大切な・・・
byドミ
<前編>
「毛利さんって、工藤君と付き合ってるの?」
「ううん。新一とはただの幼馴染だよ」
蘭は、またかと思いながら、何度も口にした台詞を繰り返す。
毛利蘭、帝丹中学2年B組在中。
幼馴染である工藤新一も、同じB組に所属している。
新一とは、赤ちゃんの頃からの付き合いで、物心ついたときには傍に居るのが当たり前の関係だった。
皆と一緒に遊ぶ事もあったが、2人だけで遊ぶ事も多かった。
幼稚園小学校と、それぞれに友達も出来たり疎遠になったりしたけれど、新一とはたとえクラスが離れても疎遠になる事もなく、ずっと仲良しだった。
蘭にとって、新一以外に疎遠になる事がなかった幼馴染と言えば、鈴木園子くらいである。
新一と園子は、蘭にとって幼馴染で大切な友達で。
新一が男の子だという事は何かの拍子に意識はするけれど、それを特別に感じた事はなかった。
いつ頃からだろう?
周りの目が変わってしまったのは。
新一と2人でいると、周囲からからかわれたり好奇の目で見られたりするようになったのは。
蘭も新一も園子も、地元の帝丹小学校を卒業後、帝丹中学に入った。
中学生になると、以前にも増して、新一と蘭の仲を揶揄する人が多くなった。
けれど、周囲から何を言われても新一の態度は変わらなかったし、蘭も、評判を気にして新一と距離を置いたりすることはなかった。
周りから色々言われるのはわずらわしいが、新一は蘭にとって、噂や評判を超えて大切な存在だったから。
ただ、その感情は愛や恋とは無縁のものだと蘭は思っていた。
蘭は初恋もまだで。
新一との繋がりは、そのような色眼鏡で見られるようなものではないと、その時の蘭は思っていたのである。
からかわれるのは、恥ずかしいと言うより、無性に悔しさに似た苛立ちを覚える。
「なんで、たまたま男と女だったってだけで、そういう風に見られてしまうんだろう?私は新一が好きで大切で、一生付き合って行きたいって思うけど。でも、それって、新一が男の子じゃなくたって、きっと一緒なんだもん」
蘭はまだ、恋愛などとは無縁の生活を送っていたかった。
男だ女だという区別を越えた友情に、強い憧れを抱く、そんな女の子だったのである。
☆☆☆
「田中君、私に話したい事って?」
「毛利さん、僕と付き合って下さい!」
「ごめんなさい・・・私、田中君とお付き合いは出来ません」
中学校に入学するあたりから、蘭はそういったアプローチを受ける事が多くなってきた。
その度に蘭はすぐに断っていた。
恋や愛などは、よく分からない。
周りの友人達は、早い子は小学生の頃から「お付き合い」を始めていたが、それを見ても特に焦りも感じなかった。
それに蘭には「試しにお付き合いしてみる」という発想はなかったから、告白された場合は即座に断っていた。
断りの言葉を口にする時、相手の想いに応えられない事に胸が痛まないでもなかったけれど、変に気を持たせる方がかえって残酷であるとも分かっていたから、迷いはしなかった。
ただ、たまに、「断られた」事に納得せず、食い下がって来る人もいた。
今日蘭を呼び出して告白した、隣のクラスの田中毅も、そうだった。
「毛利って、彼氏いないんだろ?だったら・・・オレと付き合っても良いじゃん?そうかたく考えないで、2人で遊びに行ったりとかさ」
「ええ、でも私、今は誰ともお付き合いする気はないの。恋とか愛とか、そんなの・・・私には早過ぎるもん」
「何言ってんだよ、今時中坊でも彼カノいるの、当たり前だぜ?毛利って真面目過ぎんだよ。もっとさあ・・・気楽に考えて、中学時代を楽しまなきゃ」
蘭は少しずつイライラして来ていた。
言葉を交わしているのに、会話が通じない、そういう相手だと何となく分かったからだ。
「ごめん、私、田中君とは考え方が違うみたい。とにかく私は充分楽しんでるし、恋や愛が早いって言うのは・・・そういうのに全然興味もてないからなの。男の人と遊びたいとも別に思わないし」
「だったら・・・工藤はどうなんだ?」
「え?新一がどうしたの?」
「工藤とは、2人で出かけたりとかしてんだろ?男と遊ぶのに興味ないなんて言いながら、矛盾してんじゃない?」
蘭は口ごもる。
相手の言うのが屁理屈だという事は分かっているが、どこをどう反論したらいいものか、見当がつかなかったのだ。
「だって・・・新一とは小さい頃から一緒にいたから・・・別に気を使わなくて良いし・・・。それに、新一はたまたま男の子だっただけ。男とか女とか関係ないの。新一は私にとってそういった存在」
蘭は一所懸命言葉を捜しながら、自分にとって新一がどういう存在であるのか説明しようとする。
ちらりと田中を見るが、蘭の言いたい事が伝わったのかどうかは、分からなかった。
最初、面白くなさそうな表情だった田中が、ちょっとの間をおいて笑顔を作って言った。
「ふうん。だったら、友達だったら良いんだろ?」
「え・・・?」
「毛利は、男だ女だって、そういうのがまだ嫌なんだろ?だったら、今はそういう目で見てくれなくても良いからさ。友達として、仲良くしてくれよな」
蘭は戸惑う。
何かが違う、そう思ったが、今の蘭にはどこがどう違うのか、説明出来なかった。
蘭とて、縁があれば男女問わず新しい友人を作りたいという気持ちはある。
でもそれは、このような形で出来るものではない筈。
そう思いながらも、どこが引っ掛かるのかどこがおかしいのか、今の蘭にはそれが説明出来ないのであった。
「園子。どう思う?私の感じ方がおかしいのかなあ?」
蘭は信頼している親友に、田中との経緯を話して訊いてみた。
園子は難しい顔をして考え込む。
「ん〜。私も何か変とは思うけど、どこがどうって説明出来ないなあ。新一君に訊いてみたら?」
「新一に?何だか・・・よく分からないけど、訊きにくいのよねえ」
そう、蘭はこの件をもう1人の大切な幼馴染・工藤新一には話せずにいた。
新一を信頼していない訳ではない。
なのに、何故か訊きにくいと思っていた。
「うん、そうねえ。新一君も男の子だから恋愛問題は訊きにくいと思うけどさ、でも、男ならではの観点から助言してくれるんじゃない?」
「でも・・・」
「田中くんが、『工藤はどうなんだ?』って言った部分を気にしてるの?」
蘭は曖昧に頷く。
それは確かにあると思う。
その点については、新一との間で話題にするのはいつの間にかタブーのようになっていた。
でも、新一に相談したくないのは、それだけではないような気もしていた。
「だったらそこだけ抜かして相談してみりゃ良いじゃん」
園子は明るくそう言って、蘭は気持ちがもやもやしたままに頷いた。
けれど、新一とその件での相談が出来ないままに、日が過ぎて。
ある事件が起こった。
☆☆☆
「毛利、今度の土曜、空いてる?」
「え・・・?」
田中毅からの言葉に蘭は戸惑った。
「あ、あの・・・部活があるけど・・・」
空手部が土曜も練習しているのは本当なので、蘭はかろうじてそう答える。
「終わるの、何時位?」
「・・・3時には・・・終わるけど・・・」
「じゃ、その後で良いからさ。毛利と見に行こうと思って、映画の招待券2枚ゲットしたんだ!4時に米花シネマロビーで待ち合わせ、な?」
そう言って、田中は蘭の手に、今評判になっているアニメ映画の券を押し付けた。
「え?あ、あの、ちょっと!」
「約束だぜ、それじゃ」
そう言って、蘭の返事も待たずに田中は駆け去って行った。
残された蘭は呆然とする。
「私は返事してないのに・・・こういう場合も、約束したって事に、なるの・・・?」
約束という言葉が、蘭に重くのしかかっていた。
蘭の空手部と新一のサッカー部の練習が終わり、暗くなりかけた道を2人並んで歩いて帰る。
いつもの事だけれど、今日の蘭は上の空で、新一の話を殆ど聞いていなかった。
「蘭?聞いてんのか?」
「え・・・?ああ、ホームズの話だったら聞き飽きてるから」
「・・・ホラ、やっぱり聞いてねえ」
新一にちょっと不機嫌な声で言われ、蘭は我に返った。
「あ・・・ごめん」
「ま、いいけどよ。今度の土曜、蘭の部活が終わるの3時くれーだろ?サッカー部もその位に終わるからさ・・・その・・・オメーが見たがってた『となりのポポロ』、見に行かねえか?」
新一の誘いに、蘭は胸が一瞬苦しくなるのを感じた。
行くんなら、新一と一緒に行きたいと思った。
けれど・・・一方的だが、その日は田中と「先約」という形になっている。
いつもだったらすぐに何らかの返事をする蘭が、黙ったままなので、新一が立ち止まり、じっと蘭の方を見た。
「蘭?都合が悪いのか?」
蘭はフルフルと首を横に振った。
何をどう言ったら良いのか、頭が混乱していた。
気持ちとしては、新一と一緒に行きたい。
でも、約束が先な方を優先しなければならないとも思う。
蘭は今更ながらに、はっきりと断れなかった事に自己嫌悪を覚えていた。
「ゴメン新一。その日は、田中君と約束していて・・・」
新一が、ちょっと目を見開いて蘭を見た。
その表情は怒っている訳では決してないのだが、一瞬だけ、蘭は怖いと思ってしまった。
蘭は、自分でも説明がつかないまま、新一に何となく後ろめたいような気がしていたのだ。
新一が少し低い声で問うてきた。
「蘭。田中と付き合うのか?デートの約束してるのか?」
新一の強い眼差しに蘭は耐えられなくなり、勢いよくかぶりを振る。
「違う!そんなんじゃない!ただ・・・ただ、田中君は友達として仲良くして欲しいって・・・デートなんかじゃないもん!ただ・・・約束しちゃったから。友達との約束は、破っちゃいけないでしょ?」
新一は、少しの間黙っていた。
そして、口を開く。
「そうだな・・・友達との約束は、守らなきゃいけねえよな」
蘭は、目を伏せた。
新一の言葉は当然の事だと思いながら、同時にどこかで落胆していたのだ。
本当は新一に、止めて欲しかったのかも知れない。
そのように願うのはいけない事だと思ったけれども。
「なあ、蘭。『友達』と遊びに行くんだったらよ。先約だからって、別に2人きりじゃないといけねえ訳でもねえだろ?」
「え・・・?」
新一の思いがけない方向からの突っ込みに、蘭が思わず目を上げると、新一が悪戯っぽく笑っていて、蘭もつられて笑顔になった。
☆☆☆
土曜日午後4時、米花シネマのロビーで蘭が待っていると、田中が笑顔で駆けて来て手を挙げたが、近付く内に戸惑った顔になって手を下ろした。
「なんで・・・工藤がここに居るんだ?」
新一は、部活が終わると蘭と一緒に学校を出て一旦家に帰り、着替えて蘭を迎えに来て、そのまま一緒に米花シネマまでやって来たのであった。
「何でって?蘭が『お友達』の田中と一緒に映画を見るんだけど、人が多い方が楽しいからって、オレを誘って来たからさ」
新一が言った事には事実と違う部分もあったが、蘭はそこを咎めたりせず、新一に任せていた。
一緒に映画を見るのが田中1人でなく新一も一緒だと思うだけで、あの重苦しかった気持ちが嘘のように晴れ、むしろウキウキした気分になって、お洒落にも力が入った蘭だったのである。
「はあ?何だよ、それ」
田中が見るからに不機嫌になって言った。
「ああ、だからさ。お友達同士なんだから、別に2人きりじゃなくても、構わねえだろ?」
新一が飄々と返す。
「冗談じゃ・・・!気が利かねえ奴だな、おい!」
田中の言葉は明らかに怒気をはらんでおり、蘭は思わずハラハラして新一と田中とを交互に見た。
「はて?気が利くとか利かねえとか、何の事やら?だから、何人居ても構わねえだろ、オメーが本当に蘭の『友達』ならよ」
田中が、蘭の方に怒りの目を向けて言った。
「毛利。思わせ振りな事、すんなよな!オレの気持ちを知ってるクセに、2人で映画見ようと思ったのに、何で・・・!」
蘭は思わず身を縮めた。
田中が自分に怒りの目を向けた事は、ちっとも怖くなかったが。
新一に言ってなかった事――田中が蘭に好意を持っている事を、新一の前で口に出された事が、怖かった。
新一にどういう風に思われるか、それが怖かったのだ。
新一が静かな――けれど、力のこもった声で言った。
「なるほどな。田中、オメーは蘭に告白したけど、断られた。で、まずは友達からと、持ちかけた。蘭の義理堅いのを利用して、『友達』と『約束』という言葉で縛り付け、まんまとデートに持ち込もうとした。蘭が、友達を裏切ったり約束を破ったり出来ねえのを利用して。違うか?」
蘭は目を見張る。
新一は何故、いつも自分の事を分かってくれるのだろうと、感動に似た気持ちを覚える。
田中が、新一をにらみつけて唸るように言った。
「そういうお前は、どうなんだよ?工藤、お前こそ、幼馴染という立場を利用して・・・」
「違うもん!」
蘭が思わず声を出した。
田中が・・・そして新一も、驚いたように蘭の方を見た。
「新一は、新一は・・・私の事、ちゃんと見て、ちゃんと考えてくれてるもの。強引に見えるけど、本当は私が困る事とか、私が嫌だと思う事とか、絶対しないもの!」
田中は鼻白んだ顔をした。
「毛利、工藤の事、恋愛の対象じゃないって言ってたクセに。そういう風に、工藤を庇うのか?」
何故、新一を目の前にして田中の口から、そのような事を言われないといけないのか?
蘭はよく分からない悔しさで、拳を握り締めた。
新一が一段と低い声で言った。
「田中。オメーな、いい加減にしろよ。オメーのはただの逆恨みだろ?そんな風に蘭を困らせて、本気で蘭が好きだなんて言えるのかよ?」
新一の声の迫力は、蘭を安心させるものだったが、田中は声を出せなくなった様子で顔色を失っていた。
「恋人でも友人でも家族でも。本当に大切なやつなら、相手の望まない事を無理強いしねえ、自分の欲望を優先させたりしねえ、言質をとって相手を縛るなんて事もしねえ、それがホントだろ?それが、相手を大切にするって事じゃねえのか?本当の友達って事じゃねえか?」
新一が静かに近付いて行くと、田中はジリジリと後退りして行った。
「あ、そうそう。これ、忘れ物」
新一がそう言って田中に渡したのは。
蘭が田中から受け取った映画の招待券だった。
田中はひったくるようにその券を受け取ると、踵を返してその場を去って行った。
蘭は、新一の有無を言わせぬ強引なやり方に、妙に感心してしまった。
新一は一言も、「帰れ」とは言わなかったのだが、田中が帰る事を前提にチケットを返したのは間違いなく、そして田中はそれに逆らえなかったのだった。
新一が時々見せる、中学生とも思えぬこの迫力は一体何だろうと思う。
けれど。
新一が田中に対してとった、失礼とも言える強引なやり方が、蘭を守る為だという事が分かっていたので、素直に嬉しい。
「蘭・・・わりぃな」
新一が突然言ったので、蘭は戸惑った。
「え?新一、何で謝るの?」
「いや、手間取っちまってる間に、上映時刻を過ぎちまったからさ」
言われて蘭は時計を見る。
確かに、今のやり取りの間に時間が過ぎ、4時過ぎの回は上映開始時刻をかなり過ぎてしまっていた。
「ううん、だって・・・」
新一が守ろうとしてくれた為だから。
という言葉は、蘭の心の中だけで呟かれた。
「ねえ、新一。時間遅くなっても構わない?」
「ん?ああ、別に・・・明日は日曜で・・・部活も始まる時間遅いから構わねえけど」
「じゃあ、次の回の予約をして、ちょっと軽く何か食べようよ、ね?」
「ん〜、部活で腹減ったし、確かに映画が終わるまでもたねえかも。でも、そっちは大丈夫なのか?」
「うん!連絡するし。それに、新一のご両親、お父さんに信頼あるもん」
新一はちょっと困ったような顔を一瞬した。
「新一?どうかしたの?」
蘭が真直ぐに新一の目を覗き込む。
ここ2、3年は、新一の方が蘭より目線が低かったのだが、今は殆ど同じ高さにある。
蘭はふと不思議な感じを覚えた。
否が応にも、新一は男で蘭は女で。
これから先新一の背が伸び、蘭を追い越し男の体になっていくのだと、蘭は不意に思い至った。
「いや・・・やっぱ中坊のオレじゃ、まだまだおっちゃんの信頼を得られるようにはなんねえよな」
そう言って、新一は苦笑した。
蘭は単純に、新一がまだ子供だから小五郎の信頼を得られないという風に解釈したのだが。
むしろもっと大人になってからの方が小五郎が厳しくなる事も、新一がこの時苦笑した訳も。
蘭が知るのはもっとずっと先の事である。
とは言え色々あったけれど、結局蘭は新一と2人で、軽い食事をし映画を見、満足して帰途に着いた。
新一とだったら安らげて、とても充実した楽しい時間を過ごせる。
それは新一との間に男女の垣根を越えた繋がりがあるからだと、その時の蘭は思っていたのだった。
<後編に続く>
|