First Love,Eternal Love



byドミ



(16)長い夜



新一はすぐに救急指定病院へと運ばれた。

蘭は新一の手を握り締め、救急車に同乗して一緒に病院へと向かった。







新一に数発撃ち込まれた銃弾の内、2つは体に食い込んだままで、おまけに出血多量の重態である。

処置室で慌しく準備が整えられると、新一はすぐさま手術室に運び込まれた。
手術室のドアに消えていく新一の姿を、蘭が絶望的な眼差しで見送る。

手術中のランプがついた。

ドアの外で待つ蘭達にできる事は、ただ、祈る事だけ――



  ☆☆☆



蘭をガードするために集まっていた警官たちによって、すぐに逃走中の犯人は捕まった。
証拠も揃え、後は公判を待つばかりである。

しかし今の蘭にとってそんな事はどうでも良く、駆け付けた目暮警部と高木刑事がそのような会話を交わしていても全く耳には入って来ない。





新一を失いたくなかった。
だから探偵をやめて欲しいと訴えた。
けれど、今、新一が生死の境を彷徨っているのは、探偵をしているからではない。

蘭を――愛する女を守るために自身の体を盾としたからだった。
その事実に、蘭は打ちのめされる。

『新一、あなたさえ帰って来るのなら、私は何も要らない。・・・お願いです、私の命と引き換えても良いから、どうか新一を・・・!』

特定の神への信仰を持たない蘭だったが、今は神という存在に祈らずにいられない。



  ☆☆☆



「工藤夫妻は?」
「今、日本に向かう飛行機の中です」
「・・・間に合えば良いが・・・」

目暮警部と高木刑事の会話に、園子が涙を溜めて抗議する。

「ちょっと止めてよ、蘭の前でそんな事言うの!」

けれど蘭は、そんな会話も耳に入らない。



  ☆☆☆



夜が更けていくが、手術はいつ終わるともわからない。
新一を取り巻く人々は、ただ、祈るだけ――。




園子は蘭を気遣うように見る。
ついさっきまで取り乱して半狂乱になっていた蘭だが、今は、いっそ不気味なほどに落ち着いた様子でしっかりしている。

顔色は白いが、涙も浮かべず、真っ直ぐに手術室のドアを見詰めていた。

「蘭」

園子の声に振り返った蘭は、微笑さえ浮かべている。
その微笑みは、いつもの輝くような明るいものではなく、凄絶に美しく儚いものだった。

「私は大丈夫よ、園子・・・」

園子は蘭の瞳を見て、息を呑んだ。
蘭の瞳は、もう既に彼方を、冥界を見詰めている。

新一にもしもの事があったら、そのとき蘭は――。

園子は恐怖感に捕らわれる。



  ☆☆☆



銃弾のうち1つは、急所に近い奥の方に入り込んで、大きな動脈にも隣接しており、手術は困難が予想されると、あらかじめ医師の説明があっていた。

手術中のランプは、何時間にも渡り消える事はなかった。

蘭はどんなに促されても、決して手術室の前を離れようとはしない。

「私はここから離れない。もしもの時はすぐに・・・」

そう言って儚い微笑を浮かべる蘭に、園子は慄然とする。





  ☆☆☆





しかしやがて永遠にも思えた長い時間が過ぎると、手術中のランプが消え、医師たちが廊下に出てきた。

「先生」

目暮警部が声をかける。

「・・・手術そのものは、滞りなく終わりました。銃弾も摘出できています。後は、御本人の体力、生命力次第です」

医師の表情からは、何も読み取れない。
新一がまだ生死の境を彷徨っている事は、そこにいる誰にも理解できた。

「き、きっと大丈夫ですよ、ほら、彼には体力はありますし」
「そ、そうだな、工藤君は体を鍛えているからな」

気休めともいえる目暮警部と高木刑事の会話に、蘭の表情は動かない。

やがて新一は、管や機械を色々つけられたままの姿で、ICU(集中治療室)へと運ばれて行った。



  ☆☆☆



蘭は、ずっと新一の傍に付き添っている。
誰が何と言おうと、傍を離れようとしない。

ICUは本来面会時間に制限があるが、新一の容態が予断をゆるさないという事もあり、蘭がずっと付き添う許可が下りていた。

「私たちはずっと一緒よ。私はずっとあなたの傍にいる。・・・逝く時は、一緒だからね」

眠り続ける新一に、蘭は語りかける。



ICUの外の待合室では、園子がずっと祈り続けていた。

「工藤くん、絶対、絶対、戻ってきて!でないと、あんたが命をかけて守ったはずの蘭が、蘭までが、生きてはいられなくなってしまう!」

園子には判っていた。
新一にもしもの事があれば、蘭は間違いなく生き続ける事が出来なくなる。
誰がどう言おうと、新一を反って悲しませると説得しようと、自殺は罪であると説得しようと、止めることは出来ない。

いっそ蘭が妊娠でもしていれば、子供のために何があっても生き延びようとするだろうが、今はその可能性もないようだ。

新一には、何があっても絶対に生還してもらわなければならない。



  ☆☆☆



その夜は、いつまでも明けないかと思われた。

新一を取り巻く人々に取って、生涯で1番長い夜となったのだ。







「先生、血圧が60をきってます」
「昇圧剤(血圧が下がっている時に上昇させる目的で使われる薬)を使おう。***を時間1ccから開始して。15分毎に血圧測って、上がらないなら時間0,5ずつ増量していって。それと、輸血は後どれくらい残ってる?」
「濃厚赤血球4単位と凍結血漿4単位です」

注:(濃厚赤血球:血液製剤の1つ、血液成分のうち赤血球を中心に濃縮させたもの。出血後や貧血など、赤血球成分が不足している時に使われる)
(凍結血漿:血液製剤の1つ、血液中の血球成分を取り除き血漿成分のみを分離させ、凍結保存させたもの。循環体液量が不足しているときに使われる)

「じゃあそれ、両方とも今から始めて。輸液速度は、今の倍の速さに」

指示を確認すると、看護師達は素早く動く。



医師と看護師の慌しい会話も、蘭の耳には全く入らない。
蘭はただひたすら、僅かな変化も見逃すまいと、新一を見詰め続けている。

新一は眠り続ける。







夜更け、大阪から服部平次達も駆けつけた。
待合室は大混雑である。

「工藤・・・!」

平次はICUの扉を睨みつけるように見て、両拳を白くなるほどに握り締める。

「蘭ちゃんは、どないしたん?」

和葉が気遣わしげに小声で尋ねる。
蘭から大阪で出会った新しい友人の事を聞いていた園子が、和葉の側に行って話をする。

「あなたが遠山和葉さんね。私は蘭の友達で鈴木園子っていうの。・・・蘭は、工藤くんの側に付き添っている。離れようとしないの」
「そないに厳しいんか?」
「ええ・・・」

和葉は痛ましそうにICUの扉を見つめる。
和葉は、夏の終わりに蘭たちと出会った時のことを思い出す。
平次が撃たれて死んだと思ってしまったあの時、和葉にとって、言葉に出来ない衝撃があった。
もし本当に平次が逝ってしまったのだとしたら、自分はどうなっていたかわからない。

『工藤くん、絶対死んでまうんやないで!あんたが無事戻らへんと、蘭ちゃん、どないなってまうか・・・。絶対帰って来るんや、でないと、あたし許さへんで!!』











夜半過ぎ。

蘭は新一の顔が苦しそうに歪むのに気付く。

「新一、新一?」

人工呼吸器から変な音が漏れ、新一は体を捩り、汗が噴き出て、顔をしかめ見るからに苦しそうである。
心電図モニターの波形も乱れ、ピーピーと警告音が鳴る。
蘭は思わず看護師の方を見る。

「・・・ファイティングが起きてるわ」

注:(ファイティング:患者本人の呼吸と人工呼吸器が強制的に送り込む換気が合わず、空気の流れがぶつかるため、うまく呼吸が出来なくなる事)

看護師はそう呟くと、医師を呼び出す。

「先生、ファイティングが起きてます」
「自発呼吸が出てきたか」
「筋弛緩剤を使いますか?」

注:(筋弛緩剤:筋肉を弛緩させて動きを抑える薬。意識には作用しない。使う量によっては、呼吸筋の働きも抑えられるので、自分で呼吸が出来なくなる。人工呼吸器を使用している時にファイティング予防のため使われる事がある)
「今それをするのはかえってまずい。人工呼吸器の設定を変えよう。ボリュームコントロールからSIMVに。呼吸回数は15回設定に落として、1回換気量はそのままで」
注:(ボリュームコントロール(Volume Control):人工呼吸器の設定の1つ。間欠的陽圧換気法の一種。患者の呼吸に関わらず、強制的に一定のリズムで一定量の空気を送り込む)
(SIMV(Synchronized Intermittent Mandatory Ventilation):人工呼吸器の設定の1つ。患者の自発呼吸を生かし、人工呼吸器で補助的に空気を送り込む)

「FIO2は?」

注:(FIO2:吸入気酸素濃度。通常大気中の酸素濃度は21%だが、人工呼吸器には、患者の呼吸状態に合わせて吸入気酸素濃度を21%〜100%まで変えられるものが多い)

「30%のままで良い。1時間後にアストラップをとる。SaO2に注意しといて」

注:(アストラップ:動脈血ガス分析。動脈から採血した血液を機械で分析し、動脈血中の酸素・2酸化炭素の濃度や、酸塩基平衡を調べる)
(SaO2:動脈血酸素飽和度をパーセンテージで現す。正確にはアストラップで調べるが、現在では簡便に指先をはさんで測定するパルスオキシメーターという機械がある)



すがるような眼差しをしている蘭に、医師は優しい声で言った。

「自分で呼吸する力が出て来たんだ。良い傾向だよ」

蘭の瞳に初めて僅かに光がさした。







医師の言葉どおり、新一はやがて少しずつ呼吸が安定していった。
まず人工呼吸器が取り外され、次に鼻から入れられていた気管内挿管チューブが抜去された。

注:(気管内挿管チューブ:呼吸が止まっていたり呼吸抑制が起きたりしている時、気道確保のために鼻や口から気管まで入れられる管)

まだ安心できる状態ではなかったが、顔についている異物が取り去られた事で、見た目は随分と変わった。



新一はまだ目を覚まさない。
けれど、少しずつ反応が変わってきていることが、医療には素人の蘭でも判る。

触れれば身じろぐ。
手を握ると握り返してくる。

新一の体につながれているチューブ類が、少しずつ取り払われて行く。







そして、長い夜が明ける。







空が白み始める頃、新一は目を開けた。

「新一・・・!」

蘭は、震える手で新一の手を握る。
最初宙を見て焦点が合っていなかった新一の瞳に光が宿ると、その視線が動いて、蘭を見詰めた。





「・・・泣いてんじゃねーよ」

新一の1番最初の台詞がこれである。
新一が目を開けた途端、今まで止まっていた蘭の涙がいっせいに溢れてきたのだった。

蘭はしゃくりあげながら言う。

「馬鹿っ。新一が死んじゃうんじゃないかって、こっちは気が狂いそうだったんだから!」

新一の手が伸び、優しく蘭の髪を撫でる。

「バーロ。おめーを残して逝ったりなんかしねーよ」

その声は、挿管されていた為に掠れてはいるが、ひどく優しいものだった。
蘭を真っ直ぐ見詰める眼差しの優しさに、蘭は胸が詰まる。
黒い筈なのに、どこか青みがかって見える、新一の深い瞳の色。
もしかしたら、2度と見る事が叶わなかったかも知れないその瞳。
なんて綺麗なんだろう、と蘭は思う。

「新一・・・」

新一の綺麗な瞳を見ていたいのに、蘭の目には涙が盛り上がり、何も見えなくなってしまった。



  ☆☆☆



新一が峠を越して無事生還した。
看護師から呼ばれて、園子たちも新一の枕もとに集まる。

けれど新一はひたすら蘭しか見ていない。

「おっちゃんにな・・・怒られたよ。『こっちに来るな!おめーは蘭を殺す気か?』ってな」

その言葉に、蘭を含めて全員が息を呑む。
新一が本当に生死の境を彷徨っていた事を、誰もが感じ取ったのだ。
(尤も、後日になると新一自身は、その時自分が言った言葉を覚えてはいなかったのだが)

「ごめんな、心配かけて」

新一が蘭の髪を撫でながら言う。
蘭は堪え切れず、新一に縋って声をあげて泣いた。
余人が誰も立ち入る事を許されない2人の姿に、園子や目暮警部たちは、ただ黙って、微笑み、あるいは涙ぐみながら、見守っていた。



昇り始めた日の光が、一筋窓から差し込み、新一と蘭とを照らした。







(17)に続く



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(16)の後書き対談



「くっそう、何が『おめーは蘭を殺す気か?』だ!ドミの野郎、人に何て台詞を言わせる!」
「あなた、何興奮してるの?」
「英理、俺たちはドミの奴に選りに選って殺されてんだぞ!あんな小僧に蘭の事を託さなくちゃなんねーんだぞ!少しは口惜しいと思わねーのか!?」
「仕方が無いじゃない、これはパラレル新蘭なんだから」
「大体、新蘭だぁ?そんな言葉がある事自体が許せねー!」
「なら、○×とか、△◇とかなら良いわけ?」(差障りがある為、敢えて伏字です)
「なにぃ!それはもっと許せねーに決まってんだろが!!」
「じゃあ、コゴエリは?」
「うっ、ゲホガホゴホッ!」



「まあこのお話も、何とか一件落着・・・これで蘭も幸せになってくれるわね」
「蘭をあんな青二才には絶対にやらんぞ!」
「あなた、落ち着いて。これはあくまでパラレルなんだから」
「パラレルであろうが、許せねーものは絶対許せねー!」
「んもう。次回は回復した新一君が・・・」
「だから、蘭はやらんと言ってんだろーが!!」



(注)このお話の中での医療現場は、もっともらしくでっち上げてますが、作者(ドミ)が判ってて嘘こいてる部分も多々ありますので、銃で撃たれた人の回復過程やICUでの医師と看護師の会話が実際にこのままだとは決して信じてはいけません!(実際の現場では医師はこんなに悠長に説明的な台詞を言ってはくれません(笑))


(15)「試練」に戻る。  (17)「聖夜の約束」に続く。