銀河探偵伝説



By 槇野知宏様



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 同盟首都ハイネセンでは、遠征軍からの大規模な要求に対して賛否両派が激論を闘わせていた。
賛成派曰く―――元々、遠征の目的は帝政の重圧に喘ぐ帝国の民衆を解放する事にある。五〇〇〇万の民衆を飢餓から救うのは人道上からも当然である。軍事的にも政治的にも、遠征軍の要求に応じ、占領地住民に食料その他を供与すべきである、と。
反対派は主張する―――元々、この遠征自体が無謀なものだった。当初の予定だけでも必要経費は今年度の国家予算の約六パーセント、軍事予算の一割以上に相当する。
これだけでも財政決算が予算を大幅に上回る事は確実なのに、このうえ占領地を確保して住民に食料等を供与するとなれば財政の破綻は目に見えている。もはや遠征を中止し、占領地を放棄してイゼルローンへ撤兵すべきである、と。
主義主張に打算や感情が絡まって激論は果てしなく続くと思われたが、イゼルローンからの報告、というより悲鳴が事態を収拾した。

『我が軍将兵に戦死の機会を与えよ。手をこまねいて日を送れば、不名誉なる餓死の道に直面するのみ』

要求通りの物資が集められて輸送が開始されたが、程なく前回とほぼ同様の追加要求が届けられた。占領地は拡大し住民は一億を超え、その分だけの物資を追加せざるを得ない。
賛成派もさすがに鼻白み、反対派は言った―――それ見たことか、際限(きり)がないではないか。五〇〇〇万が一億になった。そのうち一億が二億になるだろう。
帝国は我が同盟の財政を破綻させるつもりなのだ。うかうかとそれに乗った政府と軍部の責任は免れないだろう。もはや方法は一つだけである。速やかに撤兵すべし、と。

「帝国は無辜(むこ)の民衆そのものを武器にして我が軍の侵攻に対抗しているのだ。民衆を武器とする事は憎むべき戦法であるが、我が軍が解放と救済を大義名分にしている以上、有効な戦法である事を認めざるを得ない。さもなければ我が軍は力尽きたところで帝国軍に袋叩きにされるであろう。何度も言っているが可及的速やかに撤兵すべきだ」

 財政委員長である阿笠が最高評議会でそう発言した。出兵に賛同した議員たちは悄然と、あるいは憮然として黙ったまま席に座っている。情報交通委員長ウィンザー夫人は顔を強張(こわば)らせたまま何も映っていないコンピュータ端末機の画面を見つめていた。
今や撤兵の他に方法がない事は彼女も分かっているが、このまま何の戦果も挙げずに撤兵したとあっては、最初からの出兵反対派だけでなく彼女を支持している主戦派の人々も政治的責任を追及する事は火を見るより明らかだった。
遠征軍総司令部(イゼルローン)や前線部隊の無能者どもは何をしているのだろう。撤兵はしかたないとしても一度だけでも良いから帝国軍に対して軍事的勝利を挙げてみせたらどうなのだ?
そうすれば彼女のメンツも立つし、後世、この遠征自体が愚行と浪費の象徴として非難される事もなくなるだろうに・・・そう思って彼女はサンフォード最高評議会議長を見やった。
“誰からも選ばれなかった”と嘲弄される国家元首。政界の力学がもたらすゲームの末に漁夫の利を得た政治屋。彼が次の選挙の事を言ったばかりに私は乗せられてしまった―――彼女は心から、自分をこの窮状に追い詰めた議長を憎んだ。

もし、新一たちがウィンザー夫人の心の内を読んでいたら、侮蔑の言葉と冷笑を浴びせていたであろう。自分の事を彼方に放り捨てて、責任転嫁をする気か、と。

 一方、国防委員長のトリューニヒトは自分の先見の明に満足していた。彼のブレーンたちが導き出した結果と国防委員長の予想が合致した―――現在の国力、戦力で帝国領に侵攻しても成功しない事を。
近い将来、遠征軍は無残に敗北し、現政権は支持を失うが、トリューニヒト自身は無謀な出兵に反対した真の勇気と識見に富む人物として、傷を受けるどころか返って声価を高めるだろう。
後は阿笠とシャロンが競争相手として残るが、彼らには軍部と軍需産業の支持が無いに等しい。結局、最後にはトリューニヒトが最高評議会議長の座に着くことになる。
“帝国を打倒した、同盟最高の国家元首”という称号は自分に相応しく、他の誰にも与えられない称号だ、と、国防委員長は内心で会心の笑みを浮かべた。
結局、撤兵論は、前線で何らかの結果が出るまで、軍の行動を掣肘すべきでない、との理由で否決された。主戦派としては些か後ろめたい主張ではあったが、トリューニヒトにとっても大いに結構な事だった。もっとも主戦派と彼とでは期待する結果の内容が全く異なってはいたが。



『本国より物資が届くまで、必要とする物資は各艦隊が現地において調達すべし』

この命令に近い方針が各艦隊に伝えられた時、彼らは顔色を変えた。各艦隊からは遠征軍総司令部に対する不信感と非難の声が挙がったが、新一は彼らと同じ思いでも同調して声を挙げる気にはなれなかった。
もともと無責任な動機で決定された出兵である以上、実施運営が無責任になるのも当然かも知れなかった。後方主任参謀を務めている志保の苦労が思いやられた。
もう限界だな、と、新一は思う。占領地住民に供出を続けた結果、他の艦隊もそうだが第一三艦隊も物資や食料だけでなく、帝国軍の小規模部隊による断続的なゲリラ攻撃により、各種武器のエネルギーやミサイル等も底を突きかけ、将兵も疲労している。

「大尉、艦隊の物資はどれくらい残っている?」
「はい、食料等はあと二週間分、弾薬等は良くて二会戦分しか残ってません」

蘭の言わんとしている事が新一には分かっていた。物資の在庫量、二週間分、と、言うが、これは節約して艦隊将兵だけで消費した場合の数字である。もし占領宙域の民衆に供与を続けた場合、物資は一週間足らずで底をつく。
艦隊は民衆に対して食料を供出しなければならず、このまま後方からの補給が無く食料が尽きた場合、同盟軍が取るべき道は二つだけだ。占領宙域を放棄してイゼルローンに近い補給可能宙域までの後退か、飢えを凌ぐために民衆から調達―――というより略奪するしかない。
弾薬等は逃走を繰り返せば節約は出来ようが、帝国軍とて二重、三重の迎撃態勢を執っていると推定されるので最悪の場合、一会戦で底をついてしまうだろう。いつものように思考にふける新一だったが、いつの間にか指揮卓におかれたコーヒーの香りで思考を中断させた。

「閣下、ご休憩してはいかがです?」
「ありがとな、蘭」
「周りに人がいますから公私混同は謹んで下さい」

副官の言葉に苦笑した新一は彼女が淹れてくれたコーヒーを一口飲んだ直後、これしかねえな、と、呟いた司令官は傍らで立つ副官兼任の幼馴染みに声をかけた。

「副司令官及び各分艦隊司令に『ヒューベリオン』に来るよう伝えてくれ」


 司令官の呼び出しに、何かある、と、確信した美和子たちが「ヒューベリオン」に参集すると、新一の口から飛び出したのは次の言葉だった―――直ちに占領宙域を放棄し、補給可能宙域まで後退する、と。
その言葉を聞いても、誰も驚きはしなかった。むしろ新一の発言に賛成の意を表したくらいである。それを受けてコーヒーを飲み干して新一は命令を下した。

「第一三艦隊は現時刻をもって占領宙域を放棄。最低限の物資を残して撤退準備に入る」

その命令に頷きながら探が上司である友人に目を向ける。彼自身も司令官の命令に対して全面的な正しさを見出してはいたが、常識的な進言をする立場上、常識的な質問を述べた。

「僕も提督のご意見を全面的に賛成致しますが、この行動自体が抗命罪として軍法会議にかけられる可能性が極めて高い事はご承知の上ですか?」
「抗命罪?そんなの最初から覚悟してるから命令を無視するんだよ。現状をロクに把握しねえで安全な場所から命令するだけの総司令部の命令なんか聞けるワケねーだろ」

占領地を確保せよ、と、言うのが総司令部の命令であったが、満足な補給を受けられない艦隊が敵とマトモに戦えるはずがない。
腹が減っても精神力でカバー出来る、などと豪語する軍人もいるが、そんな悪しき精神論者が一人もいないのが第一三艦隊司令部である。
探にそう言うと新一は蘭を呼び、第一〇艦隊のウランフ中将との間に超光速通信の直通回線を開かせた。

『おう、工藤新一か。珍しいな、何事だ?』
「ウランフ中将、お元気そうで何よりです」

嘘である。精悍なウランフの全身から憔悴が溢れ出している。勇気や用兵術とは次元の異なる問題だけに、勇将の誉れ高い彼も困り果てているようだ。
新一から、食料や弾薬等の備蓄状況を問われて、通信スクリーンに映るウランフは一段と苦い表情を浮かべた。

『あと一週間分をあますのみだ。それに帝国軍の断続的なゲリラ攻撃に対処しているから弾薬等も二会戦分あるかどうかだな。それまでに補給が無かったら占領地から徴発―――言葉を飾っても同じだな、略奪するしかない。全く解放軍が聞いて呆れる』
「それについて意見があります」

新一はそう前置きして、先程、部下に命じた占領地を放棄しての撤退を提案した。

『後退だと!?』

ウランフは軽く眉を動かした。

『一度も砲火を交えないうちにか?それは消極的に過ぎんか』
「余力のあるうちにです。敵は我が軍の補給を断って飢えるのを待っています。それは何のためでしょう」
『・・・機を見て全面攻勢に転じて来ると言うのか?』
「はい。敵は地の利を得ており、補給線も短くて済みます」

豪胆をもってなるウランフだが、背中に冷気が吹き込む感覚を覚えようだ。

『だが、下手に後退すれば返って敵の攻勢を誘う事になりはせんか?』
「各艦隊が合流し、反撃の準備を十分に整える、それが大前提です。今ならそれが可能ですが、将兵が飢えてからでは遅過ぎます」

ウランフは考え込んだが、決断に要した時間は長くなかった。

『分かった。貴官の意見が正しかろう。我が艦隊も撤退準備に入らせる事にするが、他の艦隊や総司令部はどう話をつける?』
「ビュコック中将には、私が連絡して、各艦隊への連絡をしていただくようお願いします。総司令部については、私が連絡します」
『よし。では互いに、なるべく急いで事を進めるとしよう』

ウランフとの相談が終わった直後、急報がもたらされた。

「しんい・・・閣下、第七艦隊の占領地域で民衆による大規模な暴動が発生しました。食糧不足の軍が民衆に対して略奪同然の行為を働いたためです」

慌しさから一転して驚愕した幕僚群の目が蘭に集中し、その顔からはやりきれなさが滲む。

「蘭、第七艦隊はどう対処した?」
「武力をもって鎮圧はしたらしいけど、すぐに再発したみたい」
「軍の対抗手段と民衆の暴動規模・・・拡大することはあっても、もう縮小する事は不可能だな」

艦隊司令官と副官。プライヴェートでは幼馴染みであるが、公務では上官と部下の関係である。新一と蘭にしてみれば、らしからぬ行動であったが誰も咎めようとはしない。
更に第三、第八、第九艦隊の占領宙域でも暴動が発生したとの報告が飛び込んで来た。恐れていた事が起こった―――全幕僚は声は出さなかったが、誰が見ても顔にはそう書いているように見えたかも知れない。
解放軍を高らかに名乗っていた同盟軍が民衆を敵に回した。占領当初から今まで培ってきた友好関係もこの一件で崩壊してしまったであろう。帝国軍の焦土作戦は見事に同盟軍と民衆の仲を引き裂いた事に成功したワケだ。

「やってくれるぜ。ローエングラム伯」

そう呟いた新一は蘭に対して第五艦隊司令官ビュコック中将に直通回線を開くよう命じた。



 ビュコックとの通信を終えた新一は安堵のため息をついた。
自分の孫ほどの年齢である自分の意見を真剣に聞いてくれただけでなく、他艦隊との連絡役をも買って出てくれたである。

『新一が頑張っとるのに年寄りが何もせんというのも問題があるだろうて。喜んで協力させてもらおうかの』

そう言って莞爾と笑ったビュコックに新一は頭が上がらないだろう。無論これは自分以外の人間も同じであろうが。
ウランフにしてもビュコックにしても年齢も実績も下である新一の意見をしっかり聞いた上で、彼の意見を是としてくれた事に彼は感謝している。
第五、第一〇の艦隊司令官との通信をを終えた新一は続いて総司令部に通信回線を開かせたが、通信スクリーンに登場したのは作戦参謀フォーク准将だった。

「オレは総司令官閣下に面会を求めているんだ!作戦参謀ごときに面会を求めた覚えはねえ!!」

苛烈な眼光と迫力のある声。若いといっても一個艦隊の指揮を任され最前線で戦っている新一である。後方勤務ばかりの男が敵うはずもない。
その迫力に一瞬だけ怯んだ感のある作戦参謀であったが、体勢を立て直して甲高い声で返答した。

『そ、総司令官閣下との面談、作戦の上申等は全て小官を通して頂いております。どのようなご用件で面談をお求めですか?』
「補給不足に鑑み、補給可能宙域までの撤退ついて総司令官閣下のご裁可を頂きたい」

フォークの声を聞くのが嫌なので話を短くしたい―――そう思った新一はフォークに大上段から切り込んだ。

『撤退ですと?知将たる工藤提督が撤退を具申なさるとは意外な事ですな』

人を見下したかのような発言に新一は怒りを覚えたが、それを表面に出すような事はしない。

「前線の将兵は戦える状態じゃないし、一部占領宙域では暴動も発生している。我が軍が敵の焦土作戦に乗せられたのを分からないのか?」
『例え焦土作戦であっても小官であれば撤退しません。むしろ敵の策を逆手にとって出撃してきた敵を粉砕するだけです』

そのくらいの事を理解できないのか―――露骨にそう言っているのを直感で感じ取った新一の目が細くなる。
新一の周囲にいた面々は彼が完全に怒っている事が分かった。冷静沈着と呼ばれる男を怒らせた時ほど、容赦がない事を彼らは知っていたからだ。
このフォークの不用意かつ不遜な一言が、新一の今回の作戦に対する怒りという名前の炎にガソリンをぶち込む結果となった。

「そうか・・・だったら代わってやるよ。オレはイゼルローンへ後退するからオメーが代わりに最前線へ出て来やがれ」
『実行不可能な事を仰らないで頂きたいものですな』
「その実行不可能な事をイゼルローンから一歩も動かずに言ってるのはオメーだろうが!」
『しょ、小官を侮辱なさるのですか?』
「オメーの価値もねえ大言壮語は、もう聞き飽きたんだよ!第三者に命令してる事をオメー如きが出来るワケねーだろ!!現実と妄想の区別すらマトモに出来ねえヤツが偉そうに作戦の立案をするんじゃねえ!!!」

新一が罵声の一撃を浴びせた瞬間、フォークの元々青白い顔が余計に白くなっていく事に新一は気づいた。
そして呻き声をあげながらスクリーンから姿を消す作戦参謀を見ながら、自分の隣にいる参謀長と副参謀長に聞いたものである。

「どうしたんだ、ヤツは?」
「単なる現実逃避ですね」
「・・・ホント、無様ね」

探と紅子の言葉は全く容赦がなく、他の幕僚たちも頷くのみである。スクリーンの向こう側では人々が右往左往しており、新一は数分間待たされる羽目になった。やがてスクリーンに旧知の阿笠志保少将が姿を見せた。

『みんな、お久しぶり・・・フォーク作戦参謀は現在治療中よ。その件に関して説明してあげるわ』
「治療だと?」
『そう。てんかん性ヒステリーによる神経性盲目のね』

志保の話によると挫折感が異常な興奮を引き起こし、視神経が一時的に麻痺するものらしい。ただし原因が精神的分野なので、それを取り除かないと何にもならないそうだ。

「で、その原因ってのは何なんだ?」
『挫折感、敗北感を与えてはならない。彼の言う事を素直に聞く・・・軍医の話を簡単にすると、そんなところかしら』

志保の話を聞いた艦隊司令部の面々は思いっきり苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。そんな子供じみたメンタリティしか持ち合わせていない輩のために同盟軍三〇〇〇万将兵が飢えと疲労と闘っているのだ。

「あのアホのためにオレたちは苦労してたっちゅう事か?目の前におったら、容赦なくぶん殴っとるで・・・どう思う、快ちゃん?」
「平ちゃんの言う通りだな。しかし帝国軍の指揮官連中がこの話を聞いたら、歓喜のタップダンスを踊っている光景が頭に浮かぶぜ」

平次と快斗は皮肉というより本音で話しているのだが、新一だけでなく艦隊司令部の面々、そして志保も同じ感想を抱いたのは言うまでもない。

『とにかく専門的医学な事は私の範疇外だから何も言えないけど・・・総参謀長閣下に替わるわよ』

選挙の勝利を目的とした政治屋と、小児性ヒステリーの自己顕示欲の強いエセ秀才型軍人が野合して、三〇〇〇万の将兵が動員される事になったのだ。
これを知ってなお真剣に戦おうとする者は、ただの戦争好きか、帝国軍との戦闘に酔いしれる自己陶酔家くらいなものだろう、と、新一は苦々しく考えた。
志保に替わってスクリーンに現れたのは遠征軍総参謀長のグリーンヒル大将だった。端整な紳士的容貌に憂いの色が濃い。

「総参謀長、お見苦しいところをお見せしました。申し訳ございません」
『いや、こちらも見苦しい部分を見せてすまなかった。総司令官の裁可があり次第、フォーク准将は休養という事になるだろう』
「総参謀長、補給を絶たれた我が軍は心理面、肉体面においても戦える状態ではありません。ここは一刻も早く全艦隊をイゼルローンまで後退させるべきです」
『貴官の意見はもっともだが、この件についても総司令官の裁可が必要になる。私の一存では決められないのだ』

グリーンヒル総参謀長の官僚的答弁にうんざりはしたが、その事を顔には出さず、新一は再度グリーンヒルに具申する。

「総参謀長、非礼を承知で申し上げます。総司令官ロボス元帥と面談出来るよう取り計らって頂けませんか?」

一応平静さを装っているが、新一は怒りを理性で押さえつけている。
ここでグリーンヒルがロボスとの面談を許可するか、彼の独断で全部隊を後退するよう指示すれば歴史は少しばかり変わっていたかも知れない。
さすがに新一自身、そこまで都合が良い事は考えていない。 総参謀長が総司令官との面談に取り計らってくれる、と、考えていたのだが、その予測を予想もしない言葉で覆された。

『総司令官は昼寝中だ』

グリーンヒルの回答に新一は眉をひそめ、彼の周囲にいる幕僚に目をやって、スクリーンに顔を向ける。

「・・・昼寝ですか?」
『うむ、総司令官は昼寝中だ。敵襲以外は起こすな、との事だ。君の具申は起床後に伝える。それまで・・・』

待っていて欲しい、と、言おうとしたグリーンヒルだったが、スクリーンの向こう側から向けられる視線で声帯機能が一時的にストップした。
怒り、冷笑、そして呆れ果てた表情―――それらは第一三艦隊司令部から総参謀長を通り越して総司令官に向けられていたのだが、グリーンヒルはそれらが自分にも向けられている、と、錯覚したほどである―――若干は総参謀長にも向けられてはいたが。
新一が総参謀長に返答したのは一分近く経ってからの事だったが、その声は感情を押し殺していた。

「よく分かりました。総参謀長、総司令官がお目覚めの時にこう伝えて下さい。我が第一三艦隊はもとより、各艦隊は補給状況の悪化に鑑み、全占領宙域を放棄してイゼルローンまで後退する、と」
『待ちたまえ。補給困難を理由に後退するなど聞いた事がない。確かに補給が続かなくて困難かも知れないが、五日以内に補給部隊を各宙域に派遣する。それまでの辛抱だ』
「総参謀長のお言葉はごもっともですが、無能な作戦参謀が作ったレールに乗っただけの机上の作戦案だけで事を進め、前線に参謀の一人も寄越さず、各部隊の実情を把握しようとしない・・・状況次第によっては各艦隊司令官が独断処置する場合がある事を承知して頂きたい」
『工藤くん・・・』

総参謀長に返答の暇すら与えず、新一は通信回線を切った。灰白色の平板と化したスクリーンを、グリーンヒルは重苦しい表情で微動だにせず見つめていた。



 偵察部隊からの報告を受けたラインハルトは居並ぶ諸将の中からオーベルシュタイン准将を呼んだ。

「同盟軍が占領宙域を放棄して撤退準備に入っているそうだ。オーベルシュタイン、卿はどう思う?」
「恐らく我が軍の意図を察知して補給可能宙域まで後退し、戦力の結集及び補給を待つものと考えます。更にイゼルローンから補給部隊が出撃したとの報告もありますので、補給部隊を叩いておくのが上策かと」
「キルヒアイス、聞いての通りだ。お前に与えた全兵力をもって敵補給部隊を叩け。細部の運用は全てお前の裁量に任せる。情報、組織、物資のいずれも必要なだけ使用しても良いぞ」

かしこまりました、と、キルヒアイスが承諾し、一礼して踵を返した後、ラインハルトは残った諸将に告げた。

「キルヒアイス提督が同盟の補給部隊を撃滅すると同時に我が軍は全面攻勢に転じる。その際、輸送部隊は攻撃を受けたが無事である、と、いう偽の情報を流す。それは同盟軍が最後の希望を断たれ、窮鼠が猫を噛む挙に出る事を防ぐと同時に、我が軍の攻勢を気付かせないためでもある。無論、何時かは気付くだろうが遅いほど良い」

彼は自分の横に立っている男をちらりと見た。以前は幼馴染みで背の高い赤毛の若者と決まっていたが、現在は半白の髪を持つ義眼の男―――オーベルシュタインである。自分で決めた事だが、なお軽い違和感があった。

「なお、我が補給部隊は被占領地の奪還と同時に住民に食料等を供与する。敵の侵攻に対抗するとはいえ、陛下の臣民に飢餓状態を強いたのは我が軍の本意ではなかった。またこれは、辺境の住民に帝国こそが統治の能力と責任を持つ事を事実によって知らしめるうえでも必要な処置でもある」

ラインハルトの本心は“帝国”ではなく“彼個人”が人心を得る事にあったが、それをわざわざこの場で告げる必要はないのだ。
それから数時間後、キルヒアイス率いる艦隊が同盟軍補給部隊を全滅させた、との報告が入り、イゼルローン失陥以来の勝利に帝国軍全体は勝利の快感に酔いしれた―――そして補給線を断たれ、窮地に追い込まれた同盟軍を殲滅すべく帝国軍は一挙に反撃に転じた。



 標準暦一〇月一〇日一六時。
占領地を放棄して第一三艦隊と合流すべく移動中の第一〇艦隊は惑星リューゲン付近で帝国軍に捕捉された。
周囲に配置していた偵察衛星のうち、二時方向に展開していた偵察群が無数の光点を映し出した直後、映像送信を断ったのである。

「来るぞ」

ウランフは呟いた。末端神経にまで緊張の電流が走るのを自覚する。
オペレーターに敵との予想接触時間を聞くと、六分ないし七分、との報告を受けた彼は全艦隊に総力戦用意を令した。

「通信士官、総司令部及び第一三艦隊に、我、敵艦隊ト遭遇セリ。第一三艦隊トノ合流ハ遅レル、と、連絡せよ」

警報が鳴り響き旗艦「盤古(バン・グゥ)」の艦橋内を命令や応答が飛び交う中、ウランフは部下に言った。

「やがて第一三艦隊が駆けつけて来る。あの“戦場の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・バトルフィールド)”がだ。そうすれば敵を挟み撃ちに出来るぞ!」

時として指揮官は自分自身では信じてない事でも部下に信じさせなければならない。
新一も時期を同じくして多数の敵に攻撃されており、第一〇艦隊を救援する余裕は無いだろう、と、ウランフは思う―――帝国軍の大攻勢が遂に始まったのだ。
その頃、第一三艦隊はヤヴァンハール星系を航行していたが、蘭が緊張した顔で司令官を見上げた。

「閣下、第一〇艦隊司令官ウランフ提督より超光速通信が入りました」
「敵襲か?」
「はい。一六時七分に敵と戦闘状態に入ったそうです。合流は遅れる、との事です」
「いよいよ始まったな」

その語尾に警報音が重なった。五分後、第一三艦隊はケンプ中将率いる帝国軍との間に戦火を交えていた。

「一一時方向より敵ミサイル群接近!」
「九時方向に囮を射出せよ!」

園子の報告と同時に旗艦「ヒューベリオン」艦長の横溝参悟大佐が鋭く命令を下す。新一は沈黙したまま、艦隊の作戦指導という自分の職務に没頭していた。
艦単位の防御と応戦は艦長の職務であり、そこまで司令官が口を出していたら神経が保たないし、何より艦長の職務に対する越権行為と考えていたからである。
レーザー水爆ミサイルが猛々しい猟犬が如く、第一三艦隊に襲い掛かる。核分裂によらずレーザーの超高熱によって核融合を引き起こす兵器である。
それに対して囮のミサイルが射出される。熱と電波を夥しく放出してミサイルの探知システムを騙す兵器だが、レーザー水爆ミサイル群は急角度に回頭して囮の後を追う。
エネルギーとエネルギー、物質と物質が衝突しあい、暗黒の虚空を不吉な輝きで満たし続けた。その輝きに目もくれず新一はスパルタニアンの全機出撃準備を命じる。

「よし、行くぜ」

旗艦「ヒューベリオン」艦載機格納庫で陽気に叫んだのは小嶋元太少尉だった。
今までは円谷光彦、吉田歩美両少尉との絶妙なコンビネーションでワルキューレや敵艦を葬り去ってきた余裕、そして帝国軍のゲリラ戦でストレスを感じていたため、それを発散させる好機とばかりに声を張り上げたのだ。

「若いの、ボヤバヤせずに搭乗しろい。お仲間は既に搭乗してるんだ」

スパルタニアン整備班長の坂木正太郎技術少佐に言われて慌てて愛機に搭乗する。発進しようとした寸前、先程の整備班長から通信で激励が飛んだ。

『お前等の活躍は知ってる。無理せず焦らず、機体を壊さず戻って来い』
「「「了解」」」

そう言って元太たちは宇宙空間へ躍り出た。戦死する事は確かに怖いが、三人でいる限り、戦死する事はないという確信があった。
三人は得意の連携を駆使し、ワルキューレや艦艇を撃墜破していく。この光景を見たケンプは激しく舌打ちした。

「何たるザマだ!」

彼も嘗てはワルキューレを操縦し、一〇〇機近い敵を叩き落とした歴戦の撃墜王であり、今でも暇さえあればシミュレーターに籠もって腕を磨き、ワルキューレ搭乗員に見本を示している程だ。
ずばぬけた長身だが、それを感じさせない程に身体の横幅も広く、茶色の髪を短く刈っている。

「あの程度の敵に何を手間取っている。後方から半包囲して味方艦の艦砲の射程内へ追い込め!」

その指示は的確だった。三機のワルキューレが味方のスパルタニアンを後方から半包囲し、味方艦の主砲射程距離圏内へ巧みに追い込む。追い込まれたスパルタニアンは敵の主砲や副砲によって宇宙の塵と化した。
元太たちも同様の攻撃を受け、何とかワルキューレの半包囲網を突破して敵艦砲の死角に逃げ込んだが、機体を損傷させ、弾薬を使い果たして母艦に帰投した。

帰投した三機のスパルタニアンの前には元太、光彦、歩美が並び、彼らの正面には“鬼より怖い整備の神様”と、称される整備班長が立っている。

「大事な機体を壊してしまい申し訳ありませんでした」
「謝罪より、何でこうなったか説明してもらおうか?」

坂木の言葉に威圧を感じながら光彦が説明をすると、黙って聞いていた坂木は三人の頭を軽く帽子で叩き、整備員に怒鳴りつけた。

「野郎ども、さっさと機体の補修と弾薬の補給をしやがれ!グズグズしてるヤツぁ宇宙に放り出すぞっ!!」

その罵声に整備員が三人の愛機へ取り付き、補修や補給を行う。その光景を見ながら坂木は三人にこう言った。

「デカいの・・・オメエは機体の扱いが乱暴過ぎるから、誰か・・・そこの嬢ちゃんにサポートしてもらえ。小っこいのは二機のオペレートだ。そうすりゃ機体を満足に扱えるだろうよ」

今までは元太が中心となって攻撃をしてきた事を機体の記録をチェックして見抜いた坂木の言葉に重みがあった。
それにな、と、付け加えた整備班長は自分の孫くらいの歳である三人のパイロットの肩を叩いてこう言った―――テメエより若いヤツが死ぬのを見るのは御免だからな、と。
そこへ、機体の補修と弾薬の補給が完了した、との整備員の声が坂木の耳に入り、頷いた整備班長は元太たちを、それぞれの愛機へ搭乗させる。
敬礼して出撃する三人に坂木は無線で、絶対に生還して来い、と、付け加えた。



 ウランフの第一〇艦隊を攻撃した帝国軍の指揮官はビッテンフェルト中将率いる艦隊だった。
オレンジ色の長めの髪と薄茶色の目を持ち、細面の顔の中に迫る眉と烈しい眼光が彼の戦闘的な性格を物語っているが、ビッテンフェルト自身はその事を誇りにしていた。
また彼は麾下の全艦艇を黒く塗装し“黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)”と称しているが、まさに剽悍そのものの艦隊である。この艦隊に第一〇艦隊はしたたかな損害を与えたが、同程度の損害を受けた―――比率ではなく絶対数においてである。
“黒色槍騎兵”艦隊は第一〇艦隊より数が多く、しかも兵は飢えていなかった。同盟軍の猛攻に犠牲を払いながらも、遂に帝国軍は目下の敵を完全な包囲下に置く事に成功した。
前進も後退も不可能になった第一〇艦隊はビッテンフェルト艦隊の集中攻撃を避ける事が出来なかった。戦況を見たビッテンフェルトは部下に督励した。

「撃てば当たるぞ!攻撃の手を緩めるな!!」

その命令は忠実に実行され、帝国軍は密集した同盟軍にビームとミサイルの豪雨を浴びせ続けた。破壊され、推力を失った艦艇は惑星の重力引かれて落下していった。惑星の住民は夜空に無数の流星を見出し、その不吉な美しさに見とれた。
第一〇艦隊の戦力は尽きかけていた。艦艇の四割を失い、残った半数も戦闘に耐えられない惨状である。艦隊参謀長のチェン少将が蒼白な顔を司令官に向けた。

「閣下、もはや戦闘続行は不可能です。降伏か逃亡かを選ぶしかありません」
「不名誉な二者択一だな、ええ?」

ウランフは、そう自嘲して参謀長を見やった。

「降伏は性に合わん、逃げるとしよう。損傷した艦を内側にして紡錘陣形を執れ。敵の包囲陣の一角を突き崩すんだ!」

ウランフは残存兵力を紡錘陣形に再編すると、包囲網の一角にそれを一挙に叩き込んだ。戦力を集中して使用する術を彼は心得ていた。この巧妙果敢な戦法で部下の半数を死地から脱出させる事には成功し、彼らは第一三艦隊との合流に成功した。
しかし司令官自身は戦死した。ウランフが座乗する「盤古」は最後まで包囲下にあって“黒色槍騎兵”艦隊と戦っていたが、包囲網が狭まる瞬間に残余のミサイルを発射して離脱しようとした瞬間、ミサイル発射孔に敵ビームの直撃を受け、撃沈したのである。


 同盟軍は帝国軍に打撃は与えつつ後退していったが、食糧不足による士気の低下、弾薬の欠乏により、徐々に敗北の苦汁をなめつつあった。
第三艦隊は惑星レージング付近でワーレン艦隊と交戦したが、旗艦「ク・ホリン」は敵艦の砲撃を受けて針路を外れた味方戦艦に衝突され、そのまま微惑星に激突して司令官ルフェーブル中将もろとも撃沈。
指揮官を失った第三艦隊は大混乱に陥り、七割以上が帝国軍によって撃沈され、残余の部隊はかろうじて第五艦隊との合流を果たす事に成功した。
第五艦隊はロイエンタール艦隊の攻撃を受けたが、ロイエンタールをして、戦術的には正しい判断、と、称される撤退戦を演じ、第三艦隊の残存部隊を収容しつつ補給可能宙域までの移動に成功した。
第七艦隊は第一三艦隊との合流を図ったが、輸送船団を撃滅したキルヒアイス艦隊に捕捉され、自艦隊の四倍も兵力差がある帝国軍に重包囲され、徐々に戦力を削り取られたホーウッド中将はキルヒアイスの降伏勧告を受託した。
第八艦隊は撤退準備中にメックリンガー艦隊に後方から襲撃され、反撃する余裕すら与えられないまま、逃走を続け、何とか補給可能宙域への移動に成功した。
第九艦隊は撤退中にミッターマイヤー艦隊の迅速な追撃を受けた。この時、帝国軍の先頭集団が同盟軍の後尾集団が混じり合い、両軍の艦艇が並走するという事態が生じ、スクリーンなどで敵軍のマークを見て仰天する将兵が続出した。
この混乱はミッターマイヤーが部下に命じて速度を落とし、アル・サレム提督が艦隊の速度を上げさせて、互いの距離が空く事で解消されたが、第九艦隊にとっては敵の追撃の再組織化を意味したに過ぎなかった。
帝国軍から浴びせられる砲火に晒され次々と爆発する艦艇が続出し、旗艦「パラミデュース」も七ヶ所を被弾し、司令官が重傷を負い、副司令官ライオネル・モートン少将が指揮権を引き継ぎ、残兵を統率して帝国軍の追撃を振り切る事に成功した。
この疾風のような猛追により、ミッターマイヤーは“疾風ウォルフ(ウォルフ・デア・シュトルム)”の異名を持つ事になる。
第一二艦隊はボルゾルン星系でルッツ艦隊に急襲され、旗艦「ペルーン」の身辺が砲艦(ガン・シップ)八隻のみ、と、いう状況まで戦い、攻撃を加えた帝国軍を驚嘆させるに至った。
しかし戦闘も脱出も不可能になった時、司令官ボロディン中将は自らブラスターで頭部を撃ち抜き、指揮権を引き継いだ副司令官コナリー少将は動力を停止して降伏勧告を受け入れた。
その中で唯一の例外が新一率いるの第一三艦隊であった。ケンプ艦隊と対した彼は、艦隊の陣形を半月陣形にして巧みな艦隊運動をもって敵の攻勢をかわし、その左右両翼を交互に叩いて出血を強いたのである。

「さすが“鬼の佐藤、仏の高木”の艦隊運動だ。二人のコンビネーションは見事だな」

そう言って新一は士官学校時代の教官と先輩の艦隊運用能力を高く評価する。帝国軍も半月陣形で対抗してきたが、逆に同盟軍の包囲状態に追い込まれる事になった。

「このまま行けば、敵を包囲下に置く事が出来ますが、提督のお考えは?」
「副参謀長の意見も正しい。参謀長はどう思う?」
「副参謀長の言う通り、帝国軍を包囲するというのは魅力的ですが、艦隊の弾薬は欠乏状態です。そして何より我々は勝つのではなく、生き延びる事です」
「その通りだ。例えここでケンプ艦隊に勝利しても、全体的に有利な帝国軍によって袋叩きにされてしまう。それなら敵が引くタイミングを見計らって撤退するのが上策だな」

帝国軍が艦隊を立て直す再ために後退するのをスクリーンで確認した新一は厳かに命じた―――全艦、撤退せよ、と。第一三艦隊は整然と戦場から撤退した。
一方、ケンプは自分の艦隊の損害に驚き、このまま無様な出血死をするより、敵の攻勢を覚悟の上で後退して部隊の再編をしようと図った。
優勢な敵が自分たちを追って来るどころか、逆に急速後退を開始したので、ケンプにとっては二度目の驚きであった。追撃を受け、かなりの損害が出る事を覚悟していたのだが、肩透かしを食らわされたのだ。

「何故、同盟軍は勝ちに乗じて攻めて来ないのだ?」

幕僚たちに意見を求めたが、彼らの反応は二つに分かれた―――他の部隊の救援に向かった、と、いう説と、我々に隙を見せて軽々しく攻勢に出ようと誘っておいて、徹底的な打撃を加える事を狙っている、と、いう説である。
戦術家としての常識に富んだケンプは熟考の末、敵の後退は罠であるとの結論に達し、攻撃を断念して艦隊の再編に取り掛かった。
その間に第一三艦隊は補給可能宙域に向けて最大戦速で移動していたが、帝国軍が「C(ツェー)地区」と名付けたドヴェルグ星系で、第七艦隊を降伏に追い込んだキルヒアイス艦隊に捕捉され、新たな戦闘を開始する事となった。
この帝国軍は第一三艦隊の四倍の兵力を有し、それを四隊に分け、二時間ごとに遠距離射撃を加える、と、いう戦法を駆使して、同盟軍に疲労と消耗を与えている。この方法で第七艦隊は降伏に追い込まれたのである。

「キルヒアイス中将か。ローエングラム伯の腹心と聞くが、なかなか良い用兵をする・・・」

そう呟いた新一だったが、感心ばかりしていられない。このまま正攻法で戦おうものなら、数的に劣る第一三艦隊が敗北するのは明らかである。メインスクリーンをじっと見て考え込んだ新一は蘭にこう告げた。

「副司令官、各分艦隊司令にヒューベリオンまで来てもらってくれ」

帝国軍との攻防が続く中、主要指揮官がヒューベリオンに来艦したのを確認して新一は現段階の戦況を伝える。敵の意図は間断ない攻撃で我が方の疲弊と消耗を誘い、そして降伏へと導く気である事を告げると、誰もが頷く。

「佐藤准将、高木准将。艦隊陣形をU字型に再編成して下さい」
「U字型?」

渉の疑問に新一は言葉を続ける。確保している宙域をわざと敵の手に委ねる。しかし整然と後退して敵をU字型陣の中へ誘引して、三方から総力を挙げて反撃する。

「ただし、これは擬態です。U字型に再編する中で少数の別動隊を編成して敵の後背へ回り込ませて混乱状態へ陥れた所へ陣形を横隊に変更して一挙に反撃します」
「司令官の意図は分かるけど、別動隊は誰が指揮するのかしら?」

美和子の声に、オレが指揮します、と、言いかけたところへ割り込んで来た者がいた。

「別動隊の指揮はオレにやらせて貰うぜ」
「おい、黒羽!」

別動隊は少数で行動するため、敵に見つかろうものなら全滅する危険性を持っているのだ。それ故に新一は自ら別動隊を率いようとしたのだが、快斗がそれに横槍を入れて来たため、思わず声を荒げたのだが、快斗は臆しようともしない。

「司令官の能力を疑ってねえけどよ、艦艇の高速機動運用に関してはオレが上と自負してるからな・・・どうだ?」

その件を持ち出されたら新一は何も言えない。全体の指揮官として新一が有能である事は間違いないが、最前線指揮官としての能力は他の指揮官が僅かながら上であろう。

「司令官先頭っちゅうのも悪くはない。やけど自分は艦隊を預かる重要なポストっちゅうのを忘れとらへんか?」
「一歩間違ったら全滅するんだぞ!作戦を立てたのはオレだ。オレがしなきゃ話にならねえじゃねーか!!」

冷静沈着という仮面を脱ぎ捨てて激高した新一に冷水を浴びせたのは、司令官以上の冷静さを持つ参謀長だった。

「提督、あなたの負けですね。ここは黒羽くんに別動隊の指揮を任せて、司令官としての責務を全うして下さい」

ここで食い下がっても司令部内に亀裂を生じさせるだけでなく、敵につけ込む隙を与えるだけである。艦隊識別帽(スコードロンハット)を被り直した新一は指揮席に座ると一言だけ言った。

「別働隊の指揮は第三分艦隊司令に任せる・・・以上だ」


 快斗が別働隊として高速戦艦六〇〇隻を率いて作戦を開始して三時間。圧倒的な物量をもって迫る帝国軍の猛攻に第一三艦隊は必死に抵抗していた。
凡将の率いている艦隊であれば、既に壊滅するか潰走しているかのいずれかだろう。しかし第一三艦隊は新一の的確な指示と副司令官、各分艦隊司令の踏ん張りで善戦という断崖絶壁の上で耐えている。苦心して艦隊陣形をU字型に再編している新一の元へ、イゼルローンの総司令部から命令文が届けられた。

「閣下。総司令部より、本月一四日を期してアムリッツァ恒星系A(アルファ)宙点に集結すべく、即時戦闘を中止して転進せよ、との事です」

園子からそれ聞いた時に発した新一の声は小さかったが、蘭の耳はハッキリとそれを捉えていた―――今更何言っていやがる。何もかも後手後手じゃねえか、と。
その時、別の電文入って来て、恵子がそれを読む―――第三分艦隊司令から入電。トラ・トラ・トラ、と。
メインスクリーンに目を向けると、今まで重厚な壁として立ち塞がっていた前方の帝国軍に若干の混乱がある事が視認出来た。

「我、奇襲二成功セリ、ね・・・黒羽のヤツ、相変わらずだな」

安堵と賞賛、そして僅かばかりの苦笑を混ぜた声に引き続いて出た新一の命令は、先程蘭が聞いた怒りの声と違い、覇気のある凛とした声だった。

「陣形を横列陣へ移行!これより総反撃に移るぞ!!」

 司令官の命令は直ちに実行された。快斗の巧緻極まる艦隊運動に翻弄された帝国軍に襲い掛かったのは、稼働率が八割に近いエネルギービームの奔流と数万本の長距離高速魚雷の槍衾である。
帝国軍のオペレーターたちが見たものは、光点でも光線でもなく、光の壁と槍の豪雨であった。警報が帝国軍艦隊の全通信回路を充たすより早く、同盟軍を近距離から攻撃していた部隊が“雷神の鉄鎚(トールハンマー)”の直撃を受けたかのような大混乱に陥った。
ただでさえ快斗の高速艦隊運動に翻弄されているのに、同盟軍の猛反撃は帝国軍を驚かせるには十分過ぎるほどであった。被害の大きさにキルヒアイスは、さすがは工藤提督だ、と、賞賛しつつ、隙を見せないまま艦隊を後退させた。
その間に快斗の部隊を合流させた第一三艦隊は総司令部が定めたアムリッツァ恒星系A宙点への移動を開始したが、この戦闘でそれまでに倍する犠牲者を出したのだった。



 帝国軍総旗艦「ブリュンヒルト」の艦橋で、ラインハルトはオーベルシュタインの報告を受けていた。

「同盟軍は敗走しつつも、それなりの秩序を保って、アムリッツァ星系を目指しているようです」
「イゼルローン回廊に近いな。今更になって兵力分散の愚かさに気付いたというワケか・・・卿はどう思う?」
「閣下の仰る通りでしょう。では全軍をアムリッツァに集結させますか?」

抑揚の無い声にラインハルトは頷き、眉へ落ちかかる金髪を軽くかき上げながら冷笑した。

「卿の意見は正しい。敵がアムリッツァを墓所にしたいというのであれば、その希望を叶えてやろうではないか。全軍をアムリッツァに集結させよ」



続く





注:「銀河英雄伝説」は田中芳樹先生、「名探偵コナン」「まじっく快斗」は青山剛昌先生の著作物です。


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