月の光と日の光


byドミ


(2)



「以上のことから考えて、犯人は、あなたとしか考えられません!」

逃れようのない証拠をつきつけて新一が指差した相手は、がっくりと項垂れる。

今日も今日とて、「日本警察の救世主」工藤新一は、事件に駆り出され、鮮やかに解決して見せていた。

「いやあ、工藤くん、いつもすまんなあ」

目暮警部が笑顔で新一の肩を叩く。
新一はちょっとだけ顔をしかめて言った。

「なんか夏休みに入って、呼び出しに遠慮がなくなりましたよね」
「そうだったかね。でも君が旅行で5日間も留守にしたもので、結構大変だったんだが」

新一は、その位は自分たちで何とかしろよ、税金で給料貰っている警察だろ、と、さすがに内心で突っ込みを入れていた。
別段新一は、本当に遠慮して欲しいと思っている訳ではないが、最近目暮警部達だけでも充分間に合うような事件で、安易に呼び出しを受けている事が多かったのだ。

「俺、一応受験生なんですけどね」

そう新一が苦笑いして言うと、高木刑事が横から口を出す。

「またまたあ、工藤君、余裕のくせに」
「・・・・・・」

確かに高木刑事が言うのも道理で、新一は半年に及ぶ休学期間をもものともせず、大して試験勉強などしていないのに全国模試でもいつもトップクラスの成績で、日本の大学の中では最高峰の東都大学医学部にだって、余裕で合格できるはずだった。



目暮警部の携帯が鳴り、警部は「ちょっと失礼」とその場を離れた。
高木刑事が新一に尋ねる。

「冗談抜きで、工藤君、将来の進路は考えてるの?」

新一は即答した。

「俺は探偵になる事以外、考えていません」
「そうじゃなくって、大学とかどうするのかって事だよ」
「高卒のままっていうのはいろいろ不便な事もあるから、大学には行くつもりです。・・・本当は、医学知識なんかを修めたいっていう気もあるけど、理系の学部はカリキュラムが厳しいから、探偵活動に支障をきたす恐れがある。だから、出席に厳しくない、私立大の法学部を考えてます。一応、資格取ってた方が何かと好都合なので、在学中に司法試験に挑戦する予定です」
「それは、帝丹高校の進路指導の教師たちが泣くんじゃないかな?」

高校側としては、成績優秀な新一には、医学部でなくても良いから東都大学に進学して欲しいところだろう。
新一は苦笑する。

「将来の事考えるなら、アメリカ留学の方が良いんでしょうけどね、あっちでなら探偵に役立つ知識や技術で学べる事も多いし。でも俺は日本を離れるつもりねーから」
「そういえば、君だったら向こうの学校でも言葉にも不自由しなかったんじゃないか?スキップ制度も使えただろうに、なんで親元離れて日本で一人暮らしだったの?」

高木刑事は、最初に工藤新一に出会った、2年前の飛行機の中での事件の事を思い出しながら言った。
その時の新一は、鮮やかに事件を解いたのみならず、自在に英語も操っていた。

「えっ、それは・・・・」

新一の顔が見る間に赤く染まる。
その様子を見て、高木刑事はある可能性に思い当たり、呆然とする。

新一が幼馴染の少女・毛利蘭と、昨年から「恋人」として付き合いはじめたのは、無論高木刑事も知っている。
ただ、その想いがどれ程のものなのかまでは知らなかった。
今初めて、高木刑事は気付いた。

凶悪な犯罪者相手にも怯む事のない頭脳明晰な高校生名探偵が、親とも離れて、留学で得られるメリットをも全て投げ打って、たった一人の少女のためだけに日本に居るのだと気付いたのだ。

「く、工藤君。君って、結構可愛いなあ」

高木刑事に笑いながら言われて、新一は憮然とする。
その時、目暮警部が戻ってきた。

「工藤君、電話は蘭くんからだったよ。最近事件で君を呼び出すと、必ず蘭くんから確認の電話があるが、どうかしたのかね」

目暮警部の声にやや刺がある。
1、2回ならともかく、最近度重なるそれに、目暮警部の声には「事件にプライベートを持ち込まんでくれ」との苛立ちがあった。

「・・・目暮警部。俺は事件そのものに取り組むときは、プライベートは持ち込んでいません。それに俺は今のところ、報酬を貰って『仕事』をしている訳じゃない。蘭からの確認の電話位がいけないと言うのなら、俺を呼び出すの止めてくれますか?」

新一の声は低く冷たかった。
本当は、新一としてはこんな言い方は不本意だった。
たとえ今のところ報酬を貰ってなくても、探偵は「仕事」と思っていて、決して遊び半分ではないし、いずれは自分の「職業」にしていくつもりでもあるし、ひとつひとつが真剣勝負なのである。
本当なら、プライベートを「探偵」に持ち込むのは、絶対にしたくない事だ。
そして、普段の蘭なら、絶対に新一の足を引っ張るような真似はしない。
新一の探偵というスタンスを尊重し、たとえ寂しく思う事があっても、決して仕事の邪魔はしない。

しかし今の蘭は尋常ではなかった。
それだけに、蘭の心の傷の深さがうかがえて、新一は自分の不甲斐無さに心を痛めた。
かと言って、「自分が探偵としての新一に迷惑をかけている」と蘭が思い始めれば、もっと泥沼に嵌って行くのは目に見えている。
だから蘭をこれ以上傷つけないために、新一は普段だったら絶対口にしない事をあえて言ったのである。

新一が「呼び出さないでくれ」などと口にするのは、滅多な事ではありえない。
それを敢えて口にした新一は、触れれば電流が走りそうな危うい空気を纏っていて、目暮警部が新一の逆鱗に触れてしまった事は一目瞭然だった。
目暮警部はさすがに、天下の警察が一高校生に頼りきっているというのに、「プライベートを持ち込むな」という自分の方が大人気なかったかと思い、慌てた。

「すまん、工藤君。だけど、何かあったのか心配なのは、事実なのだがね」
「すみませんが警部、それこそプライベートですよ」

新一の言葉は「それ以上踏み込むな」という拒絶に満ちていて、目暮警部は冷や汗をかいて黙るしかなかった。



  ☆☆☆



新一は家路を急ぐ。
蘭が待っている家へと急ぐ。
ここ最近、蘭は工藤邸に住み込んでいる。
けれどそれは、決してロマンチックな意味合いのものではなかった。

「ただいま、蘭」
「お帰りなさい、新一」

迎える蘭は笑顔だが、その瞳には決して拭えない不安の翳が落ちていて、新一の胸は痛む。
もっと別の状況で、蘭が今ここに住んでいるのなら、どんなに良かっただろうと思う。

新一は蘭を抱きしめ、口付ける。
愛しさを込めて、蘭の不安を少しでも拭いたくて。



  ☆☆☆



蘭が作った御飯を食べ、2人で後片付けをし、リビングで寛いだり、一緒に勉強したりする。
夜は蘭を自分の腕に抱きしめて眠る。

『まるで新婚家庭のシチュエーションだけど、そんな風に浸れる状況じゃねーもんな』

新一はコーヒーを飲みながら、いつの間にか溜め息をついていた。

「ねえ新一。新一はやっぱり東都大に行くの?」

蘭が尋ねてくる。
そういえば、一緒に受験勉強をしていても、お互いどこの大学に行く、などという話はまだした事がなかったな、と新一は思う。

「んー?いや、一応帝丹大の法学部にしようかな、と考えてるけど」
「えー、何でー?勿体無いじゃない、新一だったら余裕で東都大に入れそうなのに」
「国立大は、出席厳しいから、探偵活動に支障をきたすんだよ」
「あ・・・そうなんだ。新一、ちゃんとそこまで調べて考えてるのね・・・」
「まあ俺は、探偵になるって事を第一にもってきてっからな。そう言うおめーの方は?どこに行くとか、考えてんのか?」
「んー、三国志とか、中国古典が好きだから、文学部に行こうかなーって思ってるけど、どこの大学とかまでは・・・」
「偏差値の事だけでなく、自分のやりたい事が学べる教授と大学で選んだ方が良いぞ。」
「うん。空手も続けたいしね。いくつか候補は絞ってるんだけどね」

ややあって、蘭は上目遣いで新一を見る。

「ねえ新一。進路の事、今まで誰かに話した事ある?」
「え?」

新一が戸惑っていると、蘭の目が少し険しくなる。

「今日たまたま高木刑事に訊かれてちょっと話をしたけど。なんで?」
「・・・志保さんには?」
「宮野にか?話す訳ねーだろ、そんな事」

蘭が阿笠志保の存在に過敏になっており、事ある毎に不安になっている事は、新一にもよく判っている。
けれど、蘭がそこまで不安になる根本的な原因が何なのか、どうやったら蘭の心からその不安を取り除けるのかが判らないのだ。
自慢の頭脳も、蘭のことに関してだけは、まともに働かなくなる。
言葉でならいくらでも、「蘭以外の女には興味がない、志保はそういう対象ではない」と言う事はできるが、(そして新一は本気でそう思っているのだが)それでは蘭の不安を拭い去る事はできない。
新一は蘭の隣に座り、蘭を抱きしめて、今の蘭にとっては気休めに過ぎないが、自分にとっては真実である言葉を囁く。

「蘭。俺が愛するのは、おめー1人だけだよ」

蘭は新一の胸に頭を預けて涙を零す。

「ごめんね新一。疑っている訳じゃないの。自分でも、何でこんなに不安になるのかが、判らないの・・・」
「蘭が謝る事はねーよ。俺の何かが足りねーって事なんだからよ」

新一は優しく言い、蘭はまた涙を溢れさせた。







翌日。



新一は、呼び出されて妃法律事務所にいた。

「新一くん、お待たせ。御免なさいね、呼び出したりして」

蘭の母親、妃英理が、部屋に入ってきた。
依頼人との応接に使う、小さな部屋。

『他人に聞かれたくねー話って事だよな』

新一は緊張しながら、向かい側に座った英理が口を開くのを待った。

英理の用事が何かは、新一には判り過ぎるほど判っているし、おまけに幼い頃のトラウマが原因で、新一は英理を苦手としていた。

「蘭が今あなたの所で御世話になっているそうね」

英理は単刀直入に切り出す。

「はい・・・」
「私はね、咎めようと思っているんじゃないんだけど、どうもそこに至る経過がね、あの人の話では要領を得ないし。新一くんにきちんと聞かせて欲しいと思って」

新一は大きく深呼吸をする。
とにかく、差し障りない限り、出来るだけの真実を話した方が良いのは判っている。
ただ、話が「黒の組織」や、コナンの存在にまで及んでしまうと、ややこしくなってしまう。
結局、その部分はぼかして話をするしかなかった。


説明を聞いて、英理はやはり今ひとつ納得できていない様子だった。

「・・・合い鍵がきっかけでねえ。まあ、そんな綺麗な人が突然阿笠邸に現れて、新一くんと親しく隣付き合いをしているとなると、面白くないのは判るけれど、蘭がそこまで心乱すなんて、どうも他に何かがありそうで、引っ掛かるのよねえ」
「俺にも、何で蘭があそこまで不安になってるのか、どうしたらあいつの――蘭の不安を拭えるのかが、判らないんです」

それは、新一の偽らざる本音。
英理は苦笑した。

「あの子も、強がってなかなか本音をさらけ出さないからね。そうさせてしまったのは、私の責任でもあるし。――ところで新一くん、今どき、下手すると中学生位でも当たり前に体の関係を持つこの時代に、一線を超えてしまったからって、あなたたちの事を責めるつもりはないけれど、1つだけ訊きたいわ。あなたは蘭との事をどうするつもりでいるの?」
「それは――、俺がきちんと1人立ちしてからの事ですけれど、蘭にはずっと傍に居て欲しいと思っています」

新一は、真直ぐ目をそらさずに、英理を見る。
世間を知らない、若すぎる新一だから言える言葉だろうか。
新一の倍以上に人生経験を重ねている英理には、30過ぎようが、老人になろうが、人はそれほど大人になるものではないと、逆に判っている。
新一と蘭の絆が、ちょっとやそっとでは揺らぐようなものではない事も。
第一、蘭の両親である小五郎と英理、新一の両親である優作と有希子、4人とも20歳の時に親になっているのだから、「そういう関係」になった年齢は、新一たちと大差ない。
新一達が「若すぎるから」と責める資格は自分達にはない、そう英理は思って内心で苦笑する。

「ひとり立ちしてから、ね。どうなったら、1人立ちと言えるのかしら?」

英理がちょっとからかうような口調で言う。

「え、それは、経済的にも親から独立できた時・・・」
「新一くん、それを言うなら、私たちも、有希子たちも、結婚した時はまだ学生だったから、半人前よ?それにね、今の時代、経済的に自立なんて、並大抵の事じゃないわ。第一、この日本でも、結婚したら夫婦単位で自立するのが当たり前になったのは、ほんのここ数十年のことよ。昔は何世代もの同居だったし。・・・親に頼るのって、決して恥ずかしい事とは言えなくってよ」

英理の意外な言葉に、新一は絶句する。

「・・・この話は、またいずれね。今はとにかく、あの子の不安を拭う鍵は、あなたが握っているようだから、蘭の事、くれぐれも頼んだわよ」

話が終わり、新一が立ち上がろうとした時、部屋の入り口がノックされた。
事務員が顔を出して告げる。

「妃先生、お嬢様からお電話です」

事務員から電話を受け取ると、英理は新一に待っているよう合図して電話に出た。

「蘭。一体どうしたの?え?新一くん?いるわよ、話が終わって今から帰るところだけど。何の話だったって?それは、あなたが新一くんの所にずっと泊まっているっていうから心配して・・・電話新一くんに替わる?替わらなくて良い?ここにいる事が判ってたら良いの?あ、そう。今から帰るところだから。それじゃあね」

電話が終わった英理は、溜め息をつきながら新一を見た。

「ここにまで確認の電話を入れてくるなんて・・・あの子、相当に重症ね」



  ☆☆☆



家路をたどりながら新一の心は重い。
英理に呼び出されたときは、てっきり責められるものと覚悟していたのに、思いがけずに「蘭を頼んだわよ」と言われ、その件に関しては嬉しく思い、英理に感謝していた。

しかし、英理に呼び出されて妃法律事務所に行ったのさえ、確認の電話をかけてきた蘭の事を考えると、家に帰って蘭と顔を合わせるのが、何とも気が重かった。
だからといって、寄り道などしていたら、また蘭にどう思われるか判ったものじゃない。
今の蘭には、新一が言葉でどんなに蘭だけだと説明しても、志保にはそんな感情は持っていないと説明しても、頭では理解できても、心が納得しない。
いっそ、志保が隣の家にいなければ・・・新一はふと、そんな事を考えてしまった。



  ☆☆☆



夜中、蘭は目を覚ました。

隣に眠る、新一の顔。
探偵をやっている時は、年齢以上の大人びた顔を見せるのに、寝顔はむしろ年より幼く可愛い感じになる。
こういった幼い顔を知っているのは、自分だけだと蘭は思っていたのに、最近では全く自信がなくなってしまった。
勿論蘭には、新一が今のところ蘭を裏切ったりなどしていない事は、重々判っているのである。

でも――。

誰にでも、勿論蘭にも、「子供の江戸川コナン」として演技した顔を見せていた時、灰原哀には、宮野志保にだけは、工藤新一の顔を見せていた、そう思うと、たまらなく辛い。
今は「蘭だけ」と言っていても、新一により相応しい、新一と並んで「探偵」が一緒に出来る存在があれば、いずれ新一はそちらを選ぶのではないだろうか。

ちょっと前までは、新一に抱かれると、愛されていると実感できて、身も心も1つだと思えて、幸せだった。
けれど今は、どれ程に肌を重ね合わせても、その実感がなく、惨めになる。
それに最近の新一は、相変わらず優しく抱いてくれるけれど、何だかとても淡白になっていて、以前のように、激しく情熱的に求めては来なくなった。

『もう私を抱くの飽きちゃったのかしら。それとも、こんな私の事、嫌いになったから、抱くのも嫌になってきたの?』

体の繋がりだけでは何にもならない、と絶望的に思う。
こんな風に、新一に不安をぶつけるような真似をして、みんなに迷惑をかけて、こんな事では却って新一に嫌われてしまう。
そう思うのに、自分が止められない。

蘭は無意識のうちに、左手の薬指を――新一が贈ってくれた指輪を、ぎゅっと握り締めていた。
それだけが、辛うじて新一と自分とを繋ぎ止める証のように思える。

「新一、新一、私を嫌いにならないで。私から離れて行かないで。もしそんな事になったら、私は・・・」

蘭の頬を、いく筋もの涙が滑り落ちていった。





(3)につづく




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