re-start第Ⅰ部　Present time（９）巻き戻しの薬

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by　ドミ

第Ⅰ部　Present time（９）巻き戻しの薬

わたしは、見つけた写真をバッグに入れて。
すぐに、新一の家に向かった。

杯戸町駅から東都環状線に乗って、米花駅で降りて。
新一の家へと向かう。

門扉に手を掛けたところで、声がかかった。

「あら、蘭さん？」
「志保先生？」

声を掛けてきたのは、わたしの主治医・宮野志保先生。

志保先生がここにいるのは、不思議じゃない。
志保先生は、新一の隣人・阿笠博士の養女なのだから。

だから、今の名前は本当は「阿笠志保」なのだそうだ。

「工藤君なら、いないわよ。仕事中だと思うけど？」
「……待ちます」
「でも、遅くなりそうなこと、言っていたわ。仕事場に行った方が早いんじゃない？」
「……」

とても今更のことだけれど。
わたしは、新一の「仕事場」を知らないという事実に思い至った。

恋人同士になった筈なのに。
わたしは、新一のこと、何も知っていないんだ。

そして、もうひとつ、知ったことがある。
志保先生が新一の「隣人」となったのは、そう昔のことではない筈なのに。
新一と志保先生は、「単なる隣人」という以上に親しい間柄のようだった。

わたしは、足元が崩れていくような感覚を覚えていた。
あの写真を見つけるまでは当たり前のように思っていたものが、皆、砂上の楼閣のように崩れていく。

「工藤君が帰って来るまで、うちで待ってる？」

志保先生が言ってくれたけど。
わたしは首を横に振り、踵を返して駆け出していた。

「新一――新一――新一ぃ！」

無意識のうちに、わたしは、新一の名を呼んでいた。
でも、どこに行ったらいいのか、分からない。

突然、携帯が鳴った。
わたしは慌てて電話に出る。

『蘭』
「新一！？」
『何か遭ったのか！？』
「え？な、何で！？」
『いや……宮野が電話かけて来たからさ』
「志保先生が？ど、どうして！？」
『オメーの様子がおかしいから、心配してたんだよ』
「そうじゃなくて。そうじゃなくて！どうして、志保先生が新一に電話かけるのっ！？」

何だか頭がぐちゃぐちゃで。
変なことを口走っている自覚は、あった。

『蘭。オレは……昔の毛利探偵事務所にいるから』
「えっ？」
『そこを、使わせてもらってるんだ』
「新一が？お父さんの前の事務所を？」
『すぐ来れるだろう？』
「う、うん……」

何が何だか分からないけど、わたしは、毛利ビルに向かって歩き出した。
ほどなく、目的地に着く。
新一が下まで迎えに出てくれていた。

ずいぶん古びてしまったけど、馴染みのある階段を上り、２階の事務所へ入った。
事務所のドアを開ける。
中は、わたしの記憶とはずいぶん変わってしまっていた。

「蘭」

新一が、わたしを迎え入れてくれた。
促されるままに、わたしはソファに腰かける。
新一はコーヒーを運んできた。

「新一……この事務所、いつから？」
「正式には、大学を卒業してからだけど。その前からここで、おっちゃんと一緒にやってたんだよ。おっちゃんの方は、杯戸町に事務所移してからは、あんまこっちには来なくなったけどな」
「そ、そうなんだ……」
「蘭。どうしたんだ？何があった？」

新一が心配そうに覗き込んでくる。
胸がきゅううんと切なくなる。
ああ、わたし、本当に新一のことが好きなんだ。

わたしは、写真を取り出して、新一に見せた。
新一が眉を寄せて、それをじっと見る。

「これ……オメー、どこで……」
「わたしが持ってるナイトバロンシリーズ１巻に挟まってた」
「……」

わたしは、写真を裏返し、そこに書いてある文を新一に見せた。
すると、新一は、真っ直ぐ射抜くようにわたしを……ううん、わたしの向こうにいる誰かを、見た。

「そうか。蘭、それがオメーの意志、なんだな……」
「新一？」
「蘭。話すよ。オメーが……今のオメーが16歳になったら話すって言ってた事を……5年前、何があったのかを……」

そうして、新一は居住まいを正した。

　　　☆☆☆

「とはいえ。まず、何から話したら良いものか……」
「じゃあ。写真のことから説明してくれる？」
「写真か……そこに写っているのは、8年前のお前だ」

いきなり、思いもかけない言葉が出てきて、わたしの頭はうまく回転しない。

「え？だって……そこに写っている女の人は、どう見ても、わたしより少し年上の帝丹の制服を着た高校生で……」
「ああ。オメーは……普通に成長していた。オレや園子と一緒に、帝丹中学・帝丹高校に進学した」

思いがけない話の筈なのに。
わたしは心のどこかで「ああ、やっぱり」と思っていた。

「大学は別になっちまったな。オメーと園子は帝丹大学に進学して、オレは東都大学に行った」
「うん……」

新一は昔から頭が良かったし。
園子と新一がどの大学に行ったのかは知っていたから、意外な話ではなかった。

「オメーが病気になったのは、20歳になる少し前のことだった……」
「病気……？」
「ああ。悪性リンパ腫っていう、白血病の一種というか……かなり厳しい病気だ……」
「……！」

前に、和葉ちゃんから聞いた話を思い出す。
新一の恋人は、白血病によく似た病気で命を落とした、と。

「根本的な治療法としては、骨髄移植しかなかった。骨髄移植には自家移植と他者からの移植の二種類があるが、オメーの場合、造血因子を投与しても、末梢血幹細胞が十分に作られず、自家移植ができなかった。そして……骨髄バンクで探しても、オメーと型が合うドナーは、見つからなかった……」
「でも、じゃあ……」
「誰もが、蘭の存在が失われることを、覚悟した……」

わたしは、その言葉の中身よりも。
新一の苦痛の表情に、驚いていた。
この世にここまで悲壮な表情はあるのかというくらい、新一の顔は歪んでいた。

「だけど。科学者で医学者でもある宮野志保が開発した薬で、蘭は……オメーは、命永らえた」
「それは……骨髄移植しなくても治る特効薬みたいなものなの？」
「いや。そんなんじゃない。そうじゃなくて……それは、その人を完全に過去の状態に戻してしまう、そういう薬だったんだ」
「過去の状態に戻す？」
「20歳の誕生日を少し過ぎた時に、蘭はその薬を飲んだ。そして……10歳ほど若返った。体も……心も」
「心も？」
「オメーには、10歳以降の記憶がないだろう？」

新一が、真っ直ぐにわたしを見て、言った。
10歳以降の記憶……病院で目覚めて、杯戸小学校に転校して……という記憶ならあるけど、もちろん、新一が言っているのは、そういう意味ではないことくらい、わたしには分かっていた。

「志保先生が開発した薬を飲んで、わたしは……20歳のわたしは、10歳の頃のわたしになってしまった……ってこと？」
「ああ」
「わたしは……コールドスリープしてたんじゃなくて、若返って、その間の記憶もなくなってしまったってことなのね？」
「そうだ。あの時点で、お前の命を救うためには、それしか方法がなかったんだ……」

新一の苦痛の表情。
わたしまで、胸が痛くなる。

「ねえ、新一」
「ん？」
「その時のわたしは……毛利蘭は、新一の恋人だったの？」
「ああ。そうだよ」

―――今迄の色々なことが、繋がった。

　　　☆☆☆

仲は良かったけど、ずっと「ただの幼馴染」だった、わたし達の関係が変わったのは、高校２年の時。
お互い別々の大学に進学しても、２人の仲が揺らぐことはなく。
このまま、結婚するものだと、誰もが信じていた、ある日。

わたしが、発病した。

「お前の20歳の誕生日を、２人でお祝いして。その夜、お前はオレの家に泊まった。そしてオレ達は……」

その時、新一と「わたし」は、結ばれたのだ。
ハッキリ言われなくても、わかった。

新一としては、死に向かう恋人の「最期の望み」を叶えるつもりもあっただろう。

「新一……」
「目が覚めたとき、隣には誰もいなかった。青くなって探そうとしたとき、隣から宮野が訪ねてきた。蘭は阿笠博士のところにいる、と。そこにいたのは、10歳の姿のお前だった」
「じゃあ。その薬を使う事は、新一も誰も、知らなかったの？」
「ああ。薬の存在自体、知らなかった。蘭と宮野との間で、どういうやり取りがあったのか、蘭が何を考えてその薬を受け入れたのか、それは知らない。ただ、分かっているのは、宮野が蘭にその薬の話をして、蘭がそれを受け入れたということだけだ」
「10年間の記憶がなくなってしまう事も？」
「宮野の話では……それに、蘭がオレと両親に宛てて残した手紙もあったし、蘭がそこは覚悟した上で薬を飲んだことは、間違いないと思う」
「蘭のご両親は、蘭の命がとりあえず救われたことに感謝しつつも、知らないところで勝手にやり取りされたことには、腹を立てていた」
「新一は？」
「えっ？」
「新一は、どう思ったの？」
「蘭……」

新一は優しい眼差しで真っ直ぐに「わたし」を見て、言った。

「オレは……蘭の存在が失われることなく、この世に残ったことに、感謝した。たとえ、オレと過ごした歳月を忘れ果てていても、たとえ……他の男を選ぶことになったとしても」
「新一！」
「ずっと……物心ついた時から、オレはずっと、お前だけが好きだった。大切なんだ、お前が……オレの命よりも」

新一の目は、わたしの中の「誰か」ではなく、わたし自身を見つめている。

そのとき、わたしはようやく、自分の中ですとんと落ちた。

新一にとって大切なのは、一緒に過ごしていた同い年の蘭で、わたしはその代わりでしかないのかと思っていたけれど、違ってた。
新一にとって、５年前に２０歳になった「蘭」も、今のわたしも、等しく「毛利蘭」という存在で、丸ごと愛してくれる相手なんだ。

「10歳からやり直すお前には、オレは『昔の幼馴染』でしかなくて、きっと他の男に目を向ける日が来るだろうと、オレは覚悟してた。だから……２年前、お前と付き合うことになったとき、スゲー嬉しかったんだけど……でも、もしかしたら、いつかお前は、オレから離れるかもしれないと……」
「新一！わたしは……！」

そんなことは、有り得ない。
わたしは、新一を愛している。

「蘭」
「な……なに？」
「オレからお前を手放すことはない。生涯、お前だけだ。お前１人だけだ」
「し、新一……！」
「だけど。お前を縛る積りはない。だから……少し、考えてくれ」
「な、何で！そんなこと、言うの！？わたしは、新一の恋人なんじゃないの！？」
「……あとから、実は錯覚だった、こんなおじさんじゃなくて、他の男の人が良くなったなんて言われたら、オレはもう立ち直れない」

新一がちょっと苦笑して、そう言った。

「わ、わたしは、わたしは！新一が……新一のことが、好きなの！」

わたしは思わず叫んでいた。
けれど、新一は悲しげに微笑んで首を横に振る。

「オメーは、襲われかけた時に助けたのがオレだったから、錯覚しているだけだよ」
「な、何で……！」

そこまで言って、わたしは……このところ忘れかけていた、自分の中の違和感を思い出す。

新一は、知っているのだ。
10歳の頃のわたしが、新一に恋をしていなかったということを。

一緒に過ごす中で、いつ、わたしが……元のわたしが、新一をそういう目で見始めたのか、それは分からない。
ただ、子どもだったあの頃、新一のことは大好きだったけど、まだ、恋じゃなかった。
一緒にいたらいずれそういう気持ちが育ったのかもしれないけれど、でも、まだ、恋じゃなかった。

でも、今わたしが、新一のことを、好きで好きでたまらないのも、まぎれもない事実だ。
ただ、肝心の新一が、わたしのその気持ちを信頼していない。

「……蘭。また、話そう。送って行くよ」

新一の車の助手席で。
わたしは、どうしたら新一がわたしの気持ちを信じてくれるのか、ずっと考え続けていた。

（10）に続く

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長編には「パラレル」「原作準拠」「原作準拠パラレル（一応原作設定を活かしているが有り得ない未来）」と但し書きを入れていますが、このお話ではあえて、その表記をしておりませんでした。

まあ、たぶん、多くの方が薄々分かっていたと思いますが。
このお話はパラレルではなく、原作準拠、コナン後のお話なのです。
蘭ちゃんは、薬を使って縮んでしまったんですね。
コナン君と違うのは、「記憶まで含めて戻った」という部分です。

その薬の件も含めて、次回もう少し説明があります。
そして、間違いなく、次話で第１部は終わります。

新一君と蘭ちゃんとのやり取りが、なかなかしっくり行かなくて、何度も書き直しました。
コナン君のことを説明するまで至らなかったなあ。

2014年11月9日脱稿

　　