銀盤の恋人たち



byドミ



(12)いくつもの壁



グランプリシリーズの緒戦で、日本選手勢は、大健闘をし、多くのメダルがもたらされた。
それ故、今年日本で開催される「ファイナル」には、多大な期待が寄せられる事になった。


それが、かなり打たれ強かった筈の選手達までをも、じわじわと追い詰めて行く・・・。



   ☆☆☆



「阿笠選手、まさかまさかの、転倒!コンビネーションジャンプを失敗!その後も、リズムを取り戻せません!」
「まるでコンピューターのように正確無比とうたわれた、阿笠選手ですが・・・今日は全く精彩を欠いています!」

グランプリファイナルで、まず、志保に、今迄には考えられなかった連続ミスがあった。

地元日本で、大声援に包まれて。
普通だったら、心強くなる筈の事までもが、何故かプレッシャーとして圧し掛かる。


「遠山選手、スピンの軸足が、安定しません!」
「ああっ!足をついた!これは大幅減点対象です!」

「中森選手、戻って来た筈の妖精パワーが、今日は見られません」
「おおっと!得意とする筈のトリプルアクセルで転倒!これは、痛い!」

和葉も青子も、今迄で一番調子を崩し、ミスを連発していた。

連鎖反応のように、京極真も、信じられないよなミスを犯し、今迄怒涛の快進撃を続けていた、探と紅子のアイスダンスカップルまで、調子を崩している。

新一と蘭のペアも、例外ではなく。
強豪揃いのグランプリファイナルなので、仕方がないとも言えるけれど、ショートプログラムは最下位のスタートとなった。


今日は、全員、固い表情で。
一緒にご飯を食べるでもなく。
それぞれ早々に引き揚げて行った。


「志保達は、大丈夫かのう」

阿笠博士がオロオロして、妻のフサエに言った。

「そうね。今回のグランプリファイナルでは、皆、結果を出せないでしょうね」
「一体、あの子達に、何が起こったのじゃ・・・」
「・・・どうやら。日本の選手達は、時を同じくして、羽化の時を迎えているんじゃないかと・・・私は思うわ」
「羽化・・・?」
「飛躍の前の、停滞期。多分、あと少ししたら、華開く。全日本選手権で何とか代表権を勝ち取れば、オリンピックの頃には、皆、化けるわよ」
「そ、そういうものなのかのう?」
「今のあの子達の調子は、確かに悪いけれど。何と言うか・・・今はちょうど、何かを乗り越える過渡期で、バランスを崩してしまっているだけ。大丈夫。彼らは皆、努力しているし、努力の方向を間違ってもいないから、今の壁を乗り越えたら一皮むけるわよ」
「そうか。フサエがそう言うのなら、そうなのじゃろうて」
「ただ。ひとつ、心配なのは。心ない誹謗中傷が、あの子達を追い詰めないかという事よ。あの子達は皆、精神的にもタフで打たれ強いけど、それにも限度があるわ。マスコミが変に煽りたてなければ良いけど」


博士とフサエは、頑張っている青年達をどうか温かく見守って欲しいと願ったが。
やはりそれは、甘かったようだ。



結局、グランプリファイナルで、開催地日本の選手勢はことごとく惨敗し、ひとつのメダルも、もたらす事がなかった。
元々、ファイナルに進んだだけでも、好成績を残したと言えるのではあるが。
世界選手権より悪い結果に、落胆は大きかった。


彼らなりに精一杯の事はやったのだと、好意的に見てくれる人達もあったけれど。
一部の人々の間では、期待が裏切られた落胆が、選手達への負の感情と変わって行った。


そのような中で、年末、全日本選手権が行われた。



   ☆☆☆



今年の全日本選手権は、トロピカルランドにほど近い、最近出来たスケート場での開催だった。
会場からは、トロピカルランドのお城も、見えている。

「全国のお茶の間の皆さん、こんにちは。注目の、全日本フィギュアスケート選手権が始まります。今回の会場は、昨年建設されたばかりの、葛西臨海アリーナ。司会は私、高木渉と・・・」
「佐藤美和子の2人で、お送りします」
「ゲストは、元男子シングルチャンピオンの、新出智明さんです。どうぞ宜しくお願いします」
「はい、宜しくお願いします」
「来年2月に、サブリナ公国で開催されるオリンピック、その代表選手選考を兼ねた今回の全日本、いやが上にも盛り上がりますねー」
「先のグランプリシリーズでは、緒戦で多くのメダルをもたらしながら、ファイナルでは残念な結果に終わりましたが。オリンピックは期待が掛かります!」
「そうですね。実力ある選手がドンドン輩出されるので、僕もとても楽しみにしています」

医師として多忙を極め、今は趣味程度のスケートの時間を捻出する事すら難しい新出智明は、温和な表情とは裏腹に、眼鏡に隠されたやや厳しい眼差しでリンクを見詰めていた。

『彼らは皆、相当の努力している。そして、タイミングを同じくして、それぞれが壁にぶつかっている。ここを超えたら飛翔する筈。ただ、その境目の所で、精神的に潰れて行かなければ良いのだが・・・』

智明は、多忙な中でも、後輩達の試合を録画し、チェックしていたので、状況は把握していた。
グランプリファイナルで調子を崩している選手達が、世間の一部から色々と言われている事も、知っていた。

『スポーツの世界は、結果が全て。どれだけ努力したかは関係ない。とは言え・・・飛翔の前に、一時的に調子が崩れているように見える彼らを、どうか、見守っていて欲しい・・・』

智明は、祈るような思いでリンクを見詰めていた。


「さて、本日は女子シングルと男子シングル、そしてペアのショートプログラムが行われます」
「まずは女子シングル。今年の世界選手権に出た3人が、優勝候補の筆頭ですが、一昨年の覇者・内田麻美選手も、ここ最近調子を上げて来ていますし、後進の選手達もここ最近随分伸びて来ていますから、どう引っくり返るか、分かりません」
「内田麻美選手の、登場です!背も高く、気品があり、美しい立ち姿。白鳥をモチーフにした、バレエのチュチュにちょっと似た衣装ですね」
「演じる音楽も、白鳥の湖。昨年は、サンサーンスの白鳥でしたし、彼女は白鳥が好きなようですね」
「でも、彼女の、姿も演技も気品が漂う美しさですし、白鳥のイメージとピッタリ合っていると思います」
「フリーの方は、同じ白鳥の湖でも、ブラックスワンを演じるとかで」
「それは、面白いですね。楽しみです」

麻美が優雅にポーズを取る。
バレエを見るような美しさに、客席から溜息が洩れた。

「内田選手の演技の、正確無比な美しさと優雅さは、阿笠選手と相通じるものがありますね」
「今回の内田選手は、優雅さに、更に磨きがかかっているように感じます」
「それに、ここまでノーミスです。これは、良い点が期待出来そうですよ」

ほぼノーミスで滑り終えた麻美に、会場から惜しみない拍手が送られ、麻美は会心の笑みを浮かべて優雅に挨拶をした。


青子と和葉と志保はそれぞれに、精一杯の力で頑張ったのだが。
3人とも、細かなミスが続き、微妙に点を落とし、結局、ショートが終わった時点でのトップは、内田麻美で。
2位に和葉、3位に青子だったが。
4位は、数年前にプロ転向して選手生活を離れていたが、先頃復帰した上原由衣が入り。
志保は5位と、出遅れた。


男子シングルは、調子を落としている真が、ジュニアから上がったばかりの本堂瑛祐相手に意外な苦戦を強いられたが、4回転を難なく跳んだ瑛祐なのに、ステップで足をもつれさせて、派手にすっ転ぶという手痛いミスがあり、からくも1位を守った。


そして、ペアでは。


「グランプリファイナルでは細かいミスの連続だった工藤毛利ペア、今回、目立ったミスはありませんが・・・」
「うーん。何と言いますか、可もなく不可もなくという感じで。何となく、いつもの彼らの華やかな雰囲気がありませんねえ」

新一と蘭も、苦戦を強いられていた。
結局、僅差で羽賀設楽ペアに、首位を譲る事となった。


しかし、皆、フリーの演技次第では、充分、挽回可能な範囲である。

ただ。
全員、ミスと言えるミスがない状態で点数が伸び悩んでいるという事で、表情は冴えなかった。



   ☆☆☆



「くうっ!」
「志保。まだ練習してんのかよ?あんまり無理すっと、体壊すぞ」

深夜。
まだリンクにいる志保に、新一が声をかけた。

「明日・・・明日、結果を出せない位なら、どうなろうと構わないわ!金じゃなくても良い、メダルが手に入らなければ、オリンピックへの切符は手に入らないのよ!」
「今無茶したって、明日結果が出せる訳じゃねえだろ?むしろ、力が出せねえんじゃねえか?」
「あなたには、分からないわ!私は、私は!」
「やれやれ。世間じゃクールビューティと言われているオメーだけど、実際は全然、クールじゃねえんだよな」
「それは、工藤君も同じでしょ?あなた、あなたを知る女性陣からは、鉄の紳士ってあだ名されてたのよ。まったく、あなたなんかのどこが紳士かって思うけどね」
「突っ込むのは、鉄じゃなくて紳士の方なのかよ?」
「あら。だって、あなたが鉄面皮なのは、事実じゃないの」

志保のあまりの言いように、新一は渋面を作った。

「ったく。ホントに、オメーはよ・・・ま、良いけど」
「でも、ありがと」
「んあ?」
「あなたの言葉で腹立たしくなったお陰で、ちょっと気が紛れたわ。そうね。睡眠不足はお肌の大敵、もう、寝る事にする。工藤君、あなたも明日に備えて寝た方が良いんじゃない?睡眠不足で、彼女を支えられないなんてなったら、物笑いの種だわよ」

欠伸をしながら、志保が去って行った。
新一が、顔をしかめながら、髪をかき乱す。

「ったく。いてえとこ、突きやがって」

志保に突っ込んでいる新一自身、明日の事が心配で、目が冴えてしまって、少しでも練習をしようと、リンクを訪れたのだった。


新一と志保は、妙に衝突する事も多く、お互いに露ほども恋愛感情を抱いた事など無かったが。
嫌っている訳ではなく、それなりに友情は感じているし。
反発しながらも、幼馴染である所為か、他人よりはお互いを理解している部分もある。
そして時には、こういう風に、悪態を突く形で励ます事もあるのだった。


「オレも、寝る事にしよ。明日は明日の風が吹く、だ」

新一は伸びをして、その場を去る。
まさか、物陰で、2人の姿を見ていた者があったとは知らずに。


柱の陰から2人の様子を見ていた蘭は、そっとその場を離れた。


蘭も眠れなくて、少しでも練習をしようと、リンクを訪れたのであったが。
新一と志保のやり取りを見て、内心、穏やかではいられなかった。

志保は以前、新一以外に好きな男性がいる事をほのめかした事があったし。
新一の事を何とも思っていないという、志保の言葉を、信じていない訳ではない。


ただ、蘭としては、志保が新一と、蘭の知らない時間を共有している分、お互いを良く理解している仲だと感じて、もやもやしてしまうのだった。

結局、レッスンもしないままに家に帰ったものの、悶々と眠れない夜を過ごす羽目になった。



   ☆☆☆



遠山和葉は、悶々としながら、ホテルの部屋にいたが。
眠れそうにないので、人気のないロビーに行って、自販機のコーヒーを買おうとした。
すると、突然背後から声が掛かる。

「何や和葉、眠らんとアカンのにコーヒー買ってどないすんねん」
「平次!」

そこに立っていたのは、和葉の幼馴染みの少年だった。

「わざわざ、応援に来てくれたん?」
「オレは、工藤の応援に来たんや。お前はついでや、ついで」

途端に。
和葉の平手が平次の頬に炸裂しようとして、避けた平次が、自販機のボタンに当たった。

「あ・・・」
「オニオンスープ?コーヒーの自販機で、そないなメニューがあるんやなあ」
「な!アタシの百円!」
「ちょうど良かったやないか、今から飲むんやったら、コーヒーよりオニオンスープの方がええで」
「平次、百円返して!」
「そらおかしな話やな、オレが自販機のボタン押したんは、和葉の暴力から避ける為やからなあ」
「元々平次がイケズやから!平次が悪いんやろ!?」
「そうかそうか、和葉はそないに、オレの事が好きなんやな、工藤にヤキモチやく位」
「アホー!平次の事なんか、大きら・・・」

怒鳴りかけて和葉の言葉は止まり、目から涙がボロボロ零れ落ちる。

「ん?オレの事なんか何や、言うてみ?」
「平次のアホ!ボケ、ナス、イケズ、スカタン!ドアホウ〜〜!」
「和葉。語彙が貧弱やな〜」
「何で?何で、頑張れとも何とも、言うてくれへんのん?」
「アホ。和葉は充分、頑張っとるやないか」
「へ・・・?」

平次の思いがけない真摯な言葉に、和葉は目を見開いた。

「お前は、誰より頑張っとる。オレは、そないな和葉に、頑張れとはよう言えへん。応援なんか出来るかいな」
「平次・・・」
「お前なら、日本一のスケートが滑れる。オレは、そう信じてるで」

和葉の目から、止まりかけていた涙が再び、ぶわっと溢れ出た。



   ☆☆☆


「誰っ!?そこにいるのは!?」

中森邸で、やはり寝付けないでいる青子の部屋の窓に、突然、人影が映った。
2階のベランダにいるとは、泥棒の類、ひょっとして怪盗キッドかと、青子は勘繰る。

しかし、ベランダの窓を開けた青子の目に映ったのは、青子の幼馴染の少年だった。

「よ、よお、青子」

快斗が、引きつった笑顔で、手を振った。

「快斗!?一体、何してるの?」
「ちっちっち。今宵のオレは、黒羽快斗ではなく、数日遅れのサンタさんじゃよ」

考えてみたら、全日本直前で、クリスマスどころではなかったのだった。
もっとも、それは毎年の事なのだが。

よく見ると、快斗はサンタ風衣装を着て、大きな袋を担いでいる。

「ば快斗。アンタって本当に!イタズラの為には全力を尽くして、面倒も惜しまないヤツなのね。その労力の何分の一かでも、もっと建設的な事に使えば良いのに・・・」
「イタズラなんて、ひどい、シクシク。真面目に、青子にプレゼント持って来たってのによ」
「こんな不真面目なやり方しといて、真面目にプレゼントって言っても、信憑性ナッシングよ!」
「いや、母さんの裁縫がクリスマスに間に合わなくて、ようやくさっき、出来上がったからよ」
「・・・裁縫?」
「ああ。母さんから青子にって」
「小母様が?」

青子は、寒い屋外から室内に、快斗を招き入れて、温かいココアを淹れてあげた。

「母さんだったら信用があって、オレだったら信用ねえのな」
「だって、仕方ないじゃない。小母さまはいつも、とても良くして下さるんだもん」

そう言いながら、青子は、快斗からプレゼント包みの箱を受け取る。
箱は、大きさの割に軽い。
開けてみると、出て来たのは、淡いブルーの、薄い生地を重ねた服だった。

「ドレス?」
「ちっちっ、ちょっと違うぜ。これは・・・」
「まさか・・・競技用の衣装?」

青子は、服を広げて息を飲んだ。
とても美しく、けれどちゃんと機能的に作られている衣装のようだった。

「快斗。もしかして、これって・・・」
「ああ。氷姫のイメージで作られているよ。今季のオメーの演技は、氷姫がコンセプトになってるだろ?」
「快斗・・・」

青子は、ボロボロと涙を流した。
快斗の為に、快斗を救う氷姫になりたいという、青子の願いを、快斗や快斗の母・千影が知っている訳ではない筈なのに。
こうやって、衣装を送ってくれた。

「ありがとう、嬉しい!!青子、頑張るね!」



   ☆☆☆



「イーグルと戦う為に、この世界に入ったんじゃなかったの?」

灯のトロピカルランドのスケートリンクで、ひっそりと1人の男が滑っていると、突然、声が掛かった。
滑っていた男は京極真、声をかけたのは、茶髪の少女・鈴木園子だった。

「園子さん!?」
「なのに、格下の男の子に、良いようにやられちゃって」
「やられてはいません!勝ちました!かろうじて、ですが・・・」
「真さん自身、納得なんか出来てない風よね」
「・・・・・・」
「真さん。わたし、試合に負ける男が嫌いとは思わない。だけど・・・自分を見失っている男は、何か嫌だな。真さんは、いつも真っ直ぐ前を向いてて、そこが素敵だったのに、今の真さんは、何だかちょっと違う」
「園子さん・・・私は・・・」
「技巧とか、点を取る為とか、そんな事を考えているでしょ、真さん?」
「だが・・・それは・・・そうでないとイーグルと戦えない・・・」
「バカ。猪突猛進じゃない真さんの演技なんか、見ててちっとも面白くない!点数の事しか考えてない真さんの演技なんか、全然、綺麗じゃない!」
「園子さん・・・?」
「前みたいに、真さんらしい演技をしてよ!見る者が思わず迫力に圧倒されて、細かな事なんかどうでも良くなるような、そんな演技をしてよ!そして・・・わたしを、サブリナ公国に連れてって!」

突然、真が跳躍した。
助走もなしに氷の上から飛び立ち、空中回転をして園子の前に降り立つ。

「園子さん。あなたをサブリナ公国に・・・オリンピックに連れて行ったら、私のものになってくれますか?」

園子は、真っ赤になった後、おずおずと頷いた。
内心では、「たとえオリンピックに行けなくても、真さんのものになっても良いけど」と考えていたけれど、それは口に出さなかった。



   ☆☆☆



「さて。フィギュアスケート全日本選手権2日目を迎えました!」
「栄光の全日本チャンピオンに輝くのは誰か?今季オリンピック代表選考を兼ねているだけに、今日のフリーの演技には注目が集まります!」
「ショートプログラムでの点差は、今日のフリーの演技次第で、ひっくり返す事が充分可能な範囲です」


「中森選手、今日は淡いブルーの衣装を着ています」
「妖精の異名に相応しく、とても可愛いですね」
「気の所為か、表情にも余裕があるように見えます」

青子がリンク中央に立ってにっこりと笑うと、客席からは「可愛い!」と声援が飛んだ。


「今日の中森選手の滑り、非常に安定していますね」
「それに何と言うか・・・昨年までの、妖精オーラが、戻って来ているような・・・」

青子の持ち味だった、「重力を感じさせない、ふわりと空を飛ぶようなジャンプ」が、戻って来ていた。
やがて、客席はしんと静まり返って行く。

氷を滑るエッジの音も、殆どしない。
耳に聞こえるのは、音楽だけ。

アナウンサーも、途中、思わず口を挟むのを忘れてしまう程に見入っていた。

「そして最後のコンビネーションジャンプ。トリプルアクセル・トリプルトゥループだ!」
「驚きましたね、体力が落ちる最後に、ただでさえ難しいそれを持ってくるとは!」

フィニッシュと同時に、割れんばかりの拍手が起こる。
出た得点が、またすごく高いもので。
この後、誰がどういう演技をしようと、引っ繰り返す事は無理だろうと思われた。


「この後のフリー演技、プレッシャーが掛かりそうですよね」
「ええ。ですが、女子シングルのオリンピックへの切符は、3枚ありますから、頑張って欲しいものです」


上原由衣は、経験者として表現力豊かな演技をして、まずまずの得点をあげた。


そして、和葉の番になった。


「こちらは、また、迫力ある演技です!」
「中森選手とは実に対照的な魅力ですねえ」
「しかし何と言うか、しなやかなばねのある柔らかさが加わりましたね」
「以前のような、乱暴にも見える豪快なものではなく、しなやかで強靭な・・・まさしく、ネコ科のイメージ!」
「ジャンプ。高い!」
「異名の通り、まるで豹のジャンプのようです!」


和葉も、見違える演技で高得点を上げ、青子に続いて2位につける。


志保は、ふうと大きく息を吐き出した。

『私は、私。私なりの演技をするだけ』

「さて。ショートは5位と出遅れた阿笠選手ですが・・・」
「滑り出しは、まずまずですね。非常に美しいポーズです」
「コンビネーションジャンプ。トリプルサルコウダブルループ、綺麗にまとめました!」
「高さはないですが、きっちりと正確に決めました」
「今日は阿笠選手も、一皮むけたというか、昨日より安定した感じですね〜」


志保の胸には、薔薇をモチーフにしたブローチがついていた。
それは、志保の思い人から、今朝、届いた贈り物であり。
それが志保に力を与えている事は、誰も知らない。


ショートでは5位と出遅れていた志保だったが、フリーではまずまずの得点を上げ、暫定3位となった。



しかし、ラストに、ショートプログラム1位となった内田麻美が控えている。
青子と和葉は、メダル確実となったけれど、志保は微妙な位置にいた。


「ブラックスワン・・・昨日の優雅な白鳥とは一味違う、妖艶な黒鳥の演技です」
「おお!トリプルループ・トリプルトゥループ!コンビネーションジャンプ、決めましたね!」
「優雅で正確な美しさに華やかさも加わり、一段と演技に磨きが掛かっています!」
「ほぼ、ノーミスで演技を終えました!」
「これは、ひょっとしてひょっとするか?」


麻美は満面の笑みで演技を終え、引き上げ、得点が出るのを待った。
志保は、やや厳しい表情で、麻美を見詰める。

志保も、良い演技をしたが。
ショートでの得点差がある為、これは麻美がメダル確実かと、皆が思っていた。

「・・・ただ、コンビネーションジャンプが、少し微妙かも・・・」
「新出さん?」
「・・・もしかしたら、回転不足を取られるかもしれません」
「今、内田選手のその場面を・・・出ました。スローで見ると・・・綺麗に回っているようにも見えますが・・・」
「いや、若干、回り切れない内に着氷している感じがありますね。後は、審査員の判断ですが」
「得点、出ます!うーん・・・?これは・・・」
「やはり、回転不足を取られましたね。これは、痛い。他が完璧だっただけに、残念ですが」

麻美とコーチの表情が、厳しいものになる。
本当に僅かな差で、3位に入ったのは、志保の方だった。


会場が大きくどよめいた。



   ☆☆☆



男子シングルは、京極真が、昨日とは打って変わって迫力ある演技で、他の追随を全く許さず、文句なく一位になった。



そして、ペアのフリー演技になる。


志保の見事な演技に賞賛を送りながら、「あそこまで立ち直ったのは、昨夜の新一とのやり取りのお陰?」と、蘭の胸にもやもやが起きるが、蘭はそれを必死で切り替えた。
邪念が入って、演技が乱れたら、それこそ、ペアのパートナーに選んでくれた新一に、申し訳が立たない。

音楽が始まった時には、蘭は完全に演技に意識を集中していた。

今日の二人は、完全に調子を取り戻したとは言えなかったけれど、それでも、何度もレッスンを重ねてきた成果は充分にあげて、まずまずの演技が出来ていた。
男子選手が女子選手を上方に投げ上げ、回転しながら降りて来る、ツイストという要素がある。
それを、新一と蘭は、ラスト直前にもって来ていた。

後、もう少しで、演技が終わる。
蘭は、睡眠不足による疲れもあり、ほんの一瞬だが、ツイストから降りて来る時、意識がそれた。

ハッと気付いた時には。
蘭のエッジが、新一の腕をざっくりと切っていた。

思わずパニクりそうになる蘭を、新一が無言のまま、蘭の腕を抑えて制する。

『まだ、演技は終わっていない!』

新一の声なきメッセージを受け止め、蘭は必死に、最後のコンビネーションスピンをやり遂げた。



演技が終わって、挨拶する。
新一の左の二の腕からは、血が流れ落ちているが、新一はさり気なく、腕の動脈を圧迫して、血流を止めていた。

それでも、何人かは異変に気付き。
新一は、得点が出るのを待つ事なく、医務室へと連れて行かれた。


蘭は、追いたい気持ちを必死で抑えて、得点が出るのを待つ。
羽賀設楽ペアの得点を上回り、金メダルが確定したのを見届けてから、蘭は意識を失っていた。




   ☆☆☆



女子シングル結果
1位:中森青子 2位:遠山和葉 3位:阿笠志保 4位:内田麻美 5位:上原由衣

男子シングル結果
1位:京極真 2位:本堂瑛祐

ペア結果
1位:工藤毛利ペア 2位:羽賀設楽ペア

アイスダンス結果
1位:白馬小泉カップル

そして、全日本の結果を受け。
オリンピック代表には、女子シングルに中森青子、遠山和葉、阿笠志保。
男子シングルに、京極真。
ペアに、工藤毛利ペア。
アイスダンスに、白馬小泉カップルが、それぞれ、選出された。

女子シングル結果と代表選出については、色々と批判も出たが、それに反論したのは、内田麻美だった。

「ビデオで見たらやっぱり明らかに、あれは回転不足でした。阿笠選手は素晴らしい演技だったわ。負けて悔しかったけど、それは、私の力不足です。あの点数も順位も正当なもので、文句は全くありません。阿笠選手にも、中森選手と遠山選手にも、オリンピックで、頑張って欲しいです。日本のスケートここにありってところを、見せて下さい」

凛として、真っ直ぐにそう言い切った麻美の言葉に、下世話な憶測や批評など入る余地もなく。
批判の声は、すぐに消えた。


試合で新一が怪我をした事についても、取りざたされ、あそこで演技を止めて棄権すべきだったのではないかという声も出たが、それは「ペアに事故や怪我は、つきもの。最後まで演技を続けた2人の健闘を称えたい」という、羽賀響輔選手のコメントで、下火となった。


新一は、全治2週間、7針も縫う大怪我ではあったが、大切な腱などへの影響もなく、オリンピックの頃には全く問題ないという事だった。
けれど、どうしても穏やかでいられないのは、蘭である。

蘭は、リンクの上に立つと足がすくみ、素人以下の動きしか出来なくなっていた。

「蘭・・・」

新一が気にするなと言っても。
他の誰が、蘭の所為ではないと言っても。
蘭の気持ちがおさまる事は、ない。


『せっかく、代表に選ばれたのに・・・このままでは・・・』

蘭とて、このままではかえって、新一に申し訳ないと思うけれども、氷の上に立つと動けなくなるのは、どうしようもなかった。


阿笠フサエコーチは、蘭が落ち着くまではと、陸上での基礎トレーニングを課していたが。
それがまた、蘭の心の負担を大きくするという、悪循環を生んでいた。



   ☆☆☆



「あん?何だ、こんな夜中によ」
「明けましておめでとうございます!」
「オメーのような怪我人が・・・どこが、めでてえってんだよ?」

元旦の深夜、新一が毛利邸を訪れると、蘭の父親である小五郎は、新一を胡散臭げに見て文句を垂れた。
新一の腕は、まだ、包帯グルグル巻きの痛々しさである。

「あ、あの・・・蘭と初詣に行こうかと思いまして」
「こんな夜中にか!?許さん!」
「よ、夜中って言っても、今夜は初詣の人が大勢いますし・・・あの、近場のお参りだけで、すぐ帰します」
「近場ぁ?」
「べ、米花神社に・・・」
「ふん!・・・1時間を超えたら、承知しねえからな!」
「は、はい!」

さすがに、1時間は厳しいと、新一は思ったが。
せっかく、許してくれたらしいのに、また小五郎の機嫌を損ねるのは得策ではないと思い、黙っていた。

小五郎は、奥へと入って行き・・・間もなく、血相を変えて飛び出して来た。


「おい!オメー、蘭をどこへやりやがった!?」
「は!?」
「オメーが蘭を連れ出したんだろう、どこへやった!?」

小五郎が新一を締めあげる。

「お、小父さん、落ち着いて!オレが蘭を連れてったんなら、わざわざ来たり・・・って!蘭がいないんですか!?」

新一は、小五郎の拘束を解くと、逆に、小五郎の両肩に手を置いて迫った。

「本当にオメーは知らねえのか!?」

新一はブンブンと首を横に振った。
小五郎が、新一の目の前に、紙を突き出した。


「初心に帰ろうと思います。落ち着いたら帰りますから、心配しないで下さい。 蘭」


新一は、息を呑んで、その紙を見詰めた。





(13)に続く


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銀盤の恋人たち(12)後書き


グランプリファイナル、もう少し丁寧に試合描写をする筈が、あっさりとなってしまって、ごめんなさい。
いや、ああいう結果になる事は、決まってましてね。
そこを丁寧に描こうとすると、辛くて。はしょっちゃいました。

誰だろう、「グランプリファイナルはもっと丁寧に描く」なんて、ほざいてたのは?


おまけに!

ああいう展開にさせてしまって、ごめんなさい!

いや、真剣に、ペアスケートってかなり危険なのは、事実なんです。


うん。
ここは、上げる前の、落とすところなので。
色々ありますが、何年も前からの(苦笑)予定通りの展開なんです。

続きは・・・なるべく近い内に・・・。


なお、今更ですが、作中のアイススケート場は、全て、「実在しません」ので、ご注意ください。


(11)「グランプリシリーズ日本」に戻る。  (13)「夜明け」に続く。