ずっと一緒に
byドミ
(3)
新一が、小五郎と蘭の前で開いた書類――
それは、「婚姻届」の用紙であった。
新一自身と、工藤夫妻の署名捺印は既に済ませてある。
蘭は驚愕の表情で見ている。
小五郎は、しばらく用紙を睨みつけるように見ていたかと思うと、目を閉じて言った。
「これがおめーの出した結論か」
新一は緊張した面持ちで口を開く。ここで間違うと、小五郎の機嫌をますます損ねかねない。
けれど、下手に小細工を弄するより、正直な自分の気持ちを話す以外にないのだった。
「俺は、蘭と一緒に暮らしたい。ずっと傍にいて欲しい。半人前の俺だから、『籍を入れる』というのが、きちんと責任を果たせる事かどうかは、正直判りません。でも、同棲という中途半端な状態で蘭を傍に置く事は、確かに虫が良過ぎるとも思えます。いずれ必ずそうしたいと思っていました。もしお許し頂けるのなら、今、この時に・・・蘭を俺の妻にしたいと思います」
小五郎は大きく息を吐くと、目を開いて真直ぐに新一を見た。
「おい、新一。蘭は俺が育てたにしては、本当に良い娘に育ってくれた。本当だったら、勿体無くておめーになんか譲れねえところだがよ。物好きにも蘭がおめーが良いと言うんだからしょうがねえ。幸せにしねーと承知しねえからな。絶対これ以上、泣かすんじゃねーぞ」
この瞬間を、新一は生涯忘れる事は無いだろうと思う。
ついに小五郎のお許しが出たのだ!
新一は晴れやかな顔で答える。
「はい!絶対大切にします!」
蘭が涙を流しながら言った。
「お父さん、・・・ありがとう」
「礼を言われる必要はねーよ。・・・蘭、印鑑を持ってきてくれ」
「え?」
「今ここで署名をして渡す。後は英理に署名して貰えばいつでも届けられるからな」
一旦決断すると、小五郎はいつまでもぐずぐずしておらず、行動は早かった。
「蘭。おめーは、今夜からあっちの家に行け」
「え?でもお父さん、同棲は駄目だって・・・」
「同棲は駄目だが、結婚前に数日間泊まる位の事には目くじら立てる気はねーよ」
蘭の目は潤み、新一は頭を下げて言った。
「おじさん、いえ、・・・お義父さん。ありがとうございます」
小五郎は苦笑して言った。
「何、礼を言われる事はねえ。このままだといつ家が壊れるか、冷や冷やし通しだったからな」
新一には、それが小五郎の照れ隠しの優しさだと判り、黙って深々と頭を下げた。
☆☆☆
そして、新一と蘭は2人連れ立って工藤邸に向かった。
夜になったとは言え、まだまだ暑い。後数日は熱帯夜が続きそうだった。
2人、工藤邸のリビングに落ち着き、冷たい飲み物を飲んで一息つく。
「蘭?」
蘭はずっと黙ったままだった。
小五郎の前で感謝の涙を流し、目を潤ませたまま毛利家のアパートを後にした蘭だったが、その表情が段々と暗く沈んで行っているのに、新一は気付いていた。
「蘭、どうした?何か気になる事でもあんのか?」
「新一、ずるい!自分だけで話し進めちゃって!『平静な顔して聞いてくれ』なんて・・・勝手にあんな話、お父さんにしちゃって!!」
「蘭!?」
感情が高ぶって泣き始めた蘭に、新一は慌てる。
「おい、落ち着けって。泣くなよ、蘭」
「酷い、酷い!私まだ、新一に何にも言ってもらってないのに!!勝手に話決めちゃって!私、私、ずっと夢見てたのに!!それ飛び越しちゃって、新一ったら酷い!!」
新一が蘭を抱きしめると、蘭は新一の胸板をぽかぽかと拳で叩いて、しゃくりあげながら「酷い、酷い」と繰り返した。
『俺って馬鹿。おっちゃんの事ばっかりに気を取られて、肝心の蘭の気持ちに配慮してなかったな・・・』
新一はしばらく黙って蘭の背中を撫で続ける。
やや経って、蘭がようやく少し落ち着いて来た頃、新一は口を開いた。
「蘭、ちょっとここで待ってろ。すぐに戻っから」
そう言い置いて、新一は2階に向かい、すぐにまた引き返してきた。
蘭が怪訝そうな目で見つめる。
新一は蘭の前に立つと、深呼吸をした。
新一は深呼吸すると、真面目な顔をして蘭に向き直る。
「毛利蘭さん。俺と結婚してください。俺の妻に・・・なって欲しい」
蘭は目を見開いた。
その瞳から、新たな涙が零れ落ちる。
「蘭?」
「・・・ずるいんだから・・・」
蘭の言葉に、新一の顔が強張る。
「蘭。・・・まさか嫌なのか?」
「馬鹿っ!そんなわけないでしょっ!どうしてそう、鈍いくせに、いきなり嬉しい事を言ってくれたりするわけ?ほんとに、ずるいんだから」
新一はようやく、蘭が欲しがっていた言葉を間違いなく届ける事が出来たのだと判って、ほっとする。
『俺としては、あの誕生日の時にプロポーズが済んでいるような気分になってたんだけど、蘭にとっては、今回改めて正式に言って欲しかったわけだ。やっぱ、女にとってプロポーズって特別なんだな。つくづく、俺って修行が足りねーよな』
「蘭。返事、聞かせてくれねーか?俺と、結婚して欲しい」
蘭は、今まで新一が見た中でも最高級にとびっきりの、輝くような笑顔を見せて応えた。
「はい」
新一は蘭を抱きしめ、口付けた。
そして、用意していたダイヤのエンゲージリングを蘭の左手の薬指にはめた。
本当だったら、今まではめていた「予約」の指輪、小さなエメラルド入りの細いシルバーのリングは、外さなくてはならないのだろうが、2人とも思い出深いその指輪を外す気にはなれず、結局、新しい指輪を重ねてはめる事になった。
『こっちの指輪をはめたときは、本物はまだ何年か先のつもりで、まさかこんなに早く贈る事になるとは、夢にも思ってなかったよな・・・』
「蘭、俺、おめーの事一生大切にするから」
「うん」
「絶対、離さねーから」
「うん」
「幸せになろうな」
「・・・私、幸せだよ。もう充分過ぎるくらい」
「蘭、愛してる」
「私も・・・新一、愛してるわ・・・」
蘭の目から、新たな涙がこぼれ落ちる。
しかしそれは嬉し涙と判っていたから、新一は何も言わなかった。
新一は蘭を抱き寄せ、もう1度、そっと唇を重ねた。
小五郎の許可が降りた事は、すぐさまロスの工藤夫妻にも伝えられた。
「まあいずれ新一が1人立ちしたら、貸しは利息をつけて返してもらうから、大学までは生活の面倒を見てあげるよ」
と、優作は言った。
有希子と結婚した頃は、作家としてまだ駆け出しだったから、優作自信が辿って来た道でもある。
「蘭ちゃんに無理はさせないでね、絶対に泣かせないのよ」
と、有希子は言った。
昔から娘が欲しくて蘭を気に入っている有希子は、手放しで喜んでいた。
からかいの言葉はあっても、蘭を気に入っている工藤夫妻は快く2人の事を祝福してくれた。
英理のところには、2人で直接出向いて挨拶をした。
「あの人のことなら心配しないで。どうせ、近々あそこに戻るつもりでいたからね。蘭ほど上手くやれないとは思うけれど、子供に頼るのもいい加減に卒業して貰わないとね」
英理はそう言って笑い、婚姻届用紙に署名捺印をした。戸籍上の、「毛利英理」の名前で。
目暮警部他、警察関係者にも知らせが行く。
今の状況では、警察からの呼び出しもなるべく控えてもらう必要があった。
(尤も、難事件だったら、新一の方から駆けつけてしまうだろうが)
学校にも、校長他限られた教師にだけ、連絡がされる。
学校側は渋い顔をしていたが、法律で認められた正式な婚姻に文句をつける訳にはいかない。
ただ、卒業まで周囲にはくれぐれも内密にと、釘を刺された。
☆☆☆
そして、2人一緒に米花市役所に行って、婚姻届を提出する。
弁護士である英理が付いているのだから、書類に不備がある筈はないが、新一も蘭もドキドキする。
けれど、拍子抜けする位にあっけなく、手続きは終わった。
☆☆☆
その夜、受験勉強が1段落して、新一がコーヒーを淹れていた。(このところ蘭がろくに勉強できない事態が続いたため、蘭に家事の負担をなるべく掛けないように、新一も気を使っているようだった)
新一はカップにコーヒーを注ぎながら、蘭に声を掛ける。
「蘭、俺が今年は自分の誕生日覚えてたの、何でか判るか?」
「え?確かあの時新一は、私の行動パターンが去年と一緒だったからって言って・・・。あと、今年は18歳になるからって言ってたよね・・・。でも、R−指定が見れるからってのは違うって言い張ってたし・・・」
「妙な事はよく覚えてんな」
新一が苦笑する。
「お酒・煙草は20歳からだし・・・うーん・・・車の免許?」
「ほんっとに、わざとか?って思う位、おめーって鈍いよな」
「じゃあ、何だって言うのよ!」
「今日やった事」
「今日やった事って・・・え!?」
「・・・まさか本当に18歳で結婚するとは思ってなかったけどさ、蘭とそうなる事も可能だよなあって思ってたのはホント」
「あ、あ、あ、あのあの、新一」
蘭が赤くなりながら言った。
「ん?」
「ひょっとして、もしかすると、私の勘違いで、物凄い自惚れかも知れないけど」
「何?」
蘭が伺うような視線を新一に向ける。
「もしかしてもしかすると、新一の思考って、私の事中心に回ってる?」
「・・・んだよ、今ごろやっと気付いたのか?」
新一の何でもないかのような物言いに、蘭は真っ赤になり、火照った頬を両手で押さえた。
ついこの間、新一の気持ちが自分から何時か離れてしまうんじゃないかと不安で堪らなかったのが、物凄く馬鹿らしく思えてくる。
不意に新一が、蘭の肩を抱き寄せ、顔を覗き込んできた。
間近に迫った深い色の瞳に、蘭はどぎまぎする。
新一はにっと笑って言った。
「蘭、今夜って、考えてみれば俺達の『初夜』だよな」
「え?・・・もう!新一のエッチ!大体、今更『初夜』なんて・・・」
「だって、蘭が俺の『妻』になって初めての夜じゃん」
「妻・・・?」
「そう。蘭は俺の妻、そして俺は蘭の夫。もう、『恋人同士』じゃねーんだよな」
「そっか・・・でも、実感わかないなあ・・・」
「それじゃ、一晩じっくりかけて、実感させてあげようvv」
「・・・もう、馬鹿っ!」
真っ赤になって言う蘭に、新一は極上の笑みを浮かべる。
そして蘭を抱えあげると、2階の自室へと消えて行った。
工藤邸で2人の「新婚生活」が始まった。
特に今までと何かが変わったわけではないが、お互いがもう「恋人」ではなく、「夫」であり、「妻」であるのだと自覚した事で、少しずつ変化が訪れていた。
ラブラブ甘々なのは相変わらずだが、新一は少しずつ、家庭を持つという事、「妻」として守るべき相手が居るという事への責任感を強くしていった。
蘭は、「探偵」としての「夫」の仕事を支える役目が自分にあるのだと、思うようになった。
帰るべき所が定まった事で、お互いが今まで以上に深い安らぎを感じる事が出来るようになったのは、言うまでもない。
結婚式は、2人ともまだ高校生のため、限られた親しい者だけでささやかに行われる事になった。
ただ、国内でやると、マスコミに嗅ぎつかれてしまう恐れがある。
そこで急きょ、ヨーロッパ――スイスの高原で挙式をする事となった。(工藤家の別荘があるハワイも検討されたが、日本人が多すぎ、マスコミに嗅ぎ付けられ易いと言う事で見送られた)
招待するのは、身内の他は2人にとっての大切な友人達だけである。
パスポートの準備には時間がかかるため、友人達へ慌しく連絡が行われた。
そして、後僅かで夏休みが終わるというある日、一行はそれぞれに、ジュネーブに向けて飛び立って行った。
大阪からヨーロッパへの直行便に乗っているのは、平次と和葉の2人である。
1ヶ月前に幼馴染を卒業し、恋人同士になり、結ばれた2人。
相変わらず漫才のようなやり取りをしながらも、2人の間には甘い雰囲気が漂っていた。
「蘭ちゃんの花嫁姿、むっちゃ綺麗やろうなあ」
和葉が夢見るような瞳で言う。
「・・・和葉。うらやましいんか?」
平次が仏頂面で訊いた。
「別にうらやましいないで。まだあたしらは高校生なんや、今すぐ結婚やいうたら、大変な事が多いのは見当つくで。蘭ちゃん可愛いから、花嫁姿綺麗やろなて、純粋に思うてるだけや」
「・・・絶対和葉の方が綺麗にきまっとるで」
平次の呟きは口の中だけで、和葉の耳には届かなかった。
「平次、何か言うたか?」
和葉が問い、平次は顔を赤らめる。
怪訝そうに平次を覗き込む和葉の顔を見ると、妙な気持ちになりそうで、平次は目をそらした。
『なんや調子狂うな。今までずっと一緒やったのに、何で今更ドキドキせなあかんねん』
「もう平次、何やのん!」
黙って目をそらしてしまった平次が不服なのか、和葉は口を尖らせ、平次の顔を自分の方に向けさせようと、手を伸ばしてきた。
平次は素早くその手を掴んで指を絡める。
「和葉。何時いう約束はでけへんけどな、相手は間違いのう和葉しかおらへんで」
「平次・・・」
それきり2人、何となく気恥ずかしくてお互い目をそらし、しかし手はしっかり握り合い、赤くなって無言だった。
気の毒なのは、たまたまこの2人と隣接する座席に座る羽目になった、他の乗客である。
ジュネーブまでの十数時間、ラブラブ光線に中てられ続ける事となってしまった。
京極真は修行のため各国を転々としていたが、今現在は香港に居た。
園子は、成田からアンカレッジ経由の北回りで行く方が、時間のロスもなかったのだが、真と一緒に行くために、わざわざ南回り――香港経由で行くことにした。
そして1人、成田から香港に向けて飛び立つ。(実はこっそり鈴木家のガードが付いて来ていたが、園子は気付いていなかった)
行動的な園子であるが、国際線に1人きりで乗るのは初めてで、正直心細かった。
香港の空港に着いて、迎えてくれた真の姿を目にするなり、園子の目からブワッと涙が溢れ出た。
「そ、園子さん?」
真が慌てて駆け寄ってくる。
「園子さん、どうなさったんですか!?」
「ううん、何でもないの。ちょっと感傷的になって、気が緩んでるだけ・・・」
真に抱き留められて、園子はそう言ったが、自分でもそれは嘘だと判っていた。
『夢を叶える為に、強くなる為に、修行している真さんに・・・、寂しかったなんて、そんな事言えないよ』
1ヶ月前の伊豆旅行で初めて結ばれた2人。
けれど真は、旅行が終わって間もなく、空手修行の為に再び海外へと旅だった。
蘭と和葉は、「探偵」である彼氏がそれぞれに忙しく、数日くらい会えない事はある。
それでも、彼氏達は時間がとれる限りは彼女の傍にいるし、埋め合わせをしようと努力している。
何より、何処か遠くに行ってしまっている訳ではないのだ。
園子は最近では、絶対口に出しては言わないけれども、蘭と和葉がうらやましくて仕方がない。
真は園子を大切にしてくれるし、たとえ傍を離れていても、決して浮気などしていないことは信じられる。
でも、出来ればずっと傍に居たいと思う。
だからと言って、真の足を引っ張りたくはない。
『高校を卒業したら、そのときは・・・』
園子は密かに決意している事があった。
でもとりあえず今は、1ヶ月ぶりに真と会った園子には、涙を抑える事は不可能だった。
鈴木家のガード達は、こっそりついて来ていたのだが、格闘家として勘が鋭い真にすぐに見つけられ、可哀相な事に撒かれてしまい、園子を見失ってすごすごと帰る羽目になった。彼らが雇い主の鈴木史郎から、大目玉を食らったのは言うまでもない。
そして園子と真の2人は、ジュネーブ行きの飛行機に乗り込む。
「蘭の花嫁姿、滅茶苦茶綺麗だろうなあ」
園子が夢見るような瞳で言う。
「・・・園子さん?」
真が、園子を伺うように声を掛ける。
「蘭は可愛いから、花嫁姿、すっごく綺麗だと思うわ」
「・・・絶対園子さんの方が綺麗にきまってます」
真の呟きは口の中だけで、園子の耳には届かなかった。
「真さん、何か言った?」
園子が問い、真は顔を赤らめる。
怪訝そうに真を覗き込む園子の顔を見ると、妙な気持ちになりそうで、真は目をそらした。
『園子さん、そんな可愛い顔で見詰められたら、私はもう心臓が爆発しそうです・・・』
「もう真さん、何なの!」
黙って目をそらしてしまった真の顔を自分の方に向けさせようと、園子は手を伸ばした。
真は素早くその手を掴んで、園子の体を引き寄せる。
そして耳元に囁いた。
「園子さん。今はまだ修行中の身で、こんな事言うのは本当なら許されないのかも知れませんが、いずれ私がそれに相応しい男になれた時は、必ず園子さんをお迎えに上がりますから・・・」
「真さん・・・」
それきり2人、お互いの目を見詰め合い、手をしっかり握り合い、赤くなって無言だった。
こちらも大阪組と同様、気の毒な事に、たまたまこの2人と隣接する座席に座る羽目になった他の乗客たちは、ジュネーブまでの十数時間、ラブラブ光線に中てられ続ける事となってしまった。
(4)につづく
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新蘭がついに高校生夫婦に!
このシリーズの切欠となった「Birthday Present」を書いた時点では、作者としては、この2人は高校卒業まで清いお付き合い(爆)のつもりだったのに、いつの間にこんな事になってしまったんでしょう。
次は結婚式で、「ずっと一緒に」の最終回です。
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