re-start第Ⅲ部　Prospect（１）そして未来へ

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by　ドミ

第Ⅲ部　Prospect（１）そして未来へ

ノートには、液がしたたって濡れたあとが、あちこちにあった。
20歳になる直前の蘭は……薬を飲む前の蘭は、泣きながら必死にこのノートに書き込んでいたのだろう。

今のわたしの胸にも、こみ上げてくるものがあって、いっぱい涙が流れた。

記憶にはないけど、わかる。
この時の蘭の、過去のわたし自身の、気持ちが……。

10歳になったわたしが病院で目覚めた時。
わたしは……新一がお金を探し出してくれた時のことを、夢に見ていた。

多分、さかのぼった記憶の中で、新一がわたしの為にしてくれたことを、無意識の内に探していたんだと思う。

小さくなって、目が覚めた時のわたしは――。

『新一は？新一はどこにいるの？』

最初に、それを聞いたのだった。

そして、新一に会った時。
見知らぬはずの、大人の新一の姿に、すごく胸がざわついていたけど。

あれは、新一への想いが溢れ過ぎて、苦しくて仕方がなかったんだって……今なら、分かる。

ねえ、過去の蘭。
誕生日に小さくなる薬を飲んだ、蘭。

わたし、ちゃんと、新一への愛を抱えたまま、今、やり直しているよ。
あなたが願った通りに、記憶は失っても、新一を誰よりも想う気持ちは、失わなかったよ……。

新一。
新一。
新一。

わたしは、あなたのために……あなたと共にあるために、それだけのために、今、ここにいるんだよ。

なのに。

新一は、わたしの気持ちを、信じてくれていない。

どうして？
どうして？
どうして？

ねえ、過去の蘭。
過去のわたし。

どうしたらいい？
どうしたら、いい？

どうしたら、新一は、わたしの気持ちを信じてくれるの？

　　　☆☆☆

次の朝、わたしは新一の家に向かっていた。
9時になったら新一は事務所の方に行ってしまうから、朝早い内に。

新一から合鍵はもらってる。
いつでも勝手に入って来て良いって言われてる。

わたしは、呼び鈴を押そうかどうしようかためらった後に、結局押さずに、ドアを開けた。

リビングの方から、声が聞こえる。

言い争っている声のようだ。
新一と……志保先生？

わたしは足音を忍ばせて、リビングのドアの前まで行った。

「工藤君、あなたねえ！蘭さんがどんな思いで、あの薬を飲んだか、分かってるの！？」
「……だけど、今の蘭には、その時の記憶はない」
「だからって……！」
「宮野。オレが一番望んでいるのは、蘭が幸せに生きていくことだ。オレは、蘭の傍にいたい。オレが蘭を幸せにしたい。でも、それは……２番目の願いで……１番目の願いと矛盾する場合、オレは……」

突然、大きな音が響いた。

思わずドアをそっと開けて中を覗くと。
志保先生が手を振り上げてわなわなと震えていて……新一の頬は赤くなっていた。

新一が志保先生に平手打ちされたらしい。

志保先生は、目に涙を浮かべて叫んだ。

「情けない男！なんで……なんで蘭さんは、こんな男のために……！」

わたしはドアを閉め、とっさにドアが開いた時ドアの陰になる方に隠れた。
案の定、志保先生がドアをバンと開けて駆け去って行った。

「蘭……」

新一の絞り出すような声。
その切ない響きに、わたしの胸が詰まる。

わたしはそっと足音を忍ばせて工藤邸を去った。

志保先生の気持ちは、とてもありがたい。
でも、志保先生に何か言われたくらいで新一の気持ちが動くのなら、とっくに変わってる。

ちょっと迷ったけど、園子はわたしの秘密を当然知っている筈だし、過去のわたしと新一とのことも結構見てきている筈だから、園子に相談してみることにした。

「あやや。蘭が16歳になったら……って話だったけど、もう、聞いちゃったの？」
「う、うん……」

わたしは、切っ掛けとなった写真の件について、話をした。

「そっかあ。じゃあ、昔の蘭は……何もなければ16歳の誕生日って考えてたけど、もし、その写真を見つけたら、前倒しで話をしても良いだろうって思ってたワケね……」
「うん……たぶん、そうなんだろうって思う……」

ノートには書いていなかったこと。
それは、昔の蘭にとっても、賭けだったのだと思う。
やり直しのわたしが、もしも、ナイトバロンシリーズの本を手に取る日が来たとしたら、その時は……という。

ただ。
新一に信じてもらうためにどうしたらいいかについては、園子にも、いい案は思い浮かばないようだった。

「まあ、正直言って、新一君の言ってることも、分かるのよね」
「えっ？どうして？」
「だって、蘭ってさ。誰かに何かをしてもらったからって恋をするような、現金な性格してないじゃない？」
「！！そっか……そうだよね……！」

そうだ。
わたし、「誰かに何かをしてもらったら」「助けてもらったら」その相手に恋をしてしまうなんてこと、ない。

思えば、新一に初めて会った時も。
新一がわたしのために、紙のサクラのバッジを胸につけ、いじめっ子と戦ってくれたってわかったときも。
「大好きな幼馴染」になったけれど、恋はしなかった。

繰り返し見る夢の中で、新一にお金を見つけてもらったあの時も。
ものすごく感謝したけど、でも、恋はしなかった。

『オメーは、襲われかけた時に助けたのがオレだったから、錯覚しているだけだよ』

この前、新一が言ったことを思い出した。
途端に、猛烈に腹が立ってくる。
そんなことでわたしが錯覚するくらいだったら、とっくの昔に新一に恋に落ちてたわよ、バカ！
っていうか、新一にも他の誰かにも、何回恋に落ちたか、数えきれないじゃない！

元々の蘭が決して「錯覚で恋をする」なんてことがなかったのに！
なんで、今のわたしが、錯覚で新一に恋をするって思うのよ!?

「で？蘭は、高校生の時に何があって、新一君のこと好きになったの？」
「え……？」
「って、覚えてないよねえ……」
「う、うん……」
「そっかあ。それがわかれば、ヤツを説得する材料になるのにねえ……」

園子もわたしも、うーんと考え込んだ。

「参考になるかどうか、分からないけど」
「え？」
「高校生の頃さ……新一君が半年くらい、いなくなってたことがあって……」
「あ……」

新一がコナン君になっていた時のことだ。
園子は、どうやら、「コナン君の正体」については知らせてもらってないらしい。
それについては、触れない方が良さそうだから、黙っておこう。

「その頃の蘭の口癖がね。新一だったらきっとこうするとか、新一だったらきっとこう言うとか、新一だったらどうするかなとか。もう、新一新一、うるさくって～。それでいて、タダの幼馴染って言い張るんだから、もう……」
「え！？ええっ！？うっそおお！」
「まあ、タダの幼馴染って言い張ってたのは、ロンドンで新一君から告白される前までだったけど」
「あうううう……」
「今から考えたら、新一君に恋をする前の蘭は、そんなこと言わなかったなあって。蘭の恋心は、新一君への信頼と共に始まったんじゃないかな？」

確かに。
園子の言葉の中に、ヒントがありそうな気がした。

わたしが恋に落ちた時は、わたしが新一に絶大な信頼を置くようになった何かが、あったのだ。

　　　☆☆☆

その夜。

わたしは、夢を見た。

夢の中で、微笑んでこちらを見ているのは、あれは……わたし……？
少し大人びた、わたし自身……？

「……あなたは、過去の蘭？」
「そうよ、未来の蘭」
「ねえ、蘭。どうしたらいい？どうしたら、新一は、わたしが新一をちゃんと愛しているんだって、信じてくれるかな？」
「いいんじゃない？新一に信じてもらえなくても。だって新一は、わたしが生きていさえすれば、幸せになりさえすれば、それが一番だって言ってるんだから」
「そうは行かないわよ！だって、だって……新一、辛そうなんだもの……幸せそうじゃないんだもの！」
「良かった。ちょっとだけ、心配だったけど。ちゃんと、新一を愛したままのわたしで」
「蘭！？」
「ねえ、未来のわたし。……もう一度、ノートを開いてみて」
「えっ？」
「最初のページに、書いてあった筈よ。もう一度、読んでみて」
「蘭！？」
「未来のわたし。新一を、新一を、お願い！」

そして、目が覚めた。

――夢？
わたしの無意識が見せただけの、ただの夢？
それとも……。

わたしは起き上がり、ノートを開いた。
震える指でページを開く。

「あった！」

『人が人を助ける理由に、論理的な思考は存在しねーだろ？』

蘭が恋に落ちた瞬間の新一の言葉として、書いてあった。
その言葉が、新一の声で、わたしの脳裏によみがえってくる。

そうよ。
新一がそういう人だから、わたしは好きになったんだ。
記憶になくても、新一がそういう人だって、わたしはちゃんと覚えてた。

あれは、夢だけど、わたしの中に眠る蘭からのメッセージだった。

蘭。
あなたは、そこに、わたしの中に、確かにいるのよね。
わたしは、自分自身の体を、そっと抱きしめた。

　　　☆☆☆

「蘭？どうしたんだ？」

次の日。
今は新一が仕事場にしている、元の毛利探偵事務所の扉の前に立っているわたしを見つけて、新一は目を丸くした。

「工藤新一さん。お仕事中申し訳ありませんが、お話があります」
「……とりあえず、急ぎの仕事はねえし。まあ、入れよ」

新一は、鍵を開け、わたしを招き入れる。

わたしはぐっと拳を握りしめた。

新一はコーヒーを淹れてきて、わたしの向かい側に座る。

「どうした、蘭？」
「新一。約束、果たしてちょうだい」
「……約束って？」
「今のわたしが１６歳になったら、お嫁さんにしてくれるって約束。もうあと、２カ月もないからね」
「……蘭……」
「それとも……約束を、違える気？」
「いや……そういう訳じゃないが……」

わたしはとにかく、強気で押そうと、心に決めていた。
少しでも弱気になったら、わたしの本気は新一に伝わらない。

「わたし」は、新一のためだけに、ここにいるのよ。
新一のためだけに、やり直すことにしたのよ。

そう言いたいけど、それは言えない。

「わたしは、新一が好きなの。新一のお嫁さんにして欲しいの」
「蘭……だからそれは……」

新一は、わたしと目を合わせようとしない。

『オレが蘭を好きになったのは、初めて出会った時からだよ』

新一がかつてやり直す前の蘭に告げた言葉。

初めて出会った時のことは、今のわたしも覚えている。
その時からずっとずっと……20年以上も、新一はわたしを愛し続けてくれていた。

でも。
「蘭」が新一を愛し始めたのは、高校生になってからで。
12年もの間、新一は「蘭」に片思いだった……。

そっか。
新一は、自信がないんだ。
いつも自信満々でオレ様な新一なのに。
（って、本当は、推理の場面で、心底自信満々なわけではなく、強いてそういう態度を取っているのは知っているけど。それでも、全てのパズルピースがピッタリはまった時には、もう絶対揺らぐことがない）

新一は、「蘭」のことに関しては、まったく自信がないんだ……。
蘭が「新一を愛している」ことについては、自信を持てないでいるんだ……。

わたしは、立ち上がると、新一が座っている側に移動し、思わず身を引きそうになっている新一の頬をがっしと両手で挟んだ。
わたしの迫力に恐れをなしたのか、新一は目を点にしていた。

「どこまで、わたしを侮辱すれば、気が済むの！？」
「蘭！？」
「わたしは！わたしに何かしてくれたとか、わたしを助けてくれたとか、そんなことで恋に落ちたりするような、簡単な女じゃ、ないっ！」
「ら、蘭……」
「新一は、毛利蘭のこと、そんな安い女だと思ってるワケ！？」
「んなわきゃねーだろっ！」

涙が盛り上がりそうになるのを、ぐっとこらえる。

「新一。わたしは、新一のカッコ悪いところも、みっともないところも、みんな知ってる！」
「……ま、まあそうだよな……幼馴染だし……」
「わたしが新一に惚れたのはねっ！サッカーやっててカッコいいとか、探偵としての能力がすごくてカッコいいとか、気障っぷりのすごさとか、そんなとこじゃないよっ！」
「……って……なんかすごい言われようだな……」

新一が苦笑している。
無理もないけど。

でも。
でもっっ！
どうして通じないのよ、この唐変木（トウヘンボク）ッ！

「わたしは！わたしはねっ！この毛利蘭は！昔も今も！冷静沈着そうに見せかけてるけど実は熱血野郎だってとこに、新一の熱い正義感に、惚れたんだから！表面だけじゃない、人としての優しさに、惚れたんだから！」
「……蘭？」
「この世の中で、毛利蘭に、これだけ惚れられる男なんて、たった１人……工藤新一しかいないんだから！だから……自信を持ってよ……わたしを、拒絶しないで……」

最後は本当に涙声で。
うう。情けない。

突然。
新一に、力いっぱい、ぎゅっと抱きしめられた。

「蘭……」
「し、新一……」

新一が、わたしの顔を覗き込む。

わたしは、何か言おうとしたけれど、その言葉は、新一の唇に飲み込まれた。

　　　☆☆☆

わたしの全てを貪るような、激しく深い口づけ……。
息をつく事も、ままならない。

新一の舌がわたしの口腔内を蹂躙しかき回す。

「今のわたし」が12歳の時、初めて新一にキスされてから、幾度もキスを交わしてきたけれど。
今までのは、子どものキスだったって思うくらいの、深い深い口づけ。

ようやく解放されたとき、わたしはすっかり息があがっていた。

「蘭」

新一が熱い眼差しでわたしを見つめる。

「あ……」

新一の目は、真っ直ぐに「わたし」を見ていた。
いつものような、わたしを突き抜けて遠くを見る目じゃなく。
今は、わたしを見ている。

新一がわたしの肩口に顔を埋め、片手は頭の後ろを撫で、もう片方の手はわたしの背中をぎゅっと抱きしめ……。

「蘭……蘭……」
「新一……」
「ありがとう……生きててくれて……オレを選んでくれて……」

わたしは、新一の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめ返した。

届いた。
届いたよ。

蘭。
過去の蘭。
あなたの愛と、わたしの愛が……新一に、届いたよ……。

「蘭。16歳になったら、オレの嫁さんになってくれるか？」
「うん。うん……！」

そして「わたし」はもう一度、新一の花嫁になる。

第Ⅲ部　prospect（２）に続く

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2015年5月25日脱稿
2015年6月14日一部改稿

　　