First Love,Eternal Love


byドミ様


(5)新しい生活


「お帰りなさいませ、新一坊ちゃま」

帰って来た途端に蘭にそう声を掛けられ、新一は脱力して、玄関でうずくまる。

「・・・頼むから、その呼び方、やめてくんねーか」
「じゃ、新一様?」
「様はやめろよ」
「でも、私は、雇われている身ですし」
「おい。雇ったのは父さんであって、俺じゃねーよ。それに今どき、雇い主相手にでも、様はつけねーって。様をつけるのは、お客さん相手の時だろ、普通」
「・・・新一さん?」
「ま、その辺で手を打つか」

新一は苦笑いして立ち上がる。

「お帰りなさいませ。お食事の用意が出来ております」
「年下に向かって、敬語なんて使うんじゃねーよ」
「・・・でも」
「まあ、無理せず、ぼちぼちで良いけどさ。遅くなったんだから、帰っていて良かったのに」

探偵活動をしている新一は、帰りが不規則だ。
遅くなった場合は、夕御飯の支度が終わったあと、帰っていて良いと、蘭には伝えてある。

「でも、御飯が冷めてしまいますから」
「律儀だよなあ、蘭さんは」


黙々と食べる新一に、蘭はうかがうような目を向ける。

「あの・・・お口に合いませんか」
「あ?いや、うめーよ。流石に、毛利家の台所を預かっていただけあると思うぜ」
「そう、良かった」

蘭がニコリと微笑むと、新一はちょっと照れたように顔を赤くしてそっぽを向いた。


  ☆☆☆


蘭は後片付けを終えると、

「ではこれで失礼します」

と、玄関に向かおうとした。

「え?泊まっていかねーのか?ちゃんと部屋は準備してあんだろ?」
「で、でも」
「内側から鍵はかかるから、心配いらねーよ」
「そうじゃなくて・・・あまりご厚意に甘える訳には・・・」

新一は溜め息をついて立ち上がる。

「判った。んじゃ、送ってくから。若い女性に、夜道の一人歩きはさせらんねーよ」
「大丈夫ですよ。すぐ近くですし。それにいざとなったら、私、空手が使えますから」
「バーロ!相手が複数だったり、不意を突かれたりしたら、どうなると思ってんだっ!何かあってからではおせーんだぞっ!」

怒鳴りつけられて、蘭は泣きそうになり、怯えたように新一を見る。

新一は少し目をそらして言った。

「怒鳴ったりして悪かったよ。でも、夜道の一人歩きだけは止めてくんねーか。・・・とにかく、家まで送ってくから」


  ☆☆☆


先に立って歩く新一の背中を見詰めながら、蘭は泣きそうになっていた。
新一は自分の事を心配してくれたのに、自分が強がったために怒らせてしまったと思うと、悲しかった。

やがて、蘭の家がある3階建てのビルに着く。
2階の窓には、入居者募集の張り紙がしてあった。
蘭はその張り紙を見て、寂しさに胸が詰まる。

「ありがとうございました。それじゃあ、ここで」

そう言って階段を上ろうとする蘭の手を、新一はいきなり掴んで引き寄せた。
突然の事に声も出ない蘭を、自分の背後に庇うと、新一は階段の上の方に目を向けて、鋭く誰何する。

「誰だ!」

暗がりから、ゆっくり降りてくる人影に、蘭は息を呑む。
空手をやっている蘭でさえ、気配に全く気付かなかったのだ。

「誰、とはごあいさつな。そこにいる蘭さんと、お付き合いさせて頂いてる者だけど?」

その男――榊田は、不気味な笑みを浮かべて言った。
新一が、えっと言うように、蘭を振り返る。

「違います!」

蘭は即座に首を横に振って答えた。

「おやあ?友達付き合いから始めようと言ったら、OKしてくれたんじゃなかったっけ?」
「・・・友達付き合いの奴が、こんな所で待ち伏せなんかしてんじゃねーよ」

蘭を後ろに庇ったまま、新一が低い声で言う。
蘭もしっかり新一の背後に隠れていた。

「君こそ、何のマネだい?見たところ、高校生位のボーヤだろ?毛利さんのナイト気取りかい?」
「うっせーな。父さんたちから頼まれてんだよ。守ってやれって。毛利のおっさんとは親しかったからな」

近付いて来る榊田の顔には、酷薄な笑みが浮かんでいる。

「いけないなあ、目上相手にその口の利き方。まずは礼儀を教えてあげないとねえ」

黒いオーラを発しながら、ゆっくりと近付いてくる。
蘭には、さっきの気配の殺し方といい、この榊田が、かなりの使い手である事が感じられた。

『私って馬鹿!こんな男に、住所や電話番号を教えてしまうなんてっ!』

後ろ手に庇ってくれる新一の存在がとても頼もしく、思わずすがり付いてしまいたくなった。
けれど、そんなことが赦される間柄ではないし、何よりも、足手まといになる。

更に、榊田は距離を詰めてきた。
ふいに新一の左足が動く。
それは一瞬のこと。

新一が蹴り上げた空き缶が、榊田の顔面に吸い込まれ、榊田は後方に倒れた。

顔を覆って呻き声をあげるが、意識を失っているわけではない。
新一は蘭の手を掴むと、踵を返して走り出した。
蘭も素直について走っていく。



2人は、工藤邸の玄関で、荒い息をしていた。
結局、あのまま元の道を引き返してきたのだった。
新一が息を切らしながら言う。

「蘭さん、マジで、しばらく一人ではあの家に戻らねー方が良いみてーだぞ。俺の探偵としての勘からしても、あいつは危険すぎる。かと言って、今の時点では、あいつを捕まえられるような状況じゃねーしな」

蘭は今更ながら、体に震えが走った。
もし1人で帰っていたら、今ごろは・・・。

新一は困ったように蘭を見る。

「おい、泣くなよ。もう、大丈夫なんだからさ」
「ご、ごめんなさい」
「謝んなくっていいからさ・・・泣くんじゃねーって」

なおも俯いて泣き続ける蘭の肩に、そっと新一の手がまわされる。


新一に促されるままに、蘭はリビングへ入り、ソファーに腰掛けた。
蘭がひとしきり泣いていると、しばらく姿を消していた新一が、トレーにカップを乗せて戻って来た。
蘭の前に、カフェオレのカップが置かれる。

「え?これ・・・」
「本当は、他のが良いんだろうけどよ、俺、コーヒーしか淹れらんねえし。一応、カフェオレにはしたんだけどよ」

新一の心遣いが胸に染みる。

「ありがとうございます。さっきも・・・助けてくれて、ありがとう。それに、ごめんなさい」
「謝んなくって良いって言ったろ」

新一は、ブラックのコーヒーを手に、蘭の向かい側に腰かけた。

「あの、・・・1人で帰るって、意地を張っちゃったこと・・・」

ああ、と新一が呟く。

「いいよ、そんな事。俺こそ、怒鳴ったりしてごめん。蘭さんの、人に迷惑をかけまいと、何でも押し殺して遠慮してしまうところ、俺は嫌いじゃねーけどよ。この先も、変な遠慮なんかすんなよ。蘭さんに何かあったら、一番悲しい思いをするのは、毛利探偵と妃弁護士だろ?」

蘭ははっとしたように顔を上げ、新一を見詰める。

「とりあえず、毛利のおっちゃんたちを悲しませねーのが、先決だろ?」

蘭の顔に微笑みが浮かぶ。

「新一さん、・・・もしかして、お父さんのこと、おっちゃんって呼んでた?」

新一が、バツの悪そうな顔をして、ほっぺたを掻く。
その仕草が可愛いと思い、蘭は声を立てて笑った。

「・・・やっと笑ったな。あんたは、笑った顔の方が良いと思うぜ」

新一がにやっと笑って、片目をつぶる。

「気障ね・・・。高校生のくせに」
「悪かったな・・・」
「でも、気障な新一さんも、悪くないと思うわ」

蘭がそう言うと、新一はまた照れたように顔を赤くした。

「さっきは助けてくれて本当にありがとう。嬉しかったわ」







蘭の、工藤邸での生活が始まった。

新一が家にいるときは、朝ごはんと弁当の用意をして、起こしに行くところから、一日が始まる。
御飯を済ませ、身支度を整えると、2人で一緒に米花駅まで歩き、蘭はそのまま電車に乗って大学へ、新一は徒歩で帝丹高校へ向かう。

そして夕方――蘭は空手で汗を流した後、買い物をして工藤邸に帰る。
たまに新一が先に帰っている日もあるが、大抵新一の帰りは遅い。
蘭は夕食の支度を済ませ、掃除・洗濯をする。
可能なときは、夕食は2人で一緒に食べた。
食卓での新一の話題は、手がけていた事件のことか、ホームズのこと。
新一がホームズの事を語りだすと、目が輝き、その表情は年相応の少年のものになる。

まるで家族のように暮らす生活。
日常の何気ない場面で、色々な新一の顔を見る。
そして、ますます惹かれていく。

蘭は、幸せだと思った。







「蘭。あんた最近家にいないじゃない。一体どうしたのよ」

園子が不機嫌そうに訊いてきた。

「あ・・・。ごめんね園子。実はね、住み込みの家政婦の仕事をみつけたの」
「住み込みの家政婦ぅ?何でまたそんな。そりゃ、蘭は家事が得意だけどさ」
「お父さんと親しかったって方が、好条件で雇ってくださったの。空手もできるし、休暇を取って遊びに行く事だって赦して下さるんだよ」
「そうだったの。でも、水臭いじゃない。わたしに話してくれないなんてさ」

蘭は、嘘が苦手なため、園子から「どんなお家?」と訊かれたらどうしようと考え、今まで話せずにいたのだった。
今も少しビクビクしていたのだが、園子は別の事を訊いてきた。

「それにしても、通いでいいじゃない。何でわざわざ住み込みに?」
「その事なんだけどね、園子」

蘭は榊田に待ち伏せされていたことを話した。
黙っていると、また他の女学生たちが、知らずにひどい目に遭わされるかも知れない。
そう思ったのだ。

話を聞いた園子は、眉を寄せて考え込んだ後、口を開いた。

「蘭。実はあれから、榊田さんについて、変な噂を耳にしてね」
「えっ!?」
「どうも今いちはっきりしない話なんだけどさー、なんか、弄ばれて捨てられた女が、たくさんいるらしいのよ。それも、生半可な遊び方じゃなかったって・・・。当事者たちが口をつぐんでいるから、それ以上は判んないんだけどね。蘭、あの男をふっといて、正解だったわよね」

榊田のことを思い出すと、正直、鳥肌が立つ思いだ。
思えば、最初に会った時から、生理的に嫌だった。
しかし同時に、自分を庇ってくれた力強い腕と背中を思い出し、甘やかな幸福感に酔う。

『馬鹿ね、私ったら。あの人はフェミニストなんだから。きっと誰にでも優しいんだから。絶対、うぬぼれちゃ駄目よ』

自分で自分に釘を刺す。
園子が突然、にやっと笑って言った。

「ところで蘭、工藤新一の情報、入手したわよ。住所とか、電番とか、その他色々。聞きたい?」

まさか一緒に住んでいる、とは言えず、引きつった笑いを浮かべる蘭であった。





(6)につづく

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(5)の後書対談

「なーんか、『蘭さん』なんて呼び方、すっげー違和感あるよな」
「新一、年上相手に、ちょっと馴れ馴れしすぎない?」
「蘭、おめー、俺に敬語使って欲しいのかよ」
「んー、それは嫌かも」
「で、今度は同居かよ・・・いいのかこんな設定で」
「いいじゃない、1人暮らしは寂しいんだから」
「(判ってねーな、こいつ)・・・それにしても、『新一坊ちゃま』には、マジで脱力したぜ」
「あ、あれは、ドミさんが無理やり!台詞なんだから、仕方ないじゃない」
「結構嬉しそうに言ってなかったか?」
「そ、そんな事ないもん。新一の馬鹿っ」
「それにしても、榊田って、とんでもねー野郎だな」
「新一、よく榊田さんの気配がわかったわね」
「俺は人の悪意とか殺気とかの気配は、ちゃんと読めるんだよ!」
「それにしては、原作の1回目で、背後を取られたじゃないの」
「あれで俺の事うっかり者と思っている奴が多いみてーだけどよ、あれは相手がジンだったからだ!他の奴相手なら、あんな無様な事にはなってねーよ」
「好奇心が過ぎて首絞めたのは事実でしょ。このお話でも、そんなことにならなきゃ良いけど」
「・・・ところで、榊田だが、まだ出番はあるらしいな」
「(新一、逃げたわね)原作キャラは絶対使えないって位、ひどい事するらしいわよ」
「ったく、お手柔らかに頼むぜ。そうじゃなくても、どうもドミは、俺が必死で理性をかき集めて我慢する姿が好きらしいし。ほんと、こっちの神経がもたねーよ」
「新一、何を我慢しなきゃいけないの?」
「そ、それは」
「神経がもたないってどういう事?」
「だだだからっ、顔を近付けるなっ、上目遣いで俺を見るんじゃねえ!」


(4)「再会」に戻る。  (6)「親友vs名探偵」に続く。