森の番人



By 柚佐鏡子様



〈4〉



新一曰く、彼は家の都合で生まれたときから知り合いの家に預けられ、両親とは別々に暮らしていたそうです。
里親は気のいいおじさんで、新一のことをとても可愛がってくれ、預けられているといっても特に不自由な思いもしたことがなかったと言います。
実の両親も時々は会いに来てくれるし、彼はそれなりに幸せな子ども時代を送っていました。
ところが10歳になったある日、新一は急に体調が悪くなり、数日間寝込んでしまいました。
初めはただの風邪だろうと思っていましたが、なかなか治らないことを心配した里親が、新一を医者に連れていきました。
ところがその医者は、彼の症状が、東方を旅していた医者仲間から聞いた奇病・黒死病のそれとそっくりであることに気づき、自分の知識では治せないという焦りや、黒死病への無理解と恐怖から、しばらく新一を預かると言って里親と引き離した挙げ句、勝手に新一を森の奥深くに捨てに行ってしまったのです。
まだ子どもで、なおかつ弱り切った新一が、自力で帰宅できるわけもありません。どうせバレるはずはないからと、医者は「できる限り手は尽くしたが、新一君は死んだので森に埋葬しておいた」と、虚偽の報告をしました。
それを聞いた時、もう少し早く医者にかからせていたらと里親はたいそう悔やみ、悲しんだそうですが、数日たって少し気持ちが落ち着いてくると、死に際に何もしてやれなかったのなら、せめて亡骸だけでも手厚く慰めてやろうと思うようになりました。
米花の森が死霊の蠢く禁忌の森だとは知っていましたが、里親は案外と自由進歩主義的な思想の持ち主で、魔物に対する恐怖よりも、新一を弔いたい気持ちの方が勝っていたため、彼の遺体を回収するために人知れず森に入ったのです。
そして、そこで里親が見つけたものは、亡くなるどころか何故か病状を持ち直し、黙ってうずくまっている新一の姿だったのです。

結論から言うと、新一は黒死病ではありませんでした。
子どもにありがちな、性質の悪い熱病の一種で、重病と言えば重病ですが、命を落とすほど重篤な病ではなく、辛抱強く看病を続ければいずれ回復する類のものであり、現に新一は朦朧とする意識の中、本で読んだことのある薬草などを見つけながら命を繋いでいたのでした。
驚き、且つそれ以上に喜んだ里親は、早速新一を家に連れて帰ろうとしましたが、彼はそれを拒否しました。
禁忌を破ってまで、死んでいるはずの自分を森へ迎えに来てくれた里親に、10歳の新一はとても感謝していましたから、死んだことになっている自分がこのまま町へ戻っては、里親をいろいろな厄介事に巻き込むことになってしまうかもしれないと考えたのです。
それならば、いっそほとぼりが冷めるまで森の中に身を隠した方がいいという新一に、子どもをこんな恐ろしい場所にひとりで置いておけるはずがないと、里親は当然ながら大反対しました。
しかし、自分は数日間森に置き去りにされていたが、世間で言われているような化け物など陰も形も見なかったから大丈夫だ、あんなものは迷信に決まってる、と言い張る新一に押され、最終的には彼の両親が息子の言い分を認め、許したので、新一は10歳にして米花の森でひとりで暮らすことになったのです。

両親の協力を得て、粗末ながらも生活に困らない程度の家を建ててもらい、最初の頃は、食糧や生活必需品を頻繁に里親に運んでもらっていた新一でしたが、里親が森に出入りしていることを誰かに知られてはまずいと、子どもながらに真剣に自立を決意しました。
食糧となる鳥を撃つこと、食べられる木の実や野草を探すこと、その調理方法、水の確保の仕方…などなど、身につけなければならないことは山ほどありましたが、持ち前の器用さと本人のやる気とで、新一はすぐに自分で自分の生活を維持できる程度に成長しました。

さて、そうなってみると、元々独立心旺盛な彼のこと、自由気ままな独居生活も案外と性に合っているような気がしてきたと言います。
その上、その後世間で黒死病が本格的に流行り始めたので、ほとぼりが冷めるどころか、新一にとってはますます町に戻りにくい状況が出来上がってしまい、結果として今日に至ってしまっている、というところで、新一の話は終わりました。

彼は飄々と話してくれましたが、蘭にとっては想像もつかなかった衝撃的な話でした。
今まで当たり前のように両親の愛情を受けてきた自分、17歳になって、最近ようやく将来のことを考え始めた自分とは全く別の世界に身をおいている新一にとっては、いるかどうかも分からない森の魔物や、自然の法則に従って生きる狼なんかよりも、もっと警戒しなければならない事柄がたくさんあるのでしょう。
その事情は分かりますが、社会の狭間に置き去りにされたようなこの少年に、もう安穏な生活は訪れないのでしょうか。

「ねえ新一。里親さんのところが無理なら、ご両親のところに行くことは出来ないの?」

蘭はそう尋ねてみました。
いちいち確認まではしませんが、先程の新一の話からすると、彼の両親は貴族なのかもしれないと思えます。
世間で聞く話では、貴族は自分で子育てなどはせず、子どものためにわざわざ別の館を構え、召使い達に育てさせる習わしがあるそうです。
蘭は市民の娘なので、生まれた時からずっと親と一緒の生活に住んでいます。
貴族には貴族のしきたりや伝統もあるのでしょうが、親子なのだから、助け合って親子一緒に暮らせばいいと考えるのは、蘭にしてみれば自然な流れです。
しかし、新一はその提案にはあまり乗り気ではないようでした。

「あー…まあそれも悪かないんだろうけど、オレ、親と一緒に生活するなんて、今更あんま想像できねーんだよなぁ」
「でも、それが自然な形だよ?新一が強いのは分かるけど、そんなに自分ひとりで頑張ろうとしなくてもいいんじゃない?」

蘭があまりにも心配そうな表情を浮かべるので、彼女を安心させるために、

「んな顔すんなって」

と、新一は笑顔を浮かべました。蘭がここへ来てから初めて見せる優しい表情でした。

「オレだってずっとこのままでいようと思ってるわけじゃねーし。なるべく混乱をもたらさない形で、元の生活に戻ろうとは思ってるよ。だから人間社会に疎くならねーように、無理言って本もたくさん運んでもらってんだし」
「そうだったんだ。それで新一の家には本がたくさんあるのね」

子どもの頃から憶えがよく、読書が大好きだった新一は、今でも数か月に1度だけ、里親に頼んで本を運んで来てもらっているのです。
それは、孤独な新一にとって純粋な楽しみのひとつでもあり、森の中にあって世間の情勢を知るための大切な手段でもありました。

「蘭は字が読めるのか?」
「うん。わたしのお母さんは代書人なの。だから、小さい時から読み書きはしっかり教えてもらってるよ」
「へー…織物職人のおかみさんが代書人か。なんか変わった夫婦だな」
「そうかもしれないね。うちの両親は自由恋愛で結婚したから、それぞれ別の仕事に就いているの。だけど、お互いに尊重し合って頑張ってるよ。その分ケンカも多いのは困っちゃうんだけど」
「ケンカねぇ。まあ、蘭の母さんなら気は強そうだよな。何せ娘でこれだから…」
「もう!またそんな意地悪言うんだから!」

それから蘭は、請われるままに夜通し喋り続けました。
新一が蘭のことをいろいろ知りたがったからです。
自分のような平凡な町娘の人生でも、今の新一にとっては物珍しくて興味ひかれるものなんだと思い、蘭は少しでも彼の望みに応えてやりたくて、他愛もない日常の出来事や、子どもの頃の些細な思い出までも全て、包み隠さず新一に話しました。
新一は時々意地悪な茶々をいれたりしながらも、概ね優しい顔をして、ちゃんと話を聞いてくれるので、蘭は、こんなに自分のことを誰かに打ち明けたことはないというくらい喋りすぎてしまい、そうして喋り疲れて、いつのまにか眠りこけていました。



  ☆☆☆



翌朝、蘭は不思議に暖かく、満たされた気持ちで目覚めました。
さあ起きようと思い、パチリと目を開けた瞬間、自分の腕が何かにきつく絡まっているのに気づきました。
何か−−−それは新一の体です。蘭は彼にぴったりと抱きついた状態で眠っていたのです。
このことに気づいた瞬間、蘭は天地がひっくり返るほどビックリして、驚きのあまり、

「エ、エッチ!!」

と叫び、考えるより先に体が動いて、新一に当て身を食らわせていました。
ヤバイ!という咄嗟の判断か、間一髪でそれを避けた新一は、今度はその勢いのままベッドから転落。

「いてて…」

と腰を押さえています。

「キャッ!?ご、ごめんなさい!大丈夫…?」
「大丈夫って…自分が攻撃してきたんだろ。ったく、乱暴な奴だな」
「ご、ごめん…でも、だって…!」

真っ赤な顔でオロオロする蘭に、不機嫌顔全開で、

「言っとくけど、オメーが寝ぼけてしがみついて来たんだからな?ひとには絶対変なことするなと約束させといて、なんなんだよ一体…」

と一頻りブツブツ言っていた新一でしたが、しばらくすると諦めたように大きな溜め息をひとつ吐いて、

「ま、いいや。寝起きでそれだけ動けるんなら、オメーの護身能力も十分だってこった。何かと物騒な世の中だから、身を守るためには必要な、いいことだと思うぜ?…んなことより、歩美ちゃんの様子みてきたらどうだ?」

と蘭に言いました。

「う、うん…」

恥ずかしいやら申し訳ないやらで、消え入るような返事をした蘭が、

「ごはん、ちょっとだけ後になるけど…待ってもらえる?わたしが用意するから」

それでもこわごわ申し出ると、

「…んじゃ、頼む。オレはもう少し寝てるから、出来たら起こしてくれ」

と、ちょっぴり拗ねたふうに言って、新一は布団の中に潜り込んでしまいました。

蘭は、自分が昨晩遅くまでとりとめもない話をしたから、彼はよく眠れなかったのかもしれないと、己の考えの足りなさがまたまた恥ずかしくなってしまいました。
そして、新一に迷惑をかけてはいけないから、今夜からは寝ぼけて抱きついたりしないように気をつけなければ、などと思いつつ、不思議なことに、何故か“新一と別々に寝る”という考えが浮かんでこない矛盾には気づきません。

蘭は全く気づいていませんでした。
町を離れ、たったひとりで病身の歩美を抱える今の自分が、どれほどまでに新一を頼りにしているかということを。
そりゃあ、今のこの状況では、新一がいなければ寝起きや食事すらできないのですから、物理的な意味で新一に依存せざる得ないのは自覚していましたし、そのことをありがたいとは思っています。
しかし、そういう状況であればこそかえって、自分がどれほど彼に心を許し、彼がいることで前向きな自分を保てているかという真実に思い至る機会が失われていたのです。




To be continued…….






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