未来の思い出




byドミ



(4)新しい日々



蘭が目覚めた時。
状況を確認するのに、数分の時間を要した。暫く経って昨日の事を思い出し、状況を理解する。

「記憶は・・・まだ戻りそうもないわね」

そう言って蘭は溜息を吐いた。

蘭が身支度をして階下に降りて行くと、コーヒーの香りが漂って来た。

「お早う。良く眠れたか?」

新一が階段を見上げて声を掛けて来る。

「うん・・・新一は?」

蘭は思わず訊き返していた。
新一の目は赤く、寝不足なのではないかと思えたから。

「私がベッド占領しちゃったから、新一、あんまり眠れなかったんじゃない?」
「いや、寝るとこはいくらでもあるって言ったろ?オレの場合、場所が問題なんじゃなくて・・・」
「場所じゃなくて?」
「あ、いや・・・。だからな、昨夜は調べ物とか色々あったんで・・・」

歯切れの悪い新一の言葉に、何か誤魔化しの臭いを感じたが、蘭はそれ以上追求しなかった。
蘭がこの時の新一の「睡眠不足」の理由を知るのは・・・ずっと後の話となる。

「お父さん、ちゃんとご飯食べてるかな?」

蘭が呟く。
5歳分年を食った親に会うのは、正直ちょっとばかり怖い。

「ああ、大丈夫だろ。小母さんがついてっから」
「ええ?お母さん、戻って来てるの?」
「ああ。オレ達が結婚するのと同時位にな。やっぱ蘭が居なくなったら、小父さんも寂しかったらしいぜ」

そう言いながら新一は蘭に紅茶を淹れてくれ、蘭の目の前に置いた。
芳香に誘われ、蘭は早速口をつける。

「美味しい・・・新一って、こんなに紅茶淹れるの上手だった?」
「いや・・・母さん仕込みだよ。『蘭ちゃんにおいし〜い紅茶を淹れてあげてねv』って、結婚前に特訓された」

新一の母親・有希子は昔から、蘭を娘のように可愛がってくれた。
結婚後も蘭に気を配ってくれているらしいのを感じ取って、蘭は胸が熱くなった。

新一がじっと蘭を見詰める気配がしたので、蘭は振り向く。

「なに?」
「あ、いや・・・見た目は変わんねえんだけど、オメーの表情とか、色々・・・確かに17歳の蘭だなあって思ってよ」

蘭は改めて新一に向き直る。

その眼差しは、変らない。
けれど、顔の輪郭や、体の線などが、確かに大人の男性になっている。
蘭の知らない新一だった。

新一や園子が昔と変わらず普通に接していたから、蘭も違和感なくタメ口で話していたが、2人とも蘭から見れば、大学4年の「大人」なんだという事実に、改めて気付く。
蘭は体は大人になっても、中身は、心は、17歳のままだった。

「器と中身にずれがあるって・・・辛い事だったんだね」
「ん?どうした、蘭?」
「新一・・・たった5歳の差で、それも、17歳と22歳のだったら、大した違いじゃないよね。新一が陥った状況に比べれば・・・」
「蘭?」
「ねえ。ホント?私の傍に居たかったって・・・」
「ああ。事情を知った父さん達が迎えに来た時も、それを断って日本に留まったのは、蘭の傍に居たかったからだよ・・・」

新一がちょっと視線をずらし、頬を染めてそう言ったのを見て、蘭は自分の心が温かいもので満たされて行くのを感じていた。

もしも自分が7歳の子供の姿になってしまったら。
きっととても寂しくて辛い。
けれどやっぱり自分も、新一の傍に居たいと望むのではないか。
蘭はそう思った。

不意に新一が屈み込み、じっと蘭の顔を見詰めると、蘭の額に口付けを落とした。

「じゃ、オレ、行ってくっからよ。蘭は今日は、あんまり遠出しねえ方が良いだろう。もし何なら・・・事情は伝えてねえけど、実家に遊びに行ったって良いし」

やっぱり唇には触れようとしない新一を見て、蘭はちょっとばかり悲しくなり、胸がもやもやとするのを感じていた。


   ☆☆☆


「蘭、どうしたんだ?大学には行かなくて良いのか?」
「後は卒論を残すだけだから」

蘭は、今でもまだ「ずっとそこに住んでいる」感じを覚える毛利邸へと足を向けたのだった。

5年の歳月が流れているが、町並みも、喫茶店「ポアロ」も、毛利探偵事務所も、あまり変わった様子はなかった。
小五郎も、ちょっと老けたかと思うが、さして変わっていない。
その事に蘭はホッとする。

「お母さんは?」
「ああ?とうに事務所の方に出かけたぜ。今大切な裁判が山場で忙しいんだとよ。ん?英理に用だったのか?」
「ううん、用という訳じゃないけど。お父さんとお母さんの顔を見たくなっただけ」

蘭がそう言うと、小五郎の目が細まった。

「蘭、何か遭ったのか?まさか新一のヤロウが、とんでもねえ事をやらかしたんじゃ?」
「ううん、そんな事じゃないよ。今ね、ちょっと卒論に行き詰っちゃって・・・」
「ふうん。卒論テーマは何だ?」

父親にそう尋ねられて、蘭はドキリとした。
今朝パソコンで見たファイルの題名を答える。

「中国古典の日本文学への影響について、なんだけど・・・ホラ、日本の古典を見てると、引用とか何かが前提になってるとか、あるでしょ?」
「くはあ!オレは中国古典も多少は齧っちゃいるが、んな論文へ助言出来る事はねえなあ。新一のヤロウも、流石にそこは専門外って事か。けど、英理にだって、そこら辺になると分かんねえんじゃねえか?」
「あ、そ、そうじゃなくて。気分転換をしたかっただけなの」

蘭は探偵事務所で父親と話した後、三階にある毛利邸に行ってみた。
流石にそこは、違和感まではなくても蘭が住んでいた時と変わっている。
蘭の私室だったところは、英理の仕事部屋になっているようだ。

蘭は過ぎた歳月を思い、ひそかに涙を流した。


   ☆☆☆


「蘭、大丈夫なの?大学に来て」

園子が心配そうに声を掛けて来る。

「うん。雰囲気を掴みたいし、それに園子にも会えるかと思って」

蘭は毛利邸を出た後、結局今の蘭の居場所である筈の帝丹大学へと向かったのだった。


「ところで・・・昨夜、どうだった?」

園子がちょっとばかりニヤニヤしながら言った。

「どうって・・・何もなかったよ」
「へ!?」
「だって・・・新一、私に寝室譲って別のとこで寝たんだもん」

園子は目を丸くした後、顎に手を当てて考え込んだ。

「そっか、今朝新一くんに会った時、目が赤いような気がしたんだよね。あの男も、やるわね。普段は節操なしの癖に、やっぱ蘭がそれだけ大事なんだわ」
「え?普段は節操なしって・・・」

 園子が蘭の耳に口をつけて、ひそひそと何事かを囁いた。

「ええ!?う、うそぉ!」
「嘘じゃないわよ。蘭、あんた本人の口から、いっつも愚痴を聞かされてたんだからね。まあ半分以上はのろけだったけど」

蘭がいつも園子に愚痴を言ってしまう程に、新一が蘭にメロメロになっているなんて、とても信じられなかった。

「でもね、園子。一緒に寝ないのはまあ私を気遣ってにしても・・・一度もキスしないって、どういう事かな?」
「へ!?キスしない!?」
「うん・・・額とかほっぺたにはしたけど・・・」
「う〜ん。私には良くわかんないけど・・・もしかして、『エッチが我慢出来なくなる』からじゃない?」
「そ、そうかな・・・」
「そうよ!だって今迄なら、新一君があんまり人前でもベタベタするもんで蘭に怒られてた位なんだよ。確か、キスシーンも何人か目撃者が居たと思うな。でもさ、今の蘭は記憶がないから、キスでその気になって押し倒さない用心なんだと思うよ」

園子の言葉に、蘭は頭から湯気が噴き出した。

どうも蘭の知る新一のイメージからは想像も付かない。
蘭の知る限り、新一はいつでもクールで・・・人前でベタベタしそうなイメージは全くなかったのだ。
新一が変わった・・・と言うよりは、いくら長い付き合いで相手の事が良く分かっているつもりでも、やはり、ただの幼馴染では見えなかった面があるのだろう。

それにしても、園子が居てくれて良かったと、蘭はつくづく思う。
そうじゃなかったら今頃は、新一の行動や言葉の意味を、変な風に解釈してとことん落ち込んでいたのではないかという気がする。
新一が蘭を気遣ったらしい行動も、蘭にはそうとは分からなかっただろう。


   ☆☆☆


数日が過ぎた。

蘭は少しずつ新しい生活に馴染んで行った。
新一からもポツポツと、空白の5年間の話を聞いた。

記憶は相変わらず、すぐには戻りそうもなかったが、蘭はそれでも良いかと思い始めていた。
この状態が続けば、卒論の仕上げを待ってもらうなどは必要になると思われるが、それ以外は特に問題なさそうだった。


蘭が記憶を失ってから一週間後。
再び雷雨が襲って来た夜、蘭は意を決して新一に言った。

「今夜は、一緒に居て欲しいの。駄目?」

新一は、目を丸くした後、微笑んで言った。

「わーった。今夜はずっと、傍に居っからよ」


蘭は、すっかり「その積り」で居たのだが。
一緒にダブルベッドに入った新一は、ただ蘭を抱き締めただけで、それ以上の事は何もしようとしなかった。
もしかしたら、蘭がただ、雷を怖がっていただけだと思ったのかも知れない。

「ねえ新一。どうして?」
「ん?」
「ど、どうして、抱いてくれないの?」

蘭が、勇気を振り絞って、問う。
新一は、目を丸くして蘭を見詰めた。

「蘭?」
「わたし・・・たとえ記憶がなくたって・・・あなたの奥さん、なんでしょ?」

新一は、優しく微笑むと、蘭が想像してもいなかった言葉を出した。

「今のオメーを抱くと、裏切る事になっちまうからな」
「裏切るって・・・誰を!?」
「17歳の工藤新一と、17歳の毛利蘭を」
「えっ!?」

あまりにも予想外の答に、今度は蘭が目を丸くする。
新一が優しい目で蘭を見詰めて、言葉を継いだ。

「蘭。本当はオメーはな・・・記憶を無くしたんじゃねえんだ」
「え!?どういう事!?」
「オレだって、本当にこの時が来るまでは、半信半疑だった。決してオメーを疑ってた訳じゃねえんだけどよ」
「新一・・・訳解んないよ!」
「いつか、17歳のオメーがオレんとこに来っから、その時は宜しくって、ずっとオメー本人から聞かされてたんだよ」
「え?」
「オメーは記憶を失ってんじゃねえ。17歳の蘭と22歳の蘭が、一時的に意識を交換しているだけなんだ」
「!!!!!」

稲光がして、雷鳴が轟いたが、蘭はそれすら目にも耳にも入らない位に驚愕していた。

「オメーの心は間もなく、過去に戻る。多分それと入れ替わりに、今はオレの妻となっている22歳の蘭の心がこちらへ帰って来る筈だ。
この体はともかく、今のオメーの心は、キスもエッチも経験ねえだろ?手ぇ出す訳には行かねえよな。初めての相手は、やっぱり過去のオレであって欲しいって思うぜ」


蘭は驚いていたが、新一の言葉をすんなりと納得しても居た。
そう、蘭にとって、告白も何もかも、全てがこれからなのだ。

「蘭。また、オメーにとっての『未来』で、会おうぜ」

蘭は何かを言おうとしたが・・・あの日と同じように、稲光と共に轟音が轟き・・・そして蘭は意識を手放した。


(5)に続く


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<後書き>


ここで、ネタばらし。
蘭ちゃんは、記憶を失っていた訳ではなく、精神だけタイムトラベルしてた・・・って事ですね。

実はここで、ひとつのタイムパラドックスが、起こってます。
「コナン=新一」だったという事実を、蘭ちゃんは「未来で」先に知ってしまった。
それが故に、蘭ちゃんは、秘密を知った後にあっさりと新一君を赦す。

まあ、歴史を変える程の大きなものではなく、ささやかなものですけどね。

で、私も忘れかけてたんですけど(苦笑)、このお話のタイトルは、実は、故・藤子=F=不二雄先生の漫画のタイトルから、パクってます。
といっても、映画化されたのを見た事があるだけで。漫画自体は、読みたいと思いながらも、いまだに手に入らずです(泣)。


次で、最終回です。

(3)「初めての夜?」に戻る。  (5)「そして始まりの日へ」に続く。