First Love,Eternal Love



byドミ



(9)そして始まりの日



蘭は、久し振りにずっと留守にしている自宅に向かっていた。
今日は、仏壇にお参りしようと思っているのだ。
本当は新一と一緒に行く筈だったのだが、ここ数日の気まずさのため、言い出せなかった。

『昼間だから、大丈夫よね』

そう結論を下して、今はたまにしか帰らない自宅に、1人で向かった。

2階の「入居者募集」の張り紙はいつの間にか剥がされていたが、見たところ人気は無く、看板も出ておらず、どんな事業所が入居しているのか、見当がつかない。

蘭は3階の自宅まで階段を上がり、鍵を開けようとする。

そのとき、玄関の様子に、鍵を回した時の手応えに、何となく違和感を感じ首を傾げる。

しかし深くは考えず、中に入った。

まず窓を開ける。
梅雨の間に、家の中はすっかりかび臭くなっていた。
空気を入れ替えながら、家中の掃除をする。
使っていない為、片付いてはいるが埃だらけだった。

掃除が終わると、仏壇にお茶と御飯と花を供えて、手を合わせる。

『お父さん、お母さん、ごめんね。長いことほったらかしで』

お参りの事だけではない。
最近ではすっかり新一のことで頭がいっぱいで、両親を思い出す事も少なくなっていた。
今も、手を合わせながら、蘭は新一の事を考え始めている。

数日前の出来事を、プールでのファーストキス、そしてソファーでの事を思い起こす。
新一に抱きすくめられ、激しく口付けられ、そのまま抱かれてしまうのかと思ったのに、そうせずに離れて行った。

『高校2年生くらいの男の子って、やっぱり、そういった欲望って強いんだろうな』

例え、好きな相手ではなくとも、男の人がそういう欲望を持ってしまうという話は聞いたことがある。
やはりあの状況で無防備に眠ってしまった自分に非があるのだろう、と蘭は思う。
けれど、荒れ狂う欲望をおし止めた新一の、理性の強さ、優しさ・・・。
すごい人だと思うし、ますます惹かれていってしまう。
けれど、矛盾するようだが、あのまま新一に奪って欲しかった、という気持ちもある。
例え彼にとって、戯れでも、欲望処理の為だけでも、構わない。
自分はきっと、生涯彼しか愛せないから。
彼とそういった一時を持てるのなら、その思い出だけを胸に生きていけると思う。

気が付くと、両親の遺影にじっと見詰められていたような気がして、蘭は赤くなる。

「お父さん、お母さん。私ってきっと親不孝で悪い子よね。でも、あの人が好きなの・・・」

蘭は仏壇の前で、肩を震わせて泣いた。



  ☆☆☆



新一は、事件現場にいた。

いつもの不敵な笑みで、いつも通りの冴えた推理力で、犯人を追い詰める。

「助かったよ、工藤君。いつもすまんのう」

目暮警部が、満面の笑みで新一の肩を叩いた。

「いえいえ、また難事件があれば、この名探偵工藤新一にご依頼を」

そして、一緒に警察署までは来たものの、いつも通り、事情聴取の立会いは断る。

「人を殺す理由なんて、どんなに説明されても、理解できねーんだよ・・・」

警察署のソファーにぐったり座り込み、1人呟く。

ふと目の前に人の気配を感じ、顔を上げる。
警視庁捜査一課の高木刑事が、心配そうに見下ろしていた。

「高木刑事、どうかなさったんですか」
「工藤くん、どうかしたのは君だろう。体の具合でも悪いんじゃないか?」

長身で、ハンサムだが人の良さそうな、一見頼りなさそうな感じだが、実は新一が捜査一課の刑事の中で、推理力や洞察力、誠実さを一番高く買っているのが、この高木刑事なのである。

「参ったなあ。誰にも気付かれない自信があったんですけど」

嘆息し、苦笑しながら新一が言った。

「何があっても、いささかも推理力と集中力が衰えないのは感心するけど、無理してるんじゃないのかい」
「いえ、体の具合が悪い訳じゃないですよ。ちょっとプライベートで色々あって・・・、でも事件に没頭してた方がかえって気が紛れるから」
「君をそれほど悩ませるのは、毛利蘭さん?」

新一の顔が見る間に赤く染まり、高木刑事は驚いた顔をした。

「この前のトロピカルランドでの事件の時、デート中のようだったから、もしやと思ったんだけど。いつもポーカーフェイスの君が、そうなるとはねえ。それだけ本気なんだね」
「・・・プライベートですよ、高木刑事」
「そうだね。でも君も、普通の男子高校生だったかと思って、ちょっと安心したよ」
「高木刑事こそ、佐藤刑事とはどうなってるんです」

新一の切り返しに、今度は高木刑事の方が赤くなって慌てる。
高木刑事の先輩にあたる、佐藤美和子刑事は、素晴らしい美人でいつも颯爽としていてさっぱりした性格で、当然の事ながら大もてで、捜査一課以外にも多くのファンを持つ。

「ど、どうって言っても、佐藤刑事は僕の事なんか・・・」
「確か、高木刑事より2つ年上、なんですよね」
「そ、そう、だから、僕なんかじゃ頼りにならないらしくって・・・」
「2つ年下は、頼りにならない、かな・・・やっぱり」
「工藤君?」
「なんか、警戒心持たれてねーし、男として見られてねーのかなって・・・」
「そうか、毛利蘭さんは女子大生、工藤君より2つ年上なんだね。・・・工藤君、何があったか知らないけど、僕なんかが人に偉そうに言える立場じゃないけどさ。警戒心を持たないっていうのは、男として見てないんじゃなくて、それだけ信頼してるって事じゃないのかなあ」

『信頼してるから』

そう言った蘭の言葉が、新一の脳裏にこだまする。

『けど、その信頼を踏み躙ったのは、俺・・・』

蘭の寝姿をみて、自分の中の荒れ狂う欲望を自覚した。
けれど1回目の時は、理性の歯止めがまだ強かった。

しかし再びその光景を目にした時――。

その日の昼間、蘭を抱きかかえたときの感触と、触れ合った唇の熱さ、柔かさを知ったばかりの新一には、もはや自分の中に荒れ狂うものを押し止める事は出来なかった。

暴走しかけた新一を押し止めたのは、蘭の震えている体と、怯えたように固く閉じられた目蓋――。

誰よりも大切にしたいのに、傷つけてしまった・・・。

そう思うとやり切れず、持て余す自分の欲望に嫌気がさす。

そのあと蘭は会う度に、新一を泣きそうな目で見ていた。
それが見たくなくて、新一は蘭を避けていた。
蘭は妙に律儀なところがあるから、家政婦を止めたりせず、いつも通りに家事をこなしている。
新一を攻めたって罵ったって良いのに、それをしない。

『でも、きっと軽蔑されたな・・・』

新一は頭を振って、気持ちを切り替える。

「ところで高木刑事、例の件はどうです?」
「榊田譲だね。父親が大きい病院を経営していて、そこの後取り息子、東都大医学部に現役で入っている。しかも空手の達人。ただし、公式試合などには一切出場した事がない。恵まれた立場で、文武両道のエリートなのに、性格的には妙に歪んだ男らしく、中学生から高校生の頃は、かなり暴力沙汰も起こしていたようだね。と、この辺は工藤君も知っている事か。毛利蘭さんと鈴木園子さんへの暴行未遂事件の時は、工藤くんもその場にいたんだよね」

新一は黙って頷く。

蘭や園子は気付いていないが、最初の出会いのとき、あの土手道で蘭たちに乱暴しようとしていたグループの内の1人が、榊田譲だったのだ。

榊田は、普段は合コンにも参加しない。
米花女子大との合コンに来ていたのは、彼にしてはかなり珍しい事だった。

その目的は、おそらく蘭に会うため・・・。

『警察や鈴木家のガードで手出しをさせねーできたけど、流石に今はもうあれから時間もたって、ガードもついてねえ。それにしてもあの野郎、多分あれ以来ずっと何年も、蘭に執着してたな』

「女性に対しては、手に入れるまでは異常な執着心を見せ、ストーカー紛いの事をするのに、一度でも寝てしまうと、全く無関心になる。かなり多くの女性を酷い目に遭わせているようだけど、犯罪と立証できるような尻尾を掴ませない。強姦は何回もあるらしいけど、あれは親告罪だからね」

新一は、自らも調べているが、高木刑事にも榊田の身辺を探るよう依頼していた。
現時点では、仕事外の事になってしまうが、高木は喜んで協力してくれている。

新一は顎に手を当てて考え込む。

『あいつは何かもっととんでもない事をしてそうな気がする』

その時、新一の携帯が鳴った。
その着信音は、蘭に渡しておいた携帯からのもの。
慌てて電話に出る。

「蘭!?」

『助けて、新一さん、助けて!』

電話の向こうから聞こえる蘭の悲鳴。

「蘭、蘭!今どこにいるっ!?」

しかし、激しい物音がしたかと思うと、それきり通信が途絶える。

こちらから慌ててかけ直してももう繋がらない。
向こうの携帯電話そのものが壊れたらしい。

「高木刑事、緊急事態なんです!パトカーを頼めますか!?」

こういう時、今まで警察に協力してきた実績がものをいう。
高木刑事は直ちにパトカーを出してくれた。


新一はパトカーに乗り込みながら、黒縁の眼鏡を掛け、何か操作し始めた。
眼鏡の縁から、短いアンテナが出てくる。

「ここからおよそ2キロ・・・この位置は・・・、毛利探偵事務所!」
「工藤君、それは一体?」

高木刑事が運転しながら訊いてくる。

「俺んちの隣に住んでいる発明家の阿笠博士に作ってもらった、追跡用の眼鏡ですよ。蘭に渡した携帯電話に、発信機を付けといたんだ。何かあったら、いつでも蘭の元に行けるように。携帯は壊れたみてーだけど、発信機の方は無事だったようです」

『蘭、蘭、待ってろ。今行くからな!』



  ☆☆☆



蘭が仏壇の前で泣いていると、突然、電話のベルが鳴った。
滅多に帰って来ないこの家に、誰からの電話だろう。
訝しく思いながらも、涙を拭いて蘭は電話に出た。

「はい、毛利です」
「・・・・・・」

無言の相手に、蘭は眉をひそめる。

切ろうとしたとき、電話の向こうから忍び笑いが聞こえてきた。
蘭は総毛立つ。
まるで、地獄の底から響くような、その笑い声。

逃げなければ、と思って玄関に向かうと、階段を上ってくる足音がした。
もう、すぐそこまで来ているのだ。
何故今蘭がここに居る事を知っているのか、そんな疑問を持つどころではなかった。

蘭は震える手で携帯を取り出し、短縮番号を押す。
玄関でガチャガチャと鍵を開ける音がした。
どうやって手に入れたか、合い鍵まで持っているのだ。
数回のコール音がなる携帯を、祈るような思いで握り締める。

『蘭!?』

コールが切れると、誰よりも愛しい人の声が聞こえた。

「助けて、新一さん、助けて!」
『蘭、蘭!今どこにいるっ!?』

蘭は答えることができなかった。
玄関を開けて進入して来た人影に、思わず悲鳴をあげ、携帯を取り落とす。

「やっと会えた恋人相手に、なんて声を上げるんだい?」

冷たい笑いを浮かべた榊田譲が、ゆっくりと近付いてくる。
蘭は、自分の迂闊さを呪った。
榊田が、ここまでの事をしてくるとは予想外だったし、本当に、自分は無防備過ぎるのだと、つくづく思う。

蘭は身構える。
敵わない事は判っていたが、ただ諦めるのは嫌だった。

けれど――、

蘭の蹴りひとつ、拳ひとつ、相手に届かないままに、あっという間に組み伏せられる。
榊田は蘭を床に押し倒すと、馬乗りになっていた。
榊田が口付けてこようとするのを、蘭は顔を横に向けて拒む。

蘭は覚悟を決めていた。

もしも、どうしても奪われそうになった時は、自分の舌を噛むつもりだった。

『新一さん、さよなら。お父さん、お母さん、親不孝でごめんね。でも、私・・・』

突然、肩に痛みが走り、蘭は、何かが注射されたことに気付く。

「な、一体何を!?」

榊田は、酷薄な笑みを浮かべて言った。

「せっかくの初夜で、おいたをされたら困るからね」

蘭の手足から徐々に力が抜けていく。
体が意のままにならない。

「意識はそのままで、動けなくなる薬だよ」

榊田は楽しそうに言う。
蘭は愕然とする。

力が抜けたのは、手足だけではない。
舌を噛むことすらも――できない。

脳裏に浮かぶ、端整な顔。

こんな事になるのなら、あの時、あなたのものになっていれば良かった・・・。

喋ることも声をあげることもできず、蘭は新一のことだけを思う。

「ゆっくり楽しもうぜ。お前には他の女のように、一回きりなんて事はしないよ。あいつらは、お前の代用品に過ぎなかったんだからな」

蘭のブラウスに手がかかる。

「6年前、初めて会った時から、ずっと愛しているよ」

悪魔のような、それでいて妙に優しい声。
しかし蘭は、その言葉を聞いてはいない。

『新一さん、新一さん、新一さん・・・』

ただひたすら、心の中で愛しい人の名を呼び続けた。
ボタンをはずしていた手が一瞬止まると、榊田が叫んだ。

「何だこれはっ!この、あばずれがっ」

蘭の胸元に数ヶ所残る、もう薄くなりかけた痣。
数日前新一につけられた印が、まだ残っているのだった。

いきなり、蘭の顔が平手で打たれた。
口の中に、血の味がひろがる。

「お前は俺の物なのに、どこの誰とっ!」

そう言って榊田は、ブラウスを引き千切ると蘭の胸元に手を這わせ始めた。

「この体は、俺のものなんだよっ!」

ナメクジかミミズが這い廻っている様な、生理的嫌悪感に、蘭は吐き気を催す。
目を瞑りたくても、瞑る事すらできない。
涙が滲んでくる。

榊田が、蘭の下着に手を掛けようとしたとき、突然上から何か落ちてきて、榊田の頭を直撃した。

榊田が頭を抱えて暫く動けなくなる。
榊田が動けなかったのは、ほんの数分のこと。

けれどその数分間が貴重な時間稼ぎとなったのだと気付いたのは、全てが終わった後のことだ。

落ちて来て榊田の頭を直撃したものは、仏壇とは別に壁に飾っていた、小五郎と英理の遺影。

『お父さん、お母さん』

写真の2人は蘭をじっと見守っている。
蘭の目から涙が溢れた。

やっと動けるようになった榊田が、忌々しそうにそれを放り投げる。
そして改めて蘭に向き直ると、再び下着に手を掛けようとした。

その時、ドカッとすさまじい音がして、サッカーボールの直撃を受けた榊田の体が吹っ飛んだ。







「蘭!!」

駆け寄ってくる、愛しい人の姿。

来てくれた!
私を助けに、来てくれた!!

蘭は歓喜に包まれ、そのまま意識が遠のいていった。





(10)につづく

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(9)の後書対談

「じゃあ博士、始めるわよ」
「志保くん、今まで出番のないわしらが、何故こんな所におるんじゃ」
「主役の2人がそれどころじゃ無いからでしょ。博士はまだ良いじゃない。少なくともアイテムが出てきたから、この世界に存在しているのは確かだし。私なんて、まだ設定すらされてないのよ」
「それにしても、今回蘭くんは酷い目に遭ったのう」
「全く誰かさんてば、肝心の時に蘭さんの傍を離れて、何やってんだか」
「まあそれがお約束じゃし。それにしても、サッカーボールはどこから出てきたのか、謎じゃのう」
「パトカーに備品として置いてあるんじゃないの?・・・そんな目をしないでよ博士、冗談よ。ところで、今回榊田が使った薬、モデルになったものはあるけど、そのものじゃないわ。それに、静脈注射でもないのにあんなに短時間で効く訳ないし」
「まあまあ志保くん、そこら辺は下手に突っ込まない方が・・・」
「第一、医学部の3回生なんて、まだ直接患者とは接しないし、注射の仕方も習ってないわ。肩に注射する時はね、筋肉注射でも皮下注射でも、まず肩の肉をしっかりつまみ上げて、肩峰から3横指下を・・・」
「おいおい、志保くん、お話の中ではいい加減に誤魔化してあるんじゃから、それ位で勘弁してくれんかのう。それにしても蘭くんは、乱暴されてもあの程度ですんで、まずは良かったと言うところじゃな」
「何のかんの言っても、ドミさんは蘭さんをひどい目に遭わせる事には抵抗あるし、あれがぎりぎりの線だったらしいわよ。でも最初の予定だと、最後の数行は無かったのよね」
「という事は、絶体絶命という所で続くになる筈だったのじゃな」
「そういう事」
「榊田の出番はあれで終わりだそうじゃ。ちょっとだけ安心できるのう」
「一応あと2回ほどで、お話全体の前半部分が終了するらしいわね」
「その内わしらも出番があると良いのう。次回の事は何か聞いてるかの?」
「聞いてないけど、・・・ラブラブしかないんじゃないの?これで告白も出来ないなんて言ったら、怒るわよ」
「新一くん、頑張るんじゃぞ」


(8)「夏の誘惑」に戻る。  (10)「思いが通じる時」に続く。