re-start第Ⅲ部　Prospect（２）新しい生活

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by　ドミ

第Ⅲ部　Prospect（２）新しい生活

それからしばらくわたし達は、何をするでもなく、ソファの上でお互いを抱きしめていた。
視線を感じて目をあげると、新一がやさしく微笑んで、「わたし」を見ていた。

「良かった……新一、笑ってるし」
「は？」

わたしの言葉に新一は顔をしかめる。

「わたし、再出発してから、新一の心からの笑顔って、見たことなかった。でも、今、新一は笑顔だよ」
「そ、そうか？」
「うん。わたしに向ける新一の笑顔って、いつも、どこか悲しそうだったの。でも、今は大丈夫」
「……」
「それに。新一、ちゃんとわたしを見てる」
「へっ!?」

新一がぎょっとしたような表情になった。
多分、自覚がなかったんだろう。

「新一の目はいつも、わたしを突き抜けて遠くを見てた。多分……昔のわたし、小さくなる前のわたしを、見てたのよね」
「あ……」

新一がふっと考え込んだ。
心当たり、あるんだ。

「やっぱり、新一にとって、前の蘭と今のわたしは、違う存在だったの？」
「いや。そうじゃない。そういうことじゃないんだ……前にも言ったように、お前はお前だ。記憶をなくしても小さくなっても……オレは……お前が生きていてくれて、本当に嬉しかったんだよ」
「うん。それは、分かるけど……」
「もう。お前がオレを愛することはないんだって、思ってた」
「えっ!?」
「同い年で同じ立場で、言いたいことを言い合って。お互いのことがよく分かる状況ならともかく。やり直したお前にとって、オレは……10歳も年上の大人の男として存在した。だから……中学生になったお前と付き合うことになって、嬉しかったんだけど……お前が16歳になった時に、もしかしたら終わってしまうかもと思って、怖かった……」
「新一……」
「お前の後ろに、オレを愛してくれていた過去のお前を重ねて見ていたのは、確かかもしれない。でも……」

新一がわたしの頭の後ろに手を当て、ぐっと顔を近づける。
その熱い眼差しが、わたしに注がれる。

「だからなのか。お前がずっと……恋人同士になった筈なのに、遠慮しているというか、本音でぶつかって来なかったのは……オレの所為だったんだな」
「えっ？」
「お前は決して本音でぶつかって来ようとしなかった。だから、オレは……お前の気持ちは一時的な錯覚なのだと、いずれオレから離れる日が来るだろうと、思ってた。でもそれは……オレが原因だったんだな。お前以外の女性が心の中にいて、お前のことはその代りでしかないって、オレがお前にそう思わせていたのか」
「……新一……」
「ごめん。辛い想い、させたな……」
「……」

わたしは、否定の言葉を口にしたかったのだけれど。
涙が溢れてきて、ただ、首を横に振って否定の意を表しただけだった。

元の蘭には、新一がそうなってしまうかもしれないって、予想がついたんだろうなあ。
だから、わたしに、あの手記を残したんだ……。

「もう、ぜってー離さない」

また、唇がふさがれて。
今度の口づけは、わたしの涙でしょっぱかった。

　　　☆☆☆

「おじさん、おばさん。蘭が……蘭さんが16歳になったら、どうか蘭さんとの結婚を、お許しください」

新一が、お父さんとお母さんの前で、頭を下げる。

しばらく。
奇妙な沈黙が下りた。

ややあって、お父さんが声を出した。

「新一。オメー、なにか勘違いしてねえか？」

拒絶だと、思ったのだろう。（っていうか、わたしもそう思った）
顔をあげた新一の顔色は蒼白だった。

お父さんとお母さんは、何だか変な顔をしている。
けれど、それは拒絶とは違うような……？

「まあ、蘭は覚えてねえから、仕方がねえかもしれねえけどよ。蘭の二十歳の誕生日を前にして、オメーは蘭を嫁によこせと言いに来ただろうが。そのまま、蘭の誕生日に籍を入れて……」
「え……？それって……」

わたしの記憶にはない。
でも、蘭が残した手記で、そのことは知っている。

わたしは新一と顔を見合わせた。

「もう、新一君って、抜け目がないようでいて、案外……あなた、あれ以来、自分の戸籍を確認したこと、ないの？」

お母さんの顔は……ひょっとして、もしや……笑いをこらえている顔？

「蘭は、20歳の日にオメーと入籍して、現在は、工藤蘭25歳だ」
「え……！？」
「オレは一度嫁に行った娘をもう一度嫁に出す趣味はねえ」
「あなた。男女同権の世の中で、嫁に出すとか前時代的な言い方はやめてくれる？」
「ええい、言葉のあやだ！そこを突っ込むな！」

わたしの頭は混乱していた。

「今の蘭が、心も体もまだ15,6歳だとしても。戸籍の上では、今度の誕生日で26歳になる、立派な成人よ」
「大体な。死亡診断書もねえのに、蘭を死んだことにもできねえし。10歳若返った蘭の戸籍を新たに作るなんざ、不可能だろうがよ。杯戸学園は私立学園だったから、まあ何とかしてもらったが。公立の小中学校に蘭を入れ直すのは、簡単に行く話じゃなかったしよ」

わたしは新一と顔を見合わせて、呆然としていた。

「……まあ、蘭がもし、どうしても他の男と結婚したいとかいうことになったら、そん時はまあ、新一、オメーに離婚届を出してもらう以外になかっただろう」
「でも、きっと、そういうことにはならないだろうって思ってたけどね」
「新一。オレはあん時、言った筈だぜ。蘭を頼むってな」
「は……はいっ！」

新一が大きく頭を下げた。

そっかあ。
わたしは、とっくの昔に「嫁に出した娘」だったんだ。
わたし……ずっと、「新一の奥さん」だったんだね。

「私達は、蘭が生き延びてホッとしたし、もう一度、子供時代の蘭と一緒に暮らせて、幸せだった。特に私は、以前は、時々会うだけで一緒に暮らしていなかったし」

あ。
そうだったんだ。
お母さんは結構長い間、別居してたんだね。

「まあ……本来の状況に戻るだけだ」

お父さんは、少し寂しそうだったけど。
もう覚悟は決めていたみたい。

「でよ。まあなんだな。高校は入学の時から、本来の名前で通った方が良いんじゃねえか？」
「それに、工藤邸からだと、杯戸高校はちょっと遠いわ。かといって、帝丹高校は蘭と新一君を知る先生たちもまだいるし。なので……米花女子高校あたり、どうかしら？」
「え？でも、お母さん。わたし、米花女子の入試なんか受けてないよ？」
「……もう、推薦で入学できるように手配していたわ」

……新一とわたしの苦悩の日々は、一体何だったんだろうと呆気にとられるくらい。
もう既に、お父さんとお母さんの中では、話が決まってしまっていたのだった。

そして、わたしの「２６歳の誕生日」など待たず、春休みの間に、わたしは新一の家に引っ越すことになった。

「ただね。今の蘭の記憶には残ってないし……あの時は急な話で、衣装とかも間に合わせだったから……結婚式は改めてやってもらえないかしら？」
「そうだな。列席者も限られてたしよ」
「分かりました。近い内に……蘭も、異存ないか？」

もちろん、わたしに異存なんて、あろうはずがない。
わたし達の改めての結婚式は、わたしが「２６歳の」誕生日を迎えたあとの６月に行われることになった。

　　　☆☆☆

それから３日経って、引っ越しの朝。
お父さんが、神妙な顔をして言った。

「新一、今更、改めて俺が言う事でもねえが。蘭は……蘭の体は、やり直しているだけだ。だから、また同じ病気に罹る可能性が高いことは、分かってるな」
「はい……もちろんです」

そうだった。
それが、全ての始まりだったんだ。

わたしの体は、爆弾を抱えている状態。
それを、忘れてはいけない。

「蘭を……今度こそ、蘭を、頼んだぞ！」
「はい」

新一も、お父さんに負けず劣らずの神妙な顔で頷いた。

新居は、工藤邸。
元々は、新一のお父さんの持家だけれど、おじ様とおば様……ううん、お義父様とお義母様は、本拠地をロスに移しているし、「時々帰って来るけど、新婚夫婦の邪魔はしないからね～」と、お義母様は仰ってた。

今日はお義母様が、わたしのお引越しの手伝いにいらしてくれている。

「今度こそ、素敵なドレスを蘭ちゃんに着てもらうからね！」

有希子お義母様は、めちゃくちゃ張り切っていらした。

お義母様も、もちろん、以前のわたしたちの結婚式には、参列なさってる。
前にお義母様が仰ってた、「今度こそ蘭ちゃんの花嫁姿を見せてちょうだいね」には、どうやら「最高の花嫁衣装を着た」という枕詞があったらしい。

わたしが20歳の日に挙げたという結婚式の写真を、改めて見せてもらった。
写真の蘭は、幸せそうに微笑んでいるけど、化粧でも誤魔化せないくらい顔色が悪く、げっそりと痩せて頬もこけていた。

「１番きれいな時に新一に抱いてもらったらよかった」

と言った蘭の気持ちが、痛いほどわかる。

うん。
今度は、健康できれいな時に新一に……。

……。

わたし……もうとっくに、新一の奥さん……なんだよね。
今日から一緒にここに住むってことは……今夜……わたし……？

「蘭」
「きゃあああああああっ！！！」

新一に声を掛けられて、わたしは思わず飛び上がってしまった。

「な……なんだよ一体！？」
「あ。ななな、何でも……何でもなーい！」

お嫁さんになるって、そういうことだよね？
っていうか、わたし、前に１回、新一と……やってるんだ……。

でも、記憶だけじゃなくて、体もすっかり昔に戻っているから、きっとまたもう一度、痛い思いをすることになるのよね……？

新一が手を伸ばすのに反射的に体を引いてしまったわたしを見て、新一はわたしが何を考えていたか、悟ったらしい。
額を抑えて大きな溜息をついた。

「おい、蘭。嫁にしろって迫って来たのは、どこの誰だよ？」
「わ、わかってるわよ。ただちょっと……武者震いしてるだけよ！」
「オメーの『２６歳の』誕生日まで待ってやっから！それまでに覚悟決めろ！」

あとになって。
この顛末を聞いた園子・和葉ちゃん・志保先生には、呆れられたり大笑いされたりで、大変だった……。

「じゃあ、新ちゃん。蘭ちゃんに無理はさせないようにねえ」
「させるかよ、バーロ！」

お義母様の去り際の言葉に、新一が真っ赤になって怒鳴った。

「お義母様……わざわざホテルに泊まらなくても、ここに泊まれば良いのに……」
「……今日が初夜だから、邪魔しちゃダメって思ってんだろ」
「ええっ！？」

わたしが新一を見ると、新一は真っ赤になっている。

「あ、あの……」
「そんな顔すんなよ。オレは約束は守る。オメーの２６歳の誕生日まで、手を出さない」

新一は、寝室を別にすることは許してくれなかった。
わたしは新一に抱き上げられ、２人の寝室となった部屋に連れて行かれる。
そして、抱き締められて横になった。

まあ、今までだって、寄り添って一緒に寝るだけってことは、あったけど……。
嫌なわけじゃないけど……。
幸せなんだけど……。

でも、眠れないよう。

新一、よくこの状況で眠ってられるよね！
わたしって……新一に大切にされているっていうより……女と見られてない？

寝息を立てている新一を恨みがましく見つめながら。
いつしか、眠りに落ちていた。

わたしは、一旦寝付いたら、目が覚めないので。
実はわたしが寝入った後、狸根入りしていた新一がこっそり溜息をついていた、なんてことを知ったのは、ずっとずっと後のこと。

わたしがベッドを共にするのを拒否りそうだから、一所懸命、手を出すのを我慢してたんだって。
まったくもう。

　　　☆☆☆

子どもに戻ってからの友だちだった初音とは、学校が別々になってしまった。

「もう！蘭と一緒に杯戸高校に行くもんだって、思ってたのにぃ！」
「ごめんね……高校の途中で名前が変わるのも、色々やりにくいから」

わたしは、いちばん仲良しだった初音には、「１６歳の誕生日に新一のお嫁さんになる」って伝えていた。
この数年間、楽しく小中生活を送れたのは、初音がいたからだったし。

「もう。結婚なんて、高校卒業まで待てば良かったじゃない」
「うん。まあ色々あってさ」
「でも、良かったね。おめでとう蘭」
「ありがとう」

新しい生活。
米花女子高校の入学式。
新しい友人たち。

そして、空手部に入り。

もうすでに経験しているはずだけど、まったく覚えていない高校生活。
充実してて、すっごく楽しい。

でも、わたしには分かってる。
今のわたしは、高校生活を送ることを目的としてはいないって。

わたしが今、しなければならないのは、前の蘭ができなかったこと。
高校生活よりも、もっとずっと大切なことが、ある……。

　　　☆☆☆

わたしは「２６歳」の誕生日を迎えた。
わたしの記憶にはないけれど、元のわたしと新一との思い出の場所だというレストラン・アルセーヌで、食事をして。

そして、家に帰ってきた。
時間をかけてお風呂に入った後、寝室に行って。
もう、心臓が引っくり返るんじゃないかってくらい、ドキドキしてる。

「蘭」

新一に優しく呼ばれ、抱き締められる。

「あ、あの……新一……」
「ん？蘭、オレもずいぶん我慢してきたから、これ以上待つのは難しいぜ」
「そ、そうじゃなくて……その……」
「蘭？」
「わたし、子どもが欲しい……」
「へっ？」
「高校は、途中でやめることになっても構わないから……だから……新一……」
「けどよ……」
「わたし。もしかしたら、またリンパ腫になってしまう可能性が、高いよね？」
「……ああ。そうだな……」
「骨髄移植をしたら、病気は治っても、子どもは望めないかも、しれない」

新一が大きく息を呑んだ。

「だ……だから……子どもを作るなら、今の内だって、思う……」
「蘭……」
「わたし……新一の子どもを、産みたい……」
「蘭。ひとつだけ、条件がある」
「じょ、条件？」
「決して、オレと子どもを置いて逝ってしまうなよ……」

答えるより先に、新一に激しく唇を奪われた。

　　　☆☆☆

新一の、音の外れた鼻歌が聞こえる……。

わたしは、目が覚めたものの、全身がだるくて節々が痛んで起き上がれないでいた。
下腹部に、鈍い痛みがある。

はあ。
以前の蘭は、体の調子も悪かったってのに、よくこんな状態で動けたわね……。
今のわたしには、起き上がる気力もないっていうのに。

まあ、もしかしたら、今回は健康体のわたしだから、新一も手加減しなかったのかもしれないけれど。
経験はあった筈だけど記憶にないし、他の人と比べてどうなのかなんて全然分からないけど、昨夜はずいぶん激しく情熱的に求められたような……気がする。

昨夜の色々を思い起こすと、恥ずかしくてたまらない。
でも、新一の愛を体中で受け止めて……本当に幸せだった……。

「おはよう、奥さん」

新一がドアを開けて入ってくる。
トレイの上には、コーヒーとトースト、そして……目玉焼きになる筈だった卵のなれの果て。

ベッドサイドのテーブルの上にトレーが置かれ。
新一はようやく体を起こしたわたしに、軽いキスを送った。

「どうする？今日は、学校休むか？」
「……うん……」

初エッチで学校を休むなんて、我ながらどうかと思うけれど……。

「新一って、独り暮らし長かった割に、料理、下手だよね……」
「うっせーな。問題は、見た目より、味だろ？」
「目玉焼きだから味付けなんかないよね？」

憎まれ口をたたきながら、卵をフォークで切って口に入れる。

「あ、意外といける」
「だろ？オレの愛がいっぱい詰まってるからな」
「ううん。わたしの卵の選び方が良かったのよ」
「オメーなあ……」
「ウソウソ。絶妙な塩加減で本当に美味しいよ。ありがとう、新一。寝室まで朝ご飯が運ばれてくるなんて、すっごい贅沢してる気分」

ふいに。
新一の目が揺らいだ。

「……前に、お前を抱いた時。目が覚めたら、お前が隣にいなかった……」
「……！ごめんなさい……」

記憶にはなくても、昔のわたしがやったこと。
わたしは咄嗟に謝っていた。

その時は、必死だった。
薬を飲む前に、新一の愛を体に刻み込みたくて……。
目が覚めた時に、隣にわたしがいないことで、新一がどんな想いをするか、想像もできなかったんだと……思う。

「蘭。今朝は、お前がオレの隣で眠ってた。これ以上ないくらい、幸せだった……」
「新一……」

新一に、きつい位の力で、抱き締められた。

蘭。
わたしの中で眠る、もうひとりの蘭。

あなたの願い通りに、なってるよ。
「新一に、幸せに生きていって欲しい」って、あなたが願っていた通りに。

今、新一は、わたしを突き抜けて何か――かつてのわたし――を見るのではなく、真っ直ぐに「わたし」を見るようになった。
そして、幸せそうに笑っている。

でも、この先、わたしが命を落とすことになったら、それは全て崩れてしまう。
新一。
あなたのためにも、わたしは生き延びなければ。

第Ⅲ部　prospect（３）に続く

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第１部第７話の後書きにて、「この先第１部の終わりか第２部の初めに理由が出てくる」と書いたことが、やっと、ここで出てまいりました。
まあ……第２部のラストの辺りで、気付いた方もおられたかもしれませんけど。

そうなんです、小さくなった蘭ちゃんですが、戸籍上はずっと、新一君と夫婦で「工藤蘭」だったのです。

さて。
とりあえず落ち着きましたが。
これで全て解決、大団円とはまいりません。
蘭ちゃんは、いつ発症するか分からない、爆弾を抱えているので。

ですが、ハッピーエンドはお約束します。

2015年5月29日脱稿
2015年6月14日一部改稿

　　