湖畔の怪異



byドミ



(3)



蘭の足元の床が突然消失し、蘭は階下に落ちそうになった・・・が。
間髪を入れず、蘭をガシッと支えた腕があった。

「し、新一?」

蘭は背後から支えられていて、相手の顔は見えなかったが、蘭を抱き留めた感覚は、間違えようがなかった。

「・・・ふう。30年も前のトラップが、まだ生きてたか」
「えっ!?」

蘭は新一に引き上げられて、床に立ち。
そして、今、蘭が落ちそうになった所の床板が、下に向かい扉のように開いているのを見て、ぞっとした。
新一が、大きく安堵の溜息をついた。

「今迄、沢山の人間が、この洋館には訪れた筈なんだけどな。誰も引っ掛からなかったトラップに、よりによって何でオメーが引っ掛かりかけるんだか」

蘭は、突然、新一が先程女性と一緒だったのを思い出し、新一を押しのけて離れた。

「お、おい、蘭!?」

新一が、戸惑った様子で、蘭を見た。

「何で、新一がここにいるのっ!?」

蘭の声は、尖って涙声になってしまう。

「な、何でって・・・」

新一が、訳が分からないという表情で戸惑っていた。
すると、階下から声が聞こえた。

「蘭!?今、悲鳴が聞こえたけど、大丈夫なの!?」

園子と絢が、痛んでいる階段の踏み板を、おっかなびっくり踏みながら登って来た。

「だ、大丈夫。ちょっと床が・・・」

登って来た園子と絢が、蘭が落ちかけた床の穴を見て、息を呑んだ。
穴の中は真っ暗で何も見えず、湿ったカビ臭い空気が登って来る。

「ま、まさか、新一がこんなとこでデートなんて、思わなかったわ」

蘭の声が、まだ尖っている。

「はああ?オメー一体、何の話だ!?」

新一が、大きなひっくり返った声を出した。
本当に、思いがけないとんでもない事を言われたという感じだった。

「だって今、女の人と一緒に、いたじゃない!」
「オメーの見間違いだろ!オレは、1人だったぜ!」
「いたじゃない、ここの窓の所に、大きな帽子を被った、花柄ワンピースの、髪の長い女の人!ねえ、園子、絢?」
「え・・・?」

園子と絢が、戸惑った表情で、顔を見合わせた。

「あのさ、蘭。蘭が『窓の所に新一がいる』って言ったから、わたしも見たんだけど。わたしには、新一君の後ろ姿しか、見えなかったよ」
「うん、わたしにも、他に誰かいるようには見えなかった」
「そ、そんな!じゃあ、あの人は・・・」

園子と絢が真剣に言ったので、蘭は戸惑った。
そして不意に、ある事に気付いた。

「あのワンピース・・・昨夜の夢に出て来た女の人が・・・」

思い出す。
夢で見た女性の虚ろな眼窩、冷たい手。

「・・・・・・!!!!」

思わず蘭は、声にならない悲鳴をあげ、気が遠くなりかけた。

「蘭っ!」

倒れかける蘭を、力強い腕が支える。
その温かさに、蘭の遠くなりかけた意識が、かろうじて持ちこたえた。

「し、新一っ!ここって、やっぱり、いる!女の人の幽霊!」

蘭が震えながら新一にしがみ付き、園子と絢は、やや顔色を無くして顔を見合わせた。

「蘭。ペンションに帰ろう」

園子が、いつになく真剣な顔で言った。
冗談事では済まない予感がしたのだ。

「・・・園子、七川。蘭を連れて帰っていてくれねえか」
「新一君は?」
「オレは・・・探偵として、まだ調べなきゃなんねえ事があっからよ」
「こんな時に、推理の方が大切なワケ!?」

園子が、仁王立ちになって新一に迫る。
今迄新一にすがって震えていた蘭が、顔をあげた。

「待って、園子。・・・新一、事件なの?」
「事件かどうかは、分からねえ。どっちにしても、昔の事だ」
「だけど、新一が調べてるって事は、何かあるのね?」
「正式に依頼を受けたからな」
「・・・分かった。わたしも手伝う」

そう言って、蘭はしっかりと立ちあがった。
蘭の言葉に、新一も、園子と絢も、驚いて目を見張った。

「だけどオメー、大丈夫なのか?」
「自信はないけど。わたしも、頼まれたんだもの」

蘭の脳裏に、夢に出て来た女性の声が蘇る。
その女性は、「彼を助けて」と言った。
蘭は、「幽霊からの依頼」を、確かに受けたのだ。

「イイけど。無理はすんなよ。それと、オレから離れるな」
「うん、分かった」

「はああ。こういうとこ見ると、やっぱ、蘭と新一君、夫婦だなって思うわね」
「うん、そうだね。あの信頼感と絆は、ただ事じゃないものね」

園子と絢は、新一と蘭に少し離れてついて行きながら、小声で会話を交わした。

一行は、一旦1階まで降りて、新一に先導されながら、各部屋を回る。
どこも荒れ果てているが、新一は丹念に調べて行った。

「ねえ、新一。差支えなかったら、どういう依頼なのか、教えてくれる?」

蘭の言葉に、新一は部屋を調べながら、かいつまんで説明をした。

新一がペンションのオーナー柏木から受けた依頼は、今迄幾度も湖をさらったが、いまだに見つかっていない、桜の遺体の在り処に検討をつけて欲しいというものだったのだが。
それに関連して、新一が見せて貰った、桜の「遺書」がおかしいと、新一は思ったのだった。

「遺書?」
「ああ。文面は、『このような形で、あなたと別れて旅立ってしまう私を、許して下さい』ってものだった」
「え?それって・・・何か変じゃないの?」
「オメーも、そう思うか?」
「うん。だって、桜さんが本当に、恋人の裏切りを信じてしまって自殺したんなら、もっと別の書き方をすると思うの」
「ああ。それに、その遺書、よく見たら、便箋じゃなくノートの一部を切ったような紙だったしな」
「えっ?」
「覚悟の自殺をする人が、そんないい加減な遺書の書き方をするとは、とても思えねえ」
「うん。わたしも、そう思う」
「で、調べてたら、妙な事が分かった」
「と言うと?」
「桜さんが入水自殺したと見なされたのは、湖畔に靴が揃えてあった事、彼女のバッグが湖から見つかった事、人が飛び込んだような水音を複数の者が聞いている事。そして、目撃者が、一人」
「えっ?その目撃者って・・・まさか、アザミさん?」
「そう、その、まさかだ。変だろ?」
「うん。で、新一、この洋館は、そのアザミさんの別荘だったの?」
「ああ。桜さんとアザミさんは湖で死んだと、誰もが思ってたからさ。警察も、ここを調べようとはしなかった」

そう言えば、夢に出て来た女性は、水の中にいる雰囲気ではなかったと、蘭は思い起こし、身を震わせた。
どこか、暗い所だが。水の中ではなく、空気があった。


「さて。この壁の向こうが、あのトラップの下に当たる筈だ。きっと、隠された出入り口がある筈」

リビングだったと思しき部屋の壁の前で、新一が言った。
手入れもされていない為に絵具もはげ落ちかけているが、元は高価だっただろう大きな油絵が、立派な額縁に入れてかけられている。
そして、大きな暖炉。
出入り口は、暖炉の奥の壁にあった。


新一が、持参した懐中電灯を点けて、出入り口を開けた。


懐中電灯の明かりに浮かびあがった光景を見て、蘭達3人は、大きな悲鳴をあげた。


   ☆☆☆


一応、警察が来て調べはしたが、見つかった白骨死体は古いもので、たとえ殺人事件だったとしても、とっくに時効になっている事は明らかだった。
死後30年ほどは経っていると思われる遺体は、まだ若い女性のもので。
状況から見て、湖で自殺したと思われていた、桜の遺体に間違いないだろうと、判断された。

遺体には、足が折れた跡があった。
あのトラップから落ちた為に、足を骨折し、動けず助けが来る事もなく、桜はひっそりと息を引き取ったのだ。
可哀相な桜の運命に、蘭達は涙し、柏木は愕然とした。

桜は、手元にあったノートに、最期の日記をつけていた。
アザミが桜の「遺書」として使ったのは、その日記の一部を切り取ったものだった。

最期の日記の文章は、生への望みと諦めとが交錯していたが。
一貫して、恋人である柏木への愛と信頼に溢れていた。

「何て事だ・・・桜・・・」

柏木は、30年後に知った真実に、涙を流した。

「彼女は、最期まで、あなたの不実を疑った事など、なかった。自ら命を断つという愚行を犯した訳でも、なかった。彼女は、あなたが愛した通りの、素晴らしい女性だったんですよ」

新一の静かな言葉に、柏木は大きく頷いていた。


ようやく、ひと段落して、一同は食堂で遅い夕食を取った。

「よく考えたらさあ。わたし達って、昼ご飯も食べてないじゃん。もうお腹ぺこぺこ!」

園子が言ったが、皆、空腹感を感じる余裕もなかったのだ。

「ねえ新一君。結局、アザミって女が、桜さんを殺してたって事なんでしょ?」
「ああ、そうなるな。トラップを仕掛けた別荘に、桜さんを強引に連れて行って、トラップから落ちた彼女を放置して死なせたんだ」
「・・・その後、狂言自殺に失敗して死んだって言っても、同情の余地はないわね」
「蘭?どうした?」

新一は、ずっと黙っている蘭を気遣うように見て言った。

「ねえ。わたし、桜さんの依頼を果たせたのかな?」

蘭の言葉に、新一は顔をしかめて押し黙り、代わって園子が言った。

「ああ。『彼を助けて』ってやつ?うん、柏木さんは救われたと思うよ。だって、桜さんは柏木さんを最期まで信じて愛してたし、本当は自殺したんじゃないって事も、分かったんじゃない」
「うん、そうだね。失われた命は、返って来る事はないけど。柏木さんの心は、救われたよね」
「・・・幽霊からの依頼なんて、ある訳ねえだろ?それは、オメーの錯覚、気の迷い」

新一が苦虫を噛み潰したような顔で、茶々を入れた。

「だって!夢に出た桜さんも、あの服着てたんだもん!あの白骨死体が身に着けていたワンピース!」
「夢の記憶なんて、曖昧なのが普通だ。オメーは後から、記憶を整合させただけだよ」
「だけど!」
「それにホラ、あれを見てみろよ」

新一が、顎をしゃくって指した先にあるのは、食堂の棚の上に飾られていた古い写真だった。
若い頃の柏木が、綺麗で可憐な女性と寄り添って映っている。
その女性は、まさしく蘭が見た通りの帽子とワンピースをまとっていた。

「オメーの無意識領域の記憶に、あの写真が入ってたんだろうさ」

新一はこともなげに言った。
蘭は、写真がある事には気付いていたけれど、きちんと見た記憶はない。
けれど、新一から「無意識領域で見ていたんだろ」と言われれば、「もしかしてそうなのかも」という気にも、なって来る。

「まったく、とんだミステリー旅行になっちまったぜ。さて、風呂入ってそろそろ寝るか」

新一が欠伸をしながらそう言って、食堂を出て行った。

「何よ、人には『ミステリーじゃなくてスリラーだろ』って言ったクセに」

園子が毒づく。

「ううん。昔の事件を解決したんだもん、新一にとってはやっぱりミステリーツアーだったんだよ」
「蘭は、それでいいの?アヤツ、全否定する気はないって言ってたクセに、蘭の話、頭ごなしに否定してんじゃん」
「うん、良いの。だって探偵の新一が、お化けの存在を認める訳には行かないでしょ?」

蘭が微笑んでそう言ったので、園子は肩をすくめて手を広げた。
絢は、苦笑いをしている。

「さて、絢。わたし達もそろそろ、お風呂に入って部屋に帰ろうか?今日は歩き回ったから、疲れたわ」

園子の言葉に、3人とも立ち上がった。
一行にとって、今日はずいぶん長く感じられた一日だった。


   ☆☆☆


「新一?もう寝たの?」

入浴後、蘭が部屋に帰って来ると、新一は既にベッドに潜り込んでいた。

「んあ?蘭、何かあんのか?」
「うん、ちょっと話したい事があって・・・」
「幽霊の話なら、オレは信じねえからな」
「・・・バカ。そういう事じゃ、ないよ」

新一が、蘭の方へ向き直って体を起こした。

「ねえ、新一。もしも、わたしが桜さんみたいな事になったら。わたしを探してくれる?たとえ幽霊でも良いから会いたいって、思ってくれる?」
「はあ?オメー、突然、何言って・・・」
「わたしは、お化けは怖くて嫌いだけど。新一の幽霊だったらきっと、会いたいって思うよ」

新一は、下を向くと、頭をガリガリと掻いた。

「バカな事、言ってんじゃねえよ」
「ば、バカな事って・・・わたしはっ・・・!」

新一は、真っ直ぐに蘭を見据えた。
その眼差しの強さに、蘭の言葉は途中で途切れた。

「バーロ。オレはぜってーオメーを残して死なねえし、オメーの事もぜってー死なせねえ」
「えっ・・・?」

蘭は、目を見開いて瞬きした。
そして、笑顔になる。
そう、これこそが、蘭の愛する工藤新一だ。

蘭は、新一のベッドまで行って、新一の隣に腰かけ、新一に寄り添った。

「お、おい・・・!」

新一の焦ったような声が聞こえる。
布地越しに、新一が緊張しているのが伝わり、蘭は今朝の柏木の言葉を思い出しておかしくなった。
横から新一の顔を見上げると、戸惑った表情の新一と目が合った。
つい、からかい口調で、言ってみる。

「死なないし、死なせないって。ずっと、100年も200年も、生き続ける訳?」
「・・・挙げ足取んなよ。お互いジジババになるまでって言うか、天寿を全うするまでって言うか・・・」
「新一、それまでずっと、わたしの傍にいてくれる積りなの?」

不意に、新一が蘭に向き直り、両肩を強い力で掴まれた。

「いたっ・・・!」
「あ、わりぃ」

蘭が思わず声をあげると、新一の力が緩む。

「オレはぜってー、オメーを離す気はねえからな」
「新一・・・?」

射すくめるような視線の強さに。
ずっと、幼い頃からよく知っている筈の新一の事を、蘭は一瞬だけ、怖いと思った。

「万一の事を言うなら。オレは、オメーがいねえと生きていけねえから、幽霊になったオメーでも会いたいなんて、そんな話はナシ」
「新一。自殺だって殺人だって、言ってたじゃない」
「自殺なんかはしねえよ。けど、生きる力そのものがなくなっちまうから、長くねえだろうと思う」

新一の瞳の色があんまり真剣で、蘭は息を呑んだ。
新一の蘭へ寄せる想いは、蘭が想像していたよりもずっと深くて重い事を知る。

「・・・じゃあ。新一が長生きする為にも、わたしは早死にする訳には行かないわね」

蘭がそう言うと、新一の眼の光が和らいだ。
蘭はそのまま、真正面から新一の胸に飛び込むようにして、抱きついた。

「お・・・おいっ!」

新一の心臓が大きく跳びはね、すごい速さで鼓動を刻んでいるのが、服地越しに蘭に伝わって来た。

「オメー、ホントに無防備だな!それとも、誘ってんのか!?」

新一が焦って、蘭を引きはがそうとした。
蘭は、しっかり新一にしがみついたまま、顔をあげる。
新一は焦った表情で真っ赤になっていた。

「後者よ」
「へっ!?」

新一が、それこそ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。

「誘ってるの」

そう言って、蘭が微笑んだ。




(4)に続く




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