レジスタ!



By 泉智様



(8)



「ふむ・・・。工藤さん。予定より幾分早いが、退院しても良いですよ。」
「えっ、本当ですか?」
「ええ。診断書を出しますので、チームに渡して下さい。但し当面は、フェースガードを着用してプレーして下さい。とりあえず一週間後、外来に来ていただけますか?経過を見たいですから。」
「はい、分かりました。ありがとうございました。」

平次が和葉と恋人になった日の翌日。新一は、主治医から退院許可を貰った。病室へ戻る前に母の携帯と英理の事務所、チームといった関係各所に連絡を入れた新一は、最後に病室で待つ蘭に報告をした。

「そっか・・。経過が凄く良かったものね。おめでとう、新一。」

蘭はこうなる事が予想できてたのか、落ち着いた様子だった。

「で、いつごろ此処を引き払うの?」
「今から仕度をして、母さんが来るのを待って精算を済ませて・・ってなるから、昼前後ってところかな。」
「そっか・・。じゃ、急いで仕度しなくちゃね。」

そう言ってソファから腰を上げようとした蘭を新一はそっと押し留め、蘭の頬に指を滑らせ、そっと抱き寄せた。

「今までサンキューな、蘭。オレの治りが滅茶苦茶良かったのは、蘭、お前の笑顔のお陰だから。ホント、感謝してる。・・・・・でもさ、退院ってことは、これでまた暫くお前と離れ離れになるってことだよな。そう思ったらさ・・なんか寂しいよな。」
「新一。」
「だから・・・無理すんな。寂しいなら、寂しいって言えよな。オレには嘘を吐くんじゃねーよ。蘭のことなら、一目で分かるんだから。」
「う〜、もう、ばかぁ〜。折角・・我慢してたのにぃ・・新一〜ぃ。」

ぎゅっと新一のパジャマの袖を握り締め、胸元に顔を埋め、涙で震える蘭が可愛くて。愛しくてたまらなくて。新一は、あやすように背を撫でると、涙を滲ませる目じりにそっと口づけた。

「・・・でもさ、蘭。オレ達、この2週間とちょっとの間に色々話し合って、目標つうか、希望を見つけたんだよな。・・・“今度の春からはずっと一緒にいよう”ってヤツ。覚えてるよな?」
「・・・うん。」

新一は近日中に、完全移籍の発表がなされ、来季以降もビッグ大阪でプレーする。
蘭は、大阪の学校を受験する。
二人のこれからの現実と・・・迎えられるかもしれない希望に満ちた未来。

「今日の別れは、その希望に向かっての別れなんだ。だからさ、笑おう。オレたちは、身体は離れてたって、心は傍に居るんだからな。・・一緒に頑張ろうぜ、蘭。」
「新一。」

ようやく顔をあげた蘭は、包み込むように優しい新一の顔・瞳に、瞳を赤く潤ませながらも笑顔を返した。

「そうだね。春に向かって頑張らなきゃね。・・いつまでも、寂しいって泣いてばかりはいられないよね。」
「そうだぜ、蘭。」
「忘れてた。凄く大事な約束だったのに。ごめんね。・・思い出させてくれてありがとう、新一。」
「こちらこそ。これまでありがとな。そして・・これからも宜しくな、蘭。」
「はい。」

輝く笑顔を交し合った二人は、そっと優しく、でも、熱い情熱を込めた口づけを交わした。

「シーズンが終わったら、必ず迎えに行く。お前を迎えるのに恥ずかしくない成績を引っさげてな。・・・だから、お前も受験、頑張れよ。」
「分かった。新一こそ、怪我には気をつけてね。これからが大変なんだから。」
「わーってる。」

ここでまた軽く口づけを交し合った二人を、新一からの連絡を受けて駆けつけた有希子が、ドアの外でしっかり押さえていた。

「(この分だと、今度のオフは忙しくなりそうね。早速、英理に根回ししておこ〜っとv。小五郎君、蘭ちゃんを溺愛してるから、親友である私の息子相手だからっていっても厳しそうだもの。英理の協力は不可欠だわ。・・・さて、と。もう少し後で出直しましょ。今は二人っきりにさせてあげないと、ねv。)」

いつもはハイテンションなそぶりで二人をブンブン振り回す有希子だが、この時はすっかり母親の顔になっていて。穏やかに微笑むと、そっと病室の前を離れたのであった。









翌日。退院した新一の完全移籍会見が、TVで報道された。



「やりィ♪やっぱ、そうこなくっちゃねえ〜♪」
「これは今後が楽しみですね。」

TVを見た快斗と探は、それぞれの地で嬉しそうに画面に見入っていたが、新一の古巣のスピリッツのメンバーは、一様に厳しい表情になっており。かつての仲間であるヒデとナオキは、TVを見つつ、ぼやいていた。

「工藤のヤツ。結局、完全移籍ということで決着、か。・・・まあ、見えてたけど。」
「・・だな。アッチ行ってすぐにボランチにコンバートさせられて。でもいい仕事してたからな。“あんな良い選手を出すとは現場はどういう判断をしてるんだ。期限満了で戻せ!”って上ががなって、何がなんでも工藤を貰いたいビッグとの間で結構モメたらしいな。まあ結局、ウチの足元を見られたっていうか・・“移籍金にイロを付けて”ってことでビッグが勝った・・ってトコが真相らしいな。」
「オイオイ。顔に似合わずイヤラシイコト言うなあ、ヒデ。ファンが聞いたら、泣くぞ?」
「そうか?ま、カネの話云々なんてすりゃ、そう言われても仕方ないけど。今や“近い将来、日本代表を背負って立つ選手の一人”って看做されてる工藤の、ボランチとしての可能性を見出して開花させたのはラムス監督なんだし。期限満了で戻しても今の“ウチの事情”じゃ、折角開いた花も養分を吸われまくって枯れてしまわないとは言い辛いしな。」
「“大輪の花を集めてゴージャスな様でいて、ディフェンスに弱さがある。”っていう評判か?」
「何だよ、お前だって言ってるじゃねえか。」
「ハハハッ。」

新一が高2の冬にビッグへ期限付きで出されて少しした頃。スピリッツはライトニングの中盤のスターだったダヴィドを、メディアで大騒ぎになるほどの大枚を叩いて獲得した。

しかし、その歓待ぶりとチーム編成に、長年スピリッツでボランチを努めチームの黒子役に徹していた蔵田が疑問を呈し、ついには“仕事に見合う報酬をもらえてない”とフロントに直訴する問題に発展。交渉人を入れて話し合いをしたが折り合いが付かず、最終的に1stステージの最中に蔵田がシャオロンズに移籍することで決着が着いた。名ボランチを失ったスピリッツは守備力の悪化をすぐさま露呈し、ボランチにコンバートした新一がビッグで活躍し名とチーム順位をグイグイ上げるのと対照的に、前年の栄光はまさに過去のものとばかりに年間順位を急降下させていたのであった。

「そのビッグと、13節に直接対決、か。」
「ああ。アッチは今度の試合(10節)、ホームで大阪ダービー。11節と12節はいずれもアウェーで大分トレランスとベルガモット仙台戦だ。工藤抜きで現在3位のロッソに勝ったうえに、次の試合にも工藤が復帰。となりゃあ、この3試合。1stステージでも勝ってるし、アウェーだろうが関係なく手堅く勝って、完全優勝に向けて王手をかけるだろうな。」
「・・・そうだな。」
「・・・ま、オレたちの次の相手のユニティは、トップ下の萩原とゲームメーカーの松田が、9節・ノワールの黒澤・蛇原と激しくやりあって、揃いも揃って累積欠場。(ちなみに黒澤・蛇原は、試合中にイエロー2枚→レッドとなり、いずれも途中退場している。)オレたちに有利な状況なのは確かだろ。」
「まあな。・・で、そのノワールの13節が現在2位のFマリーンズか。・・・あそこの工藤に激似の黒羽。目を付けられなきゃ良いけど。」
「ヒデ。それ笑えねえぞ。」

「・・・だな。」

「・・ま、ここでグチっても工藤がビッグに行っちまった事実は変えようがねえんだし。オレたちはオレ達なりに頑張るっきゃねえよ。ディフェンスは兎も角、破壊力に関しては、どこにも引けをとらねえんだからよ。さ、練習、練習!」

ヒデに景気を付けるように力強く背を叩いて練習用グラウンドに向かったナオキの背を、叩かれたヒデは咳き込みながら追った。13節、新一との直接対決でベストを尽くそうと気持ちを切り替えて。



そして迎えた10節。新一は後半からピッチに復帰。ビッグは大阪ダービーを4−0で圧勝し、優勝に向かって一歩前進したのであった。









「毛利。放課後、職員室に来なさい。」
「あ、はい。」

新一が復帰戦の10節を華々しい勝利で飾った翌日。蘭は職員室に呼び出された。
一体何事かと不安げな蘭であったが、その不安は、すぐに打ち消された。

「呼び立てて済まなかったな。お前が工藤の看病で大阪に行くってことで3週間近く休学してる間に、実は親御さん(英理)と話をさせてもらってたんだが、本人確認をしようにも、戻ってすぐに全国模試と校内の中間考査となってはマトモに話をできる時間が割けなくてな。まあ、これから話す内容を考えれば、結果的にそれで良かったんだが。・・・まあ、前置きが長くなったが。毛利。お前の第一志望は大阪の改方学園看護短大だと以前の進路希望用紙にあったが、それは変わりないか?」
「はい。」
「そうか・・。」
「先生?」

真っ直ぐな蘭の目を確かめた担任は、一つ息を吐くと、机の引き出しの中から書類を取り出してパラパラと繰り、蘭の前に差し出した。

「明日にも廊下に掲示されるが、これが今回のお前の全国模試と中間考査の順位と、志望校に対する判定だ。」
「・・・。」
「これまでお前は真面目にコツコツと努力を重ねていて、日頃から成績はまずまずなんだが、今回は特に良かった。あと、部活動に対する取り組みも真面目で、成績も極めて優秀だ。・・で、単刀直入に言うが、この分なら、お前の第一志望の改方学園看護短大に我が校として自信を持って推薦できるんだが。どうだ、推薦入試を受けてみないか?」
「ええっ?!推薦ですか?!」
「ああ。なんでも改方学園は文武両道がモットーだが、特に武術で有名らしいからな。お前の空手の成績なら間違いなく先方の目に留まると思うし、この判定結果ならペーパーテストも問題ないだろう。推薦を受けるなら手続きをしたいから、親御さんと相談して、なるべく早く返事をくれないか?」
「はい、分かりました!」

新一と誓い合った未来に一歩近づいたと喜んだ蘭は、英理の法律事務所を訪ね、早速、話をした。

「まあ。先生から話は伺ってたけど、推薦を受けられるだなんて。蘭、よく頑張ったわね。あなたなら、きっと大丈夫よ。大阪に行ってしまうのはちょっと寂しいけど、新一君のところに行くんでしょう?・・どうして知ってるかって?有希子から聞いたのよ。これまであなたが頑張ってこれたのも、有希子や新一君が支えてくれてたからだものね。私は反対しないわ。悔いの無いよう頑張りなさい。」



  ☆☆☆



蘭が7歳の時に小五郎と別居状態になった英理は、蘭が18歳になろうかという頃に、小五郎と関係を修復。変わらず住まいは別に持つものの、週末は小五郎の家で家族3人で過ごし・月に何度か平日に小五郎が英理のマンションに通い婚する・・という状況になっていた。
夫婦の事情やその他の事情があったとはいえ、まだ幼かった蘭を置いて家を出た英理は、仕事中心にまい進し、今の名誉・地位を確立した。その分、その間の日常の蘭の心身にわたる支えを有希子とその息子・・新一に(夫は全く当てにならないと英理は思っていた)結果的にほとんど任せてしまった・・という負い目を持っていた。
別居してからは会わなくなった親友の名や、娘の幼馴染(新一)の名を、時折会う娘の口から聞く度に、娘への申し訳なさと親友とその息子への感謝と嫉妬を感じたことも一度や二度ではなかった。でも、数年前、工藤家の顧問弁護士としての職務を引き継いで再会した親友とその息子は、そんな小さな嫉妬を吹き飛ばすほどの人物として其処に居て。時折しか会えない娘があんなにも素晴らしく成長できているのは、ひとえに親友親子のお陰だと思わざるを得なかった。そして、その時、英理は気付いたのであった。
新一が蘭に向ける気持ちと蘭が新一に向ける淡い気持ちに。

「有希子、まさか・・。」
「あら、英理ちゃん、気付いたの?・・・ふふっv、数年後が楽しみよねえ〜v。ねえ、そう思わない?」
「・・・幼馴染十数年で分からなかった事が、夫婦になって数日で分かるのよ。二人が上手くいくかなんて・・・。」
「上手く行くわよ。」
「!どうしてそう断言できるの?私たちはそうではなかったわ。」
「ん〜、なんとなくね。それに小五郎くんと英理ちゃんだって、なんのかんの言って、上手く行ってるじゃない。」
「なっ?!今の私たちの何処をどう見ればそうなるのよ?!」
「・・だって、離婚してないもの。英理ちゃんたちは、二人が二人らしくあるために別居という選択をした。違うかしら?・・・本当にこの相手とダメだって思ったなら、子づれでも別れちゃうもんでしょう?」
「・・・。」
「英理ちゃん。あなたと蘭ちゃんは確かに親子だけど別の人間だわ。同じように幼馴染を相手に選んだからって、迎える未来まで同じとは限らないわ。それに・・。」
「それに?」
「新ちゃんは優作に似てキザでフェミニストでミステリーマニアでサッカー大好きよ。けど、社交的だけど、潔癖っていうか、その〜、所謂女ったらしじゃないし。賭け事に興味示さないし。何より、新ちゃんったら、ホ〜ント、蘭ちゃんにベタ惚れしてるからv。浮気の心配なんてこれっぽっちもナイものv。」
「浮気って、有希子。」
「ホントよ。二人をず〜っと見てきてるけど、新ちゃんが蘭ちゃん以外の子に目移りしたり、感情的になったり、一生懸命になってるトコなんて、今までただの一度たりともないもの。蘭ちゃんを新ちゃんのお嫁さんにくれるなら、蘭ちゃんの幸せは、新ちゃんの母親であるこの私が保証するわよ?」
「・・・蘭が、新一君が良いって言ったら、考えてみるわ。」
「じゃ、決定ねv。」

数年前の親友の予言どおり。
娘は17歳の冬、親友の息子と将来の約束を交わした。
親友の息子は、約束と我が娘への想いのままに、仕事で誰もが認める成果を挙げ。
仕事の都合で離れ離れなのに、娘と親友の息子は、絆を強く深めている。
娘と親友の息子の真っ直ぐで一途な瞳。
若いだけと切って捨てられない確固たる想いを其処に感じて。

二人は、自分とあの人とは違うと。
親友の息子は娘を誰よりも幸せに出来るだろうと思えて。

「そういうわけだから、新一をよろしくね、英理。」
「・・・こちらこそ。蘭を宜しくね、有希子。」

大阪から彼に付添っていた娘が帰ってくるという日、親友からの電話に素直に肯いた自分が居た。



  ☆☆☆



「お母さん、ありがとう。待ってるからね!」

英理に励まされた蘭は、平日にもかかわらず、今日は小五郎の家に帰るからと返した英理に笑顔を向け、弾む足取りで事務所を出て行った。

「お嬢さん、なんだか嬉しそうでしたね、先生。」
「そうね。・・・でも、これから一寸大変かもね。多分、大きな駄々っ子がごねるだろうから。」
「は?大きな・・駄々っ子、ですか?先生。」
「・・・栗山さん。高木君は今日、公判だったわね。話したいことがあるから、終わったら至急戻ってくるよう、連絡を入れてくれる?」
「!はい、分かりました。」

秘書の栗山が下がったところで、英理は優作に電話を入れた。

「優作さん、以前ご相談していた件ですが、後任に考えている人が居ますの。お時間をいただけないでしょうか?・・・・・はい、では、そのように。よろしくおねがいします。」

更に数時間後。英理の執務室に公判を終えた高木が顔を出した。

「妃先生、高木です。お話があるとの事で参りました。」
「公判、ご苦労様。忙しいのに呼び立ててしまって悪かったわね。お掛けなさい。」
「は、はい。失礼します。」
「今日、特に貴方を呼んだのにはわけがあるの。聞いてくれるかしら?」
「はい。」



それから1時間ほどして、英理の申し出に百面相を作った高木が腹を決めた顔で部屋を出てきて。そんな高木を、英理付きの秘書の栗山と高木の年上の同僚で恋人の佐藤が怪訝そうに見詰めた。
この時英理が高木を呼び出してした話は、新一の(事実上の1年目のこの)オフに、明らかになるのであったが、それは後の話。
英理が新一の今季のオフに照準を当てて、顧問弁護士として布石を打ち始めた頃、蘭は有希子にも報告していた。

「んまあ〜、それは良かったわねえ、蘭ちゃん。これも蘭ちゃんの日ごろの努力の賜物よね〜。兎に角、本番までもう間がないものね。身体には気をつけて、頑張るのよ。」
「はいっv。」

手放しで喜ばれ、笑顔で工藤邸を出た蘭は、英理が加わる夕食の席を待って、小五郎に報告した。

「・・・本気で、大阪の学校を受験するのか?」
「うん。」
「・・・ダメだ、ダメだ、ダメだ!看護学校なんて、わざわざ大阪くんだりまで行かなくたって、コッチにだっていくらでもあるじゃねえか!オレは許さんからな!」
「あなた!」
「お父さん!」

小五郎は、流石に☆一徹よろしく卓袱台をひっくり返す・・とまではしなかったが、晩酌のビールジョッキをダン!と台に乱暴に置き、ぷいっ!とそっぽを向き、足音も荒く階段を下りてどこぞへと繰り出してしまった。

「・・・予想通りね。ホント、いくつになっても子どもなんだから。アレなんかより新一君の方が、よっぽど大人としての弁えがあるわね。」

大きく溜息を吐いた英理は、蘭に向き直ると、手を取って言った。

「蘭。あの人は、無駄だと分かってて駄々をこねてるだけよ。だから、推薦の申し込みをなさい。」
「でも・・。」
「良いのよ。あれは単なる“感傷”よ。大阪行きを認めたら、そのまま新一君に蘭を攫われるって、悲劇の父親ぶってるのよ。・・見てなさい。じきに自分でその考えの馬鹿馬鹿しさに気がついて、バツの悪そうな顔で帰ってくるわよ。」
「・・・だと良いけど・・・。」

果たして英理の言う通り。一家団欒の晩餐を自分で蹴っ飛ばして家を飛び出た小五郎は、バツの悪い思いで繁華街を歩いていた。

「くっそぉ〜っ。それもこれも、皆、新一が蘭をたぶらかした所為だ・・。」

そうグチる小五郎を、街の麻雀仲間数人が見咎めたのだが、どうにも声を掛けづらい雰囲気で。

「どうしたんだ?毛利チャン。」
「さあな。帰ってきたとかいう奥さんとケンカでもしたんじゃねえ?」
「いや、蘭ちゃんに叱られたのかもしれねえぞ?」
「何で?今年に入ってから毛利チャン、何でかしらねえけどヤケに付き合い悪ぃじゃん。今日、急に地方に仕事が出来たから〜とか何とか言ってサ。だからさ、麻雀で叱られるってセンは無えと思うけどな。」

顔を見合わせて、小五郎の後姿を見送った。
実際、小五郎の目には、赤提灯もパチンコや麻雀の看板・ネオンもいつになく入らなかったから、麻雀仲間の視線にも小五郎は気付いてはいなかった。
そんな小五郎の足が止まったのは、米花町一丁目の高台にある墓苑に向かう坂道の麓だった。

「・・・。」

暫くその坂道の先を睨むように見据えた小五郎の足は、坂道を登り、墓苑に入って行った。
立ち止まったのは、妃家の墓の前。英理の前に工藤家の顧問弁護士をしていた英理の父・利明の墓前だった。気の向くままに歩いてきただけで手ぶらだった小五郎は、銜えていた煙草を外して手に持って屈み、合掌すると、立ち上がって煙草を銜えなおした。

「(・・・そういえば、オレもいい顔はされなかったっけな・・・。)」

不意に、遠いようで昨日の事だったような昔を・・・互いに大学生なのに、英理を孕ませてしまって、緊張して挨拶に行った日の事を思い返していた。









「何と言った、もう一度言ってみろ。」
「は、はい。ですから、お嬢さんと、英理さんと、結婚させてください。英理のお腹には、俺たちの子どもが居るんです。」
「何いっ、こ、子どもだとっ!!!」
「は、はい〜〜〜っ!」

英理は、早くに母を病気で亡くしていて、弁護士をしている父と祖母に育てられた。その祖母も英理が高校に入る頃に亡くなって。英理は下手ながらに一生懸命に家の事もして、それでいて学年トップの成績で、東都大の法学部に入った。そして、現役学生ながら、司法試験に合格し、大学を中退して修習生になるか、卒業してから修習生になるか・・といったところだった。
片や小五郎は、高校では中の下くらいの成績で、英理と同じ東都大は夢のまた夢。それに実家が持ちビルを所有するものの裕福な資産家というほどでもない毛利の家に、エスカレーターで帝丹大に・・という資産まではなくて。小五郎は自分で必死に勉強して、(市立)米花大に入ったのであった。今でも仕事に役立っている柔道は子どもの頃から続けてたけれど“本番に弱い三四郎”で、試合では結果が出せなかった。
高校時代、ミス帝丹(アイドル女優やってた友人の有希ちゃんと同票だったけどな)で才気ある英理と、暴れん坊とはいかなくてもやんちゃな小五郎が、何故、いつのまにどうやって恋人同士になれたのか・・・未だに友人連中の間でも謎扱いされている。
ただ・・・いじっぱりで、でもはにかみやで。時々、妙に可愛くて。小五郎は、英理の関心を得たくて無意識のうちに、どこか必死だった・・かもしれない。
だから・・・一線を越えたときは、夢みたいで・・・小五郎は、一生、英理を大事にしようと思った。子どもが出来たと知った時は、ビックリしたけど、嬉しかった。
ただ・・英理を溺愛してるオヤジさんの事を考えた途端、震えが走った。
現・法曹界の女王のオヤジさんは、当時、法曹界の帝王と揶揄された高名かつ有能な弁護士だった。
小五郎が、嫌がる英理に乱暴狼藉を働き、孕ませた。
なんて訴えられるんじゃねえか・・・なんて真面目に考えたほどだ。

ところが。
ところが、だ。

子どもが出来たと知ってクワッと目を見開いたオヤジさんは、意外にも、極めて穏やかな口調でその後の言葉をつむぎだした。

「・・・・・そうか。予定日は?」
「・・・5月18日よ、お父さん。」
「そうか・・・。英理。司法修習はどうする?子どもはどうしようと考えてる?」
「大学を卒業してからにしようと思ってる。お産は春だし、今の学年の単位を取りきってから休学するわ。1学年遅れることになるし、学校に行ってる間は子どもを保育所に預けることになるだろうけど、学校はきちんと卒業したいと思ってる。・・・だから、お父さんにも協力して欲しいと思ってる。・・・虫のいい話かもしれないけど・・・。」
「・・・小五郎君。君のご家族はこの事を知ってるのかね?君は、先々どうするつもりだ?」
「両親は、知ってます。孫の世話は喜んで協力すると言ってくれました。オレに、先々のために学校はきちんと卒業しろ、とも。・・・生活費はまだまだ親に頼らなくてはやっていけない部分もあるかと思います。でも、バイトを増やしますし。柔道の腕には自信がありますし・・将来は警察官になろうと考えてます。」
「そうか・・・。」

そのまま真っ直ぐな視線がオレの上に注がれ。
閻魔大王の捌きを受ける死せる魂よろしく固まっているオレに、オヤジさんは、不承不承という体で、一言。

「これから大変だろうが、しっかりやるんだぞ。英理をよろしくな。」

そう言って許してくれた。









それからは、蘭が生まれた時も、オレが刑事を辞める破目になった時も、すれ違いが続いて、とうとう英理が家を飛び出した時も、英理が(イソ弁やめて)独立するって時も・・・影に日向に支えてくれた。

愛娘を孕ませた男が小面憎くない筈がないのに。
でも、許してくれた。
さっきの自分みたいにガキっぽい真似はなにひとつしなかった。

そう思ったら、今の自分が凄く恥ずかしい存在に思えて。
小五郎は、改めて新一と蘭の間柄を思い返してみた。



新一は、英理が家を出てからの蘭の顔が曇らないよう、どれだけ必死だった?
新一の大阪行きが決まって終始寂しそうだった蘭が、笑顔を取り戻した理由は何だった?
二人のそろいの指輪が・・トラブルのネタにもされたが、二人にとってはどうだった?

オレは、新一が嫌いなのか?

否、違う。
この十なん年間。
蘭が嬉しい時・楽しい時・悲しい時・辛い時。
全ての時に蘭に寄り添って支えてきたのが新一だったことが、蘭が無意識に新一を一番に当てにしているのが悔しくて・・・認めたくなくて・・・それだけだったんだ。

「ケッ・・・。オヤジさんの気持ちが分かる時が来た・・・ってことか。」

自嘲の笑みを浮べる小五郎の前に、墓石は何を語るわけでもなく、ただ其処にあった。
でも。自らの幼さを自覚した小五郎の目には、今なお、あの日の様に、自分があの真っ直ぐな目で、オヤジさんが目の前に立って、自分を見据えているような感じがして仕方が無かった。

「・・・帰るか。」

軽く墓石に会釈して墓苑を後にした小五郎は、逆方向に歩いていた時とは違う、幾分スッキリした面持ちで、自宅に戻った。
既に居間は片付けられ、蘭は眠ってしまったようだった。

「(英理は、帰ったのか・・・。)」

どこかガッカリしたような気持ちで居間に入った小五郎は、

「お帰りなさい、あなた。」

徐に掛けられた声に、本気でビックリして振り返った。

「英理。お前・・・いたのか。」
「ご挨拶ね。折角、待っていてあげたのに。」
「そうか。」
「・・・どうやら気持ちの整理がついたようね。明日にでも、蘭とちゃんと話しなさいよ。申し込みの締め切りまで、もう間が無いんだから。」
「分かってるよ。」
「・・・私たちは、あの子の親だけど。あの子のやりたい事を止めて、道をふさいで、人生を台無しにする権利はないものね。」
「・・・。」
「あなた。・・・あの子の選択を信じてあげて。あの子は・・・否、あの子達は、私たちとは違うわ。きっと・・・大丈夫よ。」
「・・・お前も、新一を信じてるのか?」
「新一君だけじゃないわ。新一君と蘭、二人を信じてるのよ。そして、貴方がちゃんと二人を認めてるって事もね。」
「!・・・英理。」
「もう、夜遅いわ。寝みましょう。」
「・・・英理。」

その夜、寂しそうな顔で微笑んだ小五郎を受けとめた英理は、温もりを分かち合いながら小五郎を慰めた。自分を胸に抱いて寝息を立てる小五郎を間近で見詰めながら英理は、親離れ・子離れの分岐点を、小五郎がようやく超える勇気を掴んだのだろうと思いながら瞼を閉じたのであった。









翌朝。朝食の席で、本人としては極めてさり気なく言ったつもり・・の許しを蘭に与えた小五郎は、涙ながらに蘭に喜ばれ。朝っぱらから英理に横目で苦笑気味に見られ、一寸ばかり気恥ずかしい思いをしたのであった。




to be countinued…….




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