森の番人



By 柚佐鏡子様



〈15〉



新一の登場で、蘭の魔女容疑はすっかり晴れたかに思われました。
しかし、このままでは無実の女性を捕らえて処罰しようとしたことになり、審問所の名折れもいいところ。
それが耐えられない審問官は、

「か、仮に魔女ではないとしてもだ!魔物の蠢く米花の森に入り、このような得体の知れない山賊まがいの男と一緒に生活するなど言語同断!この者は、やはり魔女にも匹敵する悪女であるぞ!」

と、微妙に論点をズラしながら、なおも蘭の非を論おうとするのでした。
それを聞いた新一は、

「オイ、テメェいい加減にしろよ。オレが山賊まがいなことは事実だが、これ以上蘭を侮辱するならただじゃおかねー」

と、さっきまでの冷静沈着さはどこへやら、その整った顔に怒りのマークを貼り付けて言いました。

「侮辱されても当然のことをしているのだぞ、お前達は。独身の若い男女が森の奥で同棲などと…」
「ハッ、関係ねーよ!オレは蘭と結婚するから。ちょっと順番が逆になっただけじゃねーか」

新一があまりにもサラリと言うので、皆うっかり聞き流しそうになりましたが、

「そ、そんな結婚、教会は祝福しないぞ」
「だから関係ねーって言ってんだろ。教会が認めようが認めまいが、オレは結婚するんだよ!蘭の両親じゃあるまいし、別にあんたらに結婚許してもらわなきゃなんねー理由はねえよ」

だんだんと子どものケンカのような言い合いに収束するに至っては、新一の口からあまりにも何度も登場するその単語を、“気のせい”の一言で聞き流すのは難しくなり。

「け、け、結婚〜〜!?」

一番驚きの声を上げて新一に掴みかかったのは、当の蘭本人でした。

「どどど、どういうことよ、新一ぃ!?」

あまりに彼女の剣幕がすごいので、

「だってオメー、こんな騒ぎ起こしちまったら、もう修道院入れねーだろ?」

と、慌てて弁明する新一。

「そんなこと言ってるんじゃないの!わ、わたし、そんな話初めて聞いたんだけど…」
「そりゃ、言ったの初めてだからなあ。聞いたのも初めてなんじゃねーの?」
「バカッ!屁理屈言ってる場合じゃないでしょ!!これはわたしの問題なのに、新一が勝手に決めるなんてひどいじゃない!」

興奮のあまり頬を紅潮させて、うっすら涙まで浮かべている蘭を見て、さすがにマズイと思ったのか、

「悪かったよ…。でもオメー、そんなに嫌なのか?」

と、失敗が見つかった時の子どものようにしょげ返る新一に、蘭はますます涙を溜めるのでした。
「…誰も嫌なんて言ってないじゃない。だけど…だってわたし、新一とはもう二度と会えないとまで覚悟してたんだよ?それなのに、急にそんな…」

実は、蘭は少しばかり勘違いをしていました。
新一は本当は蘭との結婚なんて全く考えていなくて、ただ急場を凌ぐために、あるいは自分の論理の正しさを立証するためだけに、勢いでそんなことを言ったのだと思っていたのです。
本当はそんな気なんか更々ないくせに、いとも簡単に「蘭と結婚する」なんて心にもない発言を連発する新一が憎らしい。本当は嬉しいはずなのに憎らしくてたまらないと、自分は新一を愛しているだけに、なんだか複雑な心境に陥ってしまい、怒りながら泣くという、新一からすると全く不可解なリアクションをとっていました。

「あー、オホン!」

そこに、誰かのわざとらしい咳払いが聞こえてきました。

「新一君、蘭君。言うまでもないことだが、ここがどういう場だか覚えているかな」

諸侯の笑いを噛み殺した声が聞こえてきて、ふたりはハッと我に帰り、お互いにパッと離れて明後日の方を向きます。
まさか、この世の地獄とも言われる魔女裁判の予審法廷の場で、プロポーズ劇と痴話ケンカを繰り広げるカップルなど、世間広しといえども、このふたりくらいでしょう。

「そ、その話はまた後でな…」
「う、うん…」

新一は、蘭と小声でそんなやりとりを交わし、それからまた審問官らに向き合いました。

「とにかく、蘭は無罪ということでいいですね?」

新一の有無を言わさぬ最終確認。

「………」

毛利家の財産を狙っていた領主も、審問所の面子にこだわる審問官も、こんな冤罪をつくり出してしまったギルド議長も、青ざめて返事が出来ません。
しん…と、一瞬嫌な沈黙が走った時。

「頑張れ、森の兄ちゃん!」

突然、誰かの声が響いてきました。
魔女裁判を見物に来ていた野次馬の声です。
京極真が窓を破って侵入・逃走したために、中の様子は外の野次馬達にも丸聞こえだったのです。
彼らの本来の目的は、審問所で魔女と認定された蘭が磔になるシーンを見物するためでした。
とはいえ、一時は噂に惑わされて蘭を魔女扱いしていた人々でしたが、元々蘭のひたむきさはよく知っています。
割れ窓から予審法廷を窺っていると、皆も知っているとおりの、以前と変わらぬ蘭の姿、そんな彼女を救うため、己の危険も顧みず法廷に乗り込んできた新一の姿、そして、無実の彼らを何としてでも罪に陥れようとする権力者の醜い姿が見えました。
そして彼らは、魔女裁判の実態が、ただ権力側の恣に進められるスケープゴートを生み出す装置に過ぎないことに気づいたのです。

「蘭ちゃんが魔女なわけねーだろう!」
「そうだそうだ!」
「その兄ちゃんの言ってることは正しいぞ!」

徐々に新一達を応援する群衆の声が大きくなっていく中、

「オレ思い出した!!」

と、13、14歳の少年がひとり、一段と大声を張り上げました。

「オレも子どもの頃、一度米花の森に捨てられたんだ。父ちゃんがケガして仕事が出来なくなったんで、家の生活が厳しくてさ。あの時、オレ、森の中で誰かに追いかけられたんだ。もう怖くて怖くて、メチャクチャに走って逃げてたら、いつのまにか森から出られたんだよ。あの時は森の魔物だと思いこんでたから、怖くて何も覚えてないなんて言っちまったけど…よく考えたら、あれ人間だった!きっとその兄ちゃんだ!」

少年が最初の声を上げると、米花の森から帰還した数少ない者達が、次から次へと、「実は自分もそうだった」という証言が挙がってきました。
新一にとっては力強い援軍です。

「…この裁判は終結ですな。これ以上何も裁くことはない」

最後に判断を下したのは、諸侯でした。

「で、ですが諸侯様…」
「仕方あるまい。領主は民衆の代表者。民衆の意見があのとおりなのだからね。民の声は神の声…だよ」

彼のこの言葉で、蘭はとうとう、悪夢のような運命の嵐から逃げ仰せたのです。


こうして審問は終わりましたが、後に残ったものは、無実の女性を捕らえたという責任問題と、それから、逼迫する町の(そして領主個人の)経済問題でした。
それらの問題は、野次馬の介入を避けるため、部屋を移して改めて話し合われることになりましたが、何故か、無罪放免となったはずの蘭と、飛び入り参加(?)の新一までもが同席するよう諸侯より命じられ、高貴な身分の人にそう言われては断る自由もなく、ふたりは仕方なしについてゆきました。

「お助け下さい、諸侯様!諸侯様に領地を取り上げられては、私は多額の借財を抱え、もう野垂れ死にするよりほかありません!どうか、どうか、お慈悲を…!」

さて、民衆の目の届かぬところに行くや否や、今まで辛うじて残っていた最後のプライドもかなぐり捨て、領主は土下座を決め込み、床に頭を擦りつけました。

(…ったく。こんな情けねー奴に蘭の生き死にを左右されるとこだったなんて、考えたくもねーぜ)

口にこそ出しませんでしたが、新一は苦々しい顔をして心中毒づき、悪い夢は終わったのだと教えるかのように、黙って蘭の手をとって握りしめてやりました。
それに気づいた蘭も、最初は少し赤くなってはいましたが、黙ってその手を握り返し、事の行方を見守っています。

「やめなさい。顔をあげたまえ」

必死の懇願を受けた諸侯はというと、新一のように自分の考えを表情には出しませんが、

「そんなことをされたからと言って、私の考えは変わらないよ。君の今後の処遇については、もう考えてある」

と、冷酷に事実を告げました。

「君には今日限りで領主をやめてもらう」
「諸侯様…!!」

その場に崩れ落ちる領主…いや、元領主に向かって、諸侯は淡々と述べました。

「と言っても、そんな莫大な借財を抱えていては、君は今後の人生、まともに生きてはいけないだろうね。そこで私に考えがあるのだが…その借金と同額で、この町まるごと他へ買い取ってもらってはどうかね」

要するに、領主権を有償譲渡してはどうかという勧めですが、

「買い取ってもらうって…一体誰に…?」

と、元領主は放心したように呟きました。
領主の地位というのは代々世襲で受け継がれており、その時々の貴族間の力関係によって主従関係が多少上下したりはするものの、そんなものは形式上の話で、大きく言えばコップの中の嵐に過ぎません。
領主権の有償譲渡されたという話など、あまり聞いたことがありませんが、この領地の正式な所有者である諸侯の言うことですから、別に不可能なことではないのでしょう。

しかし、それにしたって無理な話だと、この元領主は思います。彼の借財は半端な額ではありませんし、だいたい、今はどこも社会情勢が不安定で、自分の所の領地管理で精一杯、わざわざ大金を投じてまでそんな話に乗ってくれる周辺領主も思い当たりませんでした。
諦め顔で力無く首を振る元領主に向かって、諸侯は快活に言いました。

「君は何か勘違いしているようだが、譲渡先が貴族とは限らないよ」

諸侯は、何てことはない、というふうに、食えない笑顔を浮かべます。

「町の皆に自治権を買い取ってもらうのさ。この町は領主の支配から独立した自治都市になるというわけだ」

その斬新すぎる発想は、さすがに周囲の度肝を抜きました。
自治権を領民に譲り渡すなんて、未だかつて聞いたこともない話ですし、第一、支配階級の貴族達からすれば、都市に自治権を与えるなど、己の立場を危うくする危険発想もいいところです。
が、諸侯の青写真には一分のブレもないようで、妙に神妙な顔をして、引き続き領主に言い聞かせるのでした。

「幸い、この町は商業も発展しているし、貨幣も十分に流通している。幸か不幸か、領主の君が政情に疎かったがために、有力な商人の中には、そういった面での情報通も何人かおり、陰日向に町の平和に貢献してくれているよ。自警団の活動も充実していて、治安もまあまあ。つまり、この町にはもう支配者とか領主は必要ないというわけさ。これからは民衆の代表で議会をつくり、町を運営してゆけばいいと思う。で、君は領主という肩書きをなくす代わりに、借財を精算できる。悪い話ではないと思うが?」
「で、ですが…」

どこか有力領主の傘下に入るというのなら、その臣下ということで、多少の屈辱は伴いながらも、まだ貴族の体面は保てますが、今の話の流れでは、元領主は自治権を民衆に譲渡する代わりに借金を清算し、そのまま世間の荒波に放り出される、という筋書きのようで、彼としては、やはりその部分に大きな躊躇を感じてしまいました。
借金をチャラに出来るというだけでも夢のような待遇なのだから、大きな声で文句など言える立場ではないのはよく分かっていますが、今まで貴族階級で安穏と生きてきた元領主が、没落したとはいえ、今更、たとえば職人に弟子入りしたりして額に汗して働くというのも、どうにも無理のある話です。
そもそも雇ってくれるところがあるとも思えません。
が、切れ者の諸侯が、そのあたりの事情に考えを至らせていないはずはなく、

「君の身分では今更市井で働くのも大変だろう。いっそ皇帝の騎士隊にでも入って、一から出直してみてはどうかな」

とサラリと提案しました。
皇帝の騎士隊は名にし負う精鋭部隊で、ある程度身分が高い者でなければ志願できません。
世襲にあぶれた名家の二男三男などが、家名を背負って命がけで頑張っている部隊です。勿論、それだけに規律は大変に厳しいのでしょうが、あそこに入ることが出来れば、少なくとも貴族の名誉は失わないで済むというわけでした。

「と言っても、勿論これは蘭君が許してくれたら…の話だがね」

諸侯はそう言って、ちらりと蘭の方を見ました。
今回の魔女裁判で直接の被害を受けたのは蘭です。だからこそ、蘭に黙って勝手に元領主の身の振り方を決裁してはいけないと、彼女をこの場に同席させたのです。
元領主は領主で、哀れな捨て犬のような目で、蘭に哀願の視線を向けています。

「わたしは…」

言いかけて、蘭は考えました。
たしかに、今回の一件で蘭は非常に怖い思いをしましたが…それは本当に、この人だけのせいなのかと。
飢饉や黒死病で社会情勢が変わる以前、ちょっととぼけたところはあるものの、町の代表としてそれなりに愛されていたこの領主が、骨の髄から悪人だったとは思いたくない気持ちもあります。
それに、今、既に全てを失おうとしているこの人に復讐することで、一体何か、たとえば世の中が、よりよく変わるのか、とも。

「…わたしは、領主様が、もう二度と罪のない人を犠牲にしないと約束してくれるなら…」

蘭の返事を聞くと、

「よく言ってくれたね」

と、諸侯は頷き、懐から1通の手紙を取り出しました。

「実は皇帝に紹介状を書いている。これを持参すれば、あちらはすぐにも受け入れてくれるだろう」
「諸侯様!ありがとうございます…ありがとうございます…!」

借金もなくなり、貴族としての体面も汚さずに済み、なおかつ新しい生活に入る手だてまでもつけてくれたことに、元領主は感涙を零しながら何度も何度もお礼を述べ、最初の頃とはうって変わった恭しい態度で退席してゆきました。

「…ずいぶんと寛大な処遇なんだな」

蘭をあんなめに遭わせた張本人だというのに、結局のところ大きなお咎めもなく解放されたことに対する不機嫌さを隠そうともせず、新一は吐き捨てるように言いました。

「君には納得できない面もあるかもしれないが…これでよかったのだと思うことにしようじゃないか」

諸侯は、子どもを宥めるような口調で言い、新一の肩を叩きます。

「結局、環境が人間をつくるのだよ。借金を抱え、貴族の名誉も失い、打ち込める仕事もないとなったら、彼は自暴自棄になって、今度こそ本当に何をするか分からない。現にその危険に晒されたからこそ、無実の娘さんを陥れようとしたのだからね。なに、皇帝の騎士隊も甘くはない。あそこは、幼少の頃から厳しい鍛錬を積んできた精鋭揃いだからね。騎士隊での生活で、彼はこれまでになかった苦労をするさ。その時こそ己の罪をますます後悔し、贖罪の気持ちを持ってくれるだろう。…そのことは、蘭君も、ちゃんと分かってくれているようだし」

やはり、上に立つ者はそれぞれの更生を信じた上で治世しなければならない。
不安定な社会情勢だからこそ、ただ刑罰を与えるだけでは単なる恐怖政治にも繋がりかねないことを、懸命なる諸侯はよく知っていました。
新一も勿論そのことは分かっていたのですが、今回蘭に謂われなく与えられた苦しみを思えば、ただ黙って引き下がるのも癪に触るから、文句を言ってみただけなのです。

「…わーったよ」

不承不承、といった体で新一は答えましたが、それでもまだ完全に納得できないところがあるのか、

「父さんのそのヒューマニズムは嫌いじゃねーけどよ。けど、こっちは蘭の命と貞操の危機だったんだぜ?」

と、ブツブツとまだ文句を言っている彼の言葉を耳にした時、蘭は、元から大きな瞳を更に大きく見開き、叫びました。

「と、『父さん』!?」
「あー…それね」

と、新一は気のない返事をし。

「この諸侯様とやら、オレの親父なんだよ。ムカつくけど」
「え…ええぇぇぇ!?」




To be continued…….






〈14〉に戻る。  〈16〉に続く。