森の番人



By 柚佐鏡子様



〈12〉



異端審問の当日、審問所の周りは数多の野次馬でごった返していました。
そもそも魔女裁判は、社会に不満を感じている民衆達にとって、絶好のストレス解消の道具になっているという残酷な側面があって、そのうえ蘭は貴族でも何でもないので、プライバシーが保護されることもなく、格好の見せ物になっていたのです。

「それにしても、なんて美しい娘だろう」
「いや。あれがかえって怪しいのさ。あの美貌で皆を欺こうとしてるんだよ」

野次馬達はそれぞれに好き勝手なことを言っています。
町には、美しく心優しい蘭に恋慕の情を抱いていた男達がたくさんいましたが、どれもこれも父である小五郎からけんもほろろに求婚を断られていたので、それを逆恨みした男の中には、その無念の思いを、今になって見当違いな方向に爆発させている者もちらほら見受けられました。

やがて、皆が待ち受ける中、しばらく町を留守にしていた領主が審問所に到着しました。
ぞろぞろと何人ものお付きの者を引き連れての、今の経済状態には全く見合わぬ大層なお国入りといった風情でしたが、その中に、周囲の者とは一線を画した不思議な人物がいることに、目聡い者は気づいていました。
それは、町の皆が全く見たことのない、王侯貴族風のダンディーな紳士です。
優しげな顔をしていますが眼光鋭く、いかにも切れ者というふうで、身なりや立ち振る舞いも相当に洗練されており、領主は、自分より年下らしいその男性に、やたらペコペコと気を遣っているようでした。

「ははーん。あれが領主様の主従関係を結んでいる諸侯ね」

そう呟いたのは、蘭のことが心配で矢も楯もたまらず、家の者にも黙って審問所を訪れていた園子です。
諸侯というのは、この町以外にもいくつかの領地を所有しており、それら全部を自分で管理するのは不可能なため、何人かの自分より身分の低い貴族と主従契約を結び、それぞれに各地の領地管理を任せているのです。
従って、現在の領主は、領主と言っても実質的には雇われ社長のような立場で、なおかつ、最近では税収も上がっておらず、自身も借金で首が回らない状態となれば、諸侯から主従契約を打ち切られかねない、彼にとっては絶体絶命の危機に直面した状態と言えましょう。
主従関係を切られたら、彼は領主の肩書きもなくなり、今まで自由に出来ていた税収も奪われ、没落貴族として路頭に迷ってしまいます。
だからこそ噂で聞くように、ああやって諸侯に泣きつき、自分がこの町の領主として如何に立派な仕事を為しているかを面前でアピールしようという魂胆に違いありません。
こうして、妙におどおどしている領主、泰然とした諸侯、神経質な異端審問官達、それから、告発者としてギルドの議長が揃い、彼についてきている多くの従者達に囲まれる形で、蘭の魔女裁判の予審が始まりました。

「さて、織物職人・毛利小五郎の娘、蘭。お前には魔女の嫌疑がかけられている。その理由は9日間失踪し、米花の森で開かれたサバドに参加していたこと」
「そ、そんなの参加してません!!」
「言い訳は後で聞く。静かにしていたまえ」

審問官は淡々と蘭の罪状を並べ立てます。
どれもこれもでっちあげなのですが、審問所の取り調べなんてのはまず罪状ありきで、あとは噂やら憶測やらで適当に理由付けをしているのが実情でした。

「次に、妖術を用いて不治の病・黒死病を治したこと。これは、神の領域をも侵さんとする、実に恐ろしい行為である。それから、またしても魔術を用い、町中の男を虜とし、彼らの仕事の手を折り、骨抜きにした。商業の生産性を下げ、町の荒廃を企む魔女的な所業だ」

前者は全くの誤解、後者など、ただ単に町の男達が蘭に恋したという話に過ぎないものを、言いがかりもいいところです。

「更には、以前は熱心に礼拝していたが、近頃では教会での礼拝中も上の空であり、全く神を信仰していないとの報告も上がっている」

たしかに、新一と別れてからは彼のことばかりが気になって、悠長に礼拝どころではない心境の蘭でした。
それに、今までは何の疑問も抱かず素直に教会の教えを信じてきましたが、志があっても、女性だからという理由で大学への入学が許されない志保の身の上や、新一の両親の結婚をめぐる妨害話、更に、これまで新一の置かれてきた差別的な環境に思いを馳せると、以前ほど盲目的に教会の教えを信じることができなくなってしまったのも事実です。
世の中には、ただ祈るだけでは解決できない色々な何かがあるのもしれない、という疑念を抱き始めた彼女が、まこと純粋に礼拝に没頭できなくなってしまったことをもってして背信的だと捉えれば、捉えられないこともないのでしょう。

「よって、当審問所ではお前を魔女と判断し、予審を終えたいと思う。引き続きお前の処分を領主の裁きに委ねようと思うが、その前に調書作成の必要があるから、念のためにお前の言い分を聞いておく。なお、全て自白した上で改心するなら、今しかないことをここで通告する。素直に罪を認めるなら情状酌量の余地もあるが、何か言い分は?」

完全に決めつけ口調で取り調べを終わらそうとする審問官をきっと睨み、蘭は、

「わたしは…魔女なんかじゃありません」

と言い返しました。

「お前も往生際が悪いな。これだけの証拠が挙がっているものを、まだ言い逃れようというつもりか。これ以上審問所の権威を冒涜するなら、お前だけでなく、お前の家族や、本件に関わった宮野志保も厳しく取り調べなければならなくなるが、それを分かって言っているのか?」
「そ、そんな…!」

思ってもみなかった審問官の脅しに、蘭は愕然としました。
なんだかんだ言っても自分の認識が甘かったのかもしれないとひどく後悔しましたが、もはや後の祭りです。
自身に魔女容疑をかけられながらも、誠心誠意話をすればきっと分かってもらえるはずだと信じていたのに、実際にはその機会さえも与えてもらえない。
審問なんて全く名ばかりで、勝手に容疑者にされ、勝手に罪を決めつけられ、勝手に裁かれるのです。
これなら、一応は歩美を呼んで葡萄酒の味を確認してくれたギルドの査問の方が、まだマシなくらいでした。
呆然とする蘭に、

「さあ。言い分は?ないなら今すぐ改悛し、赦しを請いなさい」

と、審問官は迫ります。
「………」
「さあ。何故黙っている?先に述べたとおり、赦しを請うなら今だけだ」

「わ、わたしは……」
ここで反論すれば、家族や志保に迷惑をかけてしまう。
それは分かっていても、そうかと言って偽りの誓いを述べることもできず、黙り込む蘭でした。
短い沈黙が続いた時、

「ええい!もうよい!」
と突然に大声を上げたのは、今まで黙って取り調べを上覧していた領主でした。

「その者は魔女に決まっておる!答えられないのが何よりの証拠ではないか!いつまでもこんな茶番に付き合ってはおられん!さっさと自白させて処刑するがよい!!」

いきなり狂ったように怒鳴り出した領主は、己が悪魔に取り憑かれたかのような形相で、

「魔女の関係者も皆、悪魔の手先じゃ。この者の取り調べが終わったら、家族も徒弟も宮野志保も、ひとり残らず全員捕らえよ!」

と命じます。

「ま、待って下さい、領主様!家族やお弟子さんは関係ないです!第一、わたしは魔女なんかじゃ…」

弾かれたように、焦った蘭がようやく反論を開始しても、

「ええい、うるさい!神を裏切り、人倫にもとる魔女の分際で、家族を庇おうとは笑わせる。その美しい顔で皆が簡単に騙されると思ったら大間違いだぞ、毛利蘭」

せせら笑う領主の顔には、どこか歪んだ欲望が滲み出ていました。
第一、彼は浪費家で政情にも疎く、ずいぶんと頼りない領主ではありましたが、これほどまでの暴君ではなかったはずです。
この変わりようときたら、やはり諸侯の前で、自分が権威ある支配者であることをアピールしようという浅薄な作戦のひとつなのでしょうか。

−−−バターン!

と、そこに、ドアを開けて突然入室してきた人物がいました。
それは、一般の野次馬達と違い、鈴木家の顔パスで審問所の中にまで入り込み、ドアの外で密かに審問の様子を盗み聞きしていた園子でした。

「そ、園子!?」

驚いたのは蘭だけはありません。彼女のあまりにも唐突な登場には、領主も諸侯も審問官も、一瞬きょとんとしてしまいましたが、

「なんだね、君は!神聖な予審法廷に勝手に入室するとは何事か!」

我に返った審問官は、当然のことながらすぐさま彼女を退廷させようとします。
そんな審問官を、生来の負けん気で嘲笑し返した園子は、

「なーにが神聖よ!こんな茶番、こっちが笑っちゃうわよ!卑怯者!!」

と臆面もなく領主に向かって啖呵を切りました。

「何よ、権力者ぶっちゃって!あんたの狙いは分かってるのよ!蘭と、ついでに蘭の家族も皆まとめて処罰して、蘭の家の財産を没収しようって魂胆でしょ!?いくら資金繰りに困ってるからって、そんな手段で自分だけ助かろうとする人を領主様なんて呼べないわ!」

魔女裁判で処刑された者の財産は、裁判費用等を差し引いた後、領主と異端審問所で分配する決まりになっていました。
蘭自身の財産など大したものではありませんが、小五郎と英理の財産となると、それなりにまとまったものがあります。領主がそれに目をつけたらしいことに、園子は目聡く気づいたのです。
そして、全て本当のことだけに、園子の指摘は領主の逆鱗に触れてしまったようでした。
今こそいいところを見せなければならない諸侯の前で大恥をかかされたわけですから、怒りのあまり真っ赤になってぶるぶると震えています。
しかし、いったん悪魔に魂を売り渡した者は、どこまでも堕ちていくものなのでしょうか、

「うぬぬ…このような侮辱、まともな人間の行動とは思えん。さてはおぬしも魔女だな?いや、そうに違いない!」

と、今度は園子にまで魔女容疑をかけたのです。

「ま、待って下さい!園子は関係ありません!園子はわたしを助けようとするばかりに…」
慌ててとりなそうとする蘭の言葉を、当の園子が遮りました。
「蘭!謝ることなんてなんてないわよ!こんなの間違ってる!こんなの、取り調べでも何でもないじゃないっ!」
「そうだけどっ…!でも、園子まで巻き込むわけにはいかないわ!お願い、ここは領主様に謝って…」
「嫌よ!謝らなきゃなんないようなことは何もしてないもん!こんな奴の機嫌をとって、蘭を見殺しにするなんてできないよ!」

そんな親友同士の切実なやりとりが、かえって己の理不尽さを実感させるのか、領主は逆ギレしてますますいきり立つのでした。

「ええい、やかましい!ふたりともごちゃごちゃとうるさいわ!おい、この娘も魔女だ!今すぐ捕らえろ!」
それはあまりにもムチャクチャすぎるだろう、と思わず躊躇している従者達に、領主が大声で命令し、園子の身を拘束しようとした、ちょうどその時です。

−−−バリーン!

と、突然部屋の窓ガラスを素手で破って、若い男がひとり乱入してきたのです。
その男の顔を確認するや、蘭は、

「きょ、京極さん!?」

と、思わず素っ頓狂な声を上げました。
見事なまでに逞しい体躯、浅黒い肌を持つその青年・京極真は、小五郎の徒弟のひとりでした。
あまりベラベラと喋るタイプではありませんが、黙々と仕事の打ち込むタイプで、人柄も謹言実直、織物の腕も並外れて素晴らしく、蘭の婿養子話が出た際には、実は一番の候補として上がっていたほどの人物なのですが、当の本人はどうも乗り気ではなかったらしく、

「私は、蘭お嬢さんと結婚するべき者ではありませんから」

と、自分から断ってきたという経緯がありました。
と言っても、それからも小五郎の下で修業を続けており、工房の中でも特に信頼の厚い徒弟のひとりです。
その真が、今まさに捕らえられようとしていた園子に、迷いなくその手を差し延べました。

「園子さん、さあ、早くこちらへ!」
「え……ええっ!?」

園子としては、彼はてっきり親方の娘である蘭を助けに来たのだろうと思っていたので、いきなり自分に手を差し延べられたことに驚き、戸惑ってしまいます。
なかなか自分の手をとろうとしない園子に焦れたのか、

「失礼します!」

と、真は突然に園子の体ごと抱きかかえました。

「きゃ、きゃあぁぁぁ!」

叫ぶ彼女を抱きかかえ、

「蘭お嬢さん。園子さんは確かに私がお預かりしました。必ず無事に鈴木邸まで送り届けますから!」

と蘭に告げました。
その表情の真剣さを見た瞬間、鈍い蘭でもさすがにすぐに気づきました。
真が、園子に恋しているということを。そして、この緊急時だからこそ、蘭にははっきり分かったのです。
今までずっと考えていた、園子を一生大切にしてくれる運命の男性が、京極真その人であったことを。

「京極さん!園子を…園子を宜しくお願いします!たとえわたしの身に何があっても、園子にだけは幸せな一生を送って欲しいから…!だから、園子のこと、頼みます!」

蘭のそう叫ぶ声をバックに、

「了解しました!園子さんは私が必ず……!!」

幸せにしますから、という真の声は、風に千切れて誰の耳にも聞こえませんでしたが。
来たときと同じく窓から外へ飛び出し、園子を横抱きにしたまま韋駄天の如く逃亡を図った真の表情は、真剣そのものでした。




To be continued…….






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