Stay with me〜異聞・竹取物語〜



byドミ



(7)もう一人の蘭



「わたし、こんなに幸せで良いのかしら?」

蘭は、月を見上げながら呟きました。

半年後には皇太子の元に嫁ぎ、身も心も、ずっと想い続けてきた新一のものになります。
両親とは離れてしまいますが、会いに行ったり来たり出来ない距離ではありません。
帝も皇后も、形として養女になった先の鈴木家の人々も、皆優しく、園子という親友も出来、何もかもが怖い位に順調でした。

「もう少しで、わたしは、あの方のもの・・・」

蘭がそう呟くと、頭の中で嘲笑する声がありました。

『蘭、思い出しなさい。あなたは本来この世界の住人ではない。この世界で嫁入る事など、許される訳はないのよ』
「だ、誰・・・!?」
『私はあなた、あなたは私。解っている筈よ』

突然、蘭の頭の中に、知らない筈の光景が浮かび上がりました。

月がここよりも大きく明るく輝き、太陽でなく月の元で生命が育まれる世界。
人々の衣装や建物の形が異なり、船が空を飛びまわり、馬を使わないのに素晴らしい速さで車が走っています。
蘭が今居る世界とは、すぐ傍にありながら、同時に遠く隔たっている異界。
見た事もない筈なのに懐かしい風景でした。

蘭は、自分がそこから来たのだと、そこに帰らなければならないのだと、理解しました。



「いやあああああああああっ!!」



蘭は、悲鳴を上げて気を失いました。





「そんな馬鹿な話があるものですか!お前は私がお腹を痛めて産んだ子、月の世界から来た天人などであろう筈がないわ!」

英理が、激昂したように言いました。
蘭の悲鳴に血相を変えて飛んで来た両親は、意識を取り戻した後、泣きじゃくる蘭から、訳を聞いたのでした。

「でもお母様。お母様は、子授け神社でお祈りして、わたしを授かったのでしょう?」
「ええ!?蘭、何でそれを!?」

英理は、子授け神社に祈った事を、蘭には話していなかったのです。

「その声を聞いて、月の神様が哀れと思い、わたしをお母様達に一時的に預けたのですって。わ、わたしは元々、月の世界の住人だったけれど、ある悪戯をした罰としてこの世界に十七年だけ落とされる事になり、お母様のお腹を借りてこの世に生まれ出る事になったのです」
「けどよ。願いを聞いて蘭を寄越したくせに、十七年経ったら取り上げるなんて、あんまりじゃねえか!?元がどうであれ、今の蘭は俺達の間に生まれ俺達がこの手で育てた、俺達の娘だ!今更取り上げられてたまっかよ!」
「わ、わたしだって・・・今更そんな月の世界になんて行きたくない!でも、もう今度の八月十五夜、仲秋の名月には、月の世界からわたしを迎えに来るの!わたしだって行きたくない、でも、御使いに逆らう事など出来ないの!」

そう言って、蘭はワッと泣き伏しました。


その事はすぐに、その日竹取の屋敷を訪れた皇太子・新一に伝えられました。


「何だって!?月の世界の住人だと!?冗談じゃねえ、そんなとこに行かせてたまっかよ!」

新一は、以前見た「蘭であって蘭でない」存在を思い出していました。

『こういう事かよ、畜生!しかも、もしそうなると、蘭は・・・蘭の心は殺されちまう!ったく、冗談じゃねえぜ!』


「新一様・・・?」
「蘭、大丈夫だ!オレが何とかする、絶対にオメーを連れて行かせはしねえ!」

新一は蘭を強く抱き締めて言いました。
蘭はハラハラと涙を零します。

「お気持ちは嬉しいけれど、御使いは、この世の者が太刀打ち出来るようなものではありません。たとえ、最高の軍を差し向けたって・・・」

新一は蘭の耳元で、掠れた声で囁きました。

「なあ、蘭。オメーの入内まで我慢するって約束したけど、この場でオメーをオレのもんにしちまって良いか?」
「し、新一様?」
「もしかして、地上の男に穢されたなら、蘭には月世界に帰る資格がなくなるのかも知れねえ。だから・・・」

蘭は目を見開いて新一を見詰めていましたが、意味が解ると頬を染めて頷きました。

「許せ、蘭」

そう言って新一皇太子は蘭の首筋に唇を落とし、胸元に手を差し入れようとしました。
すると。
蘭の体が発光し、するりと新一の腕から抜け出しました。

「この娘にそれ以上触れてはならぬと言った筈。この体を助けたお前だから命だけは取らずにいて上げるけれど、今度無礼な真似をしようとしたら容赦はしない!」

蘭の口から、蘭ではない声が漏れ、その目は冷たい眼差しで新一を見詰めます。
以前、まみえた事のある「蘭であって蘭でない」人格が現れた事を、新一は悟りました。

「はは〜ん。もしもあいつらの内誰かが首尾良く妻問いに成功していたら、今頃は命が無かった訳だな。結果的にあいつらは、俺のお陰で命拾いしたって訳か」
「何をお目出度い事を言っているの。私は、無垢な体で帰るのよ。この体を助けたお前だから、唇だけは我慢したけれど、それ以上はお前にだって触れさせないわ」
「おいおいおい。それはこっちの台詞だって。オメーは蘭じゃねえ。この体は蘭自身のもの、オメーになんか渡さねえよ」
「あなたは何だって出来ると思っているのね、お目出度い人。言って置くけど、あちらの世界はここよりずっと文明が進んでいるわ。たとえ帝の権力をもってしても、太刀打ちなんか出来ないわよ」
「帝の権力?そんな物あろうが無かろうが、俺は絶対に諦めたりしねえ。蘭は俺の妻にするんだ、絶対に連れて行かせたりしねえよ!」

蘭が目を覚ました時、新一に抱き締められていました。しかし、衣服は着たままで、乱れた様子すらありません。

「新一様?私は新一様のものになったのではないのですか?」

新一は苦笑して言いました。

「意識の無くなったオメーを抱いたり出来っかよ、バーロ」
「で、でも・・・っ」
「それにどうやら、俺がオメーを穢したら連れて行かれずにすむ、という単純な話ではなさそうだ」

その言葉を聞いて蘭の顔が曇りました。
やはり無理なのかという思いに、胸が締め付けられます。

「で、でも、新一様。そうだとしても・・・私、思い出が欲しい。新一様の存在を、私に刻んで欲しい」

蘭が恥ずかしさを堪えて決死の覚悟で言いました。
けれど、新一は頭を振りました。

「蘭。俺はそんな理由でオメーを抱いたりはしねえ。オメーは絶対連れて行かせねえよ。そして来年オメーが入内したその暁には、もう遠慮なんかしねえからな」

 蘭は新一の決意の固さが嬉しいと思うと同時に、新一の花嫁になるというのは、結局、夢物語でしかなかったのかと、絶望的な思いも抱いたのです。

事態が深刻である事が徐々に解って来て、小五郎と英理は蒼褪めました。新一と一緒に事態の打開が出来ないかを話し合います。
物知りの阿笠老人も呼ばれましたが、彼も月世界については何も知りませんでした。

「おおそうじゃ。こんな時湖南先生が居られたら、何か良い知恵を出して下さるかも知れんのう」

阿笠老人がポンと手を叩いて言いました。小五郎と英理もそれは名案だと思いました。

「皇太子様、高名な学者の江戸川湖南という人をご存知ありませんか?」

新一は苦虫を噛み潰したような顔をして言いました。

「江戸川湖南か・・・彼が居た所でこれ以上に知恵が出て来る筈ねえよ」
「どうしてです?彼はワシなど及びも付かない知恵者でしたぞ」

 阿笠老人の言葉に、新一はますます顔を顰めました。

「買い被って貰って嬉しいけどよ、江戸川湖南とは俺のもう一つの姿。だから、俺以上の知恵は持ってねーな」
「「は?何ですと!?」」「は?何ですって!?」

小五郎と英理と阿笠老人が異口同音に叫びました。

「だから、江戸川湖南とは、蘭の様子を見る為に、俺が姿を変えてお忍びでやって来た時の姿だったんだよ。その為に、まず阿笠爺さんに近付いたんだ」

 皇太子の思い掛けない告白に、一同は唖然となりました。次いで、江戸川湖南の助けが当てに出来ないと解って、ガッカリしました。



「ねえ、湖南先生が新一様の変装だったって、本当?」

蘭にそう問われて、新一は顔を顰めながらも不承不承頷きました。

「何だか嬉しい」

蘭が久し振りに笑顔を見せてそう言いました。

「嬉しいって・・・何でだ?」
「だって、私の傍に居て守って下さってたんでしょ?だから・・・」

そう言って蘭は、新一の胸に頭をもたせかけました。
新一は蘭の顎を捕えて上向かせると、蘭の唇に自分のそれを重ね合わせます。

まだ打開策など見つかりませんが、新一達が蘭を行かせまいと必死で頑張っていてくれる姿に、蘭は幸福感を噛み締めていました。

事態を憂えて、新一皇太子はずっと竹取の館に泊まり込んでおりました。
しかし、これと言った手立てが無いままに、月日は容赦なく過ぎ去って行きます。

都では、帝と皇后が皇后の私室で話をしていました。

「優作、何とかならないの?」
「有希子・・・私だとて万能ではないよ。この地上の人間の一人に過ぎない私が天上人などに太刀打ち出来ると思うかね?」
「せっかく新ちゃんが巡り会えた大切な人なのに・・・あんまりだわ!」

有希子皇后が泣き崩れます。
優作は、軍を出す事は約束したものの、それが天上人達に通用するとは思えませんでした。

左大臣家では、園子が気を揉んでおりました。
深窓のご令嬢にも関わらず、輿に乗って竹取の里に駆けつけようとした位です。
しかしそれは、夫である京極真に止められました。
今現在、園子は身重だったからです。



   ☆☆☆



「無理な事は止めなさい。私はあなたを殺したくなんか無いわ」

蘭の奥に眠る人格が現れて言いました。
最近、新一と蘭が二人きりで居る時に、時々現れるようになっていたのです。

「オメーがわざわざ出て来てそう言うって事は、阻止する事も可能だって事だな」

新一が強い眼光で「もう一人の蘭」を見据えてそう言います。

「本当にお目出度い人。私は無駄だって事忠告に出て来てるのよ」
「なあ。オメーの名前、何ていうんだ?」
「・・・何よ、私は蘭だって言ってるでしょう?」
「いや、違う。そもそも何でオメーは蘭の中に居るんだ?」
「それを聞いてどうしようと言うの?私は明美。元々この子は、私の器として生まれて来たのよ。私が元居た世界に帰る為に」
「冗談じゃねえぞ、バーロ。その体は十七年間その体と共に成長して来た蘭の物だ。蘭はオメーとは全く違う存在、蘭の魂もその体も、オメーの道具なんかじゃねえ!」
「十七年位が何だと言うの?私は五百年も待ったのよ。朽ち果ててしまう私の体の代わりにいつか帰る為、私は子孫に転生したのだもの!」

やがて蘭の体から発していた光は消え、意識を失った蘭は新一の腕の中に倒れ込みました。
新一は蘭の体をしっかりと抱き締めます。

「ぜってー、諦めねえぞ!」

何の手立てもありませんが、新一皇太子の決意は揺らぐ事がありません。
御使いが訪れる日は、目前に迫っていました。



(8)に続く


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<後書き>

このお話では、新一君と蘭ちゃんは、最後まで、チュウ以上の仲には進みません。
お伽噺っぽく始まったお話ですが、実は、SFファンタジー?

考えてみたら、このお話では、毛利夫妻及び蘭ちゃんは、あの姉妹の遠い子孫って事になりますねえ。
うううむ。

(6)「果たされた約束」に戻る。  (8)「月からの使者」に続く。