森の番人



By 柚佐鏡子様



〈19〉



「で?で?どーなったの、蘭ちゃんとの大事な話は?」

全部分かっているくせにわざとらしげに新一をせっついてくる有希子と、特に言葉は発しないもののニヤニヤと息子の様子を眺める優作。
自分の両親のことながら、押し寄せる徒労感を何とか克服し、新一は羞恥心を隠してごくごく普通のことのように報告しました。

「オレ、蘭と結婚すっから。蘭も承諾してくれた。…ま、そーゆーことで、ヨロシク」
「ふ、不束者ですが、よろしくお願いシマス…」

律儀に緊張気味な挨拶をする蘭に、
「やーん、可愛い〜!こっちこそよろしくね、蘭ちゃん!」

と、オーバーな仕草で抱きつく有希子は、

「ああ〜、まさか新ちゃんがこんな可愛い子と結婚する日がくるなんて…夢みたいだわ!生きててよかった!私、嬉しい…」

などと、女優魂全開で、涙まで浮かべているのでした。
「オイオイ…やけに大袈裟だな、母さん」
「だってそうじゃない!?新ちゃんったら米花の森なんかに住んでて、お嫁さんどころか友達ひとりだっていなかったじゃないの。もしかして今流行りの引きこもりなんじゃないかと、ずっと心配してたんだからね!」
「引きこもりって何だ?今流行ってるのか…?」

新一の素朴な疑問(?)は置き去りにされたまま、今度は優作が、

「蘭君。私達の方こそ新一のことを頼むよ。親として、人様を困らせるような人物に育てたつもりはないが…彼は今まで特殊な環境に身を置きすぎていたからね。これからは蘭君の力で社会復帰させてやって欲しい」

と、蘭に対して頭を下げていました。
権勢を誇る大諸侯に深々と頭を下げられ、

「わたしの力でなんて…」

と恐縮しきっている彼女に、優作は言いました。

「いや。新一を光の下に引きずり出してくれたのは、ほかでもない蘭君だよ」

優作達も、新一が普通の生活に戻れるよう、いろいろ考えては手を打ったりしたものの、いつも本人は気のない返事。

「父さん達に迷惑かけるくらいなら、別に今のままでいいや」

などと言って、敢えて森から出ようとはしなかった新一です。
逆に言えば、それほどまでに新一に執着を感じさせる何かが、町には存在しなかったのでしょう。
けれども、蘭だけは違いました。
今回は、蘭が魔女裁判で絶体絶命のピンチに陥っていると聞き、森を飛び出してきた新一でしたが、別に“蘭が修道院に入るのではなくどこかの男と結婚する”とか“蘭が事故で大ケガをした”とか、そういう情報を知ったが最後、新一なら居ても立ってもいられないで必ず森を飛び出すはずで、つまり、蘭という女性がいる限り、どのみち彼女を追って町に出てくる運命だったのです。

「新一の世界は、いつでも蘭君から始まっているんだよ。それを重く感じる時もあるかもしれないが、どうか、これからも息子を支えてやって欲しい」

立場を超えた優作の心からの願いに、蘭はとても心を打たれ、また、自分が新一の妻として認めてもらっているのだという喜びを噛みしめながら、

「はい。一生、新一君と共に歩きます…」

と神妙に返事をしていました。
その様子は、まさに荘厳な結婚の誓いのようでした。

「新ちゃん、蘭ちゃん。ふたりいつまでも仲良くね」

さすがの有希子も、思わず涙ぐんでいる様子でした。
優作は次に、何故か若干の疎外感を醸し出している(?)息子の方を向き直り、

「それから新一君」

と声をかけました。

「さっき私は、領地を全て手放すと言ったがね、米花の森だけは例外だ。あそこだけは今後も私の…というか工藤家の領地として残しておくつもりだよ。そして、あの森の管理は、これから君に任せる」
「ええっ!?なんでオレが!」

驚く新一に、

「今までだって、実質的には君が管理していたようなもんだろう?別にそれほど驚くことでもあるまい?」

さも当然と言わんばかりの優作でした。
しかし、今まではただ人目を憚って隠れ住んでいただけで、正式な領地として管理するのはまた別の話だと、新一が不満そうな素振りを見せると、

「世界は変わると言っただろう、新一君。今までは、君が身を隠すのに都合が良いから、敢えて手出しはしないでおいたが、あれほど広大な森を、いつまでも得体の知れない魔物に支配させておくわけにはいかないよ。あの森をうまく開発すれば、人々は周辺の町へ短時間で自由に行き来ができるようになるし、今後の食糧難に備えて、森の恵みに与ることもできる。とはいえ、魔物の言い伝えが根強く残っている現状では、誰もが怖がって森の整備になど着手しないだろう。そこで君の出番というわけさ」

と、優作はウィンクをしてみせました。

「あの森の豊饒と危険を知り尽くし、古い言い伝えにも囚われていない君ならば、冷静沈着に、現実的な森林開発ができるだろう。それに、君は今まであの森の恵みによって命を繋いできたのだから、森に恩返しする絶好のチャンスじゃないか?領地管理云々の話は置いておくにしても、これは、今のところ君にしかできない、とても重要な仕事だと思うがね」

そうまで言われては、新一も男として断ることはできません。
それに、本当のところ新一は、米花の森を管理するのが嫌なのではなく、“領主”という立場になることが嫌だったのですが、優作はそこのところもちゃんと理解していて、

「それに、君は私の正式な妻である有希子が産んだ唯一の男子。工藤家の正当な後継者として、そのくらいの責任は果たしてもらわねば困るね」

と釘を刺すことも忘れていませんでした。
要するに、新一が工藤家の嫡男として立派な行いをすることによって、有希子の妻としての立場もより明確なものとなるわけで、工藤家のことなどはどうでもいいにしろ、母の幸せのためなのだと言われたら、ついさっき「これからはたくさん親孝行する」と蘭に誓った手前、無碍にもできない新一でした。
それに、米花の森は蘭と出会った大切な場所。その大切な思い出の場所を、きちんと整備して後生に示したいという気持ちも新一にはありました。
もうふたりの関係は“秘密”ではなく、この幸せを開かれたものにしたい。そうすることによって、蘭は自分のものだと公然と宣言したいような気分だったのです。

「…ってわけで、新婚だってのに、蘭にはしばらく陰気な森林生活をさせちまうみてーだけど。けど心配すんな、すぐに、米花の森を誰もが安心して立ち寄れる憩いの場所にしてやっから」

蘭という妻を得て、また、自分のなすべき仕事も見いだし、新一の蒼い瞳は未来への期待と充実感とキラキラと輝いていました。
そんな彼を見ていると、長く閉ざされてきたあの森に人々の明るい笑い声が溢れるのも遠くない話だと、蘭には確信できました。
そして、自分も全身全霊で新一を支えていこうという決意を新たにしました。
幸せそうな若夫婦をみて、優作と有希子も嬉しそうに笑っています。

「頑張ってね、新ちゃん。私達も時々遊びに行くからね♪」
「ゲッ!来んなよ」

新一は思いっきり嫌な顔をして、即行で断りましたが、

「やーね、新ちゃんったら、親に遠慮なんかしちゃって」

と、さっぱり意に介さない有希子です。

「遠慮なんかしてねーよ!マジで迷惑だ!絶対来んなよ!?」

新一がそこまで両親の来訪を嫌がる理由はというと。

「別に親を邪険にする気はねーけどよ。てめぇら、オレんちを趣向の変わった別荘くらいにしか思ってねーだろ。夜も年甲斐もなくイチャイチャしやがって、あんな狭い家じゃ、声、丸聞こえだっつーの!あんな環境に蘭を置いておけるか!」

新一が大声で真相を暴露すると、ウブな蘭はカーッと真っ赤になって、下を向いてしまいました。
一方、優作はちょっととぼけた口調で、

「おやおや、新一君。まさか君は、まだあの小さな家で生活するつもりじゃなかろうね?」

と新一に聞くのでした。

「そのつもりだけど…なんか問題あるのか?」
「いやはや、いくら所有する領地が荒れ果てた森林だけと言っても、君も今日から立派な領主なのだから、少なくとも領民が納得してくれる程度の瀟洒な館くらいは築かなければ。何も絢爛豪華にする必要はないがね、まずは形を整えるということも、実は大切なことなのだよ。今まで自由気ままに暮らしてきた君からすれば面倒極まりないかもしれないが、まあ、せいぜい精進することだね、新一君?」

そう言って、ハッハッハ、と笑う優作の様子は実に愉快そうで、

(父さん…まさか、この機に乗じて面倒な政務から逃げ出そうとしてるだけじゃねーだろうな…?)

などという嫌な疑惑を、つい新一が抱いてしまったというのは、ここだけの話です。




To be continued…….






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