――大阪府寝屋川市・遠山邸――


電話のベルが鳴り響き、遠山家の1人娘、和葉が電話をとった。
「はい、遠山で・・・は?蘭ちゃん、どないしたん?え?え!?えええーっ!!?ほ、ほんまなん!?そ、そらまた・・・うん、うん。あたしは大丈夫。でも平次がどないか・・・心配あらへん、殴ってでも連れてくるからな。うん、わかった。ほな、またな」
「どないしたんや、和葉」
「あっ平次!今、蘭ちゃんから電話あってな」
「ひょっとしてその電話の用言うんはこれの事かいな」

そう言って平次は和葉に2通の封筒を見せた。

「・・・そう!それの話や!・・・なんや平次、知っとったんか、つまらんなあ」
「俺も知ったばっかりや。さっきこれが届いてな、さすがの俺もビックリしたわ。で今、工藤に連絡して確認して来たとこや」
「・・・今からチケット取れるやろうか」
「アホ。工藤達が、そこら辺に抜かりがあるわけないで。ちゃんとチケットは同封されてきとる。それより問題はパスポートや。こればっかりは本人やないと取れへんし、はよ手続きせんと間に合わへんよってな。和葉、すぐ出掛けるで、早よ支度し。今から市役所行って住民票とって・・・せなならん事多いよって、忙しいで」



  ☆☆☆



――東京都米花市・鈴木邸――


鈴木家の次女、園子の部屋で、専用電話のベルが鳴った。

「はい、鈴木園子で・・・は?蘭?どうしたの?え?え!?えええー!!?ほ、ほんとなの!?そ、そりゃまた・・・うん、うん。わたしは大丈夫。でも真さんはどうかなあ・・・心配しないで、首根っこひっ捕まえてでも連れてくるからね。うん、わかった。それじゃ、またね」


「さーてと、わたしのパスポートはまだ有効だったわよね。真さんは勿論持ってるか、海外留学してんだから。急いで連絡しないと」







大阪の遠山和葉、東京の鈴木園子、2人に電話をかけて来たのは、2人にとっての親友、毛利蘭である。

その電話の内容とは一体――?







ずっと一緒に


byドミ


(1)



「蘭っ、何ぼんやりしてんだ!?」

3階の住居のドアを開けて、蘭の父親・毛利小五郎が怒鳴った。
どこかから溢れた水が、2階の探偵事務所の天井から降って来たのだった。

「あ、な、何でもないわ、お父さん」

蘭は何が起こっているかにまだ気付かず、ぼんやりしたままそう答える。

「何でもねー事ねーだろうがっ!2階に水が降ってるぞ、早く何とかしろっ!このままだと、1階のポアロにまで水が降るぞっ!あそこは喫茶店だから、そんな事になったら大迷惑だっ!」

慌てて蘭は心当たりのある洗面所に駆け込んだ。
洗濯機から泡が噴き出ていて、洗面所は水浸しになっている。
ボーっとしていて、洗剤を箱ごと洗濯機にぶちまけてしまったのが原因で、泡だらけになり水が溢れてしまったのだった。
慌てて、雑巾、タオル、新聞紙、あらゆる物を動員して溢れた水の掃除を始める。
洗剤のせいでつるつるすべり、なかなか作業がはかどらない。
時間をかけてようやく何とか溢れた水は掃除できたものの、その後は悲惨な状況であった。

蘭は、時計を見て泣きそうになった。
もう昼をかなりまわっている。

小五郎は溜め息をついて言った。

「そんな上の空で掃除をされたら、余計悲惨な事になる。出かけて頭を冷やして来い!」

そういった言い方でもしなければ、蘭は「自分の責任」と思って、一生懸命片付けようとするだろう。
けれど、そうされたら、小五郎の言う通り、更に収拾がつかなくなる恐れがあった。

蘭はしばらくためらっていたが、小五郎が更に、今下手な事をされたらかえって困る、と憮然として言うと、申し訳なさそうな顔をして、けれど、隠しきれない喜びの色を目に浮かべて出かけて行った。

蘭の表情を見て、小五郎は更に大きな溜め息をついた。
今日の小五郎は、もう仕事どころでなく、自宅と事務所の掃除に追われそうだった。



  ☆☆☆



蘭がこのところそんな調子なので、家の中は何だか悲惨な事になっていた。
物は壊れるわ、鍋は焦すわ、食器はひっくり返すわ・・・。
蘭は一生懸命それらを片付けようとして更に何かを仕出かし、日に日に室内は荒れていく。その様子を見て、細かい事は気にしない太っ腹な小五郎でも、流石に気が滅入ってきていた。

数日前、蘭が捕われていた不安に一応けりがついたらしく(小五郎に詳しい内容は話してくれなかったが)蘭は工藤邸から自宅に帰って来ていた。
確かに不安は無くなったようではあるが、今の蘭は別の意味でいつも辛そうにしている。

毎日午前中は、蘭はそわそわしている。
昼前に掃除洗濯などをしているのだが、これが今はとても悲惨な状況になっている。
掃除をすればするほど、家の中は荒れはて、すさまじい事になっていく。
洗濯だって、1回洗濯したものを繰り返し洗濯する羽目になり、その挙句に服をぼろぼろにしてしまったのも、1度や2度ではなかった。
昼食は、英理の作るものに勝るとも劣らない、「一風変わった個性的な味」の物ばかりである。

午後になると、蘭は工藤邸に行く。
受験勉強(多分それだけではないが)を新一と一緒にするために。
そのときの蘭は、晴れやかなとても綺麗な顔をしていて、とても幸福そうで、小五郎は口惜しさのあまり、新一に対して殺意が芽生える程だ。

そして夕方になったら、蘭は夕御飯の支度に間に合うよう、新一に送られて遅くとも6時半には帰ってくる。
帰っていく新一を見送る蘭は本当に寂しそうで、憂いを帯びた泣きそうな目をしている。

小五郎は、出掛ける蘭を見送る時とは別の意味で、腹立だしくなる。

『ったく、毎日会ってるくせに、それだけじゃ不満なのかよっ!』

実際には、事件で新一が不在の事もあるし、必ずしも毎日会ってる訳ではない。
それでも、これだけしょっちゅう会っていれば、充分じゃないかと思うが、愛娘にとってはそうでは無いらしい。

小五郎は面白くなかった。

しかしそれ以上に、辛そうな蘭を見続ける事はもう限界だった。



  ☆☆☆



炎天下、蘭はいつものように、工藤邸の門をくぐった。

蘭は、門から玄関までの通路を通り過ぎながら、生い茂る雑草を見て溜め息をついた。
新一は、それなりに家事をしているものの、家の中の掃除はあまり出来ていない。
これは、新一が怠け者という訳ではなく、工藤邸が、たとえ専業主婦でも掃除にはうんざりするだろうと思われるくらいに広すぎるのである。

救いといえば、新一があまり散らかさない事。
埃はかぶっても、辛うじて室内がごちゃごちゃせずに済んでいる。
何とか掃除ができているのは、新一の部屋と、リビング・キッチン・風呂・トイレくらい。
それだって、男子高校生は普通家事なんてものはしないし、探偵として忙しい新一の立場を考えれば、上出来であると言えよう。
だだっ広い庭に至っては、はっきり言って、新一がどうにか出来る範疇にない。
時々業者に頼んで手入れは任せてあるが、夏場にはどうしてもジャングルになってしまう。

蘭が工藤邸に住んでいた間に、家の中は見違える程に綺麗になったが、さすがに庭にまでは手が廻らなかった。

「無駄に大きい家ってのも、考え物よね」

そう思いながら玄関の鍵を開ける。
やっと新一から貰った合鍵。

嬉しいけれど、今の蘭には合鍵だけでは物足りない。



今日は新一は家にいた。
夏休みではあるが、新一は事件で出かけていることも多いのだ。
リビングで、一応持参して来た参考書と問題集を広げる。
蘭が苦手とする理数系の科目を、新一に教えてもらうのだ。
時には2人とも感情に流されて、勉強ではなく別の2人きりの時間を過ごしてしまう事もある。
けれど、とりあえず今日は、真面目に数学の勉強をしていた。

「ああ、ここはこうなってこうなるだろ。だから・・・」

新一の説明は下手な授業よりよほど的確で判り易い。
学校で行われる補習を受けるより、ずっと役に立つ。
探偵になるつもりでなければ、新一は案外教師になるのも向いているかも、と蘭は思う。

間近で見る新一の顔は、父・優作と、母・有希子の双方に似ていて、綺麗な顔立ちをしている。
真剣な眼差しに、長い睫毛が影を落としている。

「んで、こういうパターンの場合はこの公式が・・・おい、蘭、聞いてっか?」

ボーっと新一に見惚れていた蘭は、慌てて問題集に目を落とす。
色々あって、ただでさえ蘭は予定より勉強が遅れていた。
とにかく今は、やらねばならないことに集中しなければ、と蘭は気を引き締める。



  ☆☆☆



夕日が長い影を落としはじめる。
とりあえず勉強が1段落して、新一はアイスコーヒー、蘭はアイスティーを飲んでいた。
もうすぐ帰る時間。

蘭は泣きたくなる。
事件で出かける新一を、この家で待っていたい。
夜はこの家で、新一の温もりに包まれて眠りたい。

『私って、贅沢だよね。我儘だよね。ただ、時々電話で声を聞くだけだったあの頃に比べれば、今はとても幸せなのに・・・』

悲しげに目を伏せる蘭を、新一がじっと見詰めている事に、蘭は気付かなかった。



  ☆☆☆



ある晩の事。

蘭を送って来た後、一旦家に帰った筈の新一が、再度毛利探偵事務所を訪れて来た。

「・・・蘭なら上にいるぞ」
「いえ、今日はおじさんに話があって来ました」

小五郎は苦虫を噛み潰したような顔になった。
新一の「話」とやらが何なのか、嫌な予感がした。

「・・・まあ座れよ」

新一を促してソファーに座らせ、自分もその向かい側に腰掛ける。

「何だ、話ってのは」
「蘭と、・・・お嬢さんと一緒に暮らす事を、許して頂きたいのです」

小五郎がくわえていた煙草が、ポロっと落ち、テーブルを焦がしたが、2人とも頓着しない。

しばらく沈黙がおりた。



「おめー、何つった」
「ですから、お嬢さんと一緒に暮らす事を・・・」
「冗談じゃねーぞ!おめーら、まだ高校生だろうが!この前は、蘭がおかしかったから期間限定で許したが、そんな事許可できるわけねーだろうが!」
「・・・無理は重々承知しています。でも、俺はこれ以上、あいつと離れていられない。虫がいい話だけれど、俺が探偵として出かけている間、蘭に家で待っていて欲しい。出来る限り、蘭の傍に居たいんです」
「同棲なんてしたら、将来蘭の嫁入りに差支えるじゃねーかよ」
「蘭はいずれ必ず俺が嫁に貰います!絶対他の奴に渡そうとは思いませんから!」

強く言い切った新一の言葉に、小五郎は苦笑する。

「・・・去年、蘭をあれだけ長いことほっておいた奴の台詞とは思えねーな」

新一は息を呑み、項垂れる。

小五郎が言うのは、昨年新一が、厄介な事件とやらに関わって半年ほど不在だった時の事だ。
その間、蘭は気丈に振舞っていたが、こっそり泣いていた事を小五郎は知っている。

新一は目を伏せたまま、絞り出すような声で言った。

「それは・・・、詳しく話す訳にはいきませんが、蘭を危険に巻き込まない為だったんです」

実は小五郎は、事件の全貌とは言わないまでも、目暮警部から話を聞いてある程度の事を知っていた。
昨年の事件は、警察内部でもトップシークレットに属する事であり、たとえ僅かな情報でも小五郎が知らされているというのは、警察からの破格の待遇と言って良いのである。(目暮警部にしても、「全貌」を知っているわけではない)

マスコミにも勿論伏せられているが、ある非常に大きな裏の組織を倒すのに、工藤新一が大きく関与していた事、その為に、非常に危険な状況であった事。

それを小五郎は知っていた。
だから何故新一が蘭の傍を離れていたかも、見当がついていた。
小五郎は、それは仕方ない事と思う。
口惜しいが、蘭を大切に思っての事なのだと、容認できない事はない。

しかし、蘭と恋人同士になり、あまっさえ、一線を超えてしまった状態で、同じ事を繰り返されたらたまったものではない。

「バーロ。全部じゃねーが、俺も少しは話を聞いている。今更その時の事を蒸し返すつもりはねーし、そん時はまあ、仕方なかったろうよ。認めたくねーがな。だがな、今後は絶対そういう事は許さねーからな。おめー1人だけで抱えこみゃあ良いって事じゃなくなるんだからよ」
「・・・今後、絶対蘭を1人にするような真似はしません」
「おい!まだ許すとは言ってねーだろうがよ。・・・蘭は何て言ってる?」
「蘭とは、まだこの事は話していません」
「おめー、俺が許すと言っても、蘭が一緒に暮らすのは嫌だつったら、どうするつもりなんだ」
「それは・・・」
「馬鹿じゃねーか、おめー!取り敢えず、蘭を呼んで来い!話はそれからだ!」



  ☆☆☆



そして、蘭と新一がソファに並んで座り、小五郎がその向かい側に腰掛ける。

「蘭、おめーはどう思ってんだ?」

小五郎が問うと、蘭は涙を浮かべながら答えた。

「それは、許して貰えるなら、私だって新一と一緒に暮らしたいって思ってるよ・・・」

小五郎は溜め息をついた。
自分の大切な1人娘の蘭は、もうとうに親の下を飛び立って、この目の前の小憎たらしい男のものだった。
そうつくづく感じてしまう。
手放したくないのは山々だ。
けれど、遅かれ早かれ手放す時は来るし、小五郎が今意地を張ったところで、蘭に辛い思いをさせ、泣かせ、余計に自分から心が離れて行ってしまうだけなのは、よく判っている。

しかし小五郎にも、意地ばかりではなく、蘭の父親としてこれだけはどうしても譲れない線という物があった。

「・・・同棲は許さん」
「おじさん・・・」
「お父さん・・・」
「同棲は、絶対に駄目だ」

きっぱりした小五郎の言葉に、新一と蘭は目を伏せた。





(2)につづく



++++++++++++++++++++++++



私(ドミ)は個人的には、小五郎さんに、コナン=新一というのは知って欲しくない。けれど、新一くんがずっと蘭ちゃんをほったらかしてたと思われるのもね・・・という思いが、「小五郎さんは事件の事をほんのちょっとだけ知らされている」という形に落ち着きました。

本当は、「警察のトップシークレット」なんてのは、好きじゃないんですが(苦笑)(情報は公開すべし!です)

さて、不安は拭えたものの、今度は新一くんから離れられなくなってしまった蘭ちゃん・・・。
新一くんの方も、思いは同じ。
けれど、一緒に暮らすなんて、小五郎さんが簡単に許すはずがない。
一体どうなるのでしょう?

次回以降のヒントは冒頭にあります(判り易過ぎるかな?)


「月の光と日の光 番外編・時を超えて」に戻る。  (2)に続く。