森の番人
By 柚佐鏡子様
〈20〉
こうして、1日に2組の工藤夫妻(優作&有希子、新一&蘭)が誕生している頃。
異端審問所での出来事は瞬く間に噂になって町中を駆けめぐっていました。
毛利蘭の魔女容疑は晴れ、あまつさえ、いきなり現れた謎の青年にプロポーズされていたという話は、当然の如く彼女の両親にももたらされ、小五郎は熊のように家中を忙しなく歩き回りながら、今か今かと蘭の帰宅を待っていました。
「うぬぬ…どこのどいつか知らんが、ウチの蘭にプロポーズだとぉ!一発投げ飛ばしてやらねえと気がすまねえ!!」
興奮する小五郎をよそに、いたく落ち着いた様子の英理が、
「あなた、少しは落ち着いたら?だいたい、蘭はその人のおかげで無罪になったようなものだって、町の皆も言ってたじゃないの」
と、夫をたしなめます。
「しかしだなぁ!蘭は失踪してる間、その男と米花の森で同棲してたらしいじゃねえか!やろぉ、蘭に何かしてたらタダじゃおかねえ!」
「あら、いいじゃないの。何かあったらあったで、その人には責任とって蘭と結婚してもらえば?」
「英理!テメェ、なんてこと言うんだ!」
怒り狂う小五郎のだみ声に、英理は少し眉間に皺を寄せながら、
「全く、往生際の悪いこと。あなただって薄々気づいてるんでしょ?蘭がその人に好意を寄せてるってこと」
と、言いにくいことをズバリと指摘しました。
そう。失踪から戻ってきた後の蘭は、それまでの彼女とは微妙に変わっていました。
それが、親よりも大切な人ができ、その人との秘密を守るためであったとすれば、全てにおいて合点がゆきます。
ですが、頭で分かっていても、そう簡単に娘を手放したくないのが父親の本心。それも自分が目を掛けた男ではなく、どこの誰とも知れない相手となれば尚更です。
「うるせえ!蘭は修道院に入れるんだよ!」
「それは、いいお婿さんが見つからなければ、って話だったでしょう」
「その男がいい男かどうかなんて分からねえじゃねえか!」
「あら。じゃああなたは、蘭がろくでもないダメ男を選ぶとでも言うわけ?案外娘のことを信頼してないのね?」
少し嫌味っぽいまでの妻との応酬に、小五郎は怒ることにも疲れてしまい、
「…なんだって、おめえはそんなにその男の肩を持ちやがるんだよ?」
と、今度は拗ねたように言いました。
「さっき、蘭の親友の園子さんから手紙が来たわ。鈴木家の使いの人が、火急に届けてくれたのよ」
審問所の噂は、当然ながら園子の元にも届いており。
園子は、突然現れた謎の青年が、蘭に聞いた“新一”のことだと確信したのです。
そして、最も蘭の安否を気遣っているであろう彼女の両親に、全ての事情を説明する手紙を届けたのでした。
小五郎の親馬鹿は町でも有名でしたし、自分ほどではないにしろ、蘭にも、これまで縁談絡みでいろいろとあったことを園子は知っています。
けれどもそれ以上に、蘭の新一に対する想いの深さを痛いほど知っていたので、後でややこしいことにならないように、新一の人間性を、蘭を任せるに足りる人だということを、蘭の両親に分かってもらおうとしたのです。
蘭本人から唯一新一とのことを打ち明けられた親友として、彼女の恋を叶えてあげたいという、ただその一心でした。
そして、園子の切々とした手紙は、英理の心を動かすのに十分な力を持っていました。
「ねえ、あなた。私達はつい今朝方まで、蘭の命がどうなるかってことを心配してたのよ?それが無事に生きていてくれるんだから、それだけでもう十分じゃない。いいえ、蘭がこの世に生きて、好きな相手と結ばれるなんて、あの子にとって、それ以上の幸せはないと思わなくて?」
「…そりゃあそうだけどよ。それにしたって、いきなりなあ…」
いつまでもぐずぐず言って快い返事をしない夫に対して、英理は急に態度を変え、
「っていうか。蘭がその人と結婚しないとなると、あなただって困ることになるんじゃなくって?」
とジト目で言いました。
「なんで俺が困るんだよ?」
「私も蘭の魔女騒動ですっかり忘れていたけど、あなたって、よく考えたらギルドの規約に抵触したままよね」
英理の指摘するのは、ギルドの承認を受けない販売先に織物を提供してはならない、というあの規約のことです。
小五郎の知らぬ話だったとはいえ、蘭が彼の織物を勝手にテーブルクロスにして新一の家に置いてきてしまった以上、それは確かに無断譲渡にあたるでしょう。
「彼が蘭のお婿さんだったら、私達の家族だから、特に何の問題もないでしょうけど。赤の他人だとしたら、あなたはどうやっても規約違反を免れなくってよ。それでギルドを除名されて、職人廃業するのはあなたの自由ですけど、私は無職の夫を養うのなんて御免ですからね」
英理の的確な指摘と脅し文句に対して一寸の反論の余地もない小五郎は、最終的には不機嫌顔でだんまりを決め込むしかありませんでした。
その後、結婚の挨拶のために正式に毛利家を訪ねてきた新一が、どこの馬の骨とも知れない男ではなく、大諸侯・工藤優作の息子であること、森で行き倒れた蘭を救ってくれた上、今回の魔女裁判の魔女容疑を晴らしてくれた恩人であること、そしてなにより、愛娘と心から愛し合っていることを知った小五郎は、さすがに無意味な反対をするわけにもいかず、渋々とふたりの結婚を許しました。
とはいえ、どんな相手であっても何か一言言わずにはいられないのが父親のさがです。
「新一侯。正直言って私は、蘭を大諸侯の家になど嫁がせたくはない。どうせ結婚するのなら、いつまでも私らのそばにいてもらいたいと、ずっと願ってきたのです。だが、蘭がどうしてもあなたのもとへ行きたいと言うのだから仕方がない。この期に及んでは、やはり蘭は修道院に入れるべきだったと、私らを後悔させないでもらいたいものですな」
苦々しげに新一を脅迫(?)する夫をみて、
(素直に「蘭をよろしく」って言えばいいのに…不器用な人ね)
と、英理は内心苦笑していました。
その英理は、嫁いでゆく娘に対して、次のような言葉をかけました。
「蘭…今まであなたには苦労をかけたわね。代書人の仕事にかこつけて、家のことは全部あなたに任せっきりだったし、私達夫婦はケンカばかりしていたから、娘のあなたを何度不安に陥れたかしれないわ。だけど、私達のことはもう心配しなくていいから、これからは自分達のことだけを考えなさいね」
母のそんな言葉を聞いた瞬間、
「やだ、お母さん。どうしてそんな寂しいこと言うの?」
と、蘭は反発しました。
「わたし、新一と約束したんだよ?これまで自分達を育ててくれたお互いの両親に、たくさんたくさん親孝行しようって。お嫁にいくからって、そんな縁を切るようなこと言わないでよ」
てっきり「ありがとう」と返してくれるだろうと思っていた蘭が、プンプン怒っているのを見て、英理はいささか面食らったようでした。
「蘭…でも…」
英理は、長い間蘭にいろいろな負担をかけてきたことに、母親として深い罪悪感を抱いていました。
代書人業にかこつけて、幼い頃からあまり娘の面倒を見られなかったこと。つまらないことですぐにケンカになってしまう自分達夫婦のせいで、何度も父親と母親の板挟みにしてしまったこと。
蘭はいつでも健気に親を想ってくれましたが、自分はその想いに応えられるような良い母親ではなかったという気持ちが、いつでも英理の心にはあって、それが、小五郎のような手放しの愛情表現ができない原因にもなっていたのです。
「私はあんまり可愛い妻でも良い母親でもなかったし…蘭のお手本にはなれないから…」
娘の結婚に際して珍しく弱音を晒す母親に対し、
「そんなことないよ!」
と、蘭は強く言い返しました。
「お父さんとお母さん、普段はケンカばかりだけど、毎日遠慮なくケンカできるって、本当はすごく難しいことなんだよね?だって、相手を心から信頼して甘えてなきゃできないことだもの。そういう両親のところに生まれて、お父さんとお母さんに育てられて、本当に幸せだったって、わたしは思ってるよ?わたしもお母さんみたいに、どんなにケンカしても、お互いの仕事が忙しくてすれ違っても、ずっとひとりの人を愛していける女性になりたいから。…だから、お母さんはいつでもわたしもお手本だよ?」
「蘭……!!」
英理は涙声になって、思わず娘を抱きしめました。
まさか蘭がそんなふうに思ってくれていたなんて…母親の短所でさえ、そんなふうに優しく受け容れることができるほど、いつのまにかひとりの雅量溢れる女性として立派に成長していた娘が愛おしくて愛おしくて。
「あなたって子は…。やっぱり嫁に出すのが惜しくなってきたわね。いつまでも親子3人で暮らしましょ?」
英理の口から、そんな一言が滑り出てきた途端、
「ちょ、ちょっと…お義母さん!?」
と焦ったように新一がストップをかけました。
てっきり最大の難関は小五郎だとばかり思っていたのに、こんなところに意外な鬼門が!?と嫌な冷や汗をかく新一に、
「あら。冗談に決まってますわ」
とニコリともせずに英理は言いました。
(全然冗談に聞こえないんですけど…)
新一は心の中でツッコミを入れながら、この両親にこれほどまでに愛されて育った蘭の真髄は、まだまだ奥深いのかもしれない…などと考えていました。
「とにかく、蘭は私達の命よりも大切な娘。末永くよろしくお願いしますね」
言葉遣いは丁寧なものながら、少し睨みが入っているんじゃないかと思うような鋭い目つきの英理にそう言われ、
「はい、勿論です。こちらこそよろしくお願いします」
と返事をした新一は、小五郎よりも巧妙な脅迫(?)の気配を感じて、蛇に睨まれた蛙のようだったとも言いますが、とにもかくにも、こうして無事に蘭の両親の承諾も得られたふたりは、ほどなくして無事に結婚式を挙げることが決まりました。
To be continued…….
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