銀盤の恋人たち



byドミ



(8)世界の強豪達



そして着々と、世界選手権当日が、近付いて来た。

志保は、宣言した通りに、見事東都大理学部への入学を果たした。
蘭達も学年末試験が終わり、強化合宿が始まるのは間もなくである。


「それにしても、あんた達って、ちょうど間の悪い時に、オリンピックに当たる事になるよねえ」

園子が言った。

「えっ?」
「そりゃ、内田先輩や、阿笠先輩みたく、世界選手権出場資格を手にしながら、同時に東都大に合格も果たすような、化け物も居るけどさ。蘭や、それに、青子ちゃんとか和葉ちゃんとか、ついでに言うなら新一君も、オリンピックイヤーが受験の年よ。さすがに、厳しくない?」

園子の言葉に、もっともだと蘭は頷いた。

「ま、そういった意味でも、蘭が我が帝丹高校に転入して来たのは、良かったわよね。うちは大学部まであるから、よっぽど成績不良とか素行不良じゃなかったら、進学の心配ないし。内田先輩や阿笠先輩みたく別の大学受けるなら、話は別だけど」
「うん、そうね。ここの転入試験受けた時は、そこまで考えてなかったけど。でもまあ・・・オリンピックの候補にもあがらなかったら、そんな心配自体が、無駄かも」
「そりゃ、ないでしょ。あんた、現に今年、世界選手権出場資格手にしたんだからさ。ま、特に嫌じゃなければ、そのまま帝丹大進学で良いんじゃないの?」
「うん・・・そうだね・・・」

蘭にとっては、たった1年先の事でも、全く現実感を伴っていない。
ただただ、ひたすらに、スケートをやって来た。
家事や勉強と何とか両立させながら、頑張って来た。

先の事は、何も考えられなかったのだ。


「それにしてもさ。蘭、あんた、試合の時の衣装とか、どうしてんの?全日本の時の赤い衣装、似合ってたけど」
「うん、実はフサエさんが、そういうの得意でね。若い頃は、デザイナーかスケートかって、悩んだ事もあるそうなのよ。で、忙しい合間を縫って、志保さんとわたしの衣装は、作って下さるの。昔、フサエさん自身が着た衣装を手直ししたりしてね」
「そっか。フィギュアで公式試合に出る場合、結構、衣装を整えるのも大変だって、聞いた事があるから。そういう事なら、良かったわよね」
「うん」

蘭は、頷いた。
衣装の心配をしなくて良いだけでも、正直すごくありがたい話である。
ただ、フサエが忙しい中、結構無理をしているのではないかと、それが心配ではあった。

世界選手権での衣装は、全日本の時に来たものをそのまま使う積りである。
それはフサエにも伝えてあった。


   ☆☆☆


合宿に行く前日。

「蘭。オメーに荷物が届いてんぞ」

父親の小五郎から言われた。
宅配便で送られて来た、大きな軽い箱に、蘭は首を傾げた。

開けてみると。

「うわあ・・・・・・」

ワインレッドの衣装が、入っていた。
添えられたカードを、手に取って見る。

「蘭へ。
普段、何もしてあげられなくて、ごめんなさい。
いよいよ、国際大会に出場するのね。
ささやかだけれど、私の手作りです。
この先も、もし何か、私に援助出来る事があったら、
遠慮なく言ってちょうだい。
応援しているわ、頑張ってね。    英理」


「お母さん・・・」

父と別居していて、普段なかなか会う事もない母親からの、贈り物であった。
蘭は、衣装を抱き締めて、涙を流した。

幼い頃に、長野で、父と母の不仲に心痛めながら、湖に遊びに出掛け。
そこで新一と出会った日の事を、思い出す。


今は、「母親が居ない寂しさ」にも、自力で対応出来るようになったけれど。
そして、父と母の事も、理解出来るようになったけれど。

子供の頃、父と母が喧嘩をして、母が家を出て行った時の寂しさは、どうしようもなかった。

その寂しさを埋めてくれたのが、新一だった。


新一と会えなくなっても、蘭の中に幸せな温かみが残っていた。
蘭はずっと、いつかきっと新一が、自分を迎えに来てくれるような幸せな夢を、見ていられた。

再会した新一は、夢の中の王子様などではなく、現実にそこに生きている男性で。
蘭は改めて、現実の彼に恋をした。
昔より、ずっとずっと、好きになっていた。
けれど、昔と違い、新一の事を、蘭を迎えてくれる王子と夢想する事が、出来なくなってしまった。


新一のペアのパートナーになった今は、とてもとても幸せだけれど、同時に辛い。

「そう言えば。幸せという字は、辛いという字に、一本線を足しただけだって・・・前に誰かが言ってたわね・・・」

蘭は、母親から贈られた衣装を抱き締めながら、いつの間にか、母の事ではなく新一の事を考えている自分に気が付き、赤面した。

「お母さん、ありがとう。わたし、頑張る」

蘭は、心の中で母に語りかけて、衣装を大切に仕舞い込んだ。


   ☆☆☆


強化合宿には、世界選手権に出場する選手達が、顔を揃えていたが。

「京極選手だけ、来いへんって、返事があったそうや」

いち早くどこから情報を得たのか、和葉がそう言った。

「ええ?どうして?」
「・・・何でも、国内には、彼が尊敬し教えを請いたいような相手がおらんから、っちゅう話や」

「へえ、そりゃまた・・・スケート連盟の偉い人達の神経を逆なでしなきゃ良いけどな」

新一が横から口を入れて来た。

「新一・・・滅多な事、言わない方が良いんじゃないの?」
「別にオレは、連盟批判する積りじゃねえぜ。ただ、日本のスケート振興の為に力を尽くしているあちらとしては、国際大会に出す為にバックアップしている選手が、勝手に行動してしまうのは、面白くないのが人情だろうと思うだけで。
・・・だからこそオレは、全日本タイトルを手にする前に、スピードスケートを止めたんだし」
「「ええっ!?」」

新一の言葉に、蘭と和葉は驚いて目を見開いた。

「一旦、国際大会出場権を手にした後に、フィギュアスケートに転向しますなんて言ったら、ぜってー批判の嵐だったろうからな。フィギュアもスピードも、同じスケート連盟管轄だし」

タイトルを手にしていない段階でも、当初新一は、かなり叩かれたのだ。
これが、タイトルを手にした後なら、余計に大変だった事は、想像に難くない。

今回、フィギュアスケートでタイトルを手にした事で、ようやく新一への批判が鎮静化して来ていた。


フィギュアスケートをやるにもお金がかかるが、国際的に活躍する選手となると、様々な方面からの援助が必須だ。

新一と蘭にしても、何しろペアなので、コーチ出来る人が限られている。
それでも、文句も言わず強化合宿に参加している、否、参加せざるを得ないのだ。

阿笠フサエは、今回の強化合宿に、コーチという立場で参加していた。



「蘭。今回はとにかく、世界の強豪達の演技を間近に見て、勉強させて貰う積りで行こう」

新一の言葉に、蘭は頷いた。
日本のシングル勢は、オリンピックや世界選手権でのメダル獲得実績もあり、日本代表となったからには、世界である程度の成績をおさめる事も求められているけれど。
ペアは実績に乏しく、これからである。


   ☆☆☆


「鈴木?オメーまで、カルガリーに行くのか?」

出発の日、新一は成田空港で、よく見知ったクラスメートの顔を見て、脱力した。

「当然でしょ。わたしが蘭を応援しなくて、どうするのよ?」
「・・・・・・」

普段はお嬢様然としていない園子だが、こういう時はやはり、金持ちお嬢なのだと新一は思う。
けれど、それを感じさせないサバサバした園子の性格が、随分と、蘭の救いになったであろう事は、新一にも分かるようになっていた。

「見てなさい!カルガリーで、絶対イイ男をゲットして見せるんだから!」

そう言って園子が仁王立ちする。
蘭は顔に汗を貼り付けて苦笑いし、新一は脱力してひっくり返った。

「オメー、そっちかよ!」
「工藤君には、関係ないでしょ?」
「そりゃ、確かに関係ねえけどよ・・・」
「園子らしいわね。でも、あちらの人を引っかけたら、国際恋愛じゃない。どうするの?」
「ふふん、蘭。今や世はグローバル時代、我が鈴木財閥の力を持ってすれば、同じ地球上なら距離なんて関係ないわ!この機会に、金髪碧眼のカナダ人を、ゲットして見せようじゃないの!」
「バーロ。カナダは多民族国家だ、白人系が多いのは事実だが、金髪碧眼ばっかウヨウヨしてる訳じゃねえぞ」

新一の突っ込みは、園子に都合よく無視されている。

ともあれ、園子が思いがけない形で、結果的に「カナダで男を引っかけて来る」のは事実であるが。
それは、言いだした当の本人すらも、予測していない未来であった。



「で?服部、オメーまで何で、カルガリーに来るんだ?」

新一は、当たり前のような顔をして和葉の隣にいる平次に、声をかけた。

「アホ。オレは、スピードスケートの世界選手権に出場する、ついでや、ついで!」
「スピードの世界選手権って・・・オメー、出場資格取ったのか?」
「工藤、薄情なやっちゃなあ。お前にはもう、スピードスケートは関係あらへん、っちゅうこっちゃな。フィギュア世界選手権の二週間後に、モントリオールで行われるんや。せやから、オレは一足先にカナダ入りして、調整しようっちゅうこっちゃ」

そんなに近い時期に、州が違うとはいえ同じカナダの都市で、フィギュアとスピードそれぞれの、スケート世界選手権が行われるとは、出来過ぎのような気がしたが。
新一はそれ以上突っ込むのを止めた。


「へええ、本当に工藤選手って、オレそっくりぃ。もしかして、生き別れの兄弟じゃねえ、オレら?」

声の方を見ると、自分と似た風貌の男が立っていたので、新一は心底驚いた。

「モーグルスキー選手の、黒羽快斗?」
「あれ。知っててくれたんだ?高名な工藤新一に名前を知られているなんて、光栄だね。何はともあれ、ヨロシク」

快斗は、悪戯っぽい眼差しで新一を見ながら、手を差し出してきた。
新一は戸惑いながら、握手に応じる。

「黒羽君は、青子ちゃんの応援にカナダ入りするの?」

蘭が快斗に声をかけた。
蘭は一体、いつの間にこの男と知り合ったのだろうと、新一は少しムッとする。
新一の心の声が聞こえた訳ではなかろうが、蘭は新一に説明した。

「新一、黒羽君って、青子ちゃんの彼氏なんだよ」
「へ?そうだったのか?」
「蘭ちゃん、違う!バ快斗は、ただの幼馴染!」
「おいおい、アホ子は単なる幼馴染だって!」

蘭の説明に、新一は少し拍子抜けし、青子と快斗は同時に真っ赤になって反論した。

「オメーら、息ピッタリだぞ。それに黒羽、ただの幼馴染だったら、わざわざ中森さんの応援にカナダまで行く訳が・・・」
「オレは、モーグルスキーの世界選手権が、1週間違いでソルトレイクで行われっから、調整を兼ねて・・・」
「・・・・・・」

ソルトレイクはアメリカの都市だが、カナダとは勿論、近い距離にある。


ここまで来ると、出来過ぎを通り越して、何かの陰謀だろうかと、新一は思った。


ともあれ、一行は間もなく機上の人となり。
そして、カナダのカルガリーへと、降り立ったのである。


   ☆☆☆


ふわり、と。
皆、一瞬、本当に妖精が舞い降りたのかと錯覚した。


輝く金髪で華奢な風情の、可憐な少女が、見事に4回転ジャンプを決めて、着氷したのであった。


「エルフ・プランセッス。アン・クラリス・サブリナか。間近で見ると、ホント、すげーよな」
「う、うん・・・」


新一達が、一旦宿に落ち着いた後、早速練習の為に訪れたリンクには、先客がいた。
小国なれど豊かな、ヨーロッパのサブリナ公国の、女子シングル代表選手である。

姓に国の名がついているのは、当然、彼女が王族だからであった。
エルフ・プランセッス(妖精王女)とは、彼女の出自と、妖精のような愛らしさからつけられた異名である。

「王族でありながら、世界選手権の代表選手で、しかも世界のトップレベル・・・アタシらの強敵やな」

和葉が、蘭の背後から覗き込む。


アンが、日本選手一行に気付き、にこりと笑った。
荒んだ男達の気持ちも一瞬で虜にする、可憐な微笑みである。

「かっわいい・・・!」

何故か練習会場までついて来ている快斗の目がハート型になり、一同を呆れさせた。


「日本の方達ですね。わたくし、日本が大好きなんですのよ。来季は、是非ともJHK杯に、出場させていただきたいと、思っておりますの」

かなり流暢な日本語で話しかけられて、一行はさらに驚いた。

「あら、もう、こんな時間ですの?あなた達の練習時刻ですわね。わたくしは、これで失礼させていただきますわ」

アンは、優雅に一礼すると、リンクから去って行った。
一同、大きくほうと息をついた。


「あの可憐な美貌と、優雅な物腰、そのうえ親日家。絶対、日本でファンが沢山着くわね」

冷静にそう評するのは、阿笠志保である。

「けど、あかん。あん姉ちゃんは、あかんで」

こちらも、何故か練習会場にまでついて来ていた平次が、そう評した。

「何がどう駄目なんだよ?オレが見る限り、完璧な演技だったぜ?」
「ちゃうちゃう、そんなんやあらへんて。あん姉ちゃん、外人のクセにチチが小さ・・・」

妙に笑顔で言う平次の言葉に、一同はひっくり返りそうになる。
平次の言葉は途中で遮られた。
和葉から後頭部をしたたかぶたれた為だった。

「あたたた!和葉、何すんねん!」
「平次、胸でスケートする訳やあらへんで、どアホ!」

「アホ子、良かったな、ペチャパイ仲間がいて」

そう言いながら、快斗の手がポンポンと、青子の胸を叩く。
次の瞬間、快斗の頭上にはモップが振り下ろされていた。
それを快斗は、見事な反射神経で避ける。

『ど、どこからモップが・・・』

皆の疑問は共通していたが、恐ろしくて誰もそれを口には出せなかった。

「モーグルスキーの達人、黒羽快斗・・・あの反射神経は、さすがだな。不思議な事に何故か、スケートはてんで駄目らしいんだが」

新一が呟く。

「そんな事より、練習しましょ。時間は限られてるわ」

志保がリンクに出ながら言った。

「同感です、お先に」

探がそう言って、紅子を伴いリンクに入る。

言われた通り、全世界から選手が集まるのだから、リンクを使える時間は限られている。
皆、それぞれのもの思いをふっ切って、リンクに入った。


京極真だけが、この場に揃っていない。
日本人選手団の一員としての自覚があるのかないのか。
けれど、今は誰も、それを思い煩っている暇はなかった。


探と紅子は、その容姿が整っている事もあるが、日本人離れしたセンスで、優雅な氷上のダンスを魅せてくれる。

「さすがだな。アイスダンスでは日本人初のメダルも夢じゃないかもしれねえって話だ。オレ達も頑張ろうぜ」
「う、うん・・・」

新一と蘭も、リンクに出て行く。


「うーん、やっぱり、どうしても、ソロジャンプやソロスピンでは、合わないわね〜あなた達」

新一と蘭の滑りを、志保が冷静に評した。
たった1年でも、2人必死に練習して積み上げたものがあって、「2人で組んで行う演技」は、目を見張るほどの進歩があったけれど。
どうしても、2人それぞれに別れての演技では、タイミングや角度・形などが、うまく合わないのだ。


「まあ、仕方ねえ。今季はこれが、オレ達の限界だ」
「あら。諦めるなんて、工藤君らしくないわね」
「諦めるなんて、誰が言ったよ?オレは冷静に、現状を分析しただけだ」


1年間で、かなり上達したし、日本選手権の時よりも力をつけているという自負はあるが。
それでも、国際大会では、かなり厳しい事位は、分かっている。
謙遜などではなく、紛れもない事実なのだ。



「和葉さん、調子は良さそうね」
「当たり前や!今回は、志保さんに勝たしてもらうで」
「ふふっ。負けないわよ」

志保と和葉が、火花を散らしながらも、笑顔を見せる。
お互いの実力を認め合ったライバルなのだ。


正確無比で完璧、それでいて優雅なスケーティングの志保に比べ、和葉は良くも悪くも、勢いがあって豪快。
実力は伯仲していると思われるが、2人のスケーティングに対しては、好みが分かれるところでもある。

しかし一方で。


「はあ、はあ、はあ・・・」
「青子ちゃん、無理せん方が・・・」

思わず和葉が声をかけたが。
転倒した青子は、首を横に振ると、起き上がってまた滑り出した。

青子が得意とする筈のジャンプで、スピードも乗り、高さも充分な筈なのに、何故か着氷のタイミングが合わず、なかなか成功しない。
いや、それ以前の問題として。

スノウフェアリーと呼ばれた、妖精のようなふわりとした空気が、なくなっていた。
今迄、青子にだけ働いていなかった地球の引力が、いきなり作用し始めたかのようである。

表情も、今迄は「滑るのが楽しくて幸せで仕方ない」という明るい笑顔だったものが、硬く険しいものに変わってしまっている。


そこにいる皆が、青子の異変の原因はアン・サブリナだと、見当がついていた。
しかし、何をどう言ってあげたら良いものか、それが分からない。


「青子・・・」

普段能天気に見える快斗も、さすがに心配そうな表情であった。



「おい。そろそろ、オレ達アメリカの練習時間の筈だけどな」

突然、英語で話しかけられて、練習に夢中になっていた一同は、声のかかった方を向く。

「アメリカのペア選手、ヒース・フロックコートと、イベリス・ハミルトンだ」

新一が呟いた。
アメリカ代表の、金髪碧眼の美男美女ペア。
テレビ・雑誌でのみ見知っている、世界の強豪だ。

彼らは、金メダルには微妙な位置にいるけれど、それでも世界のトップクラス。
逆に下馬評にもあがってない新一・蘭のペアなど、彼らの方は、全く覚えてもいない様子だ。


「さすがに、向こうはあなた達の事なんか、アウトオブ眼中って様子だったわね」
「ふん、面白えじゃねえか。今季、せいぜい記憶に残してやるぜ」
「・・・工藤君のその強気なとこ、スポーツ選手として必要な素養ではあると思うけど。今の段階では、負け犬の遠吠えに過ぎないと思うわ」

志保と新一が、かなり辛辣な会話を交わしている。
新一は、志保の言葉に怒るでもなく、肩を竦めた。
今の実力では、世界の強豪に対してはまだまだ、箸にも棒にもかからない事位、分かり切っている。


「は〜い、こんにちは〜。私、日本大好きです〜。日本のゲーム、ベリベリ、素晴らしいですね〜。私も日本で暮らしたいもので〜す」

帰り支度をしていた日本人一行は、眼鏡の金髪美人から、変だけど妙に流暢な日本語で声をかけられて驚いた。
眼鏡美女の背後には、強面長身で、見るからに鍛えられた筋肉質の男が立っている。

もうひと組のアメリカのペア選手、ジョディ・サンテミリオンとアンドレ・キャメルだ。
アンドレは、お世辞にも美男とは言えない強面キャラだが、笑顔は悪くない。
彼はいつも、美貌のジョディを上手くサポートし、なかなか良い雰囲気のペア演技を見せてくれるのだ。


「クールガイ、小さくて細いのに、意外にパワーありますね〜、エンジェルを守るナイト、素敵で〜す」
「クールガイ?エンジェル?」

新一は、目を点にして聞き返した。
どうやら、新一と蘭の事を指してそう呼んでいるらしい事は、分かった。

新一は日本人男性としては決して小さい方ではないし、鍛えてはいるからそれなりに程良く筋肉は付いているが、白人男性と比べたらかなり華奢に見えても仕方がないだろう。
特に、アンドレ・キャメルは、長身の上にムキムキだから、尚更だ。

ハッキリ言って、ジョディ・アンドレ組の方が、ヒース達よりランクが上。
全米選手権で1位に輝いたペアである。

そのジョディが、新一達を知っていたばかりか、愛称(?)まで付けていた上、気さくに声をかけてくれた事に、新一達は驚いていた。


「あなた達、今はまだまだだけど〜、将来性ありますね〜。すごくすごく、素敵です〜。でも、負けませんからね〜。氷上では、ライバルで〜す。OK?」

ジョディが片目をつぶって見せた。
新一は、笑顔で頷く。

ジョディにライバル宣言をされたという事は、かなり実力を認められたと言って良い。


「サンテミリオン、油売ってんなら、先にリンク使わせてもらうわよ」

英語でジョディ・サンテミリオンに声をかけたのは、アメリカの女子シングル選手であるジョディ・ホッパーだ。
同じ名なので、お互いをファミリーネームで呼んでいるものらしい。


「では、クールガイ、また会場でお会いしましょうね〜」

ジョディ・サンテミリオンが、にこりと笑って見送る。
それを機に、日本人選手一行は、会場を出た。


「何か妙に、親日家と出くわしたな〜」
「アン・サブリナは、日本が好きと言うより、怪盗キッドファンのようですよ」

探の言葉に新一は驚いた。

「スケート雑誌の今月号に、そう書いてありました」
「けど、日本語をあそこまで流暢に喋れるほどとなると、相当だな・・・」
「そっかそっか、彼女はキッド好きか」

何故か黒羽快斗が、嬉しそうにニヒヒヒと笑っている。
青子がそんな快斗を一瞬見詰めた後、視線を落として、溜息をついていた。


「でも、何だか・・・初めて見た筈なのに、すごく見覚えというか。親近感が・・・」

蘭が首を傾げた。
アンは今季初めて、国際舞台に登場したので。
その出自の高貴さと愛らしい容姿とが評判になり、スケート雑誌で見た事はあるものの、実際に目にしたのは初めての筈なのだが。
妙に蘭の既視感を刺激するのだ。

すると、新一が事も無げな様子で言った。

「ああ、そりゃ・・・似てるからだろ?」
「えっ?に、似てるって?」
「蘭に・・・と言うより、青子ちゃんに似てるな、彼女」
「へっ!?でも、アンさんは、ヨーロッパのお姫様でしょ!?」
「金髪碧眼だが、顔立ちはアジアでも通用するエキゾチックなタイプだぜ。それに、あの華奢な体型も、純粋で性格が良さそうなところも、雰囲気も・・・何より、スケートのタイプが、青子ちゃんとまるっきり一緒だろ?」
「あっ!」

蘭は大きく頷いた。

蘭のスケートも、容姿が似ている事もあって、過去、青子と比較された事がある。
しかし、まさしく妖精が舞うようなアンのスケートこそ、完全に青子と同じタイプのものだった。


「同じタイプとなると、完全に比べられるな。青子ちゃんにとって、一番厄介な相手になるかもしれねえ」
「せやな。タイプが違うたら、単純比較はあんまりされへんけど、同じタイプやったら、かなり厳しいかもしれへんね」
「そう?今の採点方式なら、タイプなんて殆ど関係ないと思うけど」
「いや、同じ技なら、微妙に点数に影響してくるのは、必定だと思うぜ」


「冗談じゃねえ、アホ子と似てなんかいるもんか」

突然、快斗が少し怒った調子で言った。

「あの愛らしい姫君と、一緒にすんなよ、なあ、アホ子?」

快斗に声をかけられて、青子はまた顔を上げて快斗を見たが、すぐにまた視線を落とした。
いつもだったら、それこそモップを振り回して怒鳴るだろう青子が、何の反応もせずに無視しているので、さすがに快斗は怪訝そうな表情になった。

青子は無言のまま、ズンズンと歩いて行く。
快斗が慌ててその後を追っかけて行った。


「あんの、バカ!」

新一が小さく悪態をつく。

「黒羽君って、あの子には形なしのクセに、素直じゃないですものね」
「まったくだ」

紅子の言葉に、探が頷いた。

「あ、やっぱり、あいつらってそうなんだ?」

新一の言葉に、探と紅子は、大きく頷いた。

「早く素直になればよろしいのに。いつまでも、お互いにただの幼馴染と言い張って、大人げない」
「黒羽君にも、素直になれない理由があるのでしょうが、せめて、他の女性を青子さんの目の前で褒めるような無神経な事を慎んでくれればと、思いますよ」


蘭は心配そうに、青子を見送った。
蘭には、青子の不調が、単にアンの演技を見た事ではなくて、快斗の言葉と関係があるような気がしてならなかった。

そしてそっと、新一の方を伺い見る。

前に新一は、内田麻美の事を評して、「恋愛感情が影響するのは、プロ意識がない」と言った事があった。
その新一は、今回の事態をどう見ているだろう。

蘭は怖くて、聞けなかった。
青子の為に何かしたいと思いながら、どうしてあげたら良いのか分からず、思い悩む。


青子はズンズン歩いて行き、姿が見えなくなってしまった。
けれど、快斗が追っているし、青子は天才的で英語もフランス語もペラペラだし、結構腕に覚えがある様子なので、危険対処の面では大丈夫だろう。


一行がホテルに向かって歩いていると、突然、異様なものを目にしてしまった。

3人の男女から抱えられている1人の女。
近寄って見ると、女はどうやら酔っ払ってしまっている様子だ。
金髪で褐色の肌、西洋人には珍しいエキゾチックな釣り目で、なかなかに美人なのだが、へべれけになって自分を抱えている男をバシバシ叩きながら管を巻いているので、台無しだった。


街中で、昼間から酔っ払っている女性の姿に、一行は呆れて、無視する形で通り過ぎようとする。
すると突然、日本語で声が掛かった。

「あら。日本の方たちではありません事?」

新一達は、そちらを見て、仰け反った。

声をかけて来たのは、酔っ払い女を抱えている1人の女性だ。
腰を越すほどの長い小豆色の髪、こちらもなかなかの美人である。


「げっ!デンマークのペア、キリカ・ティグリスと、レオン・パラレオーネ!」

酔っ払い女を抱えている男の一人は、キリカとペアを組んでいるレオンだった。
今季の金メダル最有力候補である。

ちなみにキリカは、デンマーク人だが、母親が日本人であり、だから日本語がペラペラなのである。

恐る恐る見ると、抱えている内のもう一人の男は、

「スウェーデンの男子シングル選手、イーグル・フォルセティ!?となると、まさかこの酔っ払いは・・・」

改めて、恐る恐る抱えられている女性を見る。

「何や、うちの顔に何かついてんのか?」

その女が、いきなり日本語(しかも関西弁)を喋ったので、一行は更に仰け反った。

「は、ハツネ・シルバー・フォックス!」

ウェールズ出身で、イギリス代表の女子シングル選手である。
このハツネも、母親は日本人であった。

「日本の血を引いてっから、日本語喋るのは分かるが。何で、関西弁なんだ!?」
「工藤、関西弁は立派な日本語やぞ!」
「あ、いや、それを否定する気はねえけどよ」
「ああ、うちの母親が大阪出身で、うちも暫く大阪に住んでた事があんのや。以後、宜しゅうな」
「それにしても、何で、国籍の違うスケート選手が、4人一緒に?」

「ハツネは、私の従姉なんですよ。そして、イーグルはハツネの恋人なんです」

日本語会話は分からないだろうが、雰囲気で読み取ったのか、英語で答えたのは、レオンであった。

「同じヨーロッパだから、地理的にも近いか・・・それにしても・・・」

ハツネを抱えている3人が、気の所為か、ハツネの従者のように見えて仕方がない新一であった。

とんでもない姿を一向に晒してくれたハツネだが、運動神経は抜群で、スケートの腕も天才的なのである。
氷上では、切れの良い演技を見せ、そのりりしい美貌もあり、女性ファンも数多い。
アンと並ぶ、金メダル有力候補であった。
志保と和葉は、目標としている女子シングル選手の醜態を目の前にして、何とも言えない酸っぱいような顔をしていた。




先に行ってしまった青子と、同一行動をしていない真を除いた日本人選手団(+平次)の一行が、ホテルに着いた時。


「あ!蘭!」
「園子、どうしたの?・・・え!?あ、あなたは!?」

ロビーに園子がいたが、
園子の背後には、長身色黒の男が立っていた。
京極真である。


「きょ、京極さん!?何で、園子と一緒に?」
「・・・実は、危ないところを助けて貰ったの」


園子は、日本人選手団一行が練習に出かけた後、暇を持て余して、街をぶらついていた。
カナダは、アメリカよりも治安が良いし、カルガリーは結構近代的な都市であるのだが。

どの都市にも、「踏み込むのはヤバい地域」というのはあるもので。
園子は、いつの間にか、雰囲気がおかしな地域に入り込んでしまった。
焦るが、どちらに向かったらいいものか分からず、闇雲に歩き回っていると、突然、数人の屈強な男に取り囲まれた。

恐怖にすくみあがっていると、突然現れた一人の男が、一瞬にして数人の男をなぎ倒して、園子を助けてくれた。
園子を助けてくれた男が、他ならぬ京極真だったのである。




(9)に続く


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銀盤の恋人たち(8)後書き


試合に至る前に、第8話が終わってしまいました。

色々と、外国の選手達を出していますが、まあ今回は顔見せって事で。

本当は、新蘭対抗馬のアメリカペアは、当初、赤井さんとジョディさんの組み合わせで考えていたんです。
でも、どうしても、赤井さんをスケート選手として起用するのは、難しいものがあって。
こういう形にさせていただきました。
ジョディさんとキャメルさんは、この世界でも別に「恋人同士」という訳ではありません。友人同士のペア、という事で、ご了承下さい。

で、コナンまじ快原作+映画では、外人キャラが足りなくて。
C−Kジェネレーションズのオリキャラ達を、引っ張って参りました。
色々と、設定は違えてあります。ハツネさんは、この世界では平次君の従姉ではありません。

今回の世界選手権は、試合描写はせず、あっさりと終わらせる予定です。
早く、次のシーズンに話を持って行きたいと、うずうずしています。


(7)「Partner」に戻る。  (9)「宴のあと」に続く。