銀板の恋人たち


byドミ



(14)サブリナ公国へ



話がやや前後する。


1月4日、新一と蘭が長野ベルウッドランドのコテージに落ち着いてすぐの事。

「新一。怪我、ずっとお医者様に診てもらってないよね?」
「ああ。あの場ですぐ縫って貰って、化膿止めの抗生剤内服薬が処方されて、1週間は何もせずこのままで良いって事だったんだけど、そろそろ、その1週間が経つ。ここの医務室には、鈴木財閥が手配してくれた医師が常駐しているから、オレの傷も診てもらうかな?」
「でも、怪我の治療も、出来るのかしら?」
「うーん、メンタルケアも出来るという事だけど、まあ基本は、内科医だよな。ただ、オレの傷を処置してくれた新出先生も、基本的には内科医で。でも、多少の傷の治療は出来るって、オールマイティの医師だったし」
「新出先生って、元男子シングル日本代表選手だった、あの、新出智明さん?」
「ああ。新出先生は、解説席に座ってたんだけど、オレの怪我に気付いてすぐに駆けつけてくれたんだよ」

新一と蘭がそのような会話をしていると、ちょうど、2人の元を訪れた人があった。
たった今、2人が話題にしていた、元フィギュアスケート男子シングル日本代表選手であり、今は医師である、新出智明である。

「新出先生!」
「やあ。工藤君、傷の具合はどう?」
「お陰さまで、バッチリです」
「どれ、見せてごらん?」

傷口は、ホチキスの針のようなもので何箇所か止めてあり、その上に透明なフィルム剤が貼ってある。
更にその上から、包帯がグルグル巻きになっていた。

智明から、そこはなるべく触らないように言われていて、入浴の際には、怪我をした左腕は浴槽につけずシャワーで洗い流すだけにして、入浴後はまた、包帯で巻いていたのであった。
最初は自分で巻いて不格好な事になっていたが、長野で蘭と再会してからは、蘭がいつも綺麗に巻き直してくれていた。


新出が、蘭の包帯の巻き方を「上手だね」と褒めながら、包帯をほどき。
フィルムをはがして、傷口を見た。

「綺麗にスッパリと切れた傷だったから、良かったよ。感染も起こしてないし」

そう言いながら新出は、傷口を消毒して、持っていた器具で、ホチキスの針のような金属を抜いて行く。

「先生、これって、まるでホチキスみたいですね」
「うん、ホチキスと原理は一緒だから。傷口を糸で縫う代わりにホチキスで止めている、って事だよ」
「・・・そういうものなんですか」
「整形外科の手術用器具なんて、まるで大工道具だよ。外科処置は、人間の体を相手に工作をしているようなものなのだからね」
「な、なるほど・・・」
「うん。綺麗に引っ付いている。もう大丈夫だ。またフィルムを貼っておくけど、明日からは普通に浴槽に入って良いし、フィルムが自然にはがれたら、それで終わり」
「自然にはがれたら?」
「無理にはがすと、皮膚を引っ張って傷付ける事があるから。自然にはがれるに任せたら良い」
「これで、終了ですか?」
「ああ。全快だ」
「全治2週間って、言ってませんでしたっけ?」
「もし、感染を起こしたら、それ以上かかる事もある。全治どれだけってのは、あくまで、目安だから」

蘭は、こわごわと、新一の傷口を見ていたが。
綺麗で目立たない感じだったので、ホッとしていた。

「先生。何故、長野へ?」
「阿笠フサエコーチに連絡したら、こちらを教えてくれたから」
「もしかして、オレの傷を見てくれる為に、わざわざこちらに来て下さったんですか?」
「新出医院は、年末年始、開けてたから、その分、今から正月休暇を取らせて貰うんだよ。そのついでだ」

休暇のついでと言いながら、わざわざ長野までやって来てくれた新出医師の好意に、新一と蘭は深く感謝せざるを得なかった。


「僕は、いつかペアスケートをやりたいと夢見ながら、選手生活を続けていたけれど。結局、相手を見つけられないまま、引退した・・・」
「先生?」
「だから、君達を通して、夢の続きを見ているのかもしれないね。彗星のように現れた若手カップル、消える時まで彗星のようにと、行って欲しくはない。ま、いずれは、現役選手を引退する日が来るだろうけれど。まだまだ、日本中に夢を見せて欲しい」
「新出先生・・・」
「毛利さん。君も・・・工藤君が怪我をした時、この世の終わりのような顔をしていたから、どうなる事かと心配したけど。どうやら、そこは乗り越えたようだね」
「・・・すみません。ご心配をおかけしました」
「2人とも、以前よりずっと生き生きとしているし。以前にも増して、お互いへの信頼と愛に溢れた目をしている。君達は、スケートだけじゃなく、人生でも、ペアになったのかな?」

新出医師が柔らかく微笑んで言った。
2人共に、ぶわっと真っ赤になる。

新出は、遠くを見る眼差しになって言った。

「僕も・・・昔、同じ志の女性を探してペアをやりたいと、夢見ていた事があった」
「そ、そうだったんですか」
「けれど、スケートに無縁な女性を愛した時、その夢は終わったんだ」
「えっと・・・恋愛は恋愛、スケートはスケート、とはお考えにならなかったのですか?」

素朴な疑問を口にした新一を、新出は微苦笑の表情で見た。

「そりゃ、世の中には、友人同士でペアをやる人達も、いないでもない。ただ、ペアは、お互いに深く信頼し合い、心を一つにする事が大事だって、それは分かるだろう?」
「解ります、勿論」
「身内でもない相手で、そこまでの信頼関係を築く男女が、恋愛関係に至る事は、自然な事だろう。僕は、ペアをやりたいという夢はあったけれど、愛する女性が相手でないと無理だろうとも、思っていたよ」
「は、はあ・・・」
「世の中には、口さがない連中も少なくない。でも、良い演技をする為には、お互いを深く想う気持ちが必要なんだと、その位の開き直りがあっても良いと思うよ、僕はね」

新出医師は、また、にっこりと笑った。

「僕は、選んだ女性の事も、選んだ道の事も、後悔した事はない。でも、君達には、僕が叶えられなかった夢を、重ねて見てしまっているのかもしれない」

そこまで聞いて。
ようやく新一と蘭は、新出医師がわざわざ長野まで、新一の傷を診にやって来てくれたワケを、知ったのだった。

2人は、深く頭を下げた。
色々な人が、2人に期待をかけている。
それは、プレッシャーでもあるけれど、誇らしい事でもあるのだと、ようやく感じる事が出来たのだった。

「きっと君達は、色々な意味で、日本中に夢を見せてくれる素敵なペアになるだろうと思う。期待しているよ。頑張ってくれ」
「は、はい!」


2人は、胸がいっぱいになりながら、新出医師を見送った。



そして、新一と蘭が練習を積み、遅れをスッカリ取り戻した頃。
今度は、工藤優作と有希子、毛利小五郎と英理、双方の両親が、長野ベルウッドランドを訪れたのだった。

新一と蘭、双方の両親、そこに、阿笠博士とフサエ夫妻が立ち会って。
長時間にわたり、何事かが話し合われていた。

優作と有希子は始終にこにこ顔で。
小五郎と英理は、最初苦虫を噛み潰したような表情だったが、徐々に変わって行って。

一応、話の終結を見たようである。


新一と蘭がちゃっかり、コテージで「同棲」している事についても、小五郎達は、最終的に、何も言わなかった。
蘭が、新一への想いだけを胸に、親からの援助も殆ど受けず、オリンピック日本代表のスケート選手に成長した事を聞いてしまえば、何を言える筈もなかったからである。

とは言え、新一は、小五郎と英理から、それぞれ1回ずつ、背負い投げの洗礼を受けたのではあったが。


長野を去る時、英理が蘭に言った。

「蘭。長い間、ごめんなさい・・・」
「お母さん?」
「選手生活と学業とアルバイトまで頑張っていた蘭に、あの人の世話まで押し付けた事、ホント、悪かったと思ってるわ」
「・・・お母さん・・・」
「今度から、あの人の面倒は引き受けるから。蘭は安心して競技生活に専念して頂戴ね」
「え・・・?それって、別居解消して帰って来るって事?」
「ち、違うわよ!通うだけよ!」

英理が頬を染めて言ったが。
その表情と、意地っ張りな母の性格を考え合わせると。
おそらく、「週に5日位は通って来て泊まる」、つまり殆ど帰るも同然の生活になるのだろうと、察しがついた。


「オリンピックは、仕事の都合をつけて、みんなで応援に行くから。頑張って、蘭!」
「お母さん・・・うん、頑張る!」
「そうそう、蘭。エキシビジョン、だっけ?それ用の衣装も頑張って作っているから。無駄にならないようにして頂戴ね」
「・・・もう!そうやってプレッシャーかけて!」

エキシビジョンは、上位入賞しないと出場出来ない。
母の言葉は、オリンピックで上位入賞しろという、かなり厳しいものであったけれど。

蘭には、母親の気持ちが嬉しかった。



そして、新一と蘭の両親が長野を去った後。
他のフィギュアスケート選手(+α)達が長野ベルウッドランドに招待され。
そして、マスコミとスケート協会の理事達が呼ばれたのだった。



   ☆☆☆



氷上を、妖精が舞っている。

天然の湖を模した、屋外スケートリンク。
ホンモノの樹氷が、山の上に昇った朝日を受けて輝く幻想的な世界の中。
ふわりと、重力を感じさせない、まるで妖精そのものの舞を舞っているのは、中森青子である。

その姿が、物語の氷姫のように、朝日に融けるような錯覚を覚えて、思わず氷の上に飛び出した者があった。
けれど、氷の上に立った途端、つるりんと派手にすっ転び、転んだ姿勢のまま氷の上を滑って行く。


「わったったった〜〜〜〜っ!」
「バ快斗!アンタ、何やってんの!?滑れないクセに!」
「いや、ホラ、滑ってるだろ?」

青子の傍まで来た快斗は、止まる事が出来ずそのままツーッと滑って行く。

「こけた格好のまま滑ってるのは、スケートで滑るのとはちが〜う!」
「わあああ!誰か、止めてくれ〜〜〜!」

呆れ返った青子だが、ほって置く訳にも行かず、快斗の姿を追って滑って行った。
青子がガッシと快斗を掴み、ようやく快斗は氷の上で止まった。

「良かった・・・」
「良くないわよ!何で青子の練習の邪魔するのよ!」
「いや。青子が、消えてしまうような気がして・・・」
「はあ?何を、バカな事言ってんの!?」
「だってさ。オメーの舞・・・氷姫だろ?朝日に融けて消えてしまう・・・」

プンすか怒っていた青子だったが、快斗が切なげに出した言葉に、目を丸くする。

「うん。だって青子、氷姫、好きだもん。氷姫みたいになりたいって・・・」
「ダメだ!絶対、ダメ!」

快斗の必死の形相に、青子は目を見張った。

「どうして?」
「だって氷姫は、想いを寄せた男に気付かれる事すらなく、完全片思いのままで死んじゃうんじゃないか!」
「だから、その位、純粋に、愛してたって事で・・・」
「だから、ダメだってば!」

快斗は、立ちあがろうとして。
また、つるりんと滑る。
今度は、ご丁寧に、青子を巻き込んで引っくり返り、2人もつれあったまま、リンクの端までツーッと滑って行く。


「バ快斗〜〜〜っ!」
「青子は、生きて幸せにならなきゃ、ダメだ!」
「えっ?」

プンすか怒っていた青子は、快斗が真顔で言った言葉に、目をパチクリさせた。

「オメーはどう引っくり返ったって、妖精じゃねえし・・・」
「悪かったわね。ただの、人間の女で!」
「だから、そういう意味じゃなくてだなあ!誰かの為に犠牲になるとか、そんなんじゃなくて、生きて、恋を実らせて、幸せにならなきゃ!」
「・・・恋を実らせるには、相手の合意が必要だもん・・・」

青子が、目を伏せて言った。

「合意って・・・青子・・・オメーさ・・・好きな相手が、いるのか?」
「え・・・?」

快斗が真剣に言って。
青子は、目を見開いて戸惑う。

「青子が好きな男って・・・誰なんだよ?」
「なっ・・・!」

青子の顔が見る間に真っ赤になった。

「信じられない!デリカシー無さ過ぎ、最低!バ快斗っ!」


青子は、すごいスピードで氷上を滑って、逃げて行った。

「あ、青子〜〜〜っ!」

快斗が滑って追いかけようとするが、当然の事ながら滑れない快斗は、その場でツルリンころりんと何度もこけるだけ。
青子は、1回だけ振り返って快斗をちらりと見ると、対岸まで滑って行って、そちらから上がり、山小屋風休憩所に駆け込んだ。

そこは、売店設備などがあるが、まだオープンしていない現在、設置してあるのは自販機だけである。
そこで温かい飲み物を買おうとした青子は、小銭を持っていない事に気付いた。

ベンチに座ってふうと息をつく。

「最低・・・」

青子が、快斗の氷姫になりたいと考えていたのが、自己満足に過ぎない事は、解っている。
だけど、快斗に、ああいう風に否定されてしまうなんて。

いや。
本当に最低だと思うのは・・・。


「バカみたい・・・快斗の氷姫になりたいなんて・・・青子なんて、何の力もないのに・・・」
「んなこた、ねえぜ」

誰もいないと思っていたのに、突然、声が聞こえて、青子は飛び上がりそうになった。

チャリンチャリンという小銭の音の後に、ガコンと缶飲料が落ちる音がした。
そして、青子の前に、缶入りのホットココアが差し出される。
差し出した相手は、当然、黒羽快斗その人であった。

「ホラよ。オメー、財布も持たないままだったろ?」
「か・・・か・・・か・・・」
「ん?真冬に、蚊が飛んでんのか?」
「バ快斗〜〜〜っ!!滑れないクセに、何でここにいるの〜〜〜〜っ!?」
「チッチッチ。滑れないのは氷の上で、雪の上は何の支障もなく滑れる、モーグルスキーの選手様だぜ、オレは」
「え・・・?」

青子が恐る恐る快斗の足元を見ると。
快斗が履いているのはスケート靴ではなく、スキーブーツで、スキー板を肩に担いでいた。


快斗はどうやら、氷の上を滑って来るのは諦めて、リンクの周りの雪の上をスキーで滑って、青子を追いかけて来たものらしい。
それなりにアップダウンがある筈だが、クロスカントリースキーの要領で滑って来たのであろう。


快斗が青子を追いかけて来てくれた事は、それなりに嬉しいけれど。
「快斗の氷姫になりたい」という言葉を聞かれてしまったらしい事に、青子は、ずんと落ち込んでいた。

快斗から受け取ったココアの、温かさと甘さが沁み通り。
青子の目からは、涙が流れ落ちる。


「バーロ。泣くなよ」
「・・・っ!だって・・・!」
「オメーがいたから、オレは、耐えられた」
「・・・え・・・?」

快斗が、思いがけず、真剣な眼差しで青子を見詰めていて。
青子は、ドキリと胸が高鳴る。


「色々あったけどさ。青子が、オレの心をいつも照らしてくれたから、だからオレは・・・」
「快斗?」
「なあ。青子が、オレの氷姫になりたいってんならさ。童話のように、いなくなってしまうんじゃなくて。若者とハッピーエンドになるお話に、ラストを書き変えねえか?」
「え・・・え・・・?」
「そして、人間の少女になった氷姫は、姫の愛に気付いた若者と、ずっと幸せに暮らしました・・・って。そういう話に、書き変えようぜ?」
「へえ。そう。書き変えたいんなら、快斗がそうすれば良いでしょ?」

青子が、目を怒らせて言った。

「青子?」
「快斗が、ハッピーエンドの物語が好きだって事でしょ。あのお話の氷姫は可哀想だから、ハッピーエンドのお話にしたいって事でしょ?だったら、快斗が書き変えるなり、企画をアニメ会社に持ち込んでハッピーエンドのアニメを作って貰うなり、したら良いじゃない」
「アホ子〜〜〜!オメー、全然、意味が分かってねえ!」
「何よ。アホ子はどうせ、アホですよ〜だ!妖精ってガラじゃないし・・・青子に氷姫なんか似合わないのは、分かって・・・」


青子は、その後の言葉を続ける事が出来なかった。
何故なら、快斗に抱き締められていたからである。

「お前も、たいがい、鈍い女だなー!」
「な・・・バ快斗に言われたくないわよっ!」

青子は、ドキドキして思考停止寸前になりながらも、快斗の「鈍い女」という言葉に反応して、突っかかる。

「鈍いから鈍いって言ってんじゃねえか!」
「何ようっ!」
「人が告白してんのに!全然、気付かねえし!」
「え・・・?」

青子は、目を見開いた。
マジマジと、快斗を見詰める。

快斗の顔が近付いて来て。
青子は、目を閉じ、温かく柔らかいものが青子の唇に重ねられるのを受け止めた。



   ☆☆☆



「和葉!こないして謝っとんやないか!」
「せやから、謝って欲しいワケやあらへん、言うてんやろ!?」

朝早くから、屋外スケートリンクで、怒鳴り合いながら滑っているのは、関西の二人。
服部平次と遠山和葉である。

よく見ると、平次が和葉を追い掛けて、和葉が逃げているようだ。

平次はスピードスケート選手だから、単純にスピードから言うなら当然平次の方が上で、簡単に追いつけそうなものだけれど。
和葉はフィギュアスケートの選手、スピードでは劣っても、変幻自在に方向を変えて行ける。
平次が追いつきそうになってもクルリクルリとかわして、逃げ回っていた。


「一体、どうしたんだ、あの二人?」

練習しようとリンクにやって来た新一と蘭は、平次と和葉の様子に、目を丸くしていた。


「謝らんでええから!アタシを、元の綺麗な体に戻してや!」
「せやけど、男の部屋に入り込んだ挙句、無防備に眠っとったそっちにも非はあるんやで!」
「せやから、謝らんでええ、言うてんねん!」


新一と蘭は、目が点になった後、真っ赤になった。

「あんの・・・バカ!」

新一が呟き、蘭は俯く。

「ねえ、新一」
「あん?」
「服部君って・・・遊びで手を出すような人じゃ、ないよね?」

蘭が、縋る様な眼で新一を見た。

蘭は、和葉の想いを知っているし。
女同士の事なら、よく分かるけれど。
平次がちゃんと和葉の事を好きでいてくれるのか、それは、女である蘭には今ひとつ分からない。


「ああ。まあ、服部は多分・・・そっちの方ではオレと似たようなもんだからな」
「えっ?」
「本命の女以外に、その気にはなれない。だから・・・アイツが手を出したとしたら、それは本気だって事だ」
「そ、そっか。良かった」

蘭はホッとする。

「オメーが良かったって言うのは・・・和葉ちゃんも服部の事、好きだって事なんだよな?」
「うん」
「だったら・・・どっちかがきちんと告白したら、おさまるって事か」
「そうだね」
「・・・蘭。オレ達は、屋内リンクの方で練習しよう」
「え・・・?」
「アイツらは、2人だけにして置こう」
「大丈夫かな?」
「アイツらのは、犬も食わない何とやらだ、ヘタに横から茶々入れねえ方が良いと思う」


そして、新一は蘭の手を取って屋内スケートリンクの方へと移動して行った。

その後も。
天然の湖を模した屋外スケートリンクでは、暫く壮大な追いかけっこが続いていたが。

日が中天にかかる頃には、決着がつき。
2人は無事、恋人同士になれたようである。


ちなみに。
新一と蘭はスッカリ勘違いしていたが、この時平次が和葉に「手を出した」のは、キス止まりであった。

後に和葉からその事を聞いた蘭が、引っくり返り。

「元の綺麗な体に戻してってのは、どういう事よ!?」
と、叫んでしまったのだが。
その時の和葉の答は。

「せやけど、アタシ、ファーストキスやってん!!」
というものだった。



   ☆☆☆



「ちょっ、ちょっと待って〜!わ、わたしまだ、心の準備が・・・!」
「何故です?私が全日本で優勝して、オリンピックに連れて行く事になったら、その時は、私のものになって下さる約束だったのでは?」
「あう〜〜。だ、だからそれは・・・っ!」

京極真の部屋に訪ねて行った園子は、その場で迫られ、動転していた。
全日本選手権で、ショートプログラムで良い演技が出来なかった真を、叱咤激励する時、確かにそのような約束をしたのは、事実だけれど。
園子はそこまで「即物的」に考えていた訳ではなく、夢想していたのは、晴れて恋人同士になるとか、そういう「ロマンチック」なものだったのだ。

惚れっぽく、見た目はイケイケギャル風であっても、園子の本質は意外と純情なのである。


大晦日、蘭が家を出た頃、園子は真と共にいて、明治神宮まで初詣に行き、0時になり年が改まると同時に、参拝した。
表で会ったのだから当然ではあるが、真は終始紳士的で、園子は夢見心地の時間を過ごした。

その後、他の選手達と共に、真も長野ベルウッドランドに招待して、1週間ぶり位に会えたのであるが。
練習の時の真はいつも素っ気なく。
園子が我慢出来ずに、真の部屋まで会いに行ったら、いきなり迫られてしまった、という事なのである。

抵抗されて真は、ふうと息をついた。
真が力尽くで事を進めれば、園子が死に物狂いで抵抗しようがどうしようもないだろうけれど。
そこまでの事をする気は、なかったようである。

「分かりました。園子さん、あれは、その場限りの口から出まかせだったという事なんですね」
「・・・どうして、そうなるの!?真さんの分からずや!!」

園子が泣いて真の胸をポカポカ叩く。

「そ、園子さん・・・」
「いくら何でも、デリカシーがなさ過ぎでしょ!もうちょっと、女心を理解してよ!」

真は、戸惑った表情で園子を見た。

「あの。園子さんは、私の事を嫌っている訳ではないのですよね?」
「当たり前でしょ、バカあ!手順踏んでって言ってるの!」
「手順・・・」
「いきなりなんて、あんまりじゃない!」
「そう言えば。前に妹から、女はロマンチックなのが好きなんだと、聞いた事があります・・・やはり、そうなのですか?」

真は、園子を真っ直ぐに見詰めて、言った。

「ですが、私には、どうすれば女性の望むようなロマンチックな事が出来るのか、皆目、見当がつかないのです」

園子は、涙をすすりあげながら、真を見上げた。

「園子さん。何をどうして欲しいのか、ひとつひとつ、教えて頂けますか?」
「真さん・・・」
「言葉にしてくれなければ、私には分からないのです」


真の困惑した眼差しに。
園子も、自分がいかに「朴訥な京極真」に無理難題を強いていたのか、ようやく理解した。


「真さん。わたしにも、男の人の考えている事とか感じている事とか、全然、分からないの。だから・・・お互い、教え合って行きましょうよ」

園子の言葉に、真が大きく頷いた。

「じゃあ、まずは・・・」


その後の事は、敢えて語らないが。
結局園子は、真の部屋にそのまま泊まったようである。



   ☆☆☆



その後。

冬季オリンピック日本代表選手達は、その多くが、長野ベルウッドランドに集まって最終特訓と調整を行っていた。
さしもの広いランドも、選手の殆どが練習を行うようになると、多少は手狭になったが。

それでも、選手達にとっては、時間の制約も殆どなく、思う存分練習が出来る、天国のような環境であった。


「頑張っているようだな」
「横溝コーチ!お久しぶりです」

蘭は、かつての師・横溝重悟から声を掛けられ、顔をほころばせた。

「コーチは、どうしてここに?」
「オリンピック強化のコーチ陣として、呼ばれたんだよ。皆、自分のコーチがいるから、不要だろうと、最初は断ったんだがな。それにしても、ここの設備を全部タダで使わせてくれる事と言い・・・鈴木財閥は太っ腹だな〜。まあ、その代わり、良い宣伝になって、オープンと同時に客は押し寄せるだろうけどな。ホテルやコテージの予約も、既にかなり埋まっているそうだ」
「そうですね、そりゃ、財閥としての損得勘定はあるのでしょうけど。でも、正直、色々な意味で、オレ達にはありがたいです」
「ま、でも、その恩恵を受けられるのも、お前達が努力して、全日本代表の座を勝ち取ったからだ。日本のペアは層が薄い、とは言え、お前達は国際試合でもそれなりの結果を出し始めている。ペアを勧めたのはオレだが・・・正直、ここまで化けるとは、思ってなかったぞ」

横溝重悟は、目を細めて、かつての教え子を見た。

「毛利と工藤のコーチは、阿笠フサエさんだろう?彼女は、自分の娘のコーチもあって、大変だろうし。オレは、ペアの部分は分からんが、基本の部分なら教えられる事もあるだろう。という事で、オレが阿笠コーチのサブで、お前達の面倒を見る事になったから、宜しくな」
「は、はい!」


複数の指導を受けるのは、悪い方向へ働く場合もあるが。
新一と蘭にとっては、良い方向へと働いたようだ。

蘭のジャンプや新一のスピンが、確実に進化して行ったのだ。



   ☆☆☆



そして、2月。
選手達は、今回の冬季オリンピック開催地である、サブリナ公国の首都サブリナにある、オリンピック選手村へと、向かった。

オリンピック開催期間は、2週間以上に及ぶし、競技日程が後の方の選手には、開会式にもまだ入村していない者も少なくない。
けれど逆に、開会式より1週間以上前に入村して、早くから調整を行う者も、いる。


フィギュアスケートも、種目によって日程は違い、ペアは開幕式直後の13日にショートプログラムがあるが、シングルは逆に、かなり後の方の日程、2月の終わり近くになる。

競技日程の違いはあるけれど、妙に仲良くなり団結してしまっていた日本のフィギュアスケート選手団は、2月4日に、揃って入村していた。
ついでに言うなら、スピードスケートの服部平次選手と、モーグルスキーの黒羽快斗選手も、同日に入村している。




今回、初の冬季オリンピック開催国となったサブリナ公国は、ヨーロッパの小国。

元首は国と同じ名のサブリナを姓とする大公家。
公用語は、フランス語・サブリナ語・イタリア語・英語。
通貨はユーロで、独自の貨幣発行権を持つ。

フランスとイタリアに国境を接し、狭い国土だが山と海に挟まれた、風光明媚な土地である。

地中海に面した側は温暖な気候だが、山側は標高があり、夏は冷涼で冬は寒さが厳しく、夏は避暑地として、冬はウィンタースポーツのメッカとして、賑わいを見せる。
山の中腹には温泉も湧き、長期療養する者も多い。
小国ながら、各国の王侯貴族や金持階級が集まる高級リゾート地として栄え、経済的には大国である。


サブリナ公国の人口は10万人を切り、決して多くないが、ウィンタースポーツの名手を数多く産んでいた。
フィギュアスケート女子シングルで、世界トップクラスのアン・クラリス・サブリナは、このサブリナ公国出身であり、姓に「サブリナ」がある事から分かるように、大公家に連なる血筋でもある。
今回、開催国地元であるサブリナ公国の国民達の期待と熱気は、大いに盛り上がっていた。



オリンピック選手村は、サブリナ公国の首都・サブリナ市の中に作られている。
オリンピック終了後は改装されて、高級分譲マンションとホテルになる予定だという事だ。



新一は、長野ベルウッドランドのコテージで、嬉し恥ずかし蘭との2人暮らしを満喫していたが、オリンピック選手村では、当然ながら別々の宿舎になった。
男女別れての相部屋であるのが、通例だからである。

選手村とは別に自分でホテルの手配をする事も出来るが、それをするには、当然、自腹である。
白馬はお金持ちなので、選手村とは別に宿を取り、紅子と2人での生活だった。
新一の場合、親がお金を持っているが、さすがにそこまで甘える事は出来ない。


入村の時に陣中見舞いに来た、新一の母親・有希子に、笑顔で釘を刺された。

「うふふふふ。新ちゃん、試合が終わるまでは、禁欲生活を頑張ってね〜」
「ナロ。欲求不満でイイ演技出来なくなったら、どうすんだよ」

横で聞いていた蘭が、新一のやや下品なもの言いに真っ赤になり、新一の頭をバコッとはたいた。

「確か、ペアの試合は、開幕直後でしょ?結果次第では、シングルの試合を見る事もなく、閉幕式まで待たずに、シオシオと引き上げる事になっちゃうわよね」
「・・・そりゃ、まあな。それがどうしたんだ?」
「エキシビジョンまで残る事になったら、ご褒美をあげるから♪」
「は?ご褒美?」
「楽しみにしててねー」

このはっちゃけた母親の「ご褒美」なんて、楽しみにするよりは、何となく怖いと思う新一であったが。
せっかくなら、エキシビジョンに出られる位の結果は、出したいと思う。


ベルウッドランドでも、真面目に練習を積んでいたが、ここサブリナ公国に来てからも、新一と蘭は、ずっと頑張って練習していた。

2人の気持ちが通じ合った事が大きいが、これまでの努力の積み重ねが実を結びつつある手応えを、2人共に感じていた。


2月10日には、日本人選手団の入村式が行われ。


そして、2月13日。
冬季オリンピック開幕の日を迎えた。




(15)に続く


+++++++++++++++++++++++++++++++


銀盤の恋人たち(14)後書き



色々と。
忘れていた事(笑)とか、伏線とか、回収して行きながら。
新蘭以外のラブコメにも、決着をつけて。


ラストに向かって、一直線。


後、2〜3話かな?


(13)「夜明け」に戻る。  (15)「決戦」に続く。