探偵事務所物語



byドミ



(2)探偵事務所の事務員



「あ、あの……どういう事なんでしょう?」
「毛利蘭さん。君は、この工藤探偵事務所の採用審査に合格したってことだよ。これが契約書。内容をよく読んで、異存がなければサインして」
「は?あの……っ!採用審査に合格って……」

新一から書類を手渡されながら、蘭が目を白黒させていると。
ソファに座っていた長身の男性が、声を掛けてきた。

「やあ。先ほどはどうも」
「えっ?」
「僕は、白馬探、探偵だよ。いずれ自分の探偵事務所を立ち上げる予定だけど、その前に工藤君とこで修業させてもらうのも面白いかと思ってね」
「あ、あの……」

蘭が混乱していると、小柄で丸眼鏡をかけた、女性的な顔立ちの男性が、横から声を掛けてくる。

「あ。ボクは、本堂瑛佑。探偵……といいたいところだけど、残念ながらまだそこまで認められてないんで、事務員として修業を積んで、いずれは探偵として独り立ちする予定です」
「あ、あの……?」
「あれ?まだ気付いてないの?」

真純に横から突っ込まれ、蘭は、白馬探と本堂瑛佑をじっと見詰めた。
そして、指をさして叫ぶ。

「えっ!?あっ!ああああっ!まさかアンタたち、さっきの暴漢……!」
「やっと気付いたのか。遅いよ。まあ君は探偵じゃなくて事務員だから、良いんだけどね」

真純が手を広げて言った。

「えっえっ!?これって一体、どういうことなの!?」
「だからさ。さっきのお芝居が、入社試験なワケ」
「えっ!?お、お芝居……じゃあ……あのお婆さんは……」
「それは、私。悪かったわね、試すようなことをして」

蘭の目の前に、30代くらいと思われる美貌の女性が現れ、蘭は目をパチクリさせた。
何だか見覚えがあると思って考え込む。

「えっ!?あなたは、もしや……藤峰有希子さん!?」

蘭が生まれる前だから、20年以上も昔のことだが。
藤峰有希子は、一世を風靡した美人女優だった。
もう40過ぎの筈だが、今も若々しく美しい。

「当たり〜。わたしがテレビに出ていたのは結構昔なのに、よく知ってたわね〜」
「だって、大ファンですもの!『危ない婦警物語』とか、シリーズでDVDが出てますよね!全部、持ってます!」
「まあ、嬉しいわあ。私もまだまだ、捨てたもんじゃないわねー」
「あ……あの……何で有希子さんがここに?まさか、あの大女優が、探偵事務所のスタッフのお仕事を?」
「ううん、今回は臨時のお手伝い。何しろ、老婆の変装や演技ができるスタッフがいないから〜」
「あ、ああ……なるほど」

有希子は若くして引退したが、定評があったのはその美貌よりも桁外れの演技力であった。
10代から老婆までの女の一生を1人だけで演じたこともある。
先ほどの有希子は、歩き方も姿勢も何もかも、80歳前後の老婆にしか見えなかった。

「身内だから、報酬なしの出血大サービス!」
「え……?み、身内って……」
「新ちゃん、父親だけじゃなくて、私にも似てるって思うけど?」
「え……?あーーっ!」

蘭は思わず不躾な大声を出していた。
藤峰有希子は、推理作家・工藤優作と結婚して引退したという事を思い出したのだった。

「まあ、新ちゃんが、親の七光りってのをすごく嫌うから、隠してるわけじゃないけど、あんまり公言してないのよねー」
「っせーな。でも、今回は助かった。芝居と気取られることなく、スムーズにテストができたんだからよ」

所長である工藤新一のやや不機嫌そうな声に、蘭は今の状況を思い出す。

「あ、あの……じゃあ、さっきのが二次選考で、わたしはそれに合格したと?」
「ああ。その通りだよ」
「ここにいらっしゃる方々も?」
「いや。彼らはオレが直接人柄や能力を知っていてスカウトしたメンバーだ。ただ、事務員がもう1人欲しかったから、一般公募をした。二次選考に残ったのは5名。先に来た4人は不合格だったから、君も不合格だったら、人手不足のままスタートするしかないと思ってたよ」
「あ、あの。合格と言っていただいてて、何ですけど。選考基準を、訊いても良いですか?」

蘭は何となく腑に落ちないものを感じていたため、新一に問うた。

「一次選考は、能力水準を見た。その中には、通常の一般事務では問われないような、身体能力も含まれる」

蘭は頷いていた。
工藤探偵事務所専用の応募書類には、格闘技・運動能力などについての記入欄もあった。
事務員は滅多に現場に出向くことはないだろうが、それでも、危険に対処しなければならないケースも有り得る。

「二次選考は、先ほどのあれだ。今日、5人全員に、1時間ずつ時間をずらして、選考を行った」
「……だからわたしは、午後2時からと指定されたんですね」
「ああ」
「先に選考を受けた4人は、不合格だったんですか?どうして?」
「……彼らは、身体能力に難があった。応募書類に書いてあったのは、過大な自己申告だったってことだな」
「ええっ!?な、何ですか、それ!?」
「まあ、君は、書いてある通りの腕がありそうだから、雇うことに決めた。もし、何らかのノウハウをゲットしてお父上の探偵事務所に還元しようというのなら、それも構わない」
「……!わ、わたしの父のこと……!」
「知らない筈が、ないだろう?仮にもオレは探偵だ。応募した人の身元位、調べているよ。……オレのところに就職した者は、探偵でも事務員でも、オレのノウハウを盗んでもらって構わないよ。もっとも、あの毛利探偵とその娘である君に、それができるなら、だけどね」

バカにされていると感じて、蘭はカッとなった。
しかし、新一が敢えて挑発しようとしているとも感じて、呼吸を整える。

「わたしをバカにするために雇ったんですか?」
「いや。いくらなんでもそんな酔狂さは持ち合わせていないし、そんな余裕もうちにはない。もちろん、事務仕事をきちんとしてもらうために雇ったんだよ。だから……悪いけど、そっちの能力に難ありと思えば、容赦なく切る」
「……わかりました。よろしくお願いします」


蘭は、気持ちを宥めつつ、そう答えた。
そして、書類にサインをする。
ここには仕事をしに来た。
毛利探偵事務所で裏方や会計などを頑張って来たけれど、外で働いたことがないので、どの程度通用するかは分からない。

でも、新一の元で働くことは、きっと何かを得ることができる筈と、蘭は感じていたのだった。



   ☆☆☆



「ま、君の空手の腕が確かなのは認めるけど。さっき工藤君が言ったことは、本音じゃないね」
「世良さん?」

お茶を出すように言われて蘭がキッチンに入ると、何故か真純が後をついて来て言った。

「ふふっ。ボクだったら、君を合格させない。工藤君は、真っ直ぐ過ぎる。甘いよ。でもま、所長は工藤君だから」
「えっ?」
「空手の技は、イイ線行ってる。でも、工藤君が君の採用を決めたのは、それが理由じゃないよ」
「ええっ?ど、どういうこと!?」
「……ま、工藤君からハッキリ聞いたわけじゃないけど、ボクが推理した理由はある。でもまあ、最初の4人が不合格なのは、ボクも賛成だけど」

そう言って、真純が去って行った。
代わりに入って来たのは、有希子である。

「蘭ちゃん」
「は、はい!」
「新ちゃんは、あまのじゃくだから、許してあげて」
「え……あ、あの」
「最初の4人が不合格だったのはね。悲鳴を上げた私を見捨てて、時間に間に合うように面接に向かったから、なのよ」
「え?じゃあ……」
「あなただけが唯一、面接よりも私を助ける方を取った。だから……」
「……どう行動するか、試したんですね?」
「ええ。でも、それが問題?試験って、試すものでしょ?新ちゃんは、この事務所には、どんなに能力があっても、悲鳴を上げるおばあさんを見捨てて行ってしまうようなヤツは要らないって言ってたから……」

有希子のとりなすような言葉に、蘭の気持ちは、先ほどより少しだけ、ほぐれていた。
とはいえ、最初の嫌な印象を払拭できるまでには至っていない。
そして、新一のことを「本質的には冷たい人間」と感じてしまったことは、覆せないでいた。


有希子は、普段日本にいないので、しばらくは事務所に来ないという。
蘭は、この事務所内での唯一のオアシスがいなくなるような気がして、憂鬱だった。


「何で、あの優しそうな方から、工藤新一のような冷血漢が生まれたんだろう?」

蘭は独りごちる。

蘭の父親である毛利小五郎は、正直、探偵としての能力に疑問があるし、いい加減なところがたくさんあるけれど。
それでも、深い人情がある分、人間的には新一よりずっと上だと、蘭には思えた。

「お父さんの事務所が少しでも繁盛するように、頑張って何かを学び取るのよ、蘭!」

蘭は自分自身にそう言い聞かせていた。


気を取り直して、淹れたコーヒーを持って事務所に戻る。

「遅い!コーヒーを淹れるのにどんだけかかってんだ!」
「す、すみません……」

真純や有希子と話をして時間が余計にかかったことは事実だから、蘭は素直に謝る。
新一はコーヒーに口をつけた。

「うん。美味い。味は合格」

蘭はホッとする。

「お客さんが来たら、すぐにコーヒーを淹れられるようにしてくれ」
「分かりました」
「キッチンの品揃えは、母に頼んだが、この先、補充や何かは、毛利に任せる」
「は、はい……」

近くで、本堂瑛佑が大きな溜息をついていた。

「瑛佑君?どうかしたんですか?」
「いや。僕はお茶淹れで不合格だったんで」
「え……?お茶淹れ?何で?」
「だって僕、探偵としてじゃなくて事務員としての採用だから、最初、お茶淹れをさせられたんだけど……」
「こいつに淹れらせるくらいなら、オレが淹れた方がまだマシレベルだからな」
「わたしが女子事務員だから、お茶淹れさせるわけじゃないんですね?」
「は?当たり前だろう?うちは能力主義だ」


能力主義で、蘭のお茶淹れ能力が買われ、蘭がお茶係になったことについては、不快感はない。
少なくとも新一には、男尊女卑の考え方はなさそうだと蘭は思った。



   ☆☆☆



そして、蘭の「工藤探偵事務所の事務員」としての仕事が始まった。

事務員にはお茶くみのほか、資料作り・会計処理・報告書作成・その他もろもろ、雑多な仕事がある。
探偵たちは、事務所で相談者と面談し話をすることもあるが、現場を飛び回ることもあり、常時事務所にいるわけではない。

蘭は暫く忙しく日々を過ごし、少しずつ、面談の時の記録なども任されるようになってきた。

本当は探偵になりたかったという本堂瑛佑は、ドジは相変わらずだが、時々現場に同行して少しずつ修業を積んでいるようだ。


一緒に仕事をしていく中で、蘭の新一に対する悪い印象は少しずつ拭われ、新一に対しても他の仕事仲間に対しても、同じ仕事場の仲間としての信頼や仲間意識が育ってきた。
時々は、真純や、他の仲間たちも一緒に、食事をしたり飲みに行ったりもするようになった。


ただ蘭は、無意識の内に、「男性と2人きり」で食事や飲みに行くのは避けていた。



蘭が「就職」して、半年も経っただろうか?


「毛利。今回の依頼、現場に同行してくれないか?」

所長である新一から、蘭に要請があったのだった。




(3)に続く



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超お待たせしました。
第1話をアップしてはや……どれだけ?ほったらかしで、本当にすみません。

新一君の口調が違うのは、まだ蘭ちゃんに対してよそ行きの会話をしているからです。

元々リクエストお話なので、大まかな構想はあるのですが、細かい部分が決まっていないため、ひねり出すのに苦労しています。


実は、蘭ちゃんが同行する事件、どういうものなのか、考えていない……相変わらず自転車操業で、すみません。


2015年6月21日脱稿