銀盤の恋人たち



byドミ



(5)全日本選手権開幕



「全国のお茶の間の皆さん、こんにちは。いよいよ、全日本フィギュアスケート選手権が始まります。今回の会場は、長野県松本市。司会は私、高木渉と・・・」
「佐藤美和子の2人で、お送りします」

松本市のアイススケート場で。
長身で気弱げな雰囲気の男性と、颯爽とした短髪の美女が、放送席に座っていた。
2人は、国営放送JHK(ジャパン放送協会)のアナウンサーである。
高木渉は新人で、佐藤美和子は渉の先輩であった。

そして、眼鏡をかけた、やはり長身で優しげな風貌の男性が、その2人に並んで腰掛けている。

「今日は、ゲストの解説者として、前回オリンピック時に日本代表選手だった新出智明さんにおいで頂きました。新出さん、今はお医者様としてお忙しい中を、ご足労頂ありがとうございます」
「こちらこそ、宜しくお願いします」

新出智明は、全日本代表男子シングルフィギュアスケーターとして、活躍していた。
オリンピックでは残念ながらメダルを逃したものの、世界選手権で表彰台に登った事もある。

その彼が、惜しまれながらも選手を引退したのは、大学を卒業し、医師となったからであった。
医大生だった頃も、忙しい中睡眠時間を削って選手活動を続けたが、卒業して研修医となると、患者に責任を持つ為にも他の事をやる余裕はなくなり、選手活動を引退したのである。

2年間の研修医時代を終え、父親の診療所を手伝う身となった今は、忙しい中でも何とか、解説者としての時間を作る事が可能となった。


アナウンサーは、高木佐藤の2人だが、佐藤アナウンサーの方が先輩なので、彼女の方がメインで進行して行く。

「新出さん、今回の見所は、どういったところでしょう?」
「そうですねえ。毎度の事ですが、女子選手には次々と素晴らしい選手が出ていまして、本当に楽しみですね。今季グランプリシリーズでは、残念ながらファイナルのメダルに手が届いた選手がおりませんでしたが、実力は粒揃い。昨年の全日本覇者・内田麻美選手も、うかうかとしていられないですよ」
「ええ、そうですねえ、実力伯仲で楽しみです。今年も、今迄の活躍のお陰で、世界選手権の出場枠が、女子は3人あります。再来年のオリンピックと世界選手権の出場枠にも関係して来ますから、次の世界選手権でも是非とも活躍して欲しいところですよね」
「そして今回特筆すべきは、長年日本では不毛地帯だった、ペアの出場が2組もある事です。それぞれ、地方大会では結構高得点を挙げていましたから、かなり期待出来ると思いますよ」

そこで、高木アナウンサーが、新生ペアの男子選手・工藤新一の説明を入れる。

「東日本代表ペアの男子選手は、昨年スピードスケート全日本で惜しくもメダルを逃し、引退してしまった工藤選手です。あの引退騒動には驚きましたが、彼が元々やりたかったのは、フィギュアスケートのペアだったそうですね」
「ええ。彼のような負けん気の強いタイプが、フィギュアスケートに転向はともかくも、シングルではなくペアを目指すとは、私にも意外な事でした。でも、ペアが少ない日本ですから、是非とも頑張っていただきたいですね」

佐藤アナウンサーが、資料に目を落としながら、言った。

「工藤選手は身長174cm、ペアの女子・毛利選手は身長160cm、この体格差だと、むしろアイスダンス向きではないかという声も、あるようですが?」
「確かにペアの場合は、男子選手が女性選手を支えたり放り投げたりする大技が多い為、男女の体格差がある方が良いとされてますがね。工藤毛利選手位の体格差なら、技術力で充分カバーが可能だと考えます。
事実、東京大会と東日本大会では、男子選手の力技ともいえる、スロウジャンプ(男子選手が女子選手を前方に投げ、女子選手がジャンプして着氷する技)や、ツイスト(男子選手が女子選手を上方に投げ、回転して降りて来る女子選手を受け止める技)での得点が、大きかったようですよ。
まあまずは、2人の演技を見てからの事ですね」

高木アナウンサーが、真面目くさった顔で告げた。

「さて、注目の女子シングルの試合が始まります。前期までの全日本の女王・内田麻美選手。昨年世界選手権に出場の、それを追う阿笠志保選手、遠山和葉選手。今季のジュニア大会を制した中森青子選手。他にも実力派選手が数多く、誰が今大会を制しても不思議はありません、混戦必至です」

そして、試合は始まった。


   ☆☆☆


時間は少しさかのぼり、その日の朝。
国営放送であるJHK(ジャパン放送協会)のアナウンス席から隔たった、選手控え室にて。

蘭は新一と共に松本入りし、女子選手の控え室に1人、緊張した面持ちで腰掛けていた。
今迄は、単に出場して点数をつけて貰っただけ、今回が初めての「対抗者が居る試合」となるのである。

シングルペアを通して、公式試合出場が初めてとなる蘭は、大きく緊張していた。


「毛利さん、こんにちは」

蘭に声をかけてきたのは、蘭とよく似た面差しの少女・スノウフェアリーこと中森青子。
青子は、東京大会・関東大会では、ジュニアで出場していた。
今回の全日本では、ジュニア全日本の覇者という資格での出場である。

蘭は、東京大会・関東大会で、青子の姿は見ていたけれど、まだ言葉を交わした事はなかった。

「こんにちは。中森さん?」
「うん!ずっと、毛利さんとはお話したいって思ってたんだ〜、ペアの毛利選手は青子に似てる似てるって、かなり言われてたし」
「そうね。私も、そう聞いた事があるわ。確かに、似てるって気がするわね、まるで姉妹みたいに」
「同い年だけど、毛利さんの方が大人っぽいから、毛利さんがお姉さんだね。ナイスバディだし。青子なんて、胸がなくって」

屈託なく笑う青子に、蘭は昔からの知り合いのような親しみを感じる。

「えっと・・・選手としてはあなたが先輩格なんだけど、・・・青子ちゃんって呼んでも、良いかな?」
「そんな、先輩格なんて!青子ちゃんと呼んでもらえるなんて、とっても嬉しい。ねえ、青子も、蘭ちゃんって呼んで良い?」
「うん、勿論よ。宜しくね、青子ちゃん!」

「それにしても。ペアか〜、すごいなあ」
「別に、すごいって事は・・・青子ちゃん、ペアをやりたいとか思う事があるの?」
「ううん。だって、快斗はスケート滑れないし・・・」
「え?快斗・・・君って、青子ちゃんの彼氏?」
「ええっ!??か、彼氏なんかじゃ!ただの幼馴染だよ!」

真っ赤になって言う青子の様子に、その「快斗」とやらは、青子が好きな相手なのだろうと予想がついた。

「蘭ちゃんは?工藤君とは恋人同士なの?」
「えええ!?違うよ!」

今度は蘭が真っ赤になって、フルフルと首を横に振った。

「何だ、違うの?青子だったら、好きな人じゃなきゃ、男の人から手取り足取り腰取りされるのって、やだなあ」
「わ、わたしだって・・・!あ・・・」

蘭は墓穴を掘った事に気付いて口ごもる。

「・・・片想いなの・・・」

蘭は小さな声で言った。

「告白してみたら?」
「とんでもない!それで、今のパートナーとしての信頼関係が崩れてしまうのって、いやだもの!せっかく新一が、わたしを見込んでくれたって言うのに」
「・・・そうね。青子にも分かる気がする。告白して、今までの関係が崩れてしまったらって思うと、怖くて進めないよね」
「青子ちゃんも、その快斗君って人の事・・・」
「青子と快斗は、幼馴染なの。ずっと傍にいて、居心地が良くて。快斗に恋人が出来るのは、きっと辛いけど・・・でも、下手な事言っちゃって、今の関係が壊れてしまうのも、怖いの・・・」


恋をすると、強くなるけれど、臆病にもなる。
蘭は、自分と似た面差しの少女に、色々な意味で親近感を覚えていた。


「よ、青子!」
「なっ・・・ば快斗っ!ここ、女子選手控え室よ、何でアンタがこんなとこにいるのよ〜っ!!」

突然その場に現れた少年に、蘭は心底驚いてしまった。

青子が「バカイト」と呼んでいるのだから、この少年が青子の幼馴染の「快斗」であろうと見当がついた。
そして快斗は、蘭と青子以上に、新一と面差しがそっくりだったのである。


顔と声、それに背格好はそっくりだ。
ただ、まとう雰囲気は全く異なっており、そうと知って蘭が見間違う事はなかろうと思ったが。
快斗の事を知らない状態でなら、ちょっと見には見違えてしまったかも知れない。


「へえ?君が今度ペアをやるという、毛利蘭さん?とても青子と同い年には見えないな、キュートで落ち着いて大人っぽくてナイスバディで」

蘭は、むっとして、挨拶もせずにつんと顔を背けた。
こんな言い方、快斗を憎からず思っている青子がどんな思いをするか、分かっているのだろうかと腹が立ってしまったのだ。


「何よ〜、蘭ちゃんは、バ快斗なんかには手の届かない、高嶺の花なんですからね〜!もう、ちゃ〜んとイイ人が・・・」

青子が快斗に向かって舌を出してそう言う。
蘭は慌てて青子の口を塞いだ。

「蘭ちゃん?」
「あ、青子ちゃん、だから新一は、わたしのイイ人なんかじゃなくって・・・」
「んもう、蘭ちゃん、そこは方便よ!快斗の毒牙にかかりたくなかったらね!」

青子が、快斗の発言に特に傷付いた風もなく、言う事の数々が、蘭の発想を超えるもので。
蘭は目が回りそうになった。


「バ快斗!早く出て行かないと、こうよ!」

青子の手にはいつの間にかモップが握られていて。
軽やかな動きで青子はそのモップを振って快斗を追い回し。

「おおっと」

快斗も負けじと軽やかな動きでモップをひょいひょいとかわしていた。

「それじゃ、蘭ちゃん、またな〜」

やがて快斗は、重力を感じさせない身の軽さで、女子選手控え室を出て行った。
青子が大きく肩で息をする。


「あ、あの・・・試合前に、大丈夫?」
「あ、へーき。いつもの事だから」

にこっと笑った青子の姿に。
そうか、これがいつもの2人のコミュニケーションなのかと、蘭は少し得心が行った。


「蘭ちゃん、ごめんねえ、快斗ったらいっつもあんな風で」

青子が謝る事ではないのに、そう言う事自体が。
2人の「夫婦のような」関係を表しているのだが、青子にはきっと自覚はないのだろう。

「何か・・・快斗君?って、青子ちゃんには気を許しているから、あんな憎まれ口きくんだね・・・」
「そう・・・かな・・・そうだったら良いなって・・・思ってるけど・・・」

青子が少し沈んだ声で言った。

「青子ちゃん?やっぱり、傷付いているの?」
「・・・青子が子供っぽいのも、胸がないのも、本当の事だから、仕方ないけど・・・」

青子の目に、うっすらと涙が浮かぶ。

「青子ちゃん。何かあの人って、結構女性に歯の浮くような言葉を言うみたいだけど、それ、気持ちがないから、言えるんだって気がする」
「蘭ちゃん・・・ありがとう・・・慰めてくれて・・・」
「慰めじゃないよ。青子ちゃんの事は、大切な存在だから、軽々しい事言えないんだと思うよ」
「うん・・・そうだったら嬉しいけど・・・でも、青子、こんなペチャパイでお子様体形だし」

蘭は、青子の気も知らずにと、快斗に対してまた、むかっ腹が立って来た。

「青子ちゃんの好きな人を悪く言ってあれだけど。
わたし、あんな風に平然とキュートだのナイスバディだのセクハラ紛いの事言うような男の人って苦手。顔は新一と似てるけど、全然違う」
「え?工藤選手って、快斗と似てるの?前の大会では、遠めにしか見てないから、気付かなかった」

青子が目を見開いて言った。
そう、快斗と新一は、まとう雰囲気が違う為に、造りはそっくりだが、遠目には似ているように見えないのだ。

「うん。顔と声と・・・背格好まで、よく似てる」
「へええ・・・そうなんだあ。不思議だね、青子と蘭ちゃんがこんなに似てるのに、好きな相手同士もそっくりなんて」


蘭は頷き、不思議な縁を感じたのである。


「それにしても・・・えっと・・・快斗・・・くん?」
「黒羽快斗よ」
「じゃ、黒羽君。彼って、すっごく運動神経ありそうだったけど、スケート滑れないって?」
「うん・・・スポーツ万能で、スキーだって大得意で、モーグルスキーの選手の癖に、何故かそれが氷の上だと、てんで駄目。スケート靴で立っている事すら出来ないの」
「それはまた・・・不思議な話ねえ」
「でしょ?江古田七不思議のひとつに数えられてる位よ」
「そうなのかあ」
「だからね、青子、最初から、ペアをやろうって積りはないんだ。快斗とじゃなきゃ、ペアの意味ないんだもん」


そう言ってにこりと笑った青子は。
決して子供っぽくなんかなく、既に愛を知っている女性の美しい笑顔だと、蘭は思った。


「こんちは、青子ちゃん。アンタは毛利さん?初めましてやな」
「和葉ちゃん!」
「遠山さん!?」

続いて控え室に現れたのは、大阪の遠山和葉選手だった。
蘭が直接顔を合わせるのは、初めてであるが、テレビなどで顔は知っていた。
釣り目勝ちの大きな瞳が愛らしい、ポニーテールのキュートな少女である。

和葉は昨年までジュニアで活躍していたので、青子とは顔見知りだ。
野辺山(*日本スケート連盟が、将来有望な歳若い選手を集めて行う強化合宿)でも、顔を合わせていた仲なのだろう。

「アタシは、大阪の遠山和葉。ま、これから会う事も多々あるやろ。宜しゅうな」
「よ、宜しく、遠山さん」

和葉が差し出した手を、蘭がおずおずと握ると、和葉がニッコリ笑った。

「そないきばらんかて、アタシ達おない年やで。何やアタシ、アンタの事気に入ってもうたわ。なあ、蘭ちゃんって呼んでもええ?」
「うん!嬉しい。わたしも和葉ちゃんって呼んでも良い?」
「勿論や!」

そこに和やかな空気が生まれて来る。

控え室には段々他の女子選手も訪れ始めたが、3人は固まってノリよく会話が続いていた。
蘭が前居たクラブの先輩である内田麻美も、控え室に顔を出したが、蘭達の会釈につんと顔を背けて、音楽を聴いていた。

「内田さん・・・相変わらず感じ悪いなあ。アタシらが声かけても、関係あらへんって顔して」
「別に、そんなんじゃなくって、試合前だから、集中したいんだと思うな」
「青子ちゃん、甘いで。普通、挨拶位はするもんやろ」

蘭は、尊敬する先輩の態度に、寂しくなる。
けれど、試合に集中しようとしているのだろうと、思う事にした。
和葉が改めてしげしげと蘭を見て、言った。

「話には聞いとったけど、ホンマ、蘭ちゃんって青子ちゃんに、よう似てるんやねえ」
「あのねあのね、工藤新一選手は快斗に良く似てるんだって♪」
「は?青子ちゃんの恋人の?」
「ち、違うもん、快斗は青子の恋人じゃないもん!ただの幼馴染だもん!それに、それに、それを言うなら和葉ちゃんだって!」
「え?和葉ちゃんも恋人が?」
「ちゃ、ちゃう!へ、平次はただの腐れ縁や!アタシは平次のお姉さん役なんや!」
「蘭ちゃん、あのね、和葉ちゃんの恋人は服部平次君っていうの」
「ええ!?あの、スピードスケートの!?」
「こ、恋人ちゃうって!へ?蘭ちゃん、平次の事、知ってるん?」
「そりゃ・・・新一のスピードスケート時代のライバルだったし・・・」
「へ!?蘭ちゃん、そん頃から工藤君を知ってたん?」
「あ・・・そ・・・その・・・だって・・・知ってたから・・・新一の事・・・」
「蘭ちゃん?」

蘭は頬を赤く染め、俯いて語りだした。


「わたしが小さい頃、それまで仲の良かったお父さんとお母さんが、些細な事がきっかけで毎日喧嘩するようになって、離婚話も持ち上がっていたの。冬休み、長野の、母方の祖父母の家に来てたわたしは、毎日不安で不安で。
近くの小さな湖に、スケート靴を着けて遊びに行っても、滑れないし、地元の子達も良く知らないし。

そんな時、新一に声をかけられたの。毎日毎日、新一にスケートを教えて貰って、寂しさなんかすっかり忘れてて。その時、ずっと2人で一緒に滑ろうって約束して。

次の年も、長野で一緒に滑ったわ。
でもね、その次の年は、長野のお爺ちゃんが亡くなって、お婆ちゃんも東京の伯父さん宅に引き取られたから、長野のあの湖に行く事はなくなったの。

だから、わたし・・・ずっとスケートを続けていれば、新一に会えるかもって思ってたの。
スピードスケート選手としての新一を見つけた時は、驚いたけど、嬉しかった。新一もずっと、スケート続けてたんだって思って。

新一の引退記事には驚いて胸痛めたんだけど、そのすぐ後、友達のはからいで再会して。
新一がわたしの事もわたしとの約束も覚えていてくれて。新一に、本当はペアのフィギュアスケートやりたかったって、ペアのパートナーを申し込まれて。

わたしには、身に余る申し出だって思ったけど、でも、でも、頑張ろうって・・・」


和葉と青子は息を呑んで口をつぐんだ。
蘭が口に出さなくても、幼い頃に会った切りの新一への想いをずっと抱えていた事を感じ取ったからだ。

2人ともそれぞれに心の中でひっそりと、想い人とずっと傍にいる事が出来たのは幸せだったと思う。
この先、いつまで傍に居られるかは分からないにしても。


「こんにちは・・・皆様、お揃いのようね」
「阿笠さん」
「志保さん!」

少し遅れて登場したのは、蘭と同じ阿笠スケートクラブに所属する、阿笠志保である。


「志保さん、蘭ちゃんとはおんなじクラブやのに。一緒に来いへんかったん?」

和葉の問いに、志保は目を細めて答えた。

「仕方ないでしょう?工藤君が、蘭さんと2人で行くって言って聞かないから」
「ええっ!?」

蘭が思わず声を上げる。

「何でそんなに驚いた声を上げるのよ?」
「だ、だって・・・新一はその・・・志保さん達が親子水入らずで来るからって・・・」
「・・・誰もそんな事、言ってないんだけど。工藤君は、ペアとしての信頼関係を作りたいから、2人きりで行かせてくれって言ってたわよ?」

蘭は赤くなり、青子と和葉は、意味ありげに目を見合わせた。

「蘭ちゃん、工藤君と相思相愛ちゃうん?」
「青子も、そんな気がする〜」
「ふ、2人とも、変な事言わないで!新一はただ、まだわたし達の演技がぎごちないから、ペアとしての信頼関係を築く為に!」
「・・・別にそんなんで、2人切りで来る必要あらへんやん」

「あら?蘭さんって、工藤君の事、好きなの?」

志保に問われて、蘭は真っ赤になった。

「ち、違う、そんなんじゃなくって!単に、ペアだと恋人同士が多いって、和葉ちゃんと青子ちゃんがからかっただけで!」

青子と和葉は、目を丸くしたが、蘭が必死でお願いする目をして2人を見たので、黙っていた。

蘭は、自分でも何故なのか、よく分かっていなかったけれど。
何となく、志保には自分の気持ちを知られたくなかったのである。


「けど、毛利さんがペア一本で出るいうんは、正直ホッとしたで。これ以上ライバルが増えたら敵わんからなあ」

和葉が、いたずらっぽく笑いながら、話題を変えた。

「そ、そんな事!わたしは今まで、シングル歴は長いのに、全く結果を出せてないし」
「それは、試合に出てへんからやろ?東日本大会のビデオ、知り合いに調達してもろうて、見たんやけど。実力はかなりあると思うたで」
「それは、私も不思議に思っていたわ。横溝コーチと合わなかった訳でもなさそうだし。あのクラブには内田さんが居たから、目立たなかったのかもね」
「青子も直に蘭ちゃんの演技を見て、実力はあるって感じたなあ。蘭ちゃんがシングル続けてたら、脅威だったかも。でも、両立は難しいから、ペアに専念する事にしたんだよね?」

「うん、そうね・・・ペアをやろうって思ったのは、新一に申し込まれたからだけど・・・」

蘭としては、シングルに向いていないのではないかと言われた事もあり、それもそうかと頷けるものがあったから。
そう、自分では思っていたのだが。

青子や和葉と会話している間に、何となく、違和感を覚える。
それは、志保に対して覚えるのと似た感覚で。
何だか大切な事を忘れていそうで、蘭はもどかしく思う。

けれどそれが何か、今の蘭には分からなかったのである。


   ☆☆☆


そして、女子シングルのショートプログラムが始まった。
蘭は、控え室でモニター観戦していた。

「さあ!昨年の全日本女王、内田麻美選手の登場です。
世界選手権では惜しくもメダルを逃しました。今季は、グランプリシリーズではJHK杯で銀メダルを獲得したものの、残念ながらファイナル出場には至りませんでした。調子は決して悪くないとの事ですが・・・始まります、曲は『アヴェ・マリア』」

「最初のジャンプ!ん〜、これはトリプルルッツですか?」
「本来、トリプルルッツダブルループをここで入れる筈でしたが、コンビネーションになりませんでしたね」
「次は、スピン・・・ん〜、ポーズは完璧ですが、回転にいつものスピードがありません」

麻美の演技は優雅ではあるが、やや迫力と精彩に欠けているようだった。
まだ18歳の彼女は、これからオリンピックも狙えるし、まだまだこれからだと、誰しもが思っていたのであるが。
この先に起こる女王交代劇を、一体誰が予測しただろう?

「トリプルサルコウダブルループのコンビネーション!今度は綺麗に決まりました!」
「女性らしい優雅な動き、指先まで神経が行き届いた芸術的演技、素晴らしいですね」
「ええ・・・ですが、気の所為か迫力に欠けるような・・・」
「グランプリ遠征での疲れが影響しているのでしょうか?大きなミスは見当たらないが、ややいつもより精彩にかけるか?内田選手、今、演技を終えました!」

「内田麻美選手、ショートプログラムの得点、出ます!技術点・構成点・・・場内から溜め息が漏れます。いつもの彼女から比べれば、点数が伸び悩んでいますかねえ?」
「そうですねえ。でも、今日の調子から言えば、妥当なところでしょう」
「今のところ、内田選手がトップ。ただこの後、実力派選手が続きますので、予断は禁物です」


「さて、昨年の全日本2位、クールビューティ阿笠志保選手の登場です!阿笠選手は、世界選手権でも10位につけました、今季グランプリシリーズでも、メダルには届きませんでしたが、良い結果を残しています。この先が非常に楽しみな選手です」
「場内沸きますねえ。彼女の持ち味は、その異名通りの高貴な美しさとでも表現したら良いでしょうか、正確でキッチリとした技と、指先まで神経の通った完璧な姿勢ですね」
「曲は、バッハ作『G線上のアリア』」
「曲に合わせて、ゆったりと優美な滑り出し。まずは、スパイラルステップシークエンス」
「阿笠選手のスパイラルは、優雅で完璧なポーズに定評があります」
「そうですね。これにもっとスピードが加われば、言う事なしだと思いますよ」
「ピールマンスピン、完璧なポーズです。本当に美しいですねえ」
「トリプルルッツダブルトゥループのコンビネーションジャンプ。着氷の乱れはなく、きっちりと安定しています」

柔軟性のある志保の、指先まで神経が行き届いた美しいポーズと、流れるようなスケーティングに、場内から感嘆の溜め息が漏れる。
ジャンプは高さがあまりなく派手ではないが、キッチリと決め、最後まで、ノーミスで滑り終えた。

「得点、出ます!技術点構成点共に、内田麻美選手より高くつけて来ました!現在1位です!」

その途端、場内が揺れるような拍手が湧き起った。
蘭は、じっと息を詰めて、控え室のモニターを凝視する。

内田麻美は、蘭が憧れ尊敬する、トロピカルランドスケートクラブの先輩である。
蘭は麻美の活躍を応援し、期待していた。

けれど、先ほど親しくなったばかりの青子・和葉、そして、今蘭が所属している阿笠スケートクラブの、オーナー夫妻の娘である志保、その3人にも頑張って欲しいと思う。

世界選手権出場枠は、3人。
最低でも、4人の内1人は、代表から外れる事になる。



「さて、今年の全日本ジュニア覇者、昨年の世界ジュニアでも3位につけた、スノウフェアリー中森青子選手の登場です。グランプリには出場しなかったんですが・・・勿体なかったですねえ」
「ええ、でもまだ、これからですから。彼女の持ち味は何と言っても、ジャンプですね」
「かつての伊藤みどり選手のように、男子顔負けの高さとパワーを持ちながら、同時に、見た目には全く重力を感じさせず、妖精がふわりと飛び上がるかのように見える、中森選手独特のジャンプです」
「そこからスノウフェアリーという異名がついたのでしたね」
「衣装も、クラシックバレエのチュチュを連想させる、ふわふわとしたレース使いが可愛らしい、白い衣装です」
「演技が始まります。曲は、チャイコフスキーのバレエ組曲『クルミ割り人形』から、『金平糖の踊り』です」

「まずは、彼女の十八番、ダブルアクセルジャンプ」
「ショートプログラムですから、ダブルで来ましたが、彼女ならトリプルアクセルも楽々ですからね、ダブルだと余裕ですよ」
「ええ、そうですね。余裕で決めました。非常に高さがあるのに、ふんわりと着地します、まさしく妖精」

「フライングシットスピン。ここも重力を感じさせません、愛らしいですねえ」

青子の、可愛らしくふんわりとした動作のひとつひとつに、場内からは大歓声が湧き起こっている。
ジュニア時代から既にファンは多く、誰もがシニア入りを待ち望んでいたのだった。

「中森選手、ノーミスで今、演技を終わりました!」
「高得点です!中森選手、内田選手・阿笠選手を抑え、トップに躍り出ました!鮮烈なシニアデビューです!」

場内からは、割れんばかりの歓声と拍手が湧き起った。

「敵わんなあ。この後滑るんは、やりにくいで」

リンクサイドに立つ和葉は、苦笑して呟いていた。
言葉とは裏腹に、その目は闘志を湛えている。


「女子シングルラストの滑走は、大阪難波オーロラクラブ所属、遠山和葉選手。中森選手と同じ歳ですが、今季は最初からシニアクラスに絞っての出場です。ジュニア時代も常に高位につけ、今季は近畿大会、西日本選手権、共に女子シングルトップの実力派」
「さて、彼女が上位陣にどこまで食い込むか。その点数次第では、明日のフリーでも混戦必至です」
「彼女の持ち味は、見掛けに似合わないそのパワーとダイナミックさですね」
「曲は、ワーグナーのワルキューレです」

「滑り出しと同時に、おおっと、いきなりトリプルルッツダブルトゥループ!」
「まずはコンビネーションジャンプを決めました。いやあ、高さもあり、パワフルですね」
「曲の女性戦士ワルキューレのように、非常にスピード感溢れた迫力あるスケーティングです」
「遠山選手の演技は、力強くなおかつ安定感があります」
「フライングシットスピン、ですが・・・いやはや、元気印。すごいスピードで回転していますねえ」
「スピンの回転の速さでは、彼女の右に出る者は居ませんね」
「やや荒削りの印象を受けるところが惜しい。この迫力に、優美さも加われば、怖いものなしというところですが」
「それが、遠山選手の今後の課題ですね」

和葉の元気いっぱいの演技も、ファンが多い。
場内は大きな拍手と歓声で包まれる。


「得点は・・・これも高得点!内田選手を抑えて、3位につけました!」
「ショートプログラム女子の結果は、1位中森選手、2位阿笠選手、3位遠山選手、4位内田選手、5位・・・以上の結果となりました」
「素晴らしいですねえ。今日は殆どの選手にミスがありませんし、僅差で高得点が続出しています。これは、明日のフリーの演技が、非常に楽しみになって来ました」
「順位はどう引っ繰り返るか、分かりません。特に、上位4位までは、どう動くものか、予断は許せませんね」

「世界選手権の出場は、全日本の上位3人が入ると見て、間違いないでしょうか?」
「今季、グランプリファイナルのメダル獲得者は居ませんから、おそらくそうなるだろうと思われます」
「場合によっては、昨年とはガラリとメンバーが入れ替わるという事も有り得ますね」
「厳しいようですが、どれだけ勝負強いかという事も、必要ですから」
「試合で力を充分発揮出来るかどうかも、実力の内、という事ですね」


   ☆☆☆


女子シングルの試合が終わり。
いよいよ、ペアの試合が始まる。

工藤毛利ペアの出場は、2組目。
あまりに早くリンクサイドに出たら冷えてしまうが、出遅れてもいけない。

蘭は、前のペアの演技を敢えて見ないようにしながら、控え室の出口へと移動した。

「さて、注目のペアです。今季は、東日本西日本から、それぞれ一組ずつが出場しての、一騎打ちです」
「日本は、長らくペアの不毛地帯でしたが、西日本のペアの出現で、一昨年から久々に、国際大会への出場が始まりましたね」
「まだまだ、世界の壁は厚いですが、期待の日本ペアですね」
「対抗出来る国内ペアが今まで居なかったのですが、今年は、期待出来そうですねえ」
「2組で、切磋琢磨して貰いたいものです。彼らが先達となって、いずれ、ペアが増えると心強いですね」

「まずは、一昨年にペアデビューを果たし、昨年と続いて国際大会に出場している、羽賀響輔(はがきょうすけ)・設楽蓮希(したらはすき)ペアです!」




「蘭」

蘭は控え室を出たところで、背後から囁かれて、飛び上がった。

「きゃ!し、新一!」
「悲鳴上げる事ねえだろ?」
「だ、だって・・・新一、何でここに?」
「蘭を迎えに来たに決まってんだろ?これから、オレ達の試合が始まるんだからよ」
「う、うん・・・」
「蘭、もしかして、控え室のモニターで、女子シングルの試合、見てたのか?」
「うん・・・」
「ったく。自分の試合の前に、人の心配してる辺りが、オメーらしいよな」

新一が苦笑して、蘭は胸が苦しくなる。
新一は別に蘭を責めている訳ではないのだが。
蘭としては、自分達の試合に集中していなかったと落ち込んでしまったのだった。

「ホラ。んな顔、すんなよ。ミスしたって、笑って誤魔化す位の積りで行こう」

そう言って新一は、蘭の頭をポンと軽く叩いた。
蘭は、緊張がほぐれて行くのを感じていた。

新一の傍に居るとドキドキするけれど、同時にとても安心して居られる。

試合中は、新一だけを見て、新一の事だけを考えていよう。
蘭は、大きく息をついて、気持ちを切り替えた。

「そろそろ、出番だ」

蘭は頷き、新一に続いて歩いて行った。


前の組の、得点が表示されている。
蘭は、そちらには目を向けず、新一と並んでリンクに向かった。




(6)に続く


+++++++++++++++++++++++++++++++


銀盤の恋人たち(5)後書き


あっはっは〜。
実際は、全日本がこういう風に実況中継される事って、ないんですよねえ。

試合は東京大会→東日本大会→全日本、と進むのですが、東京大会から書き始めたんじゃまどろっこしいので、いきなり全日本に飛ばしました。
皆さん現実離れした実力の持ち主ですが、もうそこは、開き直ってますんで。ご容赦下さい。

女子シングルの最終結果?勿論、言うまでもないでしょう。
内田麻美嬢は、この先も、ちとやな役目をさせてしまうんですよね。ごめんなさい。

新蘭以外のあの人もこの人もその人も、スケートをやっていて。
しかも皆、「心の底からスケート一途」という、とんでもねえ設定になっていますので。
色々と、辻褄合わなくて原作のキャラともずれて、書いてて心苦しいですが、そこも開き直ってます。

今回、頭を悩ませたのが、新蘭に対抗するペア。
そもそも国内では、対抗出来るペアが居らんだろうってとこですが、居なけりゃ試合にならないし。
一般的な敵役とは意味が違うし、本当に頭を悩ませました。

このお話では、「響輔叔父様」が殺人を犯すとかいう事件は起こりません。彼は、七槻ちゃんと並ぶ、「使い捨てられて惜しい犯人キャラ」ですよねえ。

原作の警視庁メンバーは、大体国営放送JHKに所属しています。
ええ、勿論、カップルや人間関係も、原作通りですよ。ま、この段階では彼はまだ彼女に片想いですがね。

おそらくこの話で「国営放送の恋物語」までを描く余裕は、ないだろうと思いますが、ま、片想いの彼がいつの間にか彼女と引っ付いていて、それでもしつこくもう1人の彼が横恋慕妨害を続ける、という構図はあるかも知れません。

次回は、新蘭がショートプログラムの後、女子シングルフリーとペアフリーがあります。後1〜2回はかかる予定です。
男子シングルとアイスダンスはカットしてますが、ご容赦下さい。そこまで書いてたら、終わらない(汗)。


男子シングル選手とアイスダンス選手を誰にするか(名前位は出したいんで)、使う曲を何にするか、アイデアを随時募集中です。
クラシックでも、ポピュラーでも、民謡(笑)でも。
いやもう、頭悩ませてるんだよう。
但し、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」だけは、ご勘弁下さい。やはりあれは、荒川静香選手のイメージがあまりにも強過ぎるので。

コナン主題歌&音楽は、新蘭ペアに使う予定で、考えています。


(4)「蘭の弱点」に戻る。  (6)「カルガリーへの道」に続く。