re-start第Ⅱ部　Bygone days（６）希望

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by　ドミ

第Ⅱ部　Bygone days（６）希望

園子は、何度も病院に足を運んでくれた。
そして、歩美ちゃんたちや大阪の和葉ちゃんたちも、会いに来てくれた。

歩美ちゃんたちの面会について、最初、看護師さんからは駄目だと言われたのだけれど、わたしの昔からの友だちだという事、歩美ちゃんたちもきちんと言う事を聞くからということで、許可が下りた。
もしこれが３年前だったら、どんなに頼んでも絶対駄目だっただろうと思う。
小学校１年と４年とでは、それだけ、世間の評価も違うのだ。

化学療法が始まったわたしは、感染し易くなっているため、みな、マスクをつけて手の消毒をして、わたしの病室に入ってくる。

「蘭。アイス、買って来たよ」
「園子、ありがとう」

園子は、薬の副作用で食欲がないわたしの為に、口当たりが良さそうなものを差し入れしてくれる。
それも、「生ものは駄目」と、厳しく制限されていた。

新一は、ちょっとでも風邪を引いたら、わたしに直接会うのを遠慮して、電話やメールのやり取りになる。
それは寂しいことなので、風邪を引かれるとわたしはいつも文句を言っていた。
とはいえ、抗がん剤療法が始まると、あまりのダルさに文句を言う気力すらなくなってしまった。

４月も終わろうとする頃、最初のワンクールの化学療法投与が、終わった。

そして。
ゴールデンウィークのさなか、５月２日に、先生や周囲皆の反対を押し切って、わたしは一旦退院した。

まだ、治療の途中の今、わたしは感染し易い状態にあり、今回の治療が完全に終わって寛解するまで、そのまま入院を継続していた方が良いと、誰もが言った。

でも、わたしは……。
もしかしたら、もう、外に出る機会がなくなってしまうかもしれない。
新一の誕生日とわたしの誕生日を一緒に過ごせるのは、これが最期になってしまうかもしれない。

そう思うと、どうしてもどうしても、退院したかったのだ。

先生は溜息をついて、人ごみを出歩かないこと、風邪などひかないように十分注意すること、など細々と注意したうえで、退院許可を出した。
再入院は、５月２０日の予約になっている。

……今、わたしがこれを書いているのは、5月12日。
そしてわたしは……再入院することは、ない。
一旦退院した時は、また病院に戻るのだと思っていたけれど。

わたしも、新一も、お父さんお母さん、そして周りの人たちも。
決して、希望を捨ててなかった。
諦めてなかった。

でも、もしかしたら、もしかしたらという思いが、何度もよぎるようになっていた。
絶望と希望とを行き来する日々。

そんな中、お父さんもお母さんも、わたしが工藤邸に泊まることに、何も言わなくなった。

「蘭ちゃん！」

工藤邸では、有希子おば様がわたしを迎えてくれた。

「待ってて、蘭ちゃんのために、腕によりをかけて、美味しいご飯を作るからね」
「おばさま……」
「あ、心配しないで。新一と２人きりの時間を邪魔する気はないのよ。私、夜は隣の阿笠博士の家に泊めてもらうから」
「え、あ、あの……」
「母さん。蘭が目を回してるだろ？」
「あら、ごめんなさい。蘭ちゃん、疲れたでしょ？とりあえず、部屋で休んだらいいわ。食事が出来たら、起こすから」

わたしは、お言葉に甘えて、休ませてもらうことにした。
本当に、ちょっと動くだけでしんどいのだ。

おばさまは、食べやすくて美味しい料理を作ってくださったけど……やっぱりどうしても、あんまりたくさん食べられなかった。

「じゃあ、蘭ちゃん、新ちゃん。おやすみなさい」

おばさまはそう言って玄関から出て行った。

「おばさまの家なのに、何だか悪いことしちゃったよね」
「……母さんは、蘭のためにアメリカから帰国したんだから。甘えていたらいい」
「みんなに甘やかされるってことは、わたし、やっぱり……あんまり長くないのかな……」
「蘭！」

新一が、わたしの肩を掴む。

「……頼むから……そんなこと、言わねえでくれ……」
「だって！わたし……」

喉が詰まり、目が熱くなる。
新一ははっとしたような顔をした。

「ごめん。悪かった」

新一がわたしを優しく抱きしめ、背中をポンポンと叩く。
新一の前で泣いちゃダメって、我慢しようとしたけれど、一旦堰を切った涙はドンドン溢れて止まりそうになかった。

　　　☆☆☆

「新一、20歳のお誕生日、おめでとう」

3日から4日に日付が変わるとき。
わたしは、新一の腕の中で、万感を込めて行った。

新一の腕の中……といっても、わたし達はまだ深い仲になった訳じゃない。
ここ最近は、新一に抱きしめられて眠ることが多くなったけれど、キス以上の関係になったことはないのだ。

「新一。誕生日プレゼント、何が欲しい？」
「蘭との未来の約束」

わたしは息を呑んだ。
入院してたりなんだりで新一への誕生日プレゼントの準備ができなかったので聞いたのだけれど。
新一の欲しいものは、今のわたしには、あげられないものかも、しれないのだ。

「蘭。早く元気になって、オレの嫁さんになって」
「し、新一……」

新一の言葉は、「最後まで諦めないで」と聞こえた。

「……バージンロードをお父さんと歩いて、新一の花嫁になって……いつか新一の子どもをこの手に抱いて……素敵ね……」
「蘭？」
「その夢……叶えたい……」
「叶えよう、蘭」
「新一……」

新一は、たとえわたしを失っても、自分で自分の命を絶つことなんてしない。
でも、心を閉ざして、過去の思い出だけに生きるようになってしまうんじゃ……。

新一は、あんなに光り輝く人なのに。
それが失われてしまうなんて、有り得ない。

生きたい。
生きたい。

わたし自身のために、そして、新一のために……。

　　　☆☆☆

ゴールデンウィークが終わり。
新一もずっと大学を休むわけには行かないから、今日は出かけて行った。

昔だったら、工藤邸のお掃除をしたり、料理をしたり、したのだけれど。
今は、何をする気力も起きない。

玄関のインターホンが鳴った。
ドアを開けると、そこに立っていたのは、志保さんだった。

「どうしたの、志保さん？」
「蘭さんに話したいことがあって。あがらせてもらって良いかしら？」
「じゃあ、お茶を……」
「お茶くらい自分で入れるから、蘭さんは休んでて」
「わたしは今、本当に何もできないから。お茶を淹れるくらいは、させてちょうだい」
「……わかったわ。じゃあ」

志保さんはリビングに入り、わたしは２人分のハーブティを淹れた。
通常のお茶やコーヒーはタンニンが多く、鉄分の吸収が妨げられるからだ。

リビングにお茶を運んで行き、志保さんの向かい側に腰かけた。

お互いに、お茶に口をつける。
沈黙が下りた。
志保さんの話って、切り出しにくいことなのかもしれない。
わたしは、敢えて促さなかった。

ややあって、志保さんが口を開いた。

「蘭さん。誤魔化してもどうしようもないから、単刀直入に言うわね。あなた、このままだと、死ぬわよ」
「！！！」

本当に単刀直入で、わたしは思わず息を呑んだ。

「先生からは、何て？」
「……何の治療もしなければ、余命は３か月位だと……」
「抗がん剤治療をして、寛解に持って行けても、数か月延びるだけだわ。１回目の再発が早かったから、また必ず再発する。ううん……それは上手くいけばの話で。抗がん剤治療中に副作用に耐えられなくて命を落とす場合も、ある。蘭さんが長らえるためには、骨髄移植治療しかないの」
「でも、それができなくて……」
「だから。蘭さん。時間を稼がない？」
「えっ……？」
「今、蘭さんの治療ができないのは、蘭さんとＨＬＡの型が合う相手が見つからないから、でしょ？でも、数年時間を稼げれば、その間に、型が合う相手が現れるかもしれない。あるいは、蘭さん自身の細胞を使って骨髄細胞を作ることができるかもしれない。今、再生医療は目覚ましい発達をしているから」
「で、でも、時間を稼ぐって……」

志保さんが、わたしの前に、カプセルを一つ置いた。

「これは……？」
「アポトキシン4869に連なる系統の、試作品の１つ。私自身じゃなくて私の前に手掛けていた人が作ったものだけど」
「志保さん？」
「本当は、組織での研究については、日米両政府の厳重な管理下に置かれてて、原則、持ち出し不可なのだけれどね。私は解毒剤を作る関係もあって、特別許可が下りていたの」
「新一と志保さんが、コナン君と哀ちゃんになった薬……？」
「同じものではないわ。アポトキシン4869だと、がん細胞を持ったまま小さくなるだけだから意味がないし」

わたしは、じっとカプセルを見詰めた。

「どんな、薬なの？」
「体の時間を数年前にさかのぼらせる薬」
「えっ？」
「この薬を使った場合、体は数年前の状態に戻る。薬の成分が残ることはなく、やり直せる。何人か治験で使ったけれど、皆、成功しているわ」
「成功？じゃあ、何故、その薬はそのあと使われることがなかったの……？」
「……理由は色々あるわ。その薬の作用は、若いほど大きくて。年行った人になると、せいぜい数カ月とか１年しか戻らない。老衰で亡くなりそうだった人にその薬を使ったとしても、あまり意味がなかった。皆、若返りたいわけだから、数カ月程度の若返りじゃ、意味がないでしょ」
「えっ？」
「でも、蘭さんの年齢だと、大幅に、数年間……おそらく10年位、時を戻せる可能性がある」
「10年……」
「体質は変わらない。だから、時を戻しても、多分蘭さんはまた同じ病気に罹る。でも、それに備えて治療することが可能なのよ」
「……」
「治験者の中で、比較的若目の人は、数年時間が戻った。でも、特にがん系統の病気だと、やっぱり再度発病するのよね。ただ、数年間の時間が稼げたおかげで、早期治療が出来て、そのあと生き延びた人もいる。ただ、その人の場合、残念ながら全く別の理由で……事故で亡くなってしまったのだけれど」
「でも、じゃあ、組織の中で、比較的若い人で、その薬を使おうという話には、ならなかったの？」
「ならなかった。組織の中では、この薬は、不完全な試作品の１つとして捨て置かれた」
「どうして？」
「ひとつは、若返ってもそこからまた年を取るから。組織の究極の目的は、若返ってなおかつ不老不死、だったからね。そして、もうひとつは……記憶や身体能力も、元に戻ってしまうから」
「え？ええっ！？」
「本当に、体の時間を戻してしまうだけなのよ。その数年間積み重ねてきたものも、全部白紙になるの。結局、それじゃ使っても意味がないということになった……」

「志保さん。わたし、その薬……使えない……」
「えっ？蘭さん？」
「だって……記憶が、無くなってしまうのでしょ？10年位時間をさかのぼって……今の歩美ちゃんたちと同じ年になって……」

10歳の頃を思い返す。
その頃のわたしは、空手を始める前で。
そして何よりも……。

「蘭さん？そりゃ、10歳ごろからやり直しになってしまうけど、また積み重ねて行けばいいじゃない？」
「ううん！10歳の頃のわたしは、別のわたしだわ！」
「蘭さん？」
「わたしは……死ぬのは怖い。死にたく、ない。でも……でも、でも……今のわたしじゃない別のわたしになって生きるのも……イヤ……」

わたしは、涙が溢れ落ちそうになるのを必死で堪えて、言った。

「一体、何が引っ掛かっているのかしら？」
「だって！わたしは今、新一の事が、こんなに、好きなのに……！わたしの命より大切なのに！もしかしたら、わたしは……だって、10歳の頃、わたしは新一に恋をしていなかったもの！」

わたしは、声を絞り出す。
「自分の命よりも大切な筈の新一」を、別の意味で失ってしまうかもしれない、それはわたしにとって、何よりも耐え難いことだった。

志保さんは、難しい顔をして考え込んでいた。

「わたしは、新一と一緒に過ごしていたら、必ずまた新一を男の人として好きになると思う。でも、10歳のわたしがどうやって、今の新一と一緒に過ごせるの？やり直しの中でわたしは……新一に恋をしないかもしれない……もしかして、他の人を選んだりするかもしれない。そんなやり直しは、絶対に、嫌！新一と一緒にいないわたしは、もう……わたしじゃ、ない！」

「蘭さん。たとえば、パソコンで文書を作ったとして」

突然、志保さんが妙な話を始めたので、わたしは混乱した。

「志保さん？」
「その文書を作りかえた後、一旦、元に戻す作業をしたとするわね。そしたらその文書は、全く過去の状態に戻ったように見えるけど。でも、実は元のままではない。パソコンの中には、一旦変化した軌跡が残っている」
「……？」
「……この薬はね。過去の一時点にすっかり戻ったように見える。記憶も、運動神経も、何もかもが過去に戻っている。でも、過ごした日々の軌跡は、残っているの」
「過ごした日々の軌跡が、残っている……？」
「手遅れと診断されたがん患者で、まだ赤ん坊の我が子を残して逝けないと、治験者となった女性が、いたわ。彼女は、出産前、ううん、夫と出会う前の彼女に戻った」
「！！」
「独身時代の彼女は、子ども嫌いだった筈なのだけれど。彼女は、記憶にない夫を愛し、記憶にない我が子を慈しんで育てた。残念ながら……結局、交通事故で命を落としてしまったのだけれど。記憶はなくても、彼女の中に、我が子と夫への愛は残っていたの」
「愛は、残っていた……？」
「だから大丈夫。きっと、蘭さんは、工藤君への愛を持ったまま、やり直すことになると思う」
「……新一への愛を、持ったまま……？」
「蘭さんが、工藤君に恋をした瞬間の記憶はなくなっても。恋人として過ごした日々の記憶はなくなっても。断言するわ。蘭さんの中の、工藤君への愛は、決して消えない！」

第Ⅱ部　bygone days（７）に続く

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最後の方の、蘭ちゃんと志保さんとの会話が、このシリーズの中で、一番書きたかったところです。

2015年5月23日脱稿

　　