃない!」
「そうだったっけ?」
「そうだっけじゃないわよ、も〜!」
「母さん達と相談して決めてたんだよ、蘭にも近い内に話すつもりだったんだけど・・・」
「新一!あなたの『妻』は私なんだからね!私にも話すんじゃなくて、『私と』相談するのが本当じゃないの!?」
「・・・ゴメン。蘭をビックリさせたくて・・・」
「ビックリする以上に、悲しいわよ!」
「ごめん、悪かった!謝る!」
「謝ったって、許してなんかあげない!」
「わーっ、蘭!本当に悪かったって!」





「卒業式で早速夫婦喧嘩かあ」
「やっぱ蘭が尻に敷いてるのね」
「工藤新一を負かす、世界最強の女性だな」

傍で見ていた者達は、延々と続く2人の言い争いに苦笑しながら、どこかホッとしていた。
下手すると容赦なくどこまでもダークになりかねない工藤新一に、常に光射す方を向かせているのは、他ならぬ蘭という存在である事・・・それを皆、心のどこかで感じ取っていたのである。







ふと聞こえるヘリの爆音。
新一は、蘭に必死で謝りながら、ここからそう遠くないビルの上に降り立ったヘリを見て首を傾げる。
新一以外の誰もそれには気を止めていなかったけれど。







「よお名探偵。おめーって、ひょっとしたら俺以上の悪なんじゃねーか?」

ふいに声が掛けられ、新一も、そして周囲の皆もその声の方を見・・・そして(新一以外は)驚愕の表情になる。
帝丹高校とのスーツ姿とは違う、学ランとセーラー服の制服を着た少年と少女がそこに立っていた。

少年の方は新一に、少女の方は蘭に、とてもよく似ている。
新一と蘭のカップルをそっくり映した様な江古田高校の制服姿の2人の出現に、その場は大きくざわめく。

新一が自分に似た相手に声を掛けた。

「黒羽。江古田高校も今日卒業式だったのか?」

そして新一に似た少年が答える。

「ああ。青子が工藤達に会いたいと言うから来てみたんだが・・・まさか間に合うとは思わなかったよ。記者達が時間稼いでくれたお陰かな」
「おめー達、いつ発つんだ?」
「3日後には出発する。あ、餞別と見送りは要らねーから」
「誰がそんな気を利かすと思うんだ、バーロ。けど、中森警部から良くお許しが出たな」
「人徳人徳」
「言ってろ」

2人は姿形だけでなく、声もまた良く似ているため、傍で見ている者たちはますます妙な気持ちになる。
これが原因でこの後暫らく、「工藤新一には実は生き別れの双子が居た!」という噂がまことしやかに囁かれる事となるのだった。





「し、新一?その方たちは一体?」

蘭が尋ねて来る。

「ああ、蘭。おめーも名前は知ってる筈だぜ。全国模試の1位・2位常連だった、黒羽快斗くんと中森青子さんだ」

その場が更に大きなざわめきに包まれる。
天下の名探偵・工藤新一よりも、常に模試の順位が上だった江古田高校の2人の名は、帝丹高校生徒達全ての記憶に刻み付けられているのだ。



「じゃあ新一、秋に攫われたのを助けた女子高生って、この方だったの?」

蘭が言い、新一が頷く。
園子が半目になり、からかい口調で口を挟む。

「な〜るほどね〜、ここまで蘭に良く似てるんだったら、新一くんが必死で助けようとしたのも無理ないわね〜」
「ば、バーロ、相手が誰であっても俺は全力を尽くしたぞ!」

新一が真っ赤になって反論するが、周囲の皆が、「さもありなん」と頷く。

「それにしても、顔が似てると好みまで似るもんなのかしら。黒羽くんってこれからアメリカで中森さんと『同棲生活』に入るんでしょ?」

園子の言葉に快斗は顔を顰める。

「人聞きの悪い事言うなよなあ。俺達は『新婚生活』を送るんだからな」

快斗の言葉に、青子は真っ赤になり、新一は口笛を吹く。

「へ〜。じゃあ、ちゃんと籍入れるんだ」

園子が感心したように言うと、快斗がしれっと答える。

「いや、警部の許しがねーから、籍までは入れられねーけどよ」
「じゃあ同棲と変わらないじゃない!」
「いんや。ちゃんとあっちの教会で式は挙げるし。『内縁関係』と言ってくれ」



「園子と黒羽ってのも、結構いいコンビだな」

新一が呟くと、蘭が相槌を打つ。

「そうね。やっぱり黒羽くん、顔だけでなく、性格も新一と似てるのかな」
「止めてくれ・・・頭痛がしてきた・・・」



「黒羽くん、アメリカから帰ってきたら、是非真っ先に鈴木家のパーティでマジック披露をお願いね」
「鈴木家では、マジシャンと言えば真田一三が会長夫人のお気に入りだろ?」
「ああ、そうね。でも私はあんたが気に入ったし・・・そうだ!2人で競演ってのはどう?」
「そりゃあ、依頼さえあれば俺はどこにでも伺いますけどね」

園子と快斗のやり取りはまだ続いている。
青子がついと蘭の前までやって来た。

「初めまして!」
「あ、は、初めまして」

蘭は生き別れの妹に再会するような妙な錯覚を覚えながら青子に相対する。

「あのね、青子、アメリカに行ってしまう前に、蘭ちゃんとお話をしてみたかったの。帝丹校祭の時遊びに来たんだけど、声を掛けられなくて。シャッフルロマンス、工藤くんと本当にラブラブって感じで、とっても良かったよ!」

蘭と顔が似ていても、口調も違う、声も違う。
新一と快斗が双子のように見えるのに対し、蘭と青子は年齢は同じはずだが「姉妹」という感じだった。

「そっかー、青子ちゃん、知り合ったと思ったらもうお別れなんだ・・・」

蘭がちょっと寂しく思いながら言う。

「お別れなんかじゃないよ!いつでも、また、会える。絶対また会えるから!」

青子がにっこりと笑ってそう言った。
蘭も青子の笑顔に何だか心の中が明るくなるような気がしてにっこりと笑う。







「おー、工藤。何とか間におうたで!」

ふいにまた声が掛けられ、新一が振り返ると、息を切らせながら色黒の少年とポニーテールの少女が駆けて来た。
この2人も、江古田高校のものとは微妙に違うが、学ランとセーラー服姿である。

「服部、和葉ちゃん・・・!まさか、おめーらも今日卒業式だったんじゃあ・・・?」
「ん?せやで、改方学園は今日が卒業式や!」
「・・・いくら俺達が一時足止め食ってたからって、どうやってこんなに早く来たんだ!?」
「ん〜?わからへんか〜?俺の工藤への愛の力でな〜・・・アタッ!和葉、何すんねん!」
「平次、その手の話題は、今日日、冗談では済まされへんのやで?明日っから『工藤くんが両刀使いや』って評判が立ったらどないすんねん、アホ!」

痴話喧嘩を始めた平次と和葉をジト目で見ながら新一はボソリと言った。

「・・・パトカーだけじゃなく、ヘリまで動員したか」
「ほ〜、工藤、ようわかったなあ、流石は俺と並ぶ東の名探偵や!」
「バーロ、警察ヘリが近くに下りたら、誰でも気付くだろ!」
「案外そうでもないで。それにしても、家に行かんともう会えへん思うてたけど、まだここにたむろってるやなんて、帝丹の卒業式は、ゆっくりなんやなあ」
「バーロ。おめー、わかってて言ってるだろ」
「流石は工藤、ご明察や。ヘリから報道陣が詰めかけとる姿、ちゃ〜んと見とったで。お前の事や、記者達を再起不能の目に遭わせたんちゃうか?・・・って、工藤!お前、生き別れの双子がおったんかいな!」

平次が周囲を見回して黒羽快斗の姿に目を留めると素っ頓狂な声を上げた。

「あ、ああ、服部、こいつは・・・」
「黒羽快斗、江古田高校3年生やな」
「何だ服部、知ってたのか」
「当たり前やがな、いっつも俺の愛する工藤を差し置いて模試の1位を・・・アタッ!」
「おい服部、その手の冗談は笑えねーから止めろ!」
「初めまして、工藤くんと並ぶ西の名探偵にお会いできて光栄です」

快斗がちょっとよそ行き言葉で言うと、平次はにやりと笑って答えた。

「ああ、間近で見るんは初めてやな。あんたが通天閣から飛んでったのをバイクで追いかけた事はあるんやけどな」
「はて?それはまた、何の冗談でしょう?」
「去年のクリスマスにも、直接姿は見いへんまんまやったけど、少しばかり気配を感じさせてもろうたし」

表面和やかそうに笑顔で会話する2人だが、見えない火花が飛び散っている事を、そこにいる者の多くは感じ取っていた。



「平次の焼き餅妬き・・・」

和葉が小声で呟き、蘭がそれを聞き咎める。

「え?和葉ちゃん、それって・・・?」
「平次はな、多分、工藤くんが黒羽くんに興味持っとるらしいのが気に食わんのや」
「ええっ?まさか、そんな・・・」
「嘘ちゃうで。平次は別にゲイってわけではあらへんのやろうけど、どうも工藤くんの一番のマブだちは自分やないと気がすまん様なんや」
「女の子同志なら時々聞くけど、男の人でも友達にそういった感情を持つもんなの?」
「アタシには男の気持ちなんてようわからへんけどな」
「そりゃあ、私にだってわからないけど・・・」

2人は快斗のもう1つの顔を知らない為、平次と快斗が火花を散らしている理由をその様に解釈したのだった。



平次は、蘭と和葉がその様な会話をしているなど露知らず、暫らく快斗と火花を散らしたままだった。
けれどやがて平次から立ち上っていた怖い位のオーラが消える。
それと同時に、快斗から発していた強い気も消え失せ、穏やかなものへと変わる。

「アメリカに行くんやて?あんたならもう修行せんかて立派にマジシャンとして1人立ち出来そうやけどな」
「別にただ留学するわけじゃねーよ。あっちで本場の凄い奴等に混じって『仕事』としてマジックをやるんだ。日本には俺の母さんと青子の父さんが居るから、何年かしたら戻って来るとは思うけど」
「『仕事』はもう、1つだけしかせえへんつもりなんやな」

平次の言葉に快斗は苦笑する。

「ああ・・・もう1つの『仕事』は終わったからな・・・もう2度とする事はねーと思う」
「まあ探偵とマジシャンがこの先どれ程縁があるんか、わからへんけど、もし機会があったらマジックショーでも見に行かせてもらうかも知れへんで」
「俺にはもう、おそらくあんた達のお仕事を直接見る機会はねーと思うけどな。もしも機会があれば、いつか『推理ショー』を見せてもらうぜ」
「俺は工藤とちごうて、現役の探偵になるんはまだ先や。『学生探偵』の肩書きは持つ事になる思うけど、大学卒業後暫らくは現場の警察官になって、何年かしたら引退して大阪に探偵事務所開くつもりや・・・毛利のおっさんと一緒やな」

新一が横から口を挟む。

「服部、おめーはキャリアとして警察機構に入るんだろ?毛利のお義父さんとは違うんじゃねーか?」
「キャリアとして入るやろうけど、現場で動く方が性に合うとるさかい、いっつも飛び回っとるやろうな」
「そう言えば黒羽、確か白馬はおめーと同じ高校だったよな?あいつは卒業後どうすんだ?どうも東都大には行かねーらしいけど」

新一が思い出した様に快斗に尋ねる。

「奴はイギリスのオックスフォード大に留学だよ」
「そうか・・・あいつらしいよな」
「白馬はある意味工藤以上にホームズに憧れてるからな。その為に行き先はアメリカでなく、イギリスになったんだよ」
「ははは・・・」

青子が突然口を挟んでくる。

「あのねー、紅子ちゃんも一緒なんだよ」

新一が戸惑ったように青子に問う。

「へ?あかこちゃんって?」
「んーとね、青子達のクラスメートで、とっても綺麗で大人っぽい子。バレンタインの日にくっついたんだって。でも、紅子ちゃんが白馬君の事好きだなんて、青子ぜ〜んぜん気付かなかったな」
「バレンタインの日にくっついて、卒業後留学先に付いて行くのか?それはまたすごい話だな」
「あいつが日本に居ないとそっちの方が平和で良い。どうせ紅子も本場の『魔法』を学んで来るつもりなんだろう」

快斗がうんざりしたように言った。
その様子に、新一は快斗が余程苦手としている相手なのかと推察する。
そして流石の新一も、快斗の言う、紅子が学ぶ「魔法」とは、奇術ではなく文字通り本物の魔法であるとまでは気付いていなかった。

「もう、ば快斗!何で紅子ちゃんをそんなに嫌うのよ!大体快斗もアメリカに行くんだから、日本に紅子ちゃんが居ようが居まいが関係ないでしょ〜!」
「そう言ったって、苦手なのは仕方ねえだろ〜!」

今度は快斗と青子の間で痴話喧嘩が始まる。







新一、蘭、平次、和葉、園子、快斗、青子。

7人はまるで全員が旧知の間柄であるかのように、組み合わせを色々変えながら、延々と話が続いた。

帝丹高校の卒業生も在校生も、とっくに儀式は全て終わって後は下校するだけなのに、何故か何となく彼らの馬鹿話を聞きながらその場に皆佇んでいた。









突然、一陣の強い風が吹いて、一堂は我に返った。



「ああ、何時までもここに居てもきりがねえな」

新一がそう言って、一瞬だけ、帝丹高校を振り返った。
そして一同を促して歩き始める。
他の生徒達も、祭りから覚めた様な顔で、それぞれの行く方に向かって進み始める。





「もう昼をとっくに回ってる。みんなで飯でも食いに行くか?」
「せやったら、難波に美味いお好み焼き屋があるで」
「今から大阪まで行けって言うのか?」
「せやかて、東京の食いもんは口に合わへんさかいな。大丈夫や、ヘリやったらひとっ飛びや!」
「おいおい、いい加減にしておけよ」
「あ、あの・・・今から家に来ない?外食よりそっちの方が良いでしょう?」
「え?まじまじ?蘭さんの手作り食えるの?いたた、アホ子、何すんだよっ!」
「ば快斗、蘭ちゃんに鼻の下伸ばしてんじゃないわよ!」
「黒羽、何ちゃっかりいきなり蘭の手作りを食う気でいるんだ?」
「新一、大人気無い事言わないで。大体、私1人で作るなんて言ってないでしょ、みんなで作るのよ!」
「あ、それ楽しそうやなあ、アタシ、本場のお好み焼き作ったんで!」
「じゃあ青子はねえ・・・お魚料理!」
「あ、青子・・・頼むからそれだけはやめてくれ・・・」
「私、香港行きに備えて料理の特訓中なんだ。ふっふっふ、見てなさい、本格的な中華料理を披露してあげるからね」
「ゲッ!それ、食えるんだろうな?」
「いいわよ新一くんは食べなくても!」
「新一ぃ、お昼御飯抜きにしたい?」
「そ、それは勘弁・・・それに第一、俺も一緒に作るんだろ?」
「男も料理作らなあかんのやろか?」
「げっ、まじ?」
「当たり前だろ!ただお客さんで座っとく気だったのかよ?」







会話しながら7人の姿が遠ざかって行った。
無人となった帝丹高校を、風が通り過ぎて行く。
ひっそりと佇む校舎は、まるで彼らの姿を見送っているかの様に見えた。









彼らの高校時代は、Salad Days(青二才の頃)は、こうして終わりを告げた。
この先も、まだまだ工藤新一と工藤(毛利)蘭、その仲間たちの物語は続いて行く。
いつかそれを語る機会があるかも知れないが、今回はひとまずここで筆を置かせて頂く事にしよう。









「THE SALAD DAYs」完





バレンタインラプソディに戻る。  番外編・もう一つの卒業に続く。