First Love,Eternal Love


byドミ


(3)出会い


それは、蘭と園子が中学生になって間もない頃のこと。
梅雨の終盤で、連日豪雨が続き川は濁って水かさを増していた。
蘭は中学校の帰り道、いつも通る土手道を歩きながら、川に吸い込まれそうな恐怖感を覚えていた。

空には低く雲が垂れ込め、遠くで微かに雷鳴が聞こえる。
雷が苦手な蘭は、自然、急ぎ足になっていた。

ふと前方を見ると、橋の上で何人かが争っているようだった。
急に、橋から人が落ちた。
橋の上にいた数人の人影は、素早く逃げていく。
蘭は、考えるより早く、橋から落ちて流されて来た人を捕まえて助けようとした。
岸辺から手を伸ばし、何とか流されている人の腕を掴むことに成功したものの、流れは速く、自分まで川に流されそうになる。
その人は、気を失っているらしく、全く自分から手を伸ばしたりなど出来ない状態だった。
このままでは、2人とも流される。
そう思ったとき、ふいに蘭の腕を掴み、後に引いてくれる手があった。
必死の力で、何とか岸辺までその人を引きずり上げる。

土手に転がり、荒い息を吐きながら、蘭は自分たちを助けてくれた人物を見た。
そこにいたのは、小学5、6年生と思われる男の子だった。
整った綺麗な顔立ちをしている。
深い色の瞳には、理知的な光が浮かんでいる。
細い体――しかし、弱々しい印象はなく、機敏な動きで、運動神経も良さそうだった。
こんな場合だというのに、蘭はその男の子に一瞬見惚れた。

男の子は、手早く流されていた人――中学1、2年で、蘭と同じ中学の制服を着ていた少女――の呼吸や脈拍を確かめ、携帯電話を取り出すと、119番通報をした。
蘭は、咄嗟に助けてくれたのみならず、その後機敏な処置を行ったことに感心して、ボーっとその男の子を見る。

「お姉さん、怪我はない?」

男の子に声を掛けられ、我に返る。
まだ変声期前だというのに、大人びた響きをもつ、落ち着いた声。
蘭は、知らず顔が赤くなる。

「え?あ・・・私は大丈夫。ありがとう、助けてくれて」
「その人、お姉さんの友達?」
「ううん、知らない人。さっき橋から落ちて流されるところを見かけたから」
「知らない人なのに助けたの?」

その男の子は、目を丸くして問いかけてきた。

「だって、ほっとけないじゃない」
「そうだね。でも、お姉さんの方が、もう少しで溺れるところだったんだよ。共倒れになったりしたら、何にもならない。あんまり、無茶はしない方が良いよ」

蘭は、助けてもらっておいてなんだが、ちょっとむっとしていた。
確かに、その少年の言う事は正しい。
けれど、蘭は咄嗟に、「共倒れになるかも」などと、考える余裕もなかったのだ。

やがて、救急車のサイレンが聞こえてきた。


少年は、

「救急車来たみたいだから、もう大丈夫だよね。僕はもう行くよ」

と言い残し、駆けて行った。



それだけで終わっていたら、その少年のことは、記憶の彼方に消えてしまっていたかも知れない。
けれど、その後、とんでもない事件が待ち受けていたのだ。



蘭たちに助けられた少女は、見崎唯といった。
同級生数人からいじめを受けていた唯は、その日も数人に暴行を受け、川に落ち、そのままだと命を落としていたところだった。
幸い怪我は大したことなく、数日間で退院したのだが、その後、逆上した唯は、自分をいじめていた人達を闇討ちし、何人もに大怪我をさせて、少年鑑別所送りとなった。

そして―――。







蘭と園子は、暗くなっての帰宅途中、人気のない土手道で、数人から取り囲まれていた。
男が2人、女が3人。
皆中学生らしいが、男2人は体格も良く、力もありそうだった。

「ら、ら〜ん」

震える園子を、後ろに庇う。
蘭は空手を習っていたが、まだ腕前は大したことなく、喧嘩慣れしているらしい男2人を交えた相手に、園子を庇って戦える自信はなかった。

「毛利蘭。あんたが、見崎唯を助けたおかげでねえ、ダチが何人も大怪我したんだ。落とし前はつけてもらうよ」

そう言った女は、隈取の様な化粧をしており、妙な迫力があった。
後ろの男の1人が、下卑た笑いを浮かべて言う。

「痛めつけは程々にしておけよ。後の楽しみが減るからな」

別の女が、呆れた声を出した。

「ねんねちゃん相手に、好きだねえ、あんたも」
「なあに、子供を女にするのも、別の楽しみがあるってもんさ」
「1人ずつで、丁度いいだろ」

蘭は唇を噛む。
こういう事に鈍い蘭でも、男たちが何を考えているかは、流石におぼろげながら想像がついた。
自分1人ならまだ諦めがつく。
でも、ここには園子がいた。
蘭の大切な友達――園子は何としても助けたい。

『私が、私が、見崎さんを助けた所為で、何人もが傷ついたの?園子が、危険な目に会うの?私の所為で?』

あのまま、見殺しになど出来なかった。
でも、そのせいで、大切な園子を危険にさらしてしまったのだろうか。

「お優しい毛利蘭さんなら、俺たちのささやかなお願いを適えて下さるさ、なあ?」

卑しい笑いを浮かべながら、男たちが近づいてくる。

その時―――。

風を切って飛んできた何かが、男たちの急所を直撃する。

「汚ねー手でその人に触るんじゃねーよ!」

声変わり前だと言うのに、低く迫力ある声が響く。

草むらの向こうから姿を現したのは、蘭と一緒に見崎唯を助けた少年。
手にはサッカーボールを持っている。
蘭や園子よりまだ背も低い子供なのに、その眼光は鋭く、迫力に満ちている。

「この人の優しさは、おめーらのような損得勘定とは訳が違うんだ。って、聞こえねーか」

男2人は、急所を直撃した空き缶のために、悶絶していた。

「野郎!」

女の1人が飛び掛ろうとすると、すかさず軽いフットワークでかわし、手にしたサッカーボールをフッと放すと、間髪入れずに左足が動き、蹴り上げる。

ボールは素晴らしいコントロールで、女2人をなぎ倒した。

「わりぃな、ほんとだったら、女相手にこんな事はしたくねぇんだけどよ、そうも言っておれねーからな」

少年は言ったが、もうその言葉は、昏倒した2人には聞こえていない。

残る1人は、少しの間呆けていたが、気を取り直して少年に向かって行こうとするところへ、蘭が後ろから覚えたばかりの空手技を繰り出す。
その女は背後に油断していたためか、あっけなく倒れてしまった。
少年は口笛を吹いて言った。

「やるじゃん」

園子が、蘭に抱きつき、

「やったー、助かった」

と歓声を上げた。
その時、最初に悶絶した男の1人が、「うーん」と唸って目を覚ましそうな感じになる。
少年は、

「逃げるぞ!」

と、蘭の手を掴んで走り出した。

「えっ、ちょっとお、待ちなさいよー」

園子も必死で後をついて来る。



家を教えた訳でもないのに、少年は真直ぐ、毛利探偵事務所まで蘭たちを送ってきた。

「ここまで来たら、もう大丈夫。あ、と、お姉さん」

園子の方に向き直って言う。

「貴女は、家から迎えに来てもらった方がいいよ。中で待たしてもらってさ」

園子はにやっと笑って答える。

「ええ、そうするわ。でもあんた、すごい子ねえ。ずい分喧嘩慣れしてるじゃない。中学生相手に、良くやったわ。一体何者なの」
「おれは工藤新一。今は帝丹小学校の5年生だけど、いずれ探偵になるんだ。その為に、日々鍛錬中。あんぐらいは、どうって事ねーよ」

蘭が戸惑いながら、口を挟む。

「本当にありがとう。貴方のおかげで助かったわ。でも、なんで私の家を知ってるの」
「言ったろ、探偵になるんだって。この間、お姉さん、生徒手帳が濡れたから、取り出して開いてただろ。その時、名前と住所が見えたんだよ、毛利蘭さん」

園子が半目になって言う。

「それは盗み見って言うんじゃないの?」
「観察眼って言ってくれよ、人聞きの悪い」

蘭にとっては、住所を見て、それがどこか判ると言うのが、すでに理解の外である。(何しろ方向音痴なので)

「あ、ところで」

と少年――工藤新一が言う。

「あいつらは、まだまだ油断できねーからな。しばらくは、気を抜くんじゃねーよ。おれも父さんに頼んであいつらを抑えられるように手は打っとくけどよ」

園子が呆れた顔で訊く。

「あんたのお父さんって、一体何者よ」
「工藤優作っていうただの推理小説家だけど、警察に顔がきく。捜査にはしょっちゅう協力してっからな。悔しいけど、俺、まだ子供だから、今回のことを何とかするのは、俺には無理だ。背に腹は替えられねーよ」

大人びているが、こういう風に自分の限界を悟っているのも、潔いと、蘭は思う。
男の子のくせに綺麗な顔立ちで、深い色の瞳は、鋭くなるかと思えば、優しい光を放つときもある。
蘭は、年下の少年相手に、心がときめいてくる。
最初の時にむっとしてしまった印象などは、とっくにどこかに消えてしまっていた。

「それにしても、危機一髪の所で、また都合良く現れたもんよねえ」

園子の言葉に、蘭は慌てる。

「ちょっと、助けてもらっといて、何て事言うのよ!」

すると新一は、

「全く偶然、という訳でもねーよ」

と、少し頬を赤くして言った。

「蘭さんがあの見崎唯って人を助けた後、ちょっと気になったから、その後をチェックしてたんだ。そしたら、見崎さん、傷害事件を起こしたろ?こりゃやばいかもって思って、一応蘭さんの周囲には気を付けてたんだよ。俺も子供だから、始終、という訳にはいかなかったけどさ」

蘭は驚く。

『共倒れになったりしたら、何にもならない』

と言われ、助けてはくれたものの、何となく冷たいような印象を持ったと言うのに、その後気にして気を配ってくれていた、と思うと、何だかものすごく嬉しい。

園子が憤慨した声で、こぶしを握り締めて言う。

「それにしてもあいつら、逆恨みもいいとこよね。通りすがりに見崎唯を助けただけの蘭を襲うなんて、さいてー!」

蘭はうかない顔をして黙り込んだ。
とりあえず、助かった事は心からほっとしたし、園子がひどい目に遭わずに済んで、本当に良かったと思う。
しかし、先刻の心の迷宮に再び捉えられていたのである。

『私が見崎さんを助けた事で、何人もの怪我人を出し・・・そして、反って見崎さんを苦しめる結果になったのだろうか・・・』

突然、新一が、蘭を強い眼光で見据えて言った。

「蘭さん、あいつらの言う事なんか真に受けてんじゃねーよ。言ったろ?あいつらは、親切にするのも損得勘定しか考えてねえんだ。でも蘭さんは、純粋に人が傷つくのが嫌で、ただ、助けたくて助けたんだろ。貴女の優しさは、裏もなーんもねーんだからよ。変な風に考えんじゃねーぞ」

その瞬間が、恋におちた時だったと、蘭は思う。

まだ会ったばかりの少年。
2度にわたって助けてくれた。
2度目の時など、自分より体格のいい年上相手に、怯む事なく立ち向かっていって、本当に感謝もしたし、格好良かったと思う。
蘭はそれだけでも、かなりドキドキしていた。
けれどそれだけでなく、自分より年下のこの少年が、自分の心の迷宮を見抜き、それで良いのだと、迷わないで良いのだと、言ってくれた。

その時、蘭はこの少年に――工藤新一に捕らわれてしまったのだった。



けれどその後、蘭は工藤新一に会う機会はないままに、月日は流れた。







「その時の事なら、わたし、忘れたりなんかしてないわよ。って事は、え?その時のガキんちょが、工藤新一なわけ?」

映画帰りの喫茶店。蘭から、工藤新一との出会いの話を聞いた園子の、第一声がこれであった。
園子は、確かに年齢は合うわねえ、とブツブツ言う。

「何言ってるのよ、その時、ちゃんと名乗ったじゃない。」
「そうだっけ?でも1回聞いた位じゃ、んないちいち覚えてらんないわよ。って、蘭は覚えてたわけね」
「うん・・・」

蘭は頬を染めて俯く。

「確かに、ナイト登場、って感じで、一目惚れするには充分なシチュエーションだわね。残念ながら、年下の小学生相手だったから、わたしにとっては対象外、だったけどね。あ、残念って事はないか。蘭と恋敵にならずに済んだものね」

園子がにやっと笑い、蘭は赤くなる。

「園子・・・」
「蘭、誕生日プレゼントを渡してた女たちのことなんか、気にするんじゃないわよ。工藤新一のプロフィールなんてね、女性週刊誌に載ってんのよ。あいつらが知ってて、蘭が知らないからって、蘭の気持ちが劣るなんて事考えなくって良いんだからね。工藤新一って、ほんと、まるで芸能人並よね」

蘭は驚く。
週刊誌など、滅多に読むこともない蘭は、そんなことは知らなかった。
事件の報道があった新聞記事などは、必ず切り抜いて取っておいた。
けれど、そこに書かれている個人プロフィールは、せいぜい、在籍している高校名と学年くらいだったのだ。

園子が口を開く。

「でも、あの事件の後、結局わたしたち何事もなく過ごしたわよね」
「うん。実はね、お父さんたちにかなり後になって話を聞いたけど、私達を守るために、しばらく警察が身辺警護をしていたらしいわ」
「鈴木家の方にもいつの間にか話が通ってて、ボディガードがずっとついて来てたものね」
「見崎さんね、あの後一度会ったけど、『あの時は本当に辛かったけど、こうやって命があって良かったと今は思ってるの。ありがとう』って言ってくれて、嬉しかったよ。・・・死んでしまったら、何にもならないんだものね」

そう言った蘭の瞳は、少し切なげに揺れていた。

「よし、わかった。蘭、大丈夫、わたしに任しといて。他ならぬ蘭の為だもん、わたしが蘭と工藤くんを、鈴木財閥の総力を上げて、絶対、出会わせてあげるから!」
「そ、園子、何もそんな」

園子にはすでに、蘭の言葉は耳に入らず、こぶしを握り締め、ゴーっと音をたてて燃えていた。
その姿を見て、蘭は園子に話したことを、少なからず後悔していた・・・。







蘭は、大学の掲示板に張り出された求人票を見ていた。
今の時代、殆どの学生は、情報誌などでアルバイトを探し、大学の学生課を通じて行われるバイト募集には、興味を示さない。
しかし、大学を通すだけあって、報酬は低いが、堅く無難なところが多い。

「うーん。ベビーシッター・・・子供は好きだけど、責任持って預かるには、知識も経験もないし・・・なかなか折り合いがつきそうなのってないなあ」

とりあえず、バイト探し中の登録をする為に、学生課の窓口へ向かう。

「文学部1回生の毛利蘭さん・・・」

受付の中年女性事務員は、申請書に目を通した後、眼鏡に手を当て、窓口から蘭をじっと見上げた。

「丁度あなたの条件に合いそうなお話があるんだけど・・・」

その女性は立って行って、学生課の入り口のドアを開け、蘭を手招きする。
訝りながら蘭が中に入ると、粗末だが一応来客用のソファーに蘭を座らせ、奥でお茶を淹れて運んで来た。

「頂いたお話がとても特殊なものだったのでね。ゆっくりお話する必要があるかと思って」

そう言って、蘭の向かい側に腰を降ろす。

「毛利さん、推理小説家の工藤優作さんはご存知かしら」
「ええ、存じ上げてます」

蘭は、心臓が飛び跳ねそうになるのを辛うじて抑えながら答えた。
世界的に有名な推理小説家、工藤優作。
日本よりむしろ海外での評価が高く、ロサンゼルスと日本を行き来している。
元・世界的な大女優だった藤峰有希子を妻とし、子供は1人。
現在高校2年生で、高校生探偵として名をあげてきている、工藤新一―――。
新一の口から、父親が推理小説家・工藤優作である事は聞いていたし、初めてテレビで見た時は、新一と面差しが似ているため、ドキドキしたことを覚えている。
その工藤優作がテレビ番組の中で、家族全員で近々ロスに移住すると話していたのを聞いた時は、どれ程悲しかったことか。
しかし昨年、蘭の母・妃英理が毛利家に帰って来たのと丁度同じ頃、工藤新一が飛行機の中で密室殺人事件を見事に解決したと、新聞に大きく報道された。
新一は、高校は日本で通う事にしたらしく、それから事件解決の報道が次々とされるようになり、たちまち高校生探偵として有名になっていった。

工藤新一が日本にいる―――。
しかも、通っているのが、すぐ近所の帝丹高校。
会いたい、と思う一方で、どうやって会えば良いのか、きっかけも掴めないままに、1年が過ぎた。

(実は園子を誘って、帝丹高校の文化祭に行ってみたが、その日工藤新一は事件解決のため学校には来ていなかった)

探偵である父・毛利小五郎は、事件絡みでしょっちゅう新一と一緒に仕事をしていたようだ。
何故か新一は、推理力では今ひとつの小五郎の事を妙に気に入って、結構小五郎に纏わりついていたらしい。
小五郎の新一への評価はいつも辛口だった。

「ったくよお、ものの判らねーくそ生意気なガキが、いっぱしの口叩きやがって」

けれど蘭は知っている。
父がこういう風に悪口を言うのは、少なからず相手を意識し、認めている証拠なのだ。
自分の思い人が、その工藤新一だと知ったら、父はなんと言うだろう。
ましてや、もしも付き合うなんて事になったら――そんな事を考えては、頭を振って、その妄想を追い出していた。
自分が一方的に熱をあげているだけだというのに、なんて事を考えるんだろう――と。







工藤優作の名を出した途端に、自分の物思いに沈んでしまった蘭に、学生課の女性事務員は、訝しげな目を向ける。

「毛利さん?」
「あ、ああっ、はいっ。何でしょう!」

蘭は赤くなり、慌てて居住まいを正した。
事務員はくすりと小さく笑う。
いつもは事務的で冷たい印象を受ける目が、少し柔かく細められる。

「毛利さんは、家事一般が得意だそうね」
「ええ。ずっと家の事やってきましたから」
「実はね、工藤優作さんの所で、家政婦をやらないかっていうお話があるの」

予想もしなかった話に、蘭は息を呑む。
優作の妻・有希子は、勿論一通りの家事はこなす。
しかし、優作の秘書的な事もし、パーティ等の出席も多く、早い話、多忙で家の事に手が回らないことも多い。

「でも、それだったら、わざわざ女子大生なんか雇わなくっても、ベテランの方がいくらでも・・・」

蘭が疑問に思った事を口にする。

「あいにく、外国生活が長いお2人と、高校生の息子さんでしょう。ベテランの家政婦さんの作る食事では、お口に合わないことが多いらしくって・・・」

それにね、と付け加える。
有希子夫人は、気さくな人柄ではあるが、家庭内の切り盛りについては、こだわりがある。
なまじベテランで自分のやり方に自信を持つ家政婦とは、そりが合わない事が多いのだと言う。

「一通りの掃除・洗濯と食事の支度をしてもらえれば良いので、1日家にいる必要はない。仕事さえこなしてくれるのなら、学業の他、クラブ活動もOKだし、必要なときは、休暇も取って良い。部屋を1つ、専用に与えるけど、住み込みでも通いでも構わない。毛利さんは、高校に通いながら家事をやってらしたんだから、この位得意よね。ねえ、良いお話でしょう」
「そうですね・・・。でも、あまりにも良いお話過ぎるような・・・」

しかも、給与を聞いて更に驚く。
世間知らずの蘭でさえこの条件にしては破格だと判るだけの金額だったのだ。
お人好しの蘭でも、にわかには信じられないような話であった。

事務員が更に言葉を続ける。

「実はね、毛利さん、このお話は、先方からあなたを名指しして持ってこられたお話なの」
「えっ・・・!?」
「工藤ご夫妻は、あなたのご両親とは旧知の間柄だったそうです。外国暮らしが長かったのと、多忙なために、最近はあまり会っておられなかったそうだけど、残されたあなたのことをそれは気にかけてらしてね。ただ援助する、という事では失礼に当たるから、仕事をしてもらう、という事ではどうか、とこのお話を持っていらしたのよ」

そういえば、と蘭は両親の葬儀の時のことを思い浮かべた。
あの日、確かに工藤夫妻が参列していた。
その時の蘭は、両親を失ったショックと悲しみが強すぎて、それに感激するどころではなかった。

優作は、

「この度は・・・」

と言って頭を下げただけで、それ以上は何も言わなかった。
蘭は後から、工藤夫妻が葬儀に来てくれていた事を思い出したが、事件を通して小五郎や英理と知り合ったのだろうくらいにしか思っていなかった。

「工藤さんはね、このお話を持ってきたときに言ってらしたの。毛利さんたちの娘さんなら、無条件に信頼できるから、ってね」

その言葉を聞いて、蘭の胸に暖かなものが満ちた。
そう言ってくれた工藤優作の優しさに、心が一杯になる。

『やっぱり、新一さんの親だけあるわよね』

「お話を受けるかどうか、あと、条件のことなんかは、面接してもらってから決めてもらっていいのよ」

蘭はすでに心を決めていた。
両親を信頼してくれた人たちの申し出であったし、何よりも――工藤新一に会いたかった。

『さすがは毛利夫妻の娘だ、と言ってもらえるように、お父さんたちの名誉を傷つけないように、頑張らなきゃ』





(4)につづく

+++++++++++++++++++++++

変声期前の新一くんは、ぜひ高山ヴォイスで想像してください(笑)
1回目と2回目の彼の口調が違うのは、それはまあ、最初はちっと位猫被ってたって事ですよ(苦笑)
原作となるだけかぶらないように、だけど蘭ちゃんが恋におちるのに説得力があるように、と思ったんですが、難しくて、うまく描けたか不安です。
「この展開は一体なに!」と思われた方もいるでしょう。
そうです、蘭ちゃんは、この後工藤家の家政婦さんになるのですね(汗)
大学の学生課って、あんな事してるのか、という突っ込みはなしにしましょう。
適当にでっち上げているんですから(笑)
今回思わせぶりに出てきた見崎唯は、名無しだと書きにくいため、急きょフルネームをつけただけで(笑)この先出番はありません。

さて、次回はようやく、あの人が登場します。

(2)「憧れ」に戻る。  (4)「再会」に続く。