森の番人
By 柚佐鏡子様
〈11〉
蘭の魔女裁判は、3日後に行われることになりました。
異端審問所には専門の審問官がいて、まず彼らが、予審として教会の教えに背く異端者であるかどうかを取り調べますが、判断の最終的な責任者となるのは町の領主です。
魔女の問題は、大きくは町の治安に関する問題として、住民の代表たる領主に管轄権がありました。
ところが、この町の領主とくると、近頃金策に苦労してあちこち駆けずり回っているので、即日裁判を開こうにもすぐにはつかまらず、開催日が3日後となったのです(注・いわゆる「魔女狩り」の魔女裁判とは似て非なる物とお考え下さい。今後、お話の展開により都合良く制度が変化してゆきます・汗)
3日の間に、蘭に関する悪い噂が町を飛び交いました。
一種の集団ヒステリーのようなもので、本来なら蘭の長所として好かれていたはずの可憐な姿も「魔女の惑わし」、一本気で権力に屈しないところも「魔女のふてぶてしさ」、流れるような見事な体術も「魔女の妖術」などと称され、中傷がすごくて、外を歩けば石でもぶつけられかねない勢いです。蘭はもはや家から一歩も出られないような状態に陥ってしまいました。
そんな中、彼女の本当の親友である園子だけは、世間の噂に惑わされず、蘭を元気づけるために、蘭の家まで訪ねてきていました。
「それにしても大変なことになったわね、蘭」
園子は怒ったように言いました。
「だいたい、蘭が魔女なわけないじゃない!どいつもこいつもつまんない噂を真に受けちゃって、ハラが立つったらありゃしないわ!」
「ありがとう、園子。園子にそう言ってもらえるだけで、本当に心強いわ」
そう言って笑顔を浮かべる蘭でしたが、彼女が心ない噂にとても傷ついていることは、園子にはよく分かっていました。
「あのね、蘭。私に考えがあるの」
園子は今日、その話をするためにわざわざ訪ねてきたのです。
「前にも言ったように、この町の領主様は、今、借財を重ねて資金繰りに四苦八苦しているんだけどね。実は我が鈴木家からも多額の借り入れをしているの。だから、ウチのパパに頼んで圧力をかけてもらえば、領主様も蘭に処罰なんか与えられないはずよ」
園子のアイディアは本当にありがたいし、大変現実的な方策であって、思わず縋りたいくらいでしたが、それでも蘭は心を強くして断ります。
「そんなことしたら園子の家に迷惑がかかっちゃうじゃない。だめだよ、そんなの」
「でも蘭!それじゃ、どうするのよ!?」
園子は興奮して、つい大声を出しました。
審問所での取り調べは、伝え聞くところによれば、凄惨で残忍のみならず、女性として耐え難い辱めを受けるそうです。審問官全員(勿論男性です)の前でドレスも下着もひとつ残らず脱がされ、全身を隅々まで調べられた挙げ句、生まれつきあった小さなアザなどをもって「悪魔と契約した証だ!」などと決めつけられ、それから悪魔払いと称して裸のまま鞭打たれたり、そのまま氷の浮いた水槽に沈められたりと、この世のものとは思われない拷問が待っています。
激しい拷問で衰弱しきったら、今度は磔にされて公衆の晒し者。
最終的には生きたまま火あぶりにされ、ただ魔女として哀れな生涯を終えるしかないのです。
「蘭がそんなめに遭うなんて、私、耐えられない!蘭を助けたいの!お願い、私にも何か協力させて!」
園子はそう言って、ボロボロと涙を零しました。
いつも明るくて気の強い園子がこれほどまでに泣くのは、親友の蘭でさえ初めて見る光景でした。
「ごめんね園子、心配かけちゃって…。でも、本当にありがとう…」
蘭も、思わずもらい泣きしてしまいました。
少し前までは、園子がどこかへ嫁ぎ、自分が修道院に入るから離ればなれになると思っていたのに、まさかどちらかが磔にされてお別れすることになるなんて、今まで考えてみたこともありません。
ふたり手を取り合って、泣いて泣いて。それから少し落ち着くと、園子は涙を拭いながら言いました。
「ねえ、蘭。あの9日間、蘭は本当はどこで何をしてたの?もうこうなったら、それを正直に言うしかないよ?」
結局、誰に聞いてみても、いつも話はそこに戻ってくるのでした。新一のことを言わないでおこうとするから、ただでさえ窮地に陥っている蘭が余計に怪しまれてしまうのは分かり切ったことでしたが、彼女はそれでも、
「でも…」
と言い淀みます。
最後の晩、新一は思いもかけず優しい言葉をかけてくれましたが、それでも、蘭にしてみれば、自分は新一のために何もできなかったという思いの方が強くて、そんな自分にできることといえば、“森で新一と会ったことを誰にも言わない”という例の約束を守ることしかない、と頑なに信じていました。
「…蘭も相変わらず頑固よねえ」
園子はわざとらしく呆れたように言いましたが、続けて発した言葉は、至極真剣なものでした。
「蘭がどんな秘密を守ろうとしているのかは分からないけどね。蘭のことだから、きっと何か深い訳があるんでしょ?でもさ、よく考えてみてよ?それ言わなかったら、あんた殺されちゃうんだよ?拷問して取り憑いた悪魔を追い払ったら、真人間に戻って死後は天国に行けるなんて教会は言うけど、私はそんなの信じてない。死んじゃったら何もかも終わりじゃない!蘭が天国に行ったって言われるより、たとえどんなことになっても、私の目の前で生きててくれることの方が、私はずっと嬉しいよ…」
園子の言葉に、蘭は新一に言われた言葉を重ね合わせました。
“蘭はそのままで、ただ生きていてくれればいい”
教会の教えなんか関係無しに、あの時の新一の言ったことと全く同じ気持ちを、園子は伝えていたのです。
蘭は、園子にだけは本当のことを言おうと決意しました。
そうしたところで、新一が約束を破ったと怒ったりはしないだろうし、もしも本当に自分が処刑されるようなことになったら、親友に秘密を抱えたままお別れすることになってしまうということに気づき、それが嫌だったからです。
「はあぁぁ!?何ソレ!?」
蘭が米花の森での出来事を一通り話し終えると、園子は興奮ぎみにまくし立てていました。
「それじゃ蘭は、その新一とかいう得体の知れない男との約束を守るために、自分が犠牲になろうってわけ!?」
「得体が知れないって…新一はわたしと歩美ちゃんを助けてくれた人だよ?」
まあ、そう言われるだろうとは思っていましたが、蘭がやんわり否定すると、
「そりゃあ、蘭にとっては行き倒れたところを救ってくれた命の恩人かもしれないけどさ。でも今は蘭を窮地に陥れてる張本人じゃない!そんな奴に義理立てする必要なんかないって!だいたい、蘭に話した素性だって本当かどうかも分かんないじゃん?そいつ、ただの山賊かもしれないし」
と、園子は尤もな疑問を呈します。
「新一はそんな人じゃないよ!」
親友が新一を悪く言うのが居たたまれなくて、蘭は不満そうに言い返しました。
「新一は…少し口が悪いし、初めて会った時から意地悪で、いつも自信たっぷりで、ずっとひとりで暮らしてたから結構勝手気ままなとこがあって、確かにちょっと変わってはいるかもしれないけど…でも本当はすごく優しくて、頼りになって、勇気があって、かっこよくって…。わたしね、新一の言うことなら何でも信じられる気がするの。だって新一、とてもまっすぐな目をしてるんだもん。とにかく、園子の言うような悪い人なんかじゃないからね、絶対!」
一生懸命になって擁護する蘭を呆れたように見つめた後、彼女の肩をポンと叩き、園子がたった一言−−−
「分かった分かった。蘭はその新一君とやらに惚れちゃったわけね」
「ほ、惚れ…って、そ、そんなんじゃないわよ!わたしはただ、園子が新一のこと誤解してるみたいだからっ!」
途端に真っ赤になる蘭に対し、
「そーんな真っ赤な顔して言ったって、全然説得力ないから」
園子はイヒヒと人の悪い顔で笑っていましたが、すぐに真面目な顔つきになって、言いました。
「…分かった。蘭がそこまで好きになった相手なら、ちょっと気にくわないけど、わたしも新一君のこと信じることにする」
正直、園子としては、蘭には自分にくらい心置きなく頼って欲しいという思いがありますが、たとえどんなピンチに陥っても、そう易々と人に頼ったりしないところがいかにも蘭らしいと受け入れてもいました。
それは新一に対しても同じで、彼女が自分よりも新一を優先したわけではないこともまた、園子はちゃんと理解していたのです。
「でも、悔しいけどここはやっぱりその新一君にご登場願うしかないわよね。わたし、米花の森に行って彼にこのこと知らせてくるわ。蘭のピンチにのんびり森に籠もってる場合か!って」
「ダ、ダメよ!」
今度は蘭が園子を止める番でした。
「新一の家って、森の中でも奥まったとこにあるから、きっとたどり着く前に迷っちゃうよ!あの森で迷ったら二度と無事で出られないって、新一も言ってたし…」
「それは蘭が方向音痴だからだって。だいたい、そう言う新一君だってちゃんと迷わないで暮らせてるんじゃない。だったらきっと大丈夫…」
「違うよ!新一も迷わないように、所々重要なポイントに目立たない印つけてるって言ってたもん。7年もあの森に住んでる新一だって、そのくらい迷いやすいんだって!」
必死で止める親友を横目で見ながら、
「だったらますます話は簡単じゃないの。ねえ、それってどんな印?」
渡りに船とばかりに園子が尋ねると、蘭はそこで急に黙り込み、
「そ、それが…」
と言葉を濁しました。
実は蘭も、新一との再会の手助けになればと、しつこく何度も聞いたのですが、ついには教えてもらえずじまいだったのです。
その時の新一の言い分とくると、
「オメーの方向音痴は筋金入りみたいだからな。目印知ってたところで、それに惑わされてますます迷うだけだろ。んなの意味ねえから教えねー」
という、いかにも人を食ったものだったのですが、本当は蘭を森から遠ざけるための嘘だったのだと、今では理解できます。
「ぐぬぬ…肝心な時に使えない男ね」
園子の毒舌は相変わらず健在でしたが、僅かな手がかりさえあれば、どうあっても再び必ず会いに来るであろう蘭の性格を正しく見抜き、彼女を危険に晒さない為には悪者になるのも辞さないという新一の真剣さに触れて、密かに彼に対する認識を改めたのでした。
その後も、ああでもないこうでもないと長時間に亘って話し合った蘭と園子でしたが、結局はこれといった妙案も見いだせないまま、徒に時間ばかりが過ぎてゆきました。
夜になると、園子は自分の屋敷に帰っていきましたが、その一部始終を、人知れずじっと見ている人影のあるのことには、蘭も園子も全く気づいていませんでした。
3日間の猶予が与えられたからと言って、蘭の置かれた状況が好転することはありませんでした。母の英理が、もうこうなったら親子3人、どこか遠くへ姿をくらましましょうと深刻な表情で切り出した時、
「バカじゃねえのか、オメェは!逃げてどうするってんだ!」
と激怒した小五郎に、英理は更に怒って言い返しました。
「だってあなた!このままじゃ蘭は…!」
「死なせやしねえ!俺達の娘だぞ!?冗談じゃねえ…!」
ギリリと奥歯を噛みしめる父の表情も、日頃は気丈な母が真っ先に逃げようなどと言い出したことも、蘭にとっては胸が張り裂けそうなほどつらいことです。
新一との約束は大事ですが、そのせいで両親や園子まで巻き込んでしまっている現状を、蘭は痛いほど実感していました。
(新一…わたし、どうしたらいいの…?教えてよ、新一…!)
蘭は心の中で、愛しい彼の幻影に問いかけていました。
To be continued…….
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