re-start第Ⅱ部　Bygone days（４）病との闘い

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by　ドミ

第Ⅱ部　Bygone days（４）病との闘い

「えっ？入院、ですか？」
「できる限り早く、入院した方が良いです」

わたしは、お母さんと顔を見合わせた。

「先生。蘭の病気は、何なんです？」
「……リンパ腫の可能性が、高いです」
「り、リンパ腫？」
「実は、まだ確定できていません。ですが、その可能性がかなり高い。もしそうであれば、できる限り早く治療を開始した方が良いのです」

お母さんが色々質問していたけど、先生の言葉は何だか要領を得なくて……今考えると、その時先生は、「真正面からの告知」を避けていたのだと思う。

ともあれ、できるだけ早い方が良いとのことで、入院の予約を１週間後に入れることとなった。
先生は、入院後にも検査をして、改めて説明を行うということだった。

わたしは帰宅した後、新一の家に向かった。
呼び鈴を鳴らすと、新一の声がして、玄関の鍵が開けられた。

玄関には、女物の靴があった。

「どなたかいらっしゃるの？」
「ああ。宮野が来てるんだ」
「大事な話があるんじゃない？わたし、出直した方がいいかしら？」
「いや、構わねえさ。宮野もオメーの事、心配してたからな」

宮野志保さんは……きっと、あなたの傍で「主治医」をしているだろうと思う。
志保さんは、新一が戦った組織の元メンバーで、科学者。
組織を抜け、組織にいた時の罪を償うために、新一に協力してくれている人。

今は、わたしの大切な友人の１人だ。

リビングルームに入ると、志保さんが座っていて、その前には書類が広げてあった。

「志保さん。今、お茶を淹れるわね」
「蘭さん。あなたも工藤邸ではお客さんでしょ？そんなのは工藤君に任せて、座りなさいよ」
「でも……」
「色々、疲れたでしょ？さあ」

促されて腰かけると。
ややあって、新一が、コーヒーを３人分淹れて持ってきた。

「あ、ありがとう、新一」
「どういたしまして。いつも蘭には甘えているからな。たぶん、蘭ほど美味しく淹れられてねえだろうけど」

志保さんが、書類を片付けていた。

「あの。志保さんの用事を先に済ませなくていいの？」
「蘭さん。大丈夫、もう話は終わったの。工藤君の健診結果。それも、今回で終了よ」
「えっ？」
「アポトキシン4869の影響は、全く残っていない。彼は完全な健康体。もう、子作りをしても大丈夫だから」
「な……ななな！？」

新一が真っ赤になった。
きっとわたしも、同じくらい真っ赤になっていたと思う。

「で？蘭さんの方は、どうだったの？」
「うん。なんか、先生の説明がよく分からなくて……入院してまた検査しなきゃいけないみたいなんだけど……」

志保さんも新一も、眉を寄せる。

「何て言ったっけ？リンパ何とかって可能性が高いとか……」
「……リンパ腫？」
「そう、それ」

途端に。

新一の顔が一瞬、引きつった。
すぐに元に戻ったけれど。

志保さんは、表情を変えなかったけれど。
ちょっとだけ、唇を噛んだ。

「えっと……それって、どんな病気なの？」
「蘭さん。リンパ腫って……悪性しかないの」
「え？え！？」
「宮野っ！」

新一が激高して立ち上がる。

「工藤君。こんなこと、言葉を濁していたって仕方がないでしょう？彼女には、自分の状況を知る権利があるわ」
「だけど！いきなり過ぎるだろ！？」
「こういうのは、早い方が良いと思うわ」
「志保さん……悪性……って……」
「悪性リンパ腫は、血液疾患の１つ。血液の癌みたいなもの」
「が、癌……みたいな……もの？」
「癌と違って、病巣を取り去る外科手術は不可能。基本的に、抗癌剤と放射線を使った治療となるわ」

一瞬。
世界が、色を失ったように見えた。

新一がわたしに向かって何か言っている。
その顔が、必死そうな顔が、わたしを現実に引き戻した。

「蘭さん。気休めは言いたくないけど。悪性リンパ腫も、昔と違って、不治の病ではなくなってきている。治る人もいる。ただ、治療の開始は、できるだけ早い方が良いの」

先生は、疑いが濃いという言い方をしたけれど。
おそらく、診断は、ほぼ確定しているのだろうと、理解した。
そして、早くの入院を勧められたわけも、分かった。

「蘭。きっと、大丈夫だから……」

わたしの手をぎゅっと握る新一。
そう言った新一の方が、死にそうな顔をしている。

「新一……」

わたしは、新一にギュッと抱きついた。
新一は力いっぱい、わたしを抱きしめ返してくれた。

　　　☆☆☆

そのあとの入院生活の事は、ここで詳しく語ることはしない。

わたしは、治療の前に、長かった髪を切り、ベリーショートにした。
抗癌剤治療で髪が抜けるので、切った髪をカツラに仕立ててもらうためだ。

抗癌剤治療と放射線治療は、わたしの体力を根こそぎ奪って行き、髪は抜け落ち、吐き気と眩暈で本当に辛い日々だった。

でも。
新一、お父さん・お母さん、園子、他たくさんの人たちに支えられながら、日々を乗り越え。
寛解（病状が消失した状態）を迎えたのは、入院から４か月以上も経ってからのことだった。

入院したのは、夏が始まる頃だったのに、退院した時は、冬の気配が忍び寄っていた。
街は、クリスマスのイルミネーションに彩られていた。

リンパ腫の場合、「治癒した」という言葉は使われない。
寛解というのは、一旦よくなったみたいに見えるけど、その状態がずっと続く保証はない……再発の危険がついて回る、ということだ。

先生は、まだ早期の段階だったから、完全寛解の可能性が高いと仰ってたけど……絶対じゃ、ないんだ。

ともあれ。
わたしは、退院した。
久しぶりの外の空気は、冷たくて、思わず身震いしたけど。
その冷たさすらも、「病院から出られた証」と感じて、嬉しい。

お父さんとお母さんは、退院するわたしを迎えに来たけど、荷物だけを持って帰り、新一とわたしと２人にしてくれた。

「蘭。どこか、行きたいところ、あるか？」
「……新一の家がいい」
「そっか。街中を歩くのは疲れるよな」

確かに、疲れてもいるけど。
新一と２人で、まったり過ごしたいって気持ちも、あった。

久しぶりに工藤邸に行く。

「お帰りなさい」

出迎えたのは、志保さんだった。

「蘭さんの胃の負担を考えて作ったら、ちょっと精進料理みたいになってしまったけど……」
「わりぃな、宮野」

わたしは、よっぽど複雑な表情をしていたのだろう。
志保さんがちょっと笑って言った。

「蘭さん。今日は、特別。いつもは、この家に上がるなんてこと、殆どないのよ」
「え……？」
「退院したての蘭さんにご飯作らせるなんてできないし。かといって、工藤君の腕だと大したものは作れない。店屋物や惣菜で済ますのもどうかと思う。ってことで、『蘭さんにまともなものを食べさせるために』手伝いを頼まれただけ」
「ごめんなさい。ちょっとだけ、疑っちゃった……」
「蘭！？まさか、オレが浮気したって！？」
「うん……でも、本当にちょっとだけだからね」
「勘弁してくれよ～。何でオレが宮野とどうこうなるんだよ！？」
「工藤君。あなたってホントにデリカシーがないわね。ちょっとは、お世辞とか社交辞令とか、覚えたらどうなの？」

志保さんのジト目を見て。
ああ、本当に何も心配することはなかったんだって、わたしは安堵した。

実を言うと、同じ事件に関わった同志として、志保さんが新一のことを好きなんじゃないかって、勘ぐったことはある。
あんなに綺麗な志保さんに、新一も少しぐらい心揺らすこともあったんじゃないかって、心配したこともある。

でも……なんて言うんだろう。
２人の間に、ある種の同志愛みたいなのはあるようだけど、それは男女の恋愛感情とは少し違うものみたいなのだ。
そして、志保さんは、新一を小さくしてしまった薬を作った科学者として、わたしを長い間苦しめてしまったという罪の意識を持っているようだ。

「蘭さん。ちょっとだけ、手伝ってくれない？」
「あ、うん」

わたしが志保さんについて台所に行こうとすると、新一が慌てた。

「蘭は休んでろよ。何か手伝いが必要なら、オレが……。」
「工藤君。ほんっと、気が利かない人ね。今からミニ女子会なの。邪魔しないで」

志保さんに言われて、新一は目を白黒させていた。

「志保さん？」

台所に入ったものの、料理は殆どできていて、わたしに手伝えそうなことはほとんど残っていなかった。

「お料理、運べばいいの？」
「ちょっと……蘭さんと２人で話したかったことがあって」

志保さんの改まった様子に、わたしは緊張する。
志保さんは、わたしにお茶を淹れてくれた。

「志保さん……これ、ハーブティ？」
「マテ茶よ。貧血にも良いから。といっても、蘭さんの場合、普通の貧血だったわけじゃないけど」
「ありがとう……」

志保さんが淹れてくれたお茶は、煎茶にちょっと似た風味のハーブティだった。

「普通のお茶や紅茶は、鉄分の吸収を妨げてしまうから……まあ、蘭さんの場合、鉄欠乏性じゃないから、神経質になる必要はないと思うんだけど」

言い訳めいた言葉を繰り返す志保さんに、何だかおかしくなった。
でも、わたしを気遣ってくれているのは確かなので、とてもありがたい。

「ところで、蘭さん。言いにくいことだけど……病院の先生からも話を聞いていると思うけど……リンパ腫は、１度寛解しても、再発する可能性が高いわ」
「ええ。わかってます……」

わたしは、居住まいを正した。

「脅すわけじゃないけど。その可能性はとても高くて。その場合、骨髄移植をしなければ、予後が悪い場合が多い……」

予後が悪い。
とは、すなわちわたしが死ぬということ。

わたしはぎゅっと手を握りしめた。
わたし自身が失われるかもしれない。
それは、何ともいえない感覚をわたしにもたらした。

「蘭さん。私も……そして、あなたのご両親やお友達も……あなたを失ったら辛いと思うけど。でも、あなたの親と同じくらい……いえ、もしかしたらもっと深く、嘆き悲しむかもしれない人が、いるわ……」

志保さんの言葉に、わたしは、うつむいていた顔をあげた。

「彼は、命を大切にする人だから、蘭さんを失ったからって、自分の命を断ち切るなんてことはしないだろうと思う。でも……きっと彼は、生ける屍になる……」
「志保さん……？」
「だから。蘭さん、生きなきゃダメ。彼の為にも……」
「志保さんは、やっぱり、新一のこと……？」

志保さんは一瞬、顔をしかめた。

「そんなんじゃない！そんなんじゃないの！」
「志保さん？」
「そりゃあ……一時は、彼のことを好きだと思っていた時期もあるけど」
「……！！」

志保さんの苦しそうな表情に、わたしは何と言ったらいいのか、分からなかった。

「本当だったらね。彼は、わたしの趣味に合わない。彼のような男性を好きになるなんて、有り得ないの、私は。でも、一時期は、彼のことを好きだと錯覚していたこともある。それは……組織から逃げ出した時の、異常な状況の中で、庇ってくれたり守ってくれたりする彼の姿に、私が錯覚しただけ」
「でも。錯覚からホンモノに変わることだって……」
「私が心惹かれたのはね。一途に１人の女だけを思い続けている彼の姿。彼と……彼の愛した女性との、絆」
「えっ？」
「私は、彼とあなたの絆を、愛したの。だから……私の勝手な願いだけど、２人には、幸せになって欲しい。もしも蘭さんが、彼を残して死んだりしたら、許さないから！」

志保さんが、激情をあらわにしてわたしに迫る。
そして、わたしは、理解した。
志保さんが新一に向ける想いは、恋に似ているけど、違うものなのだと。

「志保さん。わたしは……死にたくない。生きるわ。新一のためにも」
「蘭さん……」

志保さんは、そっとわたしの手を取った。

「蘭さん。私は医者じゃないけど、医学的な知識はあるわ。私にできる限りのお手伝いをするから」
「ありがとう、志保さん」

わたしは、この時、今の事態を予測していたわけではなかったけれど。
新一のために、何があっても生き延びなければならないと、思ったのだった。

第Ⅱ部　bygone days（５）に続く

2015年4月26日脱稿

　　