銀盤の恋人たち



byドミ



(3)呪縛



「蘭」

ようやく休憩時間になって、従業員用の食堂で一息ついている蘭に声がかけられ。
蘭は顔を上げ、そこに親友の姿を認めて微笑んだ。

「あ、園子。来てたんだ」
「それにしても、ビックリしたわ。いつの間にか、工藤君と蘭とのペア話になっていたなんて」

園子が、蘭の隣に腰掛けながら、言った。

「う、うん。わたしも・・・何だか話に着いていけなくて」
「で?蘭は?その気はないの?」
「・・・そりゃ、出来るものなら、そうしたいって気持ちは、あるけど・・・わたしじゃ、新一の足を引っ張るんじゃないかって、それが引っ掛かって・・・」

園子は、ぐっと蘭の手を握った。

「そういう事なら、話は別」
「え!?」
「蘭自身が乗り気じゃないんなら、わたしは反対だったけど。蘭は乗り気なのね」
「え?その、別に、乗り気って訳じゃ・・・だから、迷惑をかけちゃいけないと・・・」
「蘭が、迷惑になるんじゃないかってためらうって事はね。実際は乗り気だって事なのよ」
「え?そ、そうなの?」
「間違いないわ!」

園子が大きく頷いて断言し、蘭は驚いた。
けれど、考えて見たらそうかも知れないと思う。
迷惑をかけるのではないかとためらうという事は、蘭がかなり具体的に前向きに考えているという事なのだ。

「蘭。アヤツは勝算のない事はやらない男よ。引っ掛かるのが、工藤君に迷惑をかけるんじゃないかって事なら、んなの気にしなさんなって」
「でも!」
「蘭が、アヤツの期待通りになれなかったとしたら、それはアヤツの見る目がなかったってだけの事よ。違う?」
「もう・・・そんな風に、単純に割り切れるもんじゃないわよ!」
「あのさ、蘭。認めたくないけど、工藤君って、顔は良いし、成績も良いし、おまけにスポーツ万能で。一時はスピードスケートで名を上げた男よ。もてない筈、ないと思わない?」
「う、うん・・・」
「アヤツがその気になってパートナーを探したら、あっという間に見つかると思うよ」
「うん・・・」
「そしたらね。蘭以外のその女が、ずっと工藤君と一緒に過ごす事になって。蘭の入る余地はなくなってしまうと思うの」

蘭は大きく息をついた。
園子の言葉に、思いがけないところを突かれて、動揺したのだ。

ペアのスケーターになるという事は、なまじの恋人同士よりずっと多く一緒の時間を過ごすという事だ。
せっかく再会したのに、新一が他の女性とペアを組めば、蘭が新一と関わる事が出来る余地は、殆どなくなるだろう。

「でも、でも!」
「蘭も、頑固ねえ。とにかく試してみれば良いでしょ。で、たとえば上手く行かないとか、ペア向きじゃないとか、結論が出たら、そこでまた検討すれば良いわけだしさ。やってみる前にグジグジ悩むなんて、蘭らしくないよ」
「やってみて、駄目だったら・・・」
「ペアの練習をやってんだから、スケートそのものを止めるんじゃないし。それからまたシングルに戻っても、充分やって行けるんじゃないの?工藤君だって、ペアの相手を変えるなり、シングルスケーターになるなり、何とでもなると思うの。別に、工藤君と蘭のペアが上手く行かなかったら、それで終わりって事じゃないじゃない」
「うん。そうね。ありがと、園子」

蘭は、ようやく何かが吹っ切れたような気がした。
どの道、今のままではシングルスケーターとしても限界である事が、自分でも分かっている。
園子の言う通り、ペアに挑戦してみて、駄目だったらシングルに戻るという道はある。
たとえ最終的に再びシングルフィギュアスケーターに戻るとしても、一旦他の事に挑戦してみた方が、スケーティングにも幅が出来るかも知れない。
新一にしても、フィギュアスケートそのものの練習は出来るのだから。
蘭とのペアが上手く行かなかったからとしても、決して道が閉ざされる訳ではない。


園子の言う通り、蘭は普段あんまりウジウジグダグダと考え込む方ではないし、考え過ぎて身動きが取れないという事もない。
けれど、相手が新一となれば、話は別だ。
蘭自身は自覚していなかった、「新一の事になるとウジウジと優柔不断になってしまう」蘭の傾向を、親友である園子には、しっかり見抜かれてしまっていたのだった。


蘭の気持は、ほぼ固まったが。
新一とペアをやるにはもう一つ、障害があり、そこを乗り越えなければならない。
それについては、園子には話せなかった。
鈴木家の次女である園子だからこそ、話せなかったのだった。


   ☆☆☆


「蘭」
「新一。もしかして、待っててくれたの?」
「あ?ああ、まあな・・・」

蘭の「バイトの時間」が終わり、再び蘭の練習時間になったのは、夜も遅くなってからの事だった。
更衣室から出たら、そこに新一が待っていたので、蘭は驚いた様子だった。

「待つ間、トロピカルランドで?」
「男1人でトロピカルランドに行ってどうするよ。オレも少し、野暮用があってさ」

新一の言葉に蘭は首を傾げたが、それ以上に追及はして来なかった。
2人はそのような仲ではないので当たり前といえるのだが、新一は何となく寂しい気持ちになる。

蘭に追求されたり妬かれたり、そういう関係にはまだ至っていない、それが少し残念だった。


練習用の第2リンクには、まだ他の選手は来ていない。
蘭は、新一の手にもスケート靴が下げられているのを見て、言った。

「新一。ちょっと一緒に、滑ってみてくれる?」
「えっ?」
「一緒に、3回転ジャンプ、やってみて?」
「あ・・・ああ」


新一は、何故蘭がそのような事を言い出したのか見当がつかないままに、頷いた。

2人とも、お互いのスケーティングを見た事はあったので。
回転方向が、多くの選手と同じ左回りである事は分かっている。

2人はリンクに入り、中央近くにそのまま滑って行く。
そして、軽くウォーミングアップをした。

「最初は、トウループから、全種類」
「・・・易しいって言われてる順序で行くのか?」
「うん」
「じゃあ、サルコウ、フリップ、ループ、ルッツ。5種類続けて跳ぶ体力、あっか?」
「あら、もう一種類あるでしょ?」
「アクセル?けど、それは・・・」
「跳べない?」
「・・・やってみた事、ねえ」
「やってみようよ。私もまだ、やった事ないけど」

今日はまだ、他の選手は殆ど来ていない。
営業時間には音楽がかかるが、今は音楽もなく静かなリンクで。

2人のエッジの音だけが、響き渡る。


まずは右足で後ろ向きに滑って行き、左足で踏み切る。

音楽もないので、新一は蘭のエッジの音を頼りに、ほぼ同時に踏み切った。
そして着氷。

お互いに、ジャンプと着氷は成功したようだけれど、残念ながら自分も回転ジャンプをしている為、相手の様子が分からない。
ただ。

『着氷のタイミングがずれるな』

新一は、ジャンプの高さを若干抑え目にした積りだったが、それでも男子と女子とでは、高さが異なる。
着氷は蘭の方が早かった。


次のサルコウジャンプは、左足で滑って来てそのまま左足で踏み切り、右足で着氷する。

着氷のタイミングだけではなく、おそらく回転姿勢・回転のスピード、あらゆる点で新一と蘭のジャンプは揃っていないだろう。

ペアで滑るという事は、2人でしかやれない大技以外にも、こういった「2人同時に行う技」がどれだけ揃っているかも重要で。
多くのペアが、2人での練習を積み重ねて、調和の取れた動きを作っているのだ。

だから、新一と蘭がいきなり2人で跳んで、揃わないのは当たり前の事だと言える。新一は、蘭が何を考えてこのような事を持ち出したのかと、それをいぶかっていた。


右足で滑って左足で踏み切るフリップジャンプ。
右足で滑ってそのまま踏み切り、踏み切った右足でそのまま着地するループジャンプ。

4種類のジャンプを終えた時点で、蘭の息が上がり始める。

そして、ルッツジャンプに備えて2人とも、助走の回転方向を右に持って行く。
ルッツジャンプが1番難しいとされているのは、進行方向が右回りなのにジャンプ後の回転は左回りだからだ。

左足で踏み切って、右のトウでジャンプ!
そして、右足で着地。

「っ!」

新一は、蘭の着地を直接目で見る事は出来なかったけれど。

『着地が乱れたが、何とか成功か?』

蘭の着地のエッジ音でそう判断する。


新一も蘭も、5種類の3回転ジャンプを続けて成功させた。
新一は感心して蘭を見る。

確かに、トップレベルのスケート選手なら、女子でも5種類の3回転ジャンプがこなせるのは、当たり前の事なのだが。
実は、どんなに優れた選手であっても、「成功率100%」とは言えない現状があるのだ。
しかも、5連続ジャンプとは、体力的にも厳しい。


そして、蘭が前向きに滑り始めたのを見て、新一は焦る。

『おいおい。本気でトリプルアクセルやる気かよ?』

アクセルジャンプとは、唯一前向きで踏み切るジャンプで、着地は他のジャンプと同じく後ろ向きだから、半回転多くなる。
トリプルアクセルは実質的に3回転半であり、回転数が多い分、他のジャンプよりはるかに難しいのだ。
男子のトップレベルでは当たり前になって来ているトリプルアクセルだが、女子ではまだ「当たり前」ではない。

蘭がスピードを上げる。
そして、前向きに踏み切る。

新一はと言えば、自分はジャンプをせずに滑りながら呆然として蘭を見ていた。


「あっ!!」
「蘭っ!」

高さも飛距離も足りず、回転不足で着地失敗した蘭は、そのまま転倒してしまった。


「蘭!大丈夫か!?」
「新一。跳んでよ」
「へっ!?」
「新一なら、跳べるでしょ?跳んで見せて」
「おいおい。オレだって、跳んだ事ねえって・・・」
「お願い」

蘭が肩で大きく息をしながら、懇願するようにそう言った。

「わーった。やってみる」

新一は、本当に今迄トリプルアクセルジャンプに挑戦した事はなかった。
けれど今、蘭にやって見せてと言われて。
何故だか、出来る気がしたのである。

能力的には可能である事が分かっていて。
けれど、やってみようとした事がなくて。

初めての挑戦では上手く行く保障もないけれど、そういった躊躇いを吹っ切って。

新一は、跳んだ。





「やっぱりね。きっと、新一なら跳べるって、思ってたんだ」

蘭に、にこりと微笑まれてそう言われると。
新一としては、どう返したら良いものか、分からなかった。

「ねえ、新一。ペアのソロジャンプ(2人が同時にそれぞれジャンプをする事)では、調和が勿論大切だけど」
「ん?」
「それで、トリプルアクセルが出来たら、すごい有利だと思わない?」
「・・・まあ、そりゃ、な。女性でトリプルアクセルが出来る選手は限られてるし、そういう選手は大抵シングルの方をやってるし」
「ねえ。ハッキリ言って欲しいの。私は練習したら、トリプルアクセル跳べるようになると思う?」
「へ!?」
「答えてよ」

新一は、つい先ほど蘭が跳んだ時の事を思い返した。
飛距離も高さも、僅かに足りない。
けれど、その僅かに足りない部分を補うのが、大変なのだ。
血の滲むような練習を重ねても。

「跳べるかも知れないとは思う。でも、必死で練習して、可能性は半々位かな?」

新一は、気休めを言えなくて。
自分が感じたままを正直に言った。


「ねえ、新一。ペアをやるって事は、男子が女子のレベルに合わせなくちゃいけない部分が、沢山あるって事だけど」
「ああ」
「新一が、私のレベルをきちんと知った上で、本気で私と組みたいって言うのなら。私、やってみたい」
「ほんとか、蘭!?」

「え?きゃああっ!!」

新一は、喜びのあまり。
思わず蘭を抱き上げていた。


「このまま、リフトの練習すっか?」
「ばかぁ。きちんとコーチに教わらないで自己流では、無理でしょう!」

横抱きに抱えられた蘭は、真っ赤になってそう言った。
今はリンクの上、新一はスケーティングをしながら蘭を抱えている。
蘭もさすがに、危険なのが分かっている所為か、口では文句を言いながら大人しかった。


新一は、そのままリンクの端まで滑って行って、蘭をすとんとリンク外に下ろした。

そろそろ、クラブの他の選手が練習を始めていて。
そんな2人の姿を、目を丸くして見つめていたり。
無関係だとばかりに自分の練習にいそしんだり。
様々だった。

「ね、ねえ新一!?わたしこれから練習が・・・」
「蘭。奨学金の事、クラブの事、きちんと話し合わねえといけねえだろ?」
「え?そ、それは確かに・・・だけど・・・」
「鈴木朋子さんに、アポを取ってる」
「え!?こんな時刻に!?」
「ああ。ま、あっちも仕事の一貫だからな。それに丁度、視察を兼ねてトロピカルランド併設のホテルに宿泊してるし。蘭がうんと言ったら、その足で話に行く予定にしていた」
「・・・新一。その手回しの良さ、一体どこで覚えたの?」
「さあな。ま、オレも色々とあるんでね」


   ☆☆☆


「いらっしゃい。待ってたのよ」

新一が蘭を連れて行った所は、トロピカルランド併設ホテルの最上階にあるスイートルームであった。
中に居た、鈴木財閥の会長夫人である鈴木朋子は、鷹揚に2人を出迎えた。

「お、小母様。お久し振りです」
「お久し振り、蘭ちゃん。頑張っているようね」

蘭は、目を伏せた。
鈴木財閥の奨学金を受けているフィギュアスケートは、蘭なりに精一杯頑張っている。
けれど、結果は全く出せていないのであるから。

「あ、あの・・・園子・・・園子さんは?」

蘭は部屋を見回して心細げに尋ねた。
蘭の親友は、この部屋には居なかったのだ。

「あの子は、ここには居ないわ。今日の話は完全に、ビジネスライクなお話なのですもの。そうでしょう、工藤君?」

朋子の言葉に、蘭は驚き、縋りつくように新一を見た。
新一は全く動じる事なく、蘭が見た事のない強い眼差しで鈴木会長夫人を見据えていた。

「お話は、蘭さんのクラブ移籍とペアへの転向の事ね」

蘭は、重ねられた朋子の言葉に度肝を抜いた。
動じる事なく答を返したのは、新一である。

「ハイ」
「あなたは、スピードスケートでは有望だったけど、フィギュアスケートではまだ海のものとも山のものともつかない。蘭さんは、横溝コーチの話では才能がないとは言わないけれど、まだ、国際大会に出られるレベルではない。その2人の組み合わせで、ペアをやろうという事よね。勝算はあるの?」
「蘭・・・毛利さんがこのままシングルフィギュアスケーターを続けるよりは、ずっと」

新一がハッキリとそう言って、蘭は思わず息を呑んだ。

「まあ、ハッキリ言って、蘭さんに奨学金を出した鈴木財閥の立場としては。結果を出して貰う方が、ありがたいのよ。ペアに転向して、それで結果を出せる可能性が高くなるというのであれば、それは構わないわ。でも、クラブ移籍と言うのは?」
「日本ではそもそも、ペアスケーティングのコーチが出来る人が限られています。米花町の阿笠スケートクラブは、オーナー夫人がコーチをやっていますが、彼女は元、ペアのフィギュアスケーターでした。しかもあそこは毛利さんの家からも近く、今のようにスケートリンクに通う時間を無駄にせずに済む。
結果を出せた方が良いのであれば、クラブ移籍を許して頂きたい」
「私も、日本がペアの不毛地帯だという事位は、知っているわ。だからまあ、あなた達2人がレッスンを重ねれば、国内では早くに結果を出せるでしょう。けれど、鈴木財閥の奨学金返還を完全に免除するには、国際大会で入賞圏内まで行って欲しいところだわね」
「・・・その期限は、いつまでに?」
「今年度は、もうシーズンも終わりだから、来年度に向けて頑張って貰って、出来れば国内で結果を出して。再来年度のオリンピックイヤーには、国際大会に出場権を獲得。その2年後までにはグランプリのどれかで、入賞を果たして貰いたいものだわ」
「分かりました。・・・蘭。って事だが、オメー自身はどうだ?この条件で飲めるか?」
「え・・・?」
「奨学金を受けているのも、結果が出せなければ返さなければならねえのも、蘭だから。ペアに転向する事やスケートクラブ移籍、全て蘭自身が納得するのであれば、承諾して欲しい」

朋子と新一との会話を、目を丸くして聞いていた蘭だったが。
新一に話を振られて、蘭自身の事だったのだと、ようやく実感が湧いた。

自分の事なのに、自分を置いてけぼりで話が進んでしまっていたような不安はないでもなかったが。
それでも、オレ様に話を進めていたように見える新一が、「蘭の事だから」と蘭に判断を委ねたのだから。
自分で考えなければならなかった。

けれど、結論はもう決まっていた。
蘭は、新一とペアでやって行く決意をしたのだ。
鈴木財閥が、これから先の奨学金を変わらず貸与してくれるというのであれば、返事はイエス以外なかった。


「精一杯、頑張ります」

蘭はそう言って、頭を下げた。


朋子はにこりと笑った。

その胸に、大きな黒真珠が鈍い光を放っているのに、今更ながらに蘭は気付いた。

「蘭さん。私の胸を飾るこの黒真珠は、ブラックスターと言って、鈴木家の家宝なの」
「・・・はい?」
「実は以前、これが怪盗キッドから狙われた事があってね。その時、キッドから宝石を守ってくれたのが、そこの工藤新一君」
「ええっ!?」

蘭は新一を振り返ってマジマジと見た。

「いやいや。結局、キッドは取り逃がしてしまいましたからね」
「あの怪盗は、いまだかつて、誰も捕まえた者は居ないのですもの。キッドが予告した宝石を盗り損ねたのは、今迄に2度だけ。1度は中森警部が、1度は工藤新一、あなたが。守る事に成功した」
「・・・恐れ入ります」

新一が、探偵になりたい気持ちがある事は、聞いていたが。
既にそのような活躍をしていたとは、驚きであった。

「今夜も、他ならぬ工藤君の頼みだったから、私は時間を割く気になったの。このブラックスターは、鈴木家の守り神。蘭さん、あなたに貸与している奨学金など、このブラックスターに比べたら些細なものだわ」
「え?は、はあ・・・」
「だからね。工藤君に免じて、あなたへの奨学金は、結果を出そうが出すまいが、貸与ではなく給与に変えてしまっても、構わないのよ」
「え!?」

蘭はフルフルと首を横に振った。

「そんな訳には行きません!宝石を守ったのは、新一・・・工藤君で!私は、単に工藤君のペアのパートナーになるだけで!」
「・・・あなただったら、そう言って固辞すると思っていたわ。でもせめて、返還は無期限無利子で構わない、それだけは受けて頂戴?」
「で、でもっ!」
「ああ、でも、そもそも、結果を出しさえすれば、そういった事に遠慮する必要もなくなるのだから。頑張って頂戴ね」
「は、はい・・・」

蘭は、赤くなったり青くなったりしながら、しどろもどろで答えた。
とにかく、今は、全力で頑張るしかないと、蘭は思った。

朋子が、ふっと微笑んで、蘭を手招きする。
蘭がいぶかしみながら近付くと、朋子が蘭の耳に囁いた。

「あなたがもし、いずれ工藤君の身内になれば、本当に奨学金はチャラにするからね」
「え?み、身内?・・・って?」
「例えば、あなたが工藤君の花嫁になるとか」
「えええっ!?そんな事ッ!」

蘭は思わず大声を上げてしまい、慌てて口を押さえた。

「ほほほ、だから結果を出せば、問題はないのだから」

そう言って朋子は笑った。



かなり遅くなったのもあり、蘭は今日のレッスンを取りやめ、新一と共に帰る事になった。
電車に乗って、並んで座る。

「さっき、鈴木会長夫人から何を耳打ちされたんだ?」
「え!?ななな、何もないわよ、何も!!」

蘭は真っ赤になって、手と顔を同時にブンブンと横に振った。


『けけけ結婚!?新一と私が!?そんな事・・・だって、子供の時以来再会したばかりで、私達まだ高校生で・・・!』

蘭は熱くなった頬を押さえる。

「蘭?どうしたんだよ?熱でもあんじゃねえのか、オメー?」

新一が、蘭の前髪を上げて、あろう事か自分の額を蘭の額に押し付けて来たので、蘭は飛び上がらんばかりになる。

「大丈夫だって!た、ただ、色んな事が動き過ぎて、頭がパンクしそうなだけ!」

蘭はそう言って、新一を押しのけた。
本当は、「熱」の原因は分かっていた。
そして、新一の行動で、「熱」が更に上がりそうだったのだ。

「蘭」

新一が、グッと蘭の手を握った。
だから、そういう事はしないで、また顔が赤くなっちゃう、と蘭は心の内で悲鳴を上げる。

「オリンピック。行こうぜ」
「え!?」
「日本国内で結果を出すのは、易しいと思うけど。今の日本の現状で、国際大会は、ペアで出るだけでも厳しいからな。まずは、2年後のオリンピックの『出場』、それを目指そう」
「う、うん・・・」

まるで夢のような話だ、と思いながら、蘭は新一の手を握り返した。
日本はペアの不毛地帯ゆえ、かつては5輪代表選手を出した事もあるが、現在は出場権そのものがないのである。
それを、たった2年、いや、もっと短い期間で引っ繰り返す、それをやろうと言うのだ。
今の蘭にとって、まるでお伽噺のようなものだった。

けれど、新一が言うと、何故か現実味を帯びてくるから不思議だ。

「じゃあ、この先少なくとも2年は、ペアを解消出来ないね」
「・・・ずっと・・・ずうっと、一緒に滑ろうって、指切りしただろ?」
「・・・・・・」


ずっと一緒に滑る、それは幼い頃の2人の約束。
その時は、フィギュアスケートとスピードスケートの区別も知らなかったし。
2人で滑るペアの存在も知らなかった。

ペアをやるという事は、その約束が果たされるという事なのかと、蘭はぼんやりと考えていた。



2人共に、気付いていなかった。
あの約束の本当の意味も、それが果たされるとはどういう事なのかも。

それぞれに、本当の気持とは、大きくずれたところで。
ペアのフィギュアスケートをやるという事が、幼い頃の約束が果たされる事になるのだと、錯覚をしていた。

今の2人は、約束の言葉の表面に呪縛されてしまっていて。
それに気付いていなかったのであった。


   ☆☆☆


蘭は、今迄世話になっていたトロピカルランドスケートクラブに、移籍の挨拶をして。
阿笠スケートクラブにやって来た。


「こんにちは。初めまして」
「おお。君が蘭君か。新一から話は聞いておるぞ。にしても。新一君の好みはこういう子じゃったのか・・・うちの志保とは正反対じゃのう」
「女子シングルス期待の星、クールビューティ阿笠志保さんですね!もう、私なんかが全然敵う訳ないじゃないですか」
「・・・父が言っているのは、そういう事じゃないと思うわ」

蘭は、背後から聞こえたアルトの声に飛び上がった。

「あ、阿笠さん!」
「・・・志保で良いわ。うちはオーナーもコーチも阿笠だからね。そうね、あなたと私って、対照的ね。髪の長さも色も、イメージも、何もかもね」
「あ、あの?」
「父と母は、工藤君と私とでペアをやって欲しいって夢があったらしいの。でも、私はシングルで結果を出しているし、ペアなんて絶対嫌だし。お互いその気は全然なかったわ。でも、工藤君がペアスケートをやろうって気になったのは、意外だったけどね」
「・・・・・・」

蘭の胸に、ふと不安の影がさした。
もしかしたら新一は、志保には丸っきりペア志向がないから諦めていただけだったのではないかと。

それは本当に些細なものだったけれど、この先、新一と蘭のペアに、陰を落として行く事になるのである。



(4)に続く


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銀盤の恋人たち(3)後書き


この話。
書くと何故か、話があらぬ方向へと転がって行く〜。
いや、一応、話の方向性と大筋だけは、押えている筈なのですが。

って事で、2人はペアを結成しました。

この先2人には、色々紆余曲折はありますし、挫折しかけもありますが。
「スポコン漫画」ではないので、成果だけは「有り得ねえ」ペースで上げて行きます。
このお話、コンセプトはあくまで「新蘭ラブコメ」なのです。

でも、このペースで。
最終目標「オリンピック」まで、後何話かかる事やら。わははは〜ん。
あ、オリンピック自体が目標ではありません。
その時に、「2人の約束が果たされる」という事なのです。

今までのろのろ進んで来たこの話、出来れば、春までには完結させたいなあと、思っていたりするのですが。
それより前に、「異聞白鳥の王子」を完結させたいと思っていたりするのですが。
そして、原作ベースの新シリーズを立ち上げようかと目論んでいたりするのですが。

果たして、どうなるのでせうか?



(2)「ペアへの障害」に戻る。  (4)「蘭の弱点」に続く。