最上の外科医



(3)手作り弁当



byドミ



もしかして、工藤先生は、あの時の「シンイチ」なのかも。

そう思ったものの、蘭は怖くて確認することができなかった。



   ☆☆☆



食事の後は、タクシーで寮まで送ってもらい、そのままベッドに入って爆睡した。

深夜明けの次の日は準夜勤務(夕方から夜中までの勤務)で。
蘭は通常、準夜勤務の日も朝から起きているのだが、この日はさすがに、昨日の疲れが出たせいか、起きたのが昼ぐらいになった。

起き出した蘭は、簡単な昼ご飯を作って食べ、準夜勤務の合間に食べる弁当を作った。
弁当を作りながら、ふっと新一の顔を思い浮かべ。

ちょっと逡巡したが、もし新一に会えなかったり渡せなかったりした場合には、自分の夜食にすれば良いと思って、新一の分の弁当も作った。



そして、病院に向かう。
蘭の勤務している病院では、準夜勤務は16時半から開始だ。
病院に到着したのは16時。
ロッカーに行き、白衣に着替え、病棟へ向かう。

勤務開始前にお茶を飲もうと休憩室に入ると。

「よっ。お邪魔してるぜ」
「工藤先生……」

新一がそこにいた。
蘭は、今日の準夜勤務の相方・桜木の姿を探す。

ちなみに、勤務表は看護師長が作成するが、深夜勤務の次の日は準夜勤務というパターンが多く、深夜明けの相方がそのまま準夜勤務の相方になることは多い。
外科系病棟の深夜勤務は2人だが、準夜勤務は3人いる。
それは、手術後のケアが準夜帯に多いためである。

今夜、準夜のもう1人の相方は、夜勤専門のパート看護師で、その人は休憩室に寄らずにギリギリの時間直接詰所に来ることが殆どである。

「桜木さんは……?」
「まだのようだな。彼女は家庭持ちだから、来るのは結構ギリギリになるんじゃね?」
「そうですか……って、工藤先生、詳しいですね」
「そりゃまあ、彼女はオレがここに赴任した時からこの病棟で働いてるんだから。桜木さんとまだ付き合いの浅い毛利よりも、オレの方がよく知ってても不思議ねえだろ?」
「……」

蘭は何となく複雑な気分になっていたが、それを上手く説明できない。

「先生は、今日は朝から?」
「ああ。昨日は緊急オペの後で免除してもらったが、さすがに今日まで免除にはなんねえよ。オレ、明日は研修日だし(※研修日という名前の休み)」
「お医者さんはやっぱり大変ですね」

看護師の仕事が激務といっても、まともな病院なら、勤務時間や夜勤回数も保障されるようになってきており、拘束時間が法外に長いわけではない。
しかし、医者は話が別で、病院にもよるが、昼の仕事からそのまま当直勤務に入り、明けでそのまま昼の仕事、つまり32時間拘束という勤務形態も、珍しくないのだ。

「うちは、明けの時は休ませてもらえるだけでも、恵まれているよ」
「でも、今日は朝から普通に仕事、だったんですよね」
「まあな。医者になったからには、その辺も覚悟してる」

そう言って新一は笑う。
その表情に、昨日の疲れは残っていない。

「にしても。なんかオメーの荷物、多いな」
「あ、これは……」

蘭は、新一に、作った弁当を渡す。

「オレに?」
「昨日のお礼です。その……お口に合うか、分かりませんけど……」
「もしかして、毛利の手作り弁当?」
「は、はい……」
「ありがとな!すげー嬉しい!」

新一が目を輝かせている。

「毛利さん。そのお弁当は、いつ作ったものですか?」

突然、割って入った声に、新一も蘭も飛び上がりそうになった。
そこにいたのは、消化器呼吸器外科医の白馬探であった。

「なななな!白馬!?何でオメーがここに!?」
「工藤先生に相談したいことがあって、東三病棟に来たら、工藤先生は看護師の休憩室に入ったと聞いたもので。で、毛利さん?」
「え、え、え、えっと……3時ごろだったかな?」
「であれば……現在時刻16時10分25秒。工藤先生、その弁当はあと49分の内に食べたまえ」
「は?白馬!?」
「CDCガイドラインによると、料理を作成して2時間以上経過したら、菌が繁殖し感染性胃腸炎を起こす可能性が非常に高くなる。工藤先生も、CDCガイドラインは当然ご存知ですよね」
「……そりゃ、当然、知っちゃいるが……」
「せ、先生たち。なんですか、そのCDCなんとかっていうのは?」
「ああ。CDCってのは、米国疾病予防管理センターの略だよ。オレ達はアメリカに留学していたが、だから詳しいって訳じゃない。日本の医療、特に感染管理分野では、かなりお手本にされているんだ」
「そ、そうなんですか……でも、感染管理って……先生たちは外科で、感染症のお医者様じゃないですよね?」
「毛利さん。仮にも看護師であるのなら、感染対策についてしっかりと勉強していてください。外科系であれば、手術に伴う感染リスクについても、当然、理解しておく必要があります。整形外科は更に重要ですよ。通常、SSI(※1)の発生率は、術後1カ月以内を基準としますが、整形外科で人工関節とかを埋め込む手術であれば、術後1年間にわたっての追跡が必要となりますし、化学療法(※2)は整形外科でも実施するでしょう?」
(※1)SSI:手術部位関連感染。手術に伴って起こる感染を指す。
(※2)化学療法:化学薬品による治療のことであるが、通常は抗がん剤治療を指すことが多い。整形外科領域では骨・軟部腫瘍などに対して行われる。

蘭にとって、CDCガイドラインも米国疾病予防管理センターも初耳であったが……後にそれが「米国が出しているものであるから当然すべて英語であること」「非常に膨大であること」を知り、2人が当然のように中身を知り理解していることを前提で会話をしていることを思い出し、クラクラとなったのであった。
ともあれ、CDCなんちゃらと弁当とが、何の関係があるのかと、蘭が考え込んだとしても無理はないだろう。

「ああ!ギリギリになっちゃった!毛利さん、よろしくね」

桜木が慌てて駆け込んできて、2人は病棟へ向かった。
ちなみに、新一と探はまだ何やら色々言い合っていたので、そのままほったらかしにした。



   ☆☆☆



その日はずっと落ち着いていて。
普通に忙しかったものの、すんなり時間通りに終わりそうである。

そろそろ、深夜勤務の看護師が来る時刻となり、蘭は記録の整理などしていた。

けれど、いつ何が起こるかわらかないのが、病院というところ。
退院間近だった患者が、突然の嘔吐を起こした。

「血圧はそんなに高くないけど……左側の麻痺が出てるし、脳梗塞を起こしているかもね」

あわただしく、当直医師を呼び、更に放射線技師を呼び出し、緊急のCT検査となった。
外科系の当直医師は、幸いといったらいいのか、脳神経外科の黒羽快斗医師だった。
快斗は電子カルテモニターでCT画像を見ながら言った。

「まだ、梗塞像は出てねえけど……発症後すぐだと出ない場合が多いし、症状からたぶん、脳梗塞の発症に間違いないだろうな」

新一と同期の快斗は、新一と血縁関係にある訳ではないらしいが、何故だか面立ちが似ている。
でも、雰囲気はずいぶん違う。
快斗の方が快活で人懐っこく、口調も何となく馴れ馴れしい。

いたずらっ子のような雰囲気の快斗だが、医者としては凄腕なのを、蘭は聞き知っていた。


「すみません……」
「ん?何で謝ってんの?」
「だって、気が付かなくて」
「夕飯の時までは普通だったんだろう?仕方がないよ。入院してたって、心筋梗塞とか脳梗塞とか脳出血とか、普通にあるんだからさー。蘭ちゃんの所為じゃないってー」

快斗が、蘭を励ますために軽口めいた言い方になったのは理解したが。
今迄殆どお目に見たことしかなかった相手に、いきなり「蘭ちゃん」と呼ばれて、蘭は戸惑っていた。

「ま、外科手術が必要になることはなさそうだし、今夜は点滴をやって、明日、西3病棟に転棟だな」

快斗に指示された薬剤はt-PAとかウロキナーゼとかグリセロールとか、蘭が知らないものばかりだった。
脳梗塞の急性期に使用するものらしい。
幸い、深夜勤務の看護師がもう来ており、薬剤を取りに行ってくれた。
点滴を始め、深夜勤務看護師に引き継ぎをし、残った記録を行う。
準夜勤務の終了時刻は定時だと0時40分だが、もう、1時をかなり回ってしまっていた。

「じゃあ、私は子どもの弁当があるから、帰るわね。毛利さん、気を付けて」
「あとは記録だけのようだから、私も帰らせてもらうわ」

桜木看護師と、夜勤パート看護師が手を振って帰る。

同時に勤務している看護師は、お互い協力するが、同時に帰るとは限らない。
処置などは手伝えるが、記録は手伝えないからだ。

とはいえ、蘭も、今夜脳梗塞を起こした患者の記録をすれば、終わりである。
この後は休みだから、独身の蘭は多少遅くなってもどうということはない。
準夜勤務が終わった後、飲みに行ったりする看護師も少なくないのだ。

1時半にはタイムカードを押して休憩室に引き上げた。
すると。

「蘭ちゃん。お邪魔してるぜ」
「黒羽先生?」
「蘭ちゃん、明日はお休みだろ?ちょっと今から付き合わ……いてーっ!」

蘭の肩に馴れ馴れしく手を掛けて来ようとした快斗だったが、突然、頭を押さえて声を上げた。

「黒羽、オメーは今夜、当直だろうが!」
「ひてててて……工藤、ひっでー……」
「工藤先生!」

快斗の頭に鉄拳を入れたのは、新一だった。

「工藤先生、どうなさったんですか?」
「ああ……や、その……研修があって……」
「オメーの研修は、9時で終わりだろ!今何時だと思ってる!?」

快斗が頭を抑えながら涙目で言う。

「時間外に病院にいちゃいけねーのか?」
「そ、そんなことは、ありません……」

新一の目つきのすごさに、快斗はしゅんとなる。

「黒羽。オメー、何で整形外科の東3病棟で油売ってる!?」
「ついさっき、脳梗塞疑い患者が出て、診てたんだよ〜〜!そのあと、疲れたからちょっとここで休憩させてもらってただけじゃんか〜!」

新一が蘭の方を、伺うような目つきで見たので、蘭はコクコクと頷いた。

「脳梗塞を起こしたって、誰?」
「あ、あの……満田さんです……」
「あちゃー。そっか……満田さん、あと少しで退院だったのになー」
「そりゃ、そういう事も有り得るだろ。ってか、退院した後じゃなくて良かったぜ。蘭ちゃん、手際が良かったし」
「何を馴れ馴れしく下の名で呼んでる!?」

新一が快斗をまたもギロリと睨み、蘭は首をかしげた。


「あのなあ。蘭ちゃんに付き合ってってのは、オレじゃなくて、青子と恵子のことだよ〜」
「え?青子ちゃんたちが?」

中森青子と桃井恵子は、蘭と同期の看護師で、ともに現在脳神経外科病棟勤務である。

「青子は蘭ちゃんと同じく準夜勤務で、恵子は深夜勤務明け……2人とも明日休み……ってーっ!何で殴るんだよ!?」
「るっせー!オレもまだ下の名前では呼んでねーのに……!」
「あ、あの……?青子ちゃんたちが、何ですか?」
「いや、今夜、ブルーパロットってビリヤード店に行ってるから、蘭ちゃ……毛利さんにも声かけてくれって、頼まれてさー……」
「わりぃけど。毛利は今夜、オレと先約がある」

新一の言葉に、蘭は固まった。

「え?工藤先生?」
「これのお礼」

そう言って新一は、蘭があげた弁当の空箱を見せた。

「わあ。全部召し上がってくれたんですね」
「そりゃまあ。その……美味かったしよ……ありがとな」
「でも、そのお礼なんて、良かったのに……だって元々、昨日のランチのお礼だったんですもん」
「いや、実は……お礼っていうより、オレがオメーと一緒に、その……」

突然、咳ばらいが聞こえた。

「わーった。青子には、振られたって言っとく」
「黒羽……」
「工藤。心配しなくても、オレには青子って恋人がいるからよ」
「ええっ!?そうだったんですね!?」
「……それはわかってるが!誤解を招くような言動すんなよ!毛利が勘違いしたらどうする!?オメーは馴れ馴れし過ぎる」
「オレが馴れ馴れしいんじゃなくて工藤が生真面目過ぎ……はい、もう言いません……」

新一がギロリと快斗を睨み。
その意味がよく分かっていない蘭は、首をかしげていた。



そして。
有耶無耶のうちに、いつの間にか、蘭は新一の車に乗り込んでいた。



(4)に続く



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(第3話裏話)


このお話って、最後の方は色々考えているんですが、途中経過をあんまり考えてなくて。
でも、このまま書かないでいると、発酵を通り過ぎて腐ってしまうと思い、強引に続きを書きました。

白馬っちと快斗君が、あのようなちょっかいを掛けてくるとは、ちょっと想定外でしたが(笑)。
でも、ちょっかいかける存在がないと、どうも話が回らなくて。

この次の話は……うーむ。何となく、このまま行くと、ちょっとやばい急展開になるかもしれないと……(やばいのはドミの頭です、ハイ)


2015年6月10日脱稿

  (4)「不器用な2人」に続く。