森の番人



By 柚佐鏡子様



〈16〉



目をまん丸にして、蘭は思わず、まじまじと諸侯の顔を凝視してしまいました。
予審中は精神的にいっぱいいっぱいで、わざわざ諸侯の顔を見る余裕などありませんでしたし、それでなくても平民は高貴な人の顔を直視してはいけないという風習があったのですが、あまりにもビックリしたので、そんなこともついつい忘れて見入ってしまいました。

(新一にそっくり…)

そう。言われてみれば、新一と諸侯の顔は瓜二つと言ってもよく、何故最初にそのことに気づかなかったのかと不思議なほどです。

「驚いたようだね、蘭君」

面白そうに笑いながら、

「では改めまして。新一の父・工藤優作です」

と、諸侯−−−いや、優作は優しく微笑んで蘭に言いました。

「あっ…えっと…毛利蘭ですっ!」

予審法廷に最初から立ち会っていたのですから、そんなことは既に知っているはずの優作に、焦って再び自己紹介を返す蘭。
と、そこへ優作の従者のひとりがつかつかと歩み寄ってきました。

「あら。私には挨拶させてくれないの?」

従者はどう見ても厳つい男性なのに、その声はどう聞いても透き通った女性の声。
蘭が不審に思ってその顔を見つめると、次の瞬間、従者の顔がマスクのようにベリベリと剥がれ落ちました。
その下からは美しい大人の女性の顔が覗き、くるくると可愛らしくカールした長髪がこぼれ落ちてきます。
どうやら、従者はこの女性の変装した姿だったようです。
そして、彼女の顔を認めるや否や、

「か、母さん!」

と焦ったように叫ぶ新一。

「え…えええっ!?『母さん』!?」

もう、何が何だか分からないまま目を白黒させる蘭に、その女性はいきなり抱きつき、

「はじめまして、蘭ちゃん!新一の母の有希子でーす♪ヨロシクゥ〜」

とご機嫌に自己紹介。

「えっ…あっ…はい、よ、宜しくお願いします…」

妙にフレンドリーに蘭にすり寄っている母親を、

「何やってんだよ…蘭が困ってんだろ」

新一は無理やり彼女から引き離しながら、

「だいたい聞いてねーぞ。ここに父さんと母さんが来るなんてよ」

と、不機嫌全開で言うのでした。
と言っても、そこはやっぱり母親だからか、

「あら、なあに〜?その言い方。私達は新ちゃんを助けようと思って駆けつけてあげたのに」

怒っているらしい新一の口ぶりにもちっとも怯まず、むしろからかうように目を細める有希子でした。

「このまえ新ちゃんの家に行ったら、家の中がずいぶんと整ってるんだもん。見たこともないテーブルクロスはあるし、作りかけの料理なんかも上手く保存してあるし。明らかに女の影があるなぁって思ってたら…」
「その矢先に、諸侯である私のところに、今回の魔女裁判の立会要請が来たのだよ。一件記録を読んでみたら、新一の同い年の娘さんが、米花の森で9日間行方不明になったことが事の発端だという。これはうちの愚息と何らかの関係があって、それを誤解されて紛争に巻き込まれたと考えても、おかしくはないだろう?」

有希子の言葉をうまく引き取って、優作が言葉を繋げました。

「しかし、君の到着があまりにも遅いから、内心気を揉んだよ。諸侯の権限で蘭君を助けてやるのは容易いが、それだと後になってまた“父さんばっかりいつもオイシイところを持っていきやがる”とか言って、君が不機嫌になりそうだしな」

さすが父親、いかにも新一が言いそうなことをよく分かっています。
それで新一が乱入してきた時あんなに嬉しそうな顔をしていたのか、と、蘭は今更ながらに気づきました。

「そりゃ悪かったな。っていうか、審問所の門兵どもが意外にしつこくてよ…」

バツの悪そうに答える新一に、

「まあ、とっさのこととはいえ、葡萄酒とテーブルクロスを証拠品として持ち込んだのは合格だが。審問所を正面突破しようというのは、いくらなんでも無謀すぎるぞ、新一。そんなやり方じゃ余計手間取るだけだろう?」
「そうよ、新ちゃん。私みたいに従者に化けて入り込むとか、考えなかったの?」

口々にその不手際を指摘する両親。
新一はまたも(というか、両親の存在が発覚してからずっと、ですが)ふてくされた顔をして、

「んなこと言うけどなぁ…蘭がヤベエって時に、悠長に扮装なんかしてる余裕はなかったんだよ」

と、ボソリと答えました。

「あ、あの…新一…?」

ここまで、新一達親子の飛躍した会話に入っていけなくて置いてぼり状態だった蘭ですが、そこで急に思い出したように、おずおずと口を挟んできました。

「助けてくれてありがとう…まだ、ちゃんとお礼言ってなかったよね?新一のお陰で魔女にならずに済んだわ。本当にありがとう」

新一は、自分の立場も顧みず、森を飛び出して蘭を助けに来てくれた。
門兵をなぎ倒し、ボロボロになりながら、それでも自分を助けに来てくれたのです。
あの時の新一は、確かに蘭を助けることしか考えていませんでした。
蘭にもそれはよく分かっていて、その強い気持ちが、それを迷いなく実行してくれた新一の行動力が嬉しかったのです。
あまりに嬉しさに思わず涙を浮かべてしまった蘭に対して、

「礼なんか言うなよ。元はといえばオレが悪いんだし…」

と、少しだけ沈んだ声で新一は答えました。
きっといつものように、

「バーロ、泣いてんじゃねーよ。オレを誰だと思ってる?」

なーんて得意げに返してくれると思っていた蘭は、驚いて新一の瞳を覗き込みました。

「オレが“森でのことは誰にも言うな”なんて口止めしなければ、こんな大変なことにはならなかったんだよな…オレのせいだ。ごめん、蘭」

そう言う新一の碧眼は、申し訳なさと悲しみに彩られていて。

「そんなことないよ?だって新一の立場じゃ、そうせざるを得なかったんだし…。新一のせいなんかじゃないよ。それに、新一はちゃんとわたしを守ってくれたし。新一が来てくれて、本当に嬉しかったよ?ありがとう、新一…」

蘭は心から彼を慰め、お礼を言いました。
彼もまた、蘭を窮地に陥れたのは自分のせいだと思い悩み、苦しんでいたことを、蘭は初めて知りました。
図らずも自分が彼を苦しめていたのだと思うと、蘭まで悲しくなります。
本当は、この苦境にあって新一のことを思い出すだけでも、どんなに励まされたか分からないくらいなのに、新一は勝手に勘違いして自分を責めているらしい。
だから、そんな勘違いはさっさと改めてもらって、早くいつもの気障でカッコつけで、ちょっぴり意地悪な新一に戻って欲しい、と思ったのです。

「…新一、蘭君。そのことなんだがね」

すっかりふたりの世界に入り込んでいたところへ、徐に優作が声をかけました。

「この町の自治権を領民に買い取ってもらうという話だが、実を言うと、鈴木家の当主・史郎氏を中心として、町の皆と秘密裏に話を進めていたところなんだよ。だから首尾良く進むことと思う。それとな。私は、この際だから、他の領地についても全て手放そうと思っているんだ」
「はあぁぁ??」

優作の唐突な発言に、新一も、有希子も、ついでに蘭も、さっぱり訳が分からない、という顔をして聞き返しました。

「“この際だから”ってなんだよ?」

新一は呆れたように言いました。
何しろ、女優の有希子と“結婚”したり、民衆に自治権を委譲するくらいですから、優作があまり貴族の名誉とか伝統にこだわるタイプではないことは重々知っていましたが、領地を手放すということは、現実的には支配者としての特権を手放すということです。
先程の元領主のように、経済的に没落して手放すというのとは事情が違いますが、領民からの税収で賄ってきたこれまでの生活も一変してしまうわけですから、いくら即断即決型の優作といえども、そうそう簡単に決断できることとも思えませんでした。
だいたい、優作の所有する領地はかなり広大で、思いつきで手放したり取り戻したりできるような規模でもないし、実際にそんなことをしたら、世の中が混乱するのではないしょうか。

「なんでいきなりそんなこと言い出すんだ?」

新一の当然の疑問に、

「いやはや、全く」

と、優作は困ったように溜め息を吐きました。

「今回ばかりはさすがにこたえたよ、新一。どれほどの危機が迫っていても、息子に父とも呼んでもらえない、己の境遇の情けなさがね。オレは、自分のそんな立場がほとほと嫌になっただけだ」

その言葉に、新一は思わず息を飲みました。
父は時々わざと困ったふりをして、息子の不手際をからかうということをよくやりますが、この時ばかりは、いつもの飄々としたポーカーフェイスの下の、父の心情が見えたような気がしたのです。
それが証拠に、常に誇り高き大諸侯でいることを強いられている優作が、家族の前で緊張を解いた時にしか使わない「オレ」という一人称を用いていることにも、新一はちゃんと気づいていました。
そんな父の慣れない態度に、さすがの新一もどきまぎしながら、

「…んなの、今更じゃねーか?」

とできるだけさりげなさを装って返そうとしましたが、優作はますます真剣な顔をして、

「いや、オレは、お前に対して果たすべき責任を果たして来なかったからな。…有希子に対しても」

と独白の如く続けます。

「諸侯などという不自由な身分など捨ててしまいたいと、何度思ったか。それでも、先祖から引き継いだ城と領地、それから領民を守るのは己とさだめと思い、自分なりに責務を全うしてきたつもりだがね。その代わり、お前と有希子には多大な犠牲を強いてしまった。謝ってすむことでもないが、そのことは本当に申し訳なかったと思っているよ」
「父さん…」

新一は複雑な気持ちで父の言葉を聞いていました。
幅広い見識と柔軟な発想を持ち、それを実行に移す行動力もある大諸侯・工藤優作。
確かに、愛妻・有希子との正式な結婚は叶わないままでしたが、彼らはむしろ普通の夫婦より仲睦まじくイチャついていて、息子の目から見ても、結婚できない現状を悲観しているようには見受けられませんでした。
唯我独尊な性格だけども、普通にひとりの父親として新一をからかい、また、からかいという名の下で、いろいろと鍛えてくれた父、永遠の目標であるはずの父に、まさかそのことで真剣に詫びられる日が来ようとは、正直、思ってもみなかったからです。
父には、今までもこれからも、自分にとって越えられない壁として堂々としていて欲しいのに、そんなことで謝られても困るという戸惑いと、それほどまでに息子のことを案じてくれていたのかという驚きと喜び、そして照れくささ。
それらを素直に口にできるほど、新一はまだ大人ではありませんでした。

「やめろよ、父さん。そーゆーキャラじゃねーだろう?」

ぶっきらぼうにそう言い返すのが精一杯です。
優作も優作で、息子の考えていることなど手にとるように分かるので、これ以上新一を不安にさせるのも酷かと、いつもの飄々としたテンションに戻って、

「相変わらず冷たいなあ、新一君は。せっかく、親子の感動的な対話を繰り広げようとしているのに」
と、わざとおどけたように言いました。
「いや、別にいらねーから。そういうの」

表面的にはジト目で言い返していましたが、新一もちょっぴりホッとしている様子です。
これまたいつものような口の悪さで、

「んで?オレや母さんに悪いから、領地を全部手放して反省を示すことにした、ってわけでもねーんだろ?なんでいきなりそんなこと言い出したんだよ?」

と、もう一度優作に尋ねると、優作は次のように答えました。

「新一。これから時代は大きく変わるよ。貨幣経済は今以上に成長するだろうし、残念なことだが、しばらくは黒死病が蔓延して、その結果、人口も激減するだろう。私が諸侯であろうがなかろうが、変革を前にして社会の混乱は避けられない。そして、その混乱が落ち着いた時、残された人々で新しい社会をつくってゆかねばならない。今の封建制は早晩崩壊し、諸侯の役割も、私の責務も、時代に応じて変わってゆくと思う。城や領地を基準にして物を考える時代は終焉するのだよ」

だからこそ、古いものにしがみつくのではなく、いち早く、来たるべき時代の価値観に合わせて生活をシフトしたいのだと−−−愛する有希子とともに。
領地を手放してしまえば、世俗的な諸侯間の権力闘争などとも縁遠くなり、そうなると、教会上層部からいろいろな干渉を受けることもなくなる。有希子と結婚することに余計な圧力はなくなるわけです。

「まあ、これで私は、領地も持たない、しがない貧乏貴族になってしまったわけだ。…有希子」

と、優作は妻の前に静かに跪いてその手をとり、恭しく口づけました。

「ずいぶん長く待たせてしまったね。それに、出会った頃とはかなり立場も変わってしまったが。…それでも結婚してくれるかい?」

優作の17年目のプロポーズに、有希子の瞳には、みるみる涙が滲みました。
優作は初めて会った時からとても優しくて、彼女の願いを何でも叶えてくれました。
可愛い子どもも授かって、ずっと有希子ただひとりだけを、心から愛してくれていた。
彼との結婚が正式なものかどうかなんて関係ないと、負け惜しみでも何でもなく思っていた有希子でしたが、やはり、こうしてきちんとプロポーズされ、正式に結婚できるということは、なんて幸せなことなのだろうと、胸がいっぱいになりました。
その反面、いつも自分に内緒でスマートに事を運ぶ夫が憎らしくて。
有希子は涙を滲ませながらも、

「あら。私なんて未婚で17歳のコブつきよ?すごいでしょ」

と精一杯勝ち気な笑顔を浮かべました。

それからしばらく、ふたりは人目も憚らずきつく抱きしめ合い、後のハリウッド映画のような(?)熱烈なラブシーンを繰り広げていたそうです。



To be continued…….






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