森の番人



By 柚佐鏡子様



〈17〉



「オイオイ、そのへんにしとけよ…」

工藤夫妻の熱烈なラブシーンに無粋に水を差せるのは、やはり息子の新一だけでした。
といっても、生まれた時からこの夫婦の仲のよさにあてられ続けている彼は、さすがにもう慣れてしまっているので、十分免疫がついています。
わざと仏頂面をしてはいますが、本当はそれほど不快に思っているわけでもありませんでした。
ただ、ここで両親を止めた理由はただひとつ。

「蘭が困ってんだろ」

ドラマティックな展開を迎えた彼らの愛情に感激しながらも、そのイチャつきぶりはさすがに正視するに耐えず、蘭は俯いて真っ赤になっていました。
すると有希子が、悪戯っぽくウィンクをして、

「あら!なんなら新ちゃん達もイチャイチャしてていいのよ〜?別に遠慮はいらないからね」

などと言うので、

「ま、待って下さい!わ、わたしは別に…そんなっ…!」

と、蘭はしどろもどろになりながら否定します。

「あらまあ、照れちゃって可愛い♪」
「照れてなんか…いませんっ!わたしは、新一…君とは、その…何も…」

そうです。
今日は魔女裁判のみならず、他にもいろいろな問題が次々と湧いてきたので、どさくさに紛れて棚上げ状態になっていましたが、新一と蘭は、別に結婚の約束をしていたわけでも、そもそも想いを告げ合ったわけでもなかったのです。

(そういえば、まだこっちの問題が残ってたか…)

一番肝心なことを、紛争にかまけてすっかり忘れていた自分に我ながら呆れてしまった新一でしたが、

「父さん、母さん。悪いけど蘭とふたりにしてくんねーか?」

と真剣な面持ちで申し出るや、全てを察知している両親はふたりしてニマニマしながら、

「いいわよ?ごゆっくりどうぞ〜」
「頑張るんだよ、新一君。落ち着いてな」

などと余計な発言をして、

「うっせーなー、大きなお世話だ!とっとと出てけ!」

と真っ赤になった息子に、早々に叩き出されていました。

そうして、新一と蘭が部屋にふたりきりになった時、

「ねえ、新一」

と、蘭は不思議そうに彼に声をかけました。

「落ち着いて、何を頑張るの?」
「いや、頑張るっつーか、それはだなぁ…」

それから何度も、あー、とか、つまり、とか、意味のない言葉を繰り返し、一向に本題に入る気配のない新一を、最初は根気強く待っていた蘭でしたが、しまいにはだんだん不機嫌顔になって、

「もういい!」

と怒り出しました。

「もういいって…いや、ちょっと待て!聞けよ、蘭」

この大事な話を、こんなところで打ち切られてはたまらないとばかりに、焦って彼女の機嫌をとろうとする新一を、

「やだ。そんな話、聞きたくない!」

と、耳を覆って蘭は頑なに拒絶するのです。

「…聞きたくないって…オメー、何の話か分かってそう言ってんのか?」

心臓に切り込まれるような痛みを感じながら、新一が尋ねると。

「…分かってるよ。さっきの…新一が審問官の前で言ってた、わたしと結婚するとかいう話のことでしょ…?」

蘭はたしかに、新一がこれから話そうとする話題を正確に把握しているのでした。
そして、怒っていたはずの彼女はいつのまにか俯いて、遠目にも分かるくらいに震えながら言いました。

「あれはわたしを助けるために、その場凌ぎで言っただけだ…っていう話でしょ?分かってるよ。わたしはただ、森で迷って新一の家に泊めてもらってただけの存在だもんね。でも新一は責任感が強いから、わたしが魔女裁判にかけられるって話を聞いて、わざわざ駆けつけてくれたんでしょ?それはすごく嬉しかったよ?だけどわたし、ちゃんと分かってるから…。新一が来てくれたのは正義感からの行動で、別にわたしのことなんて何とも思ってないって、ちゃんと分かってる。だから大丈夫。わたし、勘違いなんかしてないから。新一はもう安心して森に戻ってくれていいか…」

精一杯我慢しているはずの涙が、やっぱり我慢できずに滲んできて、蘭の視界を歪め始めたその時−−−不意に全身を力強く包み込む温かさ。
この感覚を、彼女はよく知っていました。
新一に−−−大好きな人に抱きしめられる、あの感覚です。
毎日蘭を優しい眠りに導いてくれた、あの腕。
別れる前の晩、一生忘れられないと思ったほどきつく抱きしめてくれた、あの腕。
別れの直前、幸せを祈っていると言って抱きしめてくれた、あの腕の力強さ。
大好きな新一の感触を全身に感じて、流れる涙を止めることもできない蘭をもっともっと強く抱きしめながら、

「バーロ。やっぱり何も分かってねーじゃねーか…」

と、新一は苦しそうに言いました。
そして、不意に彼女の耳に囁いたのです。

「蘭。……結婚しよう」

と。
今までのしどろもどろ具合とはうって変わった、その直球過ぎるプロポーズには、蘭の方が驚いて呆然としていました。

「だって新一…あれはわたしを助けるための…」
「そうだな。審問官の前で言ったのは、たしかにオメーを助けるためでもあるけど。だけど全部オレの本心だよ。別に嘘をついたわけじゃない」

子どもの口ゲンカよろしく、公衆の面前で結婚結婚と軽々しく口にしたのは悪かったけどよ…と、新一は素直に謝っていました。

「でも…だったら新一、さっきからなんでそんなに言い出しにくそうにしてたの?わたし、てっきり悪い話だと思って、覚悟しちゃったじゃない…」
「ったりめーだ、そりゃ言い出しにくいに決まってんだろ?好きな女にプロポーズするのに緊張しない男がいるのかよ」

拗ねたように言い返す新一がなんだか可愛く思えてしまって、蘭は目の端に涙の粒を溜めながらも、そこで初めてクスリを笑みを零しました。
どうやら、新一は新一で相当に緊張していたらしく、そうでなくても、偉大な父の17年越しの熱いプロポーズを面前で見せつけられた直後なのですから、下手すると二番煎じみたいに思われるんじゃないかとか、彼なりに、いろいろと気を揉んでいたようです。
さっきまでは言いたいことをなかなか言い出せずに所在なさげだった新一でしたが、一度口にするともう不安な気持ちは吹っ切れたのか、頬は相変わらず赤く染めながらも、更に今までの心情を吐露するのでした。

「蘭。オメーらを町へ帰す前の晩、本当はオメーを引き留めて、ずっとここにいろって言いたかった。だけどあの時は歩美ちゃんもいたし、あのままオメーをオレの家に繋ぎとめたところで、そんなのはただの人攫いか監禁と変わりゃしねえ。森で迷って困ってたオメーは、他に頼る奴がいないから仕方なくオレのところにいるだけで、自分の意思でオレを選んでくれたわけじゃねーからな」

離れるのが嫌で泣いても引き留めてもくれず、何も言ってくれない新一の態度に、「自分のことなんか何とも思ってないんだ」と蘭が悲嘆にくれている時、彼の方では全く逆のことを考えていたなんて、今にして思えば皮肉な話です。

「再会を約束すれば、オメーが必ず会いにきてくれるのは分かってたけど…それだって、別にオレを好きじゃなくても、ただ恩義に駆られて…ってこともありうるから。そうだとしたら、オレがオメーに会いたいばかりに、オメーに負担を押しつけることになるもんな。そう思ったら、何も言えなかったんだ」
「新一…そうだったの…」

再会を約束してくれないのは、自分との出会いを一時的な縁と割り切っているからだと思っていた蘭は、彼がそんなにまで自分のことを考えていてくれたことを知り、胸が熱くなりました。

「オメーが町に帰ってから、ずっと蘭のことばかり考えてた。どうすればまた会えるのかって。けど、オレは死んだことになってて身を隠してる立場だから…。正々堂々とオメーを迎えに行けるようになるにはどうすればいいのかって、そればっか考えてたんだぜ?」

そんなこんなで悶々と悩んでいる折り、ちょうど新一の家を訪ねてきたのは彼の里親だった人物。
これ幸いとばかりに蘭とのことを相談しようと思いついた新一でしたが(何しろ、彼と外界との接点は、今のところ両親と、この里親しかなかったのですから)、いつもは大量の本や食糧を携えて、陽気な笑みを浮かべながらやってくるはずの里親が、この時ばかりは何故か憔悴しきった様子であることが気にかかり、自分のことはさておいて、

「オイオイ、なんか顔色悪いじゃねーか?どうしたんだよ一体」

と尋ねると、

「新一君、君を見込んで頼みがあるんじゃ。聞いてくれんか?」

新一は突然、思ってもみなかった懇願を受けたのでした。
新一の里親は元々大変に面倒見のよい人でしたが、紆余曲折あって新一が米花の森に住まざるを得ない状況になって以来、生来の面倒見とはまた別の使命感を抱くに至ったようで、現在は、黒死病でたったひとりの家族である姉を亡くし、天涯孤独となってしまった医者志望の女性を引き取って自分の家に置いて、家族同然に世話しているということでした。
そのこと自体は新一も知っていましたが、事情を聞けば、今、その女性が、とある魔女裁判に絡んで異端審問所の追及が受けそうだ、というのです。

「あの子には一度身元を偽って大学に入学し、それがバレて除名になったという経歴がある。それに、大学から交付された免許がない状態で医師業を営んでおる。ワシとしては、免許を交付してくれない大学の方がおかしいと思うが、審問所も同じように考えてくれるとは限らんからのぉ…。残念なことじゃが、今までの慣例と違うことをしようとする人間は、どうしてもお上に目をつけられてしまうんじゃ。それに、あの子は身寄りがなくて、後ろ盾となってくれる家族がいない。勿論、何かあったら、親代わりのワシが全力で守るつもりではおるが…。それでも、あの横暴な審問官から絶対に守りきれるとも限らん。だから、もしも、じゃ。万が一あの子が魔女容疑で捕らえられるようなことになったら…その時は新一君、彼女を米花の森へ逃がすから、君のこの家で匿ってくれんか!?」

そう言って、普段の陽気さとはうって変わって真剣に頭を下げる里親。
確かに、普通の人は誰も近づかないこの米花の森でなら、完璧に身を隠すことも可能でしょう。現に、その立派な成功例として森に住んでいる新一もいるくらいですから。
ですが、新一は渋い顔をして言いました。

「本当にいざとなった時には、それが一番確実な方法だろうな。別にオレも嫌だとは言わねーよ?博士には今までもいろいろ世話になってっから、オレに出来ることなら何でも協力するつもりだし。けどよ、最初から逃げることばっか考えてても意味なくねーか?だいたい彼女は、何が原因でそんな魔女裁判なんかに巻き込まれることになったんだ?よかったら詳しく話してくれよ」

そうして里親から詳しい事情を聞いてみると、元はといえば、既に魔女疑惑をかけられている少女を手助けしたことが発端だということが分かったのです。
しかも、その少女というのは、先頃9日間失踪してサバトに参加したとの疑惑がかけられており、巷の噂では火あぶり確実らしいということも。
そして、魔女裁判というのはだいたいの場合、ひとりの“魔女”を処刑したらそれで終わり、とはいきません。
必ず次なる魔女容疑者を当て込んで、次回の裁判で血祭りに上げられるシステムになっているので、今はそれほど追及の手が迫っていないように見えても、必ずや近いうちに審問所の召還吏が訪れるであろうことを、里親は心配していたのでした。
が、彼の話を聞くうちにみるみる青くなった新一。
この話に言う“火あぶり確実な少女”とは、どう考えても蘭のことだと、すぐに分かりました。
きっと蘭のことだから、自分との約束を守って森での出来事を何も口にせず、それをもって、審問所に魔女だと決めつけられているに違いない…。
そう思ったら、新一には、もう自分の立場も何もかもどうでもよくなっていました。
頭の中は真っ白で、ただ蘭を助けることだけでいっぱいで、気がついたら、審問所に全力で駆けつけていたのです。




To be continued…….






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