最上の外科医



(4)不器用な2人



byドミ



「ラストオーダーが2時半だから……何とか間に合ったな」

新一に連れられて入った店で、蘭は言葉を失っていた。
薄暗い中に青白くライトアップされた大きな水槽に、鮮やかな沢山の熱帯魚が泳いでいる、幻想的な空間。


「工藤様。お待ちしておりました」

予約が入っていたらしく、2人は到着してすぐに席に通される。

「こちらが、1日3組限定のVIP席でございます」

個室には高級そうなソファが設置され、目の前には、鮮やかな大きなアロワナが泳いでいる。

「突っ立ってないで、座れよ」
「は、はい……」

蘭は新一と並んで腰掛けるが、どうも落ち着かない。

「時間的に選んでいる暇はなさそうだったから、勝手にコースを頼んじまったけど、良いか?」
「え?あ、あの……」
「食べられねえものってあるか?」
「い、いえ、それは大丈夫ですけど……」
「飲み物は?スパークリングワイン、飲めるか?」
「だ、大丈夫です……」


蘭はボーっとしていた。
ここは、オシャレな外観と比較して、意外とリーズナブルなようだが、それでも、蘭が自腹を切って来るには少しためらわれるところである。

ほどなくスパークリングワインが運ばれてきた。
新一がグラスをあげ、蘭がそれに軽くあてて乾杯する。

「ここはカクテルもオシャレなのが揃っているらしい。飲み物のラストオーダーは3時半だから、ゆっくり選んだらいい」
「あ……工藤先生!お酒飲んだら、車が……!」
「大丈夫。駐車場に入れたから……また明日取りに来るさ」
「でも、じゃあ、帰りは……?」
「この後は、近くの天然温泉スパでゆっくりしようかと……」
「え……?」

蘭が思わずギョッとしたのが顔に出ていたのか。
新一が蘭の額をつんと小突く。

「バーロ。風呂は男女別だから、心配しなくていいっつーの」

話をしている間に、前菜が運ばれてくる。
バーダイニングということだが、結構本格的なフレンチのコースだ。

「あ、あの……工藤先生……弁当のお礼っていいましたよね?」
「ああ……」
「でも、これじゃ、お礼の方が大き過ぎです。だいたい、お弁当は昨日のランチのお礼だったのに……」
「……だったら、この先、何回か弁当の差し入れしてくれよ」
「そんなんで、いいんですか?」
「ああ。すげー美味かったし」


蘭は、嬉しいのだけれど、同時にどこか苦しくもあった。
自分自身の心の動きに戸惑ってしまう。

「それにしても、ここ、黒羽は来れねえな」
「え?何でですか?」
「いや、アイツは魚がダメでね」
「へええっ!そうなんですか。青子ちゃんは?」
「デートで水族館にぜってー行けねえのを、中森さんは残念がってたから、中森さんの方は魚平気なんじゃないかな?」
「それにしても。青子ちゃんとは同期だけど、黒羽先生とお付き合いしてたなんて、全然、知らなかったな〜」
「ああ。アイツらは……黒羽が研修医で中森さんが看護学生の時に出会ったから……」
「そうだったんですか。じゃあ、青子ちゃんとの出会いは、わたしより黒羽先生の方が先なんですね」
「出会ったのは、石川県の金沢で。黒羽は研修会に参加、中森さんは修学旅行中で。心肺停止を起こした男性を、力を合わせて心肺蘇生したのが馴れ初めなんだとか」
「す、すご〜い!青子ちゃん、まだ学生の時から、そんな活躍してたんだ!」
「オメーだって、まだ小学校に入る前から、活躍してたじゃねえか」
「え……?」

蘭の胸が早鐘を打つ。


『やっぱり、やっぱり、工藤先生は、あのシンイチなの?』

それを問おうとしたときに、メインディッシュが来た。
何となく2人とも黙ってしばらくステーキと格闘する。


メインディッシュが下げられ、後はデザート。

「蘭」
「っは、はい!?」

突然、下の名で呼ばれて、蘭は飛び上がりそうになる。

「……って呼んでもいいか?」

蘭は、声を出せず、ただコクコクと頷いた。

「蘭」
「はははい、何でしょう、工藤先生!?」
「って、何でオメーの方はその呼び方なんだよ?」
「……え?」

蘭は、新一の機嫌が悪くなった理由が分からず、おどおどする。

「オレの名。知ってんだろ?呼んでみな?」
「って……あの……新一先生?」

新一が思いっ切り脱力していた。

「……学園ドラマのタイトルみたいな呼び方だな……」
「あ……あの……」

そうこうしている内に、デザートが運ばれてくる。
フランボワーズのムースの甘酸っぱい美味しさに、蘭の顔が思わずほころんでしまった。

新一が苦笑しながら……けれど優しい眼差しで蘭を見る。

「オメーは、どういう看護師になりたい?」
「え……?」
「あ、いや。どの分野に進みたいとか、あるか?」
「まだ、現場に出て2年ちょっとだし、勉強不足で、よく分からないけど……できれば……患者さんのより良いQOLの手助けに、なりたいなって……」
「へえ……」

新一が目を見張る。

「オメーは子ども好きそうだし、小児科を極めたいのかって思ってたよ」
「子どもは好きだけど……それと、小児科をやりたいっていうのとは、ちょっと違うような気がするの」
「そっか……」
「工藤先生は、何で整形外科医に?」
「ん〜まあ、オレも実は、整形外科に絞って極めたいわけじゃねえんだよな。いずれは、何でも診れるジェネラリストになりたいって、思ってる。今は、事故とかで怪我をした人が少しでも上手く日常に戻れるように手助けしてえっつーか」


やっぱり、工藤先生はあのシンイチなのだろうかと、蘭は思う。
自転車にはねられたおばあさんを助けたのが、最初だったから、「事故などの怪我を治す」ことに今は集中しているのかもしれない。


時間はあっという間に過ぎ、美味しい料理とカクテルで満足して、閉店の4時には店を出た。
そしてそのままタクシーで近くのスパ施設まで行った。

そこは確かに、風呂は男女別だった。
一応、露天風呂付き客室とか、貸切風呂とかもあるらしいが、普通に大浴場に行った。
蘭は思いっ切り、広い湯船で温泉を堪能した。
そして、風呂上り。

「く、工藤先生!」
「……新一」
「新一先生!部屋が一緒だなんて、聞いてない!」

蘭が大広間に行こうとすると、新一に「こっちだ」と引っ張ってこられたのは、ツインの客室だった。

「ベッドが別なんだから、騒ぐな!とにかく寝ろ!オレも限界!」

そう言って新一はさっさとベッドにもぐりこみ、蘭に背を向けた。
蘭も現金なもので、背中を向けられると寂しく感じてしまう。

しかし。
もう明け方の時刻で。
蘭も限界が来て、眠りに落ちて行った。



   ☆☆☆



夢うつつに。

そっと、頬を撫でられた……ような気がする。
不快では、なかったが。
蘭は、それが夢だと結論付けていた。


蘭が目を開けた時、あたりは眩しかった。
しばらく頭がボーっとしていたが、新一の顔が視界に入り、一気に覚醒した。



「先生っ!?今、何時!?」
「12時。心配しなくても、延長してるから大丈夫。オメー、今日は休みだろ?」
「だって!先生、今日、研修日なんじゃ!?」
「は……?」
「あ、あの……」
「蘭。オメーさ。研修日の意味、知らねえのか?」
「え……?」
「医者の研修日は、研修日という名の休みだよ」

なるほど、医者は長時間過密労働だから、そのような形で休暇を与えるのかと、蘭は思った。

「人によってアルバイトに行ったり本当に研修したり遊んだり、色々だ。オレもまあ、普通は本当に研修してるんだけどよ。今日はせっかくだし、お前と一緒に過ごしたかったから……」

蘭の胸がきゅううんとなる。
けれど蘭は、新一がすごく思わせぶりな人だと、恨みがましく感じていた。
どうしても、「医者は遊び人」という認識が抜け切れないのだ。


正直言って。
青子と快斗とが恋人同士である事を知って、嬉しいよりむしろ心配だったりする。
遊び人が多いといわれる医者の中でも、快斗はとりわけ軽そうに見える。
青子が泣くことにならなければいいがと、余計な心配をしてしまうのであった。


「もう大丈夫か?十分、寝たか?」
「は、はい……」
「じゃあ、そろそろ行くか」


新一は本当に「ゆっくり寝る」ためだけにツインの客室を取ってくれたものらしい。
男性慣れしていない蘭だったので、手を出されなかったのは自分に魅力がないせいかと、逆の意味で勘ぐっていた。
かといってさすがに今の段階で、「手を出された方が良かった」とまで思う訳ではない。

蘭は複雑な気持ちで、浴衣から服に着替え、新一と一緒にスパ施設を出た。



「ここは、マッサージとかエステとか色々あるみてえだから、またいつかゆっくり来ような」
「は、はい……」

マッサージはともかく、エステがあっても、男性である新一に何の意味があるのだろうと、蘭は首をかしげた。



タクシーに乗って駐車場まで行き、新一の車に乗り換えて連れて行かれたのは、海辺の公園だった。
駐車場に車を入れ、バラが咲く遊歩道を通って、展望台に出る。
目の前に海が広がった。

「すごくいい景色……新一先生、ありがとう」
「……どうしても、先生がつくんだな」
「だって!」

ベンチに腰かけて、目の前の景色を見ながら、ゆったりと過ごす。
こういう風にゆっくり過ごすのは久しぶりだ。


天気の良い日だったが、海風はまだ寒い。
蘭はぶるりと身を震わせた。

すると、新一が上着を掛けてくれる。

「ありが……」

蘭が新一の方を見てお礼を言おうとすると、思いがけない近さに新一の顔があり、蘭は固まった。
上着を掛けたあと、新一の手はそのまま蘭の肩を抱き寄せている。

新一の顔が、更に近づいた。


そのまま、新一が実力行使に出たならば、蘭はおそらく拒めなかった。

しかし。


「キスしても、いい?」

新一にかすれた声で問われ、蘭は我に返った。
そして慌てて新一の胸に手を当てぐっと押す。

「だ、ダメに決まってるでしょ!!」
「え?な、何で……!?」
「わたし、未経験だし!」
「……オレだってそうだよ」

新一の返しに驚いたが、蘭はそこはまるっきり信用していなかった。

「だって!そもそも、先生とわたし、そんな関係じゃないじゃない!」


新一は、目を点にした後。
蘭を離し、ベンチの背もたれに突っ伏した。


「せ、先生……?」
「…………オレが勘違い野郎だったってことか……」
「えっ……?」
「自惚れてたよ。てっきり、オメーもオレと同じ気持ちでいてくれてるものとばかり……」
「お、同じ気持ち……って、何!?」

新一が顔をあげ、蘭の方を恨めしそうな目で見る。

「何もへったくれも、ねえだろう?」
「だ、だって……わたし、何も言われてないし!」
「おととい、言っただろうが!オレが1人だけを誘う時はその積りだって!で、オメーが何も言わずついて来たから、てっきりその気でいてくれるものと!」
「えっ……!?」

蘭は目を見開いた。
確かに新一は、おととい、そういうことを言った。

でも……昨夜の「誘い」がそういう意味だとは、蘭は全く気付いていなかった。

「あ、あの……」
「わりぃ。オメーはただ……断れなかっただけ……なんだよな」

新一は苦笑しながら言った。

「結構、ダメージでかいけど……仕事に差し障ったら困るから、病院ではできるだけ普通にしてくれ。オレも態度に出さねえように頑張るから」

新一の眼差しがとても優しく、悲しげで、蘭の胸は騒ぐ。
新一が立ち上がった。

「ごめん。帰ろう。オメーを寮に送り届けるまではするからよ。……途中、メシ食ってくか?それとも、もうオレと一緒にいるのは……」
「か、勝手に色々、決めつけないで!」

蘭は思わず叫んでいた。

「何で、わたしに何も言わずに、自分勝手に決めちゃうの!?1人だけを誘う時はその積りって、その積りってどういうことなのか、ちゃんと説明してくれてないじゃない!」
「蘭……あ、も、毛利」
「何で!?蘭って呼んでいいって、頷いたじゃない!」
「あ、や、その、だから……」
「ちゃんと、言ってよ!!」
「好きだ!」


いきなりの告白に、蘭は息を呑んだ。
確かに、「ちゃんと言って」と言ったが、それまで回りくどい表現しかしなかった新一が、いきなり直球で来たことに驚いた。

それだけでなく。
蘭は今の今まで、「新一は医者で遊び人」という認識がどこかにあったので、まさか告白なんてあるとは思っていなかったのだ。


「ウソ……」
「オメーな!人が一世一代の告白をした途端に、これだよ!」
「だ、だって……いつから?」
「初めて会った時からだよ!」
「え?中庭で……?」


新一は思いっ切り脱力し、ドカッとベンチに座り込んだ。

「そっか。覚えてねえのか。まあオメーは小学生になる前だったみてーだし……」
「あ、あの……まさかあの……自転車にぶつかってこけたおばあさんを一緒に助けた……シンイチ……なの……?」

新一が顔をあげ、蘭の方を見る。

「何だ。覚えてたけど、気付いてなかったのか」
「もしかして、と思ったことはあったけど……」


蘭の胸をじわじわと満たすものがある。
そもそも蘭が看護師になったのは、シンイチとの出会いがあったからで。
シンイチもその時、将来医者になると決意を固め、そして……宣言通り、医者になった。

なのに蘭はいつの間にか、医者に対しての偏見が育ち。
新一の想いを頭から否定してしまっていた。


「あ、あの……じゃあ、初めて会った時って……その、子どもの時……?」
「ああ。滑稽な長い片思いだ。頼むからそれはもう、忘れてくれ……」

新一がまた俯いて溜息をついた。


「あ、あ、あの……い、いいです……」

蘭が精一杯の言葉を発したが、新一は顔をあげたものの、意味が分かっていないようだった。

「いいって、何が?」
「だ、だからその……キス……」
「……は?」
「わ、わたしのファーストキス、先生に……ううん、新一にあげます」

新一が目を見開く。

「蘭?」
「わたしもずっと……新一のことが好き……だったから……」


新一がグッと肩を抱き寄せ、蘭の顎にもう一方の手がかかる。

そして2人の顔が近づき、ぎごちなく唇が触れた。
軽くかすめるような口付けはすぐ終わり。
一旦離れた後、もう一度引き寄せて、今度は深く口付けた。


潮風の中、恋人同士になりたての不器用な2人は、しばらくお互いの唇を求め合っていた。




   ☆☆☆




そのまま、新一の車に乗って、新一の寮に向かった。
医者の独身寮は、民間の賃貸マンションを病院が借り上げているもので、隣近所に米花総合病院の関係者がいるわけではなく、一応規則上は駄目であるが、異性を連れ込んでも特に問題になることはない。

部屋に入ってすぐ、お互いの唇を求めあい。
新一の手はやがて蘭の胸の上に置かれ、蘭の体はビクリと跳ねた。

「蘭。いい……?」

蘭の心臓はこれ以上ない位に早鐘を打っている。
いきなり過ぎる気はしたが、嫌ではなかった。

そのまま2人が流れに身を任せようとしたところ。


突然、玄関のドアが開く音がして、2人は慌てて居住まいを正す。


「工藤〜。今日は研修日で暇こいてるやろ思うて遊びに来たったで〜!」
「服部!玄関は鍵かけてたはずだ!どうやって入った!?」
「へへーん。鍵なんて、器用なオレ様の手にかかれば……」
「黒羽!お前!」

乱入して来たのは、新一と同期で心臓外科医の服部平次、同じく脳外科医の黒羽快斗の2人である。
黒羽快斗が脳神経外科医なんてものをやっているのは、誰よりも手先が器用だからで。
そのゴッドハンドは、鍵開けにも応用されるらしい。

2人は余裕の表情で入って来たが、リビングに入り蘭が目に入ると、途端に固まった。


「……オメーら。邪魔した覚悟はできてんだろうな?」
「やややや!まさか工藤が女を連れ込んでるやなんて思わへんかったんや!堪忍してや!」
「へー。新ちゃん、あれからあのままお持ち帰りして、一夜を過ごした……ひいい!ごめんなさい!」
「バーロッ!玄関に蘭の靴があっただろうが!気付かなかったなんて言わせねえぞ!」


平次と快斗の2人は早々に追い出したものの、新一と蘭はとてもさっきの続きをする気になれず。
新一は大きく溜息をついていた。


「蘭。明日に備えて休んだ方が良い。送っていくよ」

そう言って新一は立ち上がり、蘭を車に乗せて寮の近くまで行った。
ちなみに、看護師寮は医師の寮と違い、マンションまるごと借り切って寮になっているため、寮の前に車をつけてしまうと、誰に見られるか分からない。
なので、残念ながら、お別れのキスもなしだった。

「あ、あの。新一……」
「ん?」
「ち、近い内に、その……全部あげるから……待ってて……」

蘭は、真っ赤になりながら、精一杯声を絞り出して、言った。
新一が微笑み、そっと蘭の頬を撫でた。

「蘭。オレが、がっつき過ぎだった。悪かったな……焦らなくて良いからよ」
「新一……」
「オレは……ようやく長年の想いが実って、オメーと恋人同士になれたことが、すげー嬉しかったからさ」
「うん……」
「じゃあ、またな」


そう言って新一は去って行った。



ようやく誕生したカップル。
しかし、超多忙な医師と交代制勤務の看護師との組み合わせは、この先、色々と大変な思いをすることになるのだ。




(5)に続く



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(第4話裏話)


暴走しそうな新一君を何とか宥め宥め、何とか最悪の事態(?)は阻止しました!

いや、このお話では、さすがにいきなりそこまで行かせたくなかったんです〜。
お互いの気持ちを確認する前にってのも、やりたくなかったしね。

まあ、最後の方は、お互いの気持ちは確認していますが、でもまだ早過ぎるだろう!と。

平次君と快斗君には、間の悪いお邪魔虫になっていただきました。


一応、このお話は、シリアスなんです。
シリアスな筈なんです!

でも、全編シリアスだと疲れるから、良いのか。
次回はますます、ギャグというかコメディ路線を突っ走りそうですが。


まあ、内田麻美嬢がコナ掛けて来たり……瑛佑君のコナ掛けは現時点で考えていませんが。このお話でも瑛佑君は可哀想なひっそり片思い男です。
色々とありますが、基本的に2人の関係はそう深刻な状況になりません。


ただまあ、ラスト近くのエピソードが超シリアスな予定、なんですよね〜。
いつになったらラストを迎えられるかはわかりませんが。



2015年6月15日脱稿

(3)「手作り弁当」に戻る。  (5)「医局のお花畑」に続く。