First Love,Eternal Love



byドミ



(15)試練



「新一、あなたが私を本当に愛していると言うのなら、・・・探偵をやめて欲しいの」

思いもかけない蘭の言葉に、新一は凍りついた。


「蘭、蘭っ、それは、そんな事は無理だ」

ややあって、新一は搾り出すように言う。
蘭は目を伏せる。

「そう。新一には私よりも謎解きの方が大事なのね」
「俺には蘭より大切なものなんて無いっ!」
「でも、私のために探偵をやめることは出来ないんでしょう?」
「蘭、俺は、俺は・・・!」



蘭は立ち上がり、服を着る。

「蘭?」
「少し時間を上げるわ。考えていて。

でも新一、もしどうしても探偵がやめられないと言うのなら、私とはこれっきりだからね」

そう言い置いて、蘭は部屋を出て行った。
新一は打ちのめされた気持ちで、ドアを見つめる。


新一が探偵をやるというのは、新一自身のアイデンティティに関わる事。
蘭は、自分自身の命よりも大切な愛する女性。
同じ次元で比較する事など、出来はしない。


しかし、どうしてもどちらか一方を選べというのなら・・・。



「蘭、お前を手放すなんて俺には絶対に出来ない!」


新一は、自分を押し殺してでも、小さい頃からの夢であり目標であった探偵をやめるしかないと思い詰めていた。







  ☆☆☆



「工藤君、一体どうしたんだ!?」

新一が警視庁に着くなり、目暮警部と高木刑事は驚いたように声を掛けてきた。

「え?俺が?どうかしたんですか?」
「・・・疲れた顔をしているよ、大丈夫かい?少しは休養を取らないといけないよ」

高木刑事が優しい声で言う。

「大丈夫です・・・刑事さんたちに心配掛けるなんて、俺、やっぱり・・・」

探偵失格ですね、と続けそうになって、新一は言葉を呑み込む。

今手掛けている事件のけりが着いたら、探偵をやめよう、新一はそう思っている。
けれど今はそれを口に出して、目暮警部たちに心配を掛けるわけにはいかない。



ずっと探偵になるのだと思っていた。
夢ではなく、現実にそうなった。

この先も、やがては職業として探偵を続けていくものと思っていた。
自分自身の存在と、探偵としての在り方は、切り離す事が出来ないものになっていた。

けれど、何よりも大切な蘭に、これ以上辛い思いはさせられない。
探偵をやめてこの先どうするのか・・・将来の目標がぽっかりと空白になってしまったが、今は何も考えられない。







10年前の連続強盗殺人犯グループ。

その時の証拠も揃えた。
毛利夫妻殺害の証拠も揃えた。
今は、包囲網を敷いて、一気に追い込む手はずを調えているところだ。
その件で新一は警察に協力している、というより、殆ど新一の力で捜査は進んでいた。
憔悴しきった様子であっても、いささかも推理力・判断力が衰えない新一の姿に、高木刑事は感嘆の目を向ける。
いやむしろ、この高校生探偵は、追い詰められるほどにその本領を発揮するように思える。



作業がひと段落したところで、高木刑事は自動販売機で紙コップのコーヒーを買って来て新一の前に置いた。

「いつもご苦労様。このまま探偵続けるより、将来警察に入って一緒に働かないかい?」

普通だったら笑って「俺は組織に属するよりフリーの探偵でいたほうが性に合うと思いますから」と答える新一が、今日は言葉を濁して視線を泳がせる。

「工藤君?」
「・・・高木刑事。もし、最愛の女性から『刑事をやめて』と言われたら、どうします?」

新一の思い掛けない問いかけに、高木刑事は目を丸くする。

「ねえ工藤君、まさかと思うけど、蘭さんが『探偵をやめて欲しい』なんて言うわけないよね?」

新一の焦った顔を見て、本当にそうなのかと思い、高木刑事は驚く。

捜査1課の中で、工藤新一と毛利探偵の娘・蘭が恋人同士であるというのは、公認の事実となっている。
何しろ、トロピカルランドであった殺人事件の時、新一は蘭とデート中であったのだから。(正確には、その頃はまだ恋人同士ではなかったのだが)
特に、高木刑事や佐藤警部補は、2人の事を好意的に見て応援していた。


「高木刑事には敵わないな。他の人には絶対言わないような事でも、つい言ってしまうんですよね」

新一は溜息を吐いて諦めたように語りだす。

「実は、毛利探偵たちが殺されたって事を蘭が知ってしまって、すごくショックを受けてるんですよ。その事実を暴き出した俺にも不信感を持ってしまって、『隠してある事実を明るみに出す事で、人が傷つこうが辛い目に遭おうがどうでもいいの?それでも真実を暴きだす、それが探偵というものなの?人の心より、真実とやらが大切なの?』って、詰られたんですよね・・・。俺はそれに何も言う事が出来なかった」

高木刑事は違和感を覚える。
確かに蘭はショックを受け、一時的には新一を詰る事があるかも知れない。
しかし、だからと言って「探偵をやめて」とまで新一に迫るとは、蘭のキャラクターにそぐわないように思える。

高木刑事は一生懸命、佐藤警部補から「刑事をやめて」と言われる図を想像しようとしたが、無理だった。
刑事という仕事に誇りを持っている佐藤警部補が、どうひっくり返ったところでそんな台詞を言うはずが無いからだ。

「ごめん、僕には想像つかないよ、好きな人から『刑事をやめて』と言われるところなんて」
「あ、それはそうですよね・・・あの人がどうひっくり返ってもそんな台詞言うとは思えねーし・・・俺こそ、すみません、変な事聞いちまって」

と、突然背後から声がして、新一と高木刑事は飛び上がる。

「高木君、『刑事をやめろ』なんて言う女だったら、悪い事は言わないから止めときなさいね」

高木刑事の思い人、佐藤美和子警部補が、いつの間にかそこに立っていたのだった。

高木刑事は必死で記憶を探り、この場での会話で佐藤警部補の固有名詞は出していない事を確認して、やっとほっと息を吐く。

それにしても迂闊な事であった。
自分だけでなく新一も佐藤警部補の気配にまるっきり気付いていなかったのは、やはり集中力を欠いているのだろうなと高木刑事は思った。







新一からあらましを聞いた後、ややあって佐藤警部補は口を開いた。

「そうね・・・蘭さんがそんな事を言うなんて、確かに考えられないわ。・・・工藤君、あなただったらわからない筈は無いのに、蘭さんの事になると冷静に判断できないようね」
「佐藤警部補・・・」
「結論を焦る必要は無いわ。時間が経てばきっと蘭さんも落ち着いてくると思うし。工藤君、とにかくあまり思い詰めないでね。私達に出来る事があったら力になるからさ」







  ☆☆☆



蘭が大学の門から出ると、ショートカットの美人に声を掛けられた。

「蘭さん、こんにちは」
「あなたは、確か・・・佐藤刑事!・・・どうかなさったんですか?」
「あなたと折り入って話がしたくてね。ちょっと良いかしら」



喫茶店で向かい合わせに座って、佐藤警部補はコーヒーを、蘭は紅茶を注文する。

「私を呼び出してのお話って・・・父と母の・・・事件についてですか?」

蘭が尋ねる。
どうしても表情が強張ってしまうのが、自分でもわかった。

「あら、そうね、捜査1課の私が蘭さんに話があるって言ったなら、そう思うわよね。違うわ、今日は個人的にあなたとお話をしたくって」
「個人的に?」
「あなた、工藤君に探偵をやめて欲しいって言ったんですって?」

蘭の顔が強張る。

新一に口止めしたわけではないが、まさか佐藤警部補からそんな話をされるとは、夢にも思っていなかったのだ。
けれど、佐藤警部補の優しく真剣な眼差しを見ている内に、少しずつ心が落ち着いてきた。

新一がこの女性刑事に話をしてしまったのも、肯けるような気がした。


「蘭さん、毛利さんたちの件ね、工藤君がいち早く殺人だって気付かなかったら、まだ犠牲が広がっていたのよ」
「え?狙われてたのは、うちの両親だけじゃなかったんですか?」
「あの連続強盗犯を捕まえるのに関与した探偵は他にもいたの。それに彼らは、探偵のほか、関係した警官たちにも復讐するつもりだったみたいだし。工藤君の素早い対応がなかったら、少なくとも、次のターゲットになっていた友野さん一家は、確実に悲惨な事になっていたわね。あそこにはまだ小学生の子供さんだっているのよ」

蘭は衝撃を受ける。
他にもターゲットが居た等とは、今の今まで考えた事も無かった。
例え犯人が捕まったって、両親が戻って来るわけでも無いのにとしか、考えていなかった。

墓参りのときに出会った友野一家。
あの人たちが、もしかしたら悲惨な目に遭ったのかも知れなかった。
もしそんな事になっていたら・・・別れ際に手を振った由愛ちゃんの笑顔を思い出す。
あの幼い子が、両親を失ってしまったかもしれないと思うと、蘭は本当に心が痛んだ。
新一がそれを阻止したのだと思うと、蘭の胸は誇りと新一への申し訳なさでいっぱいになる。

『私の気持ち考えて、言い訳も出来なかったのよね、きっと。・・・新一、ごめんなさい、私・・・』

「探偵は、事件を嗅ぎ回ってあら捜しをするだけが仕事じゃない。工藤君はいつも、被害を最小限に止めようと努力しているわ。そんな彼の事、認めてあげられないかな」
「・・・・・・」
「それにね。殺人者が罪を暴かれないままだと、犯人自身もずっと消えない闇を心に抱え続けなければならないの。生涯、自分自身からは逃れる事が出来ないんだから。捕まえて罪を暴く事で、逃れられない心の暗闇をそれ以上大きくするのを防ぐ事が出来るの」
「佐藤刑事、私は・・・」
「それにね、蘭さんには勿論わかっていると思うけれど、工藤君にとって探偵であるという事は、彼のアイデンティティにも関わる事・・・」

蘭の瞳から大粒の涙がいくつも零れ落ち始めた。

「佐藤刑事、私、わかっているんです、新一にとって、探偵であるという事がどれほど重要な事なのか」
「蘭さん・・・」
「新一がどんなに正義感が強いか、どんなに優しいか、私、誰よりもわかっているんです。私、そんな新一を好きになったのだもの、誰よりも誇りに思っているのだもの!」
「じゃあどうして?」
「新一を・・・失いたくないんです!探偵を続ける限り、あの人はいつも危険に身を晒される。お父さんたちみたいに、逆恨みで命を狙われるかも知れない。もしもあの人に何か遭ったなら、私、私っ・・・!!」

その後は言葉にならず、蘭はただただ泣き続けた。

佐藤警部補は、何も言わずに見守っていた。







蘭の涙がようやく落ち着いた頃、佐藤警部補は優しい声で話を始める。

「昔ね、爆弾で死んでしまった人がいたわ」

すさまじい内容の事をさらりと言った佐藤警部補の言葉に、蘭は驚いて顔を上げる。
佐藤警部補の瞳に浮かぶ悲しみに、蘭は胸を衝かれる。

「彼、爆発魔が設置した爆弾を解体していたんだけどね・・・爆発3秒前に現れる、次の爆弾を仕掛けた場所のヒントを見て、私達に伝えるために、彼は・・・帰らぬ人となったわ・・・」
「佐藤刑事・・・」
「彼は刑事であったために命を落としたわけだけど・・・私は、彼に絶対死んで欲しくなかったけれど、たとえ時を戻せても、私は彼に絶対刑事を辞めてとは言えないでしょうね・・・彼は刑事であってこそだと、やっぱり思うもの。・・・まあ、そんな事を言えるような間柄でも無かったんだけどね」

そういって優しく微笑む佐藤刑事の姿を、蘭は心打たれる思いで見つめる。
そして、新一のことを思う。

最初に出会った日の事、工藤邸での再会、空手大会に応援に来てくれた事、プールでの初めての口付け、榊田から暴行を受けそうになった時に助けに飛んで来てくれた事、初めて結ばれた夜、・・・様々な事が蘭の胸を去来する。

新一を失いたくないあまりに、新一が新一であるために必要な事を、見失ってしまっていたと思う。



「工藤君ね、探偵をやめようと思い詰めていたみたいよ」
「そ、そんな、まさか・・・!!新一が探偵をやめるなんてそんな筈・・・!」
「でも蘭さん、工藤くんに探偵やめてって言ったんでしょ?」
「それは、確かに言いましたけど・・・でも、新一が本当に探偵をやめようとするなんて・・・」
「蘭さん?」
「あんな風に言ったら、新一も少しは考えて、無謀な事は控えて危険に首を突っ込まないようになってくれるんじゃないかって、ちょっと期待しただけで・・・まさか本当に新一が・・・私なんかの為に・・・」
「蘭さん、あなたね、工藤くんの中のあなたの位置を過小評価し過ぎてるわ。彼にとってあなたは、自分のアイデンティティである探偵を捨ててもと思える程に大切な存在なのよ」

蘭は、新一が探偵をやめなければ別れるなどと、本気で思っていたわけではない。
どんな事があっても別れられるはずなど無かったから。

新一が自分自身を捨ててまで蘭を選んでくれようとした事、その思いに胸が詰まり、そこまでさせた自分の傲慢さに嫌気がさす。

「佐藤刑事、私、新一に謝ります。彼は探偵であってこそだもの・・・新一の心を殺してしまう権利は、私にはありません」

蘭は顔を上げてきっぱりと言う。
もう迷いは無い。
佐藤警部補は微笑んで肯いた。







「ホラ、彼が迎えに来たわよ」

佐藤警部補が喫茶店の入り口を指差す。
そこに新一が立っているのを認め、蘭は驚いて佐藤警部補を振り返る。
佐藤警部補が片目を瞑ってみせる。
いつの間にか、佐藤警部補が新一を呼び出していたのだろう。







  ☆☆☆



「何!?犯人の1人が逃亡した?」

目暮は歯噛みする。
新一の指揮で、昨夜遅くに、強盗殺人犯グループが全て捕まった。
しかし今日、護送の隙を突いて1人が逃げ出してしまったのだった。

「逃亡者は、銃も持っているようです」

逃亡した犯人の1人は、何をするだろう。
全力で逃げるだろうか。

それとも――。



彼らにとって憎しみの対象である、毛利夫妻の忘れ形見、毛利蘭。

「蘭くんが危ない!ガードを付けなければ!」



  ☆☆☆



新一と蘭は、しばらく黙って並んで歩いていた。
蘭は新一の横顔を見て、その憔悴しきった様子に胸を痛める。

「新一」
「ん?何だよ、蘭」
「新一、あの、私・・・」

蘭がさっき決心した事を新一に告げようと口を開きかける。



しかし突然新一が緊迫した表情で叫んだ。

「蘭!」

新一が蘭に飛び付き、歩道に伏せて、蘭の上に覆い被さった。



数発の銃声が響く。



蘭には咄嗟に状況が判らなかった。
自分に覆い被さっている新一の体が、重さを増し、蘭ははっとする。

生暖かいぬるっとした物が蘭の手に触れた。

赤い染みがアスファルトに広がっていく。

「新一。新一?」
「蘭・・・無事・・・か・・・怪我・・・ないか・・・」

蘭に覆い被さったままの新一の苦しそうな声が途切れ途切れに聞こえてくる。

「新一、私は大丈夫よ!新一、新一!!」
「そ・・・か・・・よかっ・・・」

そのまま新一の意識は途切れた。



「新一いいいいいいいいいっ!!」







(16)に続く



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(15)の後書き・・・?



目暮「まだ奴の足取りは掴めんのか!?」
山村「工藤新一君に負傷させた極悪人は、群馬方面には来ていません」
横溝「同じく静岡方面にも見当たりません!」
横溝(弟)「神奈川・横浜方面にも立ち寄っていないようです!みなとみらい地区が怪しいとふんでたんですが」
目暮「うぬぬぬぬ、工藤君に大怪我をさせてそのままとんずらしようとは・・・、奴め、絶対に捕まえてやる!」
高木「目暮警部、奴はどうやら九州方面に居るようです」
白鳥「情報が入りました!ええと・・・奴は福岡県大牟田市に潜伏している模様です!」
目暮「また辺鄙なところに・・・」
平蔵「わしから福岡県警には話を通しとくで、すぐに大牟田に飛んで奴の身柄を確保せいや!」
佐藤「服部本部長、協力恐れ入ります」
目暮「警察の総力を挙げて奴を追え!ドミの奴を早いところ捕まえて、続きを書かせるんだ!!」



(14)「揺らぐ絆」に戻る。  (16)「長い夜」に続く。