未来の思い出



byドミ



(3)初めての夜?



「え!?記憶喪失!?」

学内のカフェテリアで、園子の素っ頓狂な声が響き渡った。

結局蘭は、園子に「記憶喪失」の事を話したのである。
蘭には隠し事は苦手であるし、園子は蘭の長年の親友なのだ。
下手に隠し立てせず、正直に話した方が良いと、蘭は思った。

「蘭、あんたって、記憶喪失になり易い体質なのかなあ?高2の時も、1度あったよね。ホラ、佐藤刑事が目の前で撃たれた時」
「うん、そうだったね。わたしにとっては、ほんの最近の事なのに・・・」
「でも、あの時とは状況が違くない?あの時は、小父さん小母さんの事も、わたしの事も・・・そして新一くんの事すら、一切合切忘れてたでしょ?でも今回は、5年分の記憶がすっぽり抜け落ちてるだけで、その前の事は覚えてる訳よね?」
「う・・・ん・・・」
「それに、蘭が記憶喪失になる程の何かがあったってのに、新一くんに心当たりないのが解せないのよねえ」

確かに、記憶喪失にしては奇妙なところがたくさんあった。
蘭自身は覚えていないのだからともかくも、新一の様子からして、蘭は特に昨晩まではいつもと何の変わりもなく過ごしていたものらしい。

高校2年の頃・・・新一が傍に居なかった頃の記憶喪失の時とは、明らかに状況が違うように思えるのである。

「ねえ、ところで園子。コナンくんが・・・新一だったの?」
「あ、そうか。蘭の時間は、『それ』を知る前で止まってるんだね。わたしが教えても良いもんかなあ?もう口滑らしちゃったから今更だけどさ」

園子がちょっと申し訳なさそうな顔で言った。

「園子は、わたしが記憶喪失だって事知らなかったんだから、仕方ないよ。最初に言わなかったわたしが悪いんだから、気にしないで」
「だけどさ・・・まあでも、元はと言えば新一くんが記憶喪失の蘭を放って置いて事件にすっ飛んでったのがそもそもの原因よね。そう、あやつが悪いのよ!」

園子が、この場に居ない新一に責任転嫁して拳を振り上げたので、蘭は苦笑するしかなかった。
5年経っても、蘭が新一と結婚していても、園子との関係が変わっていない事に、蘭はホッとしていた。

そして、新一が園子の事を信頼し、それ故に「蘭を頼む」と言い置いて事件現場へと向かった事を蘭は理解した。

蘭は園子の口から、新一がコナンになった事とその経緯を聞く事になった。
蘭が幾度もそうではないかと疑い、けれどその度に否定された、「コナン=新一」疑惑。
けれど、やはりコナンは新一だった。
そしてコナンはその度に、蘭の疑いをそらす画策を行っていたのである。

そもそも小さな子供の姿になる事態というのは尋常ではないと思われるし、新一なりの苦悩や訳があったのだろうと思いつつも、蘭はやはり、少しどころではなく腹を立てていた。
ただおそらくは、記憶を失う前の蘭はそれを知って・・・そして新一を赦したに違いないのだから、今更にそれを言い立てるのは流石にどうかとも思う。
全ての事を今更に、再びきちんと話して欲しいというのは・・・やはりあんまりな気がしていた。

「蘭。一旦終わった話だから、今更蒸し返せないって思ってんでしょ」

いきなり園子が蘭のもやもやの核心を突いて来たので、蘭は飛び上がらんばかりに驚いた。

「ななな、何で分かるの、園子!?」
「馬鹿ねえ。わたしが何年蘭の親友やってるって思ってんの?記憶がないんだからさ、一から全部もう一度教えて、って新一くんに頼めば、あの男も絶対に嫌な顔なんてしないと思うよ。第一、いつ蘭の記憶が戻るかも分かんないでしょ?」
「うん・・・」

蘭は再び気持ちが沈むのを感じていた。
記憶喪失の原因は分からないが、それはまあ良い。
ただ、失われた記憶がいつ戻るのか、最悪戻らないかも知れないと思うと、憂鬱にならざるを得ない。

「わたしも最初はあのガキんちょが実は新一くんだって知った時は腹立ったわ。でも結局、まあ仕方ないかって思ったのよね。これはわたしの推測だけどさ。あやつ、蘭に正体がばれたら蘭の傍に居られないって思ってたんじゃないかと思うのよね。蘭を悲しませておきながら、良い度胸じゃんと思うけど。でも、ああまでして蘭の傍に居たかったんだと思うと、何かおかしくなっちゃって。怒る気力が失せたっていうか・・・」
「わたしの・・・傍、に・・・?」
「そうよぉ。新一くんが蘭にそう言ったんだって、蘭本人から聞いたんだもん。もう1回訊いてみなよ、話してくれると思うよ」
「・・・・・・」

もしも、園子の言う通り、新一が蘭の傍に居たくて蘭に嘘を突き通していたのだとしたら・・・傍に居たかった理由が、蘭への好意からだとしたら・・・。
全てを赦したくなるだろうと、蘭は思った。

「それにしても、蘭の記憶がないとしたら、本当に困った事になったわねえ」

園子が顎に手を当ててそう言った。

「困ったって・・・何が?」

蘭が思わず不安を募らせて、園子を見詰めた。

「決まってるじゃない。卒論よ、卒論。多分家のパソコンには今迄に書いた分のデータは残ってるだろうけどさ。流石の蘭も、大学時代の勉強が全部真っ白けで、今迄の教授との打ち合わせも覚えてないんだったら、論文簡単に仕上げらんないでしょ?いざとなったら教授に記憶喪失の事を打ち明けるしかないだろうけど、大丈夫かなあ?」
「え?園子が心配したのって、卒論の事だけ?」

蘭がちょっと拍子抜けして言った。

「他に何か問題あるの?記憶なくても新一くんとはラブラブだし、蘭は誰からも嫌われたりしてないから、別に人間関係では困る事もないでしょ?でも卒論はマジで困るよ。卒業出来ないじゃん」

その時、蘭の携帯が鳴った。
着信音が記憶にあるものと違うので蘭はすぐに反応しなかったが、自分のバッグの中で音がしているのに気付いて慌てて取り出す。

蘭は思わず自分の携帯電話に見入ってしまった。
新一と同じく、年代物の携帯。
蘭の記憶にある通りの、古びた携帯とストラップ。
蘭はずっと五年間、新一から貰ったこの携帯電話を使い続けて来たのだろう。

コール音が続いており、蘭は慌てて電話に出た。

「もしもし?」
『蘭、オレだ』

聞き覚えのある声に、蘭はホッとしながら応じた。

「新一、どうしたの?」
『事件は無事解決したから、今からそっちに戻る。待っててくれよな』
「うん、わかった」

蘭が電話を切ると、園子から半目で見詰められた。

「相変わらず、熱いわねえ。まあ蘭の記憶がないから、余計に心配なんだろうけどさ。今夜はまた熱い夜になるんでしょうね。ああ、羨ましいなあ」
「今夜・・・?熱い夜・・・?」

蘭が園子の言葉にきょとんとして問い返すと、園子がニヤリと笑った。

「そっか〜。蘭には『その記憶』もないんだもんね。今の蘭にとっては、今夜が『初夜』になる訳だ。きっと新一くん、優しくしてくれるよ」
「ええ!?初夜って初夜って・・・園子!!?」
「だって夫婦なんだもん、当たり前の事でしょ?」

蘭は今朝目覚めた時の自分の格好を思い出した。
恋人同士でも、それが当たり前のようになっている時代。
増してや夫婦であれば当然の事と言える。
しかし蘭にとっては、とんでもない事であった。

蘭とて、新一が相手であればそれが「嫌」なのでは決してないが、戸惑わずには居られない。
何しろ(蘭の感覚としては)新一とはずっと「只の幼馴染」であり、手を繋ぐのがせいぜいで、ファーストキスすらまだだったのであるから。

「あ、噂をすれば。飛んで来たみたいよ、蘭のダ☆ン☆ナ」

園子にそう声を掛けられて、蘭は顔が火照るのを感じていた。

「待たせたな。ん?蘭、どうした?」

新一が優しく声を掛けてくる。
まさか今夜の事を考え戸惑っているとも言えない、蘭はかぶりを振り、小声で「ううん、何でも」と答えた。

「ら〜ん。グッドラック!健闘を祈る!」

別れ際、園子がそう言って、蘭はますます真っ赤になった。

「?蘭、一体何の話だ?」
「だから、何でもないってば」

声を掛けてくる新一に、蘭は強い口調で返してしまう。
新一は蘭と肩を並べて歩きながら、気になる様子でちらちらと蘭を見た。

『強い調子で言い過ぎちゃったかな・・・?』

蘭が少し後悔していると、新一が口を開いた。

「なあ。何か記憶の糸口になりそうなもん、見つかったか?」

新一は、蘭が園子と話す事で、記憶を取り戻すきっかけが作れるのではないかと少し期待したようだ。
蘭は俯き、首を横に振った。
涙が滲みそうになるのを必死で堪えた。

「あ!ご、ごめん、蘭!別に焦らなくて良いんだからな。オレは・・・、たとえオメーが記憶を取り戻せなくても・・・ずっとオメーへの気持ちは変わんねえから。それに多分、きっと、園子もそうだと思うぜ」

蘭は驚いて新一を見る。

新一はいつから、こういう風に蘭を想っていてくれたのだろうか?
そして、この5年間どんな風に、2人で愛を育てて来たのだろう?

蘭はそれを知りたくて堪らなくなった。
そっと新一の手を握って言う。

「ねえ新一。記憶が取り戻せるかどうか分からないけど、わたし、頑張ってみる。でももしかしたら、駄目かも知れない。で、あのね・・・今迄のわたし達の事、少しずつで良いから、色々と教えてくれる?」

新一は言葉で答える代わりに、ギュッと蘭の手を握り締めてくれた。

2人で工藤邸へ・・・今は蘭と新一夫婦が住む家へ、帰った。
蘭が幼い頃から出入りしていた家で、元々蘭には馴染みの深い場所である。
更に今は、蘭が主婦として屋敷内を整えているのだ。
部屋の中に違和感がなかった筈だ、と蘭は思った。

2人でご飯を作って一緒に食べる。
それは2人がまだ「幼馴染」だった頃から、お馴染みの事で。
だが、今はそれを「夫婦」としてやっているのかと思うと、ちょっとくすぐったく感じる。

向かい合わせで食事をしながら、蘭は新一に今迄の事を聞いた。
新一は「ま、少しずつな」と言って、まだあまり多くを語ってはくれなかったけれど。
蘭が知りたかった、新一がコナンであった事は、かいつまんで簡単に話してくれた。

「そう・・・哀ちゃんが、薬を作った科学者だったのね。道理で、クールな感じで子供離れしてるって思ったわ。シャイなんだと思ってたけど、ちょっと見当違いだったかな?」
「宮野も、オメーの影響で、大分変わったんだよ」
「え?わたしの?」
「ああ。まあ、あの組織に居た所為で、亡くなったお姉さん以外の人は信じられなくなってたようだけどさ。多分、オメーのようなお人好しって、あいつからしたら信じられねえ存在だったんだろうな。
少年探偵団との関わりで、少しずつ笑顔が見られるようになったけど、本当に変わったのは、蘭の優しさに触れてからだって思ってる」

新一の言葉を、蘭は少し複雑な思いで聞いた。
多分、灰原哀=宮野志保が変って行ったのは、新一の影響も大きい・・・と言うより、新一の存在が、宮野志保という女性を光の方へ向かせたのではないかと蘭は思った。

けれど、新一はそれが「蘭の影響だ」と言い切っている。
その言葉を聞いた時に、蘭は初めて、新一がずっと蘭の事を愛し続けてくれていたと理解し信じる事が出来た。

「蘭。オメーには辛い思いをさせて、騙し続けていたんだけどよ。その事でいつかオメーから詰られても仕方ねえって思ってた。それでも、オレは、オメーの傍を離れたくなかった。オレの正体がオメーに気付かれる事があったらそん時は・・・オメーの傍を離れるしかなくなるだろ?
いつかきっと、新一の姿でオメーの元に戻るんだって目標があったから、オレは頑張れたんだ。オメーの傍に居る事が出来て、そりゃまあ涙見んのは辛かったけどよ・・・ずっと傍に居んのは、すごく幸せだった」
「ねえ新一。昔のわたしって、それですぐに新一を赦したの?」
「んん、ああ、まあな。こっちが罪悪感覚える位に、割とあっさり赦してもらった記憶がある。でも、本当は・・・ただ単に、オレを責めたいのを我慢してたのかも知れねえとも思う」

そうだったのだろうか。
蘭は、記憶になくても、ちょっと違っていたのではないかと思う。

今日の昼間、園子から話を聞いた時に感じていた怒りは、いつの間にか消えていた。
それは多分・・・。
新一が蘭の事をずっと想っていてくれていた、その為の嘘だったと感じる事が出来た為だと思う。
おそらく昔の自分も、そう感じたから新一の事を赦したのではないかと、蘭は考えていた。


「いつの間にかこんな時間だ。今夜はもう寝ようか。続きはまた明日にでも。多分、時間はたっぷりあるし」

新一がそう言って立ち上がった。
蘭も覚悟を決め、新一に続いて2人の寝室へ入って行った。

新一が先にシャワーを浴びている間に、蘭は寝室にある箪笥の引き出しを開けた。
流行や年齢の違い、好みの変化はあるのだろうが、基本的に今の蘭が見ても大きな違和感を感じない服が揃っている。

寝間着は流石に、17歳の蘭が着ていたシンプルなパジャマより、大人っぽく優雅な感じのものが多かった。
蘭は心臓がバクバク言うのを感じながら、これと思う一枚を選び出し、下着も吟味して準備した。

新一と入れ替わりにバスルームに入った蘭は、体を隅々まで洗った。
香水は付けるのか付けないのか、どんなものを使っているのか、いまいち分からないが、石鹸やシャンプーから仄かな甘い香りがするので、これで良いかと思い直した。

今夜の事を考えると心臓が口から飛び出しそうになる。
この体は幾度となく新一に抱かれたのだろうが、蘭には全くその記憶がないのだから。

蘭がバスルームから出てくると、先にベッドに座って待っていた新一は、少し目を細めて蘭を見た。

「蘭」

新一が蘭を抱き寄せる。
蘭はどうしても身が強張り、震えてくるのを止められなかった。
新一はちょっと苦笑すると、蘭の額に軽くキスをして立ち上がった。

「今日は疲れたろ?ゆっくりお休み」
「え・・・?」

蘭が今腰掛けている、今朝目覚めを迎えた寝台は、どう見てもダブルサイズのもので、夫婦2人用である事は間違いなかった。

「新一は、どこで寝るの?」

蘭は自分でも、凄く不安そうな顔をしているだろうと思った。

「んな顔すんなよ、バーロ。オレは今迄何度もオメーを抱いた。けど、オメーの記憶にはねーだろ?まだそんなに怖がってるオメーを抱くなんて、とても出来ねえよ。かと言って、ここで一緒に寝るとオレの理性がもたねえし。この家には寝る場所位たくさんあっからよ、心配すんな」
「・・・でも。新一。じゃあ、わたしの記憶が戻らなければ、ずっと、手を出さないの・・・?」
「ずっと・・・は無理かも。けど、もうちょっと、蘭の気持ちが落ち着いてから、な」

新一はそう言って蘭の頬に軽い口付けを落とすと、ドアを開けて去って行った。

蘭は広いベッドで手足を伸ばして横になる。
元々、普段は一人寝だ。
誰かと一緒に寝るのは、幼い頃と、たまに女性の友人を泊めた時くらいのもので、一人寝には慣れている筈だ。

けれど、ベッドが広すぎる所為か、それともこの体が寂しがっているのか。
今は、隣に新一の存在がない事が寂しく思えるから、不思議だ。

もっとも、確かに一方ではホッとしていた。
一応覚悟は決めていた筈だけれど、やはり怖かったのは事実であるから。

「ただ、何もしないで抱き締めて寝て欲しい、ってのは我儘かな?」

新一は、ここに居たら理性がもたないと言った。
蘭には男性の欲望がどのようなものか見当が付かなかったが、多分それは無理な注文なのだろうという気はしていた。

ふと蘭はある事に思い当たる。
新一は、額や頬には口付けても、決して唇には触れて来なかった。

確かに蘭はキスすらも未経験ではあるが・・・。

「わたしと、キス、したくないんだろうか・・・?」

あらぬ疑念が蘭の心に浮かんでしまったのである。


(4)に続く


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<後書き>

この頃書いた原作設定未来捏造話では、映画のエピソードも「過去にあった事」として描いています。
ここで出てくる「蘭ちゃんの過去の記憶喪失」とは、映画第4段の「瞳の中の暗殺者」のエピソード、ですね。

ええっと・・・このお話の、22歳の新一君は、「記憶喪失の」蘭ちゃんに、ちと隠している事があります。
ただそれは、騙そうとしているってのとはまた、違うんですけどね。

このお話の元ネタは、昔々、オリジナルで考えていたものでした。
ただそのオリジナル、まともに書くと、むっちゃ理屈っぽくて分かりにくいお話になってしまうだろうと、思ってたんです。

オリジナルネタを新蘭変換する場合、パラレルになる事が多いのですが、これは一応、原作準拠ネタで行けそう、いやむしろ、原作準拠の方が小難しい話にならずに済むなと、考えました。
でも、完全に原作準拠であるかは、世界観的に、ちと微妙・・・それは、後に明らかになりますけど。

この話とネタがかぶった某サイト様が、「パラレル」と銘打ったのも、むべなるかな、と思います。

(2)「5年の空白」に戻る。  (4)「新しい日々」に続く。