銀盤の恋人たち



byドミ



(4)蘭の弱点



「蘭さん、初めまして。宜しくお願いしますね」

蘭達の新しいコーチになる阿笠フサエは、そう言って微笑んだ。

「今シーズンは、もう終わりかけだけれど。次のシーズンには、大会に出られるように調整して行きましょうね」
「あ、あの・・・」
「シングルでやっていた経験がある、と言っても、ペアは難しいけれど。まあ、数ヶ月あるから、頑張れば何とか形は出来るでしょう。たまにシングル兼任の人もいますけど、多分あなた達にその余裕はないと思うから、ペア専任で行きましょうね」
「で、でも・・・しんい・・・工藤君は、一度もシングルで試合に出ないままで、良いのでしょうか?」

蘭の頭の中には、今まで見た新一の演技が浮かんでいた。
新一はシングルでも、頑張ればかなり良いところに行けそうな感じだった。

「新一は、シングルでは試合に出られないんじゃよ」

このスケートリンクとクラブのオーナーである阿笠博士が、苦虫を噛み潰したような顔で、言った。

「え?出られない・・・と言うと?」
「真面目にバッジテストを受けておらんからのう」

その言葉で、全てが分かった。

フィギュアスケートにおいて、権威ある大会に選手として出場する為には、スケート連盟が行うテストに合格し、7級以上(ジュニアでは6級以上)を持っている必要がある。
2級以上のバッジテストは、クラブに所属して選手登録をしていなければ受けられない。

「新一は、一応うちのクラブ員として選手登録してやると言ったんじゃが、それを拒否しておってのう。まだ初級しか持っておらんのじゃよ」
「バッジテストは、飛び越して次の級を受ける事は出来ませんからね。今から真面目に受け続けたとしても、バッジテストそのものの開催も不定期だし、次のシーズンに間に合わない可能性が高いわ」
「その点、ペアは出場に資格制限がないからのう。今からでも選手登録さえすれば、出場は可能じゃよ」

聞けば新一は、幼い頃から阿笠スケートクラブに入り浸り、フィギュアスケートの練習はやっていたものの。
中学時代にそのスケーティングを見込まれてスピードスケートに誘われてからは、そちらの方が主になってしまい、「阿笠スケートクラブに正式登録してフィギュアのバッジテストを受ける」事もなく、今迄来てしまったのだと言う。

「という事で、蘭君、新一のシングルに関しては、心配してやる必要などない。試合に出られないのはヤツの自業自得じゃよ」

新一も蘭も、まだ高校1年の16歳である。
特に男子だと、高校時代にスケートを本格的に始めて一流選手になった者だっている。
だから、これからバッジテストを頑張れば行けるかも、と蘭は思うのだが、新一も阿笠スケートクラブの面々も、そういう事は考えもしていないようだったので、蘭はそれ以上の追求は止める事にした。


「蘭ちゃんは?シングルとペア、両方に出場してみる?」

フサエに問われて、蘭はフルフルと首を横に振った。

「とても、そんな余裕はないです」
「そうね。両立している選手も居る、と言っても、過酷なのは確かだし。国際大会にも通用するペアになるのは、容易な事ではないものね。まあとにかく暫くはペアに専念して、様子を見てみましょう」
「君たちは年齢から言えばジュニアクラスにも出場出来るが、再来期のオリンピックイヤーの事を考えるのであれば、出来れば最初からシニアクラスを考えた方が良いのう」


今は春先、これから夏場に向けて多くのスケートリンクは営業を停止する。
日本のフィギュアスケート選手は、その間基礎体力をつけたりして、シーズンに備えるのが普通だが。

幸い、この阿笠スケートリンクは、通年営業をしていた。
一般客が居ない夜間や早朝の練習が主になる事は変わりないが、蘭の家から歩いてすぐの距離にある事もありがたい。

クラブ移籍に伴い、蘭がトロピカルランドで行っていた「アルバイト」も、なくなっていた。
その分、「奨学金の額」が大きくなっている。


「蘭ちゃんが通っているのは、公立の提無津(ていむづ)高校だったわよね」
「はい・・・」
「ちょっと、遠いわねえ。帝丹高校だったらここから近いし、工藤君とも同じ高校になるから都合が良いんだけれど」
「で、でも!あそこは私立で、わたしにはそんな余裕・・・!」
「でもないぜ。あそこは、編入試験の成績次第では、返済不要の奨学金給与を受けられるから」
「新一・・・」

フサエと蘭の話に、新一が加わった。

「駄目元で、試験だけでも受けてみたら?力及ばなかったら、今迄通り提無津高校に通えば良いんだし」
「そ、そうですね・・・」

色々な事が一度に起きて、ただでさえ目が回りそうであるが。
とにかく、やるだけの事はやってみようと、蘭は思う。

帝丹高校には、蘭の親友園子も居る。
トロピカルランドスケート場に通うには、帝丹も提無津も遠いけれど、まだしも提無津高校からの方が通い易かった事情もあり、家庭の経済事情もあって1度は諦めていた帝丹高校への進学であった。
蘭は、とにかく編入試験を受けるだけでも受けてみようという気になった。


「工藤君の家で、工藤君に教えて貰いながら試験勉強すると良いわ。彼は成績も良いようだし」

フサエがそう言った。

「蘭がそれで良いのなら。そっちのがスケジュール調整もし易いだろうしよ」

蘭が頷き、話が決まりかけたところで、横から口を出した者があった。

「あら。勉強なら私も教えてあげられるわよ。私だって帝丹校の学生なんですからね」

そう言ったのは、阿笠志保である。
志保は、邸丹高校2年に籍を置いていた。

「あ、あの・・・」
「いやいや、ここはやはりペアの信頼関係を築く為にも、新一君が教える方が良いじゃろう」

蘭が、戸惑って声を出しかけると、阿笠博士が人の良い笑顔を見せてそう言った。

「だけど、工藤君は1人暮らしでしょ?良いのかしら」
「え・・・1人暮らしって?」
「彼、両親がアメリカで暮らしてて、今は贅沢にもあの大きな屋敷で1人暮らしなのよ」
「・・・・・・」
「志保、別に心配は要らんじゃろう、新一が蘭君に悪さをするとは思えんし。のう、新一?」
「は?・・・ああ、そういう意味だったのかよ。当たり前だろ、志保、オメー何を考えてんだよ?」
「別に、工藤君を疑っているわけじゃないけど。世間がどう見るかって心配しただけよ。でも、余計な嘴だったようね」

蘭は、もしかしたらこれは志保の嫉妬なのではないかと、少しばかり胸痛む思いだった。

そして、新一の「当たり前だろ」という言葉が、別の意味で蘭の胸を刺す。

『そうよ、当たり前の事じゃないの。新一は別に・・・そういう意味でわたしに興味があるわけじゃないんだもの』



ともあれ蘭は、春休みに実施される帝丹高校の編入試験を受ける事になり、阿笠スケートクラブでの練習と新一の家での勉強を頑張る日々が始まった。
蘭は、国語は得意なので、新一からは数学などの理系科目と英語を中心に教わる事になった。

「で・・・ここがこうなって・・・ここでこの公式を使う」

さすがに新一は頭が良く、教え方も上手だ。
蘭は新一の家の居間で、勉強をしながらボーっと新一に見とれる。

『流石に、将来探偵になりたいって言ってただけあって、頭良いわよね。それに・・・カッコ良くなっちゃって。何だか・・・こうやって一緒に居るの、夢みたい・・・』
「で・・・ん?蘭、どうした?」
「あ、ううん、何でも!ここでこの公式を使うのね」

蘭は慌てて物思いを振り払い、勉強に集中しようとした。
新一は、この屋敷で蘭と2人きりであっても、特にドギマギする様子もなく飄々としているようだ。

新一は蘭に限らず、とにかく「女性」というものに今のところ興味がないようである。
将来新一の心を捉える女性は、どういう相手なのだろうと、蘭は不安になる。


今は、精一杯の事をやって、新一の近くに居たい。
将来、新一に選ばれる女性になれる自信は全くないが、せめて今は、ペアのパートナーとして、学友として、近くに居られれば。
蘭はそう思っていた。



蘭の目から見て、飄々としているように見える新一が。
蘭と密室で2人という状況にかなりドギマギして、ことさらに勉強に集中しようとしていたという事実を、蘭は知らない。


   ☆☆☆


蘭は無事編入試験に優秀な成績で合格し、帝丹高校の奨学生となる事が決まった。
しかも、新2年生のクラス分けでは、新一と園子と同じ、B組に決まった。


元々地域的には同じだから、2年B組の中には蘭と小学中学時代に同じクラスになった者も居て。
新一は密かに「灯台下暗しとはこの事か」と考えていた。

新一自身が私立の小中学に通っていた事もあって、その所為で蘭と同じ学校になる事はなかったのであるが。
住んでいたのがすぐ近くだったのに、会った事がなかったのが不思議だった。

『分かっていたら、中学までは公立に通ったのによ』

新一がそう考えたところで、時を戻せるものではない。

とにかく今は、ペアのパートナーとして、2人の関係を築いて行く事が大切だと、新一は考えていた。


蘭は、顔見知りが居た事もあるが、その人柄もあって、すぐにクラスに溶け込んだようだ。
クラスでは、新一と蘭がフィギュアスケートのパートナーになったという事実を、驚きつつも歓迎して受け入れてくれたようだ。

新一と蘭は、授業が終わるとすぐに肩を並べて下校する。
一旦蘭を自宅に送り届け、蘭が一通りの家事を終えた頃に迎えに行き、2人で阿笠スケートリンクに向かう。

夜遅くまでの練習が終わった後、新一が蘭を自宅まで送って行く。
そして、早朝蘭が新一を迎えに来て(これは、阿笠スケートリンクには工藤邸の方が近い為だ)、リンクに行って早朝練習をした後、2人で登校する。

そのような生活が始まった。



「蘭は、いつも家事をやってるよな」

いつものように、家事が終わった蘭を迎えに来て、2人でスケートリンクへと向かう途中。
新一は用心深く言葉を出した。
薄々だが、蘭の家が母親不在なのは感じていた。

「うん。うちはお母さんが別居しているから」
「別居?」
「うん・・・」
「あ、ごめん、立ち入った事聞いて」
「ううん、良いの。だって、そういった事もペアをやるんだったら知ってた方が良いと思うし。お母さん、私が小さい頃に家を出て行っちゃって。離婚はしていないんだけど、今はお父さんと私と2人暮し」
「そうだったのか・・・」
「お父さんとお母さん、仲が悪い訳じゃないのよ。むしろ逆。仲が良過ぎて、喧嘩が行き過ぎて、それで別居。馬鹿みたいでしょ?」
「でも、蘭は辛かっただろ?」

蘭が目を大きく見開き、新一をまじまじと見詰めて来た。
新一は、拙い事を言っただろうかと内心焦る。

「うん、辛かったよ・・・今でこそ、お父さんとお母さんの事、理解も出来て、しょうがないなあって思えるけど。幼い私には、とっても辛かったよ・・・」

そう言って目を伏せる蘭の顔に、新一は初めて蘭と出会った日の光景を思い出していた。
蘭の寂しそうな瞳には、そういう裏事情があったのかと、新一は胸痛む思いで考えていた。

「長野にはね。お母さんの実家があったの」
「そっか。オレも、母親の実家が長野なんだ」
「藤峰有希子さん?」
「・・・知ってたのか」
「うん、大好きな女優さんだし。でも、新一のお母さんだったって知ったのは、割と最近の事だけど」
「いくら有名だったとは言っても、母さん、とっくに女優引退してんのに、よく知ってたなあ」
「結構、リバイバルでやるじゃない、映画もドラマも。まあ、あんまり見る暇もないんだけどね。子供の時、長野のお母さんの実家で、テレビを見てたら丁度『長野出身の有名人特集』でやってたの、『危ない婦警物語』。新一と初めて会った時、似てるって思ったの。似てたのも道理よね。親子なんだもの」
「そっか・・・」
「でもね、小学校3年の夏、お爺ちゃんが亡くなって。お婆ちゃんは東京の伯父さん宅に引き取られて」

だから、蘭が長野を訪れる事もなくなったのかと、新一は得心が行った。

「新一は?」
「へっ?」
「推理作家の工藤優作さんと、元女優の藤峰有希子さんは、今でもアツアツのオシドリ夫婦だって話だけど。アメリカにお住まいで、新一1人日本に残ってるなんて、知らなかったわ」
「ああ・・・両親は昔も今も、まあその・・・アツアツで。母さんも、オレを1人日本に残してでも、父さんの傍に居たいらしいから」
「新一・・・寂しい?」
「まさか!親子関係は上手く行ってると思うけど、もう、この歳だしよ。それに、アメリカに連れて行こうとした両親に逆らって、日本に残るのを決めたのはオレだし」
「・・・スケートやるにも、探偵になるにも、アメリカの方が良かったんじゃない?新一、英語には不自由しなさそうだし。何で日本に残った訳?」
「や、そ、それは・・・」

新一が日本に残ったのは。
蘭が日本に居ると思っていたから。
蘭を探していたから。


それは、今の新一には、とても告げる事が出来ない事実であった。

「オレはあくまで日本人で。日本の大会に出ようと思うのなら、日本に居た方が都合が良いからさ」

新一は辛うじてそう言って、誤魔化した。


   ☆☆☆


季節は移り変わり。
帝丹高校は夏休みに入ったが、新一と蘭は、基礎体力作りや、フィギュアの動きを研究する為のバレエレッスンが加わっただけで、スケート三昧で忙しい日々に変わりはなかった。

基本スケーティングの練習に加え、ペアの技も練習が積み重ねられる。

「ほう。ワシはスケートに関してはよく分からんのじゃが、結構うまいとこやってるように見えるのう」
「・・・まだまだ、だけど。ペア結成して間もないにしては、結構行けてるんじゃないかしら?」

阿笠博士と志保が、新一と蘭の技を見ながら、そう論評していた。

「そうね、頑張っているけれど。ちょっと気になる事があるのよね」

フサエが、2人を見守りながら、そう言った。


2人は今、スロウジャンプ(男性が女性を放り投げ、女性が回転ジャンプをして着氷する技)に取り組んでいた。

「あっ!」

蘭の着地が乱れる。
先ほどから、何度も挑戦し、たかだかダブルのスロウジャンプなのに、一度も成功していない。

「やはり体格差が小さいから、新一君の投げ出す力が足りないのかのう」
「いえ、そうでもないみたいよ。飛距離と高さはそれなりに充分。なのに、蘭さんの着氷が乱れてしまっているの」
「ふむう。難しいものなんじゃのう」
「けど、何だかアンバランスね。普通だったらかなり難度が高いとされるリフトやデススパイラルが、結構上手くこなせているのに。スロウジャンプで上手く行かないなんて」

志保が首をかしげ。
フサエが気遣わしげに2人の姿を見守っていた。


   ☆☆☆


休憩時間に、蘭はフサエに呼ばれて、事務室まで行った。

「蘭ちゃん、ちょっと2人だけで話したい事があるのだけれど」
「はい?」

蘭は、ソファーに腰掛けて、フサエの言葉を待った。

「蘭ちゃんは、工藤君の事が、男性として好き?」
「え・・・?そんな!」

蘭は思わず否定しようとして、言葉が詰まり、項垂れた。
頬が火照ってどうしようもない。


ずっと、新一が好きだった。
初恋の相手だった。

新一に再会してからというもの、新一への想いは、「子供の頃の淡い想い」ではなくなり、更に確固たるものになってしまったと、自分でも思う。


「私は、別にそれをどうこう言う積りはないの。ペアをやる2人は、息が合ってないと出来ないから。どうしたって、私生活でも親しい恋人や夫婦といった関係が多くなるのは、当たり前の事。
私は、あなたの気持ちをきちんと把握しておきたいだけ。あなた達は恋人同士ではないけれど、蘭ちゃんは工藤君の事が好きなのでしょう?」

蘭はコクリと頷いた。
今更フサエには隠しようがないと思った。


「蘭ちゃん、工藤君とは以前どこかで出会った事があるの?」
「え?どうしてですか?」
「最初から、お互いに名前を呼び捨てていたから。出会って間もない2人が、恋人同士でもないのに、お互いに名前を呼び捨てなんて、考えられないからね」


蘭は大きく息をついた。
この先、フサエとはコーチと教え子として、長く付き合って行くかも知れない相手だ。
色々な事を、正直に話した方が良いのかも知れないと思い、腹を決める。


「新一と初めて会ったのは、長野です。まだ、2人とも子供で・・・」

蘭は、新一との出会いを、フサエに語った。
「ずっと一緒に滑ろう」と新一と約束した事が、その後の蘭の支えになっていた事までは、流石に話せなかったけれど。


「そう。蘭ちゃんにとっては・・・工藤君はいつでも蘭ちゃんを受け止めて助けてくれる、氷上のナイトだったのね・・・」

フサエの言葉に、蘭はハッと顔を上げる。

蘭自身、今迄意識していなかったけれども。
蘭が転びそうになった時に新一が受け止めて助けてくれた、あの時から。
新一はいつでも、蘭を受け止めて助けてくれるナイトだったのだ。


「何となく、分かったわ。蘭ちゃんが、リフトやデススパイラルでは、失敗を恐れずのびのびと良い演技を見せるのに、スロウジャンプだと途端に硬くなる訳が」
「え・・・?」
「蘭ちゃんは工藤君を心の底から信頼していて、何があっても絶対に受け止めて助けてくれるって信じているの。でも。スロウジャンプは、男子選手が女子選手を放り投げ突き放す技。だから、不安なんでしょう?」
「・・・・・・」

そうかも知れないと、蘭は思う。
新一に支えられている間は、すごく安心出来るのに。
その手が離れた途端に、不安になる。

「難しい問題ね。気持ちを切り替えろって言っても、簡単には行かないでしょうし。・・・それにしても、蘭ちゃんのスケートには、最初から工藤君への恋心があったのね。道理で、シングルで花開かない筈だわ」

フサエの言葉に蘭は真っ赤になった。

「あの!この事、新一には!」
「勿論、2人だけの内緒の話よ。約束するわ」
「きっと・・・新一に知られてしまったら、迷惑になるって思うんです・・・」
「そんな事は、ないと思うけれど。でも、恋愛には第3者が下手に介入しない方が良いから。あなた達のそういった面は、2人次第という事で、私は口を出さないわ」
「はい・・・」

「それにしても、困ったわねえ。私は、スケートと恋愛が全く異なる次元の事だったから、そういった意味では適切なアドヴァイスを考え付かないわ。私のペアの相手は弟だったし、博士さんは全くスケートが出来ない人だから」
「・・・・・・」
「幼い頃の初恋ってね。馬鹿にしたもんでもないわよ。私、博士さんとは小学生の頃の初恋同士でね。やっぱり幼い頃に別れて、再会したのは30を過ぎてからよ」
「え!?そ、そうだったんですか?」
「そうねえ、私が弟とペアでフィギュアスケートをやっている間、他の男性と組む事を全く考えなかったのは、心の中に博士さんが居たからだと思うわ。友人同士でペアを組む人達だって居るけれど。恋する相手でも肉親でもない人とペアをやるのって、考えにくい人が多いだろうし、私にも無理ね」
「はい・・・私、新一以外の人だったら、絶対ペアの誘いは断ってました」
「まあ、精神的なものが原因の弱点は、少しずつ克服して行きましょう。蘭ちゃん、あなたは、真面目に練習も積み重ねて来ているし、技術力はかなり高いの。けれど、精神的に萎縮して実力を充分に発揮出来ない。その原因が工藤君への恋心にあるのなら・・・それを無くせとは言わないけど、発想の転換がうまく出来れば良いわね」

蘭は頷いたが。
今のところ、これといった妙案は、蘭にもフサエにも思いつかなかった。


   ☆☆☆


蘭がフサエとの話を終え、リンクに戻ると。
新一が難しい顔をしてリンクに立っていた。

「話は終わったのか?」
「うん」

新一は、話の内容に関して追及はしなかった。
蘭だけが呼ばれたという事で、蘭とフサエ2人だけの話と了承したようである。

「・・・ごめんね、新一」
「何が?」
「わたし、新一の足引っ張ってるよね」
「・・・あのさ。何もかも、最初から上手く行く筈ねえんだからよ。後ろ向きになるなっても、蘭には難しいんだろうけど。『足引っ張ってる』って考えるのは、出来れば止めにして欲しいな」
「うん。ごめん」
「だから、謝るなって」
「うん・・・」

新一は、蘭の演技が上手く行かなくても、決してそれを詰る事はないし。
むしろ、心配してくれる。

蘭はそれが嬉しくも心苦しかった。


「新一。もう少し、スロウジャンプの練習をやってみたい」
「・・・そうだな。でも、今日上手く行かなくても、あんま気に病むなよ。気にすると余計萎縮しちまうから」

新一は、その原因までは分かっていないようだけれど。
蘭の演技が上手く行かないのは、精神的なものが原因である事には気付いていたようだ。


『私は、新一が好き。この気持ちは止められないし、止める積りもない。でも、新一の手が離れた途端に不安になって演技に影響が出るようじゃ、本当にどうしようもないわよね。何とかしなきゃ』

蘭は元々シングルでトリプルを跳べるのであるから、スロウジャンプで跳べない筈がない。
とにかく、頑張って練習すれば、光明が見つかるかも知れない。

けれど、簡単に気持ちに整理がつくものではなく、蘭はやはり着地に失敗して転倒した。
その瞬間。

『新一!?』

蘭は、新一が真っ直ぐに自分を見詰める眼差しに気付いた。
深い色の蒼い瞳が、蘭を見詰めている。


「蘭!大丈夫か!?」
「うん、大丈夫。・・・新一、もう1回お願い」
「けど・・・」
「何か、掴めた様な気がしたの。だから」
「わーった」


2人は再びスロウジャンプに挑戦した。
新一が蘭を高く遠く放り投げる。

蘭は、新一の手が離れた瞬間、今迄だったら心細く頼りない心持になっていたのだが。
今は、違った。

新一の手が離れても、いつも、蘭は新一の眼差しに守られている。
その想いを胸に、蘭は跳んだ。



蘭が綺麗に着氷を決めた瞬間、見守っていた面々が拍手を送った。
フサエも、微笑んで大きく頷いた。



その日から、蘭の演技は目を見張るほどに変わって行ったのである。




(5)に続く


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銀盤の恋人たち(4)後書き

実は、バッジテストの件は、この話を考えた最初から、入れる積りでした。
アイスダンスではシングルとは別のテストがあり、大会に出る為には最低でも選手の片方がそれに合格していなければならないようですが、ペアにはそういった制限が一切ありません。

川原泉さんの「銀のロマンティック・・・わはは」でも、フィギュア経験のない主役2人がいきなり大会に出ますが、ペアであればそういう事も可能な訳ですよ。

さて、この2人、全日本ではいきなり良いとこまで行きます。何故なら日本はペアの不毛地帯だからです。
でも、国際大会で良い成績をいきなり取るのは石を投げられそうなので、初年度は我慢して頂きましょう。やはり「良い成績を残すのはオリンピック」、がお約束ですから。

次回辺りで、国内の大会に参加する際に、蘭ちゃん達は志保ちゃん以外のシングル選手と知り合い、お友達になります。
女子シングルは、世代交代の時期で、オリンピックに出場する女子シングル3選手は、あの人とこの人とその人と、もう決めてあります(笑)。
志保さんが「クールビューティ」(これ、荒川静香選手と重なっちゃったんですが、開き直って決めました)、青子ちゃんが「スノウフェアリー」、もう1人の方は「スノウレオパード」と、呼び名も既に考えています。
スノウレオパードとは「雪豹」ですが、元は「やっぱり大○と言えば、タイガース。でも、女の子にタイガーはあんまりか?」とこねくり回している内に、同じ猫科の「豹」に落ち着いたのです。そこら辺から「誰の事か」は類推していただけるかなと。


(3)「呪縛」に戻る。  (5)「全日本選手権開幕」に続く。