森の番人



By 柚佐鏡子様



〈13〉



「はぁ…どうやら追っ手は撒いたようですね」

異端審問所からの大脱出を図った真と園子ですが、真の並外れた俊敏さと脚力、それから、審問所付近に集まっていた多数の野次馬のおかげで、幸い首尾良く追っ手を撒くことができました。
そのことを確認すると、真は、ここまでしっかりと抱きかかえていた園子をようやく地上に降ろし、

「ここまで大変な思いをさせてしまいましたね。さあ。これからあなたのお屋敷に到着するまで、私がしっかりお守りしますから、先を急ぎましょう」

何事もなかったかのようにそう言って、彼女の手をとり、帰途を急ごうとします。
と、そこで、ここまで何が何だか分からないままに連れて来られてしまったものの、急にハタと我に返った園子が、

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

と食ってかかりました。

「はい。何ですか、園子さん」
「何ですかじゃないわよ!どうして…こんなことしたの?あなたは蘭を助けに来たんじゃなかったの?」

園子が真っ赤なのは、さっきまで真に抱きかかえられ、その逞しい胸板に顔を押しつけられていた恥ずかしさもあったのですが、それ以上に、予想外の彼の行動に興奮していたせいもありました。

「どうして蘭を置いて来ちゃったの!?蘭と一緒じゃなきゃ、私だけ助かったって意味ないじゃない!」
「落ち着いて下さい、園子さん。…あなたが親友の蘭お嬢さんを心配して、彼女を助けたいと思う気持ちは分かります。ですが、あの状況でふたりともを救出するのは現実的に無理だ。蘭お嬢さんには悪いが…私は、まずはあなたを助けることしか頭にありませんでしたよ」
「えっ…!?」

想像もしていなかった真の答えに、思わずあっけにとられる園子の顔を、真剣な目つきで眺めていたかと思いきや、次に真の口からこぼれ落ちてきたのは、なんとお小言でした。

「だいたい、あなたもあなただ。追いつめられている領主相手に、しかも諸侯の面前であんな啖呵を切ったら、かえって逆鱗に触れることくらい、すぐに分かりそうなものだが…」

至極当然と言えば当然のお説教を聞かされ、しかも、少し頭が冷えると全く彼の言うとおりなのが妙に癪に障ったのか、

「だ、だってしょうがないじゃない!ロクに調べもしないで蘭を魔女に仕立て上げようとしたのが、ムカついてしょうがなかったんだから!」

と園子は言い返します。

(一体何なのよ、この人…。いきなり乱入してきて、いきなり私を攫って脱走を図って、今度はお説教?どーゆーつもりよ?)

訝しむ彼女から不意に不意に背を向け。

「まあ…あなたのそんな純粋なところに、私は惹かれたんですが」

と、真はボソリと呟くように言いました。

「えっ…!?」

その呟きを聞き逃さなかった園子の顔色が、俄にポッと赤くなります。
そもそも園子は、真のことをそれほどよく知っているわけではありません。
ただ、親友の蘭の家には京極という名前の将来有望な徒弟がいて、一時は蘭と縁談の話もあったけど立ち消えになった、ということくらいしか知らず、彼の顔だってよくよく眺めたことはありませんでした。
しかし、今こうして改めて真の顔を見てみると、意思の強そうな精悍な顔立ちが、実はかなり自分のタイプであることに、園子は今更ながらに気づきました。

「で、でも、あなたは蘭のことが好きなんじゃ…。蘭と縁談があったって聞いたけど…」

抑えきれない胸のときめきを感じながらも、辛うじて園子がそう言うと。

「蘭お嬢さんのことは、親方の娘さんとして以前から敬意を払っていますが、それ以上の感情はありません。私が心惹かれて、恋い焦がれていたのは、園子さん。あなただけですよ」

真は思い切ったように、今まで秘めていた恋を告白したのです。

「あなたは知らないでしょうけど、私は何度か、礼拝の帰りに蘭お嬢さんと一緒だったところを見て、あなたを知っていたんです。とても可憐な方だと心惹かれていましたが、あなたは鈴木家の令嬢、一介の職人である私とは立場が違いすぎると半ば諦めていました」

真が人知れず垣間見ていた園子は、全く財閥の令嬢ぶってはおらず、いつも蘭と楽しそうに笑い、喋っていました。
はしゃぐ時には本気ではしゃぎ、からかう時には本気でからかい、呆れる時には本気で呆れ、元気いっぱいで表情豊かで、真の目にはこの上なく魅力的な女性に映っていたのです。
まだこの段階では、何の具体性もない、ただ遠くから眺めているだけの朧気な恋心に過ぎなかったのかもしれませんが、だからと言って、生真面目な真が、園子という気になる女性を心の片隅に住まわせておきながら、それはそれとして他の女性と付き合ったり、一緒になることなど到底できるはずもなく、せっかく小五郎の勧めてくれた蘭との縁談も、良い話だとは重々分かっていながら、自分から断ってしまいました。

そうこうしているうちに突如として起こった、蘭の魔女騒動。
悪い噂が町を駆けめぐり、皆が蘭に対する今までの評価を翻す中で、園子だけは何も変わらず、家にまで訪ねてきて蘭を励ましていました。
そして、こんな事態になった理不尽さに本気で怒っていたかと思いきや、蘭の行く先が心配だと涙を零しているのを物陰から見た時、真の心は、完全に園子に奪われてしまったのです。

「あんなに感情露わに、親友のために怒って泣けるあなたの純粋さが、私には眩しかった。あなたのそんなところを、私は好きになったんです」

けれども直情型な園子のこと、家人が止めたところで蘭の魔女裁判の日には絶対に異端審問所を訪ねるに決まっているし、下手すれば予審法廷にも乗り込んでいって、勢いに任せて一波乱起こしかねないという真の予想は見事的中。
だからこそ、人目を忍んで園子の様子を窺っていた彼が、園子のピンチに窓を破って乱入してきた、というわけでした。

「人知れず後をつけるなんて、あなたに嫌われるかとも思いましたが…ストーカー呼ばわりされるのは覚悟の上でした。それより、園子さんが無事でよかった」
「ま、真さん…」

園子の顔色が、更に一段階ぽわんと赤くなりました。
何事にもサバけていて一見イケイケな令嬢に見えても、実際はウブで純情な彼女は、訥々としながらも相当熱い真の告白に、一発KOされてしまったようです。富豪の娘ということで、求婚者だって今まで星の数ほどいましたが、どの男も打算的で、皆、鈴木家の富と名声ばかりを狙っているような気がして嫌気がさしていた矢先だけに、彼女の心は、一気に京極真一色になっていました。
今や夢中で真の姿を眺めていると、彼の腕に僅かながらに血が滲んでいることに、遅ればせながら園子は気がつき、青くなりました。

「たっ、大変!大丈夫?真さん!」
「ああ、これですか」

何事もなかったかのように腕に刺さったガラス片を払い取りながら、

「別に大したことはありませんよ」

と言う真。

「ごめんなさい…!私のために、真さんを危険なめに遭わせて。あなたは職人さんなのに、大切な腕に傷を負わせてしまって…」

半泣きになりながら謝る園子に、

「ご心配には及びませんよ。私は織物の修業の傍ら、精神修養をかねて体術の訓練もしてましてね。蘭お嬢さんに稽古をつけていたのも、この私なんですから」

と、ニコリと彼は笑いました。

「だから、彼女の体術が“魔女の妖術”なんかではないことは、私が一番よく知っているつもりです。ひとが鍛錬して身につけたものを妖術呼ばわりするとは、全く心外ですよ」
「そうだったの…」

蘭の体術がすごいことは、園子もよく知っています。
真はその師匠ともいうべき存在らしいのですから、それはもう半端の強さではないのだろうと朧気ながらに想像し、少しだけ安心しましたが、不意にもうひとつの心配が頭に浮かんできました。

「でも、領主様は私まで魔女呼ばわりして喚いていたわ。私も魔女裁判にかけられちゃうのかしら?」
「あれはただ、園子さんに事実を指摘されてカッとなって喚いただけでしょう。魔女云々とは全く性質の違う話です。まあ、園子さんに重いお咎めがあるとも思えませんが、仮に追っ手が迫ってきたところで、鈴木家の令嬢であるあなたに対して審問所の召喚状など発行できないでしょうし。とにかく、ここは早々に鈴木邸に退避するのが一番です。さあ、先を急ぎましょう」

真はそう言うと、再び園子を抱き上げました。

「キャッ!」

驚き赤面する園子をさっきよりもしっかりと抱きかかえ、

「やはり、私が園子さんを抱きかかえて走った方が早そうですからね。しばらく我慢していて下さい!」

と説明する真の顔も真っ赤で、ただ、その方が早いからという理由だけで園子を抱き上げたのではないことは、一目で見て取れました。
彼も自分と触れ合いたいのだと察した園子も、それに応えるように黙って真の首に手を回し、ギュッと抱きつきます。
そして、恐ろしいスピードで鈴木邸への道を走りながら、真は言いました。

「園子さん。私はこれからもっと修業を重ねて、あなたに相応しい男になります。あなたのご両親も許してくれる、立派な男になって、必ずお迎えにあがりますから、それまで待っていてくれますか?」
「真さん…」

嬉しさの中にも、ほんの少しだけ迷いが含まれたような園子の呟き。
素直に「はい」と言ってくれないその理由を、真はちゃんと分かってしました。

「蘭お嬢さんのことなら、私も同じ気持ちです」

真とて、園子さえ救出できたら蘭のことはどうでもよいわけではありませんでした。尊敬する親方の娘として、体術を学ぶ同士として、また、何よりも園子が親友を失って悲しみにくれることがないようにするためにも、何とかして蘭の魔女疑惑を晴らしたいと考えていたのです。

「私はさっき、蘭お嬢さんと約束しましたからね。園子さんを必ず幸せにすると。だから、私が約束を果たしたことを見届けてもらうためにも、蘭お嬢さんには絶対に生きていてもらわないと困るんです。それに、蘭お嬢さんがそばにいなければ、園子さんは心から幸せになれないでしょう?」

強い口調で話すその様子から、真が、自分と蘭との関係を正しく理解してくれていること、それから、ほんの一時的な気の迷いではなく、自分との将来を真剣に考えてくれていることが分かって、園子は心から嬉しくなりました。

「そ、そうよね!私の夢はカッコよくて優しい旦那様とラブラブに暮らすこと。それで、同じ状況の蘭がすぐ近くにいて、家族ぐるみで仲良く暮らすことだもの!私の夢、叶えてくれるんでしょ?真さん」

ようやくいつもの園子らしさを取り戻したのを確認して、

「ええ。努力します。決して、長くお待たせはしませんから」

と、真は律儀に誓い、なおも強く園子を抱きしめるのでした。




To be continued…….






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