5月中頃の米花総合病院にて…。
かつて、伝説の大女優と言われた藤崎有希子は結婚して引退、今は新米のママである。今の彼女にはある悩み事があった…。
と言っても、子育ての事ではない…。
それは…、
「英理、大丈夫?」
「今の所は…。それよりも貴方の方こそ大丈夫なの?あの電撃引退以来2年近くになってるけど、写真週刊誌もまだまだ貴方達の事諦めていない筈よ?」
彼女の親友でもある旧姓妃英理、今は結婚して毛利英理となった彼女は出産を間近に控えた妊婦になっていた…。
「そんな事気にしなくても良いわよ。優作から彼等を煙に巻く手段を幾等かレクチャーしてもらったから。」
「でも、私達の為にロスに行くの遅らせているんでしょ?」
「英理…。そんな事気にしなくても良いんだってば…。今はそんな余計な事を考えずに元気な赤ちゃんを産む事が大事なのよ?ねぇ、新ちゃん。」
そう言って、産まれて間の無い赤ちゃんに話しかける有希子。
彼こそ後に日本警察の救世主とまで言われる程の名探偵工藤新一であるが、今は只の新生児である。
「ありがとうね、有希子。」
「英理、そんな言い方しなくても良いって…。大体、優作も優作なのよ!こんな程度の事件をチャッチャと片付けられないのかしら…?」
「こんな程度の事件って言うけど、かなり大きな事件なのよ?」
実は、この時ちょうど世間を揺るがす大事件が起きていたのだ。
その事件とは宝石店やデパート、そして現金輸送車をも狙った連続多額強盗団が暗躍していたのだ。
彼等のやり口は徹底していた。
目的の為なら平然と店の壁や警報システムを叩き壊し、警備員をも殺害していたのだ。
犠牲者は十数人にも及び、その中にはたまたま特別警戒していた巡査も含まれていたのだ。
その為警視庁も特別警戒を東都中に発令し、異常とも言える程の大量の捜査員を動因していた。
さらに当時名探偵として名を売り出し始めた優作までもが駆り出され、警視庁の威信をかけての捜査が繰り広げられていた。
もちろん、その中には当時未だ新米の感じが抜け切れていない小五郎も含まれていた。
彼にとって刑事になって始めてとも言える大きな事件がこれであったのだ。
☆☆☆
その頃、警視庁の捜査本部会議室にて…。
「警部捕殿、駄目ですね…。手がかりとも言える物が全く残ってませんよ…。」
当時、目暮は警部捕に昇進して直ぐぐらいにこの事件にぶつかり、始めて(コンビを組んでいた小五郎以外の)部下を持ち現場の陣頭指揮を取っている一人であった。
「やはり駄目か…。優作君、済まんなこんな事件に付き合わされて…。」
「お気使い無用ですよ、目暮警部捕。それに私は警察の依頼だけで動いている訳ではない物で…。」
「どう言う事だね?優作君。」
「有希子からも連日はっぱをかけられてましてね。サッサとこんな事件を解決して戻って来いと。」
「羨ましいですなぁ…。あれから2年近く経つのにまだまだ新婚気分が抜けきれてないとは…。」
「毛利君!!」
嫌味たらしく呟く小五郎を目暮がたしなめたが、それを優作が制した。
「勘違いなさらないで下さい。有希子は私に会いたいだけでこんな事を言っているわけではないのです。」
「と言うと?」
「有希子は貴方の奥さんを心配しているのです。」
「英理君の?!」
「どう言う事ですか?!」
「何しろ本来予定日は有希子の方が後なのですから…。」
その言葉に驚く目暮と小五郎。
「な、なんですって?!」
「そんな話は初耳だぞ?!」
「私も先日有希子の臨月で自宅に戻った時に聴いたのですよ…。有希子の出産が遅れた原因の一つがその事の不安だった様で…。」
「では、有希子君の出産が遅れたのは…?!」
「その事でかなり精神的に参っていた様です。ストレスがお産に悪影響を及ぼしていた様で…。」
「で、では英理の奴の出産が遅れているのは?!」
「私はあくまでも捜査の協力を頼まれている外部の人間…。万が一の事はまずめったに起きる事はない。」
「確かにその通りだ。だが…、」
「そう。だが、毛利さんは違う。警察の人間が特別警戒中にどんな理由があっても帰る事が出来ない。」
「そんな事は英理の奴も百も承知の筈ですよ!!」
「確かに。彼女も頭ではその事は十分承知の筈でしょう…。」
「だが、だからと言って“はい。そうですか。”と割りきれるものではないと言う事か…。」
「ええ。それに彼等と対峙して万が一と言う事も考えられる。」
「そ、それは…!!」
「確かにそうだな。我々警察は本来そう言う仕事だ…。彼女も頭では理解している筈だろう。」
「ですが、気持ちの問題がある。」
「そうだな…。こうなるとますます一刻も早い解決が望まれるな。」
☆☆☆
その頃、米花総合病院の産婦人科の診察室にて…。
「母子共に極めて健康ですね。この分だともう退院しても問題ないでしょう…。」
そう言って、担当の女医は微笑んだ。
だが、有希子は手放しでは喜べなかった。
「私の事より英理の方が心配なんです。あの子、意地っ張りで弱音を吐かない分心配で…。」
有希子がそう言って俯くと、その女医も顔を曇らせた…。
「毛利さんの事ね…。こっちも心配しているのよ。何とか旦那さんにこっちに戻って来るようにお願いできないのかしら…?」
「私もそうしたいのは山々なんですけど、彼は警視庁の刑事さんだから…。」
「連続多額強盗団の事ね…。全く!一人二人捜査員が現場を離れたぐらいでどうこうなる訳でも無いのに…。」
「マスコミがこの事件を大々的に報じてるだけにそう簡単にはいかないのでしょうね…。」
「なら、せめてご実家の方から誰か来てもらえないのかしら?」
「それが、あの2人駆け落ち同然の出来ちゃった結婚だったらしくって…。」
「参ったわね…。このままだと毛利さんは最悪の場合、流産の危険が有るのよ。」
「な、なんですって!!!!」
突然、有希子が大声を上げて立ちあがったので傍らにいた新一が驚いて泣き出した。
「ああ、よしよし…。新ちゃんごめんね、驚かせちゃって…。でも、本当なんですか…?」
有希子は新一をあやしながらその女医に尋ねた。
「ええ…。でも、毛利さんには絶対内緒にして下さいね…。過度のストレスと心労が原因なのでこれ以上の刺激を与えたく無いのよ…。」
「はい…。私も頻繁に此方に来て少しでも気が紛れるようにします。」
「お願いね…。」
それから、数日たったある日の夜…。
「うっ…!」
英理は突然の激しい陣痛に顔を歪めた。
その時、彼女は傍らにあったナースコールのボタンを押そうと手を伸ばそうとして、不意に視界がぼやけるのを感じていた。
「あっ…!だ、駄目…。」
それは激しすぎる陣痛の痛みと、過度の疲労とストレスがミックスされ、彼女を瞬時に失神させてしまっていたのだ。
(あ、貴方、ご、ごめんなさい…。わ、私、この子を守れそうにな…い…。)
そのまま、英理の意識は暗闇の中に消えてしまった…。
☆☆☆
有希子は突然の泣き声に飛び起きた。
「あーよしよし…。新ちゃんどうしたのよ?」
そうあやしながら原因を考える有希子。
だが、全く心当たりが無かった。
「変ね…?こんな時間に泣き出すなんて…。オムツでも無さそうだし、おっぱいはあげたとこだし…。」
新一をあやしながら考え込む有希子…。
だが、そうしている間にも新一はますます激しく泣き続けていた。
そして思い当たる原因が全く無く、しかも今だかつて無いぐらいに激しく泣きつづける新一に有希子はすっかりうろたえてしまっていた。
「ああ、どうしよう…。優作は泊まり込みだし、英理は病院で…?!病院!!」
その時、不意に米花総合病院が救急指定である事を思い出した。
「そうよ!!病院よ!!あそこに行けば原因が判るかもしれない!!!」
そう決断すると、有希子は急いで身支度を整え、タクシーを呼んで病院へと急行した。
☆☆☆
数分後、米花総合病院にて…。
「ここの病院の緊急外来には小児科は無いんですか!!!」
「まあまあ、奥さん落ち着いて…。」
「これが落ち着いていられますか!!!!」
有希子は応対した医者が専門外である事に腹を立てていた。
その間にも、新一はますます激しく泣き続け、有希子はさらにうろたえてしまった。
「ああ。よしよし…。新ちゃん直ぐにお医者さんに見てもらいますからね…。でも、どうしよう…。」
その時、不意に英理の顔が浮かんだ。
「そうよ!!英理!!確かあの子の事があるから暫らく泊まり込んでくれるって先生が!!」
そう。
実は有希子の担当であり、英理の担当でもある女医が彼女を心配して病院に泊まり込んでいる事を思い出したのだ。
「もう良いです!!私、自分で担当医を探しますから!!!」
そう言いきると、新一を抱きかかえ産婦人科病棟へ、英理の居る病室へと急いだ。
☆☆☆
さらにそれから数分後…。
取り敢えず英理の所に居る筈だと思ったその女医に会うべく、彼女の病室にたどり着いた。
「あのー済みません…。ちょっと家の新ちゃんの事で…。」
そう言いながら病室に入り込む有希子…。
だが、病室は真っ暗でシーンと静まり返っていた。
「あら、あの先生居ないのかしら…。困ったわね。看護婦の積め所にも誰も居なかったし…。」
困惑する有希子をよそに新一はますます激しく泣きつづけていた。
「ねぇ、お願いだから新ちゃん泣き止んでよ…。英理が起きちゃうじゃない…。」
だが、病室は静まり返り、新一の泣き声だけが木霊していた。
「英理…?どうしたの…?今日はいやに熟睡してるわね…。」
この事件以来、あまり良く寝られないとこぼしていた事を思い出し、そう呟く有希子…。
「英理、ごめんね。ちょっと新ちゃんの顔が良く見えないから電気を点けさせてもらうわ。」
そう言って病室の電気を点け、英理の方を見て有希子はあらん限りの悲鳴を上げた。
その後、急いで有希子が押したナースコールで呼び出された看護婦に事情を説明し、その後やって来た女医と共に分娩室に英理が担ぎ込まれた。
そして、難産の末にかわいい女の赤ちゃんを産み落としたのだった。
それから数ヶ月後…。
事件は優作の手でようやく解決され、晴れて小五郎は親娘と対面する事が出来た。
そして、今日は工藤夫妻がロスへと旅立つのを見送る為に産まれたばかりの蘭を抱いて成田に来ていた。
「行ってしまわれるのですか…。寂しくなりますなぁ…。」
小五郎がそう呟くと、有希子がこう答えた。
「と言っても、2〜3年で帰って来ようと思ってますの。やっぱり新ちゃんは日本の学校へ通わせたいので…。」
「そうなんですか…。」
「ええ。元々が私達のわがままでロスに行く事になったのですから…。」
「そうね…。そろそろマスコミもあの事件の事を忘れるでしょうし…。」
「そうなるとまた、マスコミが我々を追いかけ始めませんからね…。」
「そうね…。電撃引退した伝説の大女優と今売り出し中の名探偵の日常なんて、マスコミの飛びつきそうなネタですものね…。」
「違いありませんね…。」
そう言って、工藤夫妻はロスに向う飛行機に搭乗した。
☆☆☆
その後、ロスに向う飛行機の機内にて…。
工藤夫妻は激しく泣きじゃくる新一にうろたえていた。
「あーよしよし…。新ちゃん泣かないでよ…。」
「参ったな…。産まれて間の無い時期の長距離の移動にストレスを感じたのかな…?」
「まさかと思うけど新ちゃん、蘭ちゃんに暫らく会えない事で寂しくて泣いているのかしら…?」
「まさか…。この子は未だ赤ちゃんだよ。しかし、どっちにしても参ったな…。この飛行機はロスへの直行便だから、あと10時間以上も飛行機の中だぞ…。」
そう言いながらも仲良く新一をあやす2人であった…。
☆☆☆
同じ頃、小五郎の運転する車の中で…。
此方も工藤夫妻と同じく泣きじゃくる蘭にうろたえていた。
「どうしたって言うのよ?蘭、良い子だから泣かないで。」
「ったく!テメーの娘ぐらいちゃんとあやせよな!」
「何よ!!貴方の子でもあるのよ!!!」
犬も食わない夫婦喧嘩を繰り広げる2人の雰囲気に怯えてますます泣きじゃくる蘭であった…。
|