森の番人



By 柚佐鏡子様



〈9〉



蘭が教会から家に帰ると、母の英理がオロオロしながら家中を右往左往していました。

「どうしたの?お母さん。そんなにそわそわして」
「蘭。困ったことになったわ」

いつも冷静な母の、こんなに落ち着かない様子を見たのは初めてだったため、蘭はただ事ではないと直感しました。

「さっきギルドの召還吏(注・裁判等の呼び出しに来る人)が来て、小五郎を連れていってしまったの」
「どうして?税金ならちゃんと払ったじゃない!」

先刻の園子との会話をなにげに引きずっている蘭がそう言うと、意外なことに、英理から返ってきた答えは、このようなものでした。

「そうじゃないの。そうじゃなくて、今回召還されたのは、あなたのことが原因なのよ」

聞けば、小五郎は職人組合であるギルドの規約に反したのではないかという疑いをかけられ、今回呼び出しを受けたとのこと。
職人の既得権を守るという名目で、ギルドの規約にはかなり細かなことまで定められていますが、その中に、許可なく引越や旅行をしてはならない、という条項がありました。
高度な技術を習得している職人から、門外不出の製作方法が外に漏れれば、豪商などがシステム化して織物を大量生産することもあり得る。
そうなれば同業者の利益を著しく害することに繋がるとして、職人を怪しい部外者と接触させないようにするため、許可なく家を離れることを厳しく制限していたのです。
今回、小五郎自身が家を空けたわけではありませんが、その一人娘である蘭が、行き先も明らかにしないまま9日間も行方不明になっていたことが問題視され、小五郎が娘を使者として、どこか別の町の商人に織物の秘密を漏らしたのでは、との嫌疑をかけられたのでした。

英理は、全ての経緯を説明し終えると、

「ねえ蘭。あの9日間のこと、何か少しでも思い出せないかしら?」

と優しく、それでも切迫した表情で問いかけました。
ギルドの規約に反したら、厳しいペナルティが課せられます。
最悪の場合はギルドを除名され、職人を続けることができなくなってしまうかもしれません。

(わたしのせいで、お父さんが…)

自分の嘘が招いた思わぬ事態に、蘭は困惑し、苦悩しましたが、ちょうどその時タイミング良く小五郎が帰宅してきました。

「お、お父さん!おかえりなさい!」
「あなた!どうなったの?」

心配顔の妻と娘に駆け寄られた小五郎は、憮然とした様子で、

「どうもなりゃしねえよ。蘭は覚えてねえって説明しても、ギルドの議長は聞き耳なんざ持たねえ。自分が直接査問するから、明日、蘭を連れてもう一度出頭しろとよ」

と苦々しく呟きます。

「お父さん…わたし、どうすればいい?」

父親への申し訳なさでいっぱいになっている蘭を安心させるように、小五郎はいつものぞんざいな口調で言いました。

「どうすればも何も、覚えてねえもんは覚えてねえって言うしかねえだろ。覚えてもねえことを、相手の都合に合わせてそれらしく証言する義理はねえよ」
「でも、それじゃお父さんの立場が…」
「ハッ、ガキがいっちょまえに大人の心配なんかしてんじゃねえっつーんだよ。それより蘭、ハラ減った。メシ!」
「ちょっと!お父さ…」

この話はこれで終わり、とばかりにそう言い放ち、そのままどこかへ行こうとする小五郎を蘭が呼び止めようとした時、英理は優しくその肩を叩きました。
そして、何も言わず、少し翳りのある笑顔で首を横に振るのです。
その笑顔は、ここは黙ってあの人の優しさに甘えておきなさい、とでも言っているようでした。



翌日のギルド会議に出席した蘭は、小五郎が退席を命じられている状況で、厳めしい織物職人達に取り囲まれるようにして座っていました。
小さい頃から見知っている父の仕事仲間達…それが今は会ったこともない人達に見えてきます。
中央に座った議長が、権威ぶった口調で言いました。

「さて、毛利小五郎の娘、蘭よ。君は先頃9日間に亘って姿をくらまし、その行き先については誰にも伝えていないそうだが?」
「…はい」

実は、この議長が小五郎のことをよく思っていないのは、蘭も知っていました。
若い頃からずっと織物の仕事に従事してきて、今のギルドの礎をつくった立派な人ではありましたが、かなり意固地で融通が利かず、形式にこだわりすぎるきらいのある人です。
お調子者でいいかげんで、それなのに不思議と誰にでも好かれる小五郎の工房が、徒弟達の信頼や妻・英理の並外れた経営感覚に支えられて結構繁盛しているのが、どうにも気に入らないらしいです。
この人の前で不用意な発言をしたら、更にお父さんを苦境に立たせてしまうことになると、蘭は人知れず身を引き締めました。

「君はその時、どこへ行っていたのかね」
「…覚えていません」
「そんなはずはないだろう。その9日間の間に、町で君の姿を見た者は誰もいない。現に君のお父さんは、娘がいなくなったから探してくれと自警団に怒鳴り込んできている。すると君は、この町を離れてよそへ行っていたというわけだ。さあ、どこへ行っていたのか正直に言いなさい」
「…本当に覚えていないんです」

覚えていないを繰り返す蘭に、議長は激高したように眉をしかめましたが、それでも、言葉で恫喝することはなく、

「では質問を変えよう」

ともったいぶって言いました。

「君は日頃、お金はどのくらい持ち歩いているかね」
「…えっ?」

急に質問の内容が大きく方向性を変えたので、蘭は驚いて顔を上げました。

「君だっていくらか自分の自由になるお金を持っているだろう。繁盛している工房の一人娘なんだから」

議長の、ちょっと嫌味な言い方に、
「…お金の管理は父と母がしていますから。わたし自身は、お友達と出かける時にお小遣いを少しもらう程度です。ウチにはお弟子さん達もたくさん居るし、無駄遣いする余裕はありません」

と、蘭は冷たく言い返しました。

「ほう、そうかね。でも、それはおかしいね」
「…どうしてですか」
「9日間も出奔していた君が、お金もないのにどうやって毎日過ごせたんだろうか?宿屋に泊まるにしても、料理屋で食事するにしても、あるいはドレスを洗濯屋に出すにしても、9日間ともなれば、かなりまとまったお金が必要なはずだが、君はその費用をどのようにして賄っていたのかな」
「そ、それは…」

新一のところにいたからお金はかからなかった、とは言えませんでした。
黙り込む蘭に、議長はまたまた話題を変えました。

「ところで君は素敵なドレスを着ているね」
「……ありがとうございます」
「それは、君のお父さんが織物で作ったものだね?」
「そうです」
「いや、さすがの腕前だ。ところで君は、例の失踪期間中も、お父さんの作ったドレスを着ていたの?」
「わたしのドレスは、全部父が作ってくれたものですから…」
「とすると、君はドレスさえ身につけていれば、どこへでも毛利小五郎の作った織物の見本を持っていけるというわけだ」
「……!!」

ここに来てようやく、蘭は自分が議長の誘導にハメられたことを悟りました。

「ギルドの承認を受けていない販売先に商品を納入してはいけない規約があることは、君も知っているだろうね。売ることは勿論だが、製品の一時貸し出しも禁じられている。製作技術が模倣されるのを防ぐためだ」

議長はニヤリと笑って、蘭を追いつめにかかりました。

「君は自分のドレスを一時貸し渡すことによって、その相手から、宿や食事、替えのドレスの提供を受けていたから、お金も必要なかったんだろう。いつも父親の仕事を手伝っている君なら、その場で製作方法を伝えることも可能だからね」
「ち、違います!」
「いい加減に認めたらどうなんだ!君は外部に職人の秘密を漏らしたな!父親の指図でか!?それとも君の勝手な判断か!?」
「違うっ…!わたしはそんなことしてません!」

ヒステリックに怒鳴る議長と、必死に反論する蘭。
それを無言で取り巻く職人達。
緊迫した異様な光景が繰り広げられる中、ひとりの勇気ある職人が、

「待って下さい、議長!その娘さんは無実です!」

と声を上げました。
それは歩美の父親でした。
一同に一斉に注視されるも、いったん決意した彼はひるむところを知りません。
自ら立ち上がり、蘭に向かってかすかに微笑んでみせました。
そして、実に堂々とした態度で告白したのです。

「彼女は私共の娘を探すために出かけていったのです。我が娘・歩美は当年10歳、先頃奉公へ出したものの、奉公先に着いた早々熱病を患ってしまい、奉公の約束を反故にされて舞い戻ってきたため、現在は自宅で養生している…ということになっていますが、実を言うと、それは嘘なのです。本当は…本当は、黒死病にかかった娘を、私共が奉公に出したと偽って米花の森に置き去りにしたという話に過ぎません…。それを知った毛利さんの娘さんは、うら若いご婦人でありながら、危険を顧みず、歩美を探しに米花の森へ連れ戻しに行ったのですよ。そして、どこでどうしたものやら歩美の病気まで治してくれて、健康な状態で我が家まで連れ帰ってくれました。その娘さんは、私共のしたことが発覚すれば今後の生活に支障が出ると思って、私共のために口を噤んでくれているだけなのです。…議長、我らが子捨ての咎で謗られるのなら分かりますが、彼女がそんなふうに責められる謂われはないはずです。お願いします、もうこんな査問はやめにして下さい」

歩美の父が切々と事情を説明し終えると、周囲にザワつきが広がりました。
今まで薄々気がついていても、誰も公に口にすることのなかった真実。
それを当事者自らが明らかにしたのですから、その衝撃たるや相当なものです。
しかし、わざわざ自分にとって不利益になる作り話をする人は誰もいませんから、歩美の父に対して、それは嘘だろう、などという横槍が入ることはありませんでした。

「…しかし、その話が本当だとは俄に信じがたい」

それでも議長は、口惜しそうにそんなセリフを絞り出しました。

「吉田君。まさか君は、毛利小五郎に頼まれてそのような発言をしているのじゃなかろうね」
「そんな、まさか!」

疑心暗鬼に陥っている今の議長には、何を言っても聞き入れてもらえないのかもしれませんが、自分の娘にさえ「嘘の証言はするな」と言っていた一本気な小五郎です。
それに彼は、例の失踪期間中、蘭が歩美とともに米花の森にいたことを今でも知らないのです。そんな彼が、ここまで事細かな偽証教唆をするなど、非常に考えにくいことでした。

「では議長、我が娘を査問して下さい!」

歩美の父は縋るように懇願しました。

「歩美はまだ幼い。蘭嬢を助けようとして偽証を働いたとしても、すぐにバレるような底の浅い嘘しかつけないでしょう。ある意味、証人にはうってつけではないですか。是非娘の話を聞いた上での判断をお願いします」
「…うむ」

こうして、急遽歩美までもが呼び出されることとなり、蘭の査問は更なる紛糾の様相を呈していったのです。




To be continued…….






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