春先迷路



byドミ



(2)悪霊ヒラサカ姫



たった今まで、毛利邸の階段踊り場にいた筈なのに、オレはいつの間にか、訳の分からない空間にいた。

長い黒髪をした女。
女の髪が伸びてオレに巻きつこうとしていた。
いや・・・よく見ると、髪と見えたのは闇で。
オレの体に、闇がまとわりついてくる。


「誰だ?」
「ヒラサカ姫。ずうっと昔、生きてた頃は、ナミと呼ばれていた。私は、どこかの国の姫だったらしい。もっとも、その頃の記憶なんて、闇に食われて、もうないけどね」


ぬばたまの髪、ぬばたまの瞳。
不思議な力を放つその眼に、吸い込まれそうだ。

「このままでは苦しいだろう?ヒラサカ姫が、新一の記憶を食べてあげるよ。そして、一緒に行こう」

その女が、オレに向かって、白い手を差し伸べて来た。
死人の白さ。
オレはゾッとして後退る。

「オレの記憶を食べる?冗談じゃねえ!」

蘭の事を忘れるなんて、冗談じゃねえよ!

オレは、女の手を振り払って、そこから逃げ出した。


いつの間にか、米花町のはるか上空を、オレは漂っていて。
僅かに人の形を留めたモノ達がいくつも、近付いてくる。

【悪霊ヒラサカ姫に、出会ったね】
【姫様に魅入られたね、お前】
【光栄な事だ、あやかりたいものだ】

悪霊(なんだろうな、多分)達が、手を伸ばして来るのを振り切って、オレは、空を駆けて逃げた。


オレが、精神体でいるからか?
今迄見えなかったものが見える。
その存在を感じる。


冗談じゃねえ!
オレはまだ、死後の世界なんて、知りたくもねえぜ!


   ☆☆☆



次の朝、始業式の日。
オレは・・・やっぱり霊体だった。

ひと晩経っても、オレの悪夢は、覚めちゃくれなかった訳だ。


「ええっ!?新一君が、事故に遭ったあ!?」
「うん、昨夜、トラックに・・・」
「そ、そんな・・・ウソでしょ?」
「え?そ、園子!落ち着いて!工藤君は!」

新学期の3年B組の教室で。
相変わらずの腐れ縁は、蘭とオレだけではなく、園子もだった。

「はよ!」

オレが・・・いや、オレの体を乗っ取ったあいつが、蘭と一緒に教室に入って来た。
教室は一瞬、静まり返る。

「んだよ?幽霊でも見たような顔してよ?」
「・・・!幽霊じゃないの!?新一君、アンタ、昨夜死にかけたって聞いたけど!?」
「はああ!?」
「園子。新一は、女の子を助けてトラックに接触しましたけど、かろうじてかすり傷で済みました」

蘭が、あいつの後ろから、呆れたような顔で園子を見て、言った。

「何だもう、事故に遭ったっていうから、てっきり大怪我して入院してんのかと・・・」
「へえ?園子、オメーも心配してくれたのか?」
「そりゃ、心配するわよ!蘭が心労で倒れてんじゃないかってね!」
「あ、そ」
「新一君!アンタひとりの体じゃないんだから、蘭の為にも自重しなさいよね!」
「はいはい。オレひとりの体じゃねえって、何か、やらしい言い方だな〜」


あいつは、何の違和感もなく、3年B組の輪にとけ込んでいた。
オレだって、もし第三者だったら、何の違和感も抱かないだろう。
オレの体を乗っ取っているあいつが、何者で、どんな目的を持っているのか、全然分からねえけど。
オレの事を、工藤新一の事を、誰よりもよく知っているらしい事は、分かる。


あいつが、オレの膨大な課題を、先生に提出していた。


「何とかクリアーだな、進級おめでとう、工藤」
「ありがとうございます!」
「けどな。気を抜くなよ。今年は大学受験、まあ、お前の頭なら大丈夫とは思うが、何が起こるか分からんものだからな。長期の休学の後だから、出席日数も厳しくなる。覚悟しておけよ」
「はい」


あいつはとりあえず、工藤新一としての生活を、完璧にこなす積りでいる様に見える。
一体、何が目的なんだ?

とにかく、誰にもオレが見えてねえ今の状況では、オレが自分の力で、どうにかするしかねえって事だ。


ふっと、窓の方に目をやると。
窓ガラスに、あの女・・・ヒラサカ姫の姿が映っていた。


オレは、ゾッとして身を翻らせた。
今迄、誰かを怖いと思った事は、滅多にねえが。
さすがに、霊の存在にまで太刀打ち出来るもんじゃねえ。


とにかく、オレは戻るぞ!
一刻も早く!



けれども。


あいつが寝ている隙に、肉体を乗っ取り返そうとすると、弾かれてしまい。
かと言って、作戦を練ろうと、遠くに行こうとすると。
オレの、工藤新一としての自我が、ぼやけて消えかかる。

これでは、アメリカにいる親の元を訪れて善後策を練る事も、出来やしねえ。


悶々としている内に、数日が過ぎた。



オレは、例の事故現場に向かった。
ここから全てが始まったのは確かだから、ここに来れば何か手掛かりがつかめるかもしれない。

幸い、オレはかすり傷、女の子は無傷だったし。
慌ててハンドルを切ったトラックがぶつかったガードレールが、まだ少し歪んでいる位で、現場は何も変わりない。


あの時。
スーパーから出て来た蘭が、オレの名を叫ぶのが聞こえた。



突然。
オレは、(肉体がない筈なのに)すさまじい頭痛を覚えた。

車の音が、すっげー耳触りで。


キキキ〜〜〜〜ッ!!


ブレーキの軋む音に。


「うるせええっ!」

思わず、声を上げていた。


   ☆☆☆


オレは、蘭の家に向かっていた。
コナンとして、長い間、蘭と共に暮らした家。

蘭に会いたかった。
たとえ、蘭の方からはオレが見えなくても。

蘭が、オレの贈った携帯電話で、誰かと話していた。

「え?新一、頭痛?もう一度、お医者様に見て貰ったら?え?今は治ったからいい?駄目よ、もしかして、あの時病院ですぐには分からなかった、事故の後遺症があるかもしれないじゃない!」


蘭の電話の相手は、あいつか!
それにしても、あいつもオレと同時に頭痛が?
・・・まさかな。

「とにかく新一、じっとしてて。わたしが今からそっちに行くから!」
『あ、おい、蘭!』

電話の向こうから、オレの体を使ったあいつの声が、聞こえる。
オレが出せないオレの声を、あいつが出している。

蘭が、上着を羽織って、部屋から出て行く。
オレも慌てて、蘭の後を追おうとした。
けれど、オレの前に立ちふさがる姿があった。

「やめなよ、新一。あの子には、アンタの姿なんか見えやしないんだから」
「ヒラサカ姫!」

ヒラサカ姫は、オレの首に両腕を巻きつけて、抱きついてきた。
その冷たさに、オレはゾッとする。

「新一を救えるのは、私だけ。私だけだよ」
「オレはお前には、用がない!お前に救って欲しいなんて、思ってねえんだよ!」
「工藤新一の名前なんか、忘れたら良いんだ。あの子の事も、忘れさせてあげるよ。そして、私と一緒に来たら良い」
「離せ!」


オレは、ヒラサカ姫を振り切って、飛び出した。
そして、蘭が向かった筈の、オレの家へと向かった。



あいつはリビングにいた。
蘭はまだ、来ていない。


工藤新一として長い間を過ごし、コナンでいる間、数か月を留守にしていた、オレの家。そして、オレの部屋。

ここにも、蘭との思い出が沢山詰まっている。


ドアが開いて、蘭が入って来た。

「新一!」

オレの方を向いて呼びかけられて、オレは心臓が跳ねるかと思った。

「呼んだか?」

蘭の後ろから、あいつが声をかけた。

「ううん、呼んだんじゃないけど。新一があんな話をするから、この部屋の中に、新一がもう1人いるような気がして」

蘭はそう言って、あいつを振り返り、にっこりと笑った。
蘭の言葉に、オレは驚く。

そうだ、蘭!
オレは、ここにいる。本当に、ここにいるんだ!


けれど、オレの呼びかけは、蘭に届かない。


「やめろよな、蘭。オレは、最近いつも、オレが何かから常に睨まれているような気がするって、話しただけだぜ」
「黒の組織の残党とかが、いるんじゃないかって事?」
「いや。んなんじゃなくて。もっと別の・・・」
「そういう感じは、事故の後からだって、言ってたよね?」
「ああ。何ていうか・・・オレ、事故の時の事って、記憶が曖昧で。思い出そうとすると、頭痛が酷くなんだよな」
「新一・・・」
「時々、考える。もし、オレがあの事故の時に死んじまってたら、どうだったろうって。一瞬の内に、全てを失なっちまってさ」
「新一!冗談でも、そんな事言わないで!」

蘭が泣き出し、あいつは慌てていた。

「せっかく、せっかく、かすり傷で無事だったのに!」
「ああ。悪かったよ、蘭。ごめんな」


蘭の涙に、オレの胸はキュンとなる。

それにしても。


あいつは、一体、何なんだよ?
あいつの不安は、工藤新一としての不安そのものじゃねえか。

一瞬の内に、全てを失う、だって?
今のオレ自身が、そういう状態なんだぜ。

今迄あいつの事を、単に「オレの肉体を乗っ取った偽者」と認識していたオレの中に、引っかかるものがあった。


あいつが、そっと蘭を抱き締める。
オレは、今引っかかったものを忘れて、怒りで腸が煮えくりかえった。

蘭を抱き締めているのは、蘭に触れているのは、オレの肉体だが、オレじゃない!


蘭が頬を染めて、目を閉じ、そっと顔をあげた。
あいつが、蘭の頬に手をかけ、唇を重ねようとする。


「蘭に、触るな〜〜!」

オレは、思わずあいつにとびかかって・・・弾き飛ばされた。
それも、ずっと遠くまで。



遠くに行ってしまうと、オレの自我が朧になってしまう。
それでも、ようよう、オレは米花町に戻って来た。


オレは、蘭の家に向かった。
蘭の部屋に灯りがともっているのを見て、帰って来ているのかとホッとする。

蘭の部屋に入ろうとして、思いとどまった。
もしかして蘭が着替え中だったりしたら、まずい。


いやそりゃ、オレは霊体だから、蘭に気付かれる事もねえだろうけど。
勝手に見るようなマネは、やっぱり出来ない。


そっと、壁の外に寄り添う。
蘭は、やっぱり電話中だった。


「何かね、あんなに弱気な新一って、初めて見た。やっぱり、事故に遭いかけた事がトラウマになってるのかな?」

誰と電話してんだろう?

「もう、園子!そ、そんな事出来る訳ないでしょ、バカッ!」

何だ、電話の相手は園子か。

「そ、そりゃまあ、その・・・新一とだったら、そうなってもいいかなって・・・だ、だからね!もう、園子!そんなんじゃないってば!」

ん?
一体、何の話だ?

「でも、ワガママかもしれないけど、弱っている新一を慰める為に、ってのは、嫌。だって・・・新一が、弱ってるからじゃなくて。本当に心から、わたしの事、欲しいって望んでくれるなら、わたしも・・・」


???
!!

ら、蘭!
まさか!?

オレに、蘭の全部をくれても良いって、まさかそういう話なのか!?


オレは、顔がにやけるのを感じていた。
けれど、直後に戦慄する。


あいつがどういう積りなのかはしらないが、あいつも蘭の事を欲しがっている事は、オレにも分かる。


このまま行けば、蘭は、あいつに、唇だけじゃなく、全てを!
冗談じゃねえ、くそったれ!
その前に、何としても、元に戻らなければ!



   ☆☆☆



更に、日々が過ぎて行く。

どうにもならない。
オレは、元に戻れない。

少しずつ、意識がぼやけて行く。
自我が、失われて行く。

今は、米花町にいても、自我を保つのが難しくなって来ていた。


「それでは!卒業アルバム用の写真撮影、行きま〜す!」
「おう!」

帝丹高校3年B組では、アルバム委員がデジカメを手に、クラスの集合写真を撮っていた。
蘭が、はにかむような笑顔で、あいつの隣に並んでカメラに向かっている。

「蘭」

かなり意識が朧になってしまったオレだが、蘭の事を思い浮かべる時だけは、意識がハッキリする。
けれど、その隣にあいつがいると思うと、そして蘭が全く気付く事なくあいつに身を委ねていると思うと、気が狂いそうになる。

「蘭。オレだ。オレが新一だ。分からないのか!?」

オレは、無駄だと知りつつも、あいつの背後に回って、その肉体を取り戻そうとした。
そして、弾かれる瞬間。


蘭や、園子達クラスメートが、驚愕の表情で「オレ」を見たのを、感じた・・・。



   ☆☆☆



気がつくと。
虚空にいた。
虚無が広がる、暗黒の空間。


「新一。まだ諦めないの?」

ヒラサカ姫が、オレの目の前にいる。

「またお前か、ヒラサカ姫。お前こそ、いい加減に諦めたらどうなんだ?」
「諦めないよ。ずっとずっと、探していたのだもの」
「探してた・・・?」
「アンタは、新一は、長い長い時の中でやっと見つけた、私の光」
「何だって?」
「アンタの事が好きなんだよ。だから、私と一緒に、来て」
「オレは・・・」

オレが、好きなのは。
オレの、唯一の女は。

「毛利蘭?あの子は、ただの力がない女の子じゃないか」
「力なんて、関係ねえ。あいつは、オレにとっての、全てだ」
「あの子の放つ光は、優しいけど、とても弱い。新一、アンタの強力な光に照らされてるだけの、ただの女の子だ。でも、私なら、新一の力を何倍にも増幅してあげられる。私と一緒に来なよ、新一」
「力?強い光?そんなもの!」
「アンタには、稀に見る強運と、強い力がある。だから、あの毒を飲んで子供の姿になっても、戻って来られたんだ。その力があれば。私と一緒に来たら、世界を支配する事だって出来るよ」
「世界を支配する事なんて、興味ないね。オレが欲しいのは、やっと手に入れたのは・・・!」


蘭。

蘭だけだ。
蘭以外、何も欲しいとは思わない!


オレの意志の強さが、ヒラサカ姫の結界に穴を開けたらしい。
オレは、虚空から飛び出して、夜の街の上空を駆けていた。



(3)に続く


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<後書き>


元ネタをトレースしているだけ・・・と言っても、やっぱり新蘭ですから、色々と微妙に違います。
一番難しいのは、視点を変えるのが困難だって事かな?
一人称にしているから、というだけではなくて、漫画と小説との描き方の違いが、あるんですよね。

元ネタ通りなら、全4回で終わる筈なんですけど、さてどうなるか?

ええっと。
もしも、「蘭ちゃんが、新一君ではない相手に、クチビルを奪われた!」とお怒りの方がおられたら、ごめんなさい。
一応、最終回まで行けば、納得していただける筈だと、思います。


(1)「進級の日」に戻る。  (3)「二つの世界」に続く。