森の番人



By 柚佐鏡子様



〈14〉



同じ頃、異端審問所では−−−

「領主様。先程の侵入者ですが、外の野次馬どもにまかれて取り逃がしたようです」

領主にとっては面白くない報告がもたらされていました。

「それから、あの娘ですが…調べたところ、鈴木家の二女・園子嬢だったようで」

元々園子を魔女呼ばわりしたことにも無理がありましたが、それ以外にもこの領主には、鈴木家から多額の借入があるという個人的な弱みもあり、これ以上園子を追及するのは無理だと悟ったようで、

「…もうよい。それより、予審を続けよう」

と、白けた様子で告げました。
園子と真の乱入で、蘭の取り調べは一時中断されていましたが、どうやらまた再開されるようです。
それは園子が無事に逃げ仰せた証拠だと、自分の立場も顧みず、蘭は心からホッとしました。
そして、この独裁的な審問所の中では、悲しいけれど、いくら何を反論しても無駄らしいことも悟り始めていました。
だったら、せめて家族や志保にとばっちりがいかないように余計な発言を慎むことくらいしか、わたしにはできない。蘭は徐々にそんなことを考えるようになっていたのです。
ましてや、今更新一のことを正直に話したところで、ただでさえ偏見の目で見られていた彼のこと、領主や審問官は、今度は新一のことを悪魔の手先だとか何だとか言い出しかねません。
どうせまた婚外子だからとか、米花の森に住んでいるからとか、そんなどうでもいい理由で、彼をスケープゴートにしようとするに決まっています。
何も知らずに森の中で静かな生活を送っている愛しい人を、わざわざこんな下世話で偏見に満ちあふれた場にまで引きずり出して、自分のために迷惑をかけるなんて、心優しい蘭にできるはずもありませんでした。

「毛利蘭。では改めて尋ねるが、お前は悪魔と契約して町の秩序を乱そうと画策したことを認め、その罪を悔い改めるか?」

審問官に再度尋ねられて、蘭は僅かに唇を噛みしめましたが−−−

「………はい」

俯いたまま、消え入りそうな声でついに容疑を肯定したのです。

「相分かった。では早速だが、お前の体を調べさせてもらう」
「えっ!?」

蘭はびくりと体を震わせました。
それが噂に聞く屈辱的な身体検査のことだと、すぐに分かりました。
けれども蘭は、魔女容疑を否認するから、そんなえげつないことをされるのであって、自白すればわざわざそんなことはされないと勝手に思いこんでいたので、

「ど、どうして…!?」

と必死になって抗議します。
しかし、何故だか勝ち誇ったような顔をして、審問官は言いました。

「お前は魔女なのだろう?調書作成のためにも、事実はしっかり確かめておかなきゃあな」

そう言う審問官の顔には、下卑た嫌らしい笑いが浮かんでおり、蘭はようやく事実を正しく悟って、真っ青になりました。
結局、蘭が本当に魔女であるかどうかなんて、この人達にとってはどうでもよく。
ただの狂ったサディズムでひとりの若い女性を追いつめ、慰み者にする。
その間違ったカタルシスを民衆と共有し、社会に対する不満をうやむやにしてしまおうという、残酷な娯楽の生け贄に、自分は偶然祭り上げられただけなのだと。

「い、いやっ!」

必死になって抵抗する蘭を冷ややかな目で見つめながら、

「大人しくしろ!おい、誰かこの娘を押さえつけろ」

と領主が命令しました。

「やめて!触らないでっ!!」
「いい加減にしろ!魔女のくせして、まだ我々に逆らおうというのか」
「いやあぁぁ!」
(なんで…どうしてこんなことに…!?)

こんなことになるなら、やっぱり新一と一緒にいればよかった。
ううん、こんなところでこんな辱めを受けるくらいなら、いっそ死んだ方がマシよ…!
そこまで思いつめても、やっぱり蘭の脳裏には、死とは全く無縁そうな、生命力に満ちた新一の笑顔が浮かんでくるのです。

“蘭は蘭のまま、ただ生きていてくれればいい”

という、あの言葉とともに。

「いやあぁ!新一!助けて!新一ぃぃぃ!!」

“…ら…ん…”

思わず叫ぶ蘭の耳に、幻聴でしょうか、愛しい人が自分を呼ぶ声が聞こえてくるような気がしました。

“−−−蘭”

しかもその声は、なんだかだんだんはっきりしてくるようです。

「…新一!?」

蘭はその声をする先に、縋るように意識を集中しました。

「蘭!どこだー!?」

幻聴なんかではありません。この近くで、確かに新一が自分を呼んでいる−−−

「新一!!わたしはここよ!!新一いぃぃぃ!!」

蘭はあらん限りの声で、新一の名を呼びました。

「らあぁぁぁぁぁん!!」

−−−バターン!!!

すると、ものすごい勢いでドアが開かれ。
審問所の門兵を何人もなぎ倒してボロボロになりながら、それこそ鬼か悪魔かという形相で、新一が部屋に入ってきたのです。

「だ、誰だお前は!?」

いつもだったら、審問所の意のままにシャンシャンで進むはずの予審法廷ですが、今日に限ってあまりにもいろいろな人物が乱入してくるので、領主も審問官もパニックに陥ってしまい、ヒステリックなまでに甲高い声を上げました。

「誰だっていいだろ!それよりテメェら、今、蘭に何しようした!!」

しかし、今の新一の恐ろしさとくると、もうこの世のものとは思えないほどの迫力で、さっきまで権威ぶっていた領主も審問官も若干腰が引けてしまっている様子でした。

「ざけんじゃねーぞ!汚ねー手で蘭に触りやがって!!」

その場にいる人間を全員半殺しにしそうな勢いで荒れ狂う新一の様子に、蘭も困惑して、かける言葉が見つかりません。
と、そこに、

「…まあ、待ちなさい」

少々場違い感すらも漂う、のんびりとした声が聞こえました。
声の主は、今まで高見の見物を決め込んでいた、あのダンディーな諸侯でした。
ギロリ、という音でも聞こえそうな目つきで諸侯を睨みつけようとした新一でしたが、その顔を見ると少し驚いたように目を見開き、そして、急にふてくされた口調で、

「…あんだよ」

と言い捨てました。

「君はこの娘さんの魔女裁判に、何か意見がありそうだね」

至って穏便な雰囲気を崩さず、諸侯が新一に語りかけると、

「大ありだっつーの!蘭が魔女なわけあるか!」

と、憮然として言い返すのです。

「お、おのれ何奴!諸侯様に向かって何という口の聞き方を!」

保身のため、もはや完全なるおべっか使いと成り下がっている領主が、急に我を取り戻したように新一に詰め寄ると、

「いや。私は別に構わないよ」

と暢気に諸侯は言いました。

「それより、この少年の意見とやらを聞いてみようじゃないか」

「は、はあ…」

諸侯にそう言われたのでは誰も反対できる者もおらず、新一は急遽、予審法廷の証人となりました。
そのやりとりを、相変わらず呆然と眺めていたのは蘭です。
そりゃあ、もうダメだと思った瞬間、心の中で思わず新一に助けを求めたものの、もう二度と会えないと思っていた新一が何故か突然この場に姿を現したのですから。だいたい新一は、滅多なことでは町に出てこれない立場ではなかったでしょうか。

「…し、新一?」

恐る恐る彼に近づき、その姿を確かめようとする蘭に、新一は、さっきまでの鬼神の形相を解き、ふと優しい笑みを浮かべました。

「バーロ。久々に会ったのに、何て顔してんだよ…」

そのすぐ後、蘭もよく知る、あの自信たっぷりで不適な笑顔で、

「待ってろ、蘭。すぐ終わる」

と彼女を安心させてくれるのです。
新一は蘭を後ろ手に庇う格好で、少しだけ言葉遣いを改め、

「蘭を魔女だと判断する前に、オレの話を聞いて下さい」

と申し述べました。と言っても、言葉だけは丁寧でしたが、それでも例の不遜な態度は全く改まっていませんでしたが。

「その前に、君の名前を聞こうか」

一応、審問所の規則に則って諸侯が尋ねると、

「…新一。女優・藤峰有希子の子、新一です」

と、ぶっきらぼうに言い捨てる新一。

「ほう…女優ねえ。して、父は?」
「…オレは私生児なので」

暗に父の名は言えないと拒否すると、諸侯もそれ以上深くは尋ねてこず、

「まあいいだろう」

と簡単に言い、

「で、早速だが。君には、この娘さんが魔女ではないという確たる証拠でもあるのかな?」

と妙に嬉しそうに切り返すのでした。
この人もまた、蘭を陥れることに歪んだ喜びを感じているサディストなのかとも思いましたが、それにしてはやけにニコニコと微笑んでおり、何か本当に嬉しいことがあったとしか思えない表情なのです。
そして、見たこともないほど怒っていたかと思いきや、急にふてくされた態度の新一。
この見事なまでの対比に、蘭はハラハラしてしまいました。
そんな蘭の心中も知らず、新一は話し始めました。

「蘭は9日間に亘って町から失踪し、その間サバトに参加していたというが、そんなものはでっちあげです。そもそも魔女の集会なんてものはこの世に存在しないし、仮にあったとしても、あの時の蘭には参加できない。何故なら彼女は、9日間ずっとオレと一緒だったからだ」

この言葉を受けて、神経質な審問官の顔が嫌悪に歪みました。
どうせ、独身の男女が密かに一緒に過ごすなんて不埒だと思っているのに違いありませんが、蘭には恥ずかしい気持ちなど全くありませんでした。
自分と新一との関係には疚しいことなど何もない。
勝手な偏見で軽蔑するならすればいいと思い、きゅっと新一の服を掴み、彼に寄り添いました。
新一も、彼女の信頼に応えるように、その澄んだ目をますます冴え渡らせます。

「オレは10歳の頃から米花の森に住んでいる。何なら、行ってみてオレの家を調べてもらってもいいけど、とにかく、オレは親に捨てられた吉田歩美という少女と、それを追ってきた蘭を9日間自分の家に滞在させた。ただそれだけの、極めて単純な話です。サバトなんてただの妄想だ。第一、誰も目撃者がいない。蘭を魔女に仕立て上げるための完全なでっちあげに過ぎない」

きっぱりとそう言い切り、蘭の身に起こったことを理路整然と説明しはじめたのです。
それは、横暴な領主も杓子定規な審問官をも黙らせる、説得力に満ちたものでした。
ところが、例の諸侯だけが、

「新一君。君の話は一見筋が通っているように思えるが、何ひとつとして証拠がない。そんな曖昧な話を審問所で採用するわけにはいかんな」

と、鷹揚な口ぶりながらも、厳しい現実を突きつけるのでした。
が、新一は意外にも落ち着いていました。

「そうくると思ったぜ」

ニヤリと笑い、

「証拠ならあるさ」

と、懐から取り出したるは、何か赤い液体の入った小瓶。

「これは葡萄酒だ。言っとくけど人間の血なんかじゃねーぜ?蘭がオレの家で歩美ちゃんに飲ませた葡萄酒。これを歩美ちゃんに飲ませて、味を確認してもらうといい」

新一は、自分の作った葡萄酒を証拠品として持ってきていたのです。

「…なるほど。検討しよう」

諸侯がそう言ったので、従者のひとりが新一から葡萄酒の瓶を預かりましたが、

「だ、だが、相手は子どもだ!証言がアテにあるとは限らん」

と往生際悪く新一を責め立てているのは、毛利家の財産を狙っている領主でした。
このまま新一の思うように予審を進められては形勢不利と悟り、少しでも威嚇しようとしているのか、さっきから、さして内容もないことを大声でがなり立てています。
しかし、そんな領主の誹謗にも全く動じず、

「それじゃ、これならどうです?」

と、新一がまたも懐から取り出したのは、今度は1枚の小さなテーブルクロスでした。

「あっ!!」

一目見た瞬間、蘭は驚いたように叫びました。
どうやら彼女は、それに見覚えがあるようですが、ここで突然テーブルクロスを出てくる意図が全く分からず、

「それがどうしたと言うのだ!?」

とイライラと叫ぶ領主のことは相変わらず無視し、新一は、告発者であるギルド議長のもとへと歩み寄りました。

「議長、これをよく見て下さい。何か気づきませんか?」

促されて、渋々といった体でテーブルクロスを手にとった議長は、

「……!こ、これは!!」

と叫び、信じられないものを見たという目でしげしげと布地を見つめます。

「これは、織物職人・毛利小五郎の手による物…」

規格の鬼たるこの議長が、それを見誤るわけはありません。

「だが、毛利君はこういった小物の製作はあまり請け負っていないはずだが…。それに、何故君がこんなものを…」

ギルドに加入する職人達の生産管理、その販売先までも万全に頭に叩き込んでいる議長のことですから、こんな疑問が次々湧いてくるのも自然なことかもしれません。
そして新一はというと、議長がそれに疑問を持ってくれるのを待っていたかのように、得意満面の笑みを浮かべました。

「これは、オレの家があまりにも殺風景だからと、自分のドレスの裏地を使って蘭が作ってくれた物です。蘭の持ち物のドレスの裏地を調べて、これとぴったり合う切り口の物が見つかれば、彼女がオレの家に居たという完璧な証拠となる。…どうです、オレの話も信憑性が増してきたでしょう」

新一はそう言い、返事を促すように、対峙するお偉方を改めて見つめたのです。





To be continued…….






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